唐突だが魔物には食える種類のやつがいる。ここで言う「食える」とは「食っても体に影響が出ず、腹の足しにはなる」と言う意味。正直、他に食べるものがあるならば、オレは迷わずそっちを食べる。
でもたまに例外もいて、例えば 紐触肉腫は特に別格だ。雑食性なので本体は臭くて食えたものではないものの、触手が実にうまいのだ。よく動く触手だけに中心部は柔軟性に飛んだ質の良い筋肉質の肉で、その中に脂肪が程よく霜降りになっていて柔らかい食感が楽しめる。そして焼けば肉汁が染み出してきてこれがまた味わい深い旨みがある。粘液を滴らせる表皮を処理するのがすこし面倒なものの、愛好者の中にはこの粘液すら楽しむものがいるらしかった。
「お前、必ず今日の晩飯にしてやるからな!」
今まさに目の前にいるのがその 紐触肉腫という魔物だった。オレはエルリックに勧められておとずれた湖で、水浴びをたっぷり堪能した。さっぱりして上機嫌で帰ろうとした矢先、この目の前の 紐触肉腫に出くわし、そのままなし崩し的に戦う羽目になっているのだ。
(水浴びして帰るって時にこいつに出くわすなんて、まったく運の悪い)
中心核を取り巻くぶにぶにとした肉塊からわさわさと10本以上の細長い触手を伸ばして振り立てている。知能は低く本能で行動するような魔物なので、捕食衝動に駆られていなければ襲いかかってくることはないはずだった。
(晩飯にしてやると言ったものの、困ったよなぁ。どっちかって言うとオレのほうがあいつの遅めの昼飯になってしまいそうなんだけど……)
実のところ追い詰められているのはオレの方。オレは勇者だと言ったところで、体は未成熟な少女なのだ。魔力で身体能力を底上げする身体強化がなければ強靭な魔物たちに対抗することは正直難しい。それなのに、オレは今その肝心な魔力の蓄えが底をついていた。
(ぶぉんっ!)
余計な事を考えてるうちに背後から聞こえてきた空気を切り裂く鈍い音。咄嗟に輝銀の棍を後ろ向きに振り抜く。細腕に握った得物を伝って感じる鈍い手応え。無意識に発動させた身体強化がなければ腕ごと弾き返されそうな重い衝撃だ。
「ちくしょう、ゆっくり考え事くらいさせろってんだ!」
風を切り裂いて襲いかかってきたのは太さがオレの手首ほどはある触手。咄嗟に手に持った輝銀の棍を振りまわし合わせることで直撃は避けられたものの、長さを生かして十分にしなりがついたそれの勢いは止まらない。
(ひゅんっ! )
受けた棍を支点にその先の部分が絡むように鋭く振り抜かれ、触手の先端がオレの背中に容赦無く叩きつけられる。そのはずだったが、触手の先端がオレの背中を叩くがその勢いは十分に弱まっていた。
(ぺちっ!)
オレの周りに常に張り巡らせている簡易神殿のおかげだ。結界で十分に勢いを殺された触手は、オレの柔肌に傷一つつけることはなかった。むき出しの肩に触手をおおう粘液がへばりついてオレを少し不快させたが、その程度。ひどくオレの背中を撃ち据えようとした触手は勢いを殺された腹いせのように、オレの手にした銀の棍を奪い取ろうと絡みついてくる。
「持っていかれてたまるか! 燃えてしまえっ!」
触手に輝銀の棍を奪われないように握る手に力を込める一方で、もう片方の手で素早く【火炎】の刻印を宙に刻む。力を得て空中で一瞬光を放った刻印を銀の棍に押し込むと、銀の棍は炎を吹き出して燃え上がった。その炎は絡みつく触手を消し炭にして焼き切ってしまう。
「まったく油断も隙もないなお前、その触手全部燃やして丸坊主にしてやろうか?」
ぶん、と輝銀の棍を横薙ぎに音を鳴らして振り抜くと軽口を一つ。それに挑発されたというわけでもないのだろうが、触手を焼かれて怒ったのか 紐触肉腫はさらに激しく触手を振りまわし始めた。
(まあ正直なところ、倒す決め手にかけるというだけで、守りに徹するのならまだまだ余裕あるんだよ……)
空気を切り裂いて次々と飛来する触手をあしらい続ける。軌道をそらされ目標を失った触手がその度に地面をえぐり土煙を立てる。しかしオレの立つ地面と、オレの握る銀の棍が制する空間は変わらず静かなものだった。これまで何度も勇者として死線を潜り抜けてきた経験を舐めないでほしい。不意打ちでもなければこの程度の魔物の攻撃、刻印術を使わなくても見切るのは簡単なことだった。
(このまま避け続けることはそれほど難しくないけれど、倒すとなると面倒だな。火炎の刻印術で片付けるにしても、身体強化してぶっ飛ばすにしても、今の魔力量ではしくじるとシャレにならないし。)
