それは、ジャンヌの出発を見送ってから、本日から明日まで必要になる品物を買い出しに城下市場へ足を運んでいた時だ。
「ねぇお願い!あの子を探してよ!!」
悲痛な懇願が、ダイアナの耳に入れば足を止めた。
振り向けば、一人の女性が王門を預かる兵士に詰め寄っていた。
「そうは言っても奥さん、ここ最近の治安の悪さを考えると、捜索範囲にも限度が」
「あの子が、リルリがスラムに行くような子じゃないって、さっきから言ってるでしょ!?でも居ないのよ!今朝、ほんの一瞬目を放したら……!」
「分かってます、もう何度も聞きました。心当たりも全て当たっても、お子さんが居なかったと……」
矢継ぎ早だが凡その事情は察せた。
野次馬も、彼らに、引いては国内の動向に関して様々なことをぼやいている。
――――もしかして、例の海外から来た犯罪者じゃ……
――――ここ最近ヤバいよな、あの黒城が出てから治安がすこぶる悪くなったし……
――――兵団が壊滅したんでしょ、スラムの犯罪者も表を歩き始めたって
――――こないだたってスラムのいざこざが教会近くで起こったのに……
――――何やってんだよ騎士も貴族も……!
焦燥、苛立ち、不安、嘆き。
人々がどんなに日常を守ろうと平静を努めても、混沌と悪意が着実に這い寄って来る。堀の中でも安全とは限らない。人の皮を被った獣は確実にこの街に潜んでいるのだから。
「ですから、お子さんの捜索隊は作ってますし「何で今すぐ行けないのよ!」……だから色々手順が……ああ、もう、堂々巡りだこれ……」
金切り声に参ってしまったようだ。兵士がすっかり頭を振っていた。確かに、兵団も今は慎重にならざるを得ない。人手不足という、単純故に深刻さに直結し易い問題があるから。けれど助けを求めている人間にはそこまで考慮する余裕がないのも事実で。
「ああ、リルリ、リルリィ……!!」
何もしなければ、何も出来なければ、泣き寝入りする人が残るだけ。
(……私がすべきことは、ジャンヌ様の留守を預かること、家を守ること)
(――――でも)
「あの、さっき、海外とか、スラムとか、言ってましたよね」
「あ、俺?」
「ええ。……誘拐されたと、思われますか?」
「……十中八九な。このご時世だ。引き籠りも多くなったし、動ける兵士も少ないし……だけど城近くで中流以上の子供を誘拐だなんて、大胆過ぎるだろ……」
平時のベルデなら有り得ない事件。だが実際に少女が一人、今朝から行方を晦ました。それぐらいあっちも調子に乗り始めているんだと誰かが横で愚痴を零していた。
「もしスラムに連れて行かれたらと考えたら……」
「ああ、兵士もおいそれと足を運べない。騎士の方々だったらきっと単身でも問題ないけど、彼らも怪我をしたとか黒城攻略関係で忙しいから無理だろう。……あそこには冒険者崩れも多いって聞くし、少なくとも剣や槍も碌に扱えない俺達一般人にとっては、あの区域はダンジョン並みに危険だ」
「…………」
戦えない人間にとっては、スラムはダンジョンのようなもの……。
冷静な分析をすればするほど残酷な現実が浮かんで来る。彼らの会話を耳に傾けた野次馬も、おそらくは近くの兵士も俯いて、何も見なかったように城門から余所余所しく離れていくのだ。
ダイアナもそうした解散者の一人だった。だがその歩み先は家への帰路でありつつも、足取りは力強かった。
もしも、自分の主人ならばと考えて、当然の帰結が出てくる。
(――――ジャンヌ様なら、今すぐ助けに行く)
ダイアナは只のメイドだ。騎士としての訓練なんて受けたこともない。だから持てる知識と道具から自衛術を拵えなければならない。
自分の部屋の隅から、整頓用の箱から取り出したのは大きな紺色のローブだ。夜や薄暗い場所なら身を隠してくれるだろう。後ろめたい行いをする人間らしい装束とも云う。……あの日の私みたいに。
(スラム……前々から酷い所だったけど、数年前の災害と疫病から更に悪化している区域)
ならず者が増え、売春が横行し、騎士も手を焼いていると度々噂を耳にする。人でありながらモンスターのような思考を持った輩も徘徊しているとか。それどころかモンスターそのものを飼いならしている者が潜んでいるとか。ジャンヌからもよく教会からほんの少し先の、警邏の目が届かない区域には入いらないようにと努々忠告されていた。
ダイアナは、自分が今からどんなに無茶な、愚かな、無鉄砲なことをするか自覚はしている。最悪の事態は幾らでも想像出来る……実際に遭えばその想像を遥かに凌駕してしまうだろうことも。
けれど、一人の母親が絶望するかもしれない。
――――リルリ……!
