吟遊詩人は歌います
『ナガいナガいイノチをもつものたち』
『カレらはトキとしてタシャをクらいクらわれイきていく』
『しかしはしかし』
『オカしやしかし』
『バケモノとは』
『バケモノとは』
『ハタしてダレのことぞや』
『カズオオきカレらはシるよしもなく』
『キョウもカズをフやしイきていく』
『ザンコクとはウツクしきことなりかな』
*
細い葉巻。
女の小指位の大きさのモノで商品名は『ラヴァー』恋人という意味あいの葉巻だ。
葉巻とは言っても、ほぼ煙草の中身と同じで見た目重視の品。癖のある味も相まって値は葉巻より随分安いが煙草よりは少し高い、ちょっとオシャレを気にする男に人気。まあ、かっこつけのこの煙草を愛用する僕は昔、なんとなく貰ったコレを日々買い足しては吸っている。
元々、煙草に興味は無かった。でも、一本吸ってみて、ふと思ったのだ。吸い終わった後に吸い込む自然の空気が美味いと。身体に悪いものをあえて吸い込んで自然を賞賛するという天邪鬼をしているわけだが。続ける理由は別にもある。
『先生は他のお煙草は? 先生の稼ぎなら、もっと上のランクのモノもいけるでしょう?』
前か、その前か、そのまた前だったか。変わる編集者の一人が、そんな事を言ってきた。ヘビースモーカーと言われる程、僕は吸うが、別に葉巻や煙草自体がそれほど好きなワケでは無い。好きさ度合いなら梅酒や米酒といった酒の方が美味いし好きだ。ただ、気まぐれで吸い始めたこのラヴァーという葉巻じみた煙草が未だに存在するから続けている。
『自然の美味さは、そこに行けばわかるし別に固執して吸う必要もないけど……』
灰の塊が、ポツンッと灰皿に落ちる。
『そうだね……僕は勝負をしているんだ』
『勝負?』
その時の編集者は首を傾げた。
『この世から、早く消える方は、どっちかって』
編集者は、ロングセラーのこの商品と勝負と聴いて。
『どれだけ長生きする気ですか』
と笑っていたが。始まりから吸っているのだ。
どうせなら、終わりまで付き合いたいね。
***
どこかで声がした。
『ご…ね…と……な……に……からさ』
なんだろう。
母が喜んでくれたから嬉しくて仕方なかったのに。
なんだろう。
ズシリッと体が重くて、気持ち悪くなってくる。
お腹がいたい。喉が痛い。
身体中が、痛い、痛い。
痛くて、気持ち悪くて、苦しくて。
苦しい。
苦しい、苦しい。
ああ、泥が流れる血となり身体中をはってるみたいだ。
――……ママ、ママ……たすけて……ママ……
息。
ゼー……
ハー……
荒い息。
ゼー……ゼー……
ハー……ハー……
「……マ……マ……」
暗い場所から瞼が開く。世界が一瞬、割れたように見えた。白の中に浮かぶ、ギザギザの黒い線。
「うわあああぁっ!!」
瞼をギュッウと瞑り身体中に感じた寒気に頭を振る。
「……マ、ママ、ママ、ママ!」
怖くて、怖くて、必死に母を呼ぶ。母を呼んで、母を呼んで、身体の寒さを感じた。
「ひっ……ぅえ……ママ、ママ、どこ? ママ、こわいよ、こわいよ……」
目元から涙が鼻から鼻水が、タラタラと垂れて母を呼ぶ。呼ぶが、いつも近くにいた、あの温かさが感じられない。辺りに手を伸ばす。
「うわ、う……ママ……ままぁ……」
手が、つかまれた。
「ママ!!」
その手にしがみついて重い身を母の胸に埋める。母の手が、ギュッと私の身を抱き締めた。
ドクリ。
ドクリ。
鼓動が聴こえる。
ドクリ、ドクリ。
温かい鼓動が聴こえる。私は震えながら、もう一度瞼を開いた。世界は眩しかったけれど、もうさっきみたいな割れた何かは見えなかった。
***
街外れの丘の森。ここがそうかは本当はよくわかっていない。ただ街から離れて最初に見えたここ。気持ちが高ぶっているせいか間違えなんて思わなかった。
ここに、きっと。
ここに、きっと。
そう思って、そう願って、ひたすらに街から歩いてきた。
休まずに、トボトボ。
トボトボ、トボトボ。
目的地には、きっと『怪物』がいる。
怪物が、怪物が、怪物がきっと。
水場を見つけた。浅めの湖。
子供の背丈でも膝位の浅い湖が辺りに広がっている。広さは長年暮らしてきた教会の敷地の半分ほどはあるだろうか。透明な水には小魚が泳いでいる。足を入れると下の泥が削られて水を濁らした。
私が歩けば歩くほど、浅い湖は濁っていく。胸奥が熱くなりポロポロと涙が溢れた。それが酷く、寂しくて、寂しくて、そして酷く安心もした。
