───会社を早退し、帰宅した綾乃の夜は…
冷蔵庫いっぱいに買い込んできた缶ビールをもう3本も空けて、お風呂上がりに泣き腫らした後の目でテレビを見ながらコタツでアグラをかいては4本目のビールを煽っていた。
いわゆる、ヤケ酒ってヤツだ。
それは、一人暮らしだからこそ満喫できる自由な気分転換方法。
もちろん、そんなことで気持ちが軽くなるわけがないことはわかっていた。
それでも…
「……ふん!元カノがなんだっていうのっ!」
「言われたこといちいち真に受けて気にしちゃって……バッカみたい!意気地なし!!」
お酒が入れば弱っている時も少しは強気になれる…それは綾乃にとっては、あながち間違いではなさそうだ。
「だいたい葵も葵よっ!」
「元カノと今カノが、それも自分と同社勤務だなんて……なんとも思わないわけっ?!」
「もし私と光里ちゃんがぶつかり合ったりでもしたらどうしよう…とか…考えなかったの…?」
自分のことはいくらでもバカにできても、葵のこととなると途端に気弱になる。
「(葵……きっと今頃私のこと、心配してるよね)」
「(仕事ほっぽって早退なんかしたんだもん…)」
「(でも……)」
“教えてあげてるんですよ…あなたは所詮、私の
思い出せば思い出すほど、自信喪失へと導くあの言葉。
そして当然、一人の女として光里に対する嫌悪感が湧き上がる。
それは、一人でいる今だからこそ、その口をついて出てくるのだ。
「…なによ、天使みたいな可愛い顔して葵とシちゃったことあんなに嬉しそうに話してさっ…中身は悪魔じゃん!」
「人の気持ち、なんだと思ってるのよ…!」
またジワッと滲みだした涙をごまかすように4本目のビールをグイグイ流し込んでいる最中、テレビでは若者の間で話題になっているドラマが始まっていた。
「……なにこれ」
「ああ、今けっこう流行ってる…なんだっけ、『愛してるのに愛されない』…だっけ」
ドラマの中で、主人公の女は涙ながらに恋人に訴えかける。
『…どうして?!』
『こんなに好きなのに…っどうして私を見てくれないの?!』
それに対し、男ははぐらかしながら答える。
『見てるさ!でも…俺には俺の付き合いや事情だってあるんだよ!』
『……私、つい寂しくて…あなたの飼い犬のジャックと寝たんだから!』
『…な、なにぃ?!犬だとぉ?!お前、いくら何でも浮気相手を選べないのかっ?!』
『そんな変態の域を超えた女とはもう付き合えない!!』
『あっ!待って!!』
女に目もくれずに走り去る男の背中を見つめ、女は泣き崩れる。
「……しょーもな」
「なんでこんなのが人気なの?」
目を細めてテレビのチャンネルを変えようとリモコンを手にした時、泣いている女がセリフを話しだした。
『私、あなたに嫉妬して欲しかっただけなのに……』
『あなたはいつもそうやって私に背中ばかり向けて、私はその背中を追いかけるばっかり…!』
『…言っとくけどジャックの方が、あんたなんかよりよっぽど
──“嫉妬して欲しかった”
ジャックのことよりも、その言葉がどこか引っかかった。
「好きな人から嫉妬されたい……か…」
「まぁ、確かにまったく嫉妬されないよりかは嫉妬された方が相手からの愛情は感じるのかなぁ…」
「ま、葵の場合はちょっと嫉妬深すぎるけどね(笑)」
ふと、歓迎会の時の光里の表情が頭の中に浮かびだす。
あの時…そう、葵が綾乃の肩を抱いて堂々と交際宣言をした時…。
綾乃が他の男から言い寄られているのを目にした葵が、その直後に取った行動。
もし、それを光里が見ていたとしたら…。
“実は私、彼の深すぎる愛が重たくなっちゃって…”
“私がちょっとでも他の男の人と仲良くしてたりすると物凄く嫉妬されちゃったりして、疲れちゃったんです”
あれが、もしも光里の“願望”だったとしたら?
