商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
薄暗い世界、そして凍えそうな程に冷たくて痛い、それがその部屋の第一印象であった。
スラムで攫われた親のいない子供の行方など誰も気にすることなく、探されることもないままこの地下の一室に押し込まれた少女たちは、僅かな硬貨に釣られてしまったことを最初は後悔する。
しかしそれも長くは続かない、逃げ出そうとすれば殴られて反抗的な態度を見せれば蹴り飛ばされて、睨みつければ食事を抜かれて、特に何も無くても暴力を振るわれれば精神などあっという間に摩耗していくだろう。
疲れれば反抗心も薄れる、痛みに屈すれば心も折れる、そんな日々が続けば薄暗い地下室に放り込まれたこともどうでもよくなってきた。
スラムの生活と違って穏やかにしていれば食事を与えられる、体も清められる、強制的に男に抱かれることも慣れてしまえば日常でしかない。
どうせ親のいないスラム育ちの子供なんて、どこかで飢えて死ぬか娼婦になるかの違いでしかない、多少の腕っぷしがあれば兵士や傭兵になれるかもしれないが女の身ではそれも難しい。
それとも頭が回ればもう少し良い生活を望めるだろうか、少なくとも数枚の銅貨に釣られているようでは頭には期待できないだろう。
ならば運はどうだろうか、そんなことを考えてみてもこの地下室にたどり着いた時点で枯れ果てている。
少女たちは結論を出してしまったのだ、自分たちがこの地下室に押し込まれたのは、来るべくして来た現実なのだと。
理解してしまえば全てがどうでもよくなった、そこから先はただただ静かに男たちの言いなりになって生きていくだけである。
ここは良い、食事を与えられるのだから、そんな考えまで至ればもう彼女たちにとって世界の全てがこの地下室なのだった。
何も必要ない、何も考えなくていい、外への渇望はどこかに消え去って、薄い毛布すらも心地いい。
きっと自分たちはここで死んでいくのだろう、最早その現実に不満すらも感じていない。
生きながら心が死んでしまった彼女たちはこのまま薄暗い地下室で枯れるように死んでいく、そんな未来を書き換えたのは目もくらむ鮮烈な輝きであった。
空に輝く星が落ちてきたのだろうか、それとも火山が噴火したのだろうか、少女たちはそんなことを思ったが何であれ瞼を閉じてしまうほどに強く巨大な光であることは間違いない。
瞼で瞳を閉ざしても輝きは消えない、両手を使ってもまだ感じ取れる、その光は視覚を塞いだからといって逸らせるものではないのだろう。
目で見て視覚的に認識するだけではない、祝福の輝きは魂で認識するものだ、両目を覆いつくそうと意味がなかった。
光は鮮烈であった、そして暖かく柔らかい、きっとこの輝きを発する人物は大らかで器の広い人なのだろうと少女たちは感じ取る。
強くありながら穏やかで、優しくありながら鋭くもある、それはひび割れた大地を雨が潤すかのように、或いは極寒の中で辿り着いた暖炉のように、ささくれてすり減った心を癒していくのだった。
「……あったかい」
牢獄にいた少女が一人、無意識にそう呟いた。
すると虚ろな瞳に色が宿る、心に熱が生まれる不思議な感覚が彼女たちに生まれたのだろう。
そこで彼女たちは初めてシャルルという存在をその瞳で認識することになる、今までも視界に入っていたが見てはいなかった、心に灯った熱があって初めてそこにいる人物を人として認識することができたのだった。
剣と軽装鎧をマントで包む姿は物語に歌われる騎士のようであり、それでいて凛とした佇まいには美しさと女性らしい柔らかさが備わっている。
雄々しい男性とは違い大木のような逞しさはないのだが、しなやかな肢体と凹凸のハッキリした肉体はとても健康的で活力に満ちているようだ。
女騎士という珍しさも加わってか、少女たちの視線はシャルルに釘付けとなっているらしい。