そう、子を想う母の泣き顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
一度、見てしまったから、見ぬふりは出来なかった。
(私が、私が出来ることなら、やってみせよう)
ワン!と快活で愛らしい吠え声がダイアナの足元から聞こえた。
「モニ?」
玄関を開ければ、すり抜けるようにダイアナより先に出た、この家の飼い犬。
「あなたも、付いてきてくれるの?」
ワン!と返事した。そうだよ!としか聞こえなかった。
この子もスラムから逃げてきた子だった。これからダイアナが向かう所にも、この仔犬にとって浅くはない因縁があるだろう。
モニの頭を撫でる。良い子と呟きながら。
「今日はふたりで出かけましょう。大丈夫、必ずジャンヌ様より、先に家に帰るから」
一人よりふたりの方が良い。
リールを付けない仔犬と一緒に、ダイアナはスラムへと足を運んだ。
♢♢♢♢♢♢
教会の先の警戒区域を越えれば、あっさりとベルデの街は顔を変える。清廉さの裏にある追いやられた薄汚さを。
警告灯代わりの騎士の案山子もただ添えて立つだけだ。
諫言文のすぐ傍に下品で猥雑な落書きが足されている。なのに放置されているのがこの辺りに警邏が全く足が行ってない証拠だ。
ダイアナは周囲を益々警戒しながらローブを深くかぶる。
(あの道……今も残っていたら、使える筈だ)
人の気配の有無を探りながら、踵を返す。
警戒区域寄りの、今はおそらく宿として使われているだろう大きな家型の施設……より更に脇。物置箱が乱雑に置かれていたが、ダイアナ一人でも問題なくどかせられた。
(良かった。ここは変わってない)
物置箱が丁度上手く隠してくれた隙間は、治安が悪化する以前に使っていた近道で逃げ道だった。
「よいしょ……と」
最後に使ったのは背が伸びる前だった。幸い、子供の頃と殆ど変わらない幼児体形だ。……こんなことで幸い扱いしてもいいのか、私的にはとても微妙な気持ちでもある。小型犬のモニはもっと余裕綽々で通ってきた。この子はダイアナより先に通っては、出口で彼女を待っている。
開けた場所は想定より随分と寂れていた。
いや、寂れるどころじゃない。
(そんな……幾ら疫病騒ぎの時に封鎖されていたからって)
ここまで廃れるなんて。
王城傍の中央と違い木造建築が多い分、修繕工事が遅れていると朽ちるのも早い。屋根と壁が付いてればまだマシ。中にはただの瓦礫にしか見えない家だったのもある。あちらもこちらも無残としか言いようがない有り様だった。
臭いも酷い。中央の人間ならこの異臭を嗅いだだけで吐くかもしれない。かつてこの辺りに住んでいたダイアナですら、一瞬鼻元を押さえた。どこから流れたか知れない犯罪者が隠れ蓑にしてもおかしくはない環境だった。
……祖母と二人で住んでいた頃の家も、ただの廃屋と化しているんだろうな。あそこは、一軒家だけどジャンヌ様のお部屋くらいの広さはあったし、いつも綺麗に片付けていたし、水道さえ通っていれば未だ都のような場所だろう。せめて真っ当な人達の住処になっていますように。
少し歩いていると、ある道の端にて一人の男が焚き火の前に座っていた。壮年或いは老年だろうか。全身が白い毛で覆われて雪男というモンスターを彷彿とさせる。実際は長く放置し伸ばし過ぎた白髪と髭でしかないのだが。
ダイアナはこの人物に尋ねようとしたが、足元のモニが唸っていた。
「モニ、どうしたの?」
ローブの縁を噛んで引っ張っていた。まるで離れろ、と警告しているみたいだ。このモニの態度を見てダイアナは少し思慮し、判断する。
「分かった。あの人には話しかけません」
そして言ったとおりにダイアナは白髪の男を避けるように道を進んで行った。モニは、ホッとしたような顔を浮かべていた気がする。
「……アンタ。こんな所で何してんの?」
警戒しながら進みつつ、ある曲がり角から出た所で女性と目が合った。女性から近付いて、ダイアナに話しかけて来た。一瞬、鼻がつんとした。……彼女は香水を着けている。この異臭を誤魔化す為だろう。厚めの化粧も仮面のようなものだ。
足元のモニを見れば、大人しくこちらを見上げている。モニは何も言わない。ということは動物的にもこの人は危険ではないと判断したか。
「人を探しているんです。これくらいの子供を見ませんでしたか?」
「知らないね」
即答だった。
分かりました。と律義に返事する。
「アンタ、ここをうろつかない方が良いよ」
ありがとうございます。と簡単に辞儀をしてから足早に去った。
人の気配は疎らにはある。だがまるで潜んでいるみたいだ。その理由は察せる。荒くれに対抗する手段を持たないなら、息を潜めて影を出来る限り小さくしなければ。そして、機会を見計らって表に出て生きる手段を講じるのだ。ダイアナも本来はそうするべきなんだろう。
