※この作品はR-18です。

商人と冒険者と娼婦   作:にやまな

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第十八話 魔獣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スンっと鼻を鳴らしたのは鋭い嗅覚を持つ獣人のシャーシャであった、普段は嗅ぐことのない異質な匂いを感じ取って彼女は思わず鼻を指先で塞ぐ。

 

 

 

「臭ッ!? なにこれ臭い!?」

 

 

 

 天幕の受付で公演の準備をしていた彼女は鼻の奥を焼くような匂いに、立つことさえできないのかそのまま地面に転がって悶え苦しんでいく。

 

 

 

「……何をやってるのよ貴女は?」

 

 

 

 そんな彼女を呆れたように見下ろすのは同じように公演の準備をしていた同僚の団員である、地面に転がってのた打ち回るシャーシャの異変に冷や汗もかいているようだ。

 

 

 

 とりあえず立たせる為に手を伸ばそうとすると、天幕の奥から慌ただしい足音が聞こえてきてカーテンの向こうからローレライが姿を現した。

 

 

 

「ロウ姉さん、なんかシャーシャの様子がおかしいんです」

 

 

 

「そのようね……この子は鼻が良いから仕方がないわ、魔獣の気配を感じ取ったんでしょう」

 

 

 

 そう言ってローレライは懐から香水を取り出した、そして誰にもわからない古の言葉で魔術を行使する。

 

 

 

 鼻先にかけられた香水と魔術の影響なのか、異臭に苦しんでいたシャーシャがなんとか落ち着きを取り戻す。

 

 

 

 しかしまだ鼻の奥に粘つくような感覚が残っているのか、涙目のまま鼻を塞いで地面に座り込んでしまった。

 

 

 

「一体何が?」

 

 

 

「……近くに悪魔がいるみたいね、肌がひりつく嫌な魔力を感じる」

 

 

 

 シャーシャはそれを嗅覚で感じ取ったのだろう、地面に座り込んだ彼女の震える指先がある一方を指し示す。

 

 

 

「あっちだ……めっちゃ臭い、なんか悲鳴も聞こえる」

 

 

 

「……ロウ姉さん、どうしますか?」

 

 

 

 その問いかけに答えたのはローレライではなく、天幕の向こうから顔をだした団長のキララであった、彼女も何かしらの異変を感じ取ったのか難しい顔をしており、シャーシャが指差す方向を静かに見つめている。

 

 

 

 人混みと、キャラバンの天幕、そして街並みの向こうで蠢く何かを睨むように、視線が鋭く研ぎ澄まされていく。

 

 

 

「本日の予定は全て放棄します。ローレライ、貴女はダーボと団員を連れて都市の外に避難をしてちょうだい」

 

 

 

「天幕や車両はどうしますか?」

 

 

 

「可能ならば回収したいけど、時間は無さそうね……それにこの状況では車両をダーボにけん引させて都市の外へ出るのは難しいでしょう」

 

 

 

 春風のキャラバンは聖都の広場のほぼ中心に陣取っている、周囲にも似たようなキャラバンの天幕が無秩序に広がっており、人間ならばともかく車両を動かすのは難しいだろう。

 

 

 

 そしてキララの予想通り時間もない、周囲のキャラバンが全て退去するまで待つような余裕もなく、持っていけるのはせいぜい両手で抱えられる程度の物だ……つまり天幕と車両は置いていくしかない。

 

 

 

 捨てるつもりはないが、団員の安全が最優先という判断であった。

 

 

 

「私の部屋の金庫だけダーボに担がせておいて、もし天幕や車両を失ってしまったらそこから補填しましょう……後は団員の私物を持てるだけ持って行動を開始してちょうだい」

 

 

 

「わかりました……団長はどちらに?」

 

 

 

 キララの姿は暗殺業をする時に身に着ける黒衣と、それらを纏める羽飾りの姿であった、腰には二本の刺突剣がぶら下がっており、長い襟巻で口元も隠されていた。

 

 

 

「エミリーたちが外に出ているから回収してくるわ」

 

 

 

「あ、ミカエラとラシュリーも外でチラシ配りをしています……確か大通りで」

 

 

 

「わかった……皆は避難を急いで頂戴」

 

 

 

「はい!!」

 

 

 

 そしてキララは重さを知らない体を生かしてその場から飛び上がる、フワッという表現が似合う軽やかな動きで公演用の大きな天幕の頂上へと移動した。

 

 

 

 そこから街並みを見渡すと広場で祭りを楽しむ人々とは違って、大通りの辺りは悲鳴や怒号が広がっており混乱が広がっていることがわかった、この混乱が都市全体にまで広がるのも時間の問題だろう。

