ふうー……っと息を吐くと白い空気が散乱した。銀色の缶を持って走り逃げる幼い子供の姿は哀愁を帯びていて愛らしい。気分良く寝室に戻るとレソが寝間着で髪を梳いていた。
「叔父さん、遅かったですね」
「ああ、一つ戸締まりを忘れてて」
「……」
レソが脅えた顔をする。叔父は優し気な表情でレソの背後から身体を抱きしめて草色の髪に鼻先を入れ吸う。匂いを嗅ぎながら彼女の身を寝間着の上から撫でて呟いた。
「野良猫が一匹入って泥の足跡をつけていたから拭いてたら遅くなったんだ」
「そう、ですか……」
レソがぼんやりとした瞳で窓の先の夜空を見上げ叔父は顔を擦り寄せ彼女の耳に唇を、そっと触れさせる。
「大丈夫、大丈夫だよレソ、僕はどこにも行かない」
レソが小さく震えて濡れる緑色の瞳を隠す。その閉じた瞼に口付けをすると近くに常備されている細長い黒い布を手に持った。
「……良い子だ」
しゅるり、しゅるり。
レソの瞑られた目元に丁寧に巻き付けて縛る。レソの白い肌は桃色に、ほんのり染まり期待するように唇を震わせ。
「……ロコさん」
叔父は低く笑うと彼女を寝台へと押し倒したのだった。
*
スクールの先輩、教師、家庭教師、年上の女によく言われた。
『甘いお菓子を出す人について行っちゃダメよ』
はたしてそれは金目の物に股を開く女とどう違うのか。それとも『金』という価値ならば損得勘定として『有』なのか。オレとしてはと考えてしまう。
例えばの話、金の価値を知らない子供に札束と色とりどりの菓子を目の前に出したら、どちらを選ぶだろうか。
本当に金の価値を知らなければ菓子を?
それとも知っているからこそあえて菓子を選ぶ場合があるかもしれない。
無知を装うことも生きていくことの価値ではある。
春風が肌を撫でる。程よい気温に風で吹かれた花びらが本の間に落ちてきた。
ふわり。
「うはー…また図書館から借りてきたの? よく読むねー」
屋根だけがついた廊下横、出入口近くのベンチに座り本を読んでいたらペソンに声をかけられた。同い年だが背が低く声も高い少年。栗色の髪がパラパラと風に揺れている。童顔の顔からして、ちょっと女の子みたいだ。だから、ブラソに『ペソン坊や』なんて、からかわれるんだろうな。
「本を読むと落ち着くんだ」
ニコリと笑う。ブラソにからかわれるペソンを半分はノッてからかうが半分は助ける。そんな位置に上手い具合つくと仲間としての定位置につけた。コレはペソンの存在様々だ。キャラがかぶると目を付けられやすいし。と、なると、ディリャ=ペサに未だ睨まれるオレと彼は似ているんだろうか?
話もしてくれず、ほぼシカトされるので、イマイチわからない。まあ、まだ一ヶ月、攻略を諦める気はないが。
「なんて本?」
「コレは……昔の事件をまとめて客観的に見ながら論理的にまとめた研究者の論文だよ」
「え、よくわからないや」
ペソンが首を傾げる。
「オレも、そんなにわかって読んでる訳じゃないよ、ただ、こんな考えもあるんだなぁ……へぇー……って面白がってるだけかな」
「おお……なんか大人な発言……」
ペソンが頬を染めて感心してくる。素直な子だ。素直なタイプは嫌いじゃない。指示したり扱いやすいからな。
――……部下の一人目の候補にするか……
オレは将来の計算をカシャカシャと頭の中で展開する。だとすると今の内に繋がりを強くしておこう。要は好印象を根付かして大人になってもいざという時、裏切られ難くする。学生や子供の頃のコミュニティーとは、そこが大切だ。
『金』よりも『友』を選べるならば最高。あとは『女』の好みの把握か。まあ、ペソンはわかりやすいけど。
チラリとペソンが追う視線の先には廊下を間にした庭で遊ぶ女子グループ。そこには、シスターもいる。縄跳びで跳ねるシスター。同じく跳ねる乳房。なかなか普通よりはあるのに激しく動くから。
たぷんっ。
たぷんっ。
「……っ!」
ペソンの表情が明らかに輝いている。素直な奴は表情に露骨に表れるから面白い。
「ははーん? 隠れてまたシスターを観察とは、やはりペソン坊やは変態ですな」
「!」
ペソンがバッと後ろを振り返る。ベンチの斜め後ろには室内に通じる窓があり、そこからブラソが顔を片手に乗せながらニヤニヤしている。
「お前は、バカッ、シスターに聴こえたらどうすんだっ」
声を抑え気味に叫ぶペソン。顔を朱くして必死だ。
「聞いておくれよ旦那ぁー」
ブラソが手を猫手のようにカクカク振りながら話しかけてくる。後ろへ顔を傾ける。
「ペソン坊やはさー最近、女子の特にシスターの発育が気になるらしくてさー……」
「ば、バカッ、言うなよ……」
声を抑え気味に上げて立ち上がって止めようとするペソンだが。外と室内の段差の差。窓という間の空間。オレより背の高いブラソの口には届かない。ペソン真っ青。
「わざわざ、女子の風呂上がりの時間を見計らって散歩に行くんだぜー寝間着のたわわを拝む為にさあ。合わなかったら何周もしちゃって……俺が厠に出たとき汗だくで、びっくりしちゃったねー」
「あー、ブラソとなんか二度風呂入ってきた? あの日か……」
ついつい笑ってしまう。
「あはは、仲いいなお前らー」
「な、ブラソとは……」
「だろー」
「……」
素直に頷くブラソに黙り込むペソン。不服そうに壁を蹴り始める。
ゲシッ、ゲシッ!
