※この作品はR-18です。

触手くんと科学者ネキ   作:シコ平定信

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敗北者ハイディマリー・レーヴェ

 西暦2047年 アリューシャン海溝

 

「おはよう、パナケイア。今日はいい日だね」

『おはよう御座います。Dr.レーヴェ』

 

 目の前で微笑みを浮かべる妙年の女性。眼鏡を掛け、男性のような赤髪の短髪。頬はこけた細身の身体には白衣を纏っている。

 

「うん、経過は順調そうだ。この分だと直に外に出られる日も近いだろうね」

『……外、ですか』

「不満かな、パナケイア」

『不満というよりも、そもそもここは地上から約1000メートル離れた海溝です。Dr.レーヴェ、私は兎も角貴女の肉体は急激な上昇には耐えられないでしょう』

「問題ないさ。元より長生きする気はないから」

 

 私とDr.の会話は特殊な機器による筆談で行われる。私には発声器官がなく、網膜や聴覚といった機関もない。Dr.との会話は機器を通した神経接続式の会話と電子機器による映像が主となる。

 

『Dr.私は貴女を救いたいのです。そのために私は特効薬(パナケイア)と名付けられたのでは?』

「…違うさ、パナケイア。私が君をパナケイアと名付けたのはただの未練だよ」

 

 Dr.の声色は少しだけ低く、自嘲を帯びたものに変わった。

 

「パナケイア、君はいい子だ。本当に……いい子に育ってくれた。だからここから先のことは君が選択するべきなんだよ」

 

 Dr.はあまり多くを語らない人であった。

 ただ、私と言う生命を誕生させてからはずっと根気よく見守り、話し相手になり、物事について様々なことを教えてくれた。

 私にとって彼女は母であり、師であり、友人だった。この試験管(フラスコ)の中の世界で彼女だけが私にとって唯一の他人であった。

 

「パナケイア、君はこれからいろんなものに出会うだろう。いろんなことを知るだろう。君の味方はこの世のどこにもいやしないだろう。本当の意味で孤独を埋めることは出来ないだろう」

 

 Dr.は強く強張るような声調で私に言葉を投げかける。

 

「──君は批判される。君は畏れられる。君は嫌悪される。その旅路の道程に怒りと憎しみをぶつけられることも必ずあるだろう。……折れてしまうかもしれない。自分の道が正しいことなのか悩むこともあるだろう。自分の存在意義に戸惑い、私の意思や想いに申し訳なく思うこともあるだろう」

 

 Dr.は瞳を閉じ、そして意を決したかのように呟いた。

 

「それでも、君には人類の特効薬になってほしい。まず手始めに、私を喰らいなさい」

『承諾できません』

「いいや、君は承諾するはずだ」

 

 そういうとDr.は自分の頭に機器を取り付ける。

 

「なぜなら、君は私が作った特効薬(パナケイア)だから」

 

 彼女の手元にあるレバーが無遠慮に引かれる。

 瞬間、私の意識は引きずり込まれるように埋没していった――。

 

 

 

 

 

 西暦2005年 ドイツ共和国ケルン

 

「私はみんなの特効薬になりたいんですっ!!」

 

 一人の少女が涙で泣きはらした瞳で叫んだ。

 

 間違いない、今よりも髪が長く、眼鏡も掛けていないが彼女はDr.の幼い頃であると察した。

 

「お母さん(ムッター)はあんなに頑張ったんです。苦しくて、辛くて……それでも、それでも。生きたいって……」

 

 傍らに立っているのは父親だろう。そして、ベッドの上に転がっているのはDr.の母親なのだと理解した。

 頭髪は抜け落ち、頬はこけていた。肉体の状態からしても、決して健康とは言えないはずだ。

 抗がん剤の結果なのだろう。2000年の初頭から2020年代まで癌に対抗できるのは外科による手術、或いは抗がん剤による治療であった。

 抗がん剤には激しい副作用がある。Dr.の母親の惨状は癌、並びに抗がん剤の副作用と戦い続けた結果なのだろう。

 

 苦しかったのだろう、辛かったのだろう。決して楽な闘病生活ではなかったはずだ。医者は万能ではなく、抗がん剤も決して特効薬とは言えない。癌で救えるのはごくごく少数、そして初期によるものだけだ。……彼女の母親は絶望したかもしれない。

