※この作品はR-18です。

獣吼の咎者   作:凰太郎

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獣達の挽歌 Chapter.4

 

【挿絵表示】

 

 はたして、夜神冴子は──そして、闇の地に息づく者達は──気付いているのであろうか?

 闇空に鎮座する支配者が、これから起きる余興に嬉々と忌まわしき単眼を歪めている事に……。

 

 

 

 魔窟と続く夜闇の街路を、悠然と踏み歩む二対の女影。

 黒月(こくげつ)が放つ淡白(あわじろ)い輪光は、決意の勇姿を神々しくも演出した。

 血獣の悪意に招かれた晩餐(ばんさん)客(きゃく)──〈怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)・夜神冴子〉と〈憑霊(ひょうれい)獣姫(じゅうき)・ラリィガ〉の勇姿を。

 進み拓くは〈牙爪獣群(ユニヴァルグ)〉が拠点ニューヨーク市(シティ)・マンハッタン──。

 各行政区(ボロウ)自体は背高い防壁に囲われているので、魔気〈ダークエーテル〉の泥濘(でいねい)は無い。

 とはいえ、さすがに〈ニューヨーク〉そのものを囲う事までは叶わぬ。各行政区(ボロウ)間では〈ダークエーテル〉が蔓延(まんえん)し、ともすれば〈デッド〉も我が物顔で徘徊(はいかい)していた。

 本番前の疲弊も馬鹿馬鹿しいので、暴走車で牽き弾いて来たが……。

 ともあれ、そうした経緯からマンハッタン内には魔気も〈デッド〉もいない。

 待っているのは〈野獣街(サファリパーク)〉だ。

 それも、血塗られし動物園である……。

 やがてオフィス街へと差し掛かると、煌(きら)めく文明の残り香が徐々に息吹の数を増してきた。

 蒼暗さに呑まれる人工の渓谷(けいこく)は、それでも聳(そび)えるビル群や街路灯が煌々(こうこう)と抵抗を輝かせる。時として、旧暦異物の看板ネオンもガヤに賑わすのだから酔狂なものだ。

 天空こそ〈黒月(こくげつ)〉支配下の闇ではあるが、下界は〈獣妃(ベート)〉支配の栄華であった。

 ものの見事に虚栄と閑寂が混在している。

「……面白くないわね」

 辺りの気配を盗み見て、冴子は不快を噛んだ。

 両側に連なるオフィスビルの岸壁は、威圧を強いながらも虚無的であった。

 はたして、内部が如何(いか)なる役割に変貌しているかは汲み取れぬ。

 否(いな)、もしかしたら〈終末の日(アンゴルモア・ハザード)〉以降は放置されたままの廃墟やもしれぬ。

 だが……。

「潜んでいる」

「ああ、獣人共か?」

「ええ」

「そいつは、アタシも感じてた」

 屋内に身を潜めながらも、窓越しから奇異の視線は注がれていた。

 それも無数に……四方八方からだ。

 完全に包囲網と陣取られている。

 頭数の優勢に溺れた獣眼。

 まるでコンクリートジャングルのサファリパークだ。

 にも拘(かか)わらず──。

「──襲って来ない」

 潜む気配は底が知れない。

 どれだけの獣が襲い来るかは判らない。

 もちろん、襲われればブチ殺す!

 片っ端から!

 されど現実問題、膨大な物量(ぶつりょう)圧(お)しに対して、どこまで抗えるかは不明だ。

 ラリィガが強力としても限界はある。

 装填用弾層(マガジン)にも限界はある。

 十中八九、焼石に水──潮時を見計らって退却するのが関の山だろう。

 仮に全野獣を撃ち殺したとしても、こちらの疲弊は計り知れない。

 そうなれば、その後に待ち構える〈エンパイア・ステートビル戦〉など喰われに出向くだけだ。

 そう考えれば、この不可解さは幸運と捉えるべきなのであろう。

 だからこそ、焦燥に苛立(いらだ)つ。

 それだけの圧倒的有利を、みすみす放棄する──その裏に敷いた画策は、いったい如何(いか)なるものなのであろうか?