「まあ、女性の身体が気になるのは良くわかるよ、オレも胸好きだし」
「本当!?」
仲間を見つけたと目を輝かし手を握ってくるペソン。
「おっぱい、いいよね! ボインおっぱいっ!」
「ぶっ」
童顔の無邪気な笑顔からあんまりな発言が出たので顔を逸らし吹いてしまった。
――……素直すぎる……
窓の方ではブラソが爆笑していた。ツボに入ったらしい。
「ひー……ふははっ! もう、あれじゃね? ペソン坊やにおっぱい生えりゃ良いんじゃね?」
自分の胸元の空気を揉み始めるブラソ。ペソンが顔を真っ赤にした。
「ば、バカッ、男におっぱい生えるわけないだろ!!」
ペソン、声が大きい。女性がチラチラ見だしたぞ。
「撤収」
本を片手にペソンの首を片腕に引きずって、その場から退散する。中履きのまま、ブラソが窓から飛び下りてついてきた。隠れ終わったら、こりゃペソンとブラソの言い争いが始まるな。
移動中ブラソは暇なのか片手に掴んでいた本をオレの手からさり気なく取り歩きながら読み始める。
「お肉屋さんゴッコをして友達を切り刻んだ子供の裁判……うひゃーこえーえー殺意か無自覚か……へー……札束かチョコレートケーキを選ぶかで無罪かを判決された……チョコを選び無罪? はー……ついてんなコイツ」
「あ、そう思う?」
花が咲き乱れた木々の間に来て感想を訊いてみる。
「だって、この絵見て見ろよ」
「?」
「あきらかに高級チョコのケーキだぜ!? しかも三段重ねのホール、こんなん目の前あって選ばねえわけ無いじゃんよなー!」
「……」
「多分、この裁判の為に作ったスペシャルだぜコレ」
「……なるほど」
「美味いケーキ貰えて無罪放免、本当、ついてんよなー」
挿し絵は、オレにとって、ただの挿し絵にしか見えないが、そんな考えもあるか。面白いなコイツ。
――……ペソンと仲良しだし丁度いいな、二人目っと……
カサリッ。
打算的にそんなことを考えて締まりかけていたペソンの首を腕から外した、そんな時。花びら舞う木々の間から音がした。そちらに顔を向ける。
ぱらり。
はらり。
晴れ渡る空の下、赤、桃、白の色彩の花々の中に、赤銅色の大きな花を見た。
トクンッ。
心臓が小さく跳ねた。
太い木の枝上。赤銅色の花が身を起こし眠たそうに顔を上げた。
まるで妖精が孵化するような美しさ。あの時は隠れていた顔が今は束に横に流れ春風に浮かび流れている。舞い上がる花々と共に、だらんと腕が下がり呆気にとられた。
――……ああ……
言葉が出ない。見とれすぎて、この神聖な存在になんて声をかければ良いかわからない。
――……すごく綺麗だ……
トクンッ、トクンッ。
ドクンッ、ドクンッ。
鼓動が大きくなっていく。抑え方がわからない。
今まで学んできた勉強や戦略じゃ、どうしようもできない。
涙が出そうだ。
なんだこれ。
オレ、どうしたんだよ。
あの時の少女が瞼を開け綺麗な瞳を二種類の色を見せている。薄茶色の瞳と紅い瞳。
――……女神が本当にいるなら、いや……彼女は天から落とされたのかな……
フラリと足が一歩、前に出る。今すぐ抱き締めたいと思った。新しく芽吹いた草や花を踏み潰し大きな花に手を伸ばす。
――……どこかの本で読んだ記憶がある……女神に惚れた人間の王は、おこがましいことに天に女神を返さない為に翼をもぎ取るんだ……そして……
手を伸ばした先、あと少しの所で女神が木の上で身を逸らす。驚いた表情。
「あ」
触れそうな手が触れれなかった。あの肌に手を這わしたいのに。
――……オレの、オレの、オレのモノに……女神をオレのモノに……
女神が戸惑ったように顔を振り木から滑り落ちる。慌てて支えようとしたが、そのまま肩から落ちて身を翻すように這って走り出す。まるで、恐怖から逃げるように。あの日とは違う脅えよう。
――……どうしたんだ……
去っていく彼女を追いかけようと足を一歩踏み出した。
「って、化け物ちゃんじゃん!」
後ろから覗くようにやって来たブラソが声を上げる。
「……え?」
驚いて固まるオレ。固まった足がギシリッと体内で響いた。
おい。
今、なんて言った。
「あ、本当だ、化け物だ!」
はあ?
