商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
公演は無事に終わった、そのことにキャロルは安堵の溜息を吐いて一息つく。
役者としては二流とさえ言えない大根役者っぷりを披露した為に、一時期は公演の見直しまで視野に入れた会議まで行われたのだ、しかし狩猟王を題材にした演目で弓術は必要不可欠であり春風のキャラバンにおいてキャロル以上の弓兵は存在しない。
この公演を行うにあたって衣装や舞台などにかけた費用は大きい、公演を見直すということはそれらをドブに捨てることになるので今更後には引けないのだ。
例え主演の役者がどれだけ棒読みであってもせめて投資金額くらいは回収したい、幸いなことにセリフ回しだけが致命的であり舞台上での激しい動作は問題なく合格点を貰えたので、後は声の問題だけであった。
そこだけが問題で、それが致命的なのだ。
キャロルも努力したのだが言葉に感情を乗せることがどうしても難しく、役者にとって重要な表情もまた作れない。
そもそもキャロルにとって言葉や表情とは作るものではなく自然に現れるものなので、この結果もまた必然なのかもしれない。
嬉しいから笑い、悲しいから泣く、それらを意図的に作り出すのが演者であり、その技能がなければ公演はまず成立しないだろう。
自分が舞台に立つと先輩団員たちの努力と才能がよくわかる、彼女たちは泣けと言われれば即座に涙を流せるのだから恐ろしくもあった。
キャロルには無理だ、しかし公演はすぐそこまで迫っている……だからこそキララの一声でこういう形となったらしい。
大根役者には喋らせずに動作だけ集中させて、そこに合わせて吟遊詩人でもあるローレライが台詞を合わせるのだ、初めての試みであり観客に受け入れられるのかどうか不安でもあったのだが、魔術による演出の派手さも助けになって歓声と拍手を受け取ることができたのだった。
達成感と充実感と、それ以上の解放感もあってかキャロルの足取りは軽い、初めての主演であり初めてのアテレコであったから劇の始まる前は戦いとは違った種類の緊張が全身に広がっていたのだが、今は鉛を引きずるかのような重みが消えている。
これならば今後も公演で役に立てるだろう、だからこその安堵だ。
彼女の手には初主演の公演を無事に終わらせたことで大入り袋が握られていた、どうやら団長からのボーナスらしい、友人や仲間の次くらいに給料袋が好きな彼女にとってこういった臨時収入は歓迎できるものだった。
稼げる時に、稼げるだけ稼ぐ、いつまでも若い訳ではなく、どこで怪我や病によって満足に動けなくなるかわからないのが人生だ、まして彼女たちは女の体一つで生きている立場にあり、誰かに養ってもらえるような相手も存在せず安定には程遠い。
頼れるものは己の力と仲間の存在、そして財産だろう。
もし、もしだ、姉のシャルルや友人のエミリーがどこかで足を引きずるような生活を営まなければならなくなったとしたら、この財産が物を言うことになるかもしれない。
何らかの理由で戦士として使い物にならなくなったとしたら、このキャラバンで培った経験や人脈を利用して新しく商売でもしよう、そんな思いがキャロルにあるからこその貯金であり財産だ。
姉であるシャルルはその辺の未来予想図がどこか欠落しているので散財することも珍しくはないのだが、対照的にキャロルは蓄財に関して冷静であり厳しい。
もしかしたら、三人娘の中で一番、彼女が現実的な備えに邁進しているのかもしれない。
また彼女は堅実でもあった、手元にある金貨や銀貨の半分は現物資産に変えている、自らを飾り立てるように宝石や装飾品を求めるような趣味はないのだが、いざという時に換金しやすいものがあれば便利だ。
今回の臨時収入も半分は宝石か金細工の購入に割り当てられるだろう、何年か前に大量の偽造金貨が出回って価値が暴落した教訓があるのでキャロルは貨幣を完全には信頼していない。
貯めて、買って、財産を増やして、いつかに備える、明日もわからぬ身の上なのだから備えるのは当然だろう。
「ん……これでよし」
キャラバンの後部車両の一つ、同期の三人娘の部屋でもあるその車両で、キャロルは自分の寝床にある鍵付きの箱を開けてそこに臨時収入の半分を放り込む。