「何を企んでいる……〈ベート〉!」

 未だ見(まみ)えぬ〝ドス黒い獣〟に、さすがの〈怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)〉も不安を圧(お)し殺(ころ)すのであった。

 

 

 

 指定された目的地へと着いた。

 眼前に聳(そび)える巨大ビルが放つのは、圧倒的な君臨感。

「デカいな」

 闇空に繋(つな)がっているかの如(ごと)き威風を仰ぎ、ラリィガは率直な感嘆を零(こぼ)した。

「此処が〈エンパイア・ステートビル〉──旧暦時代からニューヨークのシンボリックスポットとして機能していた超高層ビルよ。そもそも旧暦での存在意義は〈国外貿易センター〉だった」

「へぇ?」

「ま、このビルを特別視に格上げしたのは『モノクロ時代のゴリラ映画』だけどね」

「何だ? それ?」

 朴訥(ぼくとつ)に向けられた罪無き無知に、冴子は肩を竦(すく)めて苦笑(にがわら)う。

 闇暦(あんれき)時代に生きる小娘が知るはずも無い。

「どちらにせよ闇暦(あんれき)では〝獣の巣窟〟……宛(さなが)ら〝魔獣の牙〟ってトコかしら?」

「〈牙爪獣群(アイツら)〉には打ってつけ……か?」

 二人して直下(そそり)立(た)つ突先を見上げる。

「それにしても……」

「何?」

「いえ……こんな物(・・・・)は据えられてなかったはずだけどなぁ?」

 冴子が抱(いだ)く違和感は、正面入口の上部に構えた巨大モニターである。

 知る限り──少なくとも旧暦には──存在しなかった。

「美容商品の広告でも流そうってのかしら?」

 蜂女をネタにした皮肉を浮かべた直後、周辺一帯からサーチライトの照射!

 贄(にえ)たる娘達を焦点と浮かび上がらせる!

「クッ?」

 突然の露光差に目が眩むも、最悪の事態に身構えた!

「ゥオオオオオオオオォォォォォォーーーーーーッ!」

 地鳴りかと思える程(ほど)の歓声が囲う!

 どうやら最悪の予測が的中した!

 周囲のビルから姿を見せたのは、無数の獣人達!

 窓から身を乗り出している獣(もの)もいる!

 屋上から覗(のぞ)き込(こ)んでいる獣(もの)もいる!

 そして、ゾロゾロと街路へ歩み出て来る獣(もの)もいる!

「やっぱり……罠!」

 歯噛みに睨(にら)み据(す)える冴子!

「さすがに数は多い……か」

 背中を預けるラリィガ!

 絶体絶命の抗戦を覚悟した直後──『鎮まれ』──件の巨大モニターから静かなる威圧が発せられた。

 途端(とたん)、猛りは水を打つ。

 振り返り観れば、画面に映るは、長く豊かな髪を波打たせる女性のシルエット……。

 それ(・・)が何者(・・)なのか──夜神冴子は当然のように察した。

 否(いな)、察するに充分であろう。

 その声音に秘められた絶対的な支配力に、これだけの獣共(けものども)が慄然とおとなしくなるのだから!

「……〈ベート〉!」

 完全な黒に染まる妖影からは、その容姿詳細を視認する事は叶わない。

 さりながら、冴子は感受する──コイツ(・・・)は優越酔いに笑っている(・・・・・)と!

『よく臆せずに来たな……〈怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)・夜神冴子〉よ』

「ハッ! 強制に呼んでおいて、よく言うわよ!」

『フフフッ……報告にあった通りに活(い)きがいい』

「……報告(・・)?」

 怪訝(けげん)が浮かぶ。

 誰(・)が?

 まさか〈クイーンズ区長〉であろうか?