万全の状態のオレだったら正直この程度の魔物は十が百でも問題ない。腐っても魔王を倒した勇者なんだから当たり前だ。しかしそれも潤沢な魔力があったからできること。つまり魔力の蓄えを切らした今のオレに出来ることはそう多くなかった。そして刻印術を抜きで華奢な少女に出来ることの中には、 紐触肉腫を瞬殺することは多分入ってないはずだ。
(ちくしょー、魔力さえあればこんなヤツどうとでもできるのに、なんでオレさっきあんなに無駄に魔力を消費しちゃったんだろ……)
なぜ今こんなところでさして強くもない魔物に追い詰められているかと言えば、さっきまで水浴びをしてる時についついやってしまったあることが原因だった。完全に自業自得。一物が戻ってきて変わった体に慣れていなかったと言えばそれまでだけど、そもそも魔物が出るようなところでなぜそれを我慢できなかったのか。オレが益体もない後悔をしている間にも 紐触肉腫はオレを打ちのめそうと触手を振り回すのをやめていなかった。
「よっ! ほっ! オレを食べても、そんなにお腹、膨れないと思うんだけどねっと!」
縦横に襲いくる触手の軌道読んでその隙間に体を滑り込ませて避け、あるいは銀の棍をふるって軌道を逸らす。決してさっきのように直接触手と打ち合うようなことはしない。それほど強い魔物ではないとはいえ、それでも 華奢な身体の細腕では単純な力で勝てるわけがなかった。身体強化全開でならばもちろん話は変わるが、それは今言っても仕方のないことだ。
(あーもう鬱陶しい。地味に魔力消耗するのがまた鬱陶しい)
たまに避けられない軌道で飛んでくる触手を銀の棍で打ち据え、その一瞬に絞って身体強化の刻印に魔力を流し込む。そのたびにひどくなっていく頭痛がすでに始まっている魔力切れの兆候を伝えていた。常に魔力を回している簡易神殿への魔力の供給も今は切っている。まだ体術だけで対処できるうちはそこに回す魔力がもったいなかった。
(いつもならこんな魔物に背後を取られるなんていうヘマはしない。)
(たとえそうでもこんな風に対処に困るなんてことは絶対にない。)
そう、普段なら。
ぐるぐると脳裏に後悔が渦巻いている。自分の不手際が原因で普段なら瞬殺の相手に追い詰められてるこの状況にちょっと情けなくなる。とにかくこの場を収めてとっとと帰りたいところだけどそれをしないのは理由があった。
(一気に倒してそのまま宿営地まで逃げ帰った方がいいのはわかってるけど、こいつら群れるんだよなぁ)
紐触肉腫はとにかく群れるのだ。「一匹見たら十匹はいると思え」とは駆け出しのころに組んでくれていた先輩の言葉だった。腕を上げた今ならたとえ十匹現れたとしても問題ないけど、魔力切れの状況ではその数を一匹ずつ相手するのは正直しんどい。どうせ群れが相手ならばまとめて片付けた方がいい。そう考えたオレは 紐触肉腫が仲間を集めるのを待っていた。間断なく襲いくる触手を掻い潜りながら、新たな魔物が現れる兆候を見逃さないように気配を探ることは怠らない。
(ここまで時間が経っても集まってくる気配はないか。どうやらこいつ、ハグレってことで良さそうだ。)
少し広場のようになった水浴びをしていた淵の周りは、低い下生えに覆われているだけで見通しは良い。吹く風に揺れる草の葉以外に見えるものはなく、近く魔物の気配も感じられなかった。魔力を消耗した状態で出くわしたのは不幸だったけど、それでも目の前の個体が群れからはぐれた単独行動なのは幸運だった。
(コイツの他にはいないってことなら話は早い。ぶっ飛ばしてさっさと帰ろう。)
方針が決まれば迷いはなかった。オレは銀の棍を握り直して改めて 紐触手肉塊に向き直る。獲物の様子が変わったことに気が付いたのだろうか、ヤツも鎌首をもたげるように高々と触手をもたげて静止する。
「それじゃあちょっと、本気出しちゃうぜ!」
自分を鼓舞するように高らかに宣言して地面を蹴る。身体強化は今この一時は全開。爆発的に強化された身体が放たれた矢のように飛び出していく。獲物の思わぬ突撃に不意をつかれた触手たちが、それでも次々と振り下ろされてオレの身体に迫る。しかし今度は避けたり払ったりなどと面倒なことはしない、手にした輝銀の棍に魔力をこめる。
「ここからは収穫の時間なんだよ!根こそぎ刈り取ってやるぜ!」
手に携えるのは銀色に輝く背丈ほどの棍、 女神から授かった刈り取る者という神器だ。持ち主の魔力を得たそのときだけ本来の姿を現すというその銀の棍は、今まさに金色に輝く大刃を得て鋭く空を切り裂いていた。命を刈り取り収穫する女神の大鎌が襲いくる触手の群れを迎え撃った。
--斬!
