商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
ドラゴンに挑む戦士、その姿は誰もが英雄であると思うだろう、子供の頃に寝物語に聞かされた英雄譚では決まって勇敢な戦士が巨大で邪悪なドラゴンを前にしても恐れることなく戦っていたものだ。
母親から聞かされた英雄譚を胸に眠りに落ちて、その晩には自分がドラゴンに挑む夢をみた者も多いのだろう。
ドラゴンと戦って勝利する、それがとても難しいことなのだと理解する頃にはそんな夢も見ることはなくなり、日銭稼ぎの為に剣を握ることになる。
酒を飲み、女を抱いて、明日も剣を振るう、傭兵の日常などその繰り返しでしかない。
商人や貴族のように安定して稼げる訳でもなく、農家のように慎ましくも穏やかな生活とも縁遠い、そして一歩間違えれば命を失う毎日でありそんな時間に飽きた者や背伸びをしなくなった者はどこか場末の酒場で自分の武勇伝を盛りながら話して腐っていくのだろう。
腕前を買われてどこかの貴族や領主に取り立てられたのならば大出世、騎士団や都市の守衛などに入団しようと考える傭兵も多い、或いは大手のキャラバンに入団することも考えるかもしれない……なんであれ子供の頃に聞かされた英雄なんてどこにも存在しないと知った者は、傭兵業に見切りをつけて安定した職場を求めるものである。
だが実際にそれができる傭兵はほんの一握りしか存在しない、学があり一芸があればまた異なるのだろうが、大半が途中で命を落とす……当然ながら墓もない。
そんな中でも腕っぷしがあればまだ傭兵業で生き残れるのかもしれないが、生物には老いがありいつかはどこかで幸運を掴めなくなってしまう。
先の細い職業、安定には遠く、幸運を持ってしてもどこかで死んでしまう、それが傭兵であった。
しかし中には諦めきれない者もいるようだ、剣を振るって巨大なドラゴンに挑む英雄になりたいと思う者が少なからず存在している。
そして彼らはその英雄譚に加われる機会を前にして飛びついた、このまま腐っていくよりもずっと竜殺しという称号は魅力的に思えたのかもしれない。
目の前には巨大なドラゴン、手には祝福の輝きが宿った神聖な武器、まさに自分は伝説の一ページを作っているのだという思いが体を前に動かしていくのだ。
心臓は興奮と緊張ではち切れそうな程に高まっている、だがそれがとても心地いい。
かつてドラゴンと戦った英雄たちはみんなこの空気を感じていたのかと考える、そして自分もまたその中の一人なのだと思い至った瞬間に、ニヤッと笑みを作ってしまう。
この戦いは伝説になる、自分の名と勇気が寝物語に聞かされることになる、万人が称えることだろう。
そんな夢を持った傭兵たちは、自分たちが握る祝福を宿した武器を構えて吠える。
これが英雄の姿だ、これこそが英雄だ、千年語られる伝説の輝きだ。
細胞がゾクゾクと震える、不思議と恐怖は無く奇妙な高揚感に体を支配されていた……だからこそなのか、目の前の脅威と自分の戦力差を直視できなかったのだろう。
竜殺しに憧れる傭兵たちは、次の瞬間に巨大な尻尾に吹き飛ばされて宙を舞うのだった。
「あッ……四班、全滅しました」
「あぁ、確認した……想像よりもドラゴンの動きが速いようだね」
双眼鏡を覗きながらそう報告したのはエミリーである、弟子の報告を受けてエミーリアは冷静にそんなことを言った、彼女たちの手には双眼鏡が握られており最前線の状況を細かく観察しているようだ。
「だが四班は先行しすぎたようだな、挑発しておびき出すことが作戦だというのに……」
「功績を欲したのだと思います……ですが、死んでしまっては意味がありません」