 だとすれば……撃ち殺しておくべきだった。

『で? そちらが〝ダコタの小娘〟か?』

「よぉ」

 相変わらず気負いも無く応えるラリィガ。

『随分(ずいぶん)と手を焼かせてくれたものよな……原住民の小娘が』

「白人(ワシチュー)に土地(・・)を奪われるのは、旧暦だけで充分だからな」

『……それで?』

「オマエをブッ潰しに来た」

『フフフッ……大きく出たものよ』

「まぁな」

「ジュリザは無事なんでしょうね」

 焦(じ)れた冴子が割って入る。

『無論だ、夜神冴子。賞品(・・)は公正に与えられなければ面白くない……〈ゲーム(・・・)〉というものは』

「ゲーム?」

『これより、貴様達には最上階を目指してもらう。賞品(ジュリザ)は、そこに用意(・・)しよう』

「最上階……って何階だよ?」

 ピンと来ないまま訊(たず)ねるラリィガへ、辟易(へきえき)とした抑揚で冴子が答えた。

「……一〇二階」

「はぁ? 何だってんだ、まどろっこしい!」

「そうよ! さっさと出て来なさい! 一対一(サシ)で撃ち殺してあげるから!」

 緊迫の場にそぐわない姦(かしま)しい挑発。

 あまりの無礼さに、一匹の外野が憤慨(ふんがい)を吠えた!

「貴様! 我等が〈牙爪獣群(ユニヴァルグ)盟主〉に何という口(くち)を──ガハッ!」

 耳障(みみざわ)りを無作為に撃ち殺す。

「おい、冴子? 無駄弾(・・・)を撃つなよ? これから決戦だってのに……」

「分かってるつーの! コッチだって貴重な弾数減らしたくないわよ!」

 囲う殺気がチリチリと伝染していく。

 一触即発!

 が──『フン……次は、どいつ(・・・)だ? 我(わ)が興(きょう)を削(そ)ごうという愚か者は?』──盟主(ベート)が発する静かな威圧が、またも獣達の円陣を後退に拓(ひら)かせる。

 なればこそ〈怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)〉もまた、忌々しく歯噛みするのであった──その絶大な支配力に!

『さて、夜神冴子よ? ビル内には、歓迎の罠を仕掛けてある。それらを攻略して昇り詰めれば、貴様の勝ち……ジュリザは、おとなしく返してやろう』

「で? クリア出来なかったら?」

『そこが貴様の墓標だ』

「ふぅん? 獣相手に『死亡遊戯』って? ……乗ってやろうじゃない!」

 不屈の負けん気が吼えた!

 それを見ればこそ〈獣妃(ベート)〉は喜悦を含(ふく)むのだ。

『クックックッ……それでこそ〈怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)〉……殺し甲斐がある』

「……言ってろ」

 不敵に醒めて口角(こうかく)を上げる。

「あ、そうそう。ところで、市長(・・)さん?」

『何だ?』

「……教会、孤児、八人」

『…………』

「…………」

『……フッ、それで(・・・)?』

「……へぇ?」

 静かな独(ひと)り納得(なっとく)を孕(はら)むと、冴子は関心薄く本題へと戻す。

「エレベーターやエスカレーターは使っていいのよね? 脚、浮腫(むくみ)たくないわ」

『好きにせよ。ビル内の設備は自由に使って構わん』

「そりゃどーも」

 肩の力(ちから)を抜いた鼻歌が、楽観の足取りに歩み出した。

 遊歩の先は、地獄門。

 潜り入るは、畜生界。

 その傍(かたわ)らへと続き、ラリィガは抑えた声に忠告する。

「アイツ(・・・)、絶対的な自信に見下してるぜ? アタシらが相手になるなんて、露ほども思ってない感じだ」

「百も承知よ」

「……意外だな?」

「何がよ?」

「いや、思いの外に冷静だからさ……。冴子の事だから、途中でキレるかと思ってた──『ナメてんじゃないわよ!』って」

 素直な感心に、冴子の温和な微笑(ほほえ)みがニッコリと答えた。

「とっくにキレてる(・・・・)★」

「……ああ、やっぱりな」

 相変わらずの大人気なさに、ラリィガは先の感心を軽く後悔するのであった。

(いざとなったら、アタシがブレーキ役か……アタシも感情的な方だけど、冴子(コイツ)もたいがい(・・・・)だな)

