※この作品はR-18です。

ヒュプシュブリューメン ~可憐なる花たち~   作:ろっくLWK

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お陰様で『ヒュプシュブリューメン』、短期間のうちに沢山のUAを頂く事が出来ました。
これに感謝しましてこの度、当初予定の無かった余章を投稿致します。
単話としては少々長いお話になってしまいましたが、本編読了後に食指が動きましたらこちらもお読みいただけると幸いです。





余章
Zusatz(ツーザッツ) 湯煙に咲く菫花 ― グレーテル・イェッケルン2


 

 

「……ふう」

 

 したためていた書類にピリオドを打ち、グレーテルは大きく伸びをする。

 

「分かっていた事とは言え、そうそうスムーズに事を運ばせてはくれないものね……」

 

 嘆息交じりに漏らした愚痴はしかし、室内に溶けて失せるばかり。この私室には他に誰もいないのだから当然と言えば当然だ。だがたまにはこうして労苦の滲みを口に出して、己を慰撫してやりたい時だってある。それほどまでに、この双肩に負った責務や使命というものは大きく重いのだから。

 

「あれからもうすぐ三年、か。本当に、月日の経つのは早いわね」

 

 旧首都・ベルリン。かつて愛したあの美しい街並みは三年前、襲い来るBETAの大軍勢によって悉く蹂躙され、ほどなく連中の支配地域となり果ててしまった。その際の全国民避難誘導、崩壊しかけた国体を寸でのところで維持する為の国際的協力取り付け、租借地に移って以降の各方面調整と政治機能復旧。その全てにおいて、中央官僚であるグレーテルはいつも主導的な立場にあった。それが己の為すべき役割であり、また自分向きの仕事だとも自認している。だがそれ故に、ここまでの道程で自分が感じてきたプレッシャーを理解してくれる者はそう多くない。それはこの家に住む家族たちもまた然り。

 

「――何言ってるのよ。私はみんなに余計な苦労を負わせない為に、自分からこの道を選んだっていうのに」

 

 かぶりを振って、それからグレーテルはすっかりぬるくなったコーヒーのカップを傾ける。空になったカップの底を眺めるのも、今晩だけでもう何度目だろう。溜まりに溜まった……というよりもむしろ片付けた傍から次々降り積もってくる大量の仕事は、それだけこの国が未だ多くの問題を抱えているという事の証左でもある。目下一番の課題となっているのは、過日の国土陥落に伴い改めて正式に『隣国』となった西ドイツとの協調路線、その具体的方針をまとめる事だ。

 

「そう。あの子は、カティアは象徴(ウルスラ)としての仕事を十分にやり遂げてくれた」

 

 革命の象徴、ウルスラ=シュトラハヴィッツ。彼女が代表となって進められた東西融和の為の活動は確実に、冷戦を経て両国間に生じていた断絶を埋め直す契機をもたらしてくれた。だがそれだけで事足りるほど国家というものは単純ではない。目指すものはどちらかがどちらかに吸収併合されるのではなく、互いの文化や社会通念を尊重しながらの再統一。それには政治的交渉やすり合わせに加え両国民の認識、その変革を要するものなのである。

 無論、彼女とて提言だけしてそれきりだった訳では無い。ここまでの両国間会議や首脳会談の場において、ウルスラの存在無しには切り抜けられなかったであろう局面が幾つもあった。その全てを潜り抜け先日ようやっと実務者協議が開始された現状、後は自分たちがその筋道を確かなものとし成果物をレールに載せ、実働段階へと漕ぎつけるだけ。そう思ってグレーテルはここ数年、己の職務に専心し続けてきた。それも後もう少しで終わる。そうすれば、そこまで辿り着く事さえ出来れば。

 

「そうなれば、後は私がいなくても……」

 

 眼鏡を外して眦を拭い、しぱしぱと目を瞬かせる。巡らせた首の筋が鈍く軋んでいる。今夜は少々根を詰め過ぎた。どのみち机に山積みされた書類が一日二日の頑張りで片付くことも無い。こういう時は思い切ってゆっくりと自分を労わるに限る。そう思い立ち、グレーテルは愛用のペンを机の上に置いた。

 

 

 

「――――はあ……」

 

 湯船の中で足を伸ばし、ゆっくりと息を吐く。およそ趣味や娯楽の類に縁遠いグレーテルだが、少し熱めの湯に浸かって疲れを癒すこのひと時は、そんな彼女にとって数少ない至福の瞬間と言えるだろう。

 

「ふふ。これもこの共同生活だからこそ得られる喜びの一つ、と言えるわね」

 

 湯船のへりを指で撫でると「きゅっ」と瑞々しい音が鳴る。ドイツの家庭には一般的に存在しないサイズの大型浴槽。これは家を建てる際、ファムの強い要望により実現したものだった。曰く『親子みんなで入れるお風呂って素敵でしょう?』……とのことだったが、なるほど確かに悪くない。汗と一緒に溜まった疲れも何もかも溶け出すみたいな極楽の境地。全身を寝そべらせてもまだゆとりがあるこの開放感。以前は入浴と言えばシャワーだけで済ましていたものだが、この心地良さを知った今となっては最低でも週に二度は湯船に入らないと収まらない、そんな体になってしまった。

 

「……もしもここで暮らすことを選んでなければ、私は今頃、どうなってたんだろう」

 

 このところグレーテルはそんな事を考える。『妻』となる事を望む者は皆、共にここで暮らそう。愛する者と共に望む未来を掴み取るために。そう提唱したのは初めにテオドールと結ばれた妻、アイリスディーナだった。当初は葛藤やら逡巡やら色々とあったものの、彼女の構想に賛同の意を示したカティアが即座に手を挙げ、その後を追うようにファムやアネットも名乗りを上げた。元から彼への好意が丸分かりだったカティアはさて置き、どうやらファム達にもあの頃までにはテオドールに対する思慕の念が芽生えていたらしい。そしてグレーテルはどうだったか、と言うと。

 

『わ、私も同居する! 言っておくが私は別に同志大尉の提案に乗った訳じゃないぞっ。これはあくまで元政治将校としての責任だ。革命を成した英雄たる666中隊が淫蕩に耽り衛士の本分を忘れる事の無いよう、貴様らを監督する為にだな!』

 

 ――等と躍起になって方便を振りかざしたのも、今思い返してみれば全く素直じゃなかった。本当はずっと前から、自分はテオドールに恋をしていた。その発端となったものはきっと『海王星(ネプトゥーン)作戦』だろう。作戦遂行中、党と国家に忠誠と従順を示そうとした自分は結果、部隊そのものを危機に陥れかけてしまった。そんな自分を一喝し、正道を征けと鼓舞してくれたのがテオドールだった。あれからだ。ただの部隊員ではなく一人の異性として、彼の事を意識するようになったのは。

 だがその想いは叶わないと思っていた。教条主義の政治将校。そんな風に陰口を叩かれ常日頃恐れられる存在であった自分なんかに、国家を憎んでいたであろう彼が応えてくれる筈も無い。いやそれ以前に、あの男の心を占めていたのは自分では無くあの女だった。色恋沙汰に疎い自分でさえも、その事実にそれとなく気付いていたから。

 

『……そんな事を理由に諦めるとは、全くもって同志中尉らしくないな。惚れた男には尽くせばいい。見返りなど求めることなくひたすら健気に、な。そうして振り向かせてしまいさえすれば、後は何に憚ること無く愛する者と共に歩む未来を得られる。――そうではないか、中尉?』

 

 一体いつどうやって見抜いたのやら、ある日自分を呼び出したアイリスディーナは彼への慕情を言い当ててみせただけでなく、あろうことか己の部下であるエーベルバッハを篭絡せよと勧めてきた。だがその提案を易々と飲むわけにはいかなかった。

 自分は中隊付の政治将校。個人的感情を理由に部隊員と関係を結ぶなど職務上許されはしない。またこの件を抜きにしても、自分はアイリスディーナに国家反逆の嫌疑を抱いてもいる。実の兄を密告しその手で討ったと噂される社会主義の英雄。党と国家に忠誠を尽くす東ドイツ(DDR)最強の戦術機部隊長。だがその裏側にはきっと別の貌(かお)がある。それを必ず暴いてみせると、当初は躍起になっていた。

 それに彼女は、アイリスディーナはあの男の、テオドールにとっての……。だからこの女に心を許す事など出来よう筈も無い。そうした自分の考えすらをも、恐らくアイリスディーナは看破していた。

 

『だったらこうするのはどうか。先般からの懸案材料であるリィズ=ホーエンシュタイン。国家保安省(シュタージ)の関与が疑われる彼女への警戒心を逆手に取り、あれの工作対象と目されるエーベルバッハに政治的指導を施すと称して関係を迫ればいい。それならば筋は通っているし、事後もこれを盾に少しずつ距離を詰めてゆけば不自然さも無いだろう』

 

 要は『蜜の罠(ハニートラップ)』対策のていを取って、リィズよりも先にこっちが『蜜の罠(ハニートラップ)』を仕掛けてテオドールを陥(おと)せ、という事だ。こんな大それた事を半ば即興で思いつけるアイリスディーナの悪魔の如き頭脳には、正直を言えば心底驚嘆させられた。だがそこには一抹の不安もあるにはあった。

 

『――ぅ私は、そ、その、恥ずかしながら初(・)め(・)て(・)なんだ。だから篭絡しろと言われたって、どうすればそんな事が出来るのか……』

 

 その告白に、アイリスディーナは一瞬ほくそ笑むような表情を見せた――ような気がした。彼女のそういう反応がどこか癪に障って、グレーテルは続きの言葉を呑み込む。自身ではそうと思っていない節があるが、この女には男ならば誰もが振り向くと言えるほどの美貌と色香がある。戦い漬けでさえ無ければ男に不自由しない人生。あまり認めたくは無かったが、いざそんな人物を前にしてこういう話をしていると、どうにも気後れしてしまう。

 

『まあ、中尉の貞淑さと年齢を考えれば無理からぬ話だな。……しょうがない。それなら私も一肌脱ぐとしよう』

 

『一肌?』

 

『簡単な事だ。私もその場に同席し、この身体を使う。エーベルバッハ篭絡の為にな』

 

『な、なっ!?』

 

 それは思いもよらぬ宣言だった。アイリスディーナが自らだと? この女、何を考えている。その真意は、目的は何だ? 疑心暗鬼に駆られたグレーテルはしばし言葉を失った。

 

『党中央から下された目的を果たすべく、政治将校殿と中隊長が揃って隊員を指導する。その方がより信憑性も増すだろう? 加えて私が先陣を切って手本をお見せする事で、中尉もイメージを掴みやすくなる筈だ。悪い話では無いと思うが。――それとも、愛する男の貞操を先に他の女に奪われてしまうのは不服か?』

 

『そ、それは勿論あるっ。それにだな、男女のそういった事はやはり、互いの意思の元に望んで行われるべきであって――』

 

『ふむ。……中尉がそれで良いなら私は構わんが、そうやってうかうかしているうちに、あの男を絡め取るのは私などでは無くホーエンシュタインが先になってしまうかもな』

 

『――ッ!?』

 

 彼女のその指摘は自分にとって、まさしく覿面の痛打だった。もしも彼女が国家保安省(シュタージ)の犬であり、何某か工作の意図を持ってこの中隊に潜り込んでいた場合、その第一標的と目されるのは十中八九テオドール。血の繋がりの無いあの兄妹には肉体関係だって許される。仮に遠からずそれが実行されてしまえば当初の懸念通り、彼は義妹を抱いてその虜に堕してしまう事だろう。そうなってからでは自分のこの思慕も中隊の命運も何もかも、全ては後の祭りとなってしまいかねないのだ。

 

『後悔先に立たず、という言葉もある。気の毒だとは思うが、ここは中尉の覚悟が据わるか思いを通じ合わせるのを悠長に待つだけの猶予など無い、と見るべきだ。今決断せずに後で泣きを見るような事態にでもなれば、それはこの中隊の、ひいては国家にとっての大きな損失になると私は考えている。無論、中尉にとってもな』

 

