商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
炎で形作られた悪魔がキャロルの矢に穿たれて掻き消えていく、何度も打ち合わせして何度でも練習して何度も見た光景ではあるが、こうして本番で予定通りに終わったことを確認できるとやはり安心することができた。
舞台でキャロルが初の主演となるのでエミリーの士気は高い、舞台袖で炎を操って演出役に徹して表に顔を出すことのない役回りだが、それでもエミリーの役割は大きいだろう。
魔術という現象を舞台で生かす為に緻密な制御が必要になる、少しでも加減を見失えば舞台の主役であるキャロルを焼いてしまうので責任も大きい。
舞台上で映えるように悪魔を象った炎を動かしながら、体が崩れないように細部にもこだわり、それでいて相手を傷つけないように配慮する。
それら全てを行うには高度な集中力が必要になるだろう、エミリーは舞台袖で汗を流しながら主演であるキャロルを生かすのだ。
全ての工程を終えて大きな問題も無く舞台が終わったことを確認すると、彼女は額に浮かぶ汗を拭って安堵の溜息を吐く、友人が主役となる公演は無事終わった、終わらせることができた。
「エミリー……ありがとう」
舞台上で観客に礼をしてから舞台袖にやって来たキャロルがエミリーにそう言った、彼女にしては珍しく僅かな笑みと共に。
「キャロル、おつかれさま、初主演はどうだった?」
「ん……問題ない」
「最初は少しだけ緊張しているようでしたから心配だったんですが、中盤から固さも無くなりましたね」
「……何度も練習したから」
「ふふ、さすがです」
エミリーは魔術で演出役としての仕事が多いので舞台上に立ったことはない、なので憧れと少しの恐怖をない交ぜにしてキャロルの舞台を眺めていたのだが、やはりこうして無事に終わってみると「いつか自分も」と思わずにいられない。
「ああ、そうでした、団長がキャロルを呼んでいましたよ。舞台の初主演でしたから労いたいと」
「ん……わかった」
中央車両にある団長の部屋へ歩いていくキャロルを見送ったエミリーは、客がいなくなった大型天幕の内部の跡片付けをすることになる。
片づけるのは主に小道具だ、大道具は明日も明後日も公演に使うので大きく動かさず、舞台の掃除もかかさない、毎日の日課でもある清掃なのだが今回はそれを止める者がいた。
「掃除なら私がやるよ!」
声の主はラシュリーであった、まだ見習の彼女は舞台に立つことも娼婦として働くことも貿易に携わることもないので、主に雑用と勉強が彼女の仕事である。
よく働きよく学び、幼さ故の吸収力も相まって成長著しく、きっと来年には一人前として扱われるだろうとエミリーは思っていた、いつも元気に走り回るラシュリーは箒を奪い取るとそのまま掃除を開始する。
「ここは私がやっておくね」
「勉強はいいのですか?」
「大丈夫、もう終わったから、ね?」
ラシュリーの視線の先には舞台袖で道具の手入れや管理を行っているローレライとミカエラに向けられた、どうやらあちらも日課の掃除のようだ。
「エミリー、今は時間あるかしら?」
ローレライは箒を奪われて手持無沙汰になっていたエミリーにそう問いかける。
「舞台や客席の掃除をしようと思っていたのですが……ラシュリーに箒を取られてしまって」
「そう……時間があるのなら今から娼婦の神殿へと行ってくれないかしら? 例の依頼の件を承諾しましたと伝えて欲しいのよ、本当はキャラバンを代表して私が行こうと思っていたんだけど、暇なら貴女に任せるわね」
例の依頼というのは、娼婦の神殿が人手不足なので春風のキャラバンから娼婦を借り受けたいという件だろう、どうやらそちらを手伝う方針に決まったようだ。
「こちらは可能な限り手伝わせて頂きます、そう伝えておいて」
「わかりました、確かに伝えておきます」
「よろしくお願いするわね」
「神殿の方は儀式再現を行うと仰っておられましたが、こちらからは誰が出向なされるのですか?」
「そうねぇ、キャラバンの運営もあるから全員でとはいかないでしょうけど、儀式再現は祝祭の日の夜だから多少は余裕があるかも、暇な人から参加者を募るかもって団長は言っていたわね……エミリーは参加でいいのかしら」
「はい、可能ならば参加してみたいです、歴史と伝統ある儀式ですから」
「そう? なら団長に伝えておくわね」
儀式の内容は……飾らずに言葉にするのならばただの乱交なのだが、それでも歴史と伝統があるお祭りのようなものなので、聖職者としても娼婦としても興味があった。
あくまで歴史的、学術的な興味がある……という建前で個人的に楽しみたいという本音を見ないようにしながら、彼女は娼婦の神殿へと向かうのである。
春風のキャラバンが拠点にしている広場からエミリーは契約書を持って大通りへと出る、ここに来たばかりの頃よりも人の流れが混雑になったので少しばかり混乱しながらも進んでいく。
