商人と冒険者と娼婦 作:にやまな
空を見上げると雲一つない晴天が広がっている、風も強くなく穏やかでありとても心地よい日なのだが、不潔で不浄な匂いが鼻につく。
シャルルに与えられた任務は行方不明者の捜索でありアンデットの盗伐ではないのだが、一際大きな生命の輝きを放つ彼女に群がるかのように、死してなお動き続けるアンデットたちは立ちふさがることになる。
王都から出発して三日、整備された国道を進んで立ち寄った村で宿泊を取り目的地まで進んだのだが、いよいよ兵士たちの巡回路であるそこから逸れることになって数時間、シャルルはアンデットたちと衝突した。
腐った匂いを漂わすゾンビたちである、両手を前に出してフラフラと近寄って来るそれらを祝福を宿した聖剣で一刀両断にすると、そのまま次々と葬っていく。
武装している訳でもなく、連携する訳でもない、ただ縋りよってくるだけなので脅威には感じなかった、接近されて抱きすくめられると噛みつかれてしまうのだが、訓練を積んだ戦士ならばそんな間違いはおかさないだろう。
移動も遅い、なので囲まれないように注意しながら丁寧に処理していくだけである。
それにシャルルは聖騎士である、彼女が纏う祝福の力はアンデットにとって致命的なまでに突き刺さる、それこそ剣で触れずともシャルルの体に触れるだけでそこから体が灰になるほどである。
ゾンビたちはシャルルに対して何もできないのだ、しかし考える理性がないので縋りつこうとするだけであった。
剣で切り裂く、そして相手は灰になる、その繰り返しを数分しただけでゾンビたちは灰となって消え失せる。
火に飛び込む虫のようだ、そんなことを彼女は思った。
「……」
シャルルの表情はすぐれない、それはゾンビたちが現れたことで周囲に腐臭が漂っていることもそうだが、そのゾンビたちが明らかに農民のような姿をしていたことが原因だろう。
人がアンデットになる理由は様々だ、それは呪いであったり、強い未練であったり、埋葬が雑であったり、神の気まぐれであったりと本当に様々である。
だがそう頻繁にあることではない、稀と断言しても良いだろう。
しかし現状は大きく異なる、アンデットは周囲を徘徊して被害を拡大させており、たった今もシャルルは襲われたばかりであった。
何らかの理由によってアンデットが生まれやすい環境になっているのだろう、葬った農民と思われるアンデットたちも巻き込まれたに過ぎないはずだ。
もしその原因が無ければ、何の問題もなく過ごしていただろう命である、それを灰にしてしまったことに感傷的になっているのかもしれない、それが表情に現れているのだ。
だが後悔はない、放置することもできないので切り伏せたことに関しては疑いようのない決意によって下した行動なのだから。
せめて安らかに、幾つもの灰の山を見て彼女にはそう祈るしかなかった。
「……こいつらはあっちから来たみたいだな」
奇しくも……いや、必然的にもそれはシャルルが目的地としている村の方角である、予想はしていたことだがやはりアンデットの災禍に巻き込まれていたらしい。
整備された国道から外れた辺境の開拓村、王都から遠く離れたこの閉ざされた場所で何があったのかシャルルには図れないが、ろくでもないことは間違いないだろう。
久しく人の流れが感じられない雑草の目立つ道を進んでいくと、森を切り開いて作られたであろう開拓村が見えてきた。
人の気配は感じられない、あるのは腐臭である。
獣除けの柵は崩れており意味をなしていない、家屋は残っているがどこもかしこも痛みが見て取れる、百ほどある家の全てから生活音が感じられない。
雑草も生い茂っており、井戸には大量の枯れ葉が落ちており使えなくなっていた、風に押されて家の扉が鈍い摩擦音を立てている以外は、ありえないほどに静かである。
シャルルは足元に広がる僅かな痕跡を辿っていくと、無数の足跡が合流した先は村の中心にある礼拝堂であった。
周囲をアンデットに囲まれて慌ただしく合流した村人たちは、最初は柵付近で迎撃していたようだが、奮闘及ばず礼拝堂に立てこもったのだろう。
大小様々な幾つもの足跡からそう推測したシャルルは、剣を片手に礼拝堂の扉に手をかける。
