商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
冬の中ごろ、まだ厳しい寒さが続くのだが、空にかかる雪雲が分かれてわずかに太陽が垣間見れる日も多くなったように思える。あの最後の叫びから既に一カ月ほどが過ぎており、この冬に猛威を振るった秋を終わらせる獣の力が徐々に消えていくのが手に取るようにわかった。
寒いことには寒い、しかしそれは常識的な寒さだった。刃のように肌を突き刺す風も、毒のように体内に入り熱を奪う冷気もない、つまり例年通りの冬が近くなっている。
この一カ月の間、砦の中に臨時で開かれた娼館での生活は大きな波乱もなく順調だった。不逞を働く兵士もおらず、寧ろ様々な配慮をしてくれた。キャラバンの娼婦たちも毎夜に訪れる客が落とすチップで随分と懐が潤ったことだろう。
現在、この砦には非戦闘員を含めて百名ほどの男性が住んでおり、それだけの兵士が問題を起こさなかったことは称賛に値する。
本来なら最大で五百人ほどが駐在している、しかし冬の間は樹海からの脅威も少ないので兵士の数も抑えられているのだ。それでも百人もの男が行儀よくしていることは本来難しい。
まして簡単に気晴らしもできない孤立した砦の中で、回数は少ないとはいえ樹海からの脅威もやって来るのだから、ストレスが溜まるのも無理はない。そんな状況で目の前に美女という餌をぶら下げられてなお規律を重視できるのだから、彼ら本来の士気は高いのだろう……と、春風の団員たちは考えていたのだが、娼館が開かれた当初はかなり混乱したそうだ。
客として訪れた兵士によると娼館の存在はあっという間に兵士の間で話題になり、ほぼ全員がその日に休暇申請を出して職務が混乱したらしく、暴動寸前まで事態が悪化したので最終的には砦の指揮官が命令を出すことで場を収めた。
春風のキャラバンの団員たちに不逞を働くことは許さない、努めて紳士的に振る舞うように心がけよ。
兵士からの信頼を一身に受ける将軍のその言葉を聞いて兵士たち間では様々な話し合いが行われたようだ。階級順だと主張するもの、功績順だと叫ぶもの、単純に腕っぷしで決めれば良いと雑な言葉を発する者もいたらしい。
紆余曲折しながら、多少の血も流れ、結果的にクジ引きに落ち着くまで二日を必要とした。
運よく当たりクジを引き当てた男性たちは同僚の嫉妬の目で睨まれながらも、溜めに溜めたストレスを美女たちに慰めてもらうのだ。それは孤立した砦の中にある唯一の癒しであり、心身を甘く蕩けさせる極上の美酒にも等しい。
当然、一度経験した兵士には順番待ちの男たちが話を聞きに来る。そして話を聞いて次は自分がと妄想に胸と股間を膨らませた。
そんな中で不逞を働き、彼女たちから出入り禁止と言われるような評価は誰でも避けるだろう。だからこそ兵士たちの規律はより強固なものとなるのだ。
春風のキャラバンの団員たちは日々訪れる行儀の良い兵士に好印象を抱きながら、娼婦として精力的な活動を繰り返す。互いに困っているのだから身を寄せ合い、最低限の利益は確保しつつ、それなりに良好な関係を築くことができただろう。
それぞれの体調もあるが気まぐれな神々に祈れば、よほど深刻な症状でなければ問題なく活動できる。特に娼婦の神への祈りは全員が真摯に行ったようだ。
「我に娼婦として生き、糧を得る時間をお与え下さい」そう祈っておけば、完璧ではないが妊娠の可能性がかなり下がる。エミリーに何度もそう説明されたシャルルも今回ばかりは素直に従っているらしい。
神に祈り、生活環境を整え、そして夜になれば男の欲望と性を受け入れる。そんなことを繰り返す毎日だった。なかなかに濃密な一カ月を過ごした団員たちは今現在、世話になった環境の片付けを行っている。
娼館兼住居として活躍していた天幕は解体され、折りたたまれて運びやすいようにまとめられており、久々の太陽で天日干しにされていた衣装や毛布も丸められていた。現在はキャラバンの団長が砦の指揮官に世話になった挨拶と別れを伝えに行っており、他の団員たちは荷物の最終確認をしながら待機している状態だった。
訓練場の一角でリュートを持ち、非番の兵士たちに別れの歌を送っているローレライや、自らの装備を点検しながら難しい顔をしているシャルル、キャロルは矢の一本一本を丁寧に確認し、他の団員もそれぞれの方法で団長の帰りを待っている。
「シャルル、何を悩んでいるんですか?」