この都市で娼婦として働いて暫く経つので顔見知りも何人か見受けられた、都市内を巡回する聖騎士に声をかけられたり、ここを拠点とする商人からもすれ違いざまに挨拶されることもある、組み立て式の足場の上からこちらに手を振るのは大工組合の男衆であった。
以前に娼館に若手の大工と一緒に来て随分と激しく抱かれたことを思い出して、エミリーは僅かに顔を赤くして手を振り返す。
「あッ!? あぶない!!」
彼女に向って手を振っていたからだろう、組み立て式の足場で老朽化した家の解体作業を行っていた大工の一人が足を滑らして体幹を崩し、そのまま地面へと真っ逆さまに落ちてしまったのだ。
一つ下の足場に激突した瞬間に組み立て式の足場はグラついて一気に崩壊を始める、そこからはあっという間に全体へと揺れが広がって何もかもが砕けていった。
何名かは危険を察して咄嗟に飛び降りて上手く着地したようだが、逃げ遅れた者は足場と共に地面に叩きつけられてしまう。
僅かに体を捻って頭からでなく肩から落ちたのでなんとか脊椎を損傷することなく済んだようだが、それでも鎖骨や肋骨の骨折は免れないだろう、もしかしたら内臓にも衝撃が突き刺さったかもしれない。
エミリーは慌てて落下した大工の男たちの下へと駆け寄っていく。
「「大丈夫ですか!?」」
そんな言葉が重なった、片方はエミリーのものであり、もう片方は神殿の法衣を纏った一人の少女である。
年齢はエミリーと同じくらいだろうか? 体格が華奢で顔つきも幼いのでもしかしたら少しだけ下かもしれない、エミリーと彼女は同時に落下した大工の男たちに駆け寄って視線を重ね合う。
エミリーは彼女を、彼女はエミリーを見つめて暫く微動だにしない、双方の心に去来した思いは少しばかり形容しがたいものであったが、単純な言葉にするのならば見惚れたというところだろう。
だが見つめ合う時間も数秒だ、今はそれよりもやるべきことがある。
「もう大丈夫です、すぐに癒しますからね」
法衣の少女は落下した大工の中で最も重症と思われる者の胸に両手を重ねると、瞼を閉じて静かに祈りを捧げていく。
彼女の体は淡い光を放って魔力が漲り、それが脈打つように放たれるとどす黒く泡立つ血を口から零す男の体は急激に癒されていく。
骨も内臓も傷つき確実に致命傷であった男は、少女から放たれる魔力に癒されて一命をとりとめるのだった。
「天におられる神々よ、祈りを聞き届けていただき感謝いたします」
祈りを終えると少女はまた魔力を漲らせて次の重症者へと両手を伸ばす、そして再び魔力を漲らせると光を脈動させる。
「……凄い」
エミリーの驚愕と共にそんな言葉を零したのも仕方がないだろう、法衣の少女が放つ癒しの魔術は極めて高度なものであり、医療を柱とする魔術師の派閥の中であってもここまで劇的な癒しの魔術を扱える者など片手で数えられる程度かもしれない程だ。
エミリーと同じ幼さの残す少女がそれだけ高度な癒しの魔術を扱うのだ、驚きも仕方がないだろう。
おそらくだが単純な技術や経験、魔力の扱いだけではない、これだけ圧倒的な癒しの力を振るえる理由は、この法衣の少女が神々の寵愛を……それも極めて特別な愛情を注がれているからなのではとエミリーは考える。
かつて勇者と共に戦った聖女が膨大な生命力を犠牲にして死者すらも生き返らせる奇跡を起こした言い伝えがある、その奇跡の体現者であるが故に聖女と呼ばれるようになったのだが、彼女もまた神々から強い寵愛を受けていたらしい。
目の前の少女もまた同じなのだろう、よく見れば彼女の首には生命神の聖印がぶら下げられており、自らを神の僕だと証明していた。
極めて強い癒しの魔術を行使でき、それも生命神の聖印を首にかけている、エミリーはそんな人物に一人だけ心当たりがある。
「……リーグロンデルの聖女様」
聖都にある生命神の本殿に聖女あり、この地上に溢れる多くの生命を生み出してそれらの命を司る神が最も愛する少女、その生命の息吹はあらゆる傷や病を癒してくれるだろう……そんな風に歌われる存在だ。
「あ、いえ、そんな……そこまで大したものでは、はい、ありません」
エミリーの言葉に照れたのか、少女は頬を赤くして癒しの光を揺らめかしてしまう。
「す、すいません、集中したいので……今は」
「あ、はい、すいません、私も手伝いますね!」
少女ほどではないがエミリーも癒しの魔術を使うことができる、さすがに致命傷を即座に癒せるようなものではないが、それでも力にはなれるだろう。
優先度の高い重症者は聖女に任せて、エミリーがやるのは次に優先しなければならないケガ人の応急処置と延命だ、骨折や出血程度で意識がしっかりしているけが人は残念ながら後回しだ。
