商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
世界が作られてまだ久しく、生物の在り方が今よりもずっと穏やかで幼かった頃、始まりの魔術師と呼ばれた女性がいたそうだ。
法則を解き明かし、疑問に対する答えを求め、魔術という概念を生み出しそれを広めた彼女がそう呼ばれることになったのも必然だろう。
全ての魔術の始まりであり、全ての思考の果てに立つ、深淵すらも飲み干そうとする頭脳は千年も二千年も先にあるとされており、そんな彼女が生み出した様々な技術や概念は今になっても理解不能な物が多いとされている。
例えば道具一つしてもそうだ、どうしてこういった形状が必要であり、どんな役割を果たすのか理解できない。
魔術も同様である、何をどうすればそのような現象を巻き起こせるのか誰にもわからないのだ、全ては始まりの魔女があまりにも先を進んでいるが故のことだろう。
彼女の発想と開発に世界が、時代が、人々が追い付けない、古い記録によれば多くの弟子を育てたという文章も見つかるのだが、彼女の教えを受けたその弟子たちですら始まりの魔女の足元はおろか爪先にも及ばなかったとされている。
開発、魔術、法則、概念、発想、全てが最新であり、神代から今に至るまで誰も並び立てない。
この世に生きる全ての魔術師の頂点であり、憧れであり、目指すべき壁でもあった。
だからこそこの街の人々は、彼女が生み出した最大の発明の下で、その深淵の技術や発想を少しでも学んで取り込もうとこの地に集うのだ。
始まりの魔女が生み出した世界最大にして最古の魔道具、無限城ノイシュバランの下へと。
「えッ? あれって魔道具なのか?」
エミリーからこの街の成り立ちや歴史を聞いていたシャルルが、驚いたようにそんなことを言った。
「ええそうですよ、あの空飛ぶ城は始まりの魔女が作った魔法道具ですね」
「……道具?」
「キャロルの言いたいことはわかります、道具って規模じゃありませんよね」
自分も初めて師匠から説明された時は、同じような疑問を抱いたものだとエミリーは思い出す。
「空飛ぶ城を作るだなんて発想ができて、それを現実にしてしまうんですから……本当に偉大な存在です。だからこそ、この街に住む魔術師たちはその軌跡を追って研究している、少しでも偉大過ぎる先人に追いつく為に」
三人娘が街の上空を漂う巨大な城に向けられる、常識を無視したかのような規模で広がる建築物は太陽が頂点に移動する頃には影で街をすっぽりと覆ってしまうらしい。
確かに、あれを作れるのならば偉大という他はないだろう、無限城の存在感に比べれば地上にある城など犬小屋のようなものだ。
「あそこを調べる連中にとっては宝の山って感じなんだろうなぁ」
「そうですね、黄金の塊です。魔術師にとっても傭兵にとっても」
「……お金になるの?」
「はい、無限城から発見された技術であったり道具などを現代風に再現したりして莫大な資産を築いた方もいらっしゃいますね。研究よりもそちらを優先されるような流れもあるんですが……まぁ何を求めて無限城を攻略するかは人それぞれです」
「儲かるんなら一度くらいは行ってみたいな、キャラバンもここに長期滞在する訳でもないんだろ? 公演もしないみたいだし暇だからさ」
「……天幕も組み立ててないしね」
「団長は物資の補給だけと言っていました、聖都で大量の物資を格安で売却したから余裕もありませんし、美術品などはここでは売れないでしょうから……必要な物だけ集めたら早めに出発して大きな都市を目指すのでは?」
「なら一週間も滞在しないっぽいな……」
シャルルはそういって空に浮かぶ無限城を見上げた。
「シャルルは探索に興味が?」
「だってほら、上手くやれば一攫千金な訳だし」
「なら探索者のチームに加わることが必要になりますね、一人で行けば命が幾つあっても足りません」
「ん……やっぱり危険?」
「それはもう、無限城には様々な番人が配置されていますから、あの城が探索され初めてもう長い時間がたちますが、それでも全体の一割も踏破されていないらしいですよ」
「その番人っていうのがそんだけ強いってことか」
「えぇ、それに挑んで越えなければ無限城の捜索は難しいかと……だからこそ傭兵の方たちはチームを組んで、そこに魔術師たちも加わるんですけどね」
「ん~……そうなるとまずは傭兵たちの集まりに参加することからだな」
「……その前に団長の許可がいる」
「だな、帰ったら頼んでみるか」