 

 

 

 キララは天幕の頂上にあるキャラバンの紋章がたなびく棒を足場にして大きく跳躍した、傍から見れば大きな蝙蝠が飛び立ったかのような姿に見えるのかもしれない。

 

 

 

 天幕から別の天幕へ、そして建築物の屋上に飛び乗ると風を切り裂くように走り抜け、混乱渦巻く大通りに着地する。

 

 

 

 そこには……無数の異形が立ち塞がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「午後から公演があります!! どうぞおいでくださいませ!!」

 

 

 

 手に持った宣伝チラシをラシュリーは上空に投げ飛ばすと、チラシの束は風に解かれ散らばって大通りを賑わせる人々の手に渡っていくことになる。

 

 

 

「ほらほら、ミカさんも!!」

 

 

 

 ラシュリーと同じように客引きの仕事を行っていたミカエラも彼女を真似てチラシをバラまいた、注目されることにまだ慣れていないからなのか、チラシを派手に舞い上げる度に人々から向けられる興味の視線に顔を赤くしてしまうようだ。

 

 

 

 生まれと育ちの為か積極的な行動が苦手なミカエラであるが、自分の仕事は果たさなければならないと言い聞かせながら宣伝を続けていく。

 

 

 

 恥ずかしさもある、しかし宣伝とは目立つことが重要であるので人に囲まれながらも客引きを行う。

 

 

 

 そんなミカエラの視界に一人の妊婦が映る、チラシを眺める人々のような興味の視線とは異なる、どこか冷たさを感じるような瞳がミカエラとラシュリーを舐めるように見つめていたのだ。

 

 

 

 ピリッと、ミカエラのうなじに奇妙な寒気が走る、言葉では形容することが難しい不安が心に去来した。

 

 

 

 周囲の人々が祭りの気分に浮かれているというのに、その妊婦だけが感情の抜け落ちた雰囲気でどこに向かうでもなく佇んでいる……それがミカエラは少しだけ怖く感じてしまったのだろう。

 

 

 

 そんなことを視界に僅かに映っただけの妊婦に思うのは失礼だ……そんな風に自分を戒めてからまたチラシをバラまこうと手を上げるのだが、その妊婦の膨らんだ腹がボコボコと蠢いて膨らんだのを見てミカエラは言葉を無くした。

 

 

 

 周囲の人々も異変に気が付いたのだろう、言葉を無くして愕然としたまま女の腹部を眺めている、人は異常で異質な光景を目にすると咄嗟に正しい行動をとれないものだ、訓練を積んだ者ならばともかく一般人に対処せよと言うことは難しい。

 

 

 

 いや、仮にこの場所に聖騎士がいたとしても一歩踏み込めたかどうかわからない、腹に何かを飼っているとはいえ見た目は女性であり妊婦なのだ、それに刃を振り下ろすことは戸惑われるだろう。

 

 

 

 例え異様に腹が膨らんでいようとも、その腹を突き破って触手を纏った何かが飛び出ようとも、見た目は守るべき妊婦なのだから聖騎士であろうともどうしようもなかったのかもしれない。

 

 

 

 血潮が噴き出した、子宮の中にいた何かはついでとばかりに内臓を食い破りながら誕生の時を迎える。

 

 

 

「いやああああああああああああッ!!?」

 

 

 

 ようやく叫びが周囲に広がった、それは人々に伝播して波となって周囲に広がっていき、大通りを混沌の渦へと叩き落とす。

 

 

 

 渦の中心は女の腹を突き破って出て来たどす黒い獣だ、全身に触手を纏っているのでハッキリと姿形を認識できる訳ではないのだが、犬や狼のように四足歩行で動いているのでミカエラは獣と認識した。

 

 

 

「--------」

 

 

 

 魂を揺さぶる咆哮を触手の獣が吠え放つ、すると腹を突き破って来た時は抱えられるほどの大きさだった触手の獣は急激に膨れ上がって数秒後には見上げるような巨体へと変化する。

 

 

 

 咆哮は体に比例してより大きく、放たれる迫力は沼に沈むかのように粘つく、戦う力も経験もないミカエラにとっては目の前にいるだけで心が折れてしまいそうだった。

 

 

 

 触手を纏った獣が体中に群がる触手を剣山のように突き出した、それらは周囲で混乱の渦に足をとられていた人々に伸びて絡めとるとそのまま自らの体へと引きずり込んでいく。

 

 

 

「た、助け……」

 

 

 

