商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
神殿とはある種の異世界である、そこは人の住む世界とは一線が引かれており、空と海の境目のようにハッキリと領域が分かれているのだ。
人の住む世界と神の住む世界、神殿とはその境界である。
そしてそれは悪魔たちが作った闇神殿も同じであった、神の領域を侵食して犯すように力が広まっていき聖都を自らが住みやすい世界へと作り替えていく。
聖都の地下深く、下水道よりも遥か下に作られた闇神殿はそこから神の領域を汚していったのだろう、だからこそ魔獣や悪魔が神の領域で平然と行動することができた。
無数の巨大な柱が地上に突き出たことで更に魔獣たちは力を増していく、より強く、より深く、それは人が海から陸に上がったかのようなものであり、彼らは鎖から解き放たれたと言っても過言ではないだろう。
縦横無尽に闊歩する魔獣が集うのは都市の上空で漂う母親の下である、様々な姿をした彼らは自らの形を解してエキドナを目指す。
何千もの触手が重なり合い、結び合い、積み重なって一つになっていく、やがてそれは醜悪な肉の塔となって母親の足場となるのだった。
エキドナはそこに身を降ろすと力を失ったかのように倒れ込んで大きく膨らんだ腹部を撫でる。
「あ、ああ、ああああああッ!!」
そして身をよじらせながら、ひねり出すように新たなる命を生み出すのだった。
「はぁ、はぁ……ふふ、また会えたわね」
彼女の腹から出て来たのは赤子ではなくただの肉塊であった、生物の形を成しておらず心臓のように脈打ちながら蠢いている。
その肉塊は熱を持ちながら徐々に膨らんでいき、やがて人型を形成すると生みの親そっくりな白い肌となり、最後には片翼の悪魔となって立ち上がるのだった。
「ありがとう……こうして生き返るのは久しぶりね」
「あの忌々しい武神の時は私が産んでもらう側だったものね……でもよかった、天剣に魂を細切れにされて食われる前で」
そうでなければこうして産み落とすこともできなかっただろう、エキドナは幸運に感謝しつつ半身を抱き寄せる。
二人は抱き合いながらキスをすると、舌を絡ませ合って互いを愛撫していく。
「ん、ちゅ……はぁ、なんだか別の女の匂いがするのだけど?」
「ふふふ、少しつまみ食いをね……お姉さまも気に入ると思うわよ、捕まえてペットにしようと思って」
「貴女も好きね、ペットなら沢山いるじゃない」
「今度のは特別なのよ、色々と粒ぞろいなの」
そんな会話を続けながら二人のエキドナは同時に視線を下げる、そこには肉の塔に向かって飛翔する黄金の輝きがあった。
彼女たちにとっての畏怖そのもの、絶望の化身、この世全ての理不尽……勇者の輝きだ。
「お姉さま」
「ええ、わかっているわ」
流星のような勢いで勇者がやって来る、エキドナは震える体を引きずるように触手の塔から離脱するのだった、足場を形成していた触手群は母親の命令にしたがってその身を蠢かせていく。
塔から山へ、山から人型へ、次の瞬間には触手の巨人とも言うべき存在へと変化していた、巨大でありそれぞれの触手は独立して動いているので自由自在でもある、故に人型ではあるものの腕が背中や脇からも生えており、それ以外にも大小さまざまな触腕を形成しているようだ。
触腕だけではない、おそらくは百を超えるであろう眼球が触手の隙間から勇者を睨みつけてもいる、それら全てが怪しく輝くと恐怖を増幅させる波動を放つ。
エキドナという母親を守ろうとしているのか、勇者の視界を埋め尽くすように触手の巨人は無数の手を伸ばすのだった。
「……」
対して勇者は何も答えない、何も語らない、ただ天剣を振るうだけである。
その剣戦は、その剣から放たれる力は、敢えて言葉にするのならば一方的な拒絶であった。