脇に抱えられるくらいの小振りなその箱にはキャロルの私物が入っているようだ、中には金貨と銀貨が収められてそれが半分を占めており、残りの半分は宝石や換金率の高い装飾品があった、これに加えて彼女のウエストポーチにある財布袋にも同じように貨幣と宝石が入っている。
キャラバンで働くようになってから少しずつだが増えていく財産を眺めるのは気分がいい、数年前はあばら骨が浮いて見えるような極貧環境で奴隷として売り出されていたことを思えば、大した進歩と言えるだろう。
このキャラバンで働くことができて良かった、まだまだ未熟だがもっと経験を積み重ねて稼いでやる、そう決意を新たにしてキャロルは宝箱にしっかりと鍵をかけるのだった。
それと同時に鋭敏な聴力が車両への接近を知らせた、聞きなれた足音は姉であるシャルルのものであると予想を立てる。
キャロルの予想通り、車両の扉の向こうにいたのはシャルルであった。
「お、いたいた、初の舞台はどんな感じだったよ?」
「……緊張した」
「舞台袖から眺めてるぶんは堂々と出来てたと思うんだけどなぁ、やっぱそういうもんか」
「……エミリーが上手く合わせてくれた」
炎で悪魔を象り、それを操って狩猟王の相手役をしていたのは舞台袖で魔術を行使していたエミリーだ、何度も打ち合わせて練習をしてきたので呼吸を合わせるのは容易であった。
それでも一歩間違えればキャロルが黒焦げになってしまうような危険性もあるのだ、二人の努力の賜物だろう。
「なんかエミリーは元気そうだったな、前に劇の演出役をやってた時はへとへとって感じだったけど、今回は疲れてなかった」
「ん……房中術があるから、魔力が一杯あるんだと思う」
「あぁ、そういえばワタシも最近は特に調子が良いな」
キャロルも同意見だった、先日に客として訪れたアントニウスの精液から得た魔力は極めて良質であった為に彼女たちの肉体と精神は絶好調であった。
房中術の理解を深めればもっと大きな効果を得られるだろう、それこそ極めれば不老不死にだってなれるらしい、あまりにも遠い道のりであることは間違いないのだろうが。
「帰ってきたらお祝いしような、ちょっと良いワインでも買っておくからさ」
「ん、わかった…………帰ってきたら?」
「あぁ、ワタシはこれから仕事があってちょっとキャラバンを離れる、この前に来た聖騎士のおっちゃんがいただろ? 人手が欲しいらしくてキャラバンに声をかけてきたんだよ、だからこれから傭兵業で稼いでくる」
「了解」
「それと、団長がキャロルを呼んでたぞ、お前にもなんか仕事があるみたいだ」
「……団長が?」
さっき大入り袋を貰った時にはそんなことは伝えられなかった、この短い間に何か新しい仕事が舞い込んだということだろう。
シャルルは自分の寝床の近くに置いてあった愛用のチェストプレートを始めとした武具を身に纏うと、戦場で拾った業物の剣を腰にぶら下げてそう伝えた。
「なんかエミリーも忙しそうだし、お祝いは全部終わってからだな」
そう言ってシャルルはニカッと笑うと車両を後にする、キャロルもまた身支度を整えると団長がいる中央車両へと向かうのだった。
個別に呼び出されることは珍しい、何かしらの仕事を任される時は三人一緒であることが殆どであり、先程のシャルルのように個人で仕事を行うのはこれまであり得なかった。
先輩団員ならば個人で仕事をしていた……ということを思い出して、自分たちが個別に動くのは一人前と認められたからなのだと気が付く。
今後もこういうことは増えていくだろう、ならば最初の一歩で躓くわけにはいかない。
中央車両の団長室にノックをしてから返答を待つ、すると部屋の奥から客向けに作った団長の声が届く。
「……失礼します」
扉の向こうにいたのは見慣れた団長だけではない、皮鎧と毛皮で作った衣服が目立つ男性が二人いた、片方は老人と呼べる年齢でありもう片方はキャロルと同年代と思われる幼さの残る少年だ。
「よく来た、キャロル……こちらの方々は聖都の近隣で狩猟業を営んでいる人物だ、貴女が主演の公演を見て仕事の依頼に来たとのことよ」
部外者で依頼主がいる為にキララの声は威厳がある、彼女も舞台に立つことがあるので声質を変えることくらいは容易いだろう。
女が団長であることで舐められないようにと演じ分けているのだ、彼女が低くみられるということはキャラバンの評価が低くみられるということであり、即ちこれから仕事を行うキャロル扱いが低くなるということだ。