 触手の蠢く体に飲み込まれようとしていたミカエラとそう年齢が変わらないであろう少女が救いを求めて手を伸ばす、だがその手は虚しく空ぶって触手の壁に吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 そしてまた咆哮が周囲に広まった、体は更に大きくなって周囲の建物と獣の頭が同じ高さにまでなってしまう。

 

 

 

 逃げ惑う人々は次々に触手に絡めとられていく、それはこの魔獣の捕食行為なのかもしれない。

 

 

 

「あッ!? や、やだッ!! ダメ、誰か!?」

 

 

 

 魔獣にとって足元にいる人間たちは餌でしかないのだろう、そしてその餌の中にはミカエラも含まれていた、戦士でも魔術師でもない彼女はまともに抵抗することが出来ないまま、足首を触手に掴まれて宙吊りにされると蠢く体に引っ張られるのだった。

 

 

 

 先程の少女と同様に助けを求めて虚空に手を伸ばす、空ぶるかと思ったその指先は黒衣を纏った力強い掌に救われることになる。

 

 

 

「だ、団長!?」

 

 

 

「待たせたわね」

 

 

 

 ミカエラの手を握ったのはキララであった、彼女はそのまま細身の体に似つかわしくない膂力で触手群から団員を引っこ抜くと左わきに抱えるように持ち上げた、右手には刺突剣が握られておりその切っ先は警戒するように周囲に広がる触手へと向けられる。

 

 

 

「ケガは?」

 

 

 

「だ、大丈夫です……でも、なんだか力が抜けていくような」

 

 

 

 そんな説明に眉を曲げたのはキャロルが報告した魔性の存在のことを思い出したからだろう、左手で抱えられるミカエラの体に残った神の残滓とでも呼ぶような特殊な魔力が減っていることをキララは感じ取った。

 

 

 

「魔力を食らう魔獣か……思っていた以上に厄介ね」

 

 

 

 同じことを見上げる程に巨大になった魔獣も感じ取っているのか、逃げまどう餌である人々を追うことなく全ての触手がキララたちを取り囲む……しかしそれ以上は侵入してこない、彼女の持つ刺突剣が届く位置から少し外側だ。

 

 

 

 相手には知能がある、その行動だけで目の前の魔獣が思考をする敵であることを察することができてしまう、なのでキララは警戒を強めながら切っ先を牽制するかのように揺り動かしていく。

 

 

 

「ミカエラ、ラシュリーはどこかしら?」

 

 

 

「あッ!? そうだ、ラシュリーさんがいません!! 一緒にチラシを配っていたのに、今はどこにも……まさか、魔獣に捕まって」

 

 

 

 周囲を見渡すが幼い少女の姿はどこにもない、逃げ惑う人々の中にいるのならばまだ救いがあるが、もし触手が蠢く体に他の者たちと同様に囚われたのだとしたら最悪だ、ミカエラは友人の行方に顔を青くしてしまう。

 

 

 

「上手く逃げてくれているならいいけど……もし捕まっているのだとしたら厄介ね」

 

 

 

 黒衣の暗殺者は自らの体に宿る死の気配を周囲に撒き散らす、死神の寵愛を深く受ける彼女だからこそできる濃密でどんな刃よりも鋭い気配を放たれて周囲に広がる触手たちが硬直する、恐怖を感じるということもできるのかと感心しながらキララはその一瞬の隙間を走り抜けて包囲を脱した。

 

 

 

 ミカエラを抱えながらの跳躍でありながら軽やかさは失っていない、大通りに広がる建物の屋上まで飛び上がると、そこは更に足場にしてまた飛び上がる。

 

 

 

 そして大通りから離れた位置に着地すると、ミカエラを降ろしてキャラバンがある広場の方を指さす。

 

 

 

「ローレライたちが脱出の準備を進めている、貴女も合流しなさい……一人で歩けるかしら?」

 

 

 

「は、はい、なんとか……でもラシュリーさんが」

 

 

 

「ラシュリーは私が助けるわ、逃げているにせよあの魔獣に取り込まれているにせよ、必ずね」

 

 

 

 時間が惜しので会話をそこで切り上げてミカエラの背を押して先を急がせる、接触した瞬間に魔獣によって奪われた魔力を補填して体力を取り戻させると、キララはまた大通りへ向かって駆け出すのだった。

 

 

 

 裏路地を抜けてゴミ箱を足場に建物の屋根へ、すると触手を纏った四足歩行の魔獣と視線が絡み合う。

 

 

 

 瞳というものが、この獣の形をした触手群にあるのか疑問ではあったが、少なくとも彼女はそう感じたらしい。

 