エミリーは荷物漏れがないか最終確認を終えると、地面に座って難しい顔をしている友人に声をかける。聞いて欲しそうな顔をしていたのでそう尋ねたのだ。
「いやな、見てくれよこれ、ゴブリンの時にもだいぶガタついてたけど狼との戦いでさらに刃こぼれしてさ……そろそろ変え時なんかなって」
そう言って彼女が見せつけて来たのは愛用の片手剣だった。たしかにシャルルの言葉通り、至る所が刃こぼれしており、鋼の輝きは半減しているようにも思える。
「確かに刃こぼれがひどいですね、錆びも目立ちます、さすがに新しいのを購入すべきでしょう」
「だよなぁ。盾も兜もボロボロだし、チェストプレートはサイズが合わなくなってきたし、次の街で買い替えるかぁ」
「団長に相談してください、きっと必要経費にしてくれますよ」
「それだと今の装備と大して質は変わんないじゃんか、ワタシは魔法武器が欲しいんだよ、やっぱり戦士なら魔剣の一つでも振り回したい」
この砦で娼婦として働いている間に、シャルルの言葉遣いが僅かに変化していた。どこか男勝りな印象は相変わらず残ってはいるが、少しだけ女性らしさが垣間見える。
「……魔法の武具は高い」
それまで黙って自分の作業をしていたキャロルが姉に現実を突きつけてしまう。しかし確かに彼女の言うとおり魔法の武器や道具はどれも高価なものだった。
「ふふん! みくびるなよキャロル、今のワタシにはこれがある」
そう言って彼女が取り出したのは、はち切れそうなほど膨らんだ巾着だ。両手の掌から零れてしまいそうなサイズは現在のシャルルの総資産でもある。
「見ろよこれ! これだけあれば魔法の武具にも手が届くだろ」
本日付で団長から払われたボーナスと、この一カ月の間、娼婦として精力的に働いた結果がこれだ。ずっしりとした重みは彼女の人生で体験したことのないものだった。普段はすぐに無駄遣いをして散財してしまうのだが、さすがにこの砦の中では金の使い道がなく、貯まる一方だったらしい。
自分の財布を見てニヤニヤとほくそ笑むシャルルに、それを見てため息を吐くキャロル、そんな二人を見てエミリーは昨晩の、というよりここ最近の痴態を思い出して顔をわずかに赤く染める。
「何赤くなってんだよ?」
シャルルにそう尋ねられる、キャロルも首をかしげていた。
娼婦として働くようになって大きな変化だと感じるようになったのは、やはり二人の友人との距離感だった。友人として、そして仲間として接していた時間が長かったために、娼婦としての顔を見慣れていなかったことが原因だろう。
少し中性的なシャルルの顔が、幼いキャロルの顔が、昼と夜で大きなギャップがあることをエミリーは知ってしまったのだ。
昨晩も娼婦として三人は同じ天幕で働いていた、当然ながら客としてやってきた兵士に様々な奉仕を繰り返す。初日は少々おっかなびっくりなところもあったエミリーだが、月も後半になると男女の交わりにもある程度は慣れて積極的になれたと本人は思っている。
多少の余裕ができたからこそ、自分と同じように働く二人に視線が釘付けになってしまったのだ。
エミリーは発見してしまった。様々な脅威を前にしても臆することなく戦うシャルルの凛々しい顔が、どんな時でも冷静で百発百中の腕前を見せるキャロルの幼い顔が、快楽に染まるその瞬間を。
昨晩もそうだった、三人手を繋ぎ、並んで男に抱かれていた時に両隣の二人が見せた表情はまさにそれだ。あさましく、いやらしく、艶やかに男の性をねだる二人の姿を思い出すと、エミリーの顔は赤くなって体は熱を持つ。
否定的な感情があるわけではない、おそらく自分だって同じような顔をして声を出していたのだろう。
ただ二人のその表情が脳裏から離れないだけだった。正体不明の感情に振り回されながらエミリーは何とか体を冷ます。
「なんでもありません、それより団長が帰って来られましたよ」
強引に話を打ち切って、タイミングよく帰ってきた団長へと視線を誘導した。
「全員、揃っているな? 荷物の準備はどうかしら?」
「問題ありません全て確認しました」
「よろしい、それじゃあ一カ月ぶりの我が家に戻りましょうか……ちゃんと残っていれば良いんだけど」
「大丈夫だろ、中央車両はでかくて頑丈だしな」
「……でも雪に埋もれていると思う」
「そうですね、ある程度は掘り起こす必要があるかと……うーん、魔法で溶かしましょうか?」
「難しいかもね、大きく吹き飛ばして雪崩とか起こっても困るもの」