キャロルも無限城の探索に興味があるのか否定的な雰囲気は無い、一攫千金という言葉に惹かれているのかもしれない。
エミリーは二人が行くならばという感覚なのか、こちらも否定的な考えはないようだ。
「あぁ、見えてきましたね。あれがこの街にある至高神の神殿です」
三人は当てもなく探索者の街を歩いている訳ではない、新しい場所に来たらまず挨拶回りという仕事があるからだ、長く滞在する訳ではないようだがそれでも疎かにすることはできないだろう。
たかが挨拶、されど挨拶、これを軽んじて商売に失敗することなどありふれた話なのだ、顔と名前を憶えている相手とそうでない相手、どちらが好印象で話しやすいかと言われれば間違いなく前者なのだから。
挨拶を疎かにして物資の補給が滞った、そんなことになれば旅の日程が大きく乱れてしまう、それはつまり旬を逃すということになり、貿易を行う春風のキャラバンにとっては歓迎できるような状況ではない。
だからこうして団員たちが手分けして挨拶回りをしているのだ、既に数件の挨拶を済ませている三人は最後の目的地でもある神殿を目指していた。
住民の殆どが探索者と魔術師とそれらを支える人々であるので、この街はそれほど大きな規模ではない、なので聖都のように神殿街と呼べるような場所はなく、神殿もまた数が少ない……正確には一つしかない。
「あれが至高神の神殿なのか、なんか聖都にある奴と違って小っちゃいな」
「それはそうでしょう、あちらが本殿でこちらにあるのは分殿、支部のようなものですから」
「……ここがエミリーの実家?」
「はい、正確にはこの神殿の裏にある孤児院ですね。こちらの神殿長が院長をなされているんです」
久しぶりです、そんなことを言いながらエミリーは分殿の扉を開いて中に入っていく。
神殿の中は外から見た印象と同じだ、身の丈に合ったというべきなのか聖都にある本殿よりもずっとさっぱりしており煌びやかさが足りていない。
至高神を模してあるであろう銅像のサイズも小さく、神殿の空気を高める装飾品も少ないようにシャルルやキャロルは思った。
それでも思わず背筋がピッと伸びてしまうような雰囲気がある辺り、ここもやはり神殿であるということなのだろう。
「師匠、おられますか? 近くに寄ったので挨拶に参りました!!」
エミリーにとってはキャラバンに参加する前の幼少期を過ごした実家のようなもの、勝手知ったる態度で神殿の奥へと進んでいき、そこにいるであろう人物を探していく。
「勝手に入って大丈夫なのかよ?」
「問題ありませんよ、祈りの時間ではありませんし表にいないということは、きっと研究室に籠っているんでしょうから……だとすればどれだけ鐘を鳴らしても顔を出さないかと」
「……エミリーの師匠だから、魔術師?」
「はい、そして神殿長でもあり探索者でもありながら研究者でもありますね」
エミリーの記憶の中にいる師匠はいつも仕事や研究に没頭していて、常に何かを思案している姿が強く印象に残っている。
その印象はどうやら変化していないようだ、神殿の最奥にある研究室の扉を開けると三十台ほどの法衣を纏った女神官がおり、彼女は椅子の上で足を組み顎に手をやりながら何やら深く考え込んでいるようだった。
机の上と床には大量の魔術書と羊皮紙、棚には素人には見分けのつかない薬品と形容しがたい骨や生物の一部などが収められており、部屋の隅にある大きな壺からはボコボコと煮える謎の液体が入っている。
一般人が想像する魔女の部屋、この研究室はまさにそんな有様であった。
そんな部屋の真ん中で椅子に座り、深く深く考え込む女性は三人の存在に気が付いていないのか考え込むポーズのまま微動だにしない。
「ん……死んでる?」
「全然反応ないな、いつもこんな感じなのか?」
「えぇ、いつもこんな感じですね。思考と瞑想の時間なんだそうです……日々の業務以外はこうして考え込んでいるんですよ」
「どうするんだよ?」
「なんでも魔術で思考を加速させているとかで、一分が何十分にもなるんだとか、一度そうなると術が終わるまでこの状態ですね……よっぽどのことがない限りは周囲の変化に気が付かないんですよ、集中しすぎも考え物なんですが……まぁ、それまでの間、部屋の片づけを行いましょうか?」
「魔術師の部屋なんて危ない物が溢れてるだろ、気軽に触りたくないんだけど」
「大丈夫ですよ、本当に危険なものはこんな場所に置いてませんから」
そう言ってエミリーは散らかった部屋を片付け始める、どこか懐かしそうな表情を見るにここにいた頃はこれが彼女の日課であったのかもしれない。