やはり『化け物』だからこそ綺麗なモノを汚してしまうのだ。
綺麗なモノを汚して。
私が。
『お前がいけないんだ』
私が。
『お前で、お前の所為だ』
私が。
『お前さえ、現れなければ、お前さえ』
そうだ。
私が、化け物だから、化け物だからこそ。駄目にしてしまったんだ。
湖の真ん中にボンヤリと突っ立って、さめざめと泣く。腫れた瞼からでる塩水は少し染みたけれど。
泣いて、泣いて、謝罪した。
――……ごめんなさい……
――……ごめんなさい……
――……ごめんなさい……
繰り返し、繰り返し、何度も謝罪しては怪物を待つ。
怪物は、いつ頃現れるだろう。
怪物は、きっと私を。
同じ存在の怪物なら私は。
私は。
チャポン。
真ん中で動かずにジッと佇んでいた湖。その水面が、ユラリと揺れた。
ああ、来たのだ。
怪物が、来たのだ。
「怪物さん……?」
訊ねるが言葉で答えてくれない。けれど、体が温かくなった。
体温。怪物の体温。
怪物は温かだった。
***
見つけた。吸血鬼、弱い気配しか漂わないけれども確かに吸血鬼。
――……久々だな……
麦わら帽子を少し上げて太陽の照り返しの光を避けながら先にいるヨロヨロとした小さな吸血鬼を見つめる。本当に僅かばかりの気配。弱々しい。
水辺について、その存在は、ゆっくりと水の中に入っていく。
――……水浴び?
僕も煙草の心配さえしなければ今から水浴びをするつもりだった。ちなみに、ここじゃなく此処より先の獣道を通った場所に穴場があるので、そこで。
浅い水辺の真ん中で、ピタリッと止まると吸血鬼は周りをキョロキョロしだした。その時になって吸血鬼の不可思議な怪我の様子に気づく。
無理やり切られたであろう赤銅色の髪。ボロボロな服も同様に。身体の腫れ、顔の腫れ、片瞼の酷い腫れ。目頭が熱くなる。
――……こんな子供の吸血鬼になんで……
「……っ」
『吸血鬼』
そう。この子は、気配からして吸血鬼。今更間違えるはずもない。
なのに一つの違和感。見える片目は、薄茶色。
――……突然変異……?
考え出すと無性に気になった。種族には其々、決まった特徴がある。特に判りやすいのは瞳の色。人魚系の瞳が淡い灰色の瞳ように、吸血鬼は紅い瞳だ。血のように紅い瞳。
――……ごめん……
木の影から身を出し湖に足先を浸ける。浸けることで僕は調べようとした。守るばかりの能力は相手の意識を理解できる。そうやって調べて逃げるか否か判断し、人魚達は身を守ってきた。
今もそう、この子は安全なのか。どうしてこんなことになったのか。調べて判断しよう。僕は見た目の同情だけでは吸血鬼に動けない。
ポロ。
ポロリ。
ポロリ、ポロリ。
自然に涙が溢れてくる。ああ、どうしても、止まらない。
僕が他者を避ける理由はここにある。
意識が理解できるからだ。
まるで、自分の身に起きたことのように理解できて他者を、どんなに憎むべき存在だとしても、わかってしまった瞬間、酷く辛い気持ちになる。
それが残酷で。
祖母を監禁し続けたのは、吸血鬼達だったのに。どうしてか、憎めない。
記憶に残る父も母を殺したのは人間達だったのに。彼らの生きざまを、そうしなければいけなかった経緯を知れば感情が憎めない。
憎みたくても、憎みたくても。気がつくと何もできずに、その場を去っている。
いつもそうだ。だからこそ関わりあいになりたくない。
世の中は酷だ。もう、子孫が残せるほど仲間がいない世の中は辛い。
同じ存在がいないことが辛い。
独りぼっちだと認識させられる。
独りぼっち。
こんな広い世界で、なんで。
ああ。
ああ、息苦しい。
息苦しいんだ。
そんな呟き、呟くだけで、どうしょもないのに。
ハッとした。
小さな吸血鬼。
小さな吸血鬼は、ただの少女だった。悲しい悲しい少女だった。
僕の身体に入り込んでくる断片。記憶の断片が身体に浸透する。意識の呼び掛けが脳を揺らす。
――……ああ、これだから避けていたのに……
どうしても、どうしても。まったくの他者が、どうしてこんなに愛おしく感じるのか。馬鹿げていると、どこかで声がする。でも、そんな判断こそ馬鹿げているとも思う。
隠れるのを止めた。少女に近づく。
小さな少女。
この子をどうしたいのか、どうするつもりなのか。判断がつかない中、僕は。
その小さな肩を抱き締めていた……――