春の木漏れ日のような温かい光を感じ取ったからだろう、それだけなのに不思議と少女たちの瞳にあった曇りは消えていた。
「聖騎士様の輝きは大地を潤す慈雨のようでございますね」
アナスタシアが浮世離れした声でそんなことを言う、彼女は保護した少女たちに毛布を与えながら神官としての仕事を行っている。
「それとも、癒しの歌でございましょうか……いえ、ダメですね、私の言葉では上手く表現できません、聞きやすく詩的にしたいのですが……」
「いや、そんな必要ないから」
シャルルを包み込むかのように広がる淡い光は太陽の下ならともかく地下ではよく目立つ、この場所ではとても人の視線を集めていた。
保護された少女たちはもちろん、アナスタシアの存在しないはずの視線すら釘づけにしている、興味深そうに、眩しそうに、憧れるかのように、様々な瞳に見つめられてシャルルは苦笑いを浮かべる。
舞台に立つこともあったので見られることは慣れているのだが、観客の目はこういった種類の視線ではないのでどこかむず痒いのだろう。
だからなのか逃げるように体から漏れ出る祝福の輝きを奥底へと封じ込む、そうすれば神々しさがどこかへ消えて人へと戻るのだった。
「この子たちはこれからどうなるんだ?」
「ここでただ解放しても親無しの子供たちでございますから、最後には似たような場所に辿り着くでしょう……そうならない為にも、神殿が支援している孤児院に送られるかと」
「あぁ~、あれか、神官見習いになる訳か」
「はい、そうならなかったとしても、読み書きを教えるので未来は広がります」
神殿が経営している孤児院もタダで養う訳ではない、慈善活動という側面も確かにあるのだが将来的に神殿を支える神官を子供のうちから教育するという思惑もあるのだろう。
シャルルとしても無償の奉仕よりもずっと納得できる考え方なので不満もない、地下室に閉じ込められていたこの子供たちが将来神官になるのかと思うと少しだけ気分も良かった。
「私もかつては同じように神殿の孤児院で育ったのでございます」
アナスタシアとシャルルは子供を引き連れて地上へと戻った、子供たちが本物の輝きに瞼を細めている様子を眺めていると彼女は思い出したかのようにそんなことを伝えてくる。
「孤児院で育って神官にかぁ……よくある話だよな、私の知り合いにも一人似たような奴がいるよ、まぁ信心深くあるだけで神官ってわけじゃないんだけどな」
「そうなのでございますか?」
「あぁ、今は離れちまってるけど……私の目的は仲間との合流なんだ」
「それが聖騎士様の目的なのですね」
「これでも少し前まではキャラバンで公演とかやってたんだぜ」
「聖騎士様は舞台役者でもあるのですか? それは何と言いますか……上手く想像できません」
感じることはできても見ることのできない彼女には舞台娯楽というものが伝わりづらいのだろう、暫く考え込んでいたのだがやはりわからなかったのか、小さな溜息を吐いて思考を切り替えた。
「では聖騎士様はこの都市に長居はできないのでしょうか?」
「うん? どうだろうな、聖都方面に移動する貿易キャラバンなんかが見つかればそこに便乗させて貰おうかなって思ってるけど、それが見つからなかったら徒歩になるかもなぁ……もしかしたら馬でも買うかもしんないけど」
「では路銀を貯めなくてはなりませんね」
「だから娼婦神の神殿に許可を貰いにいったんだ、これで許可も貰えるんだろ」
そもそもシャルルは聖印を持っているので神殿の関係者とも言える立場である、なので許可もすぐに貰える筈なのだが、少し遠回りになった形である。
しかし不満があるわけではない、それはシャルルが善意を柱とする人間だからだろう。
「そこはご安心ください、ミリア母さんも断りはしないでしょうから……ただ」
「……ただ、なんだよ?」
その問いかけに答えたのはアナスタシアではなく、酒で焼けたガラガラ声であった。