師匠の部屋を片付けながら機嫌よく鼻歌を奏でるエミリーに倣って、シャルルとキャロルも散らばった書類や本などを指示を仰ぎながら片付けていく。
そんな時間が三十分ほど続いただろうか、全てを片付けて最後に箒で埃を纏め始めた頃に、ようやく考える人が動き出す。
「……うん? 君たちは誰かな?」
まるで眠りから目覚めたかのように体を解しながらエミリーの師匠はそう言った、その瞳が左右に揺れて姉妹を認識した後に、箒を持ったエミリーへと向かう。
「あぁ……弟子よ、帰っていたのか」
「はい、お久しぶりです師匠……キャラバンが近くに寄ったので挨拶に伺いました」
「キャラバン……あぁ、キャラバンか、そう言えば今はそこに属しているんだったかな?」
「もう、手紙で近所報告はしているではありませんか」
「そうだね、いつも楽しみに読ませてもらっているよ……うん? ふむ……エミリー、ちょっとこっちに来たまえ」
師匠の手が近寄って来たエミリーの肩に伸びる、そして両手を乗せるとそのまま瞼を閉じて深く考え込むように静寂が訪れた。
「なるほど……器が随分と大きくなっているな」
「はい、良い旅に恵まれています。それに最近では房中術を学んでもいますので少しは成長できているかと」
「あぁ、そう言えば君には基礎と炎の魔術ばかりでその辺のことを教えていなかったな……うん、良き経験を得ているようで私は満足だ」
「ありがとうございます、これも師匠の教えの賜物です」
「ほう、なかなか響く言葉だ……悪くはない」
それで、と言葉を区切ってから視線がシャルルとキャロルへと向かう。
「こちらのお嬢さんはどちら様かな?」
「私の同僚となります」
「えっと、ワタシはシャルル、です」
「……キャロルです」
「エミリーが寄こす手紙によくそんな名前が書かれていたな……弟子が世話になっているようでなによりだ。あぁ、畏まった態度は必要ないよ、神殿長なんてやっているが別に偉い訳ではないんでね、気軽に接してくれたまえ」
「キャロル、シャルル、こちらは私の師匠でありこちらの神殿長である方です。名前はエミーリア、至高神を奉る神官であり、炎を柱とする魔術師の重鎮にあたります……師匠はこうおっしゃられていますがとても偉い方なんですからね」
えっへん、と何故かエミリーが誇らしげに胸を張る。
「エミリーの師匠のエミーリアか、なんか名前が似てるんだな」
「そりゃ師匠だからね、この子が弟子入りする時に私の名前の一部を与えて契約を結んだのさ。師と弟子はつまり親と子だ、強い絆を結ぶ必要がある……名前を与えてそれを道にするんだ、そうでなければ技術の継承は行えない、呪いを共有するとも言えるね」
「……呪い?」
「例えばもしエミリーが私を何らかの理由で殺そうとした時、それを抑止するのが名前による契約だ、名前を与えることで上下関係を作り、故に価値観を共有することができる……それが弟子と師匠の最初の一歩になり、技術の継承の第一段階だ」
「魔術師ってみんなそんなことをしてるのか?」
「多くは、そうだね……技術を求めて殺し殺されはこの界隈では珍しくない、それは弟子と師匠でも変わらない、だから契約を結ぶのさ……まぁ昔ほど過激な連中は淘汰されたが今でも多少はね」
名前を与えることがその契約になるのだろう、そして上下関係の形になり技術を教えるに値することになる、師匠を殺してその知識を死体から吸い出すなんてことが珍しくない業界なのである種の安全策なのかもしれない。
エミーリアは口調と同様に、どこか男性的な仕草と雰囲気で部屋の隅にある大釜を覗き込む、そして「ふむ」と呟くと煮える奇妙な色の液体をコップで汲み取った。
「シャルル君と、キャロル君と言ったか? 弟子が世話になっている礼と、お近づきの印だ、ご馳走しようじゃないか、飲みたまえ」
そう言って手渡されたコップの中身を見て、隠すことなく二人は嫌な顔を作る、明らかに人が口にしてはいけない類の色と匂いをしているのだから仕方がないだろう。
「なぁ、これって口に入れて大丈夫なもんなのか?」
「ん……不味い」
飲んでいないが二人は不味いと確信したようだ、そんな二人の態度を見てエミーリアはやはり男性的な笑いを響かせる。
「ポーションの一種だよ、複数の男の精液と薬品を混ぜて作ったものでね、女の体にはこれがよく効くんだ。今みた限りでは二人は器が未発達、これから本格的に魔術を覚えていくのならばそれが体も器も活性化させてくれるだろう」
「あぁ、これってアレなんですね……修業時代はよく飲まされました」
