商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
エミリーが無限城の異変に取り込まれてしまった、何者かに拉致されてしまったらしい、そんな情報が地上に降りた探索者たちから至高神の神殿で日課の祈りを捧げていたエミーリアに届いたのは太陽が中天に差し掛かった頃だった。
「人員を集めなさい」
探索者からの報告を聞いたエミーリアは短くそう言い終えると、工房の金庫をひっくり返して資金を搔き集めて副官に押し付ける。
これで探索者たちと魔術師を集めて来いと伝えると、彼女は頭の中で無限城に起こったという異変について思考を走らせる。
空間が歪んで再構築が行われている、それは長く行われていなかったことであり無限城の研究記録を調べてもそんな記述は存在しない。
傭兵たちによる探索と、魔術師たちによる研究が始まって二百年近くの時間が流れているが、そのような状況は一度たりとも発生していないのだ。
「……興味深いな」
弟子のことは心配だが研究者としての知的好奇心も強い、薄情な奴だとエミーリア自身も思うのだが、だからこそ彼女は魔術師なのだろう。
エミリーの救助と無限城の探索を頭の中で計画しながら、彼女は神殿を後にして大通りへと出ていく、そして癖になってしまっているのか普段通りに空にある無限城を見上げるのだった。
巨大な城が陽光を遮るいつも通りの光景であり、彼女にとっては驚くべきことではないのだが、エミーリアの表情には彼女らしくない驚愕に染まっている。
それは当たり前の光景が当たり前でなくなった故の驚愕であった、無限城はいつも通り巨大で雄々しいのだが、その城が浮かぶ空に問題が発生してしまっている。
「観測員の話では今日の天気は晴天だったのだがね……」
空は曇天である、嵐の前のように薄暗く鈍色の雲が押し流されるように移動していた。
それだけならば突如発生した台風なのかと納得もできるのだが、高位の魔術師であるエミーリアが驚いたのは、この天候が魔術によって人為的に作られたからだろう。
この空は自然現象ではない、巨大な力の流れによって作られる現象であると魔術師ならば気が付く筈だ、そして同時に規模の大きさに驚愕してしまう。
どこかの魔術師派閥が総出の大儀式でも行ったのかと疑ってしまう程の力の流れであり、それは今も大きくなっていく。
耳に引っかかる風の音もまた先程よりも大きくなっていた、とてつもない速度で嵐が接近しているかのようだ。
「はぁ……どこの誰かは知らないが弟子の危機だというのに、これでは無限城へは行けそうにないな」
風が強く雨も降って来た、確かにこの状況では救出班を結成しようとも飛竜が飛べないので無限城にはたどり着けない。
この嵐を巻き起こした何者かに恨みを向けながら、エミーリアは弟子の無事を至高神に祈るしかできなかった。
神への祈りを察知して上空を支配していた何者かは体を動かす、まるで痒い所に手を伸ばすかのような動作であったが、それの手足は異様に短いので届くことはなかった。
「どうしたのよ?」
「どこか痒いのかしら?」
そんな何かを見てクスクスと笑ったのは、鏡合わせのように瓜二つな双子の悪魔であった、聖都を震撼させた下手人である大悪魔にして魔王の称号を頂く存在……魔獣母エキドナである。
悍ましくも美しい二人の悪魔であるが二人の笑顔に邪気はなく、生まれたばかりの我が子の行動に一喜一憂するかのような母親らしさが垣間見えてしまう。
実際にエキドナたちの目の前にいる存在はまさに子供であった、大量の魔力を消費して腹の中で育てて生み出したのだから親子であることに欠片の疑いも存在しないのだ。
「███████████████」
二人の母親に見守られている何かが耳障りな異音を発した、それは言葉と表現するにはざらついていてカラカラであり、まるで何十年も会話をしなかった者が突然喋り出したかのようにぎこちない。
雑な歌のようにも聞こえるが、言葉らしき何かとも受け取れる奇妙な声色であった、断じて対話が成立するようなものではないのだが、その異音を聞いてエキドナはまたもクスクスと笑って見せる。
「そう、神への祈りを感じ取ったのね」
「魔神以外の神への祈りなんて不快なだけだったでしょう?」
「████████」
「でもどうしようもないわ、貴方は神格を持っているから神々に近しい存在なの、祈りが引っかかることなんてこれから何度もあるでしょうしね……あぁ、なんてかわいそうな子なのかしら」
母親の同情めいた言葉に異音を発しながらコクコクと頷く何かは、母親を心配させまいと体をその場で一回転させて短い両手を広げるのだった。
「ふふ、偉いわねぇ、それでこそ私たちの子供よ」
その何かは小さな体躯であった、生まれたばかりの胎児ほどの大きさしか存在せず、手も足も極めて短い。
姿形だけは人間の胎児に似てはいるのだが、全身がどす黒い靄のようなものに包まれており異様な雰囲気を与えてくる、純真無垢な赤ん坊にあらん限りの呪いを身に纏わせたかのような雰囲気に、常人は見るだけで発狂してしまうだろう。
黒い胎児の頭の上には体と同様に黒い靄のかかった輪っかが存在しており、悍ましい気配に目をつむって黒い後光を無視すれば天の使いのようにも見えるのだが……その胎児を天使と言うにはあまりにも邪悪過ぎた。
見るだけで吐き気を催す胎児を前にしながらも双子の悪魔は愛おしそうに微笑むだけである、どうやらエキドナは邪悪な我が子を慈しんでいるらしい。
エキドナと胎児は上空から大地を見下ろし、そして僅かに視線を上げて空に浮かぶ無限城を見つめた、まだ距離があるのでここからは拳程度の大きさにしか見えないが、直ぐに近づけるだろう。
当然である、嵐にとって数十、数百の距離など関係がないのだから。
三名が存在するのは嵐の中心であり目であった、そこだけはぽっかりと穴が開いたかのように穏やかな様子であり、吹き荒れる暴風も横殴りの雨も存在せずに青空すら垣間見えているようだ。
エキドナは遥か先にある無限城を指さす、巨大に過ぎる建築物であっても嵐の規模を考えれば簡単に包み込んでしまえるだろう。
「貴方に任せたいのはあの城を攻撃することよ、あそこには忌々しい魔女が住んでいるのだけどぶっ殺して……いえ、今は私情を優先する時ではないかも」
「そうよお姉さま、他の子供を産み落とす為に魔力が必要なの、あの城には使えきれない程の力が溢れている……始まりの魔女を処分するのは賛成だけど、そんなことは何時だってできるんだから後にしましょう、ね?」
「……他の子たちも待ちくたびれてるでしょうからね」
「████」
「そうねぇ、貴方は先に生まれたからお兄ちゃんになるのよねぇ」
「しっかりと眷属たちを守ってあげるのよ?」
黒い靄に包まれた胎児はまたコクコクと頷いた。
「それじゃあ行きましょうか、ちゃちな結界や城壁なんてこの子にかかれば濡れ紙同然、始まりの魔女にはせいぜい驚いて貰いましょう」
優先すべきは眷属を産み落とす為に必要な魔力資源なのだが、エキドナたちは勇者と共に戦った始まりの魔女とも浅からぬ因縁がある、その表情を歪めて屈服させたいと思う程度には相手を憎んでいた。
必死に作り上げた城が粉砕された時、あの女はどんな表情を見せるだろうか、そんなことを考えるだけでエキドナの股間は熱く濡れることになる。
捕まえて凌辱できればなお良し、そう易々と撃破できる相手ではないことを彼女は知っているが、勇者に比べればどんな戦力だろうと軽く思えてしまうのだ。
始まりの魔女は夜空に輝く一等星だ、その力と存在感は魔王であるエキドナにも無視することはできない、そこは他ならぬ彼女たち自身が認める所である……だがどれだけ鮮明に輝こうとも小さな星でしかない。
勇者のように溢れんばかりの光で夜を照らす月ではないのだ、始まりの魔女はあそこまで異質異常ではない。
「さぁ行きなさい嵐の王よ! 万軍も英雄も城壁も! 決して貴方の障害にはなりはしない!!」
エキドナの持つ深紅の瞳が火を宿したかのように輝きを放つ、それに呼応するかのように黒い胎児も耳障りな咆哮を上げるのだった。
「████████████!!!」
最初にそれに気が付いたのはやはりと言うべきか始まりの魔女であった、結晶の間で無限城の再構築を行っていた彼女の虹色の瞳が、設計図から壁へと向けられる。
どうやらその瞳は結晶の向こうを眺めているらしい、不快気に眉を顰めると始まりの魔女は小さな溜息を吐く。
「始祖様、どうされたのですか?」
机を挟んで対面に座っていたエミリーがそう尋ねて来るが、答えられる余裕がないのか彼女は壁を睨むだけである。
感じ取ったのは巨大な魔力の流れ、自然の中にはそういったエネルギーの流れは溢れているものなのだが、無限城に近づいて来る力の塊は明らかに不自然なものであった。
この無限城と同じである、異質異常な人工の自然と並べられるほどの力の流れが外にあるのだろう、それがこちらに真っすぐ近づいて来ることがわかると、始まりの魔女は机の上に浮かべられた無限城の幻影をかき消す。
「……どうやら危機が近づいて来るようです」
「え、あの……危機ですか?」
「嫌な気配です」
そう言った始まりの魔女の気配が激変する、ドロドロとした黒い魔力に満たされたとでも言うべきなのか、ありったけの呪詛を吐き出すかのように重苦しくなっていく。
「あの汚物どもが……まだしぶとく生き残っていたか」
彼女ほどの魔術師が呪詛を吐けばそれは世界を汚す言葉に他ならない、例えエミリーに向けられたものではないとわかっていても、心臓を締め付けられるような圧力となってしまうのだ。
穏やかで、感情の起伏に乏しく、人形のような存在感はどこかに消えて、そこにいたのは寝物語に語られる恐ろしい魔女である。
「エミリー……貴女のおかげで色々な情報も集まり、無限城の再構築も素早く進みました、感謝を贈りましょう」
そう言って始まりの魔女は少しだけ考え込む、すると何かを思い出したかのようにエミリーを見つめ、右手を虚空に彷徨わせた。
彼女の指先は空中に現れた黒い穴に吸い込まれてしまった、何かを掘り出すかのようにゴソゴソとその中を弄ると、取り出したのは宝石が刀身にはめ込まれた美しいクリスタルの短剣であった。
雪の様に白く染め上げられた刃は細やかな意匠を凝らされておりそれだけで最高級の逸品であることがわかる、そして柄の宝石は濁りなく透き通っていてただただ美しい。
「昔、気まぐれに作った短剣ですね、倉庫の肥やしにするのもアレなので、感謝の印として貴女に与えます……これはなかなかの逸品ですよ、クリスタルの刃なので少々脆い所がありますが魔術の発動触媒としてはとても優れているかと」
「えぇ!? そんな、始祖様の宝物を私が持つなど恐れ多い!」
下手すれば、いや下手しなくてもそれを求めて魔術師派閥の戦争が起こりうるものであり、危険極まりない物だろう。
「ならば釣り合うように高みを目指しなさい、今は未熟であっても進み続けること……研究と研鑽こそが魔道ですから」
ずいっと、押し付けられるように白いクリスタルの刃はエミリーの胸元に飛び込んだ。
「かつて撒いた種が花を咲かしたこと、大変に宜しい……私は満足です」
「……ありがたく頂戴します、受け継いだこの魔術と知識は必ずや次の世代へと受け渡すことをここに誓い、研鑽を怠りません……私の世代には難しいかもしれませんが、やがては……」
「やがては大樹となりなさい、そしてそこですらまだ道半ばと知ることが重要だ……うん、理解しているのならば、大変に宜しい」
そこで始まりの魔女は僅かに微笑む、何かを思い出したのか人形のような表情ではなく確かな慈しみが垣間見える。
無限城全体を揺るがすほどの衝撃が広がったのは、それから数秒後のことであった。