 勢いを強めるアイリスディーナに迫られ、あ、う、とグレーテルはたじろいだ。逃げる事など許さない。透き通るように白い彼女の相貌、その奥に光る鋭く蒼い二つの瞳はまるで磨かれた釘のように、こちらを刺して離そうとはしなかった。

 

『愛する男を手にして中隊も国家も護るか? それとも国家保安省(シュタージ)の暗躍を許して後手の対応に追われるか? 手元の舵をどちらに切るか、今ここでその選択権を有しているのは私ではなく同志中尉である、と自覚して欲しい。……ここまで話してもまだ心が決まらないというのであれば、この話はここでおしまいだ』

 

 これも今にして思えば、あの時の自分は完璧にアイリスディーナに乗せられていた。焦燥の念から彼女の策を採択したグレーテルは政治将校権限で特別尋問室を二人に開放し、そこで念願叶ってテオドールと結ばれるに至った訳である……のだが、その機に乗じたアイリスディーナはあの夜、初体験にして一度の絶頂で気を失ってしまった自分以上にテオドールとの行為にどっぷりと耽溺していたのだった。

 

『あっあっあっ、あんんっ! いいぞテオ……すごく、いいっ。あ、あッ……またきてるぅっ。貴様もそろそろだろう……? 出せっ。奥に、もう一度、奥にぃぃぃっ』

 

『はぁ、はぁ、――アイリス、愛してるっ。だから俺の子供を……ッッ』

 

『ん、ぅんっ。産むっ。産むからぁっ……あついのびゅっびゅって、中に出してぇぇええっ!!』

 

 そんな風に喘ぎながら二人がまぐわっているのを目撃したのは、気絶から目を覚ました直後。その時になってようやく気付いた、と言うべきだろう。自分やカティアのみならず、アイリスディーナまでもがテオドールの事を異性として好いていた事実を。それがいつからだったのかは分からない。自分と同じく『海王星(ネプトゥーン)作戦』の前後だったのか、それともノィエンハーゲンへの救出作戦に彼が志願した時期だったのか。あるいはもっとずっと以前、そう、彼が666中隊に配属されたその時から既に目を掛けていたのかも。いずれにせよあの日、自分は彼女にまんまとしてやられたというわけだ。

 

「尤も、それを後悔するような気持ちには、これっぽっちもならなかったけれど――」

 

 謀られた云々はさて置いて、あれが自分にとって一つの契機となったことには違いない。嫉妬。羨望。それらに類する感情が己の中にもあった事を、グレーテルはあの時初めて知った。このままこの女にテオドールを取られたくない。自分だって彼が欲しい。だからこそアイリスディーナがこの共同生活を提案した時、あれこれ葛藤こそすれ拒否の選択肢など自分は端から考慮していなかった。そう、あの時必要だったのは本音を正当化する為の建前、ただそれだけで。

 

「……本音と建前か……今でもまだ、自分の本音は素直に出せてないな」

 

 そろりと下腹をさすり、グレーテルはふうと溜め息をつく。最初の妻となり長男ユルゲンを産んだアイリスディーナを皮切りに、昨年退院してきたリィズが先般無事に出産を遂げ、次いで妊娠したファムも年内には出産予定。さらには今年で十八歳となったカティアも自分が大人と認めたことで、早晩彼女らの後に続くのだろう。

 そろそろ自分だって。そんな気持ちはここのところ、日を追うごとに高まっている。昨今の仕事に対する焦りに似た感情ももしかして、その辺りに根源があるのかも知れない。

 

「テオドールの子供……かあ」

 

 もしも自分がそれを授かる日が来たら。そんな夢想を、グレーテルはこれまでに幾度となく描いてきた。何しろあのアイリスディーナですら我が子の前では無邪気な、それでいて温かみのある母親らしい笑顔を浮かべるぐらいだ。平素は鉄面皮を貫く自分でも、いざその時には猫っ可愛がりをしてしまうに違いない。それはきっと他の皆からは奇異を極める光景と映ってしまう事だろう。でもそれでも良い。愛する人の子をこの腹に宿せるなら。そしてこの腹を痛めて子を産み愛せるのなら。その時にはきっと、自分も。

 

「…………もしもーし。もしもぉーーーし」

 

 ――その呼び声に鼓膜を揺すられ、グレーテルははたと我に返った。浴室のドア、その向こうからコンコンコン、とノックの音が響いている。どうやら考え耽るうちに呼び掛けを聞き逃していたか、あるいはうたた寝でもしてしまっていたらしい。誰? と尋ねると、磨りガラスに透けたドアの向こうの人影は「あたしー」と緩慢な声をこちらに投げ込んできた。

 

「その声、もしかしてアネット?」

 

「そだよー。ここにいたのねグレーテル、ただいまぁ」

 

 声の主はアネットだった。防衛任務の為、遠く離れたドーヴァーに赴任していた彼女。その声を聞くのも実に数ヵ月ぶりとなる。

 

「そう言えば今日は帰還予定日だったわね。夕食の席には姿が見えなかったけど、今着いたの?」

 

「んー。ホントはもっと早く帰って来れる筈だったんだけど、海峡の天候が荒れちゃってさー。スコットランドの方からぐるっと迂回してきたもんで、予定よりかなり遅くなっちゃった」

 

 なるほど、とグレーテルは胸の内で得心した。何しろBETAの影響で空路が満足に機能しないこのご時世、中隊の任地であるドーヴァーからの帰還には最短でもおよそ半日を要する。そこに運悪く気象条件が乱れるなどすれば、夕方の到着予定だったものが深夜にまでずれ込むことも珍しく無い。そういう事は今回のみならず、これまでにも度々あったことだ。

 

「それはご苦労様。でもどうしたの、こんな所に。まさか私を探してわざわざ帰還報告しに来てくれた、なんて言わないわよね?」

 

「いやぁ、やっぱ家に帰ってきたら寝る前にお風呂でゆったりしたくってさー。グレーテルも分かるっしょ、この気持ち」

 

「まあそうね」

 

 この大風呂で熱い湯を浴びる開放感はやはり格別なものだ。それは自分のみならず、この家に暮らす者なら誰もが認めるところである。この極上の幸福を授けてくれたファムの提案には、返す返すも感謝しなくてはならない。

 

「でさ、ちょっと待ち切れなくなっちゃって。アンタもついさっき入ったばっかでしょ。良かったら一緒に入ってもいい?」

 

「一緒に? 別に、いいけど」

 

 少し不思議に思いつつも、グレーテルは快く了承した。前線では一緒にシャワールームに入ることも稀では無かったし、今さら互いの裸に恥じらい合うような間柄でも無い。それにこれだけ広い風呂なのだ。たまには一人占めせず、誰かと語らいながら湯を楽しむのも乙なものだろう。……そのつもりでしか無かった、というのに。

 

「じゃあ入るよー」

 

 カラリと開くドア。そこには当然ながら一糸まとわぬ姿のアネット――の後ろに続いて、予想だにしない人物の姿があった。

 

「――――っ?! な、な……なッ!!」

 

「悪いな、邪魔するぞ」

 

「てっ、テオ……ドールっ!?」

 

 とっくに寝たものとばかり思っていたのに。素っ裸のテオドールがそこにいるのを見て、グレーテルは咄嗟に自分の裸体を両手で覆ってしまう。

 

「あ、うぁ……こ、これはどういう事よアネットっ」

 

「ん? あたしまた何かやっちゃいました?」

 

「やっちゃいましたも何も無いわよ! どうしてテオドールまで一緒にその、こんなところに」

 

「だってさぁ、ヘトヘトんなって帰ってきたのに他のみんなはもう寝ちゃってて、けどテオドールがご飯作って待っててくれたもんでさ。お腹いっぱいになって落ち着いたからお風呂入るー、って言ったらテオドールもお風呂まだだって話だったから、だったら一緒に入ろっかーって。ね?」

 

 同調を求めるかのようにテオドールを向くアネット。ね、じゃないわよ。そう叫びたい衝動をグレーテルは必死に堪える。

 

「済まん、俺まで急に押しかけたりして。やっぱり迷惑だったか?」

 

「え、あいや、そんな事無いわ……じゃなくて! 別に問題など無いっ。一応私達は、えとその、ふふ夫婦なんだしっ」

 

「そんなこと言っちゃって、バッチリ声震えてんじゃないのー。それとテオドールの前でだけそ(・)の(・)口(・)調(・)になんのもいい加減やめたら?」

 

「うぅっ。あ、アネットには関係無いっ!」

 

 図星を指されてグレーテルは大いに狼狽してしまう。時々はそうでない事もあるのだが、テオドールに対して意識的に軍人口調を用いるのは、言ってみればグレーテルなりの線引きというものだった。

 自分は決して快楽に呑まれてここに居るのでは無い。他の妻たちについてもまた然り。この生活形態はあくまで個々が夫に抱く愛ゆえの産物なのであって、ハーレム紛いのふしだらなものとは違う。その証明として、自分は皆の監督役を務める為にこの家に居るのだ。例え『可愛げが無い』等と揶揄されようともそういう態度を内外に示すことで、グレーテルは我が家における己が立ち位置を確保しようと努めていたのである。

 

「まーまー、そうカッカしないでってば。じゃあちゃっちゃと体洗っちゃおっかな。あ、テオドールはそっちの洗面台ね」

 

「分かった」

 

 元々多人数での入浴を想定しているこの浴室には、全く同型の洗面台が二つ設けられている。そこにアネットとテオドールが座り込み、二人揃って石鹸(ソープ)を泡立てわしゃわしゃと全身を洗い始めた。

 そんな彼らの様子を、グレーテルは首までお湯に漬かりながらギロリと睨めつける。アネットとの入浴だけなら同性同士なので、まあギリギリ許せると言えば許せる。だがそこにテオドールを連れ込むことまで許した覚えは無い。それなのにアネットときたら、とグレーテルの憤りはますます高まってしまう。

 

「ついでに頭も洗っちゃおっと。――あれ、あたしのシャンプーそっちか。テオドールぅ、そこのボトル取って」

 

「これか?」

 

「それじゃなくて、も一つ隣。オレンジのボトルでキャップ黒いやつ」

 

「こっちか。ほら」

 

「サンキュ」

 

 二人の様子はどう見ても、この状況に何らの違和感も抱いてはいないみたいだった。……いや、彼が度々アイリスディーナやファムらと共に入浴している事は、自分だって勿論承知している。アネットもそうだという事実を今の今まで知らなかっただけで。きっとアネットにしてみればこの程度、わざわざ言うまでもないぐらいに『夫婦なんだから当たり前』な事だったのだろう。恐らくはそういう点でも、自分は皆より数段後れを取っている。――彼と一緒に入浴するのだって、自分はこれが初めてだというのに。

 

「あぶぶぶぶゎ。ふ~、サッパリしたぁ」

 

「こっちも終わった。じゃあ俺たちも湯に浸かるか」

 

「あ、そ、それじゃ私は髪を洗うから――」

 

「なんだグレーテル、アンタまだ髪洗ってなかったの?」

 

「家での入浴時は、髪は最後に洗う事にしてるんだ。私の洗髪は少々時間が掛かるからな」

 

 そう弁解しつつ、グレーテルは自分の長髪をまとめたタオルにそっと手を当てる。まず身体を洗って湯船でじっくり体をほぐし、それから時間を掛けて髪を洗い、最後にもう一度ふやけるまで湯に浸かって心身を整える。これがこの家でのバスタイムにおける、グレーテル流の入浴作法である。

 

「はぁ、ロングヘアーも大変そうだねぇ。いっそあ(・)の(・)時(・)みたくバッサリ切っちゃった方が楽なんじゃないの?」

 

「う、うるさい! 自分の髪をどうしようが私の勝手だっ」

 

 髪を切れだって? 冗談じゃない、とグレーテルは心の中で唾を吐く。かつて交戦中に負った火傷のせいで一時は耳丈にまで切られてしまったものの、それから再び伸ばして今はあの頃とすっかり変わらない長さに戻っている。容姿も性格も花っ気の少ない自分が唯一己の女らしさを認められるもの。それがこの黒く長い髪なのだ。これを自ら手放すことだけは、自分の中の『女』が死んでも許さない。

 

「よせよアネット、そういうのは余計なお世話ってヤツだろ」

 