それぞれ荷物を持ち上げて家路を急ぐ、別れ際に何人かの兵士たちが泣いていたがどうしようもない。
長いようで短かった一カ月だったがこの砦での生活は決して悪いものではなかった。少なくとも中央車両に引きこもっていればキャラバンの団員たちは確実に死んでいただろう。
生死を分ける条件は間違いなくここだった、それだけは間違いない。
「……あった、やっぱり埋もれてる」
歩き始めて一時間と少し、吹雪が無いので出る時よりもかなり時間の短縮になった。目的地にまで先導していたキャロルの言葉で、全員が雪に埋もれた中央車両を視界に収める。
中央車両の一階は半分ほどが雪に埋まっており、天井にも同様に大量の積雪が確認できる。
それでも壊れることも、雪に流されることもなく、団員たちの家はそこで彼女たちの帰還を待っていた。
「だいぶ待たせちまったな」
「……うん」
「しっかりと点検しなければなりませんね」
雪の牢獄に閉じ込められていた我が家を掘り起こし、天井に降り積もった雪も下へと落とす。中は出発時と変わらないまま様々な交易品が眠っており、侵入者はいないらしい。雪崩で後部車両を失ってしまったが、これだけ残っているのならまだ立ち直れるだろう。
「おーい! 皆! 無事だったか!?」
それから二日後、車両の点検を終えた段階で現れたのはダーボと共に南へと避難していた獣人のシャーシャだった。
事前に決めていた期限が近付いた為にこちらに帰って来たらしい。魔法の毛皮をまとった巨大な獣は、その長い鼻で雪の壁をかき分け、その巨大な蹄で雪を踏み固めながらやってきた。彼と彼女もまた一カ月ぶりの帰還だ。
「ダーボとシャーシャも無事だったようですね」
「ん……良かった」
「あの二人が死んでたらどうしようもなかったしな」
それもまた朗報だった、キャラバンを率いる大黒柱が健在なら後はどうにでもなる。それは団員全体の共通認識でもある。巨大な体にけん引用の鎖をつなぎ合わせると彼は雪に埋もれた中央車両を簡単に引き抜いた。
巨大な体が、巨大な力で、全てを引っ張ってくれる。なんとも頼もしい姿である。
「……この揺れも久しぶり」
「だな、やっぱダーボは頼りになる奴だ」
「ふふ、そうですね」
この冬の中に拘束された時は絶望的な状況だった。幸運と努力と神々の気まぐれにより切り抜けることができたが、一歩間違えればここで全てが終わっていたはずだ。
神々というのは本当に気まぐれなのだ、そんな未来があったとしてもおかしくはない。
「なぁ団長、次はどこに向かうんだ?」
「そうねぇ、とりあえず南下かしら。例年のルートならそのまま大陸中央に向かってそこから西の王国に向かうんだけど……ちょっと雰囲気がよくなくてね」
「何かあったんですか?」
「あの砦の将軍さんに聞いたんだけどね、どうやら秋頃から内乱が起こっているらしいのよ。私たちが今から向かう街にも難民が押し寄せてるらしくてね……どうしようかしら」
「……他のルートは?」
「西じゃなくて東に向かって海沿いを進むの良いんだけどね、ただそっちも妙な海賊が暴れまわってるらしくて治安が良くない」
「なら真っすぐ南下する感じか?」
「ええ、今のところはそう考えてる。新しい販路の開拓にもなるしね」
しかしそれもまた選択肢の一つでしかないのだろう。春風のキャラバンがここで失った物は多く、問題が解決したわけでもないのだから。
失った後部車両を新たに作らなければならないし、新たな団員も探す必要がある。問題は山積していた。
これから自分たちはどこへ向かうのだろう? 三人はそんなことを考えるが、答えが出るはずもない。
振り返るとそこには雪の道ができている、自分たちが通った道だ。その向こうには広大な雪が広がり、あの地で経験した様々な出来事を思い返す。
危険や理不尽なんてどこにでも溢れている世界なのだ、どこへ行こうと必ず壁は立ちはだかるだろう。
刃に倒れるか、雪に沈むか、川に流されるか、病に倒れるか、魔獣に食われるか、どんな最後かはわからない。
しかし彼女たちが歩みを止めることはないんだろう、心臓が止まるその瞬間まで足も動いているはずだ。
彼女たちは今日も生きており、明日も生きていく、ならば進んでいくだけだ。
その道の先に何が待っているかなど知る由もない、その答えを知っている者がいるのだとすれば、それは天上の神々だけだろう。
気まぐれな神々は今日もまた気まぐれに人を眺めている、その中には三人の姿があるのかもしれない。
小説家になろうで連載中のものをこちらにも掲載します。