遅い。何かあったのかもしれない。
素直に待っていた腰を上げ窓から跳び下り砂利を踏む。そのまま足を進め瞳をキョロリと光らせて知ったる気配に近づく。教会内を窓の外から見つめ、知る二人を目にした。一人は、まさに今探していた僕の子。もう一人は話題に出たばかりの子供。
その子供に慈愛深い表情で口付けをする僕の子。
ピクリと眉が上がった。顔の面が崩れてしまいそうだ。
音がした。パイプオルガンが鳴らされて驚いた鳥達が翼を広げ早朝の澄んだ空の下飛んでいく。祝いの音が響きわたり早朝の光に照らされる二人の姿は他から見れば神聖で美しいのでは、ないだろうか。
「……へぇ」
小さな息づかいのように呟き窓隣の壁に手をつけた。子供達、街の人々の為に建てられた比較的、新しい白い壁が小さく音を立てる。
ピシッ、ピシリッ。
壁に小さな線が入った。つい力の加減を忘れてしまったらしい。
「ああ……そう……」
ジッと教会内の二人を眺める。
「……もう、我慢してやんない」
柔らかい太陽の光に反射る窓硝子には自分の紅い瞳が、ギラギラと光り映っていた……――
*
秋の肌寒い季節。誕生日ということで神父……叔父が髪飾りを作ってくれた。草色の髪に花の形をした朱色の髪飾りが叔父の手で付けられる繊細な作り。
嬉しくて、嬉しくて、頬が緩む。叔父が、ワタシを拾ってくれて良かった。
本当に。叔父がいてくれて良かった。
『何色が好き?』叔父にそう訊ねられた時、最初に思い浮かんだのは初恋の人の髪色だった。朱い、夕日のように朱い髪色をした彼。けして『紅』ではなく『朱』。彼の髪色も彼が生きていれば紅も、まだ好きでいれたかもしれないが。
紅は怖い。
『吸血鬼』の瞳の色だから。
怖い。
叔父の妻も母も父も殺した吸血鬼達。ワタシの親友を無理矢理拐い子供を産ませた吸血鬼。街を燃やした吸血鬼。彼を殺した吸血鬼。
でも、こんな中で、ワタシはワタシを拐った吸血鬼に恋をしていた。彼もまた、きっと他の吸血鬼のように人を殺したのだろう。でも優しくて優しくて、たまに子供のようで十三歳だったワタシよりも好奇心旺盛で自由を愛するのに、なぜかワタシを大切にしてくれて、ワタシは、なかなか素直にはなれなかったけれど彼に夢中だった。
それは何かの暗示や催眠的なものだったのかもしれない。あの場で信頼できるのは彼と親友しかいなかったから。だけど彼が死んでしまった時ワタシは激しく後悔した。
なぜ、ちゃんと『好き』だと『愛している』だと伝えれなかったのか。拐われたことでの最後の自己防衛。そんなものの為に、ワタシは彼に想いを伝えれなかった。
ワタシの唯一の吸血鬼。ワタシの愛した吸血鬼。
そんな彼は、もういない。
***
鏡を見ると草色の髪に彼の朱が浮かぶ。彼がワタシの側にいるような気がした。目頭が熱くなり、つい涙が溢れる。
「レソ、痛かったかい?」
叔父が心配そうに頭を撫でてくる。ポンポンと髪だけを潰すような優しい撫でかた。彼の撫でかたとそっくりで涙が溢れる。
「ああ、外そう」
叔父が慌てて髪飾りを外そうとする。それで痛がっていると勘違いしているのだ。ワタシはその手を止めて顔を横に振る。
「……髪飾りを見ていたら、初恋の人を思い出して……」
言って恥ずかしくなる。こんな話、叔父にするとは。
「お恥ずかしいかぎりです……」
顔が熱くなり思わず俯く。叔父は無言だった。
「?」
恐る恐る顔を上げると、なぜか、ワタシよりも顔を朱くした叔父がいた。ワタシは目をパチクリとさせる。
「叔父さん?」
呼びかけると固まっていた叔父は顔を反らし呟く。
「あー……レソは今日で十八歳だよね。初恋っていつ頃?」
急にラフな口調になる叔父。いつもの叔父らしくない。ワタシは、よっぽど変な言動をしてしまったのだろうか?