 諦めの嘆息(たんそく)。

 しかし、冴子には冴子で〝キレるに値する理由〟がある。

(あの女、笑って(・・・)いやがった)

 沸々とした怒りを噛み殺す。

 定番の謎掛(なぞかけ)に〈ベート〉は「それで(・・・)?」と答えた──「それが(・・・)?」ではない。

 その差は〝質問の意味を承知している可能性〟を示唆している。

 無論、可能性の域ではあるが……。

 縦(よ)しんば、予想ドンピシャとしても〈盟主〉ともあろう者が野良(のら)紛(まが)いの軽率な行動を取るとは思えない。

 が、少なくとも事態(・・)は把握していた(・・・・・・)。

 その上で黙視看過していた。

 殺(ヤ)るに充分だ。

「せいぜい待っていなさい……眉間をブチ抜かれる瞬間を」

 硝子(ガラス)越(ご)しの正面ロビーを睨(にら)み据(す)える。

 その瞳に滾(たぎ)らせるのは、はたして正義感か……。

 或(ある)いは、憎悪か…………。

 アニス──。

 アントニオ──。

 八人の子供達────。

 決意に刻む歩(ほ)は独(ひと)りではない。

 

 

 

 一階フロアは寂寥(せきりょう)としていた。

 安っぽい不安の演出に照明が消灯されている。

 光源は淡く射(さ)す月光のみだ。

 その薄暗さは、電飾が賑(にぎ)わせた外界との対比に淋しい。

 かと言って、退廃した荒(すさ)みには無い。

 抗菌的なタイルが足下に広がり、数本もの逞(たくま)しい支柱が要所要所で階層(フロア)を支える。

 入口(いりぐち)の傍(かたわ)らには受付用カウンターが無意味に据えられ、少し進めば静かな駆動を息吹くエスカレーター。奥の壁には三基の大型エレベーターが組み込まれていた。

 こうした機能美的な整然は、矍鑠(かくしゃく)たる厳格さを誇示する。

 要するに使われている(・・・・・・)という証(あかし)だ。

「さて、と……とりあえず、どうする?」

 辺りを見渡しつつ、気負わぬラリィガが指針を求めた。

 索敵に気配は感じられない。

「昇るわよ」

「それは、そうだけどさ……何(・)で? いっそエレベーターで一挙に昇るか?」

「させる(・・・)と思う?」

「……させない(・・・・)な」

「一番有利な手段だからこそ、一番スルーすべき呼び水……そこ(・・)には、ありったけの悪意を注いだ罠が潜む」

「エスカレーターは?」

「同じ。楽な手段は甘い餌(えさ)。エレベーター程(ほど)じゃないにせよ……ね」

「階段……」

「階段は立ち回るに足場が悪いし、登れば登るほど体力消耗が激しい」

「んじゃ、どうすんだよ! アレもダメ、コレもダメって!」

「だよねー★」

 あっけらかんと緊迫感を削(そ)ぐニッコリ笑顔。

 見ている分には飽きないが、命運を共にするには疲れるヤツだ──と、ラリィガは苦虫を噛んだ。

 その時、エレベーターがチンと到着音を鳴らす。

「あら? 来客?」

 皮肉めいておどけるも、冴子に動揺は無い。

 障害は撃ち殺すだけだ。

 重い駆動に扉が開く。

 箱内の鮨詰(すしづ)め状態から解放されたのは……多数の死人達であった!

「デッド?」

 ゆらりと歩み出て来る喰人屍(しかばね)の群(むれ)!

 その動作は愚鈍ながらも、捕食本能は確実に獲物(・・)へと足取りを定める。

 その数、目算で一〇体弱!

 やがて間合いが詰まれば俊敏に襲い来る!

「チッ! やってくれるわね!」

 腹立たしさを噛み、冴子は〈ルナコート〉を身構えた!

 連携に臨戦体勢を構えたラリィガが吠える!