なので低くも凛とした声を使う、思わず背筋がピンっと張るような雰囲気を醸し出せるように。
逆にキャロルの評価と成果はキャラバンへと返って来る、なので彼女もまた不当に低い評価を受けてキャラバンに対する評価を下げないように、ローレライに厳しく躾けられた礼儀作法で客を迎えるのだ。
「……お初にお目にかかります、キャロルと申します……生まれが卑しいために姓はありません……お見知りおきを」
胸に手を当てて一礼、すると相手もまた同じように礼を返してきた。
「これはご丁寧に……私はガルグ、こちらは弟子のアラン、今回は貴女の腕を見込んで雇いたいと思いこうして参りました」
初老の男性は年齢を積み重ねたが故の美しい一礼をした、弟子のアランはその動作を追いかけるように頭を下げている。
「こちらのお二人が縄張りとされている山々に、やっかいな相手が現れたらしくてね……どうにも呪い付きのようなのよ」
「……呪い」
かつて悪魔たちが振るった力の一つだ、天剣の勇者を大いに苦しめたとされており、まだ魔術や祝福の力が十全に人々の手になかった神代の頃は大災害とも言えるような被害を齎したとエミリーが説明していたとキャロルは思い出す。
「我々が聖都より管理と間引きを任されている山に、その呪いを被った獲物が現れたのだ、おかげで草木が力を奪われ枯れるだけでなく、周囲の獲物も逃げ出してしまった状況なのだ……そこでこうして聖都まで来て呪いに対抗する為の矢と人手を求めて来た、という状況です」
ガルグとキララは互いに頷き合う、どうやら代表者同士の話し合いはもう終わっているらしい。
「キャロル、貴女には彼らに同行して呪いの排除に当たってもらう、すぐに準備を整えなさい。各種、仕事の引継ぎは忘れないように」
「……了解」
団長であるキララが行けというのならばキャロルに是非はない、もし彼女に無理だと判断したのならばこうして呼び出されてガルグとアランに引き合わせることもなく依頼を断っていただろう。
こうして命令されたということは、この仕事を任せられるという信頼があるからだ、ならばキャロルとしては全力を尽くすだけだった。
「感謝いたします、春風の御一行……では彼女は借り受けます」
「はい、見た目は幼いですが腕は確かです、存分にお役立てください」
キララとガルグは握手を交わす、こうして契約が成り立ったのだった。
やるべきことが決まったのならば準備が必要になる、キャロルのやるべきことは仕事の引継ぎと武装の準備でありそこまで時間はかからない。
ローレライとシャーシャに話を通しておくことも忘れない、シャルルは個人で仕事があるので挨拶はできなかった、エミリーも何か忙しそうにしていたので軽く声を掛けるだけにしておき、最後に弓と矢の点検を行って身に纏う。
そして全身の血流を確かめるかのように深呼吸をして感覚を研ぎ澄ます、重さの無い衣服を着ているかのように魔力の流れを感じることができた。
まだ器が未熟なので本格的な魔術師であるエミリーやローレライほど多くの魔力を貯蔵することはできないが、最近まで魔力の知覚すらできなかったのでこれでも十分な進歩と言えるだろう。
エミリー曰、術の領域まで行けなくても、魔力を鎧のように纏うだけで魔術や呪いをある程度は防げるらしいのでキャロルは魔力の運用に気を使っていた。
武器にも体にも精神にも不調はない、寧ろ房中術の影響もあってかつてない程に好調である、それを確かめたキャロルはガルグとアランが待つ聖都の正面門まで歩いていく。
依頼主の二人はすぐに見つかった、特徴的な毛皮の衣類は聖都ではよく目立つ、彼らは門の向こうで愛馬に餌と水を与えているようだ。
「あ、こっちです、キャロルさん!!」
キャロルを発見した瞬間にアランの顔は僅かに赤くなって声が弾む、そして思い出したかのように自らの衣服の埃を払うかのような動作を行うと、最後に鼻をスンスンと鳴らして体臭を確認するのだった。
「臭くない……臭くないよな?…………あぁ、えっと!! これから僕らが拠点にしている村に行くんですが、キャロルさんは馬はお持ちですか?」
「ん……持っていない、それに乗れない……後ろに乗せてくれる?」
「も、もちろんです!! どうぞどうぞ!!」
「……年も近いし敬語はお互いにやめよう」
「そ、そうかな?……なら、ええっと……キ、キ、キャロル……」