エミリーの正論にエミーリアも同意するのだった、当初の作戦ではドラゴンを指定した場所までおびき出すことが予定されていたのに、何故か先行した班はその場で戦いを初めてしまった。
功績で後払いの報酬が変動するので焦ることはエミーリアには理解できる、しかしだからといって少人数で腐竜に挑むことは理解の外だ。
傭兵たちの胸にあった憧れというものが、彼女にはわからなかったのだろう。
「最初から躓いてしまうとは不安だね、このまま続かなければいいんだが……」
「師匠、魔術師の言葉には大きな力が宿ります……その、あまり言葉にはしない方が」
「おっと、確かにそうだ、まさかエミリーから注意を受けることになるとは……感慨深いものがある」
そんな会話をしながらも師匠と弟子は双眼鏡を手放さない、拡張された視界は探索者たちの死体を執拗に破壊する腐竜へと向けられており、見逃すことなく後を追っている。
今現在、エミリーとエミーリアがいるのは無限城内部にある異臭が立ち込める腐海であり、周囲を見下ろせる高台の上であった、図書館から侵入して手ごろな場所を拠点とした討伐隊は腐竜を討ち取る為の準備に入っているようだ。
この日の為に作戦を立て、人を集め、武器を集め、ドラゴンという巨大な存在に挑む準備を進めて来た討伐隊である、参加人数は探索者と魔術師を合わせて百五十人を超える数となっており、それぞれが与えられた役割をこなそうと作戦を遂行させている。
討伐隊の結成を決めてからは早かった、必要物資と情報の共有を済ませると、次の日の朝には大量の飛竜が空を駆けていたのだから。
そして無限城に降り立って新区画の図書館を抜け腐海へ、後は事前に決めた作戦通りに動くだけ……一部、作戦を無視して粉砕されてしまったが、もとより無傷での勝利など不可能な話なのでこればかりは受け入れるしかないだろう。
予定位置まで引っ張り出すことはできなかったが、ドラゴンの位置を把握できただけでも良しと思う他ない。
「近くにいるのは三班か……こちらは上手くやってくれると良いんだが」
「バッカニアさんは冷静で慎重な方です、無謀なことはされませんよ」
そんなエミリーの評価の通り、双眼鏡に映る光景はドラゴンを引き付ける三班の姿であった、無謀に切り込むことはせず、ある程度の距離を保ったまま引っ張り出そうと立ち回っている。
注意を引く為なのかバッカニアの手には火を宿した松明が握られている、それをブンブンと振り回していると先行していた探索者たちを執拗にすり潰していたドラゴンが首を傾けるのだった。
腐って黄ばんだ瞳が揺れ動く松明を発見すると、やはりそんな瞳でも視力はあるのか注意を引かれているらしい。
そしてドラゴンはバッカニアのいる方角へと両手を動かして、這いずるように前進するのだった。
匍匐前進であっても人の足よりも速度が出ているのでこのままでは追いつかれてしまうだろう、それを証明するかのようにバッカニアと腐竜の距離は簡単に縮まっていく。
逃げるバッカニアに匍匐前進で迫るドラゴン、以前と同じ光景なのだが今回は準備や覚悟のない遭遇戦ではなく、しっかりと用意した上での戦いなのでバッカニアにもどこか余裕が感じられた。
距離は今も近づいている、しかし焦りはない、そんな彼女を守る為に腐臭を吹き飛ばすかのような鋭い閃光がバッカニアの体を通り過ぎて後方にいる腐竜へと届く。
祝福の波動である、放ったのはバッカニアと並走するシャルルであった。
「今のは祝福の力か、祈願した訳でもないのに放つとは……いや、彼女の体そのものに祝福が宿っているのか。エミリーの友人はまさか聖騎士なのかい?」
「はい、シャルルは聖都での儀式で天剣に認められたようなのです!」