「お前さんはなかなか使えそうだからね、これからこき使ってやるよ」
振り返るとそこには幾人かの神官を引き連れた神殿長のミリアがいた、相変わらず片手に酒瓶を握っており、道路のど真ん中であっても自重するつもりはないらしい。
「世に馬鹿の滅びた時代無しってな、今回みたいな奴はどこにでもいるんだ、ちょうどいいからアンタも手伝いな」
「それは別にいいけど……タダ働きは嫌だからな」
「話がわかるようで何よりだ。なぁにうちの神殿は金持ちだからね、報酬には期待しておくといい」
こいつは報酬だよっと、ガラガラ声と共に投げ渡されたのは追加の報酬である、中を覗き込んでみるとそれなりの硬貨が詰まっている。
「ただ……ミリア母さんが聖騎士様のお力を上手く利用されそうで」
アナスタシアは申し訳なさそうにそう言うのだった。
「神殿長とお呼び!! 何度言ったらわかるんだい!!」
怒鳴り散らしたミリアは背後に控えていた神官たちを引き連れながら違法娼館へと入っていくと、意識を失っていた男たちを乱暴に拘束していく。
「後は神官長たちに任せておけば問題ないでしょう」
「報酬も貰ったからな、許可もおりたようなもんだし、裁判とか裁きとかワタシにはわかんないからそれで良いよ」
掌から伝わる巾着の重みに頬が緩む、娼婦としてだけでなく傭兵としても稼げるのなら彼女としては断る理由がないだろう。
この都市で稼ぐのも悪くはないのかもしれない、便乗できるキャラバンが発見できるかどうかも重要だが、目的地に辿り着くには財布を太らせることも必要なのだから。
暫くはここで働こう、彼女はそんなことを思うのだった
多くの書類が執務机の上に並べられている、それはどれだけ手首を動かそうとも消える気配がなく、今もまさに秘書の一人が新しい書類の束を押し付けてくる。
「アンデットの被害状況です」
「う~ん……昨日も確認したような気が」
「第三十七回目の報告書になりますね」
「おおぅ……そこに置いておいてくれ」
品の良い調度品で固められた執務室でその部屋の主である男性が休む間もなく羽ペンを動かしている、青年とも評することのできる年齢の彼は若さとは縁遠い疲れ切った溜息を吐くと、隈の目立つ瞳を秘書の女性へと向けた。
そこに込められる思いは「休ませてくれ」だろう、明らかに疲労が濃いことがよくわかる。
ペラペラと書類を捲りながら書かれている内容を確認して、またも深い溜息を吐く。
「被害が大きいなぁ……」
「全ての村々に兵士を駐屯させられたのなら良いんですけどね」
「この国にそんな余力はないさ、王都の警邏隊ですら兵士として運用してるんだからね」
「その件で神殿から苦情が入っていましたよ、治安が悪くなったと」
「あぁ、ミリア殿が怒鳴り散らしながら乗り込んできたよ」
「よくご無事でしたね」
「秘蔵の帝国産ワインを送ったら笑顔で帰ってくれたさ……」
青年は目の前に広がる書類の山を確認してサインを記していく、そのどれもがこの国の王にしか採決できない類の重要書類である。
建築、行政改革、公共事業、開拓状況の進歩、裁判、法改築、王都住民のちょっとした不満や苦情、書類の中身は様々であるがどれも無視することはできないだろう。
それを一つ一つ確認して判子や署名を記す、納得できないものは改善案を書き込んで突き返す、その繰り返し作業を彼は王になってから毎日繰り返している。
至らぬ部分も多いことは理解しているが、弱音を吐きたくなるのも仕方がないのかもしれない。
ガツッ、と鈍い音を立てながら彼はおでこを机に落とす。
「疲れた、僕はもう疲れたよ……あぁ~、帝国学院に留学してた頃は良かったなぁ、陛下と一緒に遊びまわったもんさ」
「若様は留学中に何をなされていたのやら……そんなだらけきった姿では奥方様にも呆れられてしまいますよ」
「はぁ~……しかもこんな状況で結婚ときたもんだ、せめてアンデットが片付くまで延期できなかったもんかね」
