商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
「……」
無限城の中をゆっくりと歩く人物が一人いる、この地の主であり創造主でもある彼女は一般的に始まりの魔女と呼ばれる存在であった。
自称した訳ではなく他者からの評価であり、彼女自身は後世の人々にそんな呼ばれ方をしているとは知らないはずであり、そもそも興味もないのだろう。
彼女に名前はない、いや、正確にはあるはずなのだが遠い昔に封印してしまったので自身の記憶にすら残っていない。
魔術師に限らず知性ある全ての者にとって名前は重要な要素である、魂の言語化でありその者の本質を現すものなのだ、名前を知ることは相手を知ることでありそこから派生する魔術も多い。
だからなのか高位の魔術師ともなれば簡単に名前を明かすことは少なくなる、仮に出したとしても偽名の場合が多いのだ。
或いは綴りや発音を少しだけ変化させるのか……何であれ、本質や根源を悟らせないように工夫するものである。
彼女の場合は工夫ではなく封印を行い、脳から引っこ抜いてどこかに置いていってしまったのだろう、弟子や友人にはその都度適当な名前をでっちあげており、一つとして重なることもなかった。
いつか必要になれば封印した名前を拾い直せばいい、そんないい加減な考え方で彼女は名前を捨てたのだった。
そんな名無しの彼女が目指すのは無限城の中心地である、長い思考の眠りについていた暗い寝室から移動した彼女は、大きく変化した無限城の環境を正す為に動き始めたらしい。
大きな扉を開く、すると虹色の瞳に映ったのは巨大な空間とそこに並べられた鎧騎士たちであった。
広く深く高い巨大な空間に並んでいるのは全てゴーレムだ、数は百や千では足りなく万を超える規模であり、まさに軍勢とも呼ぶべき数である。
それら全てが一つの乱れもなく並ぶ姿は圧巻と評して恐れるしかないだろう、疲れることも空腹になることも恐れることもない、ここにいるのは究極の軍隊なのだから。
そんな鋼鉄の軍団に向かって始まりの魔女は一歩近づく、すると主の登場を察知したのかゴーレムたちは一斉に稼働を開始していく。
剣を額に当てて掲げる姿は王の帰還を歓迎しているかのようだ、そしてそれは間違いではなく事実としてこのゴーレムたちの王は始まりの魔女である。
「……起動確認、問題なし」
一糸乱れぬ鎧騎士たちに満足したのか、彼女は「うむ」と満足げに頷いて王命を下す。
「第一修復工程を開始、平行して情報収集を開始……後は、うん……なんか珍しい生物でもいれば、保護を優先すること」
数百年かそこらで新しい生命が誕生して種として確立することなどまず無いのだが、突然変異などの可能性も否定できないので指示を出しておく。
思考の眠りに落ちている間に大きく変化した無限城の生態系を戻すことも必要である、減った数を補充するのだ、それをゴーレムたちに命じるのだった。
その過程で様々な情報も集まる、生命の誕生や種の確立は数百年では難しいが国が滅びて地図が塗り替わるには十分な時間である、外の世界の変化を感じ取ることも必要だろう。
後はこの時代に生きる強者の情報だろうか、勇者が誕生しているのだから引きずられるように英雄豪傑も生まれている筈だ、運命神の思惑が存在しないなどあり得ないのだから。
そう考えれば自分がこの時代に目覚めたのも偶然ではないのだろうと彼女は思う、無理矢理に叩き起こされたようなものである。
「……ふぅ」
始まりの魔女は虹色の瞳で虚空を眺める、何を見ているのかは誰にもわからないが、その表情は目覚めたばかりだというのにどこか疲れたような雰囲気があった。
「いつまでも思考の海で眠っていられたなら……どれほど幸福なことか」
彼女は命令に従って移動していくゴーレムたちを眺めながらそんなことを呟く。
そして思い浮かべるのは友人である勇者との思い出である、新しい肉体を得て生まれ変わった彼女は最早同一人物とは言えないのだが、同一存在であることは間違いない……久しぶりに彼女を見た為なのか頭の中を占めるのは難しい数式や研究ではなく、友人の顔と声である。
この世でただ一人、自分の手を取って共に歩いてくれた人物。
この世でただ一人、対等でいてくれた存在。
この世でただ一人、友人でいてくれた同胞。
「……約束、だものね」
