商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
探索に向かうことにおいて色々な懸念材料があるものの、彼女たち探索者がやるべきことは普段と変わることはなかった、ドラゴンの影がチラつこうとも今日も明日も無限城に侵入して日々の糧を得ることに変わりはない。
それは彼女たちだけでなく他の探索者も変わらない、飛竜を貸し出している町はずれの牧場には朝早くだというのに大勢の者が押し寄せており、そんな彼らに混ざって五人も空にある無限城へと飛び立つのだった。
やはり人気があるのは新区画だろう、探索者の大半が新たなる金脈に胸を高鳴らせており彼らのつま先はそちらへと進んでいく。
一部の者はそんな流れとは別に異なる区画へと歩いていく、広大な無限城は様々な環境や出入り口があるのでそこから新たなる道を開拓しようと考えているのだろう。
五人は違う、その他大勢と同じく新区画を目指しており狙うのはやはり図書館である。
「価値が高そうな本を幾つか手に入れたら、今日はもう少し深部を目指そうか?」
「そうですわね、どうせあの図書館もそのうち丸裸にされてしまうのですから、早めに別の場所を見つけておくのが良いかと」
「図書館をそのまま探検してもいいし、城内を見回ってもいいかもな」
「……ドラゴンと遭遇しないことを祈るしかありませんわね」
「出くわした奴が酒場に提供した情報では新区画でもかなり奥の方みたいだな、その辺まで行くつもりはない」
安全第一……と言うことは探索者などやっていては口が裂けても主張できないが、それでも気を付けなければならない部分は確かに存在する、情報を集めることなど基本中の基本、装備を整え訓練するのも欠かせない、そして引くべき一線を誤らないことも重要である。
ドラゴンなど絶対に超えてはならない一線だ、仮にその先に踏み込むとしても大勢で準備を整えて袋叩きにすることが最低条件でだろう。
この五人では絶対に挑まない、もし姿を見かけたら逃走を最優先とする、そんな意思確認を無限城の城門で行ってから彼女たちは城内へと進入していく。
相変わらず広大でのどかな大自然が正門の先に広がっていることには慣れないが、そういうものだと理解しているので昨日ほどの衝撃はない。
湖で暮らす様々な生き物を横目に波打ち際を進んでいき、湖の先にある神殿の扉に手をかけると異なる空間への入口となる、広がっているのは城内らしい城内であり、廊下とカーペットが昨日と変わることなく彼女たちを待っていた。
その廊下に連なる扉の一つが、お目当ての図書館である。
「ん……先客」
キャロルの言葉の通り図書館には先客がいた、やはり他の探索者もこの場所を見つけており、金目の気配に瞳を輝かせているようだ。
「ようバッカニア、お前らもここを見つけたか」
探索者の一人がゴーレムの残骸を調べながらそう言った、リンダもバッカニアも特に警戒した様子が無いので友好的な関係の相手なのだろう。
「私らは昨日の時点で見つけてたよ、アンタが踏みつけてるゴーレムはうちのチームがぶっ壊したんだ」
「ほう、そうなのか。そいつはありがたいな、おかげで俺たちは楽ができた」
「感謝して欲しいですわね」
「おうとも、お礼に今度酒場で奢ろうじゃないか」
傭兵の男はそう言って朗らかに笑った、そしてゴーレムの残骸に腰を下ろすとバッカニアと向き合う。
「それにしてもこの図書館は宝の山だな。魔術師連中を見ろよ、目の色変えてやがる」
視線が本棚を漁りまわる魔術師らしき人々へと向かう、興奮で鼻息を荒くしている彼女たちを守るかのように探索者たちが随伴しているようだ。
どうやらこの探索者たちは魔術師たちの護衛役らしい、それに加えて荷物持ちでもあるのだろう。
探索者と魔術師が組んで無限城の探索を行うことは珍しくない、寧ろそれが基本であるとさえ言える。
炎の騎士との戦いで多くのチームが損害を被り今は再編成中なのだが、彼らのチームはいち早く立ち直りこうして魔術師の護衛任務を引き受けて新区画の探索を行える程に戦力を整えられたらしい。
「隊長!! ちょっとこの人たち説得してくださいよ、こんなに持って帰れないって言ってるのに聞かなくて」
