商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
プロローグ 始まりの魔術師
何故、雨が降るのだろうか?
大昔のそんなことを思った少女がいたらしい、その時代においてその現象を表現する言葉は「神の御業」というたった一言で片づけられてしまうのだった。
雨だけではない、炎が何かを燃やすことも、雷が落ちることも、季節が移り替わることも、全てが人知の及ばぬ神の意思なのだと、その時代の人々は考えていたらしい。
それが当たり前であり、それが人々の真実であった。
だがその少女だけは神の御業という言葉で全ての事象に納得することは出来なかった、雨も雪も雷も炎も全てが奇跡の産物であるのならば、何故それらは人に牙をむくのかわからなかったらしい。
なるほど、神とは確かに人知の及ばぬ存在なのだろう、それは納得したし理解もできた、しかしその神が全ての事象に関わっている筈かないと彼女は思ったのだろう。
何故、雨は降るのだろうか? その最初の疑問を一歩として彼女は人々の枠の中から踏み出したのだった。
振り返ればそこには人々の営みがある、神に祈り、悲劇に嘆き、幸福に笑い、子を育み死んでいく、そんな当たり前の光景が広がっているのだ。
彼女はそんな人々とは違うのだろう、何故なら彼女は天才……いや、異常であったのだから。
当たり前を当たり前として受け入れない、雨や雪や雷が降ることを神の意思だと考えて思考を停止しない、幸福も不幸も運命という言葉で片づけない、それら全てに始まりがあってだからこそ結果が伴うのだと彼女は考えたのかもしれない。
だからその始まりを知ろうと奔走した、人々の営みを背にしながら。
そんな日々をどれだけ過ごしただろうか、十年か百年かそれとも二百年か、いつしかその異常者の存在は人々の記憶から消え去ってしまい彼女もまた人の社会を忘れてしまっていた。
振り返ってみるとそこに人の営みは見つからない、それは遥か遠く彼方にまで遠ざかっており、彼女の視界にあるのは人でも街でも文化でもなく、彼女自身が残した足跡だけがどこまでも続いている。
随分と遠くまで来たものだ、自分の足跡を見つめて彼女はそんなことを考えた、隣には誰もいない、当然ながら前にも誰もいない、後ろは離れすぎた為に影も形もない。
それは誰よりも前を進むが故の孤独であるのだが、彼女はそれを知らなかったようだ。
しかし特に寂しがるかのような様子もなく彼女は更に先へと進んでいく、一歩踏み込む度に人から離れて、二歩進む度に社会と文化から離れていく。
その瞳が向けられているのは当たり前の日常ではなく疑問に対する答えなのだ、だから先を行くことに恐れはなく孤独であろうとも関係ないのだろう。
先へ、先へ、ただ先へ。
彼女以外の人々が何故と思ったその時には、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
ただどこまでも伸びる足跡だけが、終わりなく続くだけだったという。
全ての何故の答えを求めて、全ての根源を知ろうと進み、全ての事象を解き明かし、魔術という概念を生み出し運用したその女性は後に始まりの魔女と呼ばれることになった。
神代から今に至るまで、彼女の残した足跡に追いつき、その隣に並び立った者はいないと言われている、全ての魔術は始まりの魔女の後追いであり、全ての研究は彼女の残した足跡の際現に過ぎない。
最古にして最新、始まりでありながら終わり、最果てにありながらなお深淵を目指す。
始まりの魔女が残した足跡を、全ての人々が今なお追っているのだ。
そこでは紅蓮の炎を身に纏った鋼鉄の塊が仁王立ちしていた。
放たれる熱気は簡単に肌を焼くだろう、ただ熱を宿しただけでなくその鋼は人型となっており全身鎧の戦士のように迫力ある動きを見せつけてくる。
炎の騎士、それはまさにそう表現するに相応しい姿をしていた。
「相手に何もさせるな!! 暴れられれば手が付けられなくなる!! 後衛は絶えず水弾を浴びせ続けて、前衛は囲んで叩け!!」
「第一班が重傷者多数、もう戦えません!!」
「第二班を前に出す! 魔術師たちはタイミングを合わせて水の魔法を頼む!!」
戦場はどうやら二つの勢力に分かれているようだ、片方は燃え盛る騎士でありもう片方は雑多な武装と武器を身に纏った傭兵であり少し後ろにローブと三角帽子を被った魔術師たちの姿が確認できる。
炎の騎士に相対するのは総勢五十人ほどの戦士たち……統一性のない装備から見るに傭兵だろう、その後ろの魔術師たちを守るかのように展開しており、誰もかれもが水に濡れているようだ。
傭兵たちを更に濡らす為に背後の魔術師が大量の水を生み出して押し流す、奔流とさえ言えるようなそれを背中に受けて傭兵たちは駆け出していく。
水の流れは彼らの背中を押しただけでなく追い越して炎の騎士へと辿り着く、膨大な熱を放つ炎の騎士は津波をその身に受けて深紅の光を減らしていった。
だが一時的なものでしかない、火を蓄えた炭や薪のように騎士は炎を燻ぶらせているのだ、実際に鎧の隙間からは僅かに火花が飛び散っている。
