商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
おお、アントニウスよ、貴方の聖剣がひとたび輝けばあらゆる邪悪が瞳を閉ざすだろう。
おお、アントニウスよ、貴方がひとたび剣を振るえばあらゆる邪気が打ち払われるだろう。
ああ強き神の子よ、勇気と正義を内に秘めし者よ。
そなたこそまさに聖騎士、その力と剣でもって無辜の民を守り給え。
そんな感じの歌が語り継がれるほどにアントニウスは強い、その名前と力は聖都のみならず周辺の国にまで轟いている。
その功績は他人が面白おかしく盛ったものではない、無数のアンデットを屠り悪魔すらも討ち取った経験があるのだ、本人がその歌を聞けばあまりに美化されていて苦笑いをしてしまうだろうが、他者から見た聖騎士アントニウスはまさに歌の人物なのだ。
清廉潔白かどうかは横に置いておいて、悪魔と戦って討ち取ったことも事実であるし、その力で救った民の数は数えきれないだろう。
彼は強い、それは誰もが認める事実である。
「ふん!!」
半ばで折れたアントニウスの剣と、エキドナの手がぶつかり合った、肌と鋼が勢いよく重なり合ったというのに大広間に響いた音は固い何かが擦れる音であった。
さっきまで雪のように白い肌を惜しげもなく晒していたのだが、聖剣を受け止めた箇所には紫色の鱗が確認できる。
白い肌が裏返ったかのように紫色に侵食されていく、右手の指先から鎖骨まで広がるとそれを見せびらかすかのように剣を握りしめた。
「不細工でしょう? 可愛くないからあまり好きじゃないのよね」
「いやいや、白い肌と相まって実に美しいよ」
アントニウスは掴まれた聖剣から祝福の波動を放って拘束から脱出する、だがエキドナは逃がさないと言わんばかりに空いていた左手を前にだす。
紫色の鱗に包まれた右手と違って左手は鱗を備えていない、代わりに指先から糸がほどけるかのように分離すると、タコの足のように蠢いて聖騎士たちを襲った。
振るわれるのは八つの触腕だ、一つ一つが鞭のように鋭く大気を切り裂いていく。
単純に肌を叩いて切り裂くものではない、よく見れば触腕には細かな棘がびっしりと備わっており、これを受ければ肌も筋肉もそぎ落とされることは間違いないだろう。
「左右に展開、囲め!!」
聖騎士たちが指示に従ってエキドナを囲むように左右に広がった、正面にいるアントニウスは触腕を折れた聖剣で打ち払いながらこんなことを思った。
これは無理だ、勝てそうにない、と。
彼は強い、それは紛れもない事実であり揺るがしようのない結論である、そんな彼がエキドナとぶつかり合って数秒で出した結論がそれであった。
紫色の鱗越しとはいえ剣で斬った感触は頑強そのもの、聖剣を掴んだ時に感じた膂力は何もかもを捻じ伏せられるだろう、振るわれる触腕は腕が二本では捌き切れない。
目の前にいるというのに実際の距離は見上げるほどはあるだろう、上手く触腕をいなしているようにも見えるが攻めに転ずることができないまま防戦一方という見方もあるだろう。
迫る八つの触腕を逸らし、防ぎ、躱し、打ち落とす、しかし一歩前へと進めない。
「へぇ……粘るじゃない」
エキドナの赤い瞳がそれぞれことなる動きを見せた、カメレオンのようにぐるりと動くと左右に広がった聖騎士たちを視界に収める。
祝福の光を宿した剣が、脇腹と背中、首や心臓へと迫るのだが、エキドナは白い肌を裏返すかのように蠢かして紫色の鱗を生み出した。
火花が無数に散った、迫る聖剣を無数に受けてなお彼女の体幹は微塵も揺るがない。
二度、三度、四度、聖剣は彼女の鱗を切りつけるのだが、切り裂くことができないまま逆に鋼の剣が刃こぼれしてしまう結果となった。
だが、それが何だと言うのか、そう言わんばかりに聖騎士たちの猛攻は終わらない、左右と正面と背後、首に背中に足に腕に、剣が振るわれていく。
「邪魔よ」
そしてエキドナはそれら全てを蚊を払うかのように触腕で吹き飛ばす、大きく振るわれた左手が聖騎士たちを薙ぎ払って吹き飛ばしたのだ。
数が意味をなさない、まさに怪物である。
どれだけ優秀な戦士であっても、それだけ経験を積んだ戦士であっても、数で押しつぶせば必ず殺すことができる、一人よりも二人、二人よりも三人で挑んだほうが有利であることなど議論の余地がない。
しかしそれは常識という枠の中でしか意味をなさないものだ、半神のようなある種の異常者や、種族そのものが自然の外にいる悪魔や竜といった存在などにはそれらの常識が通じない。
真に限界を超えた者、本物の強者には弱者の常識など意味をなさない、全て悉く叩き伏せてこざかしさを鼻で笑うのだ。
エキドナはまさにそれだった、周囲を囲む聖騎士を、その聖剣を、微風程度にしか感じていない……感じることしかできない。