キャロルの名前を口にした瞬間に耐えきれなくなったかのようにアランは顔を背けて両手で隠してしまう、そんな彼を呆れたように見つめるのは師匠のガルグだ。
「あ~……キャロル殿、こいつはあれだ……まだガキなんでな、アンタみたいなあかぬけた若い子に耐性がないんだ、呆れてやってくれ」
「ん……そういうお客の相手もよくするので、問題ありません」
「ははは、そうかい……あぁ、ワシにも敬語はいらんぞ、しがない猟師でしかないんだからな。君もワシも堅苦しい言葉では肩がこる、そう思うだろ?」
「ん……わかった、これからよろしく」
契約を行う上で第一印象は重要だ、キャラバンも彼らもそれは変わらない、なので挨拶や礼儀は欠かすことができないものだが、それは契約を結んで果たす為に必要な最初の一歩にすぎない。
相手が望むならば砕けた口調でも問題ないだろう、それで互いの信頼関係が崩れるようならば問題だが、ガルグとアランはそういった依頼主ではないだろう。
キャロルとしても気楽に接する方が気が楽だ、なので彼らの言葉に甘えることにした。
「おいアラン、いつまで茹タコみたいに赤くなってんだ!! さっさと移動するぞ、キャロル嬢を乗せてやれ!!」
「は、はい!! 任せてください!! じゃあ、キ、キャロル……そのどうぞ」
馬上からアランが手を差し伸べる、手汗で湿ったそれをキャロルはしっかり握って華奢な体を引っ張り上げてもらう。
彼女が収まったのはアランが限界まで前に詰めることによって生まれた鐙の後ろ部分だ、幸いにも両者共にまだ少年少女という体格なのでぴったりと体を合わせれば問題なく馬に乗れた。
キャロルにとって異性と肌を合わせるのは日常とさえ言える程に慣れた行為なのだが、田舎育ちの初心な少年にとって背中に感じる少女の温もりはどうしても刺激が大きいらしい。
落ちないようにアランの腹部に回されたキャロルの両手が彼の異変に気が付く、衣服の上からでもわかる程に体温が上がっており、その血流は下半身へと向かっているようだ。
娼婦として色々な相手と交わって来たキャロルからしてみれば、異性とろくに遊んだことのない少年の心情は手に取るようにわかる、年齢は近くても性経験という部分では天と地ほどの差があるのだからこればかりはどうしようもないだろう。
自分に向けられる欲情には敏感だ、性を売りにしているのだから尚更に鋭い。
悪い気はしなかった、欲情されるということは女としての魅力があるということなので、それは娼婦として働く上で重要なものなのだからキャロルにとって歓迎できるものなのだ。
それに加えて新鮮でもある、娼館に客として訪れる男の大半が稼ぎと立場のある年配の男性であることが殆どなので、若い男性の性欲をぶつけられるようなことが少ない。
同年代の男と交わった経験は片手で数えられる程度しかない、何より房中術を身に着けてからは一度も無かった。
キャロルは少しだけ興味があった、若い男の方が強い生命力を持っているので、その精液がどれだけの力になるのかという興味が。
「ん……どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ!? 大丈夫、大丈夫だから!!」
明らかに動揺したまま馬を進ませるアランの耳元でキャロルが囁くように問いかける、そんなことだけで体の熱が高まるのだから何とも扱いやすい。
少しだけ腹部に回した両手に力を込めると体を反応させて、耳元に囁きかけると体に震わせて、背中に引っ付ける面積を増やせば更に股間が熱くなる。
性交渉に慣れた相手ではこの程度で甘い反応など返してはくれないのだが、この少年は随分と素直なようだ。
馬上なのであまり激しく責めることはできない、なので擽るような接触しかできないのが残念だ、なのでアランの拠点がある村までこうして中途半端にちょっかいを出すことしかできないのだった。
キャロルはどこか楽しそうに少年を弄び、アランは顔を真っ赤にしながらセクハラを受けていることすらも自覚しないまま馬を走らせる、それが村に付くまで続くことになる。
「見えて来た、あれが我々の拠点としている村だ」
前方のガルグが指し示す先にあるのは街道に沿うように集まった村であり、人口は五百人ほどだろうか、他国へと繋がるこの道とこの街は宿場の役割も備えており、聖都から他国へ向かう場合やその逆の場合であってもここを経由することが多いだろう。