既に閂が砕かれていたのか、なんの抵抗もなく開かれた扉はそのまま鈍い音を立てて錆びた蝶番が砕けると、礼拝堂の廊下に倒れこんでしまった。
埃と共に不浄の匂いが舞った、そして中の光景が露わになる。
「……ッ」
そこには折り重なった無数の白骨体が残されていたのだ、腐敗が進んで肉は削げ落ち、蛆などによって食い尽くされた骸骨たちがシャルルを出迎えた。
耳障りな音を立てながら大量のハエが飛び回っており、それらはシャルルが開け放った礼拝堂の扉から逃げるように散っていった。
残されたのは無数の骸骨と腐臭そしてシャルルだけである、迷いは一瞬、彼女は死に満ちた礼拝堂に踏み込んだ。
アンデットになった者たちは外を徘徊していたのだがこの場にある骸骨たちは動く気配がない、死してなお動く未練がなかったのか、それともアンデットになることに失敗したのか、なんであれ静謐な空間である。
それでも警戒を解くことなくシャルルの利き手は剣を握ったままだ、油断することなく周囲を見渡しながら中へ進んでいくと、薄暗い礼拝堂の中にある淡い光を発見することになる。
それは開かれた扉から差し込む朝日を反射する、娼婦神の神殿から与えられる聖印であった。
その数七つ、ミリアの予想通り行方不明になった娼婦たちはこの村でアンデットに襲われて亡くなってしまったのだろう。
骸骨たちの首にぶら下がっていた聖印を全て回収すると、その時点でシャルルの目的は達成されたことになる。
後は報告に戻るだけなのだが、踵を返そうとしたシャルルの耳に異音が届く。
カラッと、軽い何かが重なって転がるかのような音である、音のした方向に剣と瞳を向けてみると、そこには蠢く骸骨がシャルルに向けて手を伸ばしていた。
肉は腐り落ちて蛆に蝕まれた結果欠片も存在していない、しかし空っぽの眼窩には赤い輝きが揺らめいており、死してなお這いずる骸骨は白い指先をシャルルに向けている。
小さな骸骨である、おそらく生前は子供だったのだろう。
「……」
言葉を発することもできない骸骨は、這いずりながらシャルルの足元までたどり着くと、そのまま縋るように彼女を仰ぎ見る。
祈りを捧げているようにも見える、救いを乞うているようにも思える、小さな体のアンデットにシャルルも害することなどできるはずもなく、ただ縋るだけであった。
「……ごめんな」
シャルルはしゃがみ込むと自らの足元に縋りつく骸骨と同じ目線になった、眼下に灯る赤い光はおぞましくもあるが拒絶する気にはなれなかったのだろう。
自己満足でしかないと彼女自身もわかっているが、せめて真摯に対処しようと思ったのかもしれない。
シャルルは骸骨の頬を両手で支えるように包むと、体の内側から祝福の輝きを溢れさせていく。
その力の放出に欠片の敵意も悪意もない、氷をぬるま湯で徐々に溶かすかのように子供の骸骨へと浸透していき、最後には魂にさえ届いていくのだ。
ボロッ、と骸骨が灰になって崩壊していく、そこに縛り付けられた幼い魂は祝福の光に浄化されたことだろう。
そしてシャルルを中心に放たれた祝福の輝きはドーム状に広がって礼拝堂を埋め尽くしていく、そこにあった不浄の気配を根こそぎ洗い流しながら全てを満たしていくのだ。
救いになったのだろうか、そんなことを考えてみるがシャルルにはわからなかった。
「……はぁ、帰るか」
納得して受け入れた依頼だが地を這うような気分になってしまった、嫌な気分を振り払うかのように思考を切り替えようとするが、そこまで簡単なものではないだろう。
集めた聖印を懐にしまって礼拝堂から外に出る、先ほどの祝福の波動は村全体に広がっていたのか漂っていた不浄の気配は綺麗に消え去ったようだ。
だがそれで村が元に戻るようなことはなく、滅びた印象はどうやっても拭えない。
きっとこのまま朽ちていくのだろう、風と雨が家屋を削り、蔦が絡みついて森と一体になっていくのだ、人が住まない村などあっという間にそうなるはずである。
この地に縛られた魂に少しでも慰めになればと放った光が、この村の最後に確認された文明の光になるのかもしれない。
後は朽ちて忘れられるだけである、そんな村を背にしてシャルルは来た道を戻っていくのだが、奇妙な感覚に囚われてしまった。
「……なんだ?」