「ははは、これはエミリーに飲ましていた奴よりも改良されている、巨大蜂のハチミツを入れたのが上手く行ってね、味はかなりマシになっている筈だ……ささ、遠慮せずにグッといきたまえ」
エミリーの顔は青い、嫌なことでも思い出しているかのようだ。
シャルルとキャロルをお互いに助けを求めるかのように見つめ合った、しかし逃げ場がないと判断したのか意を決して精液から作ったという奇妙な飲み物を胃に落とすのだった。
これも成長の為、そう言い聞かせながら瞼を閉じて一気に飲み干す、エミーリアという一流の魔術師が作ったものなのでそこまで危険なものではないだろうという考えもあり、なんとか決断したようだ。
「あ、あれ……思ってたより、不味くない……なんかちょっと甘いかも」
「ん……確かに……それに、なんか体が熱くなってくる」
「えッ……本当ですか? 私が飲んだ時は苦くて臭くて三日は寝込んだんですが」
「技術は常に進歩しているということだ、魔術もポーションもそれは変わらない」
ハハハ、と笑ってエミーリアは自らも精液から作ったポーションを飲み干すのだった。
「未成熟な器の成長を促進させるだけでなく、魔力の回復にはこいつがもってこいだ。セックスで新鮮な精液を摂取するのが一番効率が良いんだが、アレはいつでもどこでもとはいかないからね」
何だったら幾つか包んで持っていくかい? そんな提案を受け入れて、エミリーは押し付けられるようにポーションを受け取るのだった。
「それで……あぁ、挨拶に来たんだったか、キャラバンはどれくらい滞在するんだい?」
「聖都での事件は届いておりますか? その影響で物資の補給が出来なかったんです、なのでこの街で買い集めてから次の街に移ることになるかと……おそらく一週間くらいの滞在になりますね」
「確か悪魔が暴れまわったとかなんとか聞いてるよ……そうか、なら知り合いの大店への紹介状を渡しておこう……ほら、持っていきたまえ」
エミーリアは机の上にある羊皮紙に流麗な文字で紹介状を作り出す、そこに自分の名前を記して判子を押すとエミリーに手渡した。
「ご配慮、感謝いたします」
「なに、弟子の成長を見れて今の私は機嫌が良い、ちょっとしたプレゼントさ」
エミリーとエミーリア、弟子と師匠は微笑み合って久しぶりの時間を満喫している。
「それに、最近は無限城の未踏破区域に足を踏み入れられてね、研究も調子よく進んでいるんだ」
「新しい区画が解放されたんですか!?」
「そうとも、ずっと立ちふさがっていた炎の騎士をようやく攻略できたのさ……まぁ、三度の作戦失敗で大きな被害が出てしまったが、四度目の遠征でなんとかね」
それはつまり新しい技術と知識の道が開けたということだ、魔術師や探索者にとって黄金の鉱脈が見つかったにも等しいのだろう。
「あ、それそれ!! ワタシらその無限城の探索に興味があるんだけどさ、なんとかならないかな?」
「ん……そっちの紹介状も欲しい」
「んん? そうか、君たちはキャラバンの護衛役でもあるんだったか……ふむ」
エミーリアの瞳がエミリーに向かう、何かを問いかけるかのような仕草だ。
「この二人の腕は私が保証します、とても心強い戦力になってくれるかと」
「そうか……では弟子の言葉を信頼するとしよう、少し待っていなさい」
先程と同じように羊皮紙にペンを滑らせて紹介状を作っていく、最後に判子を押してそれは三人に手渡されるのだった。
「これを持って傭兵組合に行くと良い、私からの紹介ならば女の身でも雑に扱われない筈だ」
「師匠、ありがとうございます」
「……感謝」
「ありがとう、なんか二つも紹介状貰って申し訳ない感じだけど……」
「なに、これからも弟子を頼むという打算込みさ……まぁ感謝してくれるのならば、探索で見つけた珍しいものなんかはこの工房に持ってきてくれるとありがたい。私も未踏破区域の探索に出たいんだが神殿の業務もあるからいつでもとはいかないからね」
「わかったよ、なんかよくわからない物を見つけたら持ってくる」
「過去には呪いが詰まった小箱なんて物も見つかったからね、あそこは本当に興味深い物に満ちている……君たちの冒険と探索に期待しておこう」
これで無限城の探索に参加する為の資格にグッと近づくことになった、一攫千金を夢見るだけでなく実際に手が届くかもしれない場所へと辿り着けたのだ。
無限城と称されるその場所は文字通り宝の山、危険が大きいことも理解しているが同じだけの見返りを期待できる、ここに住む多くの者がそこに挑むのだ。
三人は紹介状を片手に、その夢の入口へ立つのだった。