 

 

「------」

 

 

 

 魂を揺さぶる咆哮を浴びせられても彼女が動じることはない、それどころか屋根から相手に突っ込むように走り出すとそのまま両手に持った刺突剣を相手に突き立てるのだった。

 

 

 

 ラシュリーが捕らわれている可能性があるので始末するほかない、逃走という選択肢は存在しないのだ。

 

 

 

 剣先に死神の力を込めながら、キララは魔獣に負けじと吠えてみせる。

 

 

 

「どうした魔性の怪物!! まだカムラーンの方が恐ろしいぞ!!」

 

 

 

 そんな挑発を浴びせられて、見上げるような体躯となった魔獣は、目の前にいる小さな人間が自分を殺すことのできる相手だと認識することになる……これは餌ではない、敵なのだと。

 

 

 

 また魔獣の叫びが広がった、それは相手を委縮させるような力はない……敢えて表現するのならば助けを求めるような声といった所か。

 

 

 

 その声に導かれるように、大通りの周辺で同じように女の腹を突き破って産まれた同胞が、この魔獣の下へと集うことになる。

 

 

 

 キララは視界に広がる無数の魔獣を前にして、あえて不敵に笑って見せるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聖女様、お怪我はありませんか?」

 

 

 

 油断なく周囲を見渡して聖剣を構えるのはアンジェリーナであった、彼女の後ろには生命神の聖印を首からぶら下げた聖女、今は娼婦の神殿でも働いているマリーの姿もあった。

 

 

 

「アンジェリーナ様、来てくださったのですね、ありがとうござます」

 

 

 

「貴女を守るのも我々聖騎士団の任務ですから……それよりも、早く避難をしましょう」

 

 

 

「この大神殿からですか?」

 

 

 

 そんなマリーの言葉には、ここ以上に安全な場所など無いという確信めいたものがあった。

 

 

 

 間違いではない、神殿とはある種の異空間であり異世界だ、例えば人間が水の中で思うように動けないのと同じように、混沌に属する勢力は神殿の影響下ではその力や行動は大きく制御されることだろう。

 

 

 

 しかもここは大神殿であり、神の膝元、この世界において最も神に近づける場所の一つなのだ、その影響力は計り知れず魔獣が闊歩しようともそれは沼の中を泳ぐかのように不自由なものでしかない。

 

 

 

「はい、この大神殿に魔獣が次々と現れています……どのような手を使ったのかはわかりませんが、聖域を汚されたのです」

 

 

 

「そんな……被害の規模はどれほどなのですか?」

 

 

 

 アンジェリーナは首を振ってわかりませんと呟く、次々と姿を現す魔獣の数が多いので具体的な被害を問われても図りきれないのだ。

 

 

 

「ですがご安心ください、我々聖騎士団がこの命をかけてでも聖都は守り抜きますとも、もちろん聖女様もです……貴女様はいつか半神にも至れる力の持ち主、必ずや守護いたします」

 

 

 

「ありがとうございます、聖アンジェリーナ……ですが私は逃げることはできません、この聖印を首にかけたその時から、人々へ奉仕する道を歩むと神々に誓ったのです、私も共に戦いましょう」

 

 

 

「ですが……いえ、議論の時間が無駄ですね。わかりました、私が前を行きますので聖女様は援護をお願いします」

 

 

 

「はい、お任せください」

 

 

 

 二人が今いる場所は大神殿の一室に設けられた診療所である、祝祭の日に大勢の人が押し寄せるのだから怪我人や急病人、或いは混雑による事故なども考えられるので毎年生命神の神殿から癒しの魔術が使える者が派遣されることになる、そして今年の祝祭でその任務についているのがマリーであった。

 

 

 

 混雑で足をもつれさせて転んだ子供や腰を悪くした老人などを癒していると、突如大きな揺れを感じ取って、そのすぐ後にアンジェリーナが診療室に駆け込んできたというのが現状である。

 

 

 

 ガラス窓を突き破って来た触手を束ねる眼球を一刀両断にした彼女は、マリーを後ろに従えて廊下へと続く扉を開く。

 

 

 

 そこは大通りや大広間と同様に、混乱の真っただ中にあるようだ。

 

 

 

 逃げ惑う人々、避難誘導をする神殿関係者、それを追いかける触手の怪物、ここが世界の中心にある聖域だとはとても思えない光景だった。

 

 

 

 恐れと、不安、そしてそれ以上の使命感からアンジェリーナとマリーは外へ一歩踏み出す。

 

 

 

「-----」

 