 

 しかし、その表情は何処か穏やかだった。

 

 この人は、納得して死んだんだろう。人ですらない身ではあるが、私はそのように感じた。

 

「――私はみんなの特効薬になりたいっ!! だって、だって!!」

 

 だが、この物語の主役は彼女(母親)ではない。

 

「――頑張った人が報われないなんて、そんなのは嫌だからっ!!!!」

 

 これが彼女(Dr.)の原初の願い。

 ――ハイディマリー・ディートリンデ・レーヴェの物語なのだから。

 

 

 

 

 

 西暦2027年 ドイツ共和国ザンクト・イングバート フラウンホーファー研究機構生物医学技術研究所

 

 Dr.は勤勉な人だった。

 幼少の頃に母を失った彼女はそれから勉強に打ち込んだ。すべてはかつて抱いた『全人類の特効薬になりたい』という夢の為に。

 大学を優秀な成績で卒業し、医師免許を得て大学病院からさらに先進的な研究所に身を置いた。

 若く、それでいて強情な面がある彼女は嫉妬から様々な嫌がらせを受けようがすべてを実力で黙らせてきた。

 医学者、生物学者、細胞学者。必要なものがあれば、勤勉に吸収し取得した博士号を複数取ることはザラだ。紛れもなく天才と言えるだろう。

 

「日本ですか?」

「ああ、そこにいる三國博士の要請でね、研究に一枚かませてもらいたければ人を寄こせと言われてね」

 

 Dr.は上司である主任研究員からそう告げられた。内心では不満だろう。それはそうだ、日本は経済においては先進国かもしれないが医療分野においてドイツに比べればはるかに後進と言えるだろう。

 今持っている研究を後回しにしてまでそんな田舎に行くなんて当時の彼女からしてみれば不満に持たない方が不思議だ。

 

「日本でも省庁や英国資産家がスポンサーとなっている国策事業の一つだ。君も三國博士のことは知っているだろう?」

「ええ、知っていますよ。しかし、彼は医学者でなく物理学者であったと聞いていますが?」

 

 三國伊織。日本の物理学者であり、日本政府お抱えの何でも屋。特に発電施設の効率化やミサイルの弾道弾システムの発展、永久機関の発明など停滞した日本経済を再活性化させるなど国内外で天才ともてはやされる人物だ。

 

「ああ、3か月前にアメリカで医師免許を取得したそうだ。いやはや、天才は違うね」

「……医師の資格も安くなったものですね。いくら資格を取ったといえ、内情が伴わなければ本当の意味で医学者とは言えないでしょう」

 

 Dr.にあったのは嫌悪だった。人命は重いものだ。取り返しのつかないものだ。尊ばれて然るべきなのだ。そんな世界の最前線である医学者の領分に土足で踏み込むようなものなのだ。

 医者として研修医の、或いはそれに満たないなんちゃって医学者がどれほど偉いと言うのか。

 

「不満かな?」

「医学の進歩のためなら喜んで請けましょう」

 

 不満はある。けれどDr.は嫌悪感だけで拒否するようか子供ではなかった。

 今この瞬間にも苦しんでいる人はいる。頑張っている人がいる。ハイディマリー・レーヴェはそんな彼らの特効薬になりたいのだから。

 

 ──研究内容は人工子宮の可否について。

 

 西暦2027年 日本

 

 より安全な、より負担のない出産を。そのスローガンのもと当時ロックフェラー大学にて一枚の論文が書き上げられた。

 執筆者の名はアルテミシア・ロスチャイルド。イギリス出身の女性医師であり、生家は世界の金融を牛耳るロンドン・ロスチャイルド家の出身であり、若くしてNGOの紛争地域の救命救急に当たり同ロックフェラー大学にて准教授の地位を持つ才媛である。

 彼女の実績の中で最も有名なのはロックフェラー大学内の研究所から遥かオーストラリアまでおよそ9500マイルの距離離れたとある大学病院の手術室で行われたテレイグジスタンスによる執刀手術を成功させたことだろう。

 

 年齢はわずか28歳。人々は彼女をかの有名な医神の娘『ヒュギエイア』の如きと讃えた。

 