断じて戦いではない、言葉や意思や力や技量や覚悟をぶつけ合う闘争ではないのだ、あまりにも一方的で圧倒的な拒絶であり、全ての否定と表現できるだろう。
天剣が振るわれれば世界が切り裂かれる、この剣が断ち切るのは世界であり、その延長線上に敵がいるにすぎない。
鏡や氷を割り砕き無数の亀裂を生み出すかのように、天剣が輝けばそれが空間に広がるのだ、故にそこにどんな固い障害物があろうとも意味は為さないのだろう、物体に物体をぶつけて破壊するのではなくまして切り裂く訳でもなかった。
断ち切るのは結果的にそうなっているに過ぎず、世界が分けられているから物体も「ついで」とばかりに分けられている。
故にこれは戦いではない、解体であった。
百の触腕と百の魔眼を持つ巨人はバラバラに引き裂かれるのだった、しかし彼らは個体ではなく集合体、斬られた触手を放棄してまた一つに纏まっていく。
これがエキドナがこの触手たちを生み出した一番の理由なのかもしれない、どれだけ強力な力を持った魔獣であろうと勇者からしてみれば一撃で殺せてしまうが、例え一体一体が弱くともそれが連なって一つになればそれだけ手間がかかる。
天剣の比類なき一撃であろうとそれは点や線でしかない、単騎を殺すには過剰すぎる力であっても津波のような軍勢ならばまだ耐えられる、殺せるのはその線上に存在する触手だけであった。
言ってしまえばこの触手たちは究極の足止め要因であり天剣を数千回「振るわせる」為の存在なのかもしれない、かつての勇者に対する恐怖と戦いがエキドナにとって消えぬ傷であり、それがもしまた今度相対することになったらどうするべきかという疑問に至り、彼女が辿り着いた答えがこの触手群であるのだろう。
勝てないから足止めする、それがエキドナの答えであり、対策であった。
「……」
勇者は視界に広がった巨体と百の触腕と魔眼を次々に分かちながら、崩壊と結合を繰り返す触手群に僅かな苛立ちを覚えているようだ、その感情の無い視線は右往左往しておりエキドナを探しているらしい。
しかし既に双子の悪魔を見失ってしまっている、彼女の瞳が映すのは山のような巨体だけである。
少しだけ迷って、勇者は目の前の触手群に注視することに決めたらしい。
迷いを断ち切った理由はいくつかあるが、一番影響が大きかったのは信頼であった。
自らの死後、途方もない時間が流れて時代は変わった、街も歴史も国も全てが変わったように思える、しかし変わらないものだってあった。
勇気と、思いと、誇りと、未来を望む意思、それらを宿して戦う英雄たちの姿である、勇者が生きていた時代も、そしてこの時代も、それだけは変わっていない。
ならば難しく考える必要はないのだろう、かつてと同じように戦うだけである。
勇者はそんな考えと共に、天剣を振り回すのだった。
「闇神殿の影響が濃くなってきているな……このまま強まれば呼吸すらままならんか」
「団長、各班の準備が整いました!!」
「ごくろう……総員傾注せよ!!」
強者による真に強い言葉によって並んだ聖騎士たちが背筋を伸ばす、そして一糸乱れぬ動きで敬礼をおこなった。
「時間がないので多くは語らん、我々はこれより闇神殿の破壊を行う……皆、全力で任務を全うしろ」
そこでアントニウスは言葉を区切り、力強くこう言った。
「民の為、国の為、ここで死ねと命じることを許してほしい」
彼はそう言って頭を下げるのだった。
「問題はありません、我々聖騎士団は戦いで命を落とすことを覚悟しております!!」
「右に同じです、ベッドの上で眠るような死など誰も望んではおりません!!」
「そうだろうとも、臆して死ぬなど私もごめんだ……ふぅ、では行動を開始せよ」