 

 

 そんな二人の前に立ちふさがったのはやはり触手を束ねる異形だ、特定の形を持たないのかスライムのように蠢きながら広がると通路を触手の壁で塞いでしまう。

 

 

 

 無数の蛇が壁や道を隙間なく這いずるかのような光景に体を震わせながらも、若き聖騎士は祝福の光を灯した聖剣で果敢に切り込む、まずは上段からの切り落としで目の前に広がった触手の壁に隙間を作る、そしてその隙間に祝福の波動をねじ込んだ。

 

 

 

 光のカーテンが剣先から広がった、すると無数の触手が焼き切れて蒸発していく、触手の壁は大きな穴を穿たれて大きく堆積を失ってしまう。

 

 

 

 床に、壁に、天井に、無秩序に広がった触手は死の危険を感じ取ったのか一つに纏まって元の不定形なスライムのような姿に戻ってしまったようだ。

 

 

 

 祝福の光に焼かれた為か先程よりも一回り小さい、こうして纏まったのはある種の防衛本能なのかもしれない、恐れ故に一丸となっているのだろう。

 

 

 

 力を結集して聖騎士を迎え撃つ、しかしこの魔獣の敵は一人だけではなかった。

 

 

 

 アンジェリーナの背後で強力な光が放たれる、高位の神官であり生命神の強い寵愛を受けるマリーによる、祝福の波動だ。

 

 

 

 それは人間には無害なものだが魔獣には効果覿面であった、体を焼き払われていく触手群は火にくべられた氷のようにあっという間に堆積を減らして消えていく。

 

 

 

「お見事です、聖女様」

 

 

 

「ふふ、アンジェリーナ様がいてくれたからこそです、私は聖騎士様とは違ってこの身に祝福を宿していません、神々にしっかりと祈らなければなりませんからどうしても時間が必要です」

 

 

 

「ご安心を、私が盾になりますので、どうか焦ることなく強い祈願をお願いします」

 

 

 

 騎士と聖女、役割分担はこれで問題ないだろう、付け焼刃だが様になっていた。

 

 

 

「ではアンジェリーナ様、このまま魔獣を排除していきましょう」

 

 

 

「はい、それもありますがまずは聖騎士団と合流するべきかと、この状況ですから彼らは必ず戦っている筈です」

 

 

 

 このまま孤軍奮闘するよりもその方がずっと安全で効率的だと彼女は思う、魔獣の排除も大切だが目の前にいる聖女の安全確保もアンジェリーナの任務なのだから、それを忘れてはいけないだろう。

 

 

 

 アンジェリーナは立ちふさがる全てを自分一人で退けてマリーを守れるとは思っていないのだ、聖騎士であろうと人間に変わりなく、腕も足も二本しかないのだから守りきれると断言できなかった。

 

 

 

 ならば軍勢を持って打ち破る、聖騎士になって最初に教えられた個人の限界と群の可能性を愚直に信じているが故の判断なのだろう。

 

 

 

 マリーも聖騎士団と連携することに賛成なのか頷いて廊下を進んでいく、避難が進んだからなのか逃げ惑う人々の姿は少なくなっていったが、それに比例するように魔獣の姿は増えていった。

 

 

 

 二人が先程戦った不定形の触手群、獣を象った触手群や人型の触手群なども見受けられる、中には中心に人の頭ほどはあろうかという眼球がはめ込まれて睨みをきかせる触手群もあった。

 

 

 

 そんな異形の群れに出くわす度に精神を削られながら、二人は混乱の中心にある大広間へと進んでいった、天剣が突き刺さる最奥の扉もそこにあり、聖騎士たちはそこを守る為に全力を尽くしていることだろう。

 

 

 

 どうか無事でありますようにと、マリーは神々に祈願する、そんな祈りが届いたのかどうかわからないが、身に覚えのある強力な魔力の波動を彼女は感じ取るのだった。

 

 

 

「この魔力は……まさか、エミリー様?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妊婦の腹の中から触手を蠢かす異形が飛び出てくる、そんな吐き気を感じるような異常な光景を見せつけられて、最初に行動したのはシャルルであった。

 

 

 

 直感なのか、それとも訓練によるものなのか、もしくは神の囁きがあったのか、なんであれ最初の一歩はやはり彼女であったのだ。

 

 

 

「みんな逃げろぉおおおお!!」

 

 

 

 天剣に触れるという栄誉を授かる為に訪れた大勢の民衆、その中に紛れ込んだ異形を産み出す妊婦、訓練など欠片も積み上げていない人々にできることなどそれこそ腰を抜かすくらいなのだが、シャルルの怒声交じりの叫びに煽られてか恐怖ではなく混乱が先に広がる結果となった。