 その彼女の論文に目をつけ、独自の視点から注釈を加えた人物こそ日本が誇る物理・工学の天才三國伊織である。

 あくまで医者であるロスチャイルド准教授を補間するように工学的、物理学的見地から人工胎内における可否について描かれた論文は机上の空論だった理論(ソフト)から人工胎内機器(ハード)について極めて現実的なモノに切り込んだと言える。

 この論文は批判とそれ以上の喝采を受け、評価された。

 

 国立成育医療研究センター。

 日本の首都、東京都世田谷区にあるこの施設は厚生労働省という日本の省庁が管理する小児、産科に特化した病院であり医療研究所である。

 

 我が国でも言えることだが、研究施設と臨床施設、そして教育施設を兼ねる大学病院というのは非効率極まりない。特に日本では医局を中心とした派閥や研究と理論のみ先行し、教育と臨床に至ってはおなざりなことが多い。

 

 日本の医学者はたしかに優秀であるのだろう。だが、執刀医としては目も当てられない。大学病院において本物の名医がいるのはとても貴重であり、日本が医学後進国である明確な証拠であるのだ。

 

(私がこの医局とかいうのに入ったら数ヶ月で天下取れるわね…)

 

 論文を書くのは苦ではない。むしろ得意分野だ。

 論理を提唱し、実証のために研究し、臨床を重ねる。

 年間で十数程度の論文は作り出せるがその程度。正直なことを言えば、私の医者としての腕前はない。ドイツのゲッティンゲン大学病院からフラウンホーファー研究機構に移ったのはより高度な医療研究を求めるためだった。

 

 私の論文で救えた人間は数千人はいるだろう。

 それでもそれを行うのは現場の第一線で活躍する医師であり確かなスキルと経験を備える執刀医達だ。

 私にとって、私にできないことをできる彼ら。命を拾い上げ救う彼らは…等しく尊敬して然るべき存在である。

 

「いやぁ、癌研究の権威であるレーヴェ教授に会えるとは光栄です!」

 

 国立成育医療研究センターのセンター長に挨拶し、私は一人の男に案内される。

 

「教授……ではないんですがね。あくまで私はただの医学者で一研究員ですよ」

「いやいや、氏の研究は何度か読ませて頂きましたよ。特に肺がんに対する抗がん剤研究。あれは素晴らしかった! ……我が国も導入できれば良いのですが、どうも厚労省の腰が重くてですなぁ……」

 

 どうしよう、この人苦手だ……。

 

 見た目は細身の優男。狐のような糸目が特徴的な真木島柊司准教授は国立成育医療研究センターでなく慶應義塾大学病院から出向してきた医師である。

 専門は麻酔科。大学時代は同大学の探検部に所属し、年齢は33歳。息子が一人、アメリカのカリフォルニアのロサンゼルス大学に四年留学。三國博士とは大学時代の先輩後輩であり実は医者ではなく宇宙飛行士になりたかった。また、本研究における旗振り役。つまり、チームのプロデューサーとして外部との折衝で駆け回っていたという。愛称はマッキーでいいとのこと。

 

 …この情報全てはたった今、真木島准教授より教えられたことだ。とてつもなく早いトーク。こちらが「はぁ…」「なるほど」「そうですかぁ…」といってもどんどん情報の嵐を被せてくる。

 

 ……日本人ってもっと奥ゆかしいのではなかったのか?

 

 苦手な人物であるのは確かだが、こと人材集めに関しては有能であるのは確かだ。

 

 なにせ当の三國博士はもちろんのこと財政的なバックアップとして国の国策事業として巻き込みながらも英国、米国、中国、ドイツといった医療先進国や経済的な支援が見込まれる各国からスポンサーとして予算を引き出しその国随一といえる医療従事者を引っ張ってきた。

 

「さぁ、レーヴェ先生こちらです。皆さんお待ちですよ」

 

 センター内にある会議室の扉をノックして開ける。

 そこには日本人を中心としつつも様々な国籍の人たちがいた。

 

『ワァオ! 見なよジョー! かわいい女の子が来たぜぇ!?』

『落ち着けよボブ、ありゃあフラウンホーファー研究機構のレーヴェ女史だぞ』

『えっ、マジで? サイエンス誌で見たときよりめっちゃカワイイんだけど!』

 