言葉にすることが難しい、言い知れぬ不安が彼女の胸を去来した、鋭い刃を首元に突き付けられているかのように体が震えている。
最初は恐怖故の震えであったが、徐々にそれは寒さによるものに変化していく、気が付けば周囲の森に霜柱が広がっており真冬の朝のような環境になっていた。
吐き出す息が白く濁る、それを確認した瞬間にシャルルは鞘にしまっていた聖剣を抜き放つ。
何かが近づいていることは間違いない、周囲に広がる冷気と朝霧は今も強く濃くなっており、シャルルを取り囲んだ。
寒さを、白い霧を、打ち払うかのように彼女は祝福の波動を放つ、礼拝堂と同じようにドーム状に広がったそれは変化する環境を押しとどめるのだが、どうやらそれが原因で相手に居場所がバレてしまったらしい。
最初に相手の存在を感じ取ったのはシャルルの耳である、ガツ、ガッ、と大地を踏みつける蹄の音が聞こえたかと思うと、次は馬の嘶きが届く。
次にハッキリと聞こえたのは道を走る馬車の音である、慣れ親しんだ音に似ていたのでシャルルはそう思ったのだが、霧の向こうから現れたのはもっと凶悪な存在であった。
「戦車かよ!?」
白い霧を切り裂いて姿を現したのはシャルルの言葉の通り戦車である、輸送に使うような荷台の広い物ではなく、鋼鉄製の分厚い車輪にスパイクが付いており、車輪の中心には横に飛び出た角のような武器もくっ付いている。
それを二匹の馬が引いていた、その間には破城槌が飛び出ておりより一層の凶悪さを見せつけていた。
全てを吹き飛ばし、蹄と車輪を持って踏みつけてひき潰す、鉄の塊が凄まじい速度で走り抜ける様は、まさに戦う車であった。
それだけであればまだ常識的な兵器であると言えるだろう、戦場で戦車が駆けることは大昔からよくあることであり、弓や剣と同じ武器であり投石器のような兵器なのだから。
ただ異常異質なのはそこではない、戦車そのものではなくそれを引っ張る二頭の馬と車の上にいる騎士の姿だろう。
戦車を牽引する馬には首から上が存在しなかった、そして戦車の上にいる鎧騎士も同様である。
その姿は、亡霊馬を従える首なしの騎士であった。
よく観察すれば騎士の左手は自らの頭を脇に抱えているようだ、全身鎧もあってか顔はわからないが僅かな亀裂の向こう側にはアンデット特有の眼窩に宿る赤い光が確認できる。
姿を視認できる距離にまで近づくと冷気は肌を刺すかのように鋭くなった、そして戦車の速度もより早く重たくなっていく。
「貴様が忌まわしい輝きの担い手か!!」
騎士の小脇に抱えられていた首がシャルルを発見した瞬間に怒りの声を発した、決して許すことのできない仇を発見したかのような憤怒が込められているようだ。
恨まれる覚えのないシャルルだが、戦車は速度を緩めることなく迫ってきている、ならば後は戦うだけである。
「やぁぁぁあ!!」
剣を全力で振り抜く、すると迫って来た戦車に向けて光の斬撃が放たれた、祝福の光を重ね合わせた三日月の刃はそのまま戦車へと突っ込んでいく。
戦車故の速度と小回りの利かない図体もあってか光の斬撃を躱すことは叶わない、戦車を引っ張る二頭の死霊馬は人には無害であってもアンデットには致命的な威力となる斬撃をまともにくらうことになる。
馬体は横一線に焼け焦げる、だが両断までには至らずに疾走は変わらない。
「ッ!?」
シャルルは突っ込んでくる戦車を転がるように回避するのだが、車輪の中心から伸びる突起にマントが引っかかってしまう。
幸いにも体が巻き込まれることなくマントだけが引きちぎれるだけで済んだが、巨大で分厚い車輪はそれだけで凶器であった。
「小娘が!! おとなしく轢き潰されるがいい!!」
「お前に恨まれる理由に心当たりがないっての!!」
そう言い返すが既に戦車は遠くまで駆けている、見かけ通り小回りがきかないので大きく旋回しながら再び攻撃をしかけてくるつもりなのだろう。
少しばかりの猶予ができたのでシャルルは森の中へと転がり込む、木々が生い茂る場所であれば戦車の脅威も減らせるだろうという考えであったが、首なし騎士が操縦する戦車はそんなこざかしさをあざ笑うかのように突っ込んでくる。
太い木々が戦車に取り付けられた破城槌にへし折られ、木の根は蹄と車輪に踏みつぶされていくのだ。