エミリーの鼻息が荒い、興奮するかのような雰囲気がそこにはあった、彼女の認識では恋人自慢でもしている感覚なのかもしれない。
「そしてキャロルも凄いんですよ、あの黄金の弓はなんと神器なんです!」
「なるほど、武器にも体にもどこか奇妙な雰囲気があると思っていたが、彼女は半神であったのか」
正確には異なる、半分には届かずせいぜい十分の一程度の神格でしかない……が、それでも神の力を宿していることは間違いないと言えるだろう。
神獣は神の中にあっても最底辺、だがそれでも神は神なので特別である、その一部を切り落として作られた弓とキャロルとの間には儀式的な、そして魔術的な道が繋がっていた。
だからこそ彼女が放つ矢は、腐竜を穿つには十分な加護が備わっているのだった。
もとより強固な鱗は腐り落ちており強靭な外皮や筋肉もまた同様である、通常の弓であっても腐竜の肉に突き刺さることぐらい可能だろう、そしてキャロルの放つ矢は普通とは言い難い。
黄金の弓から飛び出した矢は一切ぶれることなく真っすぐと突き進む、定規で綺麗な線を描いたかのように淡い光の線がキャロルと腐竜の間に結ばれていく。
肉が穿たれる、単純に突き刺さっただけでなく浄化したかのように腐った肉が焼け焦げていた。
小枝程度の矢から与えられる見た目以上の痛痒に腐竜は大きく躊躇ったのか、踏み外したかのように体幹を崩してしまう。
ゴロゴロと回転するとお腹を見せて仰向けになってしまった、そして異臭に囲まれながら人工の空を黄ばんだ瞳で見上げるのだった。
暫しの沈黙、空を見つめる腐竜が何を考えているかは誰にもわからない、距離を置いておびき寄せようとしている探索者も、高台から双眼鏡で眺める魔術師も、弓を放ったキャロルでさえ計れないらしい。
人間にはドラゴンの気持ちなどわからない……だが、もし、かの腐竜が言葉を発するとするのならば、この一言しかないだろう。
「許さん」……ただそれだけである。
小さな体の弱者に翻弄されている己自身が、分を弁えずに挑んでくる人間が、遊びで済まそうとしていた余裕が、ただただ許せない。
翼も無い、足も片方が失っている、自覚もなければ、確かな意志もあるか定かではない、そもそも腐ったからだでどんな誇りを掲げようというのか、だがそれでも彼はドラゴン……頂点捕食者である、全ての生命を見下ろして戯れに屠れてしまう、生態系の最上位に存在する強者であった。
その自分が、転がされて空を見上げている……耐え難い屈辱でしかない。
腐竜に意識はない、そこにいるのは腐ったドラゴンであり骨に肉と皮がぶら下がってその上に魂の残滓とでも言うべきものがかろうじで残っているに過ぎないのだ、理性もなければ心も失っている、残っているのはボロボロの本能だけなのだろう。
その本能がこう叫ぶ、遊びは終わりだと。
目の前に広がる小さな生き物は己の敵であり、殺すべき存在なのだと、魂の残骸の奥底に埋まっていた頂点捕食者としての誇りを掘り出したのだ。
「----------」
腐竜は仰向けのまま咆哮をあげた、許すまじ、決して許すまじと。
鼓膜を破り、内臓まで響く重低音は腐海にいる全ての者の背筋を震わしたことだろう。
「怒ったか、あの状態では意識など存在しないと思うが……ふむ、死霊術は専門外なのでハッキリとわからないな」
「死の派閥の方は今回の討伐隊に参加されていないのでしょうか?」
腐竜の叫びは高台で待ち構えていた魔術師たちにも届く、誰もが臆したように動きを止める中でエミリーとエミーリアは双眼鏡を手放すことなく腐竜を眺めていた。
「参加していないようだね、後であの派閥から文句を言って来そうだな」