勇者が偶然生まれることなどあり得ない、あり得ないのだ。
必ず激動の時代が来る、ならば約束を果たさなければならないだろう。
虹色の瞳は、今も世界を眺めている。
その日を境に、世界中で鎧騎士が出没して様々な行動をするのだが、その原因を知る者はいないのだった。
穏やかな春の風が流れている、強くもなく不規則でもないのでこういった日は絶好の探索日和なのだろう、命を預ける飛竜をわざわざ不安定な天候の日に飛ばすこともできないので、日によって左右されることになるのだ。
本日の天気は晴天、風も緩やかであり、飛竜に乗るにはもってこいである、大仕事を終えて莫大な報酬を得た五人だが、それはそれとして本日も飛竜にぶら下がって無限城へと向かっていた。
大きな収入はあったがそれでも探索に挑むあたり探索者らしいというべきなのか、バッカニアたち五人は特に不満もなく空を飛んでいる。
しかし無限城の探索に向かうのは彼女たちだけではない、同じように飛竜にぶら下がっている者はそれなりにいる、考えることは皆同じということだろう。
魔術師たちは解体して持って帰った竜の素材を使って様々な研究と調査を行っているのでさすがにいないが、傭兵たちの多くが無限城を目指しているようだ。
腐竜がいなくなったことで探索も気楽に行えることもそうだが、まだ見ぬ深部もあるので探索業は本日も盛況である……特に腐竜討伐を勝ち目無しと判断して参加しなかった傭兵たちは勢いがある、大きな報酬を逃してしまった悔しさからかやる気に満ち溢れているようだ。
「やっぱりキャラバン生活も楽じゃないんだな」
そんな探索者たちに交じってバッカニアがそう言った、飛竜にぶら下がりながら無限城へ向かう途中のことである。
「だなぁ、団長とかいつも金勘定でうんうん唸ってるし、夜盗とか獣とか結構な頻度で襲ってくるから油断できないぞ」
シャルルはバッカニアにそんな言葉を返す、彼女も初日と違って飛竜による輸送に早くも慣れてしまったのか特に恐れた様子もなくぶら下がっているようだ、気軽に会話をする余裕すらあった。
「旅に生きるのも楽じゃないってことかね」
「ん……後は、遭難とかする」
キャロルもまた飛竜にぶら下がりながら会話に参加している、彼女も空を飛ぶ恐れはないようだ。
「そうそう、キャラバンごと冬に閉じ込められたりな……あの時は死ぬかと思ったもんだ」
「楽な仕事など存在しないということですわね」
「でも車両を並べて輸送団でも作れば、荷物を右から左に転がすだけでそれなりの儲けになるわけだし、やっぱりキャラバンは稼ぐ手段として悪くなさそうだ……まぁ、三人の話を聞く限りは維持管理も大変そうだけど」
「下っ端のワタシらでも、団長たちが大変だってことは伝わるくらいに苦労があるな」
「ん……楽じゃない」
この街を中心に輸送団を作ろうと考えているバッカニアとリンダにとってキャラバンで過ごしている三人の意見は貴重なものである、エミリーは相変わらず飛竜にぶら下がることに慣れていないのか、青い顔のまま虚ろな瞳をしているので会話には参加していないが、キャロルとシャロルの姉妹は流暢に自分たちの生活を教えてくれているようだ。
旅に生きる楽しさも苦しさも経験しているのだ、その経験こそ二人が知りたいことなのだろう。
「後は挨拶回りとか賄賂とか色々やってるけど、顔見知りが多ければ多いほど楽だって団長は言ってたかな」
「そりゃ商人とっては必須だろうさ」
「う~ん、でもその辺りは難しいですわね、私たちは探索業と店の経営くらいで他所の商人たちと友誼を交わしていませんもの」
「まぁその辺は時間をかけて培っていくしかないだろうさ……ん、なんだ?」
飛竜が無限城にまで辿り着いて五人は石畳に着地する、すると彼女たちがぶら下がっていた飛竜は近くに設置された止まり木に捕まると、五人が帰ってくるまでそこで待機することになるのだ。
空腹になると餌を求めて地上の牧場まで帰ることもあるのだが、よく躾けられているのでしっかりと帰って来る。
たまに行方不明になることもあるのだが、ごくまれなことなので多くの探索者は気にしていないらしい。
そんな飛竜たちが止まり木で休憩していることを確認したバッカニアが、無限城の入口を見て疑問の声を上げる。
「……何か、あったのでしょうか?」