距離的にも立地的にもここで一度休憩してから他所へ向かう、まさに交通の要所でもあった。
アランとガルグの二人は村と言ったが、規模としては宿場町といえるような大きさだ。
祝祭に向けて聖都に集う商人やキャラバンの姿もチラホラ見受けられる、そんな流れる逆らうようにキャロルたちは宿場町に入ってその外れにある猟師小屋へと足を運ぶ。
二人はこの小屋を拠点にして付近の山に挑むらしい、小屋の周囲には獲物からはぎ取ったであろう毛皮がいくつも干されており、周囲に血と油の匂いを漂わせているような状況であった。
「ご、ごめんね、ちょっと汚くてさ」
「ん……大丈夫、それよりもアランは大丈夫? 顔が赤い、体調でも悪いの?」
自分のセクハラが原因であるとわかっていながらキャロルはしれっとそんなことを尋ねる、初心な少年はそれが自分を思っての裏表のない気遣いなんだと勘違いしながら慌てて距離を取る。
「も、問題ないよ!! ちょっと揺れが激しかったから酔っただけさ、これくらいは少し休めば落ち着くから心配しないで…………それよりも俺はこれから母ちゃんの所に行かなくちゃならなくて」
「アラン、お前は何言ってんだ? まだ仕事が残ってるだろうが、キャロル嬢にちゃんと説明してやるんだぞ、ワシはこれから山に入る許可とあの呪い付きを排除する作戦の準備に取り掛かる、お前は山の地理を教えてやれ」
「えぇ!? ちょっと今は、その、あれでして……三十分だけでいいから休憩させてくださいお願いします、このまんまじゃ仕事に集中できませんって!!」
「バカ野郎!! 作戦の決行は明日だぞ!! ちょっと馬に酔ったくらいでだらしねえこと言うんじゃない、山は暗くなるのが早いってことはわかってるだろ、さっさと案内してきやがれ」
ガルグに背中を叩かれるように押し出されてアランは観念したようだ、彼は下半身に集まる熱を引きずりながら山に入ることになってしまう。
しかし前かがみになりながら歩くことも出来ない、そんな姿勢を晒せば仕事相手であるキャロルに欲情していると宣言しているようなものなのだから。
ふぅ、ふぅ、と浅い呼吸を何度も繰り返してなんとか熱を下げていく、しかし小首を傾げるキャロルの顔を見た瞬間にまた高まっていく、その浮き沈みに翻弄されながらなんとか頭を仕事へと集中させていった。
キャロルはそんな彼の背中をいつもの無表情ながらも、どこか楽しそうに見つめるのだった。
同年代へのセクハラが予想外に面白かったので道中は楽しんでしまったが、キャロルがここに来たのは男を喜ばせる情婦としてではなく傭兵としてだ、仕事には真摯に向き合わなくてはならない。
本格的な作戦は明日とのことなので今日は山の下見になるだろう、アランをからかうのもここまでだ。
キャロルもまた頭と思考を仕事へと切り替える、アランも宿場町では股間の疼きに悩まされていたようだが、さすがは猟師と言うべきなのか山に入った途端に集中力が増していく。
「この辺の山々はとても広いけどそこまで起伏は激しくない、一番高い山の標高は大体千メートルちょっとくらいで……ほら、少しだけ雪が残ってる場所があるだろ? とりあえずあそこに向かおう」
「ん……わかった」
「生態は多種多様だね、熊も狼も猿も兎も、大抵の獣が暮らしている。村に近い位置……つまり俺たちがここにいる辺りはまだ安全だね、山の管理も俺たちの仕事だから間引きなんかもしてる、後は木こりの真似事なんかもね」
「……猟師だけが仕事じゃない?」
「そういうことになる、そもそもこの山は俺たちが所属している狩猟組合が管理しているといっても、土地の権利云々を説明すると聖都の国有地になるんだ。そして猟師はこの国に雇われて山の管理を行ってるわけだね」
アランは緩い傾斜が続く山道を淀みなく進んでいく、蔦や枝を愛用の鉈で切り開きながら背後に続くキャロルが通りやすい道を作っているようだ。
「まぁ、管理といっても聖都からうるさく言われている訳でもないさ、増えすぎた獣の狩猟とか木材の伐採とかこっちの自由にやらせてもらっている……後はやっぱり大樹海の監視かな」
アランが視線を向けた先にあるのは二人が歩く山道から遠く離れた深く暗い山々だ、アランたち猟師の手が届かない、完全に人の領域から離れた場所にある空間である。
そもそも人間の手で広大な自然を全て管理することなど不可能であり、宿場町に近い山を整備するだけで限界だろう。