文句を言われたとしても別に問題ない、意図して作戦から弾いた訳ではなく、この討伐隊に死霊術師が参加していないのは単純に近くにいなかっただけである。
エミーリアの認識ではアンデットのドラゴンなど死を研究する派閥からしてみれば垂涎の研究対象、後々素材を寄こせて難癖つけられるだろうと考えていた。
そんな派閥間の駆け引きを弟子に気づかれないようにと彼女は努めて冷静に振る舞っているようだ、ドラゴンの咆哮を受けても体幹は微動だにしていない。
双眼鏡で覗き込む腐竜は叫びながら体をジタバタと動かしてひっくり返ると腐葉土の大地に両手を付ける、そして先程よりも更に素早く匍匐前進を行うのだった。
早い、軍馬の疾走にも匹敵するかもしれない、つまり人の足では逃げきれないということである。
バッカニアを筆頭にドラゴンをおびき寄せる探索者たちは瞬く間に距離を詰められていく、全員が耳栓をつけていたので咆哮で前後不覚になることはなかったが、どれだけ初動が早くても速度の差だけは埋められない。
逃げる探索者たちと追う腐竜、そんな光景がエミーリアたちのいる場所へと近づいているのだ。
「近づいて来たな……エミリー、我々も準備しよう。手順はわかっているね?」
「はい、お任せください!」
前衛で腐竜をおびき寄せて誘導する探索者たちと違って、後方で陣地を構築するのは魔術師たちである、高台を中心に築かれた拠点はいわば魔術的な要塞とも表現できる。
或いは檻だろうか、大勢の魔術師たちによって地面には巨大な魔術陣が彫られておりその中心に腐竜をおびき出す作戦のようだ。
腐っても相手はドラゴン、正面からの殴り合いで勝てる筈がないので搦手を用いて貶める、弱者の工夫と言えるだろう。
大きな魔術陣が描かれた高台に向かって匍匐前進のドラゴンをおびき寄せながら探索者たちは走っている、そこに続く緩やかな斜面に差し掛かった辺りで探索者たちの班が準備を行っている。
「バッカニア!! そのまま走ってこい!」
斜面の中腹にいた探索者がそう叫ぶ、彼らは全力疾走で高台に上って来る仲間を迎え入れると、ドラゴンに向かって幾つもの障害物を蹴り落とすのだった。
斜面を転がっていく物には統一性がない、太い丸太であったり大きな岩であったり様々だ、高所から物を落とす戦術は古今東西よく使われることなのだが、相手の体躯を考えればそれで重傷を負わせることは難しいだろう。
人間ならば斜面を転がってくる岩や樽や丸太にぶつかればそれだけで死んでしまうか良くて重傷なのだが、ドラゴンが相手では致命傷には遠く及ばないようだ。
そんなことは当然ながら彼らにもわかっている、これはおびき寄せようとしていた探索者たちを逃がす時間稼ぎでありほんの僅かな躊躇を生み出す為のものでしかない。
転がり落ちていく様々な者はドラゴンの巨体にぶつかって砕けていく、岩も丸太も樽も腐竜に致命傷を与えることはできないようだ。
しかしそれでよかった、ドラゴンはぶつかって来る障害物を煩わしいと思ったのか匍匐前進を止めて大地を掘っていた両手で迎撃を行ったからだ、おかげで追いつかれることなくバッカニアを始めとした探索者たちは高台へと逃げ切ることができる。
「よしよし、いい感じに浄化できてるな」
彼らは蹴り落とした物の中にある幾つかの樽が腐竜にぶつかって砕け、中にある液体が相手の体に飛び散ったことを確認していた。
すると液体が付着した部分から白い蒸気が噴き出して腐竜の体を浄化していくことが確認できる、腐った肉体が清浄な力に焼かれているようだ。
「アンデットだから聖水がよく刺さるな」
「確かにな、祝福の武器もあるし思っていたよりも楽できそうじゃねえか」
どうやら樽の中身は聖水であったようだ、おそらく神殿から提供されたものだろう。
