翌日の午後、昼休みを迎えた都内の某男子高校の廊下を、一人の生徒がやや早足で歩いていた。
首都圏に在住している人間であればまず知らない者はいないだろう超有名な国立進学校在籍にして、ピアスに細眉、ネクタイはほぼ首にかけただけの状態かつ襟もシャツの裾も出しっぱなし、という人目を引くいでたちのその生徒は、学食や購買などへ移動していく他生徒たちの波をすり抜けながら、目的の教室を目指す。
当該のとある一学年の教室へたどり着くと、引き戸の上框に手をかけながら教室内をゆるりと覗いた。
急な不良生徒の来訪に、まだ入学してふた月ばかりの一年生たちは、彼に気付くや否や目を丸くして身体を硬直させた。
「…あっれー」
中を見回した彼――
そのまま退散しようと思ったが、影斗から視線を外せないまま固まっていた手近な生徒に声をかけた。
「なぁ、今日
「!! は、はいっ。あっ…いえ、さっき帰りました…!」
「え、早退したの?」
「はいっ!」
最上級生で長身で学内随一の不良という数え役満な彼を前に、捕まった小柄な一年生はしどろもどろになりながら返答した。
「ふーん…午前中はいたんだな。しくったなー」
影斗はどこか残念そうにつぶやく。
「――あ、あの」
そんな影斗に別な方向から声をかける者がいて、影斗は視線だけを向ける。彼らの様子を見ていた別の一年生だった。
「体調不良だったんです。なんか…朝教室に来た時から元気なくて、保健室行って…そのまま」
「…! そうなんか。ありがとな」
詳細情報をくれたその生徒へ軽く手をあげると、影斗は足早に一年の教室を離れる。
歩きながら蒼矢へSNSメッセージを送り、スマホをポケットへしまうと苦い顔をした。
「くそー、遅刻しちまったのがまずったなぁ」
影斗と蒼矢はこの男子高校に通う高校生で、蒼矢の入学初日に出会い、それから少しばかりのひと悶着を経て、先輩と後輩ながら親しい間柄となっている。素行が悪く停学経験もあり、教員たちから常にマークされている問題児・影斗と、入試主席で品行方正、教員たちから絶大な期待を寄せられている蒼矢は、学校内において真反対なポジションに位置しているものの、ふれ合う中でお互いに好印象を抱くようになり、周囲をハラハラさせながらも良い関係性を築いている。
二人の交友のルールとして、学外で会うことは原則禁止となっている。ゆえに、二人が接触できる時間帯は朝の始業前と昼休み、そして蒼矢が帰宅するまでの放課後に限られるのだが、その少ないチャンスである始業前に寝坊し遅刻してしまったため会えず、影斗は蒼矢が学校へ来ているか把握できていなかった。そのまま昼休みを迎え、前日に約束していた昼食場所に現れなかったため、彼の教室まで確認しに参じたのだった。
…いないんじゃ仕方ねぇ。フケたくなってきちまったけど、後で蒼矢に怒られるから授業出とこ。
一年棟から三年棟へ戻り、教室へ入る手前でスマホを確認する。
「…返事ねぇな」
立ち止まり、画面を眺めながら影斗は思案する。
「……」
…体調不良か…
昨日の蒼矢の様子を振り返り、放課後に通い始めた武道場へ行く予定がある、と彼が話していたことをふと思い出す。
昨日は放課後まで普通だった。それが、今日は朝から具合が悪かった。
…
「…あぁー、くそ…」
頭をバリバリと掻いて苦々しい表情を晒し、影斗は入りかけていた教室から離れていった。
それから少し時間が経った午後、
大まかに掃き終え、お茶でも飲むかと自宅へ戻りかけようとした葉月の視界遠くに人影が見え、鳥居の奥からこちらを眺めていることに気付いた。
「…! 影斗…!」
葉月は慌てた風にほうきを用具倉庫に立て掛け、急ぎ足で影斗へ近付いていく。
思いがけない人物の突然の来訪に顔がほころびかけたが、近寄って確認できた彼はじっと自分を睨んでいて、思い改めるように表情を曇らせた。