 

 

 

 どのみちこの大広間は人で溢れかえっているのだ、整列して規則正しく避難などできる筈もなく、強引に逃げさせる方が被害が少ないだろう、転んで怪我をしたり押し倒されて重傷をおう者もいるかもしれないが……魔獣に取り込まれるよりはマシだろう。

 

 

 

 シャルルがそこまで考えて叫んだのか誰にもわからないが、その緊張が込められた声を聴いた人々は魔獣の存在もあってか大慌てで走り出すことになる。

 

 

 

 魔獣から離れた位置にいる者も混乱を感じ取ってか我先にと避難を開始した、人は誰かが逃げようとしている姿を見れば自分もと走り出すもので、しっかりと状況を理解していなくてもとりあえず走るのだ。

 

 

 

 恐怖よりも先に混乱を、腰を抜かすよりも先に逃走を、それが完璧ではないが最悪でもない状況を作り出す。

 

 

 

 人々が魔獣から遠ざかるように逃げ惑う、それは産まれたばかりの魔獣の周囲に餌となる人間がいないということだ、無数の触手の多くが空振りに終わってしまい、なんとか捕らえた小さな獲物も奪い取られてしまった。

 

 

 

 祝福の光が触手を断ち切った、触手の体に引きずり込もうとしていた産まれたばかりであろう子供はシャルルの腕の中にいる。

 

 

 

「ほら、この子と一緒に逃げろ」

 

 

 

 子供を奪われたので逃げるに逃げられなかったであろう母親に赤ん坊を突き返す、少し乱暴になってしまったがシャルルの視線は常に魔獣へ固定されているので雑になってしまったのだ。

 

 

 

 背中越しに感謝の言葉と、遠ざかっていく足音に安心しながら彼女は更に剣を輝かせていく。

 

 

 

「気を付けて……あれは、魔力を奪う」

 

 

 

「てことは、あれがキャロルが戦ったっていう呪い付きか……」

 

 

 

「ちょっと違う……大きな眼球がないから、でも似てる」

 

 

 

 キャロルは背中に背負っていた黄金の弓を手に握る、すると自身の魔力と弓に宿る神の力が合わさったかのような感覚があり、彼女の華奢な体が僅かに淡く光を纏った。

 

 

 

「エミリー、お前は後ろだ、いつも通りやるぞ」

 

 

 

「ええ、シャルルも気を付けて」

 

 

 

 三人一緒の戦いはなんだか久しぶりな気がした、そんなことを彼女たちは考えながらも、慣れた動きで魔獣を迎え撃つ。

 

 

 

 最前線はシャルル、それを援護するのはキャロルであり、後方にエミリーが立ついつもの陣形だ。

 

 

 

 そしてやはり、いつも通り先駆けとなるのはキャロルの放った矢であった、光の尾を伸ばしながら触手群へ突き刺さったそれは最底辺とはいえ神の力が込められている、無数の触手を焼き払いながら存在そのものをかき消すかのように光を放つ。

 

 

 

 それは魔獣にとって予想外の攻撃だったのだろう、感じ取ったのは痛痒ではなく恐怖だ、自らの存在を問答無用で消滅させるかのような神の力なのだから恐れも当然であった。

 

 

 

 相性や効果や行動や意味や理由や覚悟や意思も関係ない、全てを無視して存在を消される、そんな感覚だ。

 

 

 

 最底辺とはいえ神の力が宿った矢とは邪悪の眷属である魔獣にとってそういう物なのだ、なのでこの魔獣は自らの体を切り離すことによってその矢を遠ざける。

 

 

 

 このまま突き刺さったまま放置していれば、毒のように全身に広がってやがては死に至る、その確信があった。

 

 

 

 だが自らの体を毒ごと分離するという無茶をしたのだから隙も大きくなる、その意識の空白をシャルルが見逃すはずがない。

 

 

 

「戦神よ、なんか凄い力を与えたまえ!!」

 

 

 

 雑な祈りだ、しかし戦神はシャルルのことを気に入っているからなのか気前よく力を与えてくれる。

 

 

 

 身体に満ち溢れる魔力と祝福、そこに神の加護が合わさって肉体は研ぎ澄まされていく、その踏み込みは力強く大神殿の床を割り砕いて魔獣の懐へと彼女を運ぶ。

 

 

 

 視界に広がる触手群を祝福の刃が切り裂いた、まだ蝋燭のような頼りない光であっても相性が良いので致命傷になりえる。

 