そして彼らは班ごとに分かれて散っていく、その場に残ったのはアントニウスと三人娘、そして聖女のマリーだけであった。
「君たちもすまなかった、このようなことに巻き込んでしまって……だが、今は手が足りぬ、徴兵を許してほしい」
彼はそう言ってまた頭を下げる、深く深く、聖騎士団長である自分が頭を下げる影響や意味を無視するかのように。
「別に良いって、こんな状況なんだからさ……キャラバンで最初に教えられるのは誰かが困っているのなら手を貸してやれってことなんだ、おっちゃんもあんまり気にすんな」
「はい、シャルルの言う通りです。徴兵とおっしゃられましたが、私たちは私たちの意思で戦うことを決めたのです、この都市で短い間であっても暮らして人々と触れ合ったのですから……ここで私たちは無関係だと引いてしまえば、きっと後悔します」
「……知り合いもできたから」
「ありがとう、君たちの勇気と優しさに、甘えさせてくれ……そして感謝を、正直に言えば手が足りなくて断られたらどうしようと思っていた所なんだ」
「皆様、生命神の神殿を代表して私からも感謝を……神々の祝福がお三方に降り注がんことも祈ります」
マリーとアントニウスの言葉に彼女たちは微笑んで頷く、そして危険な戦いになることを理解しながらも受け入れるのだった。
「ん……それに、報酬は期待している」
「だな、ワタシらは安くないってことをちゃんと結果で教えてやらないと」
「ガハハ、なんとも頼りになる言葉だ。よしわかった、報酬は必ず用意する……必要なら上層部も動かそう」
「よっしゃ、その言葉を忘れないでくれよ」
報酬に釣られてやる気が更に高まったのかシャルルの剣が感情に引っ張られて祝福の光を灯す、彼女はそれを鞘から引き抜いて先導するように歩き出す。
その背中にキャロルもエミリーも付いていく、目指す先は闇神殿を構成する柱の一つである。
「マリー君、治療を頼めるかな」
「はい、お任せください」
「私の体を癒した後は、生命神の神殿に避難しなさい」
「それは……はい、わかりました」
「そちらの神殿長には、最悪の状況を想定して行動するようにと伝えておいてくれ……聖アンジェリーナに勇者の魂が定着したとはいえまだ不安定であると言わざる負えない、闇神殿の影響もあるしな」
「わかりました……聖アントニウス、どうか無理はなされないように」
「ガハハ、それは無理な相談だ、我々聖騎士団は無理も無茶も押し通さなければならないからね」
彼はそう言ってエキドナとの戦いで負傷した体から力を抜くように、背中を門に預けてずり落ちた。
背中を最奥の門に、尻を大広間の床につけて座り込むと、その状態で大神殿の入口を睨みながらマリーの治療を受けている。
己が聖都リーグロンデル最後の守りである、彼の大きな体はそう主張するかのように門を守護していた。
剣は折れども心は折れない、あたりまえだ、彼は最強の聖騎士なのだから。
三人娘はそんな彼を背にして大神殿の外へ出ると、闇神殿の柱を目指して周囲を警戒しながら進みだす。
「魔獣が見当たらないな」
「あの触手の巨人に吸い込まれた……いえ、一部になっているんでしょうね」
「なら動きやすいからありがたいけど……キャロル、どんな感じだ?」
二人から僅かに先行して建物の屋上から周囲の偵察を行っていたキャロルは、屋根の上から進めの合図を送って来る、どうやら近くに敵の気配はないらしい。
都市の一部では今も触手の巨人と勇者の戦いが繰り広げられており、分かたれた触手が衝撃で吹き飛ばされて雨のように降り注いでいるが、そんな中を彼女たちは進んでいかなくてはならない。
敵の気配はない、しかしそれは油断していい理由にはならないので慎重にならざるをえないのだろう。