ブラソとペソンから信じられない言葉が上がり、オレは絶句した。
――……なに言ってんの、コイツら……
全身に血液が駆け巡る。
熱い。
親に殴られて腹が立った時よりも。
熱い。
すごく熱い。
「……ざけんなっ!」
低く叫ぶと辺りが静かになった。
「はぁ? 化け物? なにが、誰が、あんな可愛い子を前にして……?」
「え」
「どうしたの……」
戸惑いの声。
――……馬鹿か、コイツらは……!
オレは勉強云々で人を馬鹿だとは思ったことは無い。
違うのだ。
生きる上で明らかに、おかしい発言が考えが。オレには理解できない。だから、その時、オレはソイツを否定する。
「お前ら男だろ! 思春期真っ最中の男なら把握しろよ、あんな可愛い子をそんな、そんな……ふざけた呼び方しやがって……」
「ちょ」
「え、えー……?」
二人に振り向く。
「女は好きだろ!?」
「お、好き……」
「も、もちろん……おっぱいデカいと特に……」
怒りで頭がグラグラする。こんなのオレのキャラらしくないけど、それどこじゃない。
「もったいないとは、思わないのか!!」
「もったいない……?」
「どういうこと……?」
不思議そうな顔の二人。
「見ただろ? さっきの目が……彼女の顔、めちゃくちゃ可愛いじゃないか!」
「……」
「……」
無言。
怪訝そうな二人。
なんでだ。
「見ただろ!」
叫ぶと、ブラソが頷いて、ポツリ。
「……まあ、確かに言われてみれば……?」
ペソンが困ったように服の裾を握りしめ。
「でも……『紅い瞳』は……化け物なんだよ……」
「はあ? あの綺麗な瞳でか?」
俯くペソン。
「だ……だって……シスターが……」
「シスター?」
なんで、あんなおっとりした女性がここで出てくる。
関係あるのか?
俯いて泣きそうになっているペソン。ブラソが溜め息混じりにペソンの頭を撫でる。
「……なんつーか、最初はそうでもなかったんだよなー……でも、シスターがあそこまで嫌うとさー……シスター俺達の姉ちゃんみたいなもんだし……」
「え……」
血の気が一瞬で引いた。
原因は元凶は。
なんだ、それ。
まて。
理解できない。
まったく理解できない。
何言ってんだ。
さっきまで子供達と和やかに遊んでいたシスターを思い出す。
優しくて慈愛に溢れていて、いきなり入ってきたオレにも同じように接してくれて。
でも。ここを管理するは、シスターと神父。
『違和感』
あの日、確かに感じたじゃないか。
なぜ、あの子だけ一人。
あの後探したんだ。ただ、ハッサクを食べていて逃げ出した近所の子供だって可能性もあるから、ハッキリとは周りに訊けれなかった。彼女が怒られるのは、なんだか嫌だったから。
でも、結局見つからなくて本を読むぐらいしか落ち着く方法が思いつかなくて。
泣きそうだ。
なんだよここ。
この教会。
『人徳豊かといわれる教会』
親父、お前、そう言ってたじゃないか……――
**
甘いものをくれた。
知らない子。
見ない顔。
私を『化け物』とは呼ばない子。
呼ばない上で何故か甘いものをくれた。
神父様みたいに舐めなくても良かったのかな。
せめて指を。
でも、きっと違うよね。
あの『苦い』のを出さないと。
口の中に残る美味しい飴をゆっくりと、ゆっくりと味わう。少しして甘い味は口の中から消えてしまった。あっという間だった。
物置小屋の中でうずくまる。
今回の夕食は貰えるかしら?
お風呂は何時だったら入っていいいかな。
口の中がもごもごする。
甘い味。今日は苦い味がない。
いいのかな?
いいのかな?