身体を僅かに押す微風、それがエキドナの聖騎士に対する評価であった。
さきほどに感じた、認めたくはないが僅かな恐怖は気のせいであった、触腕の一振りで床に転がった彼らを見てそんなことをエキドナは思うのだが……すぐそんな甘い考えを否定する。
何故なら彼らは立ち上がったからだ、勝てぬと理解してそれでも立ちふさがったからだ、その瞳は信念に燃えており剣を握る手は更に力がこもっている。
それはかつて戦った、エキドナに決して消すことのできない恐怖を植え付けた勇者と同じ……英雄の瞳であった。
「だから邪魔なのよ!!」
嫌なことを思い出したからなのか触腕に力がこもる、先程と同じように横薙ぎにするのだが、それはアントニウスの刃に弾かれてしまう。
その結果に彼女は驚いた、当然だろう、さっきは簡単に吹き飛んだのに今度は弾かれてしまったからだ、それは偶然などではなく彼の聖剣は間違いなく鋭くなっている。
力も、速度も、鋭さも、全てがさっきまでの彼ではない。
覚悟の違いか、或いはもっと別の理由なのか……エキドナにはわからない。
「ふぅ、やはり私にはそこまで馴染まないな」
アントニウスの存在感が増した、人という枠組みの中で最高峰の力を持っている彼だが、今はその限界すら超えている気配を放っているのだ。
そしてそれは今も大きくなっている、エキドナに手が届く程に。
彼が一歩踏み出した、先程よりも早い。
雑に、しかし力強く振るわれた触腕を折れた聖剣で弾いてみせた、その剣は鋭く重い、エキドナが後ずさってしまうくらいの反動が伝わった。
「ッ!! このッ!!」
「させるか!!」
迫るアントニウスに触腕が再度迫った、今度は鋭く早い……だがそれらは周囲の聖騎士たちが放った祝福の波動によって防がれてしまう。
光の膜のようなものが突っ込んだアントニウスを通り過ぎて触腕へと届く、エキドナの強固な生命力が相手では焼き払うまではいかないものの、効果が皆無であるということはない、触腕から感じる熱に片翼の悪魔は眉に皺を寄せているのでしっかりと痛みがあるのだろう。
その痛みが僅かな隙を生み出す、それを最強の聖騎士が見逃すはずがなかった。
「その首を貰い受ける!!」
折れた剣は光の軌跡を残して振るわれた、真っすぐに、一ミリもブレることなく、ただ剣を振り抜くという野蛮な行為であったとしても、星の数ほどに繰り返せばそこに美しさが宿るものである。
百では足りない、千でも足りない、万でもなお足りない、きっと本人もどれだけ剣を振ったか覚えていないだろう、数えきれない訓練の果てに辿り着く一つの到達点であった。
もし芸術に点数を付けるという冒涜が許されるのならば、彼の剣は間違いなく頂点に君臨するだろう。
力と、才能と、努力と、環境が生み出す、戦闘芸術……もしここに剣士がいればただ憧れるだろう、或いは嫉妬するか……もしくは自信を無くして剣を捨てるかもしれない。
この一閃は、それだけの高みにあるのだから。
エキドナは目の前に迫る聖剣に慌てて肌を裏返す、鎖骨や首、顎から頬まで紫色の鱗に包まれるのと、アントニウスの剣が届くのは全くの同時であった。
大きく火花が散る、そしてそこに含まれているのは熱だけではない、人とは全く異なる黒い血が飛び散っていた。
「勇者様の力を借りてもまだ遠いか……」
「……」
剣はエキドナの鱗を裂いてその奥にある肌に鋼を食い込ませた……だが、浅い、僅かな血が流れるだけである。
それでも痛痒は痛痒だ、首を刎ね飛ばすまでは行かなくても、間違いなく彼の剣はエキドナに届いたのだ。
その事実に、その現実に、片翼の悪魔は自らの首を撫でて指先に付着した血を見下ろしながら、何も言葉を発することなく俯く。
戦意が喪失した? 恐れを抱いた? 違う、静かに佇む彼女の気配がより強く濃く変化していってるので、そんなことも思うのは楽観的に過ぎるだろう。
これは言葉無き表明だ、聖騎士たちに囲まれていてもどこか余裕があった彼女だが、僅かと言えど傷を付けられたことで「遊び」を無くしたのだ。
殺す、ここで殺す、笑顔を浮かべながら余裕綽々で屠るのではない、相手が自分より弱かろうが関係ない、全てを込めて過剰な力を持って叩き潰し、ぺしゃんこになった肢体にすら火を放つ……この無言はそんな宣言だ。
「やれやれ、どうやらここからが本番か……だがまぁ、時間稼ぎは十分。まずは感謝しよう、エキドナよ……我々を小物と評価して遊んでくれたことを、これで準備が整った」
最初から全力で向かってこられたらそれこそ戦いにもならなかっただろう、それが最強の聖騎士のエキドナに対する評価である。
「その慢心が君の最大の弱点だな」
アントニウスの背後には共に戦った聖騎士だけでなく、先程に救助されたアンジェリーナの姿があった、その更に後ろには共に助けられた三人娘とマリーの姿も見受けられる……どうやら治療を終えて再び立ち上がることができたらしい。
