収録の帰り道。いつもの倍ぐらい疲れて、そのまたさらに何倍も心が重たい、憂鬱すぎる昼下がり。
この後の予定もありませんし、そのままおうちに直帰してもよかったのですが……頭を冷やして考え事をしたかったラミィは、まだ日が高い空の下を、足が赴くままに歩き続けていました。
昨晩のことは……たしかに、悪気があったわけではありません。ただの出来心でした。ただのじゃれつきだったハズでした。
少なくとも、ラミィにとっては……恋人同士の触れ合いの、延長線上にあった……好意のマウンティングだったのです。
それでも、ししろんにとっては、そうじゃなかったみたいでした。あんなに顔と身体を強張らせて――ラミィのこと、化け物みたいに感じて……怯えていたのですから。
悪気がなかったら、許されるのでしょうか。少なくとも、ラミィにそんな覚えはありません。そんな気がなくても、悪いことをしたら、どれだけ反省していても叩かれる世の中ですから。
……はーあ……。ね、これだからイヤなのです。
他人の大切なところに入り込むのは、とても怖いのです。怖くて、怖くて……怖くてたまらないのです。
そこには、自分の知らないことばかりがあって、どうしていいかわからなくて。どうすればいいかを必死に考えて、答えを出して……ラミィは、いつも間違えてきた気がします。
空に揺蕩う、雪の花びら。微細な氷の粒は、揺れているだけでも美しく。
手を広げても、ひらりと風に逃げていく。ラミィはそんな、気ままな雪華に憧れていたのかもしれません。
誰から逃げても、何も不自然じゃないなんて……素敵すぎますよね。不思議とか、ミステリアスとか、幻想的とか。体のいい言葉で、勝手に飾られて。それは、とても気楽に思えていましたから。
「……なに考えてるのよ、ホントに……。そんなことで悩んだって、何も解決しないのに……」
……いやね、昨日のししろんについて、ラミィの頭で一生懸命考えてはみたんだけども……あの見開かれた、気弱な瞳がどうしてもチラついてしまって、考え事に集中できなかったのです。
これから、ふたりがどうなるかは……正直に言ってわかりません。でも、怖がらせてしまったことへの落とし前はつけないといけないのだけは確かなのです。
でも、ラミィがししろんに何かをしてあげたところで……『そのお節介を贖罪に変えられるのか』は、不安でしかありませんでした。
だって、つい昨晩に……ラミィの無知故に、コミュニケーションの取り方を間違えたばかりなのですから。
次、どんなことでししろんの地雷を踏んでしまうのかが……怖いのです。怖くて、足が竦んで……自分では何も決められないのです。
あーでもない、こーでもない、と悩んでいるうちに、ラミィはいつの間にか……事務所に辿り着いていました。
一瞬だけ『なんで?』と自分でも不思議に思ったほどでしたが……孤独の苦悩に耐えかねたラミィは、きっと人を頼ることにしたのです。
……他力本願? いえいえ、最適解の模索と言ってください。この事務所にはいっぱい、頼れる先輩たちや同期の子がいるのですよ、ええ。
より良い解決方法を探るためにもね、いろいろな視点と考え方を学ぶのは……きっと、悪いことではないはずなのです。
安牌を取って、もう二度と間違えないようにする。そうすれば、きっと……こんな苦しみを味わわなくて済むのですから。
とはいえ、あんまり恥ずかしい身の上話をするのも、なかなかに気が引けるわけで。最低限の試行回数で、最高の結果を得るには……やっぱり、有効打を狙い撃ちにしていくべきでしょう。
ラミィの鋭い目がロックオンしたのは、母性の塊で癒やしの空気をまとう〝安心感のプロフェッショナル〟である……ミオ先輩でした。
新衣装の萌え袖が可愛らしいミオ先輩をついついと引っ張って、ひとけがないロッカールームに連れ込みます。
「ミオ先輩! 身近な人を安心させるテクニックとかありますか!?」
「唐突になんだ~……? うち、そういうテクニックとかわからんのだが……」
「またまた御謙遜を~。いつも事務所の赤ちゃんたちをあやしてるじゃないですかぁ。コツとかイロイロあるんじゃないです?」
「そういう類のアレかぁ……それ言うなら、ラミィちゃんもルーナのママを担ってるだろ?」
「それはそうなんですけどもぉ……なんというかですねぇ、今は先輩ママ友に助言を仰いでいる気分でして」
「マンションとかでありがちなシチュエーションだねぇ……。とはいえ、うちは自然にみんなを甘やかしてるだけでねぇ……コツとか、何かを意識してるわけじゃないんだよな~……」
ミオ先輩は、ちょっと照れくさそうにしながら苦笑していました。
昨日はおかゆ先輩を、その前はみこ先輩を……みんなの前で堂々とお世話していたものですから、わりと平気そうなものだけれども。
……改めて話題に出されると、恥ずかしいのかな? たしかに、ラミィもお母さんスイッチがオフになっているときは、あまりそういう話は振ってほしくないときもあるし……。
「その母性の秘訣について、ちょっとだけお力添えをいただきたく……どうか……!」
けれども、ラミィもここは引けません。ゴリ押しに次ぐゴリ押しで、その恥じらいの向こう側に突進するのです。
脳筋プレイはお手の物ですから! 最強パワーはなんだって解決するんだよ!