「……初恋は、十三歳の誕生日の日です」
ジッと叔父の横顔を眺める。耳まで朱くなってきた。一体全体、どうしたのだろう。ワタシは、ハッとする。
「……叔父さん!」
背を伸ばして叔父の頬を掴む。
「やっぱり……」
叔父が戸惑いの表情を向けてくる。
「叔父さん! 熱があるわ!」
叔父の腕を掴んで、ベットに引っ張る。
「風邪引いているのに……ワタシの誕生日なんていいですから、しっかり休んでください!」
「え、え? 僕、風邪なんて……」
――……僕?
叔父をベットに押し倒し額にワタシの額を当てる。
「……熱いですよ、叔父さん」
叔父の親友と同じ薄茶色の瞳が驚いたように見開いていた。この瞳の色は好きだ。優しい人によく似合う。
「……今日は、ワタシがやります」
「いや、風邪は……それに一人は無理……」
「大丈夫、ペサがいますから」
「……」
「あの子は昔から手伝ってきてくれたようで、とても頼りになるんです」
「……ふーん」
急に叔父が冷ややかな雰囲気になる。身を起こし、ワタシは慌てて弁解する。
「もちろん、おじ……神父様には、かないませんよ? でも、ペサが頼りになるのは確かですから……」
「……そう」
ふて腐れたように顔を逸らす叔父。
――……叔父さん、子供っぽい……
叔父の焦げ茶色の髪を梳き笑う。
「後で、ミルク粥持ってきますね」
「……レソはさ、今は恋してる?」
「はい?」
去ろうとして大きなベットに横になる叔父を見る。このベットで叔父と二人、何時も寝起きしている。もともと前任も叔父が務めていた頃から一つしかない。叔母の……叔父の妻の家に遊びに行った時も二人に挟まれて寝ていたから抵抗感もない。父、又は兄と寝ている感覚だ。叔父は今だと三十過ぎになるだろうに昔の見た目のままだから兄寄りだろうか。
「叔父さん、それは内緒です」
「……初恋は?」
大きな枕に顔を埋める叔父。
「……彼のことは」
部屋に沈黙がうまれる。秋風の音が外から響き窓をカタカタと揺らした。
「……好きですよ」
「……でも、新しく恋をしたら?」
叔父は風邪で、ちょっと無神経だ。いや、違う。
彼が死んだと知らないから。兄の目線だから。
ため息が漏れた。
「そんなこと訊くと朝のパンに毎日、干し葡萄を混ぜます」
「え!?」
叔父が枕から顔を上げ青い顔を見せた。ワタシは、ニヤリと笑って背中を向けた。
「ミルク粥に入れないだけ、ありがたく思ってください」
部屋を出て扉を閉めると、またため息が漏れた。
***
最初にあの化け物を見た時、ヒッと喉から悲鳴が漏れた。あの紅い瞳を見て鮮明に思い出したからだ。
あの日の悪夢を。
誕生日プレゼントで貰った部屋の中をウロウロ。嬉しくて、嬉しくて、部屋の隅々を確かめていく。母と父と別れて一人で寝る寂しさもあったが、それよりも興奮が勝っていた。今日ばかりは長く目を覚ましていたかった。だから頑張って本を読んだり歌を口ずさんだり、でも、まだまだ小さな子供。直ぐに眠気に負けて目を瞑っていた。
ハッと気がついたのは夜が明ける一歩手前。
丸い、丸い、月の強い光がカーテンを閉めていない窓に射し込んでいた。
ベットの布団から這い出て冷たい木の床板に足裏をつける。転がっていた暖かいモコモコのスリッパをはいて床上を歩いて行く。外が騒がしいような気がしたからだ。母や父が寝る前に来た自警団と何やら話していたのと関係があるのかもしれない。好奇心で窓に近付く。
「……」
ボクは、あの時なぜ窓に近づいてしまったのか。なぜ、あのまま寝ていなかったのか。そうすれば、きっと何かが違っていたはずなのに。
月で光る床板に身を入れた。
街は夜と朝の狭間で、ロウソクの炎が消える一歩手前のような月明かりに照らされていて。
