「・・・やっと・・・着いた」
涼太は未だにズキズキと痛む肺に重たい足を引きずりながら、何とか自宅へと到着した。
「ただいまー」
涼太は極力不自然がないように、いつも通りに振る舞う。
「おかえり――ってどうしたの!?その傷!?」
不自然は動作ではなく外見であった。
「あはは・・・頑張ったら転んじゃった」
涼太は照れ笑いを浮かべながら、頭を搔く。
「もう・・・」
母親は半分呆れたようにため息を吐く。
「それでちょっと足すりむいちゃったから、先に帰って来たんだよね」
そう言って涼太は膝小僧を見せる。子供の親指ほどの大きさのすりむき痕がそこにはあった。
「あら!すぐに消毒しないと!」
そういうと母親はパタパタとスリッパを鳴らしながら救急箱を取りに行った。
「ふー・・・」
涼太は一先ず腰を下ろすと、この後のことを考え始める。
「(おそらく由良は病院に行ってから帰ってくるだろうから、由良の母親と交渉できる時間はある・・・と思うが)」
涼太はごろりと寝転んでリビングにある時計を見る。
「―――ハァ!」
寝ころんだ拍子に肺が圧迫され、色々な意味で致命傷になりかける。
「(・・・早くて2時間くらいか?)」
何事もなかったかのような顔を浮かべながら体を急いで起こす。かなり苦しいはずなのに思考が止まらないのはなぜだろう?と涼太は少し疑問に感じたが、「どうでもいい」とすぐに切って捨てまた思考に戻る。
「(――そうだ!いきなり映像を見せよう。論より証拠じゃないけど、グダグダ話すよりそっちの方が早い、そのあとに質問を受ける形をとりながら交渉をする。)」
頭の中で方針が決定したと同時に、母親が救急箱を持ってきて涼太の側面で開く。開けると薬特有の香りが広がり母親はその中から手際よく綿バンと消毒液、塗るタイプの傷薬にガーゼを取り出してせっせと処置を始めた。
「――ッ!」
「痛い?」
綿バンに付いた消毒液が傷口に沁みる。母親から確認が入る。
「うん・・・だけど大丈夫」
「そっか・・・偉いね、じゃあもうちょっとの辛抱だから我慢してね?」
そう言って塗り薬を付け、素早くガーゼを取り付け、テープで固定する。
「うん!これで大丈夫!」
母親が満足そうに胸を張る。涼太もそれに応えるように笑顔を向けた。
「ありがとう!お母さん!」
そこには確かな日常があった。
「さて・・・・」
涼太は梱包材を詰めた両肩掛けリュックの中にDVDが8枚あることを確認して、階段を下りて行った。
「またどこか行くの?」
エスパーかの如く母親がやってきて質問してくる。
「お隣さんの家にDVD返してくる」
違和感はない。母親の態度にも変化はない。
「そう・・・お隣さんだから大丈夫だと思うけど膝、気を付けてね」
「わかった、いってきます!」
走りたい気持ちをこらえて涼太は歩いて玄関まで行き、腰を下ろして靴を履く。
つま先を押し込みながら潰したかかとを持ち上げ、足が収まったことを確認してすぐに扉を開ける。
「(急がないと!)」
はやる気持ちを堪えながら扉を超え、一歩を踏み出した瞬間、何気なくその言葉は発せられた。
「由良ちゃんにもよろしくね!」
涼太は喉奥から何かが上がってきそうになるのを必死にこらえた。
ピンポーン
インターホンが鳴る。葉山と表札がかかった一般的な洋風扉だ。
「はーい」
扉の向こうから声が聞こえる。そして近づいてくる足音に涼太の鼓動は早まる。
「(これから・・・バラすんだ・・・あのお母さんに)」
内容が内容なだけに陰鬱と羞恥が入り混じるとても気持ち悪い状態だ。
「いらっしゃい!」
由良の母親が扉を開ける、すると部屋の中の空気が放出され、涼太は否応なく家の匂いを感じ取ってしまった。