 テオドールに軽めの仲裁を入れられ、アネットが「むー」と口を噤む。お陰でそれ以上の口論には発展せず、こちらも口の端に覗かせた犬歯を引っ込めることが出来た。

 

「悪かったなグレーテル。アネット(コイツ)のはちょっとした軽口だから、気にしないでくれ」

 

「あ、ああ。私は大丈夫。……それよりもテオドール、」

 

「何だ?」

 

「私が髪を洗う間、あんまりこっちを見るなよ」

 

「は? ……まあ、分かった」

 

 テオドール達と入れ替わるように湯船から上がり、頭のタオルを取ったグレーテルは仏頂面で洗面台の前に座り込んだ。少し緊張しつつも努めて平静を装い、ヴァイオレットカラーのボトルを手に取る。髪を洗うところをまじまじと見られでもしたら、恥ずかし過ぎていたたまれない。そう考える自分がまだまだ『乙女』を捨てきれずにいるという意識が、何となく肩に重石を載せているみたいだった。

 気を取り直して洗髪に取り掛かる。まずは手のひらで入念に泡立てたシャンプーをひたひたと毛先に付けるところから。丁寧に揉み洗いを繰り返して少しずつ上へと遡ってゆき、耳の裏や生え際などをしっかり洗い込む。それが済んだら頭皮全体をじっくりと、汚れを浮かせつつマッサージするようにして。……その間、背後からはアネットとテオドールの声がひっきりなしに聞こえていた。

 

「――そんでさぁ、今回の仕上げはヒヨッコ共の連携確認だったんだけど、アイツらったらねぇ……」

 

「そりゃあ困ったな。まあ小規模戦闘で何度か実戦を経験するうちに慣れてくるだろ、筋は悪くない連中だし」

 

「けどなぁ~。あたしとしてはやっぱ、もう何人かくらい長刀使いがいた方がいいと思うんだよねぇ。特に最前衛に立つんならさ、長刀と突撃砲と盾は絶対基本兵装(マスト)にすべきよ」

 

 鏡越しにちらりと背後を窺うと、二人ともこっちに目もくれず、向かい合ってあれやこれやと日常のよもやま話を語らうのに夢中な様子である。洗髪姿をまじまじと観察でもされたら、という当初の危惧もどうやら杞憂であったらしい。自意識過剰もほどほどにしないと。そう己を戒めつつ、ふわふわの泡に包まれた髪全体をシャワーと手櫛で丁寧にすすいで一旦水気を搾り、次にトリートメントを適量取ってこれまた毛先からひたひたと髪に馴染ませてゆく。

 

「だって弾切れしないしリーチあるしで、メチャクチャ使い勝手いいんだよ? みんな長刀の事、過小評価してんだってば」

 

「そこまで有用とは思えないけどな。無いよりマシってのはそうだろうが、77式(アレ)はトップヘビーで出が遅い分、寸でのところで対処が間に合わないって場合もあり得る」

 

「え~。じゃあさじゃあさ、こないだの軍事演習で日本帝国(インペリアル)の派遣部隊が担いでた74式、あれならどう?」

 

「似たようなもんだ。それにアレは反りが強くて重心も手元に寄ってる分、長剣みたく力任せに叩っ斬るような使い方は出来ないだろ。カタナの扱いに慣れてる日本人ならあれで良いんだろうが、そうじゃない俺たちが付け焼刃で運用するのは弊害の方が大きいと思うぞ。日本式剣術をきちんと指導できるヤツも東ドイツ(うち)にはいないしな」

 

 話題は部隊錬成から戦術機の兵装案に移ったようだ。トリートメントが髪に沁み込むまでの間、二人の会話に耳をそばだてるグレーテルも、かつて中隊の衛士であった頃を回想しながらこの件を考えてみる。

 正直なところ、BETA相手にゼロ距離での格闘戦をするだなんて、自分の技量では恐ろし過ぎて考えたくもない。それにハイヴ攻略はおろか敵漸減すら満足に成し得ぬ現状、対BETA戦術の主軸は依然として銃撃や爆撃といった中・長射程攻撃。それは多少の戦闘教義(ドクトリン)の差こそあれ、どの国も概ね同じの筈。であるならば、こちらの間合いに入られた時点で一巻の終わり、という衛士が大多数なのが偽らざる前線の実情というものだろう。そこへわざわざ長刀での戦闘を強いる事にどれほどの意味があるのやら。盛んに長刀を推すアネットの気持ちも分からなくはないのだが、こと採用云々に関してはさすがに分が悪いと言わざるを得ない。

 

「でも至近距離まで迫られたらこう、あッ、欲しくなんない?」

 

「ならない。多目的追加装甲(シェルツェン)と近接短刀(シウス)さえあればそれで十分だ」

 

「ええぇ~。アンタはそれで良いかも知んないけどさあ、……ふ、やっぱ近接格闘のノウハウだって絶対必要だってば。――んんっ。お願いよぉテオドール、長刀の採用ぁん、ダメ元でいいから掛け合ってみてって。あたしも長刀使いの後輩がンっ、欲しいのぉ~~ぁぁぁ」

 

「そんなに長刀使いを増やしたけりゃあ、俺を通さず直接上層部(うえ)に言えばいいだろ。お前だって今や中隊長代理なんだし」

 

 それは確かにアネットが自分ですべき事柄だ。ふふ、と苦笑しつつグレーテルはトリートメントを軽くすすぎ落とし、それからコンディショナーのボトルを手にする。これを髪によく馴染ませてからシャワーで流せば洗髪終了だ。全工程に要する時間はおよそ十数分。この通り非常に手間ひまが掛かってしまうが、この拘り抜いた手入れこそが黒く艶深いサラサラな長髪を維持する秘訣なのである。

 

「――よし、すすぎも終了。ではもう一度あったまっ……てええええええええええ!?」

 

 何の気なしに振り返ったグレーテルは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。ついさっきまで雑談に興じていたにも関わらず、いや現に今も雑談めいたことを喋っているのに、さっきまでは適度な距離を保っていた筈のアネットとテオドールがいつの間にやらみっちりと抱き合っている。それも舌を絡め合ったり乳房や互いの陰部をまさぐったりと、その行いは明らかに性交渉のそれだ。何だ? どうした? 私は夢でも見ているのか? あまりの異常事態に、グレーテルは軽い眩暈すら覚えてしまう。

 

「ななななな、何してるんだ貴様らぁぁっ!!」

 

「んぁ? 何って、ナニだけど」

 

 ちゅぱぁ、と涎を引いてテオドールから口を離し、アネットが事も無げに答えた。

 

「そんなのは見れば分かる! 分かるけどそういう話じゃなくてっ! 何を考えてるんだ二人とも、ここに私がいると言うのに!!」

 

「やだなー、そんなの分かってるよ。でも別にいいじゃん見られたって。あたしらみんなで夫婦なんだし」

 

「ふ、夫婦だからって……そもそも見られたも何も、これじゃそっちが一方的に見せつけてるようなものだ! アネット貴様、よもやこの家のルールを忘れたわけじゃ無いだろうな?」

 

 この暮らしを始める時、皆で定めたエーベルバッハ家・夫婦のルール。その一、妻達に序列無し。その二、家事は皆で協力すること。その三、夫の寝床は夜毎に夫が決めるものとする。そしてその四、みだりに他の妻達を煽情すること勿れ。眼前に繰り広げられたアネットの行動はどう考えても、この四つ目のルールに抵触している。

 

「もっちろん忘れてなんかないわよぉ。でもさー、それ言ったらあたし達みんなで一つのお風呂に素っ裸って時点でとっくにアウト、裏を返せばその時点で合意が取れてるとも言えるじゃん? それを禁止するルールなんて無かったよね」

 

「そそ、それとこれとは話が違ッ……!」

 

「も~いいからそういうの。難しく考えないでさ、この際グレーテルも一緒に楽しも――あッテオドールそれっ、乳首ころころ舐めるの……いいっ」

 

 途中で発言を切ったアネットが、ぶるる、と身震いした。そのあまりの艶めかしさにグレーテルは息を呑む。テオドールと他者のセックス。それを目の当たりにするのも別にこれが初めてというわけでは無い。だがあの時は自分も初めてだったのと『これは任務なのだ』という一種の自己暗示が効いていたお陰もあって、辛うじて平静を保つことが出来た。だが今回そんなものは一切存在していない。何の事前告知も無く突発的に見せびらかされる男女の情交。それは瞬く間に、グレーテルの脳内から理性という名の楔を抜き放ってしまう。

 

「ぅ……ああ……」

 

 浴槽のへりに両手をついてへなへなと這いつくばり、そこからは黙して二人の交わりを眺める。ぴちゃぴちゃという水音は揺れる湯の発したものか、はたまた二人の唇が紡ぐ唾液のカクテルが鳴らしているのか。ガッチリと筋肉質なテオドールの肉体と、全体的に慎ましくも実に女性らしい柔らかさを帯びたアネットの肉体。その二つが密着して押し合っている光景はただそれだけで、グレーテルの深奥を強く疼かせるものがあった。

 

「あ、ん。胸もっと強く揉んでもいいよ」

 

「そうか……このぐらいか?」

 

「んぅぅ~。そう、その感じ。じわーって指の感触残るぐらいが最っ高」

 

 テオドールの手に弄ばれたアネットの乳房がもにゅもにゅと撓んでいる。彼女の乳房はほんの少し、そうほんの少しだけ、自分のそれよりも豊かで大きい。その先端に踊る乳首をかじられ「あ~ッ」と半目になってよがるアネットの姿が、高鳴る鼓動の音と共に脳裏へ深く刻み込まれる。

 

「んふ。ホラ見なよグレーテル、テオドールのあそこももうカッチカチ」

 

「――わ、」

 

 それを一瞥した途端、グレーテルはうっかり生娘のような感嘆を口からこぼしてしまった。ただでさえ大きく逞しいテオドールの逸物(いちもつ)。それが今日はいつにも増してぱつんぱつんに張っている。ざばあ、と湯から上がって浴槽のへりに腰を下ろしたテオドールの陰部が、ちょうど自分の真正面に位置する形となった。

 

「ビックリさせたか? 二人同時にって思ったら、なんか妙に興奮しちまって」

 

「えと、いや……ビックリっていうか……」

 

 テオドールと交わる時は基本的に、自分はいつもテオドールの為すがままに任せていた。たまにこちらから攻めるにしろ、それはテオドールの求めに応じてその通りにしていただけ。従って、彼のペニスをここまで間近に凝視した事なんてこれまでに一度も無い。あまりに肉々しく黒々しく、艶すら放つ男性の象徴。その先端にある縦孔からは既にぷっくりと透明な露が溢れ始めている。

 

「あ……これ、このとろとろ……」

 

「そうそう、テオドールがエッチな気分になってる時に出る『愛汁(カウパー)』ってヤツね。こんだけ興奮させられるんだから、あたしらコンビも案外捨てたもんでもないよねぇ」

 

「何だよ『あたしらコンビ』って。何度も言ってるだろ、お前らも他のみんなも十分以上に魅力的だって」

 

「はぁ~? どのクチが言ってんのよ。金髪巨乳モノのビデオ、未だに懲りもせず書斎に持ち込んでるクセに」

 

「ちょっ……! それは言わない約束だろっ」

 

 アネットも湯船から上がって来て、自分の隣にぺたんと座り込んだ。何を? とこちらが挙動を窺う間も無く、彼女の小さな手がテオドールの男根をくにゅりと握る。

 

「うふふ~、バッキバキ。ねえグレーテル、これどうしたらいいか知ってる?」

 

「え……て、手でこすったり……?」

 

「それから?」

 

「んん……撫でたりさすったり……後は、どうしたら……」

 

「クチで咥えたり舐めたりするの。せっかくだからやったげなよ、喜ぶよ~テオドール」

 

 ――ええ? 俄かに信じ難かったグレーテルはテオドールを見上げてしまう。その拍子に吐息を浴びせてしまったせいか、伸び切った男根がびくびくと物凄い勢いで前後に跳ねた。これを口に含めと? さすがにそこまでの行為を求められた事なんて無い。というかそもそもの話、コレを咥えたり舐めたりするのは性的なソレとして本当に正しい行為なのだろうか? 募る羞恥と昂揚、そして己の無知のせいで、どうとも判断を付ける事が出来ない。

 

「本当なのか? テオドー、ル……」

 

「あー、まあ……けどイヤだったら無理になんて言わないぞ。さすがに口でってのは抵抗あるだろうし」

 

 それは実のところ的を射ていた。以前に茶の席でリィズがそれとなくそれっぽいことを発言していたような記憶もあるにはあるが、どうせ与太話かカマでも掛けているのだろう、と大して真に受けていなかった。だってそうだろう。性器というものは排泄の為の機能を兼ねている。従ってそこから出てくるのは生殖行為に必要なものだけではない。それを触れるどころか口にする? どう考えたって不潔以外の何物でも無いではないか!