もしそうなら、葵が嫉妬している綾乃に対する光里の一連の言動にも納得できる。
そして、あの歓迎会の時に見せた光里の悲しい表情の意味が少しだけ、わかったような気がした──。
──翌朝、綾乃は出社した。
いつも通りに仕事をして、お昼ご飯を食べて…
公休日の葵がいない会社内、トイレで手洗いをしている最中に咲子が入ってきた。
「よっ、綾乃っ!」
「咲子…」
いつものように明るく声をかけてきた咲子が、鏡の前に立ってメイクを直し始める。
「なーに沈んだ顔してんのぉ?あんたらしくもないっ」
「………。」
「…昨日、会社早退したって聞いたよ?」
「滅多に体調も崩さないあんたが珍しいね」
「うん…」
そして、察しがいい咲子は訊くのだ。
「桐矢くんの元カノがらみで…何かあった?」
図星だが、いくら親友の咲子相手でも、ただの人間関係のもつれとは言えないこの状況のすべてを話す気にはなれない綾乃は、ただ黙りこくるのだった。
「……答えないってことは、そういうことなんだよね」
「ごめん…咲子」
綾乃の性格をよく知っている咲子なのだから、だいたいの予想がついたのは言うまでもない。
そして1つ鼻でため息をつくと、咲子は言った。
「私さぁ、ハッキリ言って受け付けないタイプだなぁ、あの子!」
「え…?」
「なんかさ、あーいうおとなしそうな子に限って裏表激しそうっていうか…」
「表面上ではすごく可愛くて良い子を装ってるけど、裏では悪いこと企んでるような気がする…」
「あんただって男の前で演技したり、したたかな所もあるんだけどさ……」
「あの子の場合はそれだけじゃなくて、なんていうか…ドス黒いものを感じるんだよね」
咲子の口から、他人の悪口を聞くのは初めてだった。
「…珍しいね、咲子が人の悪口言うなんて」
「いつも苦手な人のことはそもそも話題にもしないし、周りから振られても絶対に乗らないのに…」
そう言ってキョトンとする綾乃を、咲子は鏡越しに見つめて俯く。
「だって……私はあんたの親友だもん」
「だからね、あんたを悩ませたり、傷つけたりする子は許せないんだ」
「咲子…っ」
「ねぇ……あんた、あの子に何されたの?」
「私にも言えないことなの?」
咲子の気持ちは、痛いぐらいに伝わってくる。
それでも、綾乃にはそんな咲子がますます光里のことを嫌悪するようなことは言えない理由があった。
「そりゃーもう、同じ男を愛した女の立場としてはけっこグサッと来ることは言われちゃったよ!(笑)」
「…ほーら、やっぱ思った通りじゃん!」
ここぞとばかりに突っ込んでくる咲子。
「でもね、咲子…」
「そんな“ドス黒いもの”ってさ、案外誰でも持ってるんじゃないかなぁって思うの」
「………。」
「でも、みんなそんな負の感情を必死に隠して押し込めて、どうにか自分を正当化しながら生きてるでしょ?」
「私だって…… あの光里ちゃんが葵と愛し合ってたっていう事実が受け入れられなくて、嫉妬した…」
「だから…悔しいけど、光里ちゃんの気持ちもわからなくもないんだよね」
そう言いながら無理して笑う綾乃を見て、咲子は呆れ笑いを浮かべる。
「ふぅ……なんでそんなふうに思えるのかねぇ(笑)」
「ほんと、なんでなんだろうね(笑)」
「ただ…同じ女として、あの子の心の傷が少しだけ見えた気がしたのよね」
「…心の傷?」
「うん」
「好きな人から本当に愛されてるのかっていう不安だったり…」
「自分が必死に追い求めてたものをもし目の前であっさり他の誰かに向けられでもしたら……私だって、その相手が憎らしくなると思うから」
「…だからね、他人の気持ちを優先したり大切にすることなんて…今は難しいんだよ、きっと」
こうして自分から言葉にすることで、改めて光里のことを理解できたような気がした。
「…ま、そんなの全部私の勝手な推測でしかないんだけどさ!」
そう言って大袈裟にムスッとする綾乃を見て、咲子は笑った。
「…そっか、バカだけど綾乃らしいよね!」
「ば、バカってなんでよっ?」
そんな二人がトイレから出て行くまで、個室の中で密かに
光里は胸元で拳を握りしめていた───。