ああ、この強い光は劇の一座が来た夜のライトに似ている。
スポットライトが当てられている。そんな風に感じた。
そうなると、ボクもまた舞台の上の一人だったのかもしれない。
道に紅い光が蠢いていた。
窓下の道。紅い光がわらわらと、わらわらと。
身体が固まった。ここは、この窓枠は特等席だった。
右に左に眼前に。散らばる役者がよく見える。
破裂音。
悲鳴。
怒声。
夜の街なのに普段の街並みを崩すように役者達は踊っていた。右も左も前方も。吐き気がするほどに。
踊り、踊り、踊り。
踊り、踊り、踊り。
踊り、踊り、踊り。
大きな紅い鳥に吸い込まれていく。胃液が込み上げた。
ギュルルルルル……
ギュルルルルル……
大きな鳥が鳴く。翼をバタつかせ紅い瞳をした者達に伸びる。紅い者の頭が上に飛び上がった。一つ、また一つ。紅い者の首が刈られていく。
鳥がバサバサと。鳥がバサバサと。
ホロリ。
秋風が紅い者達をさらって行く。
ホロホロ。
ホロホロ。
紅い者達が煙のように消えていく。それは、とても異状な光景だった。
胴体から頭が離れ、身が灰のように風に吹かれていくのだ。紅い、紅い灰が。
飛び散った鮮血が紅い灰に崩れ落ちた胴体が服だけを残し紅い灰に。
物質が無くなった服は脱ぎ散らかしたように辺りに散らばっている。紅い瞳の双眸がコチラを見た気がした。
ホロホロ、ホロホロ。
「ぁ……ぁぁ……ぁあ……」
身体が震え足が動かない。でも、そのまま息が荒くなり嗚咽が漏れる。
「ぅえ、げぇ……ぅげっ」
新しい部屋の床面に嘔吐した。
こんなもの、見たくなかった。
***
ミルクお粥を作る為、食堂に向かう途中ペサが神妙な面持ちで歩いているのを見つけた。レソは首を傾げる。
――……どうしたのかしら……あの子らしくない……
秋風がびゅんっと吹き、レソは迫ってきた色づいた葉っぱに瞼を閉じる。瞼を開けた時ペサは教会の扉を閉める所だった。
「……あ」
声をかけそこねたレソは、ペサを追いかけて教会に近づく。まだ教会を開くまでは時間がある。普段なら子供達は、まだ寝ている時間だ。
淡い朝日に照らされながら、レソはソッと教会の扉を開けた。堂々としなかったのは、ペサの表情を見たからだろう。
ペサは教会内の床の真ん中。椅子と椅子の間の真っ直ぐな布地の上で、うずくまっていた。レソは静かに扉を閉めて、ペサに近づく。しんっとした教会の中で呻きのような嗚咽が響く。
「……マ……パ……」
レソは黙って後ろからペサを見つめた。
「……ママ……パパ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ブルブルと震えるペサの背中。一番早い成長期をむかえている所為か出会って半年でも大人びた子だと思っていた。
「ボクが……ボクが……」
とても小さく見える背中。
「ボクが……あの時……」
この子は年下。まだまだ子供。子供達の中の年長者で、たくましく働き給金が貰える仕事をしているけれど歳を考えれば普通に子供だ。頼りになるからと甘えていたけれど今日、成人を迎えた自分よりも子供なのだ。
「……間違えなければ……ボクは……ボクが……」
頬に雫が垂れた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ボクは……なんてことを……」
地面に膝をつき、ペサを後ろから抱き締める。腕の中で、ビクンッと身が跳ねた。震える背中を、ギュッと、ギュッと。
「ぁ……ぁぁ……」
何か言葉を言った方が良いのかもしれないけれど、でも、そんな言葉わからない。叔父ならば、もしかしたら違うかもしれないが。
レソは抱きしめ、ペサの首筋に頭を埋める。
「ぁぅ、ぁう、う、う、う……っ」
荒い辛そうな嗚咽。