 

『そんな事も無いですけどね~。お兄ちゃんけっこう喜ん……あ、ごめんなさいお茶の最中にこんな話。この辺にしときますね』

 

 ……だが考えてみれば、とグレーテルは一度冷静になって振り返る。テオドールはいつも前戯の一種として、自分に口腔愛撫(クンニリングス)を施してくれていた。それは直接の刺激のみならず、愛する者に自分の大事なところを舐られ吸われ味わわれている、という淫猥かつ倒錯的なシチュエーションからくる精神的興奮を与えるものだ。ならばそれは立場を変えて女性が男性にする場合も然り、とも言えるのではないだろうか。

 

「……分かった」

 

 熟慮の末、グレーテルは決断した。この忌避感の原因が己の無知にあると言うのなら、これはその無知を是正する良い機会だ。それに他の者ならいざ知らず、愛するテオドールの身体の一部なのであれば汚いなんてことは断じて無い。そう、コレは彼の唇や指と同じ。別の視点で考えれば、いつもして貰っている事のお返しをするだけ。ただそれだけの事なのだ。そう必死に自分へ言い聞かせながら、目の前で揺れる肉棒と対峙する。

 

「でも上手くできるか分からないから、その……あまり期待するな」

 

「あっああ。じゃあまずは、ゆっくりキスしてみてくれ」

 

「ん……」

 

 恐る恐る、唇を亀頭に近付ける。風呂で温まった直後だからというのもあったろうが、先端からほんのり伝わる人肌のぬくもりと嗅覚を掠める強烈な雄のにおいに、自ずとへその下がゾクゾクしてしまう。果たしてコレで幾度胎内を掘り返された事か。それを今度は下ではなく、上の口で迎え入れる事となる。

 

「……ちゅ。んぷ……ん、何これ。ぬるぬるしてて変な味……ちゅぱちゅる、ちゅずぅっ……」

 

 ねぱりと唇にまとわりついた粘液。それはどこまで退いても決して切れ落ちぬ銀糸の橋を、男根との間に掛ける。愛汁(カウパー)、とアネットが呼ばわったそれは舐め取ってみると想像以上に味の無い、けれど嗅覚に酸っぱさを覚える不思議な液体だった。決して美味しいものでは無い。けれど、何故だか舌を離せない。あ、これ、クセになるかも。そう思った頃には既に、グレーテルは夢中になってその滴りを啜るようになっていた。

 

「じゅるるっ。あぶ、ちゅぱんっ、あむ、んふ、ずずず……んく。すごい……吸っても吸ってもどんどん湧いてきて……んぅぅ、ちゅぶぶ、」

 

「凄いっしょ? この勢いで終始トロットロのまんまなんだよ。これでナカ掻き回されるんだからめちゃくちゃ気持ちイイのも当然だよね、ぬるぬるーって滑りまくりだし」

 

「んちゅ……じゅるるっ。言われてみれば、確かに……つちゅぅぅ」

 

 思えば初めての時を除き、テオドールとのセックスで直接擦れる部位に『激しさ』や『狂おしさ』を覚えたことはあっても『痛み』を覚えたりはしなかった。圧倒的なぬるぬる感が体の真底にまで滑り込んでくるようなあの快感。それを生んでいたのはもしかして、この潤沢な愛汁(カウパー)にあったのかも知れない。

 

「慣れてきたら先っぽのトコぺろぺろ舐めてみな。……うん、そうそう。たっぷり唾液まぶすみたいな感じで。この裏筋んトコの窪みを舌でちょろちょろって擦ってやるとさー、腰ビクビクーってなって面白いんだよ」

 

「お、おいアネット、あんまり突っ込んだとこまで教えなくてもいいって――うぉ、」

 

 言われた通りに亀頭の裏の凹凸を尖らせた舌先でほじくるように苛めると、テオドールは実に過敏な反応を示してくれた。いつもはいいように責められてばかりの自分が今は、テオドールを責める側に回っている。その嗜虐的な達成感と痛快さが元来負けず嫌いなグレーテルの心に火を灯し、愛汁(カウパー)で鼻先をべとべとにしながらも、肉竿への口淫(フェラチオ)をより加速させてゆく。

 

「あー、あたしも何か疼いてきちゃった。ね、こっち半分あたしに頂戴。二人で一緒にテオドールのこと気持ち良くしてあげようよ」

 

「ん、あっ、ちょっ……」

 

 横から割り込んできたアネットが遠慮も見せず、亀頭の右半分にぴちゅぴちゅと舌を這わせ始めた。苦悶とも快感ともつかぬくぐもった呻きを洩らすテオドールは今、女二人を侍らせてペニスをしゃぶらせている、というこの事実をどう捉えている事か。みきみき、と雁首の外周がさらに一段膨らんだのを確認したアネットが、赤く腫れ上がった彼の陰嚢に片手を添える。

 

「んりゅ、れる、ちゅぱちゅぱちゅぅぅぅう。……こうやってさ、タマのところ優しく揉んだりコロコロされるのにも弱いよね、テオドール」

 

「うっ、く、ああ――さすが、アネットにはおおかた見切られてんだな」

 

「これでも妻としてアンタを悦ばせる為、日夜研究を欠かしてませんのでー」

 

「ちゅく、ちゅっ。……衛士としては多分に問題発言だが、同じ妻としてはその姿勢、不本意ながら見習わざるを得ないな……んく、あむ、かぷ」

 

「あっ、ちょっとズル~。先っちょ頬張っちゃったらあたしの責めどころが減っちゃうじゃん」

 

 元々割り込んできたのはそちらの方だ、今回ぐらいはこっちに優先権を譲って貰おう。そう答える代わりに、グレーテルは頸部を揺すって亀頭全体に前後運動の刺激を与えていく。それは見様見真似……というよりも、日頃のテオドールの律動から『こうすれば彼はより気持ち良いのでは』という推測に基づくものでしかなかったのだが、結果としてテオドールの呼吸はどんどん荒ぶり始め、切なげに腰を震わせ出した。その反応が無性に嬉しくて、グレーテルはより動きを強める。

 

「んく、かぷ、ちゅぶちゅぶっ……んう、ぐぷぷ、んあむ、くぷくぷっ、」

 

「も~、キャンディみたいにちゅぱちゅぱしゃぶっちゃって。……しょーがないかぁ。とりま今回はフェラお初のグレーテルに花持たせてあげるってことにして、あたしは茎とタマメインで」

 

 かぽかぽ、と音を立てて自分が亀頭を呑み込むそのすぐ下で、アネットが手と口を巧みに使ってテオドールの陰嚢周りを弄り始めた。チラリと覗いてみた先ではあろうことか、アネットが陰嚢の片側を丸ごと頬張っている。そこまでするか、という驚愕はしかし、こうすればテオドールは悦んでくれるのだ、という新鮮な発見をグレーテルに根付かせた。

 

「んっ……んふ、れるれる、ふぁふ、」

 

 いつもは勝気なアネットも今は頬に濃い朱を差していて、同じ女の自分ですらぞくりとする程の色香を表情全体に湛えている。これが雌(おんな)の顔というものか。そう思ったのと同時に、ならば自分も似たような表情をしているのでは、ということにグレーテルは思い至る。今すぐそれを確認する術は無いものの、それでも過去最高にカッカと顔が熱くなっている事だけは確信を持って断言出来る。

 

「――うぁ、そろそろ出る……グレー、テルッ……」

 

 ぐつん、と亀頭が大きく張り詰めた。これは絶頂の兆候。それを悟ったグレーテルは雁首までをすっぽりと口に含み、啄木鳥のように細かく首を前後させる。このままいけばやがて彼の猛りがここに解き放たれる。それを待ち望むかのように、止めどなく舌の腹をうねらせながら。

 

「ちゅぱ、ちゅぱ、れるっ。……ふふっ、タマがキュンって縮んでる。もうイキたいんでしょ? ほら、グレーテルが全部受け止めてくれるよ。イキなよテオドール……ちゅぷっ、ちゅ」

 

「れるりゅっ、んふ、んっんっ、くぽくぽくぽっ」

 

「うああっ、アネット……グレーテル……っく……ぐ……――っぅ!!」

 

 テオドールが短く呻いたその刹那、どぷん、とグレーテルの舌の上に熱の塊がなだれ込んだ。

 

「んぶっ……!」

 

 たちまち口腔いっぱいを埋め尽くさんとばかり、次々と射出される生々しい精の奔流。こちらを蹴飛ばす勢いで跳ね回る男根を戒めるように、グレーテルは唇をきゅっとすぼめてその固さを啄み続ける。数度の躍動の末、出すものを出し終えたテオドールの肉棒は口中からゆっくり引き抜かれた。根本付近まで唾液に濡れ光り、先端周辺に白く濁った膜を纏う男性の象徴。それをグレーテルは、初めて味わう精漿のゼラチンみたいな感触を舌の上で確かめながらぼうっと眺める。

 

「――はぁ。どうグレーテル? いっぱい出たでしょ、テオドールの精液(ザーメン)」

 

「……こぽ……ん、んん……」

 

「どれどれ。クチ開いて、あたしにも見せて」

 

「ん、んぁ……はふ、」

 

 アネットに促されるがまま、グレーテルはおずおずと唇を開いてみせる。口中の半分ほどをゆうに埋め尽くす強い粘つき。咽頭を経由して鼻腔に充満したにおいは、直接注がれたせいもあってか極めて鮮烈で、濃厚な潮の香りを思わせる芳しさだった。

 

「あはは、やっぱすんごい量。アンタも容赦ないよね~、初めてフェラする子にこんなたっぷり出しちゃってさ」

 

「いやそう言われたって、こればかりは自分じゃどうしようもないんだが」

 

「ほんとテオドールって絶倫ってゆーか、量も多けりゃ何回でも出来るしで底無しって感じだよね。あ、それともこれもアイリスに鍛えられまくったお陰ってヤツ?」

 

「関係無いと思うぞ……多分」

 

 等と二人が言っているのを横目に、グレーテルは口中の精液を唾液で割って『ごくり』と嚥下する。――やっぱりものすごく濃ゆい。口いっぱいに残るえもいわれぬこの風味に脳が揺すられる。と、半分溶けたゼリーが滑り落ちるみたいな喉越しを覚えた刹那、焼けつくような凄まじい痛痒感が咽頭を襲った。

 

「――っぐ!? ごほげほ、けほっ」

 

「お、おい。もしかして飲んじまったのか?」

 

「かふ、かはっ。え……だって、せっかくテオがくれたものだから……」

 

「だからって、そこまで無理しなくても」

 

「ん、んうんっ……別に無理なんかじゃ……」

 

 咳払いをしつつ、グレーテルは涙目の端でそっとテオドールの反応を窺う。少しでも彼が喜んでくれれば、と思ってしたことなのだが、却って不興を買ってしまっただろうか。少し怖い。けれどここで怖じても仕方が無い。そんな自分の目つきはともすれば、不愛想にテオドールを睨んでいるようですらあっただろう。

 

「なによーテオドール。これも愛の為せる業、ってヤツじゃん。きちんとゴックン出来たんだから、グレーテルの事もっと褒めたげなよぉ」

 

 そんな風にグレーテルを擁護しつつも、アネットはテオドールの亀頭から滲み出た残滓をぺろぺろと舐め上げ始めた。それはあたかも綺麗に掃除をしてあげているかのようだ。彼女がそうしている事がまた、グレーテルにしてみれば信じられない。元からあけすけな性格の女だとは思っていたが、まさかいざ情交に際してここまで淫靡な姿を曝け出すとは。知られざるアネットの色欲に塗れた一側面。それを垣間見るような思いに、何だか頭がくらくらしてしまう。