少し、不安。
『待って』
確かあの子、そう言ってなかった?
でも、みんなに食べたことが見つかったら。
ああ、でも、でも。
『良いこと』
だけが、あると。
怖い。
怖いよ。
どうしよう。
あの子にもう一度。
でも、みんなの前に出たら、どうしよう。
どうしよう。どうしよう。
怖い。怖い。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖いよ。
「……」
風の音がする。目の前の扉に顔を向けた。扉に開いた穴の隙間からソッと外を覗く。
暗い。
考えていたら夜になっていた。
扉をソッと開ける。開けにくい扉。でも、ここが私の家だから。これ以上悪くならないように丁寧に扱う。地面の上を数歩、歩いて足が止まった。
あ、今回のご飯は忘れられちゃったんだ。気がついたら、お腹の辺りが空っぽのような気がした。
ソロリ、ソロリ。
ついつい足が向かうは食堂。ご飯、食べたいな。
それか。今日食べれたあの甘いものが食べたい。
そう考えて、ハッとする。
――……まだ、何も私してないのに……
良いことは何かしなきゃ手に入らない。そう神父様が教えてくれたのに。
私は、まだあの甘いものを。
笑い声が聴こえた。明るい窓。光に導かれるように身を近付ける。ソッと外から窓の中を覗いて。
「あ」
あの子が笑って、みんなと話していた。楽しそうに、あの甘いものをみんなと食べながら。
――……いいなあ……
コクリッと喉が鳴る。暫く羨ましくて、ジッと眺めて覗くのを止める。みんなから見えないように、そのまま下に座り込み中の笑い声を聴く。それなりに時間が流れて窓の光が消えた。
消灯の時間らしい。暗闇の中、顔を上げる。夜空が星を散りばめていて、キラキラしていて、少しだけ甘そうな気がした。
――……食べたい……
ノロノロと手を伸ばしてみる。手は視界の先の星を捕まえようとするけど、うまくいかない。ノロノロと立ち上がって、より伸ばしてみる。
届かない。手は空を切る。
首を傾げた。
どうして、つかめないのだろう。
女神様なら御存知だろうか。教会の方を見上げる。昔見た絵本のように、やっぱり女神様はいらっしゃらない。
なぜ、女神様はいないのだろう。
「……食べたい……一粒いただけませんか……」
女神様に訊ねてみる。でも、冷たい風が吹くだけで、なにも。
なにも、答えてくれない。
夜空にあれだけ沢山あるのに一粒も分けてくれない。一粒もとれやしない。
カタンッ。
背を壁に預けると窓が開く音がした。顔を横にズラし見る。
誰もいない。どうやら戸締まりをし忘れたらしい。
珍しい。
普段なら私を入れない為にしっかりするのに。食堂を荒らされない為に。
キイイィー……
暗闇の中、響く音。
上り、窓縁に足をかけ中に滑り込む。
ヒタリ。
ヒタリ、ヒタリ。
足裏が床面に張り付く音。
静か。
カタッ。
置きっぱなしの甘いものが入った缶。震える手で缶を掴み開けてみる。
まだ半分もある。
喉が鳴る。
コクリッ。
二つの缶には甘いものが残っていた。
甘い香り。
一粒、一粒、一粒なら。
『誰も見ていないもの』
包みを開けて口に一粒入れる。溶ける味わい。コレは、チョコレート。
「美味しい……」
目元がジンワリと熱くなる。もう一粒。紅茶風味の飴。
「ぁ、あう……美味しいよー……」
鼻の奥がツンとし涙が零れた。
「ぅ、ぅえ、うあぁ……」
缶を抱きしめて、うずくまる。
「お、おい、し……あう、う……あ……ぁ」
涙が止まらない。鼻水も垂れて、クシャクシャだ。
「うえ、え、えふっ、あ……あうー……」
涙をボロボロ流しながら私はノソリと立ち上がった。
悪いこと。
知ってる。
コレが悪いことって、わかる。
だって、食堂のご飯を勝手に食べたら、とても、とてもとても怒られるもの。
でも、食べたい。
食べたい。
食べたい。
食べたいの。
もっと、コレを。
口一杯にほうばりたい。
フラフラと窓の外に出て走って逃げていく。
――……誰も見ていない、誰も見ていない……女神様だって、ほら、何も言わない……
走って、走って。
物置小屋に閉じこもり涙に濡れたチョコレートを口一杯にほうばった。
甘くて、甘くて。
涙で少しだけしょっぱくて。
ぼんやりと脳裏の片隅に、あの子の顔が浮かんだ。
『化け物』
きっと、次に会うときはそう呼ばれる事だろう。
私は悪いことをしたのだから。何もせずに良いことが欲しくて……――