空の旅に未だに慣れていないエミリーが青い顔のままでそう言った、彼女たちの視線の先には探索者たちの群れがあり、本来ならば渋滞など起こりようもない広い入口で進むことなく躊躇していた。
「あらあら、渋滞なんて珍しいですわね」
「入口の空間が入れ替わったんだろ、前は湖区画だったから……次は砂漠区画か、面倒だな」
「あそこは厳しい環境ですものね」
無限城はただの城ではなく幾つもの空間を内包した異世界である、扉の向こうが火山口や深海であっても不思議ではなく、ある程度の規則性があるものの時間が経過することによって場所も入れ替わることがある。
今回もそれだと先輩探索者は考えたようだが、渋滞に使づくにつれて様子が異なることに気が付く。
「お~い、なんか様子がおかしいけど、何かあったのか」
「ん? バッカニアか……どうもこうも、無限城の様子がおかしいんだよ」
群れをなしていた探索者の一人が無限城の入口を指さす、そこにはいつもの大きな扉が待ち受けており、その向こうには湖区画も確認できる、どうやら空間が入れ替わっているわけではないようだが、確かな異常があった。
「空間が……歪んでる?」
そう、いつもの入口と、慣れ親しんだ湖の光景がぐにゃりと歪んでいたのだ、穏やかな自然はそのままに景色だけが引き延ばされており、空や緑がひしゃげて屈折している光景は明らかな異常である。
扉の向こうの光景が変化することは珍しくはない、実際に湖区画から砂漠区画になったりすることもあるので、探索者たちはそれが当たり前のことだと受け入れている……しかし今回は別である、こういった形の変化を体験するのは彼らも初めてだ。
空間を濡れたぞうきんのように絞ったらこうなるのかもしれない、そんなあり得ない異常である。
「こんな状況は初めて見ますわね」
「空間が入れ替わってるって感じじゃないね」
探索者としての経験値が三人娘よりも豊富なバッカニアとリンダもこの状況は始めたらしい、だが無限城において未知に遭遇した場合にやるべきことは決まりきっているだろう。
「エミリー、調べてくれるかい?」
ここは魔術師の出番である、下手に手を出して火傷するよりも専門家の判断に従った方が危険も少ない、探索者の常識でもあった。
「はい、お任せください」
「わからないならわからないで良いんですよ、わざわざ目に見える危険に無理に突っ込むことはありませんわ」
「そうですね、中には入らずに外から観察してみます」
そう言ってエミリーはぐにゃりと歪んだ空間に魔術師としての瞳を向ける、彼女がその視界で読み取るのは表面的なものだけではなく魔術的な側面だ、この無限城そのものが超巨大な魔術のようなものなので、異常があるのならばそれは魔術そのものだろう。
エミリーの瞳が歪んだ空間を追うように揺れ動く、透視も行っているのかその向こうまで観察しているようだ。
そんなことを数分続けただろうか、慣れない透視の魔術の行使で疲労したのか涙目になった彼女が迷いながらも口を開いていく。
「おそらく、ですが……空間の拡張と、修復が行われているんだと思います」
「空間の拡張……無限城が広くなってるのかよ?」
「はい、それによって生まれる綻びの修復も同時になされているのかと……私は未熟なのでハッキリと断言はできないんですが」
「他にはなにかありますの?」
「大規模な魔力の流れが無限城の内部で溢れているといいますか……修復と言うよりは作り替えていると表現すべきかもしれません」
エミリーとしても断言できないところが辛かった、これらは入口から読み取った情報でしかなく、確かなことは内部を調査するほかないのだ。
そしてエミリーの説明に大勢の探索者たちが深く考え込む、拡張と修復、そして作り替えるという言葉から、自分たちが慣れ親しんだ無限城が変わってしまうのではないかという懸念があるのだろう。
これまで調査した区画、踏破した空間、それらが根っこから変わってしまうとしたら、これまでの努力が水泡に消えてしまうことになる、それは探索者が持つ情報という武器を手放すことであった。
未知に無知のまま挑むなど命を捨てることでしかない、彼らは探索者であって冒険者ではないのだからそのことをよく弁えている。
「だがよう、その法衣の嬢ちゃんが言うには空間の拡張? だとかがされてるんだろ、そいつは誰がやってるんだよ……俺には魔術のことはさっぱりだが、自然に行われるもんでもないんだろ?」
探索者の一人がそう言った、誰がこの状況を生みだしたのかというのは、尤もな疑問だろう。