探索者の一人が興奮しながら本を抱きかかえる魔術師を抑えながらそんなことを主張する、魔術師だけでなく彼の両手にも押し付けられたであろう幾つかの魔術書があり、羊皮紙の束であるそれはかなりの重量があるので飛竜が耐えきれないことがよくわかる。
装備を纏った人間をぶら下げて飛ぶのでもギリギリなので、僅かな余裕に差し込めるだけの物しか持って帰れないのだ。
それを魔術師たちも理解しているのだろうが、知的好奇心は理性など簡単に吹き飛ばしてしまうらしい。
「はぁ、あの連中は相変わらずだな……」
「護衛役も楽じゃないですわね」
「まったくだ、学者って奴は頭がおかしくて困る」
魔術師の護衛は探索者の基本業務であるので苦労はバッカニアとリンダにもわかる、話のわかる相手ならばまだ良いのだが、本一つに目の色変えるような魔術師ならば足を引っ張りかねない。
魔術を扱うのだから戦いの心得はある、一般人には手も足も出せないような領域の力を振るえたとしても、この無限城では死ぬときは本当に簡単に死ぬ。
魔術師だけで全てが賄えるのなら、そもそも護衛役に探索者など必要ないだろう。
本を求めるのはそれが目的なので構わない、しかしそれを何よりも優先させるのは愚かでしかなかった、せっかく無事に探索を終えたのに重量過多で地面に落ちるなど笑い話にもならない。
「そうだ、お前らは聞いたか? 酒場の親父が言ってたんだがーー」
「ドラゴンのことだろ、教えて貰ったけど真偽不明な所もあるからなぁ」
「そこなんだよな、もし本当にドラゴンがいるのならやばいなんてもんじゃない、本に涎を垂らす魔術師の世話をしながらなんて絶対にごめんだ」
「そうですわね、仮にやるならば大規模な討伐隊を結成しなければなりませんわ」
「……それでどうにかなる相手ならば良いんだがな」
なにせ相手はドラゴンである、頂点捕食者の称号は飾りではない。
「ふぅ、ばったり出会わないことを祈るしかないか」
「ドラゴンらしき咆哮が聞こえたのは新区画の深部らしいからこの辺はまだ大丈夫じゃないか」
「大丈夫なんて言葉はここじゃ意味がない……まぁその咆哮が本当にドラゴンのものなのかハッキリしないから杞憂であることを願うとするさ」
彼はそう言って椅子代わりにしていたゴーレムの残骸から立ち上がり、魔術師を説得している仲間の近くに歩いていくのだった。
「さぁ、私たちもさっさと本を確保しよう」
「もう見つけてるよ、宝石付きで鎖が巻かれている本が置いてあったからさ」
シャルルが幾つかの本を見せつけて来る、どうやらバッカニアとリンダが同業の男と話している間に三人娘は本を確保していたらしい、重量制限があるので多くの蔵書の中から一番価値が高そうな物を手に取ったようだ。
「どれも鑑定した結果魔力を感じ取れました、魔術書ですね」
エミリーの鑑定結果も良好である、魔術書ならばエミーリアが高く買い取ってくれることがわかっているので本日の収入は確保できたも同然であり、これで空振りに終わることはなくなった。
五人は巨大な図書館を見渡してその蔵書量に改めて感心するのだが、ここも他の探索者によってすぐに空っぽになることは間違いなく、それまでどれだけ稼げるだろうかと悩みもあった。
永遠にここで稼げる訳ではない、それがわかっているからこそ探索者は新しい金脈を見つける為に奮闘するのである。
「見つけてくれてありがとな、そんじゃあ今日は奥の方まで進んでいこうか」
「ドラゴンに出くわさないように、ですわね」
この図書館は広い、あまりにも広大なので入口から深部が確認できないほどであり、立ち並ぶ本棚がどこまでも続く光景は自分たちの位置を確かなものとして認識することができない。
もしかしたらこの図書館に果てはなく、同じ場所を何度もグルグルしているのではないかと錯覚してしまう雰囲気があるのだ、本棚が立ち並ぶ代わり映えのない光景がどこまでも続けばそう思ってしまうのも仕方ないだろう。
何か明確な目印でもあれば位置関係を確かなものにできるのだが、ここにあるのは本棚だけである。
「わかってはいたことですけど、迷子になりそうな程に広い場所ですね」
自分の立ち位置に不安を感じているのかエミリーはキョロキョロと視線を彷徨わせている、何度も背後に振り返って図書館の入口を確認しなければ確かに迷子になってしまうだろう。