「何で〈デッド〉が領域内にいるんだよ! 入れさせない為(ため)の防壁だろう!」

「持ち込んだ(・・・・・)のよ」

「はぁ? 何の為(ため)に?」

「こっちの疲弊(・・)の為(ため)に……」狡猾さを睨み据える。「ベートだって、こんな物(・・・・)で仕止(しと)められるなんて思ってやしない。だけど、一山(ひとやま)幾(いく)らの雑魚(ザコ)とはいえ〝捨て石〟として充分使える」

「質より量の消耗戦……って? 嘗(な)められたもんだな! アタシ達も!」

「とは言え、厄介な策を張ってくれるわよ……」

 完全に裏をかかれた。

 〈デッド(・・・)〉は(・)、防壁外にいる(・・・・・・)という先入観に!

 正直、敵ではない……が、残弾は浪費する。

 では〈戌守(いぬもり)さま〉は?

 否(いな)、出来れば温存したい。

 間違いなく〈獣妃(ベート)〉は観ている(・・・・)!

 こんな序盤で〝切り札〟を晒(さら)したくはない。

 しかし──(背に腹は代えられない……か)──チャキリと照準を額に定める!

「カァァァーーーーッ!」

 死体のスイッチが入った!

 発砲!

 噴き咲いた血花(ちばな)と脳脂(のうし)が合図となった!

「クァァァ!」

「ギァァァ!」

 押し寄せる喰屍(しょくし)の黒潮!

 次々と眠っていた狂暴性が覚醒する!

「シュンカマニトゥ!」

 見えぬ獣が地を蹴った!

 不可視の爪が切り裂き、その勢いに足止めの隙(ラグ)を刻んでいく!

 それでも侵攻の勢いが止まる事は無い!

 固(もと)より痛覚も恐怖も欠落した雑兵だ!

 単に物理的ダメージによる衝撃が圧した結果に過ぎない!

 充分だ。

 詰まらぬ間合いに銀弾が穿(うが)つ!

 百発百中!

 夜神冴子の腕を以(もっ)てすれば、緩慢な愚鈍を狙い撃つは造作もない。

「我に繋がる総てのものよ(ミタクエ・オヤシン)!」

 悪夢の芋洗いへと躍り飛び込む憑霊獣化(ラリィガ)!

 鋭き爪の演武が、周囲の首を無選別にはねた!

 頭部を栓と赤きシャンパンが噴き、果てた肉塊が崩れていく!

 次々と死体と還る屍達!

 斯(か)くして、ようやく茶番の終演が見え始めた……と、新たなエレベーターが到着する!

 またぞろ〈デッド〉が追加された!

「増援?」

 動揺を浮かべながらも、新たな波状攻撃へ備えて装填用弾層(マガジン)を入れ換える!

 続く第三波の到着──更(さら)に増えた!

「数が多過ぎる!」

「ベートのヤツ……いったい、どんだけの〈デッド〉を持って来やがったんだ!」

 エレベーターは上がる。

 そして、また下る。

 増える。

 劣勢を確定していく悪循環が繰り返された!

(このままじゃジリ貧!)

 焦りを生む。

 確かに〈デッド〉など敵では無い……が、この状況では話は別だ。

 やがては弾数も尽き、疲労に喘ぎ、そして呑まれ裂かれる!

(屋内ってのも裏目に出ているわね……)

 この頭数は屋外(・・)でこそ捌(さば)ける規模だ。制約が無い為(ため)に縦横無尽に立ち回れ、尚且(なおか)つ臨機応変な選択肢も多い──撤退を含(ふく)め。

 だかしかし、屋内という閉鎖空間で無制限に増産されては流されるまま消耗の一途を辿るしかない。

 状況も悪化する。

 事実、屠(ほふ)った死体は無造作に転がり重なって足場を侵食していた。

 そこに加えて黒波は押し寄せる。

(まるで〝水責め〟ならぬ〝死体責め〟ね……)