「それは、勿論そうですね。膨大な魔力が大河のように流れているので、自然に発生したとは考えられないかと……」
例えば誰かが堤防を壊して川を氾濫させたかのような、今の無限城はそんな意図的な状況である。
「魔術師の誰かが無限城の中で悪さしてるとかじゃないのか?」
「或いは、何か興味深いものを見つけて手を出したら、こんな状況になってしまったか……」
「新しく作った魔術の実験とかではありませんの? 魔術師の方たちはよく無限城で試し打ちみたいなことをなされていますもの」
「ああ、あるある、カバの群れに打ち込んだ時は殺してやろうかと思ったこともあるな……」
「バカだよなぁ……いや、魔術師なんだから頭は悪くないんだろうけど」
探索者たちの間にある魔術師たちの評価がよくわかる会話をしながらも、誰もがこの状況に頭を悩ましているようだ。
空間が歪んでいる無限城に踏み入るほど無謀な者はおらず、かといって解決策がある訳ではないので彼らとしては悩むほかないのだろう。
誰もがうんうんと唸る中、彼らに異変が近づいていることに気が付く者はいなかった。
「ッ!?」
歪んだ空間の向こうから突然に細い腕が伸ばされる、それは真っすぐにエミリーの背中に到達すると、彼女の唇を塞いでそのまま華奢な体を無限城の内部へ引っ張り込んでいく。
音もない、気配もない、僅かな熱や匂いすら出さない、そんな一流の暗殺者のような動きで魔術師を拘束すると、エミリーの体は歪んだ空間へと消えていくのだった。
「エミリー!?」
最初に異変に気が付いたのはシャルルである、その声に引っ張られて周囲の探索者も顔を上げて背後にある歪んだ空間へと慌てて振り返ったが、既に遅い。
「クソッ!!」
バッカニアが駆け出した、それに続くようにリンダが、そしてシャルルとキャロルも咄嗟に駆け出す。
だが伸ばされたバッカニアの指先は歪んだ空間に飲み込まれたエミリーには届かない、僅かに靴先をかすめるだけで空ぶるのだった。
そしてエミリーの体は歪んだ空間に完全に飲み込まれてしまう、そこでバッカニアとリンダに生まれたのは一瞬の躊躇である。
このまま先に進むべきなのか、進んだとして生きて帰れる可能性があるのか、もし踏み入るのならば戦力を整えるべきではないのか……そんな探索者としての経験と判断が二人の足を止めた、二次遭難だけは避けなければならない、そんな思いがあったのだろう。
だが、躊躇した二人とは異なり、シャルルとキャロルは立ち止まることなく突き進んでいく。
積み重ねて来た信頼の違いか、共に戦ってきた時間の違いか、それとも同じキャラバンの同僚だからなのか。
なんであれ、その一歩を踏み出すことに欠片の迷いもなければ恐れもないのだろう。
シャルルとキャロルの体も歪んだ空間に消えていく、後に残された者は空間に広がった波紋を眺めることしかできない。
「たくッ! 本当に大した奴だな」
「……バッカニア、冷静に」
「わかってるよ! あぁもう情けないね私は! 一瞬、躊躇しちまった」
恐れ知らずな一歩を躊躇なく踏み出すことは、探索者だからこそできない。
だが、その真っ当な判断をバッカニアは恥じている、仲間の為に戸惑うことなく駆け出した二人を見送ることしかできなかったのだ、自分はこんなにも臆病なんだと思い知らされたかのようで恥ずかしさすらある。
「これからどういたしますの?」
「あの子たちを追う……リンダ、アンタは下に戻って魔術師たちの援軍を連れてきてくれ」
「それは他の方に任せますわ、貴女一人で突入しても私のサポートが無ければどうしもうもないですわよ」
「何があるかわからないんだ、危険すぎるよ」
「今更そんなことを言われましてもね、危険が嫌ならこんな稼ぎ方を最初から選んでいませんわ」
リンダは歪んだ空間に手を伸ばす、すると湖に触れたかのように波紋が広がった。
「為すべきことを為し、責務を果たす……貴族を志すのならば、その程度のことできなければ話になりませんわね、あの子たちを守るのは私たちの責任です」
「はんッ、それを世界中の貴族に聞かせてやりたいよ……まぁ、お前が一緒にいてくれるのなら心強い」
バッカニアも歪んだ空間へと手を伸ばす、やはり波紋が大きく広がった。
そして二人の体は沼に沈み込むように消えていく。
最初に感じた恐れと躊躇は、もうどこにもない。