本棚が連なり山となるこの場所は、深い樹海と大差がないのかもしれない。
「そう言えば……この図書館の話じゃないけど、無限城で遭難する奴は偶にいるな」
「ですわねぇ、ミイラみたいに干からびた死体とか転がっていたりもしますわね」
それだけこの無限城が広大であるということだ、城という器に一つの世界を構築しているのだから人間だって大自然のピラミッドの中で生きて死ぬことができてしまう。
遭難もまた、自然の流れの中にある死の一つで間違いない。
「なぁなぁ、今更なんだけど始まりの魔女はどうしてこんな城を作ったんだ?」
「……もっと普通で良い」
シャルルとキャロルの疑問には全員が納得することだ、城が欲しいのならばわざわざ浮かせる必要はなく、こうも巨大な空間を内包する必要もないだろう。
地上にそこそこのサイズの城を建てる方がずっと楽であり効果がある、拠点としては勿論のこと交通だって容易いのだから、空に浮かせる意味などないのだ。
子供にだってわかる、この無限城が無駄と不便の塊であると。
「昔から研究されていますが、そこはやはり始まりの魔女にしかわからないんでしょうね。でも、こうして探索をしているとその答えもいつかはわかるのではないでしょうか」
「だけど普通に考えたら空飛ぶ城を作ろうなんて考えないって……エミリーだって魔術師だけど、じゃあ作ろうかなんて思わないだろ?」
「それは、はい……思いませんね」
「だろ? だからなんで作ったのよくわかんないんだよな。建物なんて必要だから建てる訳だし、なんでこんな大きな城を、それも空に浮かせる必要があるんだよ」
「単純な利便性というだけでなく、ここは城なのですから威光や自分の力を見せつける側面もあるかと……う~ん、でも空間を拡張して様々な環境を再現している理由にはなりませんよね」
「色んな動物とか植物なんかも暮らしてるしさ、城って言うよりは……なんかこう」
「ん……一つの世界?」
「そう、それだ! ここだけで何もかも終わってるって言うかさ、外がどうなっても関係ない感じじゃん」
確かにシャルルの言う通りこの城に内包された環境はこの場所だけで完結してしまっている、まさに一つの世界であり、空に浮いていることから外の世界とは明確な一線が引かれているのだ。
城の中に地上と同じ生態系のピラミッドが存在しているので、食らい食らわれて血と肉は土へと帰り、生命の誕生と終わりがバランスよく流れている……外の世界など関係ないとばかりに。
「……まるで箱舟」
「ん? それはどういう意味だよ?」
「ん……前に舞台でやった」
「あぁ、キャロルが言っているのは終末を乗り越える箱舟の話ですね。世界が闇に呑まれて崩壊する時に、生命の絶滅を防ぐ為に大きな船を作るお話ですよ、そこに様々な生物を乗せて崩壊を乗り越える……おとぎ話の一つで舞台でも何度かやったことがあります」
「んん……あ~、なんか新人だった頃にロウ姉が主演でやってたような気がするな」
「歌も聞きますね、絵本なんかもあったかと」
「……この城は、その箱舟みたい」
なるほど、とシャルルとエミリーはキャロルの言いたいことに納得するのだった。
確かにこの城はまさに箱舟だ、自然と生命を保存して次世代に残そうとする装置だと考えれば色々と納得できてしまう。
「じゃあ、始まりの魔女は色んな動物や植物を守ろうとしたのかもな」
「かもしれませんね、この城が作られたのは神代の頃でしょうから、その時代は悪魔との戦争で荒廃していたと聞きます。実際のところは本人に聞いてみないことにはわかりませんが、そうであったなら同じ魔術師として誇りに思うしかありません」
荒廃と絶望の大地から離れて安全な環境を確保する、一つの世界を作るなど星々に手を伸ばして手に入れようとする程の途方もない道のりなのだが、実際に形にしたのだから同じ魔術師ならば平伏するしかないだろう。
最新で最古、全ての魔術師の目標である始まりの魔女はそれを為せるだけの力があるのだ。
実際はどうであるかわからない、しかしエミリーはそうあって欲しいと願うのだった。
「……でも、ドラゴンまでいるのは困る」
「確かにな、それは困る」