世の中は残酷だ。世の中は酷い。
こんな。こんな子供を、こんな懸命に生きる子を傷つけるのだから。
「ひっ、うあ、うあああ……ひっ、ひっあ、あああ……っ」
女神様、女神様。
子供が泣いています。子供が脅えています。
どうしたら、どうしたら。ワタシは、ワタシは、この子を。
この子を救えるのでしょうか……――
***
散々泣いて、ボクは顔を上げ横を見た。横には目元を朱くしたシスターが、ボクを見つめていた。息のかかる距離。
ボクは我に返り頬を朱くした。ボクは、シスターにずっと抱きしめてもらっていたのか。気づくと、シスターの柔らかい身に意識が向く。慌てて身を離そうとして、シスターの手に未だ抱きしめられているのを思い出した。動けない。
アワアワとしていると、シスターの顔が迫ってきた。ボクは目を見開く。
潤んだ瞳。朱い目元。白く柔らかい肌。ほのかに桃色の頬。朱くなった鼻上。湿った厚い唇。
ごくりっ。
ボクは息を飲み瞼を瞑る。額に熱い吐息と柔らかさが落ちてきた。
トクリッ。
シスターがまた強くボクを抱き締める。ボクは恥ずかしさや嬉しさやらで慌てて弁解をした。
「あ、あの、その、ボ……ボク、きょ……今日、誕生日だから……な、なんだか寂しくなって……ただ、ただそれだけなんです……えっと……だから……」
明らかに、ボクの為に泣いてくれたシスター。駄目だ、そんなの、ボクの醜いこんな感情にシスターを泣かすなんて。
「だから、その……」
ボクは、ハッと言葉につまる。シスターが綺麗な緑の瞳から涙を溢した。
「ペサ……誕生日、そう、誕生日なのね……」
シスターがボクから離れていく。ボクは残念な気持ちになりながら息を吐いた。シスターが立ち上がり数歩下がって、ボクを見据えた。ボクは、しゃがんだまま、そんなシスターを見つめる。
複雑に埋め込まれた色とりどりのステンドガラス。色彩ガラスを通して零れ落ちてくる太陽の光。静けさ漂う教会で、シスターは、スカートの裾を持ち上げて恭しく礼をした。そして教会のパイプオルガンの席についた。
ポロン、ポロン。
ゆっくりとした旋律。柔らかい弾きかたなのに、パイプオルガンならではの力強さが辺りに響く。シスターが弾いた曲は街では誕生日に歌われる誕生を祝福する曲で、ボクは、そのシスターの様を唖然と見つめる。
ステンドガラスから漏れる太陽の光。パイプオルガンの筒が乱反射して、シスターを神々しく映す。広い部屋内を振動する音。身体の隅々が揺れる。身の内から痺れ、脳髄が反応し心臓が激しく跳ねた。
この空間には、ボクとシスターだけ。シスターは僕の為に、パイプオルガンを弾いている。朝の讃美歌の為じゃない。息がつまる。
ボクの為。
ボクの為。
そう、これは、ボクの為。ボクの為なんだ。
ああ、ああ。
ボクへ向けられるシスターの想い。
愛情だ。ボクへの愛情だ。
シスター。
シスター。
なんて美しくて愛に溢れて。
ああ、シスター。
ボクは、ボクは、シスターのことが好きです。たまらなく好きです。
どうしよう。
涙がまた溢れてきた。どうしよう、こんな気持ちになるなんて。
好きだ。
好きだ。
好きだシスター。
ボク、ボク、シスターが大好きだ。
ああ、ああ。
愛しています。
――……愛していますシスター……
家族が、ボクは家族が欲しくて寂しくて、寂しくて今日ここに来たのも誕生日であの日のことを思いだし耐えきれなくなったから。
ボク、ボク、家族が欲しいんだ。
シスター。ボク、シスターと家族になりたい。
シスターと、あなたと一つになりたい。
ボクと共に生きて。
どうか、ボクと。
ボクと。
ボクと。
「……シスター」
――……そう……思っても願ってもいいですよね?
だって、シスターは今、ボクに愛を向けているのだから……――