 ノリの良いアメリカンイングリッシュで囃し立てる黒人の男とそれを嗜める黒髪の白人男性。

 

「ジョージ・マグワイア……」

『如何にも、ジョージ・マグワイアである。高名なハイディマリー・レーヴェに覚えて貰えているとは感激だよ』

『こちらこそ、2年ほど前に出されました論文読みました。素晴らしかったです』

 

 私はマグワイア教授が差し出した手を取る。

 ジョージ・マグワイア。細胞学並びに遺伝子学の権威だ。特に山中教授のiPS細胞の実用化に向けた取り組みでいくつも素晴らしい論文を執筆し再生医療に役立つ研究をいくつも取り扱っている米国最高の頭脳をもつ一人だ。

 ついでに大層な親日家でもある。

 

『ジョー! 俺、おれおれ! 俺のことについても教えてあげて!』

「彼はボブです。ボブは食べるのが好きです」

『ウェイウェイウェイ、ジョー? なんでクソくだらねぇハイスクールの語学の教科書みたいなこと言い出したの?』

「ボブはハゲです」

『ハゲつっただろ? ねぇ、いまハゲつったでしょ!』

 

 マグワイア教授は気さくで冗談を好む紳士だった。

 

『ジョー、あんまりボブをイジメないであげて』

 

 しっとりと落ち着いたアルトボイス。決して大声ではないが不思議と耳に届く声。

 身長は160センチに届くかどうかといった小柄な体躯。プラチナブロンドの髪になによりその面立ちはユダヤ系のそれだ。

 

「アルテミシア・ロスチャイルド……」

「はじめましてDr.レーヴェ。ロックフェラー大学病院で救命救急に携わってますアルテミシア・ロスチャイルドです」

 

 ロスチャイルド准教授は柔らかな笑みを浮かべながら流暢なドイツ語で語りかける。

 

「は…、はじめして…! あ、あの! 私はフラウンホーファー研究機構で抗がん剤の研究をしてる──」

 

 すごい、あのアルテミシア・ロスチャイルドが眼の前にいる。

 戦場の名医、ヒュギエイア、神の手と称された生きる伝説がそこにいるのだ。興奮しないはずがない。

 

『ねぇ、ジョー。レーヴェちゃん興奮してない?』

『くふふっ、いやはや何というか…』

「あっ、えっと……ごめんなさい。早口でしたよね、えへへ」

 

 顔が熱くなる。ついつい我を忘れてしまうほどの衝撃だった。

 迷惑してないだろうかとわたしはちらりとロスチャイルド准教授に視線を向ける。

 

「いいえ、大丈夫ですよ。レーヴェ博士、あなたのような素敵な女性に関心をもって頂けるなどむしろ光栄ですから」

 

 やっぱり偉い人は違うんだなと確信する。なんかいい匂いもしてきたし。

 

「紹介しましょう、彼はロバート・カレル。麻酔科医です。本プロジェクトにおいて胎児の生命維持と管理が主な仕事です」

「んンッ、はじめまして麗しきレディ。私はロバート・カレル。気軽にボブと呼んでください」

 

 あからさまに声と仕草を作りながら目の前の黒人男性は手を差し伸べる。

 

「ハイディマリー・ディートリンデ・レーヴェです。よろしくDr.カレル」

「ブヒヒヒヒ、よろしく」

 

 そしてすぐに顔がニヤける。コイツ童貞なのかな? と私は思った。

 

「彼とはよくチームを組んでいました。バチスタは六回。グリオーマの摘出手術を2回。すい臓癌を四回。どれも素晴らしい技術で支えてくれました」

「ヘヘッ、天才なんです自分!」

 

 カレル医師は胸を張り、笑みを浮かべる。

 バチスタ、グリオーマ、すい臓癌。どれも難解な手術だ。それを執刀したロスチャイルド准教授もすごいが、彼女をして素晴らしいと判断される人物である。

 

「ステイツ最高の麻酔医を上げるなら、私は迷いなくボブ・カレルを推します」




《ハイディマリー・レーヴェのヒミツ》
 父親の旧姓はヒトラー
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