五感の鋭いキャロルが注意深く進行方向を調べながら、シャルルとエミリーはもし戦闘になった場合に備えて力を張り巡らせている、おそらく他の班も同じような状況になっていると推測できた。
三人の呼吸が荒くなる、それは緊張やストレスもあるのだろうが、徐々に闇神殿の影響が大きくなっているからだろう、つまり魔獣や悪魔の領域へと変化しているのだ。
三人から離れた位置にある闇神殿の柱が一本崩れ去る、どうやら別の班は上手くやっているらしい。
「私たちも急ぎましょう」
「ああ、体が少しだけ重くなってきたしな、このままじゃ陸で溺れそうだ」
全てが順調に進むなんて考えは甘い、まだ柱は残っており崩れたのはその一部でしかないのだ、いつどこで妨害されるともわからない……いや、もしかしたら彼女たちの前に現れていないだけで別の場所では既に命をかけた戦いが行われているのかもしれない。
「ん……もう少し」
屋根を伝って移動するキャロルには目標の柱が既に見えている、そして同時にその柱を守るようにこびり付く触手群も。
「……敵がいる、さっきの魔獣と似てる……でも、ちょっと大きい」
発見されることを恐れてかキャロルは屋根から飛び降りて着地する、そしてシャルルとエミリーを路地裏に先導して身を隠しながら通りの向こうへと視線をやった。
三人が路地の影から僅かに顔を出して確認したのは二十メートル程の高さの柱と、それを守る触手の魔獣である、柱に寄生するように触手が引っ付いており複数の眼球も確認できてしまう。
先程、大神殿で戦った魔獣よりも巨大……いや、触手の量が多い。
「……どうする?」
「どうするもなにも、いつも通りしかないんじゃないか……エミリーに魔獣ごと柱を焼いて貰おう、その時間をワタシらで稼ぐ」
いつもの面子なのでやることも変わらない、相手が大量であるという点は普段とは異なるが、それ自体は些細な問題である。
頷き合う三人の後方ではまた柱が崩れており、その更に向こうでは触手の巨人と勇者の戦いが続いていた。
「……援護する」
最初の一歩はいつも通りシャルルであった、それを援護するようにキャロルが弓を構えて、エミリーは魔力を高まらせていく。
シャルルが相手を認識したということは、相手もまた彼女を発見したということでもある、柱に寄生する触手の一部が蠢いて触腕を形成するとそれが近づいて来る三人へと伸びた。
巨大な蛇が食らいつくかのような光景だ、シャルルはそれを鋼でもって迎え撃つ。
危機を前にして彼女の体に埋め込まれた天剣の輝きの一つは力となって祝福を与えてくれた、その輝きは先程よりも強く熱い、聖騎士として訓練した訳でもなく星が体に馴染んだ訳でもないのだが、彼女はこの短期間の間に成長していた。
本人にその自覚はないようだが、理由を挙げるとすれば降霊術の余波でシャルルの器を満たした魂の影響が強いのだろう……あれはかつて勇者と共に戦った聖騎士の魂であり、完全ではないがその経験や知識の一部が彼女に継承されたのだ。
度が過ぎれば記憶が交じり合って自我を見失ってしまう危険な状態であったのだが、どうやら今回は上手く馴染んだらしい。
彼女は彼女のまま、聖騎士の力を放出したのだ。
「戦神よ」
祈りは短く雑だ、しかしそれでも与えられた加護は強い、彼女の持つ剣は祝福の光を宿して聖剣へと変貌しており、そこから放たれる波動は触腕を焼き払うのだった。
ジュっと、そんな音が周囲に広がる、触腕の先端は灰となって消え去り崩壊はそのまま柱近くまで伸びていく。
祝福という魔獣にとっての毒が本体にまで伸びようとしているのだろう、相手は侵食を恐れたのか途中で触腕を自ら放棄することでなんとか回避する。
「これからが本番だ、来るぞ!!」
最初の接敵は小手調べに過ぎなかったのだろう、柱に取りつく触手は三人娘を脅威と判断したのか今度は無数の触腕を形成してそれらを伸ばす。