アンデットや混沌に属する勢力には聖なる力が致命的な弱点である、普通のドラゴン相手ならばただの水でしかなくてもアンデットのドラゴンならば覆しようのない相性の悪さになってしまった、彼らが楽だと考えるのも仕方がないのかもしれない。
巨体で、空を飛び、炎を吐き出し、あらゆる外敵を跳ねのける鱗、そんな力を持つ相手であれば苦戦は間違いないのだが、この腐竜は頂点捕食者が持つ特性の殆どをアンデット故に捨ててしまっている。
大きな翼は腐り落ちて骨しかない、強固な鱗や外皮も腐り落ちて酷く脆い、炎を吐き出せるのかも定かではない、本来のドラゴンはその巨体に似合わない猫のような俊敏性を持ち合わせているのだが、それも捨ててしまっているようだ。
そして探索者側には手ごたえを感じられるだけの武器がある、このドラゴンがアンデットであることを彼らは感謝したことだろう。
「こちらの準備は整っている、高台に奴を誘導するぞ!!」
エミーリアの指示に探索者たちは樽を蹴り落とすのをやめて高台へと避難する、地面に刻まれた魔術陣を囲うようにそれぞれが待機しており今か今かとその時を待ちわびているようだ。
陣形は整っている、罠も問題ない、今更覚悟を問うような真似もしない、そして全員の視線がドラゴンが駆け込んでくるであろう斜面へと向けられる。
「……んッ!!」
キャロルは木々の陰に隠れながら弓を構え。
「よし、来い来いドラゴン!」
シャルルは聖剣を握って体中に祝福の力を宿している、緊張と興奮で少しだけ妙なやる気を出しているようだ。
「……」
エミリーは無言である、静かに祈りを捧げながら火花と灰をまき散らしていた。
バッカニアもリンダもその他の探索者たちも武器を握りながらその時を待つ、やがて腐葉土の大地が小刻みに揺れ動き振動の発生源が全員の前に顔を出す。
緩やかな斜面を匍匐前進で登り切ったドラゴンの頭を始まりに、大きな腐肉の塊が高台へと辿り着いたのだ。
どこかで頂点捕食者に相応しい威風堂々を捨ててしまったかのようなその姿は、見るものに憐みすら感じさせてしまうだろう。
だがドラゴンだ、どれだけ腐ってもドラゴンなのだ、背筋を震わせる迫力だけは捨てていない。
腐竜の黄ばんだ瞳が高台で待ち受けていた人間たちを睥睨する、どれもこれも小さく脆そうな印象を与えて来るが、その矮小な存在に転がされ弄ばれている事実がある、ならばこれは狩りではなく戦いと評するべきだろう。
遊びはない、躊躇もない、弄ぶこともなければ油断することもない、余裕綽々で叩き潰すこともしない、全身全霊を持って敵を打ち砕くだけである。
そんな意思が腐竜に残っていたのかどうかはわからない、しかし振り上げた腕には間違いなくそれだけの思いがこもっていたの間違いないだろう。
砕けて半ばで折れてしまった爪が腐葉土の大地へと振り下ろされる、その先にいる探索者を押しつぶすように振るわれたそれは……腐竜の意思に反して相手に届くことはなかった。
「押しつぶせ」
静かでありながら魂の奥底まで突き刺さるような声色でエミーリアがそう呟くと、真に強い魔術師の言葉は世界を改変するかのように周囲の環境を書き換えていく。
腐竜が感じ取ったのは重さである、ただでさえ腐って動きにくい体であるというのに、更に鉛を引きずるかのような重さに加えて押しつぶすかのような圧迫感が周囲に広がったのだ。
それと同時に空間全体が大きく揺れる、まるで無限城全体が揺れているかのようだ。
足元の魔術陣を中心にその上に腹を擦り付けるドラゴンは不可視の圧力によって頭を垂れる、その巨体は縫い付けられたかのように腐葉土の大地に張り付いており、一歩たりとも動くことはできないらしい。