 

「んっ、ちゅ。ちゅぷぅ、んくっ。――さあ、今度はあたし達が気持ち良くしてもらう番ね。ちゃんと二人ともイかせてよ、テオドール」

 

「ああ、まあ頑張ってみるさ」

 

 洗い場の床に寝そべり、アネットがおもむろに脚を開く。その上に覆い被さったテオドールが再び彼女の胸をむしゃぶり始めた。――と、それをぼうっと見守っていたグレーテルの下腹部に突如、硬くて大きなテオドールの手がごつりとぶつかる。

 

「ひやんっ!?」

 

「二人同時になんて俺も初めてだから、うまく出来るか分からないが……もし違和感あったら言ってくれよ」

 

「あ、ああ。ん、あはぁ……あ、テオ……それっ、胸……!」

 

 ぐいと腰を掬われ、そのままテオの口に乳房を舐られる。既にアネットを片手に抱いているにも関わらず器用なものだ。そんなやくたいもない事を、グレーテルは乳首をてろてろと嘗め尽くされながら考える。その後もテオドールは自分とアネットを交互に、或いは同時に、使えるもの全てを使っての愛撫を施していった。

 

「……んん、んはっ……うぁ、あっ、あ……」

 

 指先で花弁を執拗になぞられ、グレーテルはつい身悶えしてしまう。優しい手つきに敏感なところを巧みに責められ、どうにも昂りを抑えられない。それはアネットもまた同じなようで、もう片方の手にぴちゅぴちゅと嬲られた彼女の陰唇からは透明な愛液が泉の如く溢れ出ていた。

 

「俺もそろそろ挿れたくなってきた。濡れ具合から言って、アネットからでいいか?」

 

「んぁ……うふぅんっ、さっきたっぷり弄られてたから、あたしはいつでも大丈夫。きて、テオドール」

 

「……今夜は着けなくて、いいんだったよな」

 

「ん。いいよ、そのままで……」

 

 くぱぁ、と粘ついた音を立てて自らの花弁を押し分けるアネット。そこに宛がわれたテオドールの赤黒く太い剛直。この威容が自分以外の女に呑み込まれてゆくのを見届けるのもこれで二度目だ。あの時のアイリスディーナがまだ処女であった、とは随分後になって知った事だが、果たしてすっかり性交にこなれたアネットならばどのような反応を示すのか。性的知識の浅い自分が、内心では興味津々でその瞬間を観察しようとしている事実を、今は正直に認めざるを得ない。

 

「――ん、あっ、ああぁぁあ~~~ッ……久々に来たあ……テオドールの、生のペニスぅっ……!」

 

 花芯に沈み込む肉棒の感触に、アネットがぶるぶると全身を震わせる。それと同調するかのようにテオドールの指が膣にずぶりと侵入してきたせいで、こちらもまた「んぁぁ、」と濡れ声を洩らしてしまった。

 

「ね、テオドール抱っこして。ピッタリくっつきながら、しよ」

 

「分かった。ほら、しっかりしがみついてろよ。――しょっ、と」

 

 テオドールの背中に腕を回したアネットはそのまま抱き起こされ、互いに正面から抱き合うような恰好で繋がっている。それを下から眺めるグレーテルは己の秘部を弄られ悶えながらも、形良いアネットのお尻とその内側でぬこぬこ出入りする肉棒のいやらしい動きから目を逸らすことが出来ない。

 

「んぁ、んぁああっ。やっぱいい、いいよぉ。テオドールと生でするのぉ」

 

「っく――俺もだ。ゴム着けてる時とは全然違うぞっ。むちむち感が凄いし、それに中の絡みつきが……っ!」

 

「だ、だってぇ、生だと気持ち良すぎてぇぇ。あたしのナカ、喜んじゃってるからぁあっ……! あ、ふぁぁ、おくきてるぅぅ……んん!」

 

「アネット、凄い……そんな気持ち良さそうな声上げて……ふぁ、あぅああっ」

 

「お、グレーテルの中もだいぶ反応してるな。さっきから指がキュウキュウ締め付けられてる」

 

「あぁダメっ。そんな激しっ……うあっ、ああぁあ……!」

 

 じわじわ迫り来る快感にグレーテルは身体を突っ張らせた。ぐちょぐちょという水っぽいこの感触からして、自分も相当にそぼ濡れてしまっている。目の前で喘ぎ声を全開にして気持ち良さげによがり狂うアネット。彼女のそういう姿を見ているとそれだけで、自分が犯されているさまを想起せずにはおれない。

 

「ああ、あうぅ、んやぁぁんっ! んぁふ、だめ、ソコくちくちって細かく突かれるとあたし、すぐイっちゃうから、っあぁぁあ!」

 

「何だよ? さっきはイかせてって言ってたぞ」

 

「せっかくの生なんだもん、もっと楽しみたいのぉぉ。こんなすぐイっちゃうのは、あああっ、やだあっ!」

 

「駄々っ子め、それなら満足するまで何回だってしたらいいだろ。こっちはまだまだ行けるぜ?――グレーテルも待たせてるしな」

 

「んぁ、別に待ってるわけじゃ……は、うううっ……テオの指、いいトコにきて、るぅ……あ、う、んんん!」

 

 もはやアネットの前だからと言って、感じている自分を誤魔化すことは出来そうも無かった。浴室に響く女二人分の嬌声。うち片方は見る間にトーンを上げてゆき、切迫する吐息が限界の近さを克明に表していた。

 

「あはぁっ、ぅやあぁぁ~~~ッ! ――だめイクっ、もうイっちゃうっ。キスしてテオドールぅぅ。全部とろとろにっ、溶かしてぇぇっ」

 

「アネット――、」

 

「ちゅ、ちゅく、ぷちゅぅぅぅ。……はぁぁんっ、ておろー、るぅぅ。ちゅぷっ」

 

 はしたない音と共に二人が唇を交わし合っている。アネットの目頭からぼろぼろと歓喜の涙が溢れている。――ああ欲しい、テオのキスが私も欲しい。そんな風にアネットを羨む気持ちもだがしかし、愛液に塗れたテオドールの指で陰核(クリトリス)を撫でられた途端に霧散してしまい、グレーテルの脳内は快楽一色に染め上げられた。

 

「うあっ、あああんっ、あ~~~ッ、だめえっ、ペニス奥に当たんの、きもちよすぎてぇぇっ。あ、あっ、あ、あ、あ! ――ああっあ!!」

 

 ひときわの絶叫。それきりアネットは全身をがくがくと痙攣させ、テオドールの腕に抱かれたままで神経の糸が切れたみたいに脱力してしまった。体感上の話でしか無いが、自分と比べてアネットは達するまでが随分と早かったような気がする。……それは前線でテオドールの相手をしている関係上、性的な意味での彼女の体の開発が自分よりも数段進んでいるから、なのだろうか。

 

「――あぁ出てるぅぅ……出てるの分かっちゃう。奥でテオドールのあっついの、びゅっびゅってなってるよぉぉぉ……」

 

 ほどなくしてテオドールの律動が止まり、肉竿の根元がポンプのようにどくんどくんと膨張と収縮を繰り返した。膣内射精の感覚。それはグレーテルとて何度も体験済みである。熱した飴玉のようなものがびちゃりと勢い良く奥底にぶつかる手応えと、直後内側にどろりと広がる蕩けたぬかるみ。それらが混然一体となってもたらす快感の度合いたるや、他に例えようが無い。あえて言うなれば、子宮に沁み込む気持ち良さ。アネットも今、それをこの上もなく味わわされている真っ最中だろう。

 

「……っはぁ。良かったぞアネット」

 

「はぁ、はぁ、はあ……。んふ、あたしもすっごく気持ち良かった……。やっぱ生だと全然違うわ。カリの形もはっきり分かるし、お腹タプタプであったかいのも堪んなくイイ」

 

「じゃあこれからも生でするか?」

 

「そうしたいけどそれはダメ、あたし体質的に避妊薬(ピル)合わないし。それに今はまだ妊娠するわけにいかないもの」

 

 それはきっとアネットが皆と交わした約束、いや誓いのことを言っているのだろう。全員が子を儲けるまで自分は前線でテオドールとこの国を支える。自分はそれからで良い。それから三年、アネットは今に至るまで律義にそれを守ってくれていた。彼女のその献身的な姿勢には掛け値無しの敬意を表しつつ、しかし裏では孕んでしまったら「その時はその時」で良いのではと、グレーテルはちょっぴり思っている。

 

「んッ……じゃあ交代ね。今度はグレーテルのこと、いっぱい愛したげて」

 

 テオドールと一度キスを交わした後、やおらアネットが腰を浮かせた。繋がっていた二人の性器が『ぬぽっ』と卑猥な音を立てて抜けた直後、アネットの陰唇の奥から捏ね尽くされ泡立った愛液に混じって大量の白濁が流れ出る。それを指に絡め取ってぺろりと舐めたアネットは浴室の壁にもたれかかり、小休止の体勢となった。

 

「ふふふ~。安全日だけのスペシャルデザート、今日もごちそうさまでした」

 

 満足気なアネットを一瞥して「ふう、」と一息をついたテオドールが振り返り、こちらに熱い視線を送ってきた。それにどぎまぎさせられたグレーテルは息を詰まらせながらも、まっすぐにテオドールを見つめ返す。

 

「……な、何だ」

 

「なあグレーテル、これはちょっとした提案なんだけどさ」

 

 ほんの少し言いにくそうに、テオドールが鼻先をぐしぐしとこする。

 

「今回だけでいいから、その口調、やめてみないか?」

 

「えっ……?」

 

「いや、俺だってグレーテルの考えは理解してるつもりだ。家を建てる時にみんな一緒の大部屋にするのを反対してたのもそうだし、この家の規律や風紀をきちんと引き締める役割を担う事で、俺達が弛まないようにしてくれている。硬い口調もきっとそういう意識からのものなんだ。だろ?」

 

「あ、いや、そこまで深い考えがあったわけでは」

 

 予想外の推察にグレーテルは狼狽させられてしまった。それはこの家のことを考えてというよりもむしろ、素直になれない自分自身の為にそうしていたという側面の方が強かったのだが。

 

「謙遜しないでくれ。お前がそうしてくれていたお陰で、俺達のこの暮らしは世間から不必要な偏見や誤解を抱かれることなく今日までやって来れたと思ってる。一応の建前として同居の理由が『革命の象徴(カティア)や救国の女神(アイリスディーナ)の安全保障の為だ』という方便が成り立ってるのも、日頃の生活態度がしっかりしていればこそだからな。そういう意味で俺達全員、グレーテルへの感謝の念は尽きない」

 

 そうとまで言われると、驚嘆を通り越して恐縮すらしてしまう。「教条主義」と散々こき下ろされてきた自分の生真面目さが皆の役に立ったのならばそれはそれで良いのだが、本来誰かの為にしていた事でないものをここまで褒めそやされてしまっては、むしろ肩身の狭い思いだ。

 

「けどさ、アネットも言ってたように、たまには女らしいところを見せてくれたっていいんだぜ」

 

 優しく述べつつ、テオドールが自分の髪を撫で梳かす。彼のもう一方の手は未だ花弁の奥に食い込んだままで、その太く節の硬い指をより深く咥え込もうとする自分の膣が、さっきから忙しなく蠕動しているのが分かる。

 

「俺はお前の魅力的な部分を沢山知ってる。髪や容姿に気を配ってたり、仕事帰りにちょくちょく飾り用の造花を買って来てくれたりさ。食事の支度をしてる時にいつもさりげなく一品追加してるのも、俺達の栄養バランスを考えてくれての事だよな。他にも整理整頓がなってない時とかに俺達のこと注意してるけど、あれだって相手が疲れてたり落ち込んでたりが原因の時は何も言わず、そっと片付けてくれてるだろ? そういうの、俺はちゃんと見てるんだからな」

 

「テ、テオ……」

 

