商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
熱線が腐海の戦場を駆け抜ける、異臭も腐葉土も全てを焼き払うかのような熱波がエミリーの指先より放たれてドラゴンへと向かった。
野生の本能なのか、腐竜はその熱線を転がるように回避する、しかし完全には避け切ることが叶わず首にはむしり取られたかのような跡が残ってしまう。
黄ばんだ瞳が睥睨するのは探索者たちの後方、魔力を高まらせて援護する魔術師たちである。
彼女たちが行使する魔術は様々な種類がある、エミリーのように直接的な攻撃もあれば前衛の探索者たちを支援する魔術など、それぞれの役割に分担されて途切れることなく流れており、まさに戦場の要となっていた。
放置するにはあまりにも厄介だ、吹き飛ばした探索者も息があれば回収されて治療も施されている、魔術師たちは火力の中心であり生命線でもあるのだろう。
先に片づけるべきは後方、そう腐竜は考えたのか両手で地面を漕ぎながら前衛の作る壁を吹き飛ばしていく。
四方八方から放たれる祝福の矢が突き刺さる度に、自らを構築する力の塊がすり減らされていく感覚があるがそれはまだ受け入れられる余裕がある、それよりも厄介なのは先程の熱線である、直撃すれば鱗のない腐った体ではまず耐えられない。
竜の鱗は固い、下手な金属鎧よりもずっと強固であるのは間違いない、物理的な干渉は簡単に跳ね除けることは勿論のこと、魔術的な干渉に対しても大きな効果があるのだ。
零れ落ちた竜の鱗が魔術から身を守る装飾品として重宝されることもある、もし全身を竜の鱗で固められたのならば魔術殺しとさえ言えるような効果を発揮するだろう。
単純な固さだけではないのだ、宝石のように存在そのものが魔術的な物質でもある、もし仮にエミリーの熱線を竜の鱗で受け止めたのならば、僅かな焦げ目が残るだけで簡単に逸らされてしまう筈である。
しかしこの腐竜にはその守りがなかった、腐肉ではあまりにも脆弱な守りでしかない。
だからこそ最優先で後方の魔術師たちを殺さなければならない、祝福の矢を無数に浴びてハリネズミのような状態であったとしても優先すべきは魔術師たちである。
足元にまで迫った探索者を蹴散らしてその向こうにいる魔術師たちに手を伸ばそうとするが、それは雷鳴によって妨げられてしまう。
おそらく魔術師の一人が放ったものだろう、ドラゴンの咆哮にも負けない破裂音のようなものが周囲に響き渡り、腐竜の体を雷が駆け巡っていく。
痛みはそれほど鋭くない、人間ならば致命傷であったとしてもドラゴンの体には痛痒とは言えないだろう、しかし全身の筋肉がこわばるかのような痺れがあった。
そして僅かに動きの止まった腐竜に向けて雨のように矢が殺到する、痛みだけならば雷よりも祝福の矢の方が深刻なのかもしれない、ドラゴンは痛みに体を捩りながらなんとか一歩進もうと手を伸ばすのだが、それも阻止されてしまう。
熱線とは違う、雨にように放たれる矢でもない、その一撃は真っすぐに竜の瞳を穿つ。
黄ばんだ右目が最後に見たものは、黄金の弓を構えるキャロルの姿であった。
「……弓神よ」
キャロルが丸裸になった木々の上で静かにそう呟くと、黄金の弓は輝きを宿して光は鏃へと集っていく、そして彼女は弓と矢を構えながらそれを天高く掲げた、この一撃を捧げ献上するかのように。
神に祈りと祝詞を捧げる度にその身に宿った加護は強くなっていく、やがてそれが最高潮にまで至ると彼女はようやく矢を腐竜へと向けるのだった。
「この一撃を奏上します……悉くを撃墜する力を与えたまえ」
祈りを終えたキャロルは瞼をゆっくりと開く、すると彼女の瞳が認識する世界は時間の流れが止まっていた。
以前、塩の海賊の心臓である契約書を穿った時と同じ感覚である、ならばこの一撃は必中であり竜にも届くだろう。
放たれた矢は寸分たがわず黄ばんだ瞳を穿つ、視界の半分を潰された腐竜はまたも体を腐葉土へと転がすのだった。
怒りと痛みが交じり合った咆哮に合わせて、報酬に腐竜の瞳を要求していた魔術師が同じような悲鳴を出している。
だがそんな嘆きを気にしているような状況でもないので探索者たちは好機とばかりに矢を降らす、魔術師たちも炎や雷を絶えず浴びせていく。
祝福の力が不浄の力をすり減らし、炎は腐肉を焼いていく、雷は行動の自由を奪い、魔力の弾丸が四肢を穿つ。
腐竜はこう思ったことだろう、翼があれば、足があれば、鱗があれば、と……頂点捕食者とし万全でありさえすればと。
エミリーが放つ熱線も、キャロルの矢も、シャルルの祝福も、魔術師や探索者のこざかしい攻撃も、全てを跳ね除けられるのにと考えたのかもしれない。
それら全てが、過去の物でしかないことを腐竜はただ嘆くのだった。
「----------」