一つ、二つ、三つと増えて最後には八つになった触腕は、それぞれが独立した動きで彼女たちに迫った。
ヒドラと呼ばれる八首の大蛇を彷彿とさせる相手だ、それに加えて恐怖を増幅させる眼球もギョロギョロと蠢いているのだからなお厄介である。
聖剣が煌めく、一度、二度、三度、その度に触腕は灰となって消え去り触手群を減らしていく、そして追い打ちをかけるかのように黄金の弓から矢が放たれると、それもまた触腕を蒸発させながらその向こうにある眼球すらも穿ってみせた。
「後、一分ください」
「その倍でも構わないぞ」
「ん……余裕」
そんな彼女たちのやり取りを聞いて侮られたと魔獣は思ったのだろう、触腕を更に増やして見せびらかすようにのた打ち回らせた。
数は、二十程だろうか……そんな相手を見てシャルルとキャロルは言葉を翻す。
「やっぱ無理そうだ……エミリー、早めに決めてくれ」
「……調子に乗った」
言葉は弱気だが二人は敢えて前に出る、エミリーにだけは絶対に近づけてはならないと分かっているからだ。
そして視界を覆いつくす触腕を迎え撃つ、一つ目を焼き切り、二つ目を穿つ、そして姉妹は互いの背中を預け合って周囲を囲む触腕を自らに引き付けるのだった。
状況は危機的だが背中合わせの形は安心できるのだろう、まるでワルツでも踊るかのように軽やかな動きで二人は右へ左へと回転しながら正面に現れる触腕と相対していく。
「三つ!! 四つ!! これで五本目だ!!」
「……六つ、七つ」
剣を振るい祝福の光を放つ、矢を放ち穿つ、互いの背中が熱を感じながらくるりくるりと回りそんなことを何度も繰り返すが相手も一筋縄ではいかない、触腕を消滅する度に新たに形成して数を増やしていく。
このままではいずれ呑まれてしまうだろう、おそらくエミリーが魔術を行使するよりも一歩早く。
だがそんな彼女たちを救うかのように黒い閃光が駆け抜ける、雷のような鋭さで触手群を通り過ぎると、その場にあった何もかもを引き裂いてしまうのだった。
「団長!?」
「シャルル!! 油断しないで!! 次が来るわよ!!」
雷の正体はキララであった、彼女は何もない空中で体を翻すと、そのまま別の触腕を切り裂きながら彼女たちの近くへと着地する。
「待たせたわね」
「……探しに来てくれた?」
「当たり前でしょう」
そう言ってキララは指先でキャロルのおでこをツンと突く、そして彼女の背後に迫った触腕を切り裂いた。
「ゆっくり話している状況じゃないわね、キャロル、シャルル、そちら側はまかせるわよ」
「……んッ!!」
「了解、任してくれ!!」
しかし粘る必要はないだろう、周囲に広がる触腕の多くはキララが引き裂いてしまった、新たに形成されたものも三人になったので負担が少ない……そしてエミリーの準備が整ったのか、彼女は火花と灰を体から撒き散らしていた。
「至高神よ、天上の主よ、どうか我々に力を与えたまえ」
シャルルとは違ってエミリーの祈りは深く丁寧だ、そんな彼女に大きな加護が降ろされて炎はより熱くなる。
「皆さん、伏せてください!!」
エミリーの指先が触手群へ、そして闇神殿の柱へ向けられた、その瞬間にキララは近くにいたシャルルとキャロルを引き寄せて地面に転がった。
次の瞬間に熱線が放たれる、真っすぐ貫くのではなく触腕を全て巻き込むかのように横薙ぎにされた熱の刃である。
すると触手群は勿論のこと闇神殿の太い柱でさえ焼き切られてしまうのだから、その熱線はとてつもない熱量を秘めているのだろう、全てを切り裂くという点だけみれば天剣と大差がないのかもしれない。
魔獣は焼かれて灰になっていく、そして柱には熱線が通り過ぎた後にできた斜めの線が出来ており、そこからずり落ちるように巨大な柱は崩壊するのだった。