「初めてお前を抱いた時だってそうだ。処女(バージン)だってのに、任務を盾にしながら強気に振る舞って、だけど健気に俺を受け入れて。――そういうグレーテルの優しさや可愛らしさに、俺はずっと惹かれてる。意識して硬く振る舞ってるところも凛々しくて良いけど、その奥に秘められた女っぽいところはもっと魅力的で可愛いと思ってる。こういう時ぐらいそれをもっと見たい、って思うのは自然なことだろ?」

 

 ほっぺたが熱く腫れ上がっている気がする。頭から湯気が噴き上がりそうで、思考が全くまとまらない。背中に回された手で優しく抱き起こされるのが嬉しくて心地良くて、今にも胸が破裂しそうなほどに切なく苦しい。この時グレーテルは思った。ああ、自分は今もう一度、この男に恋をしてしまっている、と。

 

「あらら、グレーテルってば茹でダコみたいに真っ赤っ赤んなっちゃってまぁ。テオドールの何気に一番ヤバいトコってさ、こうやって女を口説く時の天然ジゴロっぷりだよねぇ」

 

 横から揶揄するように、アネットがニタニタしながら口を挟む。口惜しいがそれには全面的に同意する他無かった。初めて抱かれたその時も、自分の心を決定的に射抜いたのは彼のこの甘やかな囁きだったのだから。

 

「茶化すなよ。――それは置いといて、どうだグレーテル? 口調、変えてみてくれるか」

 

「あ、えっと……うん。そんなにテオが言うんだったら」

 

 もじもじとしながら、グレーテルは無意識のうちに唇に当てていた指をそっと下ろした。代わりにテオドールへキスを求めると彼はそれに応えて熱烈な接吻を返し、しばし互いの唇と舌が絡み合う。

 

「んぁ、んっ、ちゅ、ちゅく……」

 

 キスをする度この胸にジワリと広がる温かみと甘酸っぱさは、何度味わっても慣れる事が無い。それどころか今日のキスは格別で、高級なブランデーを脳髄に注がれているみたいな気分だ。極上の心地にすっかり酔い痴れた自分の酩酊ぶりを可愛がってか、テオドールの手のひらが頬をすりすりと撫でる。そのくすぐったさにグレーテルは「やんっ」と身をよじった。

 

「じゃあ、行くぞ」

 

「ええ……それとその、テオドール」

 

「ん?」

 

「普段こんな事言ったりしないけど、えっと、その…………愛してる」

 

 精一杯の告白をすると、それを受けたテオドールは柔らかく微笑み、そして。

 

「――あ、ああぁ……ッ」

 

 引き抜かれた指の代わりに彼の逞しさがずぶりと分け入り、ほぐされた膣内を埋め尽くす。粘膜と粘膜がこじれ合う感触。いつにも増して感情が昂っているせいか、今日は挿入されただけで脳のどこかがぴりりと弾けるような快感すら覚える。

 

「うあぁぁ……テオの、奥まで届いてるっ……これ、深ァ……~~っ!」

 

 さっきのアネットと同じ、対面座位での交合。いつもとは侵入角(アングル)が異なっていて、反り返った肉竿の先端が胎の上端を突き破ってきそうな感じが少し怖い。けれどこうやって体いっぱいに密着していると、テオドールの体温や引き締まった筋骨の感触に安らぎを覚える。相反する感情に襲われているというのに、この時の自分は心も体も何もかもが彼の愛で満たされてゆくみたいだった。

 

「と、しまった」

 

「――え?」

 

 急にテオドールが慌てたような仕草をし始めた。それと共に、根元までずっぽりと入っていた肉竿が急にずるずると後退を始める。それを押しとどめ、どうしたの、とグレーテルは尋ねた。

 

「さっきの流れでゴム着けるのうっかり忘れちまってた。さすがに今日はヤバい、よな」

 

「あ、」

 

 そう言われれば、とグレーテルは思い出す。ここのところ職務に忙殺されていたせいもあって、テオドールとそういう行為をするつもりの無かった自分は避妊薬(ピル)の摂取を一週間ばかりさぼっていた。仕事が立て込んで忙しい時にはいつもそうであることを、彼も当然知っている。毎日飲まないと効果が無い上に、次の危険日がいつになるかも予測が立たない。それが今日かも知れない、というリスクをテオドールは考慮してくれたのだろう。

 ――けれど。

 

「ううん、いいの」

 

「いいって、グレーテルお前……」

 

「このままして。……今日はもう、止められそうも無いから」

 

 それは限りない本音からの言葉だった。愛される悦びにあてられてしまったこの身体はもはや、満足せずに中断なんてことを赦してくれそうもない。それに普段飲んでいるものとは別に、机の引き出しにはいざという時の為の緊急避妊薬(アフターピル)を常備してある。副作用が少々重いのであまり積極的に摂りたくはないのだが、今宵ばかりは仕方が無いだろう。明日の自分に苦労を掛けてしまうことにはなるが、それも職務に忙殺されて日課を怠ったが故の、言わば自業自得というものだ。

 

「その代わり、アネットよりもいっぱい、いっぱい私に注いで。ね、テオ」

 

「グレーテル、」

 

「欲しいの。テオがくれるもの、今夜は私の全部で受け止めたくて。だから……」

 

「……急に可愛すぎるんだよ。そんな風に求められたら、ありったけ出し切るしかなくなるだ――ろっ」

 

「ふああっ!?」

 

 ずんっ、と下からの強烈な突き上げ。それを喰らったグレーテルの視界が一瞬暗転する。自分の全体重が圧し掛かるこの体位は、想像以上に肉竿の食い込みが強い。いつもは前か後ろからばかりだった事もあり、自分にとって不慣れなこの体位でのセックスには未知の要素が山ほど詰まっていた。

 

「あっ、やぁんっ、乳首っ……!!」

 

 慣れる暇も無く両方の乳首をきゅうと摘ままれてしまうと、いよいよどうしていいか分からなくなってしまう。上端を掠るように柔く捏ねられるのがグレーテルの好みなのだが、それを把握し切っている彼の責めは短い時間であっという間にこちらの性感を高めてゆく。体に力が入らない。視界がパチパチと忙しなく点滅している。彼に触れられる場所がもう、どこもかしこも気持ち良すぎて堪らない。必死にテオドールにしがみつくしかなくなったグレーテルにはもう、何かを考えるだけの余裕すら残ってはいなかった。

 

「あ、あっあっあ、ん……! あぁテオっ、テオの髪、いいにおいっ……んっんっ、あぁ――! はぁ、はぁ、今の、乳首きゅーってきつく吸われるの好きっ……~~あぁそれっ、それいいのっ」

 

「すっご、グレーテルめちゃくちゃよがりまくりじゃん。普段からこうなの?」

 

「感度が高い方ではあるな。今日はより一段と、って感じだが」

 

「だっ、だってぇ……このカッコ、いつもより深いトコに、ぐりぐりってぇ……!」

 

 テオドールの亀頭が子宮の入口を的確に捉えているのが分かる。腰を揺すられる度、それが過剰なほど敏感な最奥の柔肉をぶちゅりと押し込んでは彼の愛汁(カウパー)と己の愛液(バルトリン)に滑り、その振動がじんじんと響く余韻を膣全体に生む。アネットの前ではしたないと知りつつも、口から勝手に出る喘ぎはもう止めようが無い。尻を掴まれぱんぱんと抽挿を繰り返されると、逃げ場を失った自分は涎を垂らして官能の海に溺れっぱなしになってしまう。

 

「あっあっあっ! これ、怖いっ。テオが、テオのが、私の中かき分けて、入っちゃダメなとこまできちゃうぅっ! こんなの、ヘンに、なっちゃうっ……私、壊されちゃううぅぅッ!! ああぁああぁんっ!」

 

「うわあ、めちゃめちゃ気持ち良さそ~。あたしがしてる時も、グレーテルからはこんな風に見えてたのかな? ――んッ。何かあたし、またムズムズしてきちゃった、かも」

 

 見ればアネットが再び吐息を乱しながら、自分の秘所を指でくりくりと弄り始めている。その刺激で分泌を再開した愛液に運ばれてきたか、手ずからぴちゃぴちゃと嬲る花弁の内側から白濁がとろりと零れ始めた。

 

「放ったらかしにされてたら淋しくなってきちゃった。ねえ、あたしも混ぜてよ」

 

 言うが早いか、アネットは自分とテオドールとの間に割って入り、そのままこちらの身を床へ寝かせるようにぐいと手で押して来た。視覚的にはまるでアネットに押し倒されたような恰好。彼女は悪びれもせず、テオドールへ向けた尻をフリフリと振る。

 

「指でぐちゅぐちゅってして。ねぇお願いテオドール」

 

「――分かった。その代わりグレーテルが気持ち良くなってるトコ、ちゃんと見ててやれよ」

 

「任せてよ。アンタの分までこの子の可愛いところ、たーっぷり堪能しておくからさ」

 

「な、ちょ、ちょっとアネット。冗談はよしてよ――」

 

 抗議の声も虚しく、テオドールに腰を振られたグレーテルは「あんあんっ!」と再び快楽の真っ只中に突き落とされてしまう。目の前では自分と同じく恍惚の形にその表情を歪めるアネットの姿。彼女の下腹部からぼたぼたと零れ落ちた半ゲル状の白濁液が、自分のへその辺りに淫欲の水溜まりを形作る。

 

「あっ! んんっ……テオドールもっと陰核(クリ)も弄ってっ。――あっそう、それっ……ちょっとかさついてんのイイっ、好きぃっ」

 

「んっ、ふわあっ、ぅぁあやあぁぁあっ……ずこずこって激しいのだめっ、中溶けそうになるうっ。あ、あっ? ダメよアネット、勝手に乳首弄んないでっ。私が体を許すのはテオだけ、なの、にぃぃっ」

 

「あは、いーじゃんそんなの。同じ男にされちゃってる者同士さ、あたしらもお互い弄り合って気持ち良くなっちゃお」

 

 その言葉にグレーテルは我が耳を疑う。アネットがこんなに享楽的な人間だとは思わなかった。そうした非難の念はしかし口から出ることも無く、それどころか彼女にこりこりと乳首を撫でられ興奮を強めてしまってすらいる。つまるところ自分は、この背徳的(インモラル)な状況に半ば愉悦を覚え始めていたのである。

 

「って言うかさっきから『テオ』って呼んでるけど、それってアイリスの呼び方と同じだよね」

 

「うあっ。そ、それは、初めての時からのクセっていうか……っ」

 

「あ~、そう言やグレーテルの初体験ってアイリスと一緒だったんだっけ。じゃあそん時に呼び方伝染(うつ)っちゃったんだ。あたしもそれ採用しよっかなー」

 

「だ、ダメえっ。これ以上他の誰かにテオって呼ばせたくない! 私だって、私だってテオの事が一番に好きなのっ。それなのにアイリスディーナだけいつもテオの第一の妻(ファーストレディ)扱いだなんて、そんなの、そんなの認めてないんだからぁっ!」

 

 何を口走っているかもよく分からぬまま、グレーテルは思いの丈を吐き出す。アネットの言う通り、彼を二人きりの時だけ『テオ』と呼ぶその由来はアイリスディーナにあった。そして自分がテオドールとの逢瀬の時のみ同じ呼称を用いるのは、彼女への対抗心の顕れでもある。いち早く身籠りテオドールの正妻的ポジションを獲得したアイリスディーナ。それゆえ一度は「やはり彼への恋心を諦めるべきだ」と思ったこともある。だが妻達に序列無し。自分達のルールがそうである以上、誰が何と言ったって自分が譲歩する必要なんてこれっぽっちも存在しない、その筈だ。

 

「冗談だってばぁ。けどようやく素直になったね、やっぱそうやってアイリスと張り合ってる方がアンタらし――あぁん! そっちこそいきなり乳首摘ままないでよぉ!」

 

「うるさいっ。余計な事言ってないで、あなたはテオの愛撫に集中してなさいよっ。あふっ、きゃ、ちょっとテオ、急にずりずりって……あ、あ、やだっ、入口から奥まで大きく擦るのらめぇぇっ!」

 