「うっ!?」
慌てて口元を押さえた涼太は、一目散にトイレへと向かう。小さいころから数えきれないほど行った家であり、意識せずとも自然とトイレの場所が分かる。
「―――はぁ!!」
何とかトイレに滑り込み吐しゃ物を大便器の中へ入れた。
「だ、大丈夫?」
由良のお母さんも慌ててついてきて背中をさする。
「・・・な、なんとか―――うっ!?」
圧迫された口内が解放されるとまたもや匂いで吐き気が襲ってくる。
由良と同じ匂いが充満するこの家は、今の涼太にとっては地獄でしかなかった。
「・・・何度も失礼しました」
「い、いいのよ?別に・・・」
涼太は鼻呼吸を諦め、口呼吸のみにすることで何とか改善した。
「(呼吸が慣れないが・・・仕方ない)」
このハプニングは図らずとも涼太の緊張をほぐす役割を果たした。そのためかいきなり、リュックの中からDVDを取り出す。
「お母さん、驚くかもしれませんが、まずはこれを見てください」
涼太は手慣れた操作でリビングに置いてあるデッキにDVDを押し込むとTVの音量を半分以下にまで落とした。
「何を見せてくれるの?」
そういった由良の母親の顔が凍り付くまで5分と掛からなかった。
一番最初に撮影した、一番最初のプレイが終わったところで涼太はDVDを止めて画面を切り替えた。
「・・・・・・・・」
由良の母親は「これが現実なのか――ありえない」といった顔で唖然としていた。
「これ・・・・・・由良お姉ちゃん」
涼太は途中で吐きそうになりながらその人物の名前を挙げる。
「丸夫、ふとし、雄太、東二」
涼太は画面の中の人物を一人ずつ指さしていく。
「丸夫とふとしは僕の同級生」
体の大きさの違いや声の高さ、格好、どれから見ても明らかだった。
「雄太、東二は丸夫の弟」
淡々と涼太は続ける。
「これは2週間前に撮った。でもたぶんそれより前からヤってる」
『ヤってる』という生々しい言葉に由良の母親がビクっと震える。
「残ったDVDも別の日のやつ、場所も内容も参加してる人の服も違う」
そういうと涼太は残った7枚のDVDを取り出し、テーブルの上に積み上げた。
「何か質問はありますか?」
その問いかけに由良の母親は反応しなかった。現実が受け入れられないのだ。
「僕が――」
涼太は状況説明以外の言葉を発した。それを察したのか由良の母親も胸を押さえながら涼太の方に向き直る。
「何を言いに来たのか・・・分かりますか?」
その言葉に、由良の母親は心が張り裂けそうになる。さらに認識していなかったある事実をうっかり声に出してしまった。
「あれ?丸夫君とふとし君って・・・」
声が出ていることに気付いた由良の母親はすぐに口を紡ぐ。
「(前、由良から聞いていた涼太君に意地悪する子の名前と似ているような――)」
「大当たりです」
「え?」
「いつも僕をいじめるのが丸夫とふとし、助けてくれるのが――ぐっ!?」
涼太は口元を押さえまたもやトイレに走る。
「――はぁ!!」
大便器に顔を収めて吐き出すと、数滴の胃液に血も出ていた。
「(もう吐き出せる物なんてねぇよ・・・)」
口元をぬぐいながらリビングへ戻ると別のDVDが再生されていて由良の母親は膝から崩れ落ちていた。
「僕がこんなに吐く理由も、だいたい察しました?」
由良の母親も昔から涼太のことを見ていて、そこにはしっかりとした愛情があることも知っていた。
「・・・何をしてほしいの?」
由良の母親の頭の中で様々な可能性が交差する。しかし涼太から出た言葉は意外な物だった。
「出来るだけ早く引っ越しをしてください」
「え?」
由良の母親は拍子抜