手にした大鎌の金色の大刃を体ごと振りまわして、踊るようなステップで真っ直ぐにその距離を詰める。
-- 斬! 斬!
襲いくる触手、そのことごとくを切り払い、切り飛ばす。持ち主の魔力を得て本来の姿を現した刈り取る者を縦横に振るってオレは埒を開けていく。
-- 斬! 斬! 斬!
オレの接近を阻もうと何度も振り下ろされる触手を構わず切り払ってゆく。その度に切り飛ばされる触手はどんどんと短くなっていく。それでも短くなった触手を振り回そうとする哀れな肉塊はもう目の前だった。
「喰らい尽くせ刈り取る者!収穫の時だっ!」
一片の情すらかけることなく、すり抜けざまに大鎌を振り抜いて 肉塊を切り払う。ふた抱えはありそうな太さのその肉塊を、金色の大刃は一切の抵抗すら感じることなくスルリと両断した。
(ゔぉん……)
たった今摘み取った生命を飲み込んで、刈り取る者がその歓喜を伝えるかのように微かに震える。その震えは大鎌を握るオレの手のひらから、体を巡る魔力循環に溶け込んでゆく。オレの背後でずるりとズレた 紐触肉腫の上半分が地面に転がる湿った音が聞こえた。
ふぅ、と一息ついてオレは全身の緊張を解く。全身の魔力経路に魔力を巡らす 真臓に意識を集中して残りの魔力量を確認する。
「この収穫量じゃあ大赤字だな。刻印術使ってこない魔物相手だからわかってたことだけど、こうも回収できた魔力が少ないんじゃなぁ…」
刈り取る者は倒した相手から魔力を吸収する力がある。大鎌の刃で刈り取った命を魔力として吸収するのだけど、 紐触肉腫の中心核はあまり質の良い収穫物ではなかったようだ。むしろ刈り取る者に食わせた魔力の方が大きかった。激しくなった頭痛に悩まされながらも、それでも周囲に目を配って警戒は怠らないようにする。
(賦活剤まだあったかな?この頭痛だけでもなんとかしとかないと、宿営地に辿り着くまでになんかあったら大変だし。)
魔力切れの症状を治す程度の魔力回復しか見込めない薬瓶だったけど、この状況なら多少効果に期待が持てるだろう。拡張収納を漁って賦活剤を取り出す。甘い匂いのする液体を一気に飲み干し、岩に背中を預けた。
「ちくしょー、あんな事で魔力が盛大に漏れていくなんて、 師匠から教わってなかったぞ…」
おへその少し下あたりにある真臓に血が集まって行くのを感じる。一瞬頭から血の気が引いてすーっと意識が遠のく。賦活剤が回ってきて真臓が活性化している証拠だ。熱を持った真臓から魔力が急速に生み出されていくのと引き換えに、全身にどっと疲れがくる。
(なんでこんな事になっちゃったんだっけ。途中まで普通に水浴びしてただけだったんだよな……)
オレは体内の魔力循環に新たな魔力が送り込まれるのを感じながら、ローパーに出会う少し前のことを思い返し始めた。