 二人のかしましい声がキンキンと浴室に響く。これは淫蕩地獄か、はたまた酒池肉林か。さっき流したソープの香りも今はもう、汗と愛液の放つ饐えた匂いに置換されてしまっている。テオドールの腰の動きがさらに速度を増し、ただでさえ大きな亀頭が膣内でさらにぶくりと一回り膨らんだ。お互いに絶頂まであと少し。せめて少しでもテオドールを感じたくて、グレーテルは空いていた彼の左手を手繰り寄せぎゅうっと握り締める。

 

「テオ来てっ。私の、わたひのなかにぃ、いっぱい出してぇっ……!」

 

「ああっ、いくぞグレーテルっ……!!」

 

「あっあっ、あたしもイク、イっちゃうぅ。あと少しだからお願い、いつものトコ(Gスポット)すりすりしてぇぇ、テオドールぅぅう!」

 

 乱れ飛ぶ猥雑な言葉。色濃く湿った吐息。湯気と熱情に火照る肌。淫らにぬめり突き動く愛欲の塊。この身に感じるものは全て、官能と興奮の材料ばかり。それに昂らされた意識が最高潮まで昇り詰めてゆく。びくびく、と己の全身を激しく震わせ、グレーテルは「あぁあああぁん!」と最後の嬌声を上げた。

 

「――ッ!!」

 

 テオドールの呼吸がつんのめり、直後に膣内をマグマのように煮え滾った噴液が浸潤してゆく。さっき口に出されたのと同じものが、今度は子宮目がけて吐き出されている。――熱い。熱くて、ぐちゅぐちゅしてる。それを感じ取りながら、ぼうと霞む意識の中で、グレーテルはこれ以上無いほどの絶頂感を堪能していた。

 

「…………ぁ、あっ……ああぁぁ……!」

 

「ああっ、あぁ~~! ……はぁはぁ、んっ、あぁぁ……あたしも、イっ、ちゃった…………ぁ」

 

 アネットもまた達してしまったらしく、熱気に包まれた身体をどさりとこちらにもたれ掛け、ぜえぜえと荒い吐息を洩らした。お腹の表面と内側がぐっちょりとした生温かさに濡れている。ここから見えはしないものの、きっと果てたアネットの花弁から噴き出たものが撒き散らされているのだろう。――ややあって、激しく荒ぶる己の呼吸を認めたグレーテルはその狭間でぼんやりと思考する。

 ここまでよがり狂ったのは、自分で自分を慰めた時も含めてこれが初めてだ。それは傍らにアネットがいたからなのか、二人を同時に相手したテオドールがいつも以上に猛ったからなのか、それとも彼の愛の囁きのせいで未曽有の多幸感を覚えたが故なのか。何にしても凄まじい波濤を浴びてしまったせいでこの身は今、隅々まで悦びに打ち震えている。

 こんなのを一度知ってしまったからにはもう後戻りなんて出来ない。あんなに物凄い絶頂の直後だというのに、体の奥が疼いて疼いて仕方がない。まだ足りない。もっと欲しい。そんな想いは自分でも気付かぬうちにアネットを押しのけ、余韻に浸るテオドールを押し倒し上からキスを注ぐ、という積極的な行動を己に取らせた。

 

「――ふぅ、ふぅ。ねぇテオ……もっと。もっと、頂戴」

 

 

 

*

 

 

 

 ……あれから数時間。部屋に戻ったグレーテルは「ふう、」と重い嘆息をこぼし、そのままベッドに倒れ込む。

 

「場の雰囲気に流されたとは言え、あんな痴態を……ああ、本当に私ってば……!」

 

 思い返すだけでも顔から火が出そうになる。あの後、テオドール達との行為は数度に及んだ。アネットの提案で二人掛けでの『素股』というものを試してみたり、片方への挿入中にもう片方を愛撫し絶頂を促しては取って代わったり。連続で果てたテオドールの休憩中にはアネットと二人、互いの弱いところの探り合いなんてことまでやってしまった。そうして愛液に塗れた各々の体を流し合って、再び高まっては交わって……等とやっているうちに、ふと気付けばドアのところにはアイリスディーナとリィズが鬼の形相で立っていたのだった。

 

『お楽しみ中のところ申し訳無いが、今何時か分かっているのか貴様ら? 全く、今にも泣き出しそうな様子のリィズに叩き起こされて、何事かと思って来てみれば……』

 

『夜泣きするヘンドリックをあやそうって思ってリビングに下りたら、どっかから呻き声みたいなのとクチャクチャっていう変な音が聞こえてきて。ひょっとして幽霊? それともはぐれBETA? って思ってビクビクしてたらコレなんだもん。べぇつにお盛んなのは良いんですけどぉ、時間も時間ですし? 皆さんもうちょっと節度持って下さいね~。……特に、お・兄・ちゃん・はぁぁぁぁ』

 

 こうして彼女たちからこってりと絞られ、ほうほうの体で解放されたのがついさっき。居残りを命じられたテオドールは今もまだ、リビングであの二人の説教を浴びせられっ放しになっているのだろう。……時計の示す時刻は疾うにAM3:00を回っている。今から眠っても睡眠不足は避けようが無い。重ね重ね、明日の自分には余計な苦労を掛ける顛末となってしまった。今の自分に出来る事と言えば、肉欲に負けた己をひたすら呪わしく思う事のみだ。

 

「これじゃあルール、ルールって言ってきた私の立つ瀬が無いじゃないの……」

 

 ぼふん、と不貞寝するように寝返りを打ち、グレーテルはそっと下腹に手を当てた。この中には今、テオドールに注がれた彼の愛の証がたゆたっている。それ自体はいつもの事。だが今の自分はそれで身籠ってしまいかねないという、ある意味危うい状態にある。こうして部屋で一人きりになった今、その事をいよいよ強く認識せずにはおれない。

 

「――お腹、ざわざわしてる。まるでテオの精子(アレ)が中で泳いでるのが分かるみたい」

 

 そのうちの一つでも自分の最奥まで辿り着けば、そしてそこに自分の命の源が待ち受けていれば、その二つが結び合わさって新たな生命を象ることになるかも知れない。繰り返しになるが、今そうなるのを自分はずっと避けて来たし、今後も暫くは避けるべきだった。――せめて今年一杯は堪えなければ。ゆらりと立ち上がったグレーテルは机に向かい、引き出しから一粒の錠剤が入った銀色の包装薬袋(PTPシート)を掴み取る。

 

「ちゃんと、飲まなくちゃ」

 

 これさえ飲めば自分の危惧する最悪のシナリオ、それだけは避けることが出来る。いつもなら迷いなく飲み下せる筈のちっぽけなその錠剤を、しかしその時は何故だか、全くと言っていいほど飲もうという気が起こらなかった。どうしてだろう。何を迷う事がある。ここでの自分の軽挙妄動がカティアの頑張りを、皆の血の滲むような苦労を、この国の行く末を、全て台無しにしてしまうかも知れないというのに。そう思って包装を握り締めながら、尚もグレーテルは葛藤する。一体何が自分を迷わせているのか。瞳を閉じて原因を手探りするうちに漠然と、かつての記憶が掘り起こされてゆく。

 

 

・

・

・

 

 

『――本当に産むつもりなの?』

 

 それは旧ベルリン陥落の直前、フランスへの一次疎開に備え支度をしていた自分とアイリスディーナとで行われた秘密の会談。当時、彼女はそのお腹に後の長男・ユルゲンを懐妊していた。だが自分達を取り巻く状況は極めて厳しく、その先行きも杳として知れない。事によっては身重であることが彼女自身の命取りとなってしまう恐れもある。それならばいっそ――等とは考えたくも無かったが、しかし選択肢の一つとしてそれを提示するのは今ここにおいて自分以外に居ないと、グレーテルは腹を括ってその場に臨んでいた。

 

『無論だ。この子は命を懸けてでも、必ず産んでみせる』

 

 決然とそう言い切ったアイリスディーナの瞳に、迷いの色は一つも無かった。当時は妊娠三ヶ月。もしも彼女が自分の主張に同意したとして、その選択を取るなら決して遅い時期では無い。それに彼女には衛士として隊長として、あるいは政局を見通す知将として、その秀でた能力を活用できる場がまだ山ほどある。それはきっと本人も承知の筈で、にも関わらず彼女は全てを棄てて一人の母となる事に、微塵も迷う素振りを見せなかった。

 

『私の役目は既に終わった。今後この国を導いていくのは、私のような過去に囚われた者であるべきでは無い。“老兵は死なず、ただ去り行くのみ”――かつての世界大戦において極東戦争を終結に導いた米陸軍元帥の残した言葉だそうだが、今の私にはその意味が良く分かる』

 

 租借地であるアイルランドへの避難行は、短くとも数ヵ月は掛かる見積もりだった。加えて革命戦の最中にアイリスディーナが負った怪我も充分に癒えているとは言い難く、避難生活での疲弊や出産といった諸々の事象が母体に思わぬ負担を強いるであろう事は間違いない。だがそうと分かっていても強靭な姿勢を崩さぬアイリスディーナを前にして、グレーテルにはもう彼女を説得する事など出来そうも無かった。

 

『これからの私はただ一人の人間として生きる。この戦いが終わったらそうしようと、随分前から決めていた。新しい時代に必要なのは新しい息吹。それに相応しいのはカティアや同志中尉のような気骨を持つ先導者(リーダー)に加え、陰惨な歴史を知らずに生まれ来る無垢な命だ。……もう分かるだろう同志中尉。私は愛する男のくれた命をこの身に宿し、それを産み育てる事でもって、党と国家と愛する者達に忠誠を尽くしたいのだよ』

 

 そう。あの時のアイリスディーナは既に、次なる時代の次なる戦いを見据えていた。いかにアイリスディーナが超人じみた技能と智謀の持ち主であっても、彼女一人で出来る事なんて高が知れている。そしてそれを徒に費やすばかりでは、彼女の真に望む世界の実現は叶わない。それはグレーテルにだって分かっていた。

 独力で世界を変えるなど、どんなに優秀な人間にだって出来やしない。国家保安省(シュタージ)との戦いがその事を、沢山の犠牲と引き換えに教えてくれた。それとは逆に、どんなに不可能と思えることだって、沢山の人の力を束ねればいつか必ず成し遂げられる。敗走に敗走を重ね絶望ばかりのBETAとの戦争であってさえも、この難局を打ち破るのは人類の叡智と結集、それらが生み出す途方も無い力である筈だ。

 それがいつになるかは分からない。その日を迎える前に、自分もいつか何処かで果ててしまうのかも知れない。だがそれでも人の命が脈々と受け継がれ、何年掛かろうともBETAとの戦いを人類が継続する限り、その日は必ず訪れる。そうと信じるアイリスディーナの真なる強さを、『母』にならんとする彼女の内に芽生える強さを、その時グレーテルはまざまざと見せつけられた気がしたのだった。

 

『……同志大尉の覚悟は良く分かった。だったら私もこれ以上は言わない。持ちうる手札を総動員して、どんな事をしてでも大尉とお腹の子を守り通す。……そして必ず、あなた達をテオドールに逢わせてみせるわ。だから何があっても生きてその子を産みなさい、アイリスディーナ・ベルンハルト』

 

 

・

・

・

 

 

 彼女達にとって、あの宣言にどれほどの重みがあったかは分からない。それが未来を変えられたかどうかも。結果として自分に出来た事と言えば、アイリスディーナの移送に際してなるべく母体に負担の掛からぬルートを幾つも経由させた事。あと一歩でアイルランド行きの船に乗れる、というところで急に産気づいた彼女の為、可能な限り良質な出産体制を手配した事。その末に産まれた赤子とアイリスディーナをいち早くアイルランドへ送り届けた事。それだけだ。

 

「あんな過酷な状況でもきちんと五体満足な子を産んだのだから、全く大したものよね。あの女(アイリス)は――」

 

 妊娠九ヵ月に入ったばかりでの早産となったユルゲンが無事生まれた折、母となったアイリスディーナよりも先に涙を流して喜んだのは自分だった。我が子でも無いのに何故だったのだろう。当時はその答えに辿り着くことは出来なかった。