「……凄い魔術ですね」
火花をまき散らしながらエミリーが驚く、ドラゴンを拘束した巨大な魔術に驚愕しているようだ。
「これは星の力を利用する魔術でね、以前に帝国の魔術学会で発表された論文に私なりのアレンジを加えたものなんだ」
「星の力……確か、万物を引っ張る力ですよね?」
「その通り、我々を包む普遍の力の流れを少しだけズラしているんだ、ドラゴンに集中するようにね」
不可視の力に圧し掛かれて身動きのとれないドラゴンに探索者と魔術師たちが徐々に距離を詰めていく、魔術陣の内側に踏み込めば腐竜と同じように一部分に傾いた星の力に捕まってしまうので陣の外側ギリギリで待機する。
彼らの手には一様に弓が握られており、そこに重ねる矢は全てが祝福の光を宿しているようだ。
「そのまま狙っても当たりませんわ、上から降らすようにとのことでしたわね」
リンダは弦を引っ張りながら鏃を上空へと向けるのだった、それに続くように腐竜を取り囲む探索者たちも矢を前方ではなく空へと伸ばす。
「総員、放て!」
祝福の矢が上空へと放たれる、真っすぐ腐竜を目指すのではなく大きく山なりになるように飛ばされた祝福の光は頂点まで辿り着くと、そこからは星の力……重力に引っ張られて落ちていく。
まるで光の雨みたいだ、同じように矢を放ったキャロルはそんなことを思う。
美しい光景だがそれを受ける腐竜からしてみればたまったものではない、祝福の力は致命的に相性が悪いので身動きの取れない状況では受けたくはなかっただろう。
光の雨が腐竜に突き刺さる度に肉が焼け落ちていく、やがてそれは骨まで達してアンデットの力を打ち砕くことは間違いない。
勝った、幾人かの脳裏にそんな思いがよぎる、油断するつもりは毛頭ないがこの状況ではそう思ってしまうのも仕方がなかった。
数を揃え、状況を作り、武器を揃え、呼吸を揃え、罠にはめて、一方的な展開を作る、戦いの基本であり全てであるそれらが上手く噛み合えばどれだけ巨大な相手であっても打ち勝てる、逆にそれだけ揃えて勝てないのならばそれは神の意思でしかない。
人知を尽くして勝利をもぎ取るのだ、それならば必ず勝つことができる……そんな希望を打ち砕くかのように頂点捕食者は体を蠢かせるのだった。
勝利と言う希望に手が届きかけた探索者たちの指先は空を切る、光の雨に晒されて重力に縛り付けられていた腐竜の体がミシミシと音を立てながらも確かに起き上がってしまったからだ。
ドラゴンとしての誇りか、頂点捕食者としての意地なのか、或いはその両方なのかもしれない、どうであれ腐竜は重力の檻を力づくで粉砕してしまう。
「術式を強引に引きちぎるとは……やはり腐ってもドラゴンか」
これに驚いたのはエミーリアである、彼女は勿論のこと知恵を出し合い陣を作った魔術師たちも目を疑ったことだろう。
壊すことのできない檻を壊したのだ、エミーリアの言葉の通りさすがは腐ってもドラゴンだと感心している者すらいる、そんな魔術師たちの驚愕を吹き飛ばすかのように腐竜が自由になった体を大きく振り回す。
ゴウッ、と音を立てながら巨大な暴風と共に腐りながらも大きな尻尾をドラゴンは横薙ぎにした、その射程圏内にいた探索者の束が軽く吹き飛んでいく。
十人程の前衛がそれで消え去った、全身を強打して高台から転げ落ちていくのでもう助からないだろう。
「これより作戦を第二段階へ移行させる! 総員、全力を尽くせ!!」
可能ならばこの状況には持ち込まれたくなかったというのが、指揮を預かったエミーリアの本音である。
重力の檻に閉じ込めて外から一方的に攻撃するという理想から外れることになるからだ、それならばこちらの被害は最小限で勝利をもぎ取れる計算を彼女は組み立てていた。