柱の上にあったどす黒い結晶も地面に叩きつけられて砕け散る、すると闇神殿の影響が弱まったのか少しだけ呼吸が楽になったようだ。
「一先ず、ここは問題なさそうね……周りも順調みたいだし」
キララの言葉通り、別の場所でも同じように柱が崩れている、あちらも上手くやっているらしい。
「さて、三人とも……ある程度の事情は察しているけど、現状を説明してくれるかしら?」
「あぁ、えっと……あれだよ、聖騎士団に雇われてさ」
「ん……ごめんなさい」
「すいません、キャラバンの都合も考えず」
「別に怒っていないから気にしないでいいわよ、貴女たちの判断を否定するつもりはないし、気持ちもわからないでもないから……まぁ、キャラバンの主としては早々に帰還して都市を脱出できれば良いと思うけどね」
それならば自分だけでも都市に残って好きに動けるうえに、逃走の判断も気楽に下せる、守る者がいるとどうしてもキララの動きが鈍くなってしまう。
だが責めるつもりはない、状況が状況であったし何よりも他者を救う為に行動した彼女たちを称賛したい気持ちがある、そしてもう三人娘はキララの中で一人前と認定されているのでその判断にいちいち口を挟むつもりもなかった。
何もかもが足りない未熟者であったのならば、さっさと逃げて自分のことだけを考えろと注意したかもしれないが、彼女たちには自らの未来を掴む為の力と意思がある……ならば怒る必要はないだろう。
「団長、私たちは聖騎士団と口約束ですが契約を結びました」
「ええ、わかっている、ならば契約の履行を行いましょう。ただ、今は……」
「何か問題があるんでしょうか?」
「……ラシュリーが行方不明なのよ、ミカエラと一緒に大通りでチラシ配りをしていたんだけど、彼女の姿は発見できなかった、周囲にいた魔獣は片付けたのだけどその中にもいない」
「そりゃマズイな、どこかの神殿に避難してたら良いけど……ワタシらで一軒一軒、探して回るか?」
「時間があればそうしたいけど、この状況じゃあねぇ……何もかも片づけてから探した方が良いかもしれないわ」
魔獣も、悪魔も、撃退する、そして安全を確保してからの方が捜索は捗るだろう、聖騎士団や聖都の上層部にも働きかけられるのでその方が手早いはずだ。
魔獣に取り込まれていた訳ではなさそうなので、神殿に避難している可能性が高い、キララはそう考えていた。
迷いは一瞬、キャラバンを率いる団長は優先順位を繰り上げて魔獣と悪魔の排除へと力を向けるのだった。
なので彼女は視線を空へと向ける、そこには触手の巨人と勇者が今も戦っており周囲に余波が広がっている、あの戦いに暗殺者の救援は必要だろうか? 戦闘の規模が大きすぎて判断が難しいと言わざるをえない。
死神の力は通じるだろう、だが勇者と天剣の力に巻き込まれる恐れがあるので接近は危険だ、幾ら彼女が半神であってもさすがに体を真っ二つにされたのならば死ぬしかないのだ。
そして問題なのはあの触手の巨人が本命ではなく駒の一つに過ぎない点である、主力であることは間違いないがエキドナという悪魔が本体であり根元なのだ、そちらを排除しなければ問題の解決には至らないだろう。
勇者に加勢すべきか、エキドナを探すべきか、それとも他の柱を潰していくべきなのか、どれも正しくどれも難しい。
だが団長である彼女の仕事は決断することであり全体の道を示すことである、困難であることはわかっていてもそこにしか未来がないのならば選ばなければならない。
彼女の視線が少しだけ揺れ動いて空中の勇者で留まる、そして方針を伝えようと唇を動かそうとした瞬間に、空に無数の亀裂が出来上がった。
鏡を割ったかのように広がった亀裂はその数だけ触手群を分けていく、そしてそれは戦いの決着を意味していた。