 ただ一つ言える事があるとすれば、あの時の経験と涙無くして今の自分は存在し得なかったであろうという事。何かを守り抜くことの難しさ。その尊さ。衛士であった頃には分かっているようで分かっていなかった事が、ようやっと腑に落ちた。一生懸命泣きながら存在を主張する新たな命。あの子を、まだ名を授かる前のユルゲンを見たグレーテルには、そんな確かな感覚があった。

 

 

 

 あの時、アイリスディーナは授かった子を『産む』という選択を取った。苦境を極めるあの状況においても尚、彼女はその決断を迷わなかった。

 自分はどうか。

 手の内には命運を決める一粒の錠剤。その一粒が、自分達の今後を大きく左右する。

 飲むべきか、飲まざるべきか。

 その選択権を今ここで有しているのは他でもない、自分自身のこの手なのだ。

 

 

 

「――まあ、いいか」

 

 思索をやめ、ゆっくりと瞳を開く。数センチにも満たない銀色の硬質な包装。それをそっと引き出しに戻し、グレーテルは再びベッドに腰を下ろす。

 これは決して捨て鉢な選択、という訳じゃ無い。もしも授かったらその時はその時。自分に為し遂げられなかった事は、他の者に任せてしまえばいい。それを無責任と詰る声もあるかも知れないが、今現在自分のやっている事は言わば革命後の後始末であって、本当の意味でこの国の未来を創っていく仕事では無いのだ。ならばそれに拘り続ける意味なんて、どれほどあると言うのだろう。

 そうだ、その時はその時。それで自分の戦いが終わってしまう訳では無い。

 

「アネットにだってそう思ってた癖に自分だけは別、なんて、都合が良いにも程があるわよね」

 

 ごろんとベッドに寝そべって、グレーテルは頭の中に渦巻く考えをまとめに掛かる。政治的に難しい判断が続くだなんて言ってみたところで、常にBETAの脅威に晒され続けた旧東ドイツ時代を思えば今は安穏としたものだ。仮にここで自分が脱落したところで、それによって困る事など己の出世の道が断たれること以外にありはしない。どのみちこの生活を始めた時点で、実家からはとっくに見切りを付けられているのだ。それでもここに居る事を選んだのは、政治官僚として辣腕をふるい続けるだなんて、そんなちっぽけな事よりも。

 

「――愛する者と共に、望む未来を掴み取りたい――か」

 

 ……あ。その時ふと、グレーテルの脳裏に一つの閃きが舞い降りた。今の今まで本質的なところで、自分はアイリスディーナの思想に賛同していなかった。愛する者、と言って思い浮かぶのはテオドール。それは他の皆も同じ。ずっとそう思ってきた。だが恐らく、いいや間違いなく、アイリスディーナの言う『愛する者』とはテオドールと彼の子を含めた遍く国民、ひいては地球人類をも包括するものだった。

 『産む』というアイリスディーナの選択。それには深い意味があった。打倒国家保安省(シュタージ)という悲願を成し遂げた。東ドイツ革命を見事成就した。そこで私達の戦いは終わった――と当時の自分は考えていたが、むしろそこからが本当の戦いである事を彼女は見抜いていたのだろう。そう考えると色々な事が見えてくる。今まで自分の中でバラバラだったものが、渦の中へ吸い寄せられるみたいにぴたりと符合してゆく。

 とは言え、己の視野が特段狭かったとも思っていない。いずれ誰もが辿り着くであろう答えに、アイリスディーナの慧眼がいち早く到達していただけの事だ。なればこそ、テオドールの子を身籠った事も、その子を避難行の只中で産む事も、彼女は全く躊躇しなかった。何故ならばそれこそが次代に紡がれる希望、連綿と存続し続ける人類の未来、その象徴たる存在になるという事までをも、あの時点で既にアイリスディーナは知り得ていたのであろうから。

 

「――私もあれぐらいの器量を、少しは身に付けないといけないわね」

 

 何だか無性に可笑しくなって、グレーテルはくすくすと笑いをこぼしてしまった。戦い方は一つでは無いと解っていた筈なのに。各々には各々の戦い方があって、だからこそ自分は自分の戦いをすべきだと知っていた筈なのに。自分にしか出来ない訳では無くとも、自分がそうすることには大きな意味がある。あえてそういう戦いを択ぶこともまた、こういう時代には必要な事なのだ。

 

「あぁ……ひとしきり笑ったら、なんだか眠たくなってきちゃった」

 

 手繰り寄せた枕にもさりと頭を載せると、一日の疲労と充足感とが全身にどっと襲い掛かってくる。それに呼応したかのように、股座の端から何かがとろりと垂れる感覚があった。それが何なのかは分かっている。だが次第に強まる眠気のせいで、今は始末をしようだなんて気になれない。寝て起きたら下着を穿き替えればそれでいいだろう。――それでは済まないほどの量を零していたら? それこそ『その時はその時』だ。

 

「これでもしも私が妊娠したら、テオ、驚くかな。それとも喜んでくれるかな? ……ふふふっ」

 

 重くなってきた瞼をそのまま閉じて、夢の門戸を叩く。その先にあったのは自分とテオドール、そしてまだ見ぬ我が子の愛くるしい笑顔。周囲を取り巻くアイリスディーナたち家族の笑顔。さらに連なり広がりゆく数多の人々の笑顔。それらが花園の如く咲き乱れる、そんな美しく素敵な光景を瞼の裏側に思い描きながら意識をそこへ委ね、グレーテルは束の間の眠りに落ちたのだった。

 

 

 


 

 

 

 結果から先に言ってしまうと、あれでグレーテルが妊娠する事は無かった。子供は天からの授かりもの、とはまこと良く言ったものである。抱えていた仕事も年末までにはどうにか片付ける事が出来、明けて翌年の初旬からいわゆる『妊活』に取り組み始めた彼女はその後、子を授かるという事はそう容易いものでは無い、という当たり前の現実を知るに至ったのであった。

 

「全く。どれ一つ取っても、そうそうスムーズに事を運ばせてはくれないものね」

 

 いつかの折にも似たような事を独り言ちた記憶がある。だがあの頃と、心境は随分違う。今の自分はそういう儘ならなさも、ほんのちょっとだけ楽しめるようになった。

 人生はいつも望み通りのものになるとは限らない。この時代にあってそれは特に、だ。それ故に自分の選択が大きな意味を持つ時もあればそうでない時もある。そうかと言って、偶々訪れた機会という名の波に身を任せ乗る舟を次々換えるような事ばかりしていては、いつかは波に浚われ大望一つ果たせずに海の藻屑と消え往くものだ。一時は手を組んだとは言え自分達の仇(あだ)でもあったあの男、ハインツ・アクスマンがそうであったように。

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

 物思いに耽っていたところに、小用の外出からテオドールが帰ってきた。それを出迎えたグレーテルを、「いいって」とテオドールの手がやんわりと押し留める。

 

「あんまり無理するなよ。体に障るぞ」

 

「平気よ。たまには動かないと却って調子を崩しちゃうもの、私も、こ(・)の(・)子(・)も」

 

 お腹をさすり、グレーテルはにっこりと微笑む。そこは既に、その中ほどがはっきりそれと判るほどにまで大きく膨らんでいた。そう、マタニティドレスを纏うこの身体には今、切望した愛する人との間に成した子が、自分だけが育む事の出来る大切な一つの命が宿っている。日に日に大きくなっていく自分のお腹を見ていると、生命の不思議というものを感じずにおれない。だがそれと相まって、この胸の内でだんだん強くなっていくこの温かくも強かな心の波濤を、きっと人は『母性』と呼ぶのだろう。

 

「次の検診はいつだっけ? 日程が合うなら俺も一緒に行くよ」

 

「来週だけど、でもテオこそ無理しなくていいのよ。経過は大変順調、ってお医者様から太鼓判を押されてるし」

 

「いや、こないだヤマを片付けて今は落ち着いたもんだし、それに父親としての役目はちゃんと果たさなくちゃだからな。――予定日の穴埋めをするって訳じゃないけどさ」

 

「うん……分かってる」

 

 少し心細さもあるけれど、彼の事を困らせたくは無い。気丈に頷き、そしてグレーテルは彼の手を取った。現在教導隊に所属するテオドールは原則この家で暮らしてはいるのだが、それでも年に二度ほどは一~二ヵ月に及ぶドーヴァーでの防衛任務に当たらなければならない。そして今回運悪く、その赴任期間とグレーテルの出産予定日がぶつかってしまった。彼のせいでも無いというのに「済まない」と平謝りするテオドールに対し、グレーテルはさっきと同じ微笑みでもって、その事実を受け入れたのだった。

 

『テオがこの国を、私達を守ってくれるからこそ、私も安心してこの子を産めるの。だから気にしないで。あなたと私の愛の結晶は、命を懸けてでも必ず産んでみせるから』

 

 そんな誰かさんからの受け売りも、今は自分の確かな信念を添えて口にすることが出来る。テオドールの子を身籠った事も、その子を夫不在の状況で産む事も、全く躊躇しない。その道を先に歩んだ者がいて、何よりも自分は聡明で大胆不敵で傑物なその女に、是が非でも負けたくないから。

 

「……あ、動いた」

 

「ホントか?」

 

「うん。まだ動いてる、トントンって。触ってみて」

 

「どれどれ、――おお、確かに動いてる。かなり元気だな」

 

 喜びに顔を綻ばせるテオドールを見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。早くパパとママに逢いたい。このお腹に感じる胎動はまるで、中の子が自分達にそう訴えかけているみたいだ。ママこそ早く逢いたいわ、と心の中で返事をして、グレーテルはゆったりとお腹を撫でさすった。

 

「ねえテオ。この子の名前って、もう考えてる?」

 

 そう問うたグレーテルに、んー、とテオドールは何かを考える仕草をした。

 

「幾つかは考えてあるが、先にグレーテルの考えた名前が訊きたいな」

 

「何それ。本当は考えてなかった、なんて言わないでしょうね?」

 

「まさか。けど俺なんかよりグレーテルの方が良い名前を考えてそうだからな。何せ俺より教養深いし」

 

「バカにして。尤も、テオの期待に沿えるかどうかは分からないけど?」

 

 我が家の慣習……というか夫であるテオドールの方針として、子供が出来た時はその性別をあえて調べない事にしていた。事前に名前を考える時も、男の子の場合と女の子の場合で二つずつを夫と妻がそれぞれに考え、計四つの候補を用意する。それを出産までに男女一つずつに絞り込み、生まれてきた子の性別に応じて名付ける。そんな苦労も喜びとして噛み締めたい。以前は非効率だとしか思わなかった彼の考えも、今は大いに共感できるところがある。

 

「じゃあ『せえの』で二人一緒に言いましょう。まずは男の子から。せえの――」

 

 グレーテルの考えた名。テオドールの考えた名。それを同時に口にした途端、二人はくすくすと笑い出してしまう。

 

「……何だ、同じ名前だったな」

 

「凄い偶然。男の子の方は、これで決まりね」

 

 続けて女の子の名も同時に口にする。さすがにこちらも同じ名前とはいかなかったが、音の響きは自分のそれより彼の考えた名の方が良い気がした。

 

「俺はグレーテルの案もありだと思うけどな。まあこれについてはまた今度、じっくり相談するか」

 

「ええ。私の中では、もう決まりだけどね」

 

 え? と不思議そうな顔をするテオドールをひとしきり可笑しがって、それからグレーテルは彼と向き合った。初めて気付いた時から今日まで、この気持ちが変わった事は一度とて無い。それどころか年月を重ねる度に、想いを交わし合う度に、それは層を増すかのように膨らむばかり。こんな素敵な気持ちと共に生きていられるなんて、自分はあまりにも幸せ者だ。

 

「テオ」

 

 その名を口にするだけで今でもドキドキする。彼の視線を感じるだけで体がかあっと熱くなる。赤い髪の毛のそよぐ様が心をくすぐる。少し掠れたその声がこの耳を跳ねさせる。――恋。明るくなったり暗くなったり、甘かったり酸っぱかったり、そんな諸々を自分に注ぐこの感情。そこに溢れんばかりの愛が加わった今、グレーテルの胸中は色とりどりの花々が爛漫と咲き誇っているようですらあった。

 

「大好きよ。今までも、これからも、ずうっと」

 

 

 

 

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