 

 

 二度、三度、と触手群を切り裂いて魔獣の身を削り取っていく、だが決して剣先より先には踏み込まない、魔力を奪われるという性質を警戒していることもあるがシャルルは自分の役目をしっかりと理解しているのだ。

 

 

 

 自分は盾であり剣である、そしてそれは必殺でなくても問題ない、後ろに頼りになる仲間がいるという安心感が焦りを遠ざけるのだろう。

 

 

 

 キャロルとエミリーがいる、ならば自分の仕事は時間稼ぎで良い、それぞれの役割を果たすことが最優先であるという理解が彼女の刃を一つ上へと押し上げるのだ。

 

 

 

 目の前にいる魔獣には何もさせない、何も喋らせない、一方的で徹底的に行動を封じて反撃も先に制する、厄介な相手だと認識しているので呼吸すら許さないと言わんばかりの猛攻であった。

 

 

 

 そんなシャルルの刃と共に神の矢も魔獣へ襲い掛かる、一歩間違えれば誤射にも繋がりかねない状況だというのに、キャロルの放った矢は決して姉の背中には突き刺さらない。

 

 

 

 その矢は必ず魔獣だけを穿った、そしてその存在を少しずつかき消していく。

 

 

 

 このままでは何もできずに押しつぶされる、そんな確信が魔獣の心に生まれた段階で逃走という言葉が思い浮かぶのだが……それすらも封じるかのように大きな魔力の流れが周囲に広がった。

 

 

 

 シャルルとキャロルは盾であり剣である、だが必殺でなくても構わない、何故ならばトドメは必ずエミリーの炎が決めてくれるからだ。

 

 

 

 魔力が渦巻く、熱が生まれる、そして火花が飛び取った、そこにいたのは炎を侍らせた魔術師である。

 

 

 

 エミリーは燃えていた、精神的な話ではなく物理的に燃えていた、髪も瞳も炎を宿したかのように燃え上がり大量の火花と灰をまき散らしながら熱を放出しており、その姿はさながら炎の化身であった。

 

 

 

 その身が炎に包まれているというのに肌や服は焼きただれたりはしない、熱を感じていないのか涼しい顔をしている。

 

 

 

 エミリーの指先が真っすぐ魔獣へと向けられた、全てを貫くかのような鋭さを秘めたそれを魔獣に向けた瞬間、エミリーが侍らせていた全ての熱がそこに集約されていく。

 

 

 

「至高神よ、御身の敵を打ち砕く力を与えたまえ」

 

 

 

 指先に集った熱は、祈りと共に放たれる……それは悉くを焼き貫く熱線となって魔獣を穿つ。

 

 

 

 どんな壁があったとしてもそれを防ぐことは叶わないだろう、収束された熱はエミリーと魔獣の間にある全てを溶かして通過するのだから。

 

 

 

 だから触手の束を盾にしても無意味であった、魔獣は熱線に貫かれて炎に焼かれると、そのまま灰となって消えていくのだった。

 

 

 

 一先ず目の前の脅威は去った、その事実にエミリーは額に流れる汗を拭って安堵の溜息を吐く。

 

 

 

「エミリー様!!」

 

 

 

 すると聞き覚えのある声が届く、振り返るとそこには娼婦の神殿で一緒に働いて知己を得たマリーと護衛と思われる聖騎士の姿があった。

 

 

 

「マリー様!! よかった、ご無事でしたか」

 

 

 

「はい、エミリー様もご無事で何よりです……でも当然ですね、あんなに凄い魔術を扱えるのですから!」

 

 

 

 キラキラとした瞳で見つめられることに照れたのか、エミリーは僅かに頬を赤くする。

 

 

 

「エミリー、知り合いか?」

 

 

 

「ん……誰?」

 

 

 

「あぁ、二人は面識がありませんでしたね。こちらはマリー様、生命神の神殿より聖女の称号を与えられたお方です……少し前に友誼を結んだんです。マリー様、こちらは私が働いているキャラバンの同僚となります、そちらの女性は……」

 

 

 

「あぁ、その人なら知ってるぞ、確か聖騎士の一人だ……名前は、ええっと」

 

 

 

 シャルルの言葉にアンジェリーナは頷く。

 

 

 

「アンジェリーナだ。貴女は確か団長が雇っていた傭兵の一人であったな……その身に宿った祝福は聖騎士のものだが、そうか、加護を得た戦士とは貴女のことだったのか」

 

 

 

 そこでアンジェリーナは胸に手を当てて一礼を送る、洗練された所作でありどこか貴族めいていた。

 