ポケットに両手を突っ込み、不機嫌そうな視線をぶつけてくる影斗へ、葉月は少しぎこちなく話しかける。
「…久し振り。どうしたの、急に――」
「"蒼矢"、知ってるだろ」
葉月の社交辞令を早々に断ち切ると、彼はやにわに本題を切り出してきた。
「? そ…」
「
「……!!」
その問いかけを聞くと葉月は目を大きく見開き、言葉を失った。その反応に、影斗は眉を少し上げる。
「昨日、ここに来てたよな?」
「……うん、来てたよ。…そっか、彼からも学校名聞いたけど、そういえば同じ高校なんだったね…」
「んなこたいいよ。…今日あいつ、具合悪くしてガッコ早退してんだけど」
「…! そう、なのか……」
彼の言葉に、葉月は驚きの中に明らかな動揺を見せる。
避けるように視線を外され、影斗はいっそう眼に鋭さを込める。
「…ここでなんかあったの?」
「……」
「答えねぇってことは、そうだってことなんだな?」
揺さぶりかけるような詰問にも、返せずに視線を地面へ向けてしまう彼へ、影斗は苛立ちを募らせていく。
「黙んなよ。俺は、あいつはここで具合悪くしたんじゃねぇかって思ってる。…どうなんだ?」
「…すまない、君が彼と友人だったなんて…。…やっぱり学校に行かせるべきじゃなかった。僕の責任だ」
「話が見えねぇんだけど。答えろよ」
「……この件は、しばらく預からせて欲しい。後で必ず話すから、今は…何も聞かないでいてくれないか?」
最終的な葉月の回答に、影斗は大きく間合いを詰めると彼の襟を掴んで引き寄せた。
「ふざけんな、なんだよ責任て。…あんたがあいつになんかしたってことにすっからな」
「…それでいいよ」
「…どうあっても話せねぇんだな?」
「……」
至近距離から刺すような眼力で葉月を睨んでいたが、顔を蒼白にしながら再び沈黙してしまった彼に、影斗の内にたち昇っていた激情が急に冷めていく。
「…
影斗の表情から怒りが消え…代わりに蔑むような、無感動な視線を注いでいた。
「あんたは
「……」
「どうせなんも報告してこねぇんだろ。…俺のことなんざ興味ねぇし、話す価値もねぇと思ってんだから」
突き飛ばすように襟を解放され、よろめいた葉月はやはり視線を合わせられないまま、彼の言葉を受け止めていた。
ひとしきり感想を言い切ると、影斗はきびすを返す。
さっさと神社を離れていく彼を葉月は呆然とした面持ちで眺めていたが、はっと我に返ってその背中に声をかける。
「っ影斗、彼の家に行くのなら…やめておいてあげて欲しいんだけど」
「…は?」
葉月の慌てた風な呼びかけに、影斗は眉をひそめながら振り返った。
「何だその言い方。…あんた、どういうつもりなんだ?」
「彼のことは、僕からフォローするから…、今日のところは…」
必死の形相で懇願してくる彼の顔を見、影斗の内に再び怒りの炎が燃えあがり始める。
「…いい加減にしろよ、てめ…」
そして詰めようと足を踏み出した瞬間、葉月の胸元がふいに輝きだした。
「……!!」
双方身体を固まらせたまま、その淡い緑色の光を凝視する。ついで、少し間を置いて葉月のスマホの着信音が鳴る。
「…ああ、こっちも気付いてる。…そうか…わかった、向かう」
短く言葉を交わして会話を終えると、葉月は影斗へ視線を合わせた。
「…影斗、来てくれ」
「……」
「今日は
先ほど見せた後ろめたさを隠すような表情は消え、穏やかさの中に真摯な思いを表出する彼の面差しに、影斗は迷いあぐねるように一時黙った後、舌打ちをすると停めてあった黒塗りのバイクへ向かう。
「影斗!!」
「うるせぇ、行くよ」
「…!」
そう返すと、影斗はバイクのサイドバッグから黒く輝く石のはまった銀色のペンダントを引っ張り出し、無造作に手首に巻いた。そして、口を半開いたまま顔を紅潮させる葉月を睨み返しながら低く吐いた。
「ぼさっとしてんなよ。"当たり"ついてんだろ、案内しろよ」