広く、深い、深部は太陽の光さえ朧げになる、そこは知恵と光が届かない闇の領域である。
「あっち側は完全に人知の外だ……きっとアイツも向こうからやって来たんだろうな」
「……今回の目標のこと?」
「うん、凄く立派な角を生やした牡鹿なんだけどさ、そいつに呪いがこびり付いてとにかくやっかいなんだよ……ほら、これを見てくれ」
アランが山道の途中でしゃがみ込んで地面を指さす、そこには先端が二つに割れた形の足跡が残されている。
ここは山なので獣の足跡ならば何も珍しい物ではない、しかし問題なのはその足跡を中心に草が枯れている点だろう。
緑豊かな山中に不自然に残された枯れ地、その中心にある足跡はとても悪目立ちする。
「アイツが通った場所はこうして草が枯れるんだ、まるで命を吸い取るかのようにね……幸いにもこの足跡はそこまで新しくないけど……う~ん、参ったな」
「……宿場町に近い」
「そこだよね……前に師匠とアイツの痕跡を見つけた時はもっと闇側の領域に近かったのになぁ」
「……その牡鹿は強いの?」
「いや、立派な角を持った鹿だけどそれだけかな……師匠が初めて発見した時もただ逃げるだけで襲い掛かって来ることはなかったみたいだし、でも他の獲物たちはアイツを怖がって姿を消してしまった、こうして草木も枯らされたら山が死んでしまうよ」
アランは眉間に皺を作って立ち上がる、そしてこう言った。
「自然の中で生かされて死んでいくのが生物の一生だ、それは人間も変わらない。でもあれはその法則の中から逸脱した存在なんだ、魂の循環を塞き止める大岩のような物……まぁ、この言葉は師匠の受け売りなんだけどね」
アランは謙遜するように笑って見せる、するとキャロルと見つめ合う形になり、思い出したかのように顔を赤くするのだった。
「と、とにかく!! あの呪い付きは危険だから排除しなきゃならない、俺たちの生活の為でもあるけど山々の安全や秩序の為にもね」
「ん……納得できた」
「山頂の小屋を目指そう、そこから俯瞰すれば山の地形も口で説明するよりは頭にはいりやすいから」
広いがそれほど高くはない山々なので山頂へはそう苦労することなく辿り着けるだろう、実際に山での暮らしに長けていないキャロルであっても呼吸を荒げることなく順調に進めている、この環境であれば高山病の心配も必要ないだろう。
弓兵としての視点で見るならば、傾斜と木々がやはり邪魔になる。
平地とは違って常に広い視界を確保できる状況ではない、木々が障害物になるので接近も容易いだろう。
どう戦うか、どう動くか、そんな視線で周囲を観察するキャロルの瞳が、ある一点で固定された。
「……アラン」
「なにさ?」
「ん……見られてる」
「えぇ……方向は?」
「北西…………二百メートルくらい、あの枯れ木の影」
アランの視線もそちらへ向かった、猟師として弓兵として鍛えられた視力は確かにそこにいた暗闇を捕らえた。
「……アイツだ、あれが呪い付きの牡鹿だ」
最初から枯れ木であったのか、それとも呪い付きの牡鹿に接近されたことでそうなってしまったのか、緑深い山々にあってその白い枯れ木はよく目立つ。
その枯れ木に身を隠すかのようにとても立派な角を生やした牡鹿が、首だけを枯れ木から曝け出してこちらを見つめているのだ。
いつからそうだったのか、少なくともアランもキャロルも今の今まで牡鹿の存在に気が付くことはなかった。
相手は呪いを振りまく存在なので身体に魔力を張り巡らしながらキャロルは弓を構えようとするのだが、アランがそれを制する。
「待った、アイツは人間に危害を加えるようなことはこれまでなかったんだ」
「そうなの?」
「うん、常に一定の距離を維持して周囲を観察するらしい……師匠によればね」
「……でも、こっちに近づいてきてる」
「えッ?……うわ、本当だ」
立派な角が木々の枝をへし折りながら牡鹿はこちらへ向かってくる、人間とは比べることもできない四足歩行特有の健脚は緩やかな斜面を右へ左へと駆け抜けていく。
平地を風の如く突き進む馬の動きとは違う、木の根っこや腐葉土などを蹴り飛ばして跳ねるかのような動きは、山を領域とする獣しか持つことのできない健脚だろう。
翻弄するかのような牡鹿の体捌きに二人の視線が右往左往する、距離は百メートル程の位置まで接近されてしまった。