 

 

「まずは感謝を、魔獣を打ち払ってくれた勇士をこの都市の治安を守る者として称えたい……本来ならばもっと時間をかけて言葉を交わしたいのだが現状はそれを許さないだろう。まずは周囲の状況確認と本体との合流を急ぎたいのだが、どうだろうか?」

 

 

 

「私とアンジェリーナ様は聖騎士団との合流を目指しているんです、皆さんもご一緒しませんか?」

 

 

 

 三人娘は視線を重ね合わせる、現状がさっぱりわからないのでどう行動すべきか悩んでいるようだ、しかしどう動くにせよ目的地だけははっきりしている、それは自らの生存とキャラバンへの帰還である。

 

 

 

 この状況だ、都市中が混乱に乱れており、キャラバンは必ず自分たちの行方を案じている、ならば帰らなければならないだろう。

 

 

 

 しかし真っすぐ安全に帰れるとは思えない、どんな危険が伴うのかわからないので聖騎士団と一緒になることも選択肢としては無視できないのだった。

 

 

 

 どうすべきか、何が最善か、そんな僅かな悩みを引き裂くかのようにその場にいた全員に可憐な少女の声が届いた。

 

 

 

「あらあら、せっかく仕込んだ魔獣が倒されてるじゃない」

 

 

 

 その声を聴いた瞬間にシャルルとアンジェリーナが聖剣を輝かせて前に出る、二人の顔は今までにないほどに焦りをおびており、肌を走り回る不快な悪寒が冷や汗を流した。

 

 

 

 そこにいたのは片翼の悪魔だ、美しくも可憐な少女だ、そして内包される力は魔獣とは桁違いである。

 

 

 

「エキドナッ!!」

 

 

 

 その悪魔の姿をアントニウスから聞かされていたアンジェリーナは、目の前の相手が魔獣母エキドナであると確信して名を叫ぶ。

 

 

 

 しかし双子の悪魔と聞いていたので片方だけしかいない状況を不審に思う、どこかに潜んでいるのかそれとも舐められているのか、しかしどちらであっても大差はない。

 

 

 

 双子の悪魔の片割れから放たれる迫力は絶対強者そのもの、彼女が一歩進めば不可視の圧力に押されてアンジェリーナは後退を余儀なくされてしまう……例え片方だけであったとしてもその力は絶大であり、へたな思考に意味を持たせない。

 

 

 

 罠であるとか、舐められているとか、何かの作戦なのかとか……そういった考えが無駄だと瞬時に悟ることのできる圧力、強者の格が彼女にはある。

 

 

 

「誰よ貴女は、気安く名前を呼ばないでちょうだい……あら、ふ~ん、その祝福、どうやら聖騎士みたいだけど女なのね……へぇ、周りにいる女もなかなか悪くない魔力や力を持ってるじゃない」

 

 

 

 ニヤリと、エキドナが笑う、綺麗な三日月を作った唇は喜色に満ちていた。

 

 

 

「なら丁度いいわ、この子の力になってもらいましょう」

 

 

 

 そう言ってエキドナは妊婦のように膨らんだ自らの腹部を撫でまわす、そして突然体を震わして叫びを放つ。

 

 

 

「あッ! あッ! 来る、産まれちゃう!! ふふ、ふふふ、せいぜい楽しみなさいな!!」

 

 

 

 するとエキドナの腹部が蠢いて膨らむと、ビクッと体を折り曲げてその場に崩れるように倒れ込む。

 

 

 

 次の瞬間、彼女の股から大量の触手が吐き出されるという光景が広がった。

 

 

 

「なッ!?」

 

 

 

 それだけでも驚くべき光景だというのに、吐き出された大量の触手はあっという間に膨らんで巨大化すると、次々に分裂して体積を増やしていくのだ……瞬きする間に倍に増え、また瞬きすると更に倍になる。

 

 

 

 大神殿の大広間が触手に満たされるまで、数秒とかからなかった。

 

 

 

 アンジェリーナとシャルルが祝福の光を放つが圧倒的な物量でもって押し流されてしまう、焼け石に水にしかならず、それは他の者たちも同様である。

 

 

 

 シャルルとアンジェリーナは触手の波に呑まれて消えた、キャロルも弓を放つが圧倒的な触手の壁に阻まれてその華奢な体が沈んでいく、魔術や祝福を行使するのに一呼吸必要なエミリーとマリーは何もできないままやはり呑まれてしまう。

 

 

 

 触手の海に落ちていく彼女たちを、エキドナはただ楽しそうに見下ろすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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