「はは……なんかガチってるなぁ……。まあね、うちでいいなら相談ぐらいは乗るし……自分がやってることを伝えるぐらいならできるかも……?」
「ありがとうございます!あ~りがとうございます!」
たはは、と頬を掻いて笑ってくれたミオ先輩に抱き着いてしまいました。とても良い匂いがして……柔らかかったです。
……はて……? 顔を突っ込んだミオ先輩の膨らみから……なんだか、甘い……ミルクのような香りがしたのですが……。
……気のせい、でしょうか……?
――――――
「……ラミィちゃん……あの、安心させたい相手って……恋人……かな……?」
ミオ先輩の母性の出し方と癒やし方(これがとっても勉強になったので、今度ASMRでも使ってみる予定です)に関するレクチャーを受けているなかで……先輩は唐突に、なかなか言いづらそうにして、そんなことを聞いてきました。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
「えっとね……恋人だけにできそうな、ちょっとアレな癒やし方もあるから……一応その確認だけしようかと……」
ミオ先輩は肩を縮こまらせて、長いまつ毛を艶めかせ、頬を染めながら言いました。
その乙女な仕草は、ミオ先輩の持つ可愛らしさや大人っぽさとはまた違う……こう、色気とか、色香とか、そういう魅力を醸し出しておりまして……ちょっとだけ、ドキッとした次第です。
「…………はい。今先輩に聞いているのは……大好きな人に、してあげたいことなんです」
すっぱり、はっきりと。ラミィはそう口にしていました。きっと、心の底から出た声だったと思います。
ししろんをあんなに傷つけておきながら、まだ恋人を気取るなんて……自分の未練がましさに驚くばかりですが、まだ、お別れの言葉を聞いたわけではありませんから。
バイバイする前に。ししろんに付けてしまった傷だけは、ちゃんと癒やしてあげたかったのです。それが、このわがままな片思いに付き合ってくれたししろんへのお返しと、謝罪になるはずなのですから。
「……わかった。それじゃあ……ママキャラに許された、秘伝の技を教えてあげようか……!」
ミオ先輩は、ポケットから取り出した錠剤をラミィに手渡して……耳元で、かなり尖った〝癒やし〟を教えてくれました。
その内容というのが、また……耳に触れる、幸せ吐息の感触とゾワゾワ感すらも忘れるほどに衝撃的なものでした。
「……ってな感じでさ。直に飲ませながらトントンしたり、子守唄を歌ってあやせば、けっこう安心してくれるんだよねぇ」
「な、なるほどぉ……! いやぁ、それは……まさしく、『母性!』って感じですね……!」
ややテンパりながら、ミオ先輩に教えてもらったことを頭で反芻し……貰った錠剤をしげしげと観察します。
……いや、あの……。このおクスリ……明らかに、誰かが使った後を示す切り口が残っているのですが…………まさか……。
「ラミィちゃんがその人と相思相愛なら、何かしらの刺激と癒やしになると思うけど……採用するかは自己判断でお願いね。うちも、〝それ〟がアブノーマルなことだって知ってるし……」
「わ、わかりました……! ありがとうございます……!」
ミオ先輩が恥ずかしそうに語ってくれた方法は、ししろんとラミィにはちょーっとハードルが高いような気もしましたが……何かの参考になるかもしれないので、ちゃんと心に留めておくことにしました。
……それより……ラミィには、気になることがあるのです。
「……ちなみに、今教えてもらったものって……誰かに実践してるんですよね?」
「………………ラミィちゃんのすけべ!」
「あうん」
ツンと横向いたミオ先輩が、鼻にデコピンをしてきました。ツヤツヤもちもちのほっぺたが真っ赤なので、これは肯定ということなのでしょう。
きっとそうに違いありません……あ、恥ずかしそうにこっち見てる! これはクロですね!! 確定ですね!!
しっかしまあ……ラミィが聞いただけでも恥ずかしくなっちゃうようなコト……いったい、誰にシてあげているのでしょう……?
というか、さっき抱き着いたときにしたミルクの香り……。その正体がわかった今なら、『事務所に居るミオ先輩からその残り香がした』時点で相手もなんとなく探れるのでは……?