エミリーはまず内臓を傷つけていると思われる大工の一人に癒しの魔術をかける、口から泡だった血を吐く男性は僅かながら呼吸を落ち着かせて苦しさから解放されていく。
やはり生命神の僕である少女のように劇的な変化はない、しかしエミリーの役目はあくまで延命なのでこれでいいのだ。
「ありがとうございます、代わりますね」
重傷者を癒した少女は今度はエミリーが延命させていた男に癒しの魔術をかける、そしてエミリーはまた次の重傷者を延命させるべく魔力を漲らせるのだった。
これを何度か繰り返せば大工の男たちは何とか全て救えるだろう、これだけ強力な癒しの力を使える聖女がいるのだから問題ないはずだ、エミリーはそんなことを思うのだが重傷者を強力な光で癒す聖女に異変があることを感じ取ってしまう。
額には多くの汗が流れ、息を荒げて肩を大きく上下に動かし、視線は揺れ動く。
「まさか、魔力が足りないのですか?」
「す、すいません……重傷者の数が、このままじゃ持たないかもしれません」
重傷者の数が多いということもあるが、どうやら聖女は癒しの魔術に対して魔力量が見合っていないらしい……いや、見た目はエミリーとそう変わらない年齢なので年相応であると考えるべきなのかもしれない。
「大丈夫ですよ、私の魔力を代わりに使ってください」
幸いにも重傷者は次で最後になる、なのでエミリーは聖女の背中に両手を合わせると、房中術を使って魔術的な道を作り、そこから自分の中にある余った魔力を流していく。
「あったかい……それに、凄い魔力です」
「最近、器を大きく拡張することができたんです、なので魔力も潤沢で……あ、これくらいで大丈夫ですか?」
「はい、これならば十分足りると思います、ありがとうございます」
魔力の欠乏で顔を青くしていた聖女は熱を取り戻したかのように顔色を良くして、感謝の祈りと共に癒しの光を脈動させる、するとエミリーから渡された魔力の質がよく量も大きかった為なのか、光は目の前の重傷者だけでなく波のように周囲に広がって軽傷者の傷さえも癒してみせた。
そんなことは初めてなのか、聖女はポカンとした様子で光の帯を見つめている、エミリーもまたここまで大きな癒しの光になることを予想していなかったのか同じような顔をしていた。
いち早く混乱から抜け出したのは大工の男衆だ、危険な状態から回復した彼らは驚いている聖女とエミリーに跪く。
「聖女様、そして通りすがりの癒し手よ、我々の命を救っていただき心よりの感謝を!!」
「あ、いえ、大丈夫ですよ、こうして私たちが危険な現場に直面できたのも神々の差配でしょう、感謝は私ではなくどうか天上の君へと送ってください」
「勿論、神への祈りは欠かせませんとも、しかしお二人への感謝を忘れるようなことなどありえません、こうして治療してくださったことを、そして生かされたことを……どうか祈らせてください」
そう言って大工の男たちは祈りを送った、半分は二人へ向けて、もう半分は神々へと送られたのだろう。
「治療費に関しては後日生命神の神殿に送りますので、それで構いませんか?」
「はい、問題はありません、皆様の感謝と祈りは親のいない子供たちの糧となります。明日を生きるパンと水となり子供たちを生かすでしょう」
「そっちは……キャラバンの方に送りましょうか?」
客として訪れてエミリーの顔を知っていた大工の一人がそう尋ねるが、彼女は首を振って報酬を辞退すると彼らにこう言うのだった。
「私は医者として働いている訳ではありませんので報酬を貰えるような立場では……それにあくまで聖女様を補助していただけですので、大したことはしていません。だから私への報酬ならば神殿への寄付金に上乗せしてください」
「わかりました、そうさせてもらおうかな……よし、皆、崩れた足場を集めて点検だ!! 気分の悪い者や体調がすぐれない奴は休憩しておけ!!」
大工の男たちは崩壊して散らばった足場を搔き集めて作業に戻っていく、そんな彼らを見送って聖女とエミリーは互いに視線を絡め合う。
「感謝いたします、あれだけのケガ人を私だけでは癒せなかったと思います……あ、まだ自己紹介を終えていませんでしたね」
「私はエミリーと申します、ただのエミリーです」
「エミリー様、ですね……私はマリー、同じく只のマリーです、この出会いに祈りと感謝を」
リーグロンデルの聖女、マリーはそう言って両手を組むと祈りをエミリーへと送る、そしてまたエミリーも作法に従って祈りを返す。
「この出会いに感謝と祈りを」
「はい、エミリー様、心よりの感謝を」
朗らかに笑って見せた聖女は年相応の幼さが垣間見える、そんな彼女を見てエミリーも笑顔を見せるのだった。
この出会いに感謝を、きっと運命神の微笑みがあったからこそなのだろう、二人はそんなことを思って互いに笑いあう。
キャラバンの天幕で、その運命神の啓示を受けているラシュリーもまた微笑んでいることを二人は知らない。