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
「……落ち着いて」
キャロルは冷静さを無くして慌てふためくアランの背中に手を伸ばす、掌と背骨が接触すると房中術による魔術的な道を作り出してそこから相手の魂や精神へと干渉を開始する。
呪いの牡鹿を前にして心が折れそうになっていたアランの精神を強制的に落ち着かせるのだ、房中術は魂を繋げる魔術という側面もあるので、使い方次第ではこういったこともできるのだ。
「ん……冷静に、すぐに接敵するからどうするか決めて」
「あ、あぁ、えっと、そうだな…………俺たち二人じゃアレを排除するのは難しいと思う、やるなら師匠と罠が必要だと思う」
「……なら逃げる、殿は引き受けるから」
バキン、と地面に露出した木の根が踏み砕かれる音が二人に届く、既に距離は五十メートル近くまで縮められていた。
山の獣からしてみればそれは一呼吸の位置だろう、実際に瞬きする間にまた距離が近くなる。
「弓神よ……悉くを撃墜する力を我がもとに」
祈りを込めたキャロルの矢は風を切り裂いて放たれる、僅かに光の尾を伸ばしながら真っすぐ進んでいく、狙いは牡鹿の眉間だ。
しかし牡鹿はその矢を目前にして僅かに頭を下げると、無数に枝分かれした大きな角をかちあげてキャロルの矢を弾いてしまう。
その動作は只の獣には難しいものだ、反射的な行動ではなく意図しての動きなのが更にマズイ、相手が多少なりとも知性を有しているという証拠でもあるのだから厄介だった。
「山小屋に向かおう!! ここからなら麓に降りるよりも早い、獣除けの香もある」
「……走って」
二本目の矢を放つ、やはり角で弾かれる、キャロルは遠ざかっていくアランの足音を聞きながら三本目の矢を弓に重ねた。
既に牡鹿は目の前とさえ言えるような距離にいるようだ、そこまで来れば相手の巨大さも勢いもよくわかる。
そこでキャロルの知識にある鹿とは大きくかけ離れた姿をしていることを理解した、まず普通の牡鹿よりも二回りは大きい、ロバに角が生えたようなサイズではなく小柄な軍馬ほどの大きさだ、それだけならば自然の生物であると納得できるのだが、特に異常性を訴えるのは全身に広がる黒い何かだった。
まるでさっきまで沼に体を沈めていたかのようにどす黒い汚れがこびり付いているのだ、それらは粘度が高いのか走る牡鹿から糸を引きながら地面に落ちていく。
その黒い粘液が自然を汚しているのだろう、牡鹿が跳ねる度に周囲に撒き散らされて、草木が白く枯れていくのだ。
汚れた油を全身に塗りたくったかのような有様なのだが、キャロルの鋭い視力はその粘液の向こうにいる存在を発見することになる。
「……ミミズ? 蛇? それに…………」
牡鹿を蝕む呪いの正体は無数の触手であった、それらが複雑に絡み合って纏まり、蠢いている、そして何よりも注視しなければならないのはその触手群の中心にある。
「……目?」
そう、触手の中心にあるのはキャロルの頭ほどはあろうかという巨大な眼球だ、それが牡鹿の横腹に引っ付いてあざ笑うかのような視線を彼女に向けていた。
ゾクッと、キャロルの背が震えて揺れ動く、目の前に迫った牡鹿の勢いもそうだが、その悍ましい瞳に見つめられて心を直接殴られたかのように恐怖が生まれてしまう。
足元から何かが這いよるかのような不安感が香り立つかのように周囲に広がっていた、震えは背筋だけでなく全身に伝播していく。
すると、そんなキャロルを更に追い詰めるかのように横腹に張り付いた眼球が赤い輝きを放つ。
「ーーッ!?」
不可視の力の波動が周囲に駆け抜けた、それが相手を発狂させる恐怖の魔眼であるという知識はキャロルにはないが、ガツンと側頭部を殴られたかのような衝撃は十分に脅威と理解できるだろう。
だが衝撃だけで済んだのならばまだマシだ、全身に張り巡らせていた魔力の鎧が精神への干渉を最小限に抑えてくれたのだから。
もしそれが無ければ、キャロルは発狂して地面をのた打ち回った挙句、牡鹿に踏み殺されていただろう。
だから牡鹿の突進を紙一重で躱すことができた、無数に枝分かれした角の先端が彼女の皮鎧を僅かに切り裂いて、そのまま進路上にあった木に衝突するのだった。
回避の途中、キャロルと牡鹿に張り付いた眼球の視線が結び合う、そして両者はこれが自分の相手なのだと認識することになる。
「ふッ!!」