幾らか、スラムを大手を振って歩ける側……詰まり、荒くれ者を見つけたことがある。
幸運にもダイアナ達の方が発見が早かったので、近くの物陰に隠れて行き過ぎるのを待って、遭遇の回避を成功し続けた。
ダイアナの反応が遅れた時も、モニが小さく吼えて隠れ場所を教えてくれた。おかげで事なきを得た。しかし緊張が続くと精神的にも体力的にも消耗が大きい。安全な物陰に蹲って、ダイアナは思慮する。
(子供が居そうな場所……連れ浚われたなら、大きな家の中?……情報が足りないから……)
酒場のような所を考えたが、駄目だ。そういった場所こそスラムにあるとしたら悪党の巣窟になっている。ダイアナなぞ入っただけで最悪の顛末に至るだろう。
(あとは……そうだ。広場)
確か、誰か分からないが偉い人物の石像と、大きな井戸が目印になっている箇所だ。
(あの石像、見るだけで嫌な気配がするから近付くのも苦手……)
気にしない人は気にしてないらしいが、だからダイアナは広場には数える程しか行ったことがない。けれど広場というだけあってよく集会やら小さな祭りに利用されている。
(そう、徒党を組んでるだけの人間達でも、利用してそう)
ある程度足を使ったことで、現在の地理が大体分かった。記憶を掘り起こし、あの頃の風景と重ねてみる。かなり様変わりしてしまったが、かつてよくお世話になった雑貨屋さんの看板が目印になった。他にもいたずらっ子が可愛らしい落書きをしていた壁、優しかったおじさんおばさんが住んでいた家の屋根の色……。
(……パン屋さんの煙突が残っていれば、その近くの筈だ)
目星を付けたダイアナは、思い出の跡を辿って広場に足を向けていく。
果たして希望は叶い、とうに朽ちて錆びついた煙突を見つければ、その周辺の建物を見渡して確認する。
(ここは、特に瓦礫が散乱している……)
確か、疫病騒ぎの後に大震災があった。
王城や中央もかなり被害を受ける程だったが、封鎖のこともあって手つかずだったとしてもこれは酷い。
(広場への道は…………え?)
其処は、完全に崩れていた。瓦礫の山が壁になって、まるで封鎖されているに等しい。たしか当時にしても立派なアーチが作られていたと思う。それがあの震災によって破壊され、周囲の施設の瓦礫と共に道を埋めてしまっていた。
(行けないの……?)
ダイアナは、念を置きながら広場周辺を歩いて調べた。
震災から手つかずだった場所。何故か当時の貴族が聖騎士達の意見も捻り潰して支援をしなかった。リリィ姫の父王がいっそアレごと永遠に塞いだ方がいいと呟いていたとか。
それらの事情もとんと知らないダイアナだが、少女を探す目的上、広場が本当に入れないのか調べずにはいられない。可能性がほんの隙間くらいでもあれば。
(…………あった)
大人一人ずつなら余裕で通れる程度の穴が見つかった。中は薄暗く、もしかしたら行き止まりかもしれない……否、その可能性は低い。向こう側から光が見えた。ちゃんとあちらへの通行口になっている。
(この先に進めばきっと広場に……)
その時、裾を強く引っ張られた。
下に視線を配ればモニが強く唸っている。
ワン!ワン!と吠えてもいた。こんな強く警告をするということは。
「っ!隠れなきゃ!!」
ダイアナは周囲を見渡して、咄嗟に近くの木箱を見つけた。上蓋を空ければ埃しか無かった。モニを抱っこして入り、上蓋を締める。
急いでいたがローブの裾がはみ出ているか確認した、無かった、よし。ダイアナはモニの下顎を閉じるように抱えながら、じっと息を潜めた。
十数秒後、複数の足音がする。
「~~~でさぁ、そいつがまた上玉でぇ」
「へへマジかよぉ~~~」
酔っ払っているような男達の談笑が聞こえる。ダイアナは平常心を唱えながら通り過ぎていくのを待つ。正直な所男たちの会話より自分の心臓の方が煩かった。
「…………ウウ……」
「ん?どうした?」
「また鼠でも見つけたんだろ。雑食野郎め」
何。何か連れているの?
緊張から来る汗が流れ落ちる。バクバクと早鐘が鳴っているようだ。
モニもダイアナの心地が伝わるのか、舌で彼女の手を舐めつつも鳴き声を上げないようにしている。
「どうする?暇潰すか?」
「いや、今は止めとけ。浚ったガキのこともある」
「だな、久しぶりに良い金蔓が来たことだし、そういうのはしっかり捕まえとかねーと」
「そういうこった。ほら、行くぞ」
「グウウ……」
足音が遠ざかっていく。何かしらの生物の唸り声も連れて行きながら。
完全な静寂が訪れるまで待った。それでも、呼吸は整わず、身体が碌に動こうとしないが。モニが顔を舐めて緊張を解してくれなかったら、もっともたついてしまったのかもしれない。ダイアナは木箱の上蓋を開けて、周囲を警戒しながら箱内から外へと身を移した。
(……確定した。やはりこの広場に、リルリさんが居る)
目的の人物の居場所は分かった。
次に救出方法を考えないと。