TS勇者は取り戻したい 〜 TSFのFはふたなりのF! 〜 作:亜星
というノリで書き始めたお話です。
真面目なのは最初だけで、だいたい勇者ちゃんがえっちな目に合うお話になる予定です
TS勇者が出てこない前フリ
### TS勇者が出てこない前フリ
世界に名前などあるのだろうか。己の住う世界を離れ異なる世界を右と左に眺めることがあれば、あるいはそれぞれに名前が必要かと思うこともあるかもしれない。しかし多くの者にはそんな機会は訪れない。であれば唯一無二である世界に名など必要はない。世界は世界、それで良いのだ。
名など持たずともそうあれかしと世界はそこに在り、在る以上は世界は生命の営みに満ち溢れていた。生まれ、育ち、子を産み育て、やがて死に至る。地に落ち、芽吹き、根を張り、花を咲かせ、種を飛ばし、土に還る。様々な営みの形があり、そのいずれの営みをも神々は愛した。
そう、神々は世界に生命の営みが満ちる様を愛する。しかし、営みそのものを愛でるということはないのだ。失われる生命も、滅びようとする種も、亡びようとする国も、神が愛するには矮小すぎる。一つの喪失が新たな営みの糧となり、世界に新たな営みが生まれ満ちてゆく。失われた営みと生まれ出た営み、それぞれを祝福するのもまた神々の正しいあり方であった。
事実として、魔物を統べる王が現れ魔王を名乗り、文明という文明を破壊して回っていても、神々は動くことはなかった。魔王という存在が単に魔物の王である以上、人の王国に王があるのと同じことなのだ。国と国が戦を行い、結果としてどちらかが滅びる。神々の視点からするならば、それは健全な営みでしかなかった。
しかし、そんな神々でも災厄に対しては座して見守ることはできない。災厄とはすなわち、生命の営みを飲み干すものだからだ。連綿と続く生命の営みを脅かし、断ち切り、無に還す。災厄から新たに生まれ出る営みは何もなく、その暴食を放置すれば世界はやがて虚無に至る。
時として、その様な存在が生まれ出でることがある。世の理を破壊しようだとか、生命の営みを断とうだとか、そういう意思のあるなしに関わらず、そういう運命を引き寄せてしまう存在。そういった存在が災厄というものだった。
一度生まれ出れば、それがどの様な善性を宿すものであろうとも、破滅へと至る。それも単なる破滅ではない。世界の名脈をも巻き込んだ、破滅の中の破滅。そういう傍迷惑な終わり方に周囲を大いに巻き込んで突き進んでゆく。そういった存在に成り果てるのだ。
それを見過ごすことは神の愛ではないのだ。愛すべき世界とそれを満たす営みを守るため、神々は災厄を討ち滅ぼす力を遣わす。
生きとし生けるもの達は、それを【勇者】と呼んだ。