魔術師たちが生み出した空白に傭兵たちが切り込む、彼らの多くが持つのは剣ではなくメイスやハンマーのような鈍器が中心になっているようだ。
相手が僅かな隙間しかない全身鎧なので刃は効果が薄い、なので殴りつけることを主軸にして行動しているらしい。
「炎が消えているうちに囲んで叩き潰すぞ!!」
全体の指揮を預かっている傭兵がメイスを握ってそう叫ぶ、そして未だに燻ぶっている全身鎧の騎士へと肉薄していく。
ガアィィィィンンッ!! とメイスが鎧を叩いた瞬間に甲高い音が周囲に響いた、音と振動は鋼鉄の塊を叩いた時のような抵抗を行わず、どうやら鎧の中で反響してそれを何度も繰り返しているようだ。
まるで大きな鐘を殴ったかのような感触に傭兵たちはやはりと確信を強めていった、この炎の騎士に中身はないのだと。
固く、熱く、それでいて人間のように縦横無尽に動く、更には中身が空で肉体を持っていないので疲労とも無縁だ。
「よくもまぁこれだけ強力なゴーレムを作ったもんだな!!」
ハンマーで戦う傭兵の一人がそんな愚痴を零してしまうのも仕方がないだろう、実際に彼らの前に立ちふさがる炎の騎士……ゴーレムはおそらくこの世界で最高峰の性能を持っているのだから。
「固いし熱いし強いし、しかも神代からずっとここを守っているんだろ? 本当に滅茶苦茶だよな!!」
傭兵たちが囲んで叩く、何度も何度も何度もだ、そんな彼らにされるがまま耐えているゴーレムではなく、炎の騎士は抵抗の意思を示すかのように燻ぶりながら傭兵たちを殴りつけている。
中身が空とはいえ鉄の鎧、それもかなり分厚い装甲なので殴られ蹴られれば簡単に重症になってしまうだろう、傭兵が吹き飛び肋骨を折られたのか打ち回っていた。
「呼吸を乱すな、荒くなる前に隊を入れ替えーーッッ! マズイ下がれ!?」
指揮官の傭兵が危機を察して周囲に合図を送る、すると燻ぶっていた炎の騎士が燃え盛って熱を放出するのだった。
逃げ遅れた傭兵の一人が炎に包まれてしまう、何とか手を伸ばしてその傭兵の首根っこを掴むと引っ張り、そして魔術師たちの前に放り投げ水をかけて貰いなんとか一命を拾い上げたようだ。
前線を離脱した傭兵の穴を埋めるように別の戦士が前に立つ、だが熱波に阻まれて上手く戦えないのか足踏みするばかりである。
「また津波を頼む、このままじゃ近づけん!!」
炎が高ぶった、それは波動となって駆け抜けて傭兵たちへと迫っていく。
それを迎え撃つのは後方の魔術師たちが起こした水の流れだ、波となり壁となったそれらが熱を妨げるのだった。
炎の壁と水の壁がぶつかり合って周囲は一瞬で白く染め上げられてしまう、あまりの熱量に水蒸気爆発が起こってしまうほどの力のぶつかり合いは戦場に一瞬の膠着を生み出す。
白い水蒸気に包まれた視界であっても炎の騎士が放つ存在感、そして深紅の輝きはしっかりと認識できる、戦士はメイスを握りなおして魔術師は水を生み出しそれを放った。
再び水の壁に炎を奪われた騎士は鋼鉄の体を軋ませながら水蒸気の中をかき分けるかのように突っ込んでくる、後方の魔術師たちを脅威だと判断したのか傭兵たちを無視するかのような動きだ。
「させるかよッ!!」
そんな炎の騎士の後頭部をメイスで殴りつけたのは指揮官の傭兵であった、全力で振り抜かれた鈍器は度重なる攻撃で罅の入っていた騎士の頭をようやく叩き割ることに成功した。
蹴り飛ばされたボールのように吹き飛んだ頭はそのまま砕けて散ってしまう、相手が人間ならば疑いようのない勝利なのだが、相手はゴーレムなのでまだ終わらないだろう。
首なし騎士と化したゴーレムは、その大きな体を首を吹き飛ばした下手人に向けて突進してくる、鉄の塊が人間以上の加速力で突っ込んでくるのだから、激突すれば吹き飛ばされて壁のシミになってしまうことは想像出来た。
受けて立つわけにはいかない、傭兵たちの指揮官も周囲の者たちもそれを理解しているので行動は迅速であった。
ハンマーが足を刈り取るかのように振るわれると騎士を膝を破壊する、それによって体幹を崩したゴーレムを待っていたのは無数の鈍器による殴打である。
「叩け叩け!! 原型がなくなっても構わねえ!!」
「ちょっと駄目よ!? そのゴーレムがどれだけ貴重な物なのかわかってるの!?」
魔術師の一人が悲鳴交じりにそう叫ぶ。
「そうは言うが少しでも自由にすればこっちが危ない、粉砕されるのが嫌なら封印班のケツを蹴ってさっさと連れてくるんだ!!」
「わかってるわよ! だからアンタたちも手加減しなさいよ」
「おい、ちょっと待て、こいつまた熱くなってきてんぞ!!」
「水だ水!! ありったけぶっかけるんだ!!」
慌ただしい現場だ、しかしこんなやりとりはこの場所では日常茶飯事であった。
傭兵と魔術師、この街では探索者と研究者と言った方がいいのかもしれない。
無限城を調べてこの場所に眠る技術を研究する魔術師と、その護衛役として前に立ち未知を切り開く傭兵たち。
そんな彼ら彼女たちが暮らす故に、この街は探索者と魔術師の街と呼ばれているのだ。