ここで終われない、終われるはずがない、強者として生まれ落ちて生きて来たのだ、例え腐り落ちようとも残骸の奥底に残った誇りだけは今も残っている。
この首を、この体を、軽々とくれてやるものか……そんな一心で腐竜は両手で地面を深くえぐった。
最後の悪あがきであり強者としての意地と誇りが、このまま勝利をくれてやることを許さなかった、両手を起点に腐竜は前に出る、全てを吹き飛ばすかのような勢いで。
探索者の壁が腐竜の押しつぶされて消えていく、それでも両手は前に前にと繰り出されておりその方向の先にいるのはエミーリアであった。
腐竜は彼女が敵対者の長であると認識したのだろう、滅びるのならば諸共と言わんばかりに距離を詰めていく。
「流石は頂点捕食者、その戦意には敬意を表そう……だが私の命はくれてやる訳にはいかない」
こんな面白い研究対象が目の前にいるのに死ねるはずがない、腐竜の決意に反してエミーリアの心情はそんなものである、だからこそドラゴンの決死の行動に付き合うことはない。
「近づかないでください!!」
エミーリアの傍らにいたエミリーが師匠を守るように熱線を放つ、それは突進してくる腐竜の頭の半分を消し飛ばしてしまう。
それでも匍匐前進は止まらない、脳を吹き飛ばされてもなお意地で進み続けるのだ。
まだ動くとは興味深い、そんなことを思いながらエミーリアは弟子と同じように火花と灰をまき散らす。
彼女もまた準備していた魔術を行使して指先に膨大な熱を集わせると、祈りと共にそれを放つ。
穿つのではなく横薙ぎにするように熱線は駆け抜けていく、すると腐竜の両手が一瞬で焼き切られて宙を舞うのだった。
足は無い、両手も失ってしまった、翼など遥か昔に腐り落ちている……胴体だけのドラゴンでは何もできないだろう。
そんな認識を、そんな確信を、腐竜は吹き飛ばす、胴体だけであろうともまだ首は残っているのだから戦わない理由にはならない。
首が蠢き伸びて牙が光る、狙いはエミーリアでありその隣にいるエミリーも巻き込むつもりだろう。
「させるかよぉ!!」
だがまたしても腐竜の行動は阻まれてしまう、探索者たちの持つ無数の祝福の武器によって。
剣、槍、メイス、斧、形も用途も様々なそれらが残り火のような力の残滓に向かって振り下ろされていく。
バッカニアにリンダにシャルルも腐竜の体に祝福の力を突き刺しているようだ、ドラゴンを取り囲む探索者たちによって腐竜に残った命の残滓が消えていくのだった。
武器を振り下ろす、そして腐肉を砕く、そんなことを探索者たちは何度繰り返しただろうか、いつしか呼吸は荒くなって肩を大きく揺らしながら誰もが汗まみれになってしまっている。
「や、やったか?」
そんな探索者の一人が言った問いかけに答える者はいない、誰もが疲労困憊の状態でその場に尻もちをついており、答える気力も残っていないようだ。
腐竜もまた答えることはなかった、ピクリとも動くことなく沈黙しており完全に勝利を探索者たちへ明け渡してしまったらしい。
身体は酷い状況である、両手は熱線で焼き切られて失ってしまい、数えるのも馬鹿らしくなるような数の矢が突き刺さっていた。
さながらハリネズミのような状態であり、千本を超える祝福の矢が腐肉に突き立てられている。
ここまでやらなければ倒すことが出来ない相手に探索者たちは大きな敬意を抱く、そして彼らの胸には強敵を乗り越えることができた確かな充実感が広がっていくのだった。
これから彼らは堂々とこんな自慢ができるのだ……「俺たちはドラゴンを倒したんだ」と。
この世界に同じことを口にできる者が一体どれだけ存在するだろうか、この戦いは歌になって語り継がれることになるのは間違いない。
「……なんとか勝てたな」
緊張と戦いで汗だくになったバッカニアが大の字で転がってそう言った、小さな呟きであったが隣で同じように倒れ込んでいたリンダはしっかりと返事を返す。
「前衛は……まぁ、それなりに減ってしまいましたわね」
「相手が悪かったな、炎の騎士の時もそうだったけど……やっぱり前衛の負担が大きい」
「そう考えると……私たちは幸運ですわ」
確かに、とバッカニアも思う、前回も今回も生き残ったのだから幸運という他ない。
「今回の報酬はどういたしますの?」
「色々と考えはあるけど、やっぱりそろそろ大きめの車両と軍馬でも揃えたいかな……この街を中心に貿易でもできればさ」
「それもいいですわねぇ、貿易キャラバンを設立できればまた稼ぎが増えますもの」
「店も大きくしたいし……はぁ、今回の儲けもあっという間に消えそうだなぁ」
「左団扇で暮らすにはまだまだ稼がなければなりませんわよ」
それは未来の展望でしかない、しかし思い描く未来には今回の仕事で大きく近づいたと確信できる。
「まぁ楽に暮らすのは後でも構わないさ、あの三人の話を聞いてたらキャラバンも楽しそうだからさ」