 周囲に視線を滑らせて好転の種(たね)を探す。

 正面エレベーターからは勢い止まらぬデッドの増産……。

 エスカレーターは、そのすぐ右手だ。

 辿り着くには突っ込み横切らねばならない。

 賭けとしては分(ぶ)が悪い。

(となると……)

 目に留まるのは、その先──エスカレーターを挟(はさ)んで更に右へと奥まった位置に据えられた幅広い階段だ。

(大きく右手へ迂回に走れば辿り着ける……か)

 捕食本能の荒波は追ってくるだろう……が、考えようによっては〝逃走〟と〝誘導〟を兼ねる事となる。

 悪くはない。

 双方の足の早さを考慮すれば、徒(いたずら)に軌道を描けば距離を引き離せる。

 彼等に〝挟み撃ち〟という発想が無ければ……本能任せの偶発にせよ。

「ラリィガ!」

 アイコンタクトで伝える。

 僅(わず)かな一顧(いっこ)で伝わった。

 すぐさま駆ける!

 同時に!

 予想狂わず黒潮は流動を見せた!

 駆ける!

 駆ける!

 駆ける!

 追い付かれはしない!

 が、苦悶めいて呻(うめ)く背後からの存在圧は、決して気分のいいものではない。

(まるで〈黄泉平坂(よもつひらざか)〉の再現だわね)

 ふと『日本神話』を想起(そうき)して、冴子は自虐を口角(こうかく)に刻んだ。

 冴子もラリィガも俊足である。

 それも、その出自から常人離れした運動神経だ。

 如何(いか)に俊敏な餓獣と化したとはいえ、根本的に緩慢愚鈍な〈デッド〉が追い付けるはずもない。

 斯(か)くして、目的の手前まで辿り着く!

「よし!」

 軽い安堵の確信を漏らす冴子。

 後は一目散に駆け登ればいい。

 当然、追っては来るだろうが、死体(ヤツら)のフラつく体幹では段差も足止めに機能する。

 そう計算した次の瞬間、さすがの冴子もゾッとした!

 階上から投棄に落ちてくる塊(かたまり)!

 踊り場に転げ落ちたそれ(・・)は、ユラリと起き上がると盲目的に獲物を求め始めた!

「デッド?」

 一体だけではない!

 それを皮切りに、上の階から次々と転げ落ちて来る!

 あれよあれよと眼前に生まれる屍牙(しが)の蠢(うごめ)き!

 ベートだ!

 こちらの動向を観察し、急遽、階上からの雑兵を配置したに違いない!

 まんまと予期せぬ挟撃(きょうげき)陣形の真っ只中へと陥(おとしい)れられてしまった!

「どうあっても〝疲弊〟と両天秤で狙うつもりらしいわね……こちらが〝手の内〟を披露するのを!」

「どうすんだ! 冴子!」

「クッ! 上等よ……乗ってやろうじゃない!」

 腹を括(くく)った──その直後、突然、頭上から外(はず)れ落ちてくる天井タイル!

 天井裏に張り巡る通気ダクトからのようだ!

 ポッカリと開いた穴から、太く束ねた白綱(しろつな)が垂(た)らされる。

「何コレ? 糸?」

「おい、コッチだ! さっさと掴(つか)まれ!」

 見知らぬ男の声が急いた!

 咄嗟(とっさ)に言われるがまま従(したが)う。

 敵か味方かは判らない……が、現状突破になるなら、それでいい!

 仮に罠なら撃ち抜くだけだ!

 スルスルと引き上がる糸束は、そのまま二人を通気ダクトへと呑み込んでいく。

 脚下で喚(わめ)く耳障(みみざわ)りな狂騒──。

 宛(さなが)ら〝蜘蛛の糸〟に取り残された亡者の如(ごと)く────。

 

 

 

 身体さえ伸ばせぬ狭い暗闇で、冴子とラリィガはアドレナリンの高揚を鎮める。

 次第に目が慣れてきた。

「イヒヒ……間一髪だったな?」

 救いの主が気配を浮かび上がらせる。

 スー族伝承の蜘蛛男〈イクトミ〉であった。

 

 

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