触手の巨人だったものが崩れていく、数千回に渡る割断を受けてとうとう自重を支えきれなくなったのだろう、人型を維持することができずに崩れて山となっていき、最後には灰となって消えていく。
それを勇者は黄金の粒子を漂わせながら見下ろしていた、そしてやはり感情の窺えない表情や瞳でその場に佇む。
疲労が濃いのかもしれない、僅かに呼吸が荒く汗も流れている、闇神殿の影響も強い上に触手の巨人を相手に天剣を振るいすぎたのだろう。
いかに勇者と言えど肉の体を持っているのだから腹も減るし疲労も蓄積する、まして彼女は本物の勇者ではなくあくまで体を借りているにすぎないのだ。
生前の、神々の意思と力と、無数の奇跡の上に産み落とされた至高の肉体ではなく、その体はアンジェリーナのものである、どれだけ勇者に近づこうとも完璧にはまだ遠い。
故に疲労も仕方がない、そして意識を手放すように力を抜くのも当然の結果であった。
「拙い!!」
勇者を注視していたからその変化にいち早く気が付けたのだろう、黄金の粒子は掻き消えて勇者はアンジェリーナへと戻ってしまったことにキララは気が付いた。
重さを知らない彼女は空へと落ちてアンジェリーナの体を空中で受け止めた、見た目通り軽い体をしっかりと抱きしめるとそのままフワリと着地する。
勇者の魂を受け入れていたアンジェリーナの体は負担が大きかったのだろう、目や鼻からは血が流れており、全身が鉛のように重くなってしまっているようだ。
「この人、大丈夫かな……なんか色んな所から血が出てるけど」
そんな彼女を見てシャルルが戦慄したように言葉を発する、そして納得も出来る、これだけ肉体に負担がかかるような方法であったことなのだと。
勇者という奇跡の塊のような魂と一つになったのだ、力を借りた訳でも威光に頼った訳でもない、器を満たして一体と化したのだからこの結果にも納得できる。
寧ろ、人の形を保っていられるのだから、これでもまだマシなのかもしれない。
「気休め程度ですが治療しましょう」
ここに聖女マリーがいれば完璧な治療もできるのだが、専門家ではないエミリーの医療魔術では確かに気休めにしかならないだろう。
しかし何もやらないよりは遥かにいい結果となるはずだ、エミリーはアンジェリーナに魔力を送り込んでそのボロボロの体を癒していく。
「降霊術で勇者の魂を降ろしたのね……ならあの戦いぶりも納得できるわ。でも危険な行為よ、いくら適性があったとしても彼女は勇者じゃないんだから……ここにローレライがいればきっと無茶苦茶だと怒ったかもね」
キララもおおよその事情は察したのか、エミリーを手伝うように魔力を流し込む。
「やっぱり危険な儀式なんだな」
「ん……なんとなくわかる」
「危険なんてものじゃないわね、下手すればその場で死んでいたかもしれない……まぁ勝算はあったんでしょうけど、もしかしたらこの人は勇者の血筋なのかもしれないわね」
「だから上手く魂を降ろせたということでしょうか?」
エミリーの質問にキララは頷く。
「おそらくね……ただまぁ、だいぶ血は薄まっているでしょうから、魂の定着が不安定だったんだと思うわ、こうしてボロボロになっている時点で無茶したってことはよくわかる」
アンジェリーナの体に残された傷は全て自壊によるものだ、魔獣に負わされたものではない。
その力の放出に体が耐えきれなかったのだろう、どれだけ勇者に近づこうとも肉体が足を引っ張ってしまったのだ。
「この怪我では暫く戦えないでしょうね、近くの神殿に預けておきましょう」
あの触手の巨人を消滅させただけでも十分すぎるほどの戦果である、間違いなく相手の主力は粉砕できたのだから。
後はエキドナだけだ、全員の脳裏に片翼の悪魔の姿が思い浮かぶ。
その瞬間、聖都の中心にある大神殿の方角から衝撃と轟音が広がるのだった。