地形に大きな影響を受ける戦車は平地での運用が基本なのだが、この亡霊戦車を常識で語ることはできないらしい。
「神々の輝きを宿す、ただその一点だけで貴様を殺す百の理由となるのだ!!」
首なしの馬が大きく嘶く、首がないというのに嘶くという不思議な光景を見せつけられると、突如として車体が跳ねる。
木々をなぎ倒して石や太い根を踏み砕く巨大な車体が跳ね上がったのだ、見上げるほどの高さまで上昇した戦車は不浄の炎を纏って落ちてきた。
「その戦車なんでもありかよ!?」
着地、そしておぞましい黒紫色の波動が周囲へと広がった。
すると木々が燃えて腐り落ちていく、小さな虫や小動物は不浄の波動に呑まれて消えていく、それはシャルルにも届いてしまった。
「ぐッ!」
熱い、黒紫色の波動に包まれた瞬間に感じたのは熱である、だが不思議なことに火傷には至らない。
「耐えるか……やはり強力な祝福を宿しているようだな」
熱さを感じたが致命傷ではなく、それどころか無傷の様子を見せるシャルルを見て、首なしの騎士は予想していたのか驚きはないらしい。
「ふむ……だが首を落とせばさすがに死ぬだろう、そうすればアンデットにするのも容易いか……聖騎士のアンデットともなればそれなりの戦力となるか」
「……」
聞き捨てならない言葉があった、この首なしの騎士は自分を殺すつもりらしい、そこはまだ良い、当たり前のことなのだから……シャルルが注目したのはアンデットにするという部分である。
「アンタは人間をアンデットにできるのか?」
「小娘、それを聞いてどうするというのだ?」
「……聞いてるのはこっちだ」
「ふん、肯定だ」
「あぁ……理由を聞いていいかな?」
「それを知ってどうするというのだ?」
「だから……聞いてるのは……こっちだ」
胸の奥、心臓の位置から熱が流れる、それは霜柱が広がる周囲の環境を溶かすかのように、祝福の波動を放つ。
ドクン、ドクン、そんな鼓動と連動するかのように、シャルルを中心にドーム状の光が広がっていくのだ。
それは冷気を遠ざけ霧を薙ぎ払う、やがてそれは明確に熱となって周囲の環境を変えていく。
首なし騎士が放った不浄の波動とは正反対、全てを焦がして腐らせる力の対極、聖騎士の力は命と豊穣を司る生命の輝きだ。
黒紫の波動によって命を散らされて腐らされた森が息を吹き返す、シャルルを中心に広がった輝きがその場を通り過ぎると、そこには命が芽吹いていた。
小さな蕾が生えると花が開き、蔦が腐った木々に絡みついて太くなっていく、木の実が大地に根を張り若木になると瞬く間に大きく成長する。
死んだはずの森が、僅か数秒で蘇った。
その中心にいるのが、祝福の輝きを宿すシャルルである。
「小娘……貴様」
「まぁいいや……アンタを片づけたら色々と状況が変わりそうだ」
剣が、体が、熱と光を宿す。
憤怒を込めた切っ先が戦車へと向けられた。
「ほら、構えろよ……今から切り込むからさ」
「大した自信だな、この我に正面から切り込むなどと」
「そんなことはどうでもいいっての、ただそうするだけだ……ワタシは今、少し苛ついててさ、何かをぶった切りたい気分なんだ」
「貴様程度に勝算があるとでも?」
返答の代わりに、シャルルはその体に宿った祝福の力を加減することなく解き放つ。
大気が震えた、明確な振動となって命の熱がまき散らされていく。
「あぁ、なるほど……訂正しよう、貴様を格下と侮ったことを」
シャルルが放つ輝きを、憤怒を、首なし騎士は脅威と認識するのだった。
自分の目の前にいた人間が、自分を殺しうる存在なのだと受け入れたのだろう。
ならば全身全霊をもって踏み潰すだけである、一欠片の侮りでさえ敗北に繋がることは間違いない。
だから首なし騎士は、神へと祈るのだった。
「魔神よ、我らが父よ……この献身を称えたまえ」
死と不浄の気配が膨れ上がり。
「戦神よ……力を貸したまえ」
それに負けないほどの、命と豊穣の輝きが膨れ上がった。
白と黒の力の本流は両者の中間地点でせめぎ合う、押して引いてを繰り返す様子は互いの領域を侵略しているようにも見える。
お互いに相手の存在を許すことができないのだから、この衝突は必然なのだろう。