「ふふ、影響を受けましたの? でも、旅に生きるのも悪くないですわね」
二人は体を起こして倒れ伏した腐竜を眺める、その大きさに改めて驚きながらよく勝てたものだと思う。
「お~い! 二人とも怪我はないか?」
鼻血を流しているシャルルがドラゴンの向こう側からそう言った、その隣にはキャロルとエミリーの姿も確認できる。
「一緒に戦ってくれたアイツらには感謝だな」
「ですわね」
バッカニアとリンダはようやく緊張が解けたのか笑いあう、そして頼りになる三人に合流しようと立ち上がるのだった。
薄暗い空間で何かが蠢く、そこに光源は全くと言っていいほどに存在せず、夜目がきかなければまともに歩くこともできないだろう。
そして静かな場所でもあった、風のざわめきもなければ生活音すら感じられないので極めて無機質で冷淡な印象を与えてしまうのだ。
静謐で冷たい暗闇なのでそこに暫く滞在すれば方向感覚が狂ってしまう可能性が高い、もし重力すら曖昧であったとしたら上下の感覚すら失ってしまうだろう。
広く深い暗闇だ、音も熱も見当たらない。
そんな中で彼女は瞼を開く、どこまでも広がる暗闇には何も存在しないかと思われたが、一対の虹を封じ込めたかのような輝きだけが空間に生まれて、それが唯一の差異となって闇を漂った。
パチパチと瞬きする度に虹色の瞳が消えては現れる、そして身じろぎするかのような音が周囲に広がると、そこでようやく思い出したかのように呼吸音も聞こえてくる。
「……」
ふうぅ、と深呼吸する音がよく目立つ、まるで体の機能を確かめるかのように慎重な呼吸のように感じられてしまった。
変わることなく広がる暗闇に生まれたは差異は、準備運動でもするかのように一通り体を動かしていく。
首から肩に、腰から足に、そうやって身じろぎさせていき最後に両手両足の指先を確かめた所で再び静かになってしまう。
暗闇に浮かんでいた虹色の瞳はここではないどこかを眺めているようだ、そんな状態が数分過ぎると彼女はこんな愚痴を零す。
「……環境変化が著しい」
たかだか二百年ほどの眠りで無限城は大きく変化してしまっていた、そんな脆弱な世界ではなく食物連鎖のピラミッドもしっかり計算されていたというのに、目覚めてから確認した結果は大きなズレがある。
まず内包している生命体の数に大きな変化があった、小さな虫から大きな獣まで多種多様な生物が暮らしているがそれらの数が極端に変動することはまず無い。
理由としては自然死と食物連鎖による生き死にがしっかりと計算されている為であり、もし大きく変化するのならばそれは外的な要因以外ありえないのだ。
外部からの干渉によって無限城の環境が変化している、この場合の外敵とは探索者のことだろう。
暗闇に浮かぶ虹色の瞳がまた遠くを眺めるかのように細められる、彼女がどこを見ているのか誰にもわからないが、その瞳には無限城を探索する誰かが映っているのかもしれない。
「なるほど、飛竜で無限城に……下には街が……うん?」
彼女のあずかり知らぬ所で勝手にできていた城下街の端を眺めていると、虹色の瞳が一部に釘付けとなってしまった。
幾つもの車両が連なった光景は巨大な蛇を思わせる、おそらくどこかのキャラバンであろうと推測できる車両の群れが街の端っこを拠点にしていたのだ。
貿易団など今も昔も珍しくなどなかった、実際に彼女の視界の殆どを占拠するのはキャラバンではなくそこにいる人物の一人なのだから。
尖った耳がよく目立つ妖艶な女が椅子に座ってリュートを奏でている、数えきれないほどの大昔に世話をした弟子の一人で間違いない……だがそんなことはどうでも良かった、再会を懐かしむような余裕はなく、彼女の虹色の瞳はその隣にいる少女へと向けられているようだ。
ローレライから楽器の手ほどきでも受けているのか、同じようにリュートを苦戦しながら奏でている少女から瞳を逸らせない。
「……ラシュリー……あぁ、そう……もう、そんな時代になってしまったのか」
彼女の記憶よりも少し幼い容姿をしているが、そこにいたのは間違いなくかつての友であった。
今回の目覚めは大きく変化した無限城の再調整だけでは済まないのかもしれない、何故なら偶然に勇者が生まれることなどあり得ないのだから。
長い眠りと思考によって凝り固まった体は立ち上がることに悲鳴を上げているようだが、張り巡らした魔力で強制的に活性化させていく。
勇者がそこにある、ならば今は激動の時代なのだろう、彼女はそんなことを思った。
「……大きな戦いが、近づいている」
かつて悪魔の軍勢と戦った時と同じように、天地をひっくり返したかのような大戦が再び始まるのかもしれない、そう考えれば二度寝などできるはずがない。
暗闇で立ち上がって彼女は歩き出す、虹色の瞳は今も世界を眺めているようだ。
世界を次に繋げる為に、為すべきことを為す。
今も昔も、彼女のやるべきことは変わらない。