それが崩れてしまったのならばここから先は消耗戦になってしまう、血を流し手足をもぎながらどちらかが力尽きるまで戦いが続くことになるのだ。
望まない展開である、だが腐竜は檻から飛び出してしまったのだ、そうせざるをえない。
「いつも通りだ! 探索者は前に、魔術師は後ろから援護しろ!!」
「聞こえたなお前ら!! 戦士の誇りを見せてみろ!」
祝福の矢を放つ探索者たちは腐竜の尻尾が届かない位置まで飛びのくと改めて弦を引き絞る、祝福の武器を握って切り込む勇敢な者はいないらしい。
いや、ドラゴン相手に白兵戦など勇敢を通り越して愚かでしかない、冷静さを失った者から死んでいく探索者たちはその辺りのことをよく弁えているのだろう。
ただ残念ながら、或いは称賛すべきなのか……なんであれそんな探索者たちの常識を無視するかのように腐竜の下に駆け寄っていく戦士の姿があった。
「うりゃああああああ!!」
全身に淡い光を宿した聖騎士、シャルルだけが剣を握って腐竜へと肉薄していく、蛮勇であると誰もが思っており、次の瞬間には彼女の体が吹き飛ばされることは容易に想像できてしまう。
そんな常識を、そんな想像を、シャルルはまたも覆すことになる、勢いよく振り抜かれた尻尾を飛び上がって回避すると彼女は腐竜の背中に足をかけて聖剣を突き刺す。
そのまま剣を突き刺したまま、シャルルは背中から頭まで走り抜けていくのだった。
腐肉を切り裂いて大量の血が傷口から噴き出していく、それでも止まることなく背中を駆けていく聖騎士は頭まで辿り着くと剣を引き抜いて大きく振りかぶる。
シャルルの位置はドラゴンの後頭部、そのまま背後から首を切り落とすつもりなのだろう、絡みついた腐肉と淀んだ血を吹き飛ばすかのように祝福を宿した聖剣は光り輝く。
ドラゴンに聖剣を突き立てる英雄譚の一幕を切り取ったかのような光景に誰もが呼吸を忘れたことだろう、この瞬間にシャルルは本の中にしかいない英雄になっていたのかもしれない。
だが相手もまた怪物である、それも頂点捕食者だ、うなじで聖剣を振り抜こうとするシャルルをそのままにしておく筈がなく、かちあげるかのように顎を上げると後頭部で聖騎士を吹き飛ばすのだった。
「シャルル!?」
腐葉土の大地に落ちたシャルルへとバッカニアとリンダが駆け寄っていく、最悪の状況を想定した二人だが予想に反して彼女は何でもないように立ち上がって見せる。
「くっそぉ~……あとちょっとだったんだけどな」
鼻血を流しているくらいで目立った外傷もない、それどころか悔しがってみせる余裕すらあった。
「バカお前バカ!! 本当にバカだな!」
「そうですわよ! 相手はドラゴンなんですからもっと慎重に立ち回るべきですわ!!」
「えぇ……でもいい所までいけたじゃんか」
「普通は剣一本でそんな無茶する奴はいないっての……見ろ、他の連中も離れて矢を撃ってるだろうが」
「……死んだらそれでお終いなんですわよ?」
「まぁ、そりゃわかってるけど」
祝福の光を宿した瞳が戦場に向けられる、そこでは探索者たちが腐竜に向かって矢を放っている状況が広がっていた、そしてドラゴンの攻撃にまた何名かの戦士が吹き飛んでいく。
「安全に、怪我も犠牲もなく勝てる相手じゃなさそうだしさ……」
聖剣を握りなおして、シャルルは再び戦場へと歩き出す。
「大丈夫だよ、無茶はしない、さっきのだってイケると思ったからやったんだぞ? あのドラゴンはなんていうか……あ~……あれだよ」
そこで彼女は言葉につまる、上手く表現できなかったのか暫く悩んだ末に、こんなことを言うのだった。
「……魔王とか塩の海賊とか武神よりは可愛いじゃん」