戦うつもりなのだろう、シャルルは剣を構え、キャロルは黄金の弓を引き、エミリーは魔力を漲らせていた。
マリーは最後尾で両手を組ん深い祈りを捧げており、それを聖騎士たちが囲む。
多勢に囲まれて明らかな不利なのだが、エキドナは臆することなく歩き出す、全てを叩き伏せる為に。
「役者は揃った、君の負けだ……聖アンジェリーナ、前に」
「は、はい……あの、私では」
「君だけでは勝てないことはわかっている、今まで伝えることはなかったが……これが君の役目なんだ。降霊術を行うには雑念がどうしても邪魔になるから、無垢なままでいて欲しかったんだ」
何も知らないまま、真っ白な状態が好ましい、余計な力みや知識はこれから行うことに邪魔にしかならないのだから。
「総員!! 剣を掲げよ!! これより過去再現の儀式を行う!!」
その言葉にアンジェリーナ以外の全ての聖騎士が剣を掲げて配置に付く、彼らは何も知らないまま困惑するアンジェリーナを囲んで剣を掲げると、一斉に古い言葉で祈りを捧げていく。
もし俯瞰して彼らを観察したのなら、アンジェリーナを中心に魔術陣が展開されていることがわかるだろう、実際にこれは儀式であると同時に降霊魔術でもあるのだから、魔術陣という表現は間違いではない。
「まさか……降霊召喚……こんな規模の降霊術なんて見たことありません、どれほど巨大な魂が降りてくるか……」
この中で最も魔術の知識があるエミリーが、これから起こることに驚愕する。
彼女の認識では聖騎士たちがやっているのは過去再現……過去の事象や現象を真似ることで、その結果を再現する魔術儀式であった。
その人物になりきることで、その人物に近づく、そしてその人物の歩んだ歴史を模倣する、最後には完全に置き換えて模倣の領域ではなくなってしまう。
聖騎士たちが降霊術で呼び寄せるのはかつての英雄の魂、あまりにも巨大なそれがこの大広間に召喚されたとき、それは光の柱となって彼らを包む。
その光の中心にいるのはアンジェリーナだ、彼女に降霊術によって降ろされる魂がその器に注がれて彼女を染め上げていく。
重要なのは疑わないこと、少しでも雑念が加われば儀式は失敗に終わってしまう、自分にできるのだろうかという不安は足かせにしかならないので、あえてアンジェリーナには何も教えなかった。
もしアントニウスが同様にこの魂を降ろしたら中途半端な形になってしまうだろう……いや、実際になっていた、エキドナの首を斬りつけた際に高まった力は、実はこの魂を彼の体に降ろしていたからなのだ。
だが失敗に終わった、力は多少なりとも高まったが、本来ならばあの程度の力では収まらないのだから間違いなく失敗だろう。
今回は違う、アンジェリーナならば間違いなく成功する……それが彼女に天剣から与えられた「役目」なのだから。
光の柱が消えていく、その中心にいたアンジェリーナには降霊術によって呼び出された魂が備わっている、あまりにも巨大なそれが与える影響は彼女を頭からつま先まで作り変えて半神としてしまう程である。
全身から黄金の粒子を零すアンジェリーナ……いや「勇者」は光の柱が完全に消え去ると、おもむろに右手を掲げて何かを握るような仕草をした。
「勇者の帰還だな……」
そんなアントニウスの呟きと共に、天剣が封印されている最奥の門が突如として開き、その奥にある剣が姿を現すのだった。
勇者以外には抜くことが叶わず、その夜色の剣が、決して揺るがない剣が、空中に浮かび上がると主の帰還を歓迎するかのように跳ねて勇者と化したアンジェリーナの右手へと収まる。
「馬鹿な、あ、アンタは……」
エキドナは驚愕していた、当然だろう……かつて戦って数多の同胞を屠り去り、自らも殺しかけた悪魔たちにとっての天敵、怪物がそこに現れたのだから。
「……」
勇者は何も語らない、ただエキドナをその瞳に映すと、無言のまま夜色の剣を振るうのだった。
斬るのではなく分かつ、その剣は世界を分けるかのように空間に亀裂を作って、その延長線上にいたエキドナを真っ二つに分ける。
それはあまりにも静謐な一閃だった、力が込められているわけでもなく、アントニウスのような美しさがある訳でもない……切るというよりは撫でる、そんな表現が似合う一撃であったことだろう。
そんな緩やかさすら感じる一閃に、エキドナは真っ二つにされてしまったのだ。
そこに山があろうと海が広がろうと、全てを無視して相手を分かつ……エキドナからしてみれば理不尽そのものだろう。
「ば、化け物、がッ……」
死に際に毒を吐くように勇者にそう言った、それぐらいの抵抗しかエキドナには許されない。
その深紅の瞳は……恐怖に濡れているのだった。