一歩の距離では弓での戦いは難しい、懐の鉈を回避途中の半身のまま抜き放って振り抜くのだが、やはり跳ねるような動きで回避されてしまった。
巨体に反して早い、そして軽快だ、牡鹿の力なのか触手を束ねる眼球の力なのかわからないが、ただただ厄介である。
矢筒から矢を引き抜いて構えようとするが、それよりも早く牡鹿の後ろ蹴りがキャロルの鼻先へと放たれる、彼女はそれを大きく飛びのいて仰け反りながら回避すると鉈を握る右手に力を込める。
宙返りしながらも視線は触手を束ねる眼球に固定されたままだ、引き抜いて放つ予定であった矢は唇に咥えられていた。
地面に着地する直前に眼球に向けて鉈を振り下ろすが、跳ねる牡鹿の巨体がそれを邪魔してしまう。
「……鹿を操ってる?」
眼球と牡鹿の動きが完全に同調しているのだ、人馬一体とは少し違うがそれに近い動きである。
どうすべきかと悩むことに意味がない、そもそもこういった魔の眷属と戦う経験がキャロルにはないのだ、呪いや邪悪に対する適切な対処法が決定的に欠けているので仕方がないだろう。
だから悩みも迷いも後にする、咥えていた矢を弓に重ねて弦を引き絞った。
再度の突進、それをキャロルは舞台で見せた時のように役者めいた動きでくるりと躱すと、至近距離で眼球へと放つ。
両者の距離は一メートルもない、矢じりは確かに眼球の中心へと放たれる、牡鹿が暴れようとも避けようがない距離だ。
しかし今度も阻まれてしまう、牡鹿が跳ね回った訳ではなく体中に広がる粘液まみれの触手が剣山のように飛び出すと矢を阻んでしまった。
「うッ……ぐッ!!」
伸びた触手はそのままキャロルの右手へと絡みつく、蠢く触手に肘まで飲まれてしまうが不快感はあっても痛みはない。
牡鹿とキャロルが触手で綱引きをするかのような形になるのだが、体重差があるので勝負にならなかった。
このままでは斜面を引きずり回される恐れがあったのでキャロルは触手へ向けて鉈を振り下ろす、渾身の力を込めてだ。
「---------」
聞き慣れない音程の叫びが山に響き渡っていく、それが意味のある言葉なのかただの苦し紛れの咆哮なのかわからないが……いや、ローレライが使う古の言語で紡がれる歌の雰囲気に似ているような気がしたが、キャロルには判別できないだろう。
どうであれ痛痒にはなったらしい、キャロルは未だに纏わりつく触手を振り払うと、そのまま脇目もふらずに駆け出すのだった。
「はぁ!……はぁ!」
幸いにも追って来る気配はない、振り返ると呪い付きの牡鹿はのた打ち回りながら傾斜を転げている最中である、そのまま勢いを増しながら相手は深い山の深部へと消えていく。
何とかなった、そんな考えが頭に思い浮かんだ瞬間に、キャロルは大きな溜息を吐いて近くの木に背中を預けて倒れ込む。
視線は触手に掴まれた右手へと向かった、未だに薄汚い粘液に塗れているが目立った変化はない。
痛みもなかった、奇妙な呪印が肌に残されたような痕跡もないように思われる、しかし呪いの塊とさえ言えるような相手と接触したのだから影響が皆無である筈もないだろう。
何かがあるはずだ、呪いとは伝承に記されて今もなお猛威を振るう力なのだから。
「……重たい」
身体の体調を調べるとすぐに原因がわかった、キャロルの中に循環していた魔力がごっそりと減っているのだ、それ故に体が重く感じられてしまう。
ここ最近は房中術で得た魔力によって体調が良かった分、それを失ってしまったので鉛を引きずるかのような反動となっているようだ。
あの呪い、あの触手を束ねる眼球は接触者の魔力を奪うのだろう、あるいは生命力なのかもしれない。
呪いを打ち倒すには、ただの武器では届かない、神の力か対極にある祝福の力が必要だ。
その為の準備を進める必要があるだろう、ガルグが生命神の祝福が込められた矢を用意しているので武装は心配ないのだが、問題はキャロルの体調だった。
こちらもどこかで整える必要があった、キャロルは呼吸を落ちつけてから立ち上がると、そのままアランの残した足跡を追って近くの山頂を目指す。
幸いにも、若く活力に満ちた精液を持った相手がいた、魔力の補給先には困らない。
身体は鉛を引きずるように重たいが、山頂までは持つだろう。
ペロリと、獲物を前にした獣のように唇の端を舐める。
彼女は房中術を知ってからというものの、より男との交わりが楽しみになっていることに気が付いていなかった。