えーっと、たしかさっき事務所の中に居たのは、るしあ先輩とあくあ先輩、シオン先輩、あやめ先輩……マリン先輩、ノエル先輩と……あと、たしか……。
「……ところで、ラミィちゃん?」
ミオ先輩のお相手を特定しようとして、厄介オタクと化していたラミィの肩に手が置かれます。
……肩に掛けられている手の力が、やや強いです。これは、もしかしなくても……『余計な詮索はするな』と物理的に言われているのでしょう。
「な、なんですか……?」
「……どうして、うちに……さっきみたいな質問してきたの?」
ラミィの考えが中断されたのを確認して、安心したらしいミオ先輩がそんなことを聞きました。
その質問は、ラミィの女々しさに対する呼び水となってしまいました。ラミィは、「実は、その……」なんて言いつつ、おまるんと話し足りなかったことをポロポロとこぼしてしまって……相手をぼかした状態ではありますが、事の経緯をほとんどおもらししてしまいました。
「なるほどねぇ……そういうことがあったんだ」
ミオ先輩は聞き上手というか、『こちらが話したいこと』を上手に捌いてくれました。厚意に甘えて、尋ねたことを贖罪に利用しようとしていることも含めて……ほぼすべてを懺悔することになっていました。
つらくて、苦しくて……誰かに話を聞いてほしかったのかもしれません。それが、ただの逃げであることも自覚していながら……ラミィは、ミオ先輩の質問に答えるかたちで救いを求めてしまいました。
「……でも、さ……そんな大切なこと……他人に聞いた答えに頼るんでよかったの?」
粗方を白状したラミィに対して、ミオ先輩は真剣な眼差しで問いました。
「……た、他人だなんて、そんな水臭いことを言わないでくださいよぉ。こう見えて、ラミィはミオ先輩や皆さんを信頼していますから……」
「そうじゃねーって。うちが言いたいのはさぁ……『ラミィちゃんの中にも答えはあっただろ?』ってことだよ」
ミオ先輩が、赤色の髪束をくりくりと弄りながら、ちょっとだけ不機嫌そうに言いました。
ラミィは……その言葉に何も言い返せませんでした。どう言いつくろっても、ミオ先輩には見透かされてしまうような気がして……何も言えなかったのです。
「……ああ、うん。べつに、そんなに思いつめた顔をしなくてもいいんだ……それがどんな想いなのかを聞くつもりはないしさ」
ミオ先輩は、ラミィの頭を抱き寄せて……温かい胸元で……強がりを剥がされて震え始めた唇を隠してくれました。
「いいかな、ラミィちゃん……誰だってね、生きてれば何かを間違えるモノなんだよ。それを怖がるのは自然なことだけど……それで、大切な想いまで殺しちゃいけないと思うんだ」
心が落ち着く香りを漂わせて。胎内で聞いた原初の鼓動を思わせて。
ミオ先輩は、融け込んでくるような温かさで……ラミィの心まで包み込んでくれました。
「『間違えた』って反省するのはいい。とても大事なことだよ。でも、自分を不必要に追い詰めて……自分の気持ちから逃げちゃダメだ」
頭を撫でて、慈しみを伝えるように頬ずりをして。情けなく、目元がじんわりと熱くなってしまったラミィを癒やしながら……間違いを正して、さらに元気付けようとしてくれました。
「うちの助言を隠れ蓑に使って、それがラミィちゃんの想いと重なってて、全てが上手くいったとしても……ラミィちゃんは、一生後悔しちゃうよ。だから……もっと、素直になってごらん?」
「………………ラミィは……もう、ししろんを…………大切な人を、傷つけたくないんです……!」
鋭くて、的確で……それでも、痛まないように空けてくれた心の穴から、ラミィの想いが溢れていきました。
「ラミィが痛めてしまった心を……ぐすっ……元通りに癒やしてあげられれば……それで……いいんですよぉ……!」
「……そか、そか。ラミィちゃんは、本当に優しいんだねぇ」
「優しくなんてないんですよぉ……!! ラミィは……ラミィは…………うわぁあああんっ……!」
一度溢れてしまった気持ちは、どうやっても抑えられる気がしませんでした。心を軋ませる激流が、ミオ先輩のもとへ引き込まれていきます。
ミオ先輩のお父様が仕立ててくれた、お気に入りの服に……みっともなくて、ばっちいシミを作ってしまいました。
恥ずかしいぐらいに泣きじゃくって。後悔する暇すらなくなるぐらいに癒やされて。
そのべちゃべちゃに濡らしてしまった胸から顔を上げたとき……胸の奥に感じていた、重たい悲痛が和らいでいました。
「……お、やっと顔の引き攣りが消えたね……すっきりできたかな?」
「ぐすん……顔、引き攣ってました……?」
「ん。そりゃあもう、見てて気の毒に思うぐらいには……でも、もう思い出になってくれたね♪」
その女神のようなあどけない微笑みは……見つめる人の心を明るくさせて、元気を与えてくれる後光をまとっていました。
ラミィは心の底から頷いて、「ありがとうございます」と、勝手にこぼれてしまう感謝を何度も述べ続けました。
その時、ラミィは……自分にはまだない、本当の母性というものを……人が持つ温もりの真価を、心身で感じることができました。
『いつか、ミオ先輩みたいになれるのかな』。なんて、思春期の女の子みたいなことを思ってしまうのでした。