そんな話をしながら彼女たちは図書館の深部へと進んでいく、入口と違って静かなものでゴーレムは勿論のことドラゴンらしき影も確認できない。
天井にぶら下がったシャンデリアが発する魔術的な光源しかない薄暗い図書館は奥がハッキリと確認できない、注意深く観察すれば問題ないが全てを見通すことは難しいだろう。
やはり方向感覚がおかしくなる感覚に苛まれながらも歩くこと一時間、ようやく広大で薄暗い図書館の壁が確認できた。
「お、壁が見えて来たな」
バッカニアが指差した先にあるのは確かに図書館の壁だ、そこから振り返ってみると遠く離れた場所に探索者たちの持つ明かりが確認できる。
美しい意匠が映える壁は歪みなく続いているようだ、五人はその壁をなぞるように今度は横へと進んでいく。
そのまま壁沿いに進んで行けばいつかは入口に帰ることができるだろう、本棚の森を横目にしながら壁沿いを歩いていく五人の視界に今度は扉が現れる。
「別の扉もありますわね」
「この図書館も広いからな、入口が一個ってことはないだろうさ」
さて、と呟いてからバッカニアは全員を見渡した、最終的な判断はリーダーである彼女が下すのだが、その前に全員の意思確認を行うことも忘れてはいない。
「この先は間違いなく新区画だろう、そこで聞いておきたいんだが……どうするよ?」
「冒険はしなくとも今日の利益は確保できていますので、引くという選択肢もありますわね」
「ん……でも先も気になる」
「だなぁ、とりあえずエミリーに調べて貰う感じで良いんじゃないか」
「扉の一つ開いたら別世界であっても不思議ではありませんからね、慎重であることを心掛けるべきかと」
エミリーは瞳に魔力を纏わせると透視の魔術を組み上げ、しばらくした後に瞼を開いて扉の向こうを眺めていく、扉一枚が隔てるのはこことは異なる空間であり隣の部屋ではない。
「ジメジメした場所のようですね、鬱蒼とした……森、でしょうか? う~ん、カビやキノコに侵食されているように見えます」
そんな説明を受けて他の四人は頭の中でジメジメしてカビで満たされた森を思い浮かべていく、太陽の光が届かない樹海の深部、そんな場所を想像して嫌な顔を作るのだった。
「ですがそれ以外は特別変わった所はありませんね、見える範囲だけですがゴーレムや獣の姿も発見できません」
「う~ん、危険は少ない感じか、でもあっちの環境が気になるな」
どうしたものかとバッカニアは悩む、扉の向こうにある環境に適応できるか確信が持てないのだろう。
これが溶岩が流れる火山なのであれば扉を開くまでもなく撤退なのだが、動き回る危険は少ないというエミリーの言葉が待ったをかける。
そして悩みに悩んだ末に、バッカニアは腕一本だけを滑り込ませられるほどに扉を開けて、右手をそこへ差し込むのだった。
本を保存する為に乾燥した空気が流れる図書館の環境と異なり、扉の向こうはエミリーの透視結果の通りジメジメした纏わりつくような粘っこさがあった。
「うッ……臭いな、何か腐ったような匂いだ」
そして何より匂いが酷い、腕一本ぶんの隙間から流れ込んでくるあちら側の空気は酷く淀んでいるらしい、それを嗅ぎ取ったバッカニアは眉をひそめながらなんとか向こう側の情報を掴み取る。
彼女は目当ての物を手に入れると臭気から逃れるように扉を閉じた、彼女の手にはあちら側の地面からもぎ取った腐葉土らしきものが握られているようだ。
特別変わった様子のない腐葉土であり、森に入ればどこにでもありそうな葉っぱと湿った土、そしてそこにこびり付くかのように小さなキノコが確認できる。
「……臭い」
嗅覚が特別に鋭いキャロルはバッカニアが握る腐葉土から距離を取る、彼女でさえそうなのだからシャーシャのような獣人であればさらに強い刺激となるのかもしれない。
キャロルを除く他の四人も少しだけ表情を歪めている、その腐葉土はとにかく臭いのだ。
「匂いは別として特に変わった所はありませんわね、腐葉土も引っ付いてるキノコも毒性は無くて地上でも採れるはずです」
リンダはバッカニアの手にある腐葉土に引っ付くキノコをつまみ上げると、そのまま注意深く観察してからそう評する。
「このキノコは地上にもあるものなのですか?」
「ええ、食用にも適した種類ですわね、ありふれたものですわよ」
「へぇ、凄いなリンダは、一目見ただけでわかるのか」
「ふふ、自慢にもなりませんが貧乏時代が長かったものですから、山の幸には随分と助けられましたのよ……まぁ最初の頃は毒キノコと見分けがつかずに死にかけもしましたが」
リンダはどこか遠くを眺めるかのように視線をあげた、少しだけ瞳に光が無くなっているのは昔を思い出したからなのかもしれない。
「お前の悲惨な食生活だった子供時代の話はどうでもいいっての……そんで、リーダーとして聞くが間違いないんだな?」
「勿論ですわ、なんならこの場で食しても良いくらいの確信がありますわよ」
「ん……毒の胞子とかも出さない?」
「ですから毒キノコではありませんわ、美味しいものですから」
「……でも、臭い」
「そこが妙ですわね、別にこのキノコは匂いが悪いなんてことはないのですが……寧ろ香り高くて味も良いので高級品として輸出されるほどの人気がありますのよ」
「キノコそのものよりも、この臭気は空間全体に広がっているのではないでしょうか?」
エミリーの推測に全員が考え込む、森と共に生い茂るキノコやカビとは別に臭気の原因があるのならば、当然ながら発生原因がある筈だ。
環境はそこに住まう者が大きく左右するのは間違いない、人が森を切り開いて畑にするような変化をもたらすように……ならば匂いもまた同様である。
異常、異質な臭気は明らかなサインだろう……何かがいる、或いは何かがあると考えべきだ。
「臭いと言えば牧場の家畜小屋とかだな……牧場があるとか?」
シャルルの冗談めいた言葉をバッカニアは即座に否定した。
「いや、それはないだろ、だいたいそれを誰が管理するのさ」
「……下水道」
「向こうにあるのは森林ですわよ」
「あぁ、でもキャロルの言いたいことはわかるぞ、前に聖都の下水道に入ったけどあそこは臭かった、色々吸い取った真っ黒なスライムとかいたんだ……アイツは酷かったな」
先程のリンダと同様にシャルルの瞳が光を無くす、彼女も思い出したくないことを経験してしまったらしい。
「はぁ~……ここでどれだけ悩んでも答えはでないか、とりあえず中に入るってことで良いんだな?」
「危なくなったら逃げるという前提ならば問題ありませんわ」
三人娘もその方針に異論はないのか頷きを返す、そんなチームの相違を受け取ったバッカニアはリーダーとしての覚悟を決めると再びドアノブに手をかける。
そして扉を開くと、やはり鼻の奥に突き刺さるような臭気が隙間から流れ込んできた。
リームリーダーとして先陣を切ることもそうだが、危険を引き受けることも必要であると彼女は考えているのだろう、僅かに開いた隙間に顔を近づけると意を決して深呼吸を繰り返していく。
吐き気を催すような臭気を吸い取って吐き出してを繰り返すこと数分、体に異常がないことがわかった段階でようやく扉は開かれるのだった。
「臭いだけだな、別に毒の瘴気が充満してる訳じゃないみたいだ」
「うぅ……酷い匂いですわね、生ものが腐ったかのような」
「…………」
キャロルは無言で鼻を抑えている、彼女にしては珍しく鼻をつまんだまま大きく表情を歪めているのでかなり堪えているのだろう。
僅かながらも神格を宿した体というものは、想像よりも不便なものである。
「キャロル、大丈夫ですか?」
そんなキャロルを心配してかエミリーが優しく背中を撫でるのだが、やはり反応を返さない。
「キャロル、口で呼吸するんだ」
姉であるシャルルもそんな妹の様子を心配したのか同じように背中を撫でる、無意識に祝福の力を流し込んでいることに本人も気が付いていないらしい。
二人に背中を押されて青ざめたままのキャロルはなんとか扉の向こうへ歩いていく、足取りが少々ながら覚束ないが前に進めるくらいの気力は残っているようだ。
しかし普段は頼りになる射手の背中が、いつもよりずっと小さく見えてしまう。
そんな彼女を見守りながら、意外な弱点を知ったエミリーとシャルルは苦笑いを浮かべて隣に寄り添うように歩き出す。
そして二人もまた、漂ってくる臭気に鼻を抑えてしまう。
あまり長い間、ここに滞在したくはない……そんな思いを彼女たちは共有したことだろう。