「難しいかと、日程を変えれば別の日に皺寄せが行きますので、それに帝国側としてもこの辺りで結束を強くしたいのでしょう」
「……やっぱり小王国群の反乱が原因かい?」
「反乱とも言えないでしょう、帝国やその他の大国との国力差を考えれば即座に殲滅されて終わりです、喧嘩にもなりません」
大国と大国の間に挟まれる小王国群は良くも悪くも大国の顔色を伺うことを宿命づけられている、それこそ吹けば飛ぶような国力差があるのだからどうしようもない……だというのに、今の小王国群は不和と反乱に満ちているようだ。
「だというのに他所の国は大国に噛みついている訳だ、それも纏まるのならまだわかるけど別々に突っ込んでるんでしょう、それもアンデットの被害が広がる中で……何がしたいのやら」
「王国寄りの小国はそちらに、帝国寄りの小国は帝国に攻撃していますね……本当に何がしたいのかわかりません」
秘書の言葉に青年は頷く、個々に動くのではなく敵を定めて足並みを揃えるなんてことは基本中の基本であり、小王国の代表たちだってそんなことは弁えているはずなのだが、現実は様々な方向に牙を向けている。
まるで近くにいる相手に見境なく噛みつく狂犬のようだ、帝国はもちろんのこと他の大国も呆れていることだろう。
そんな中で帝国寄りのガレス王国はまだ静かなものである、反乱にも加わることなくアンデット退治に奔走しているようだ。
周辺諸国が噛みつく相手は大国ではなくアンデットだろうにと青年は考える、だがそんな考えが届くことなく戦火は広がっていた。
いったい何がしたいのだろう……いや、何があったのだろうと、思わずにはいられない。
小王国同士の付き合いで各国の王とは当然ながら面識がある、誰も彼もが小国といえども国を背負って立つ者であり愚者とは言い難い、だというのに現在の状況が愚かとしか言いようがないのだ。
言い知れぬ不安が青年の胸に燻っていた、今回の騒乱は嫌な意思が介入しているのではないかと。
「聖騎士の応援はどうなったかな? かの騎士団が来てくれればアンデットも片づけられるんだが……」
「返答がありましたよ、やはり中立的な立場を崩すことはできないと拒否されてしまいました」
「ふぅ、わかってはいたことだがやはり難しいか」
「もう一度手紙を送ってみます? 今度は神殿との連名というのはどうでしょうか?」
「いや、それよりも周辺諸国と帝国との連名が好ましいかな、共同での援軍要請ならば聖都の言う中立性も守れるだろうしね……ただ、今の状況では難しいか」
周辺諸国の多くが好き勝手暴れているのだ、対アンデット対策として聖都を巻き込もうとしても足並みが揃わないだろう。
「はぁ~……お金はないし、人手は足りないし、周りの国はよくわかんないし、おまけにアンデットの大量発生だ、出口が見えないなぁ」
彼は椅子から立ち上がって凝り固まった体を解す。
「お茶ちょうだい」
「はい、すぐ用意いたします」
そして執務室の窓から外を見渡す、広がっているのは王都の街並みである。
これが国王として守らなければならない光景である、しかし多くの危険と試練が待ち受けており脆いと言わざるをえない。
「まずはアンデットの排除に注力して……それから警邏隊の数を揃えて……周辺諸国の説得に……はぁ~……帝国に借金するしかないか」
それで纏まった資金で兵士を増やす、迅速にアンデットの排除に動けるように軍馬だって揃えたい、もっと言えば開拓にだって回したい。
結婚だって近いのだ、国王としてそれまでに懸念材料を処理しておきたいのだろう。
「せめて聖都が、一人でも聖騎士を回してくれたらなぁ……」
そんな呟きは外に届くことなく室内に消えていく、彼の瞳が大通りを歩く聖騎士を発見することはなく、再び書類へと向かったようだ。
最近、癖になりつつある溜息がまだ重々しく響いていく。
どうやら羽ペンが書類を撫でる音は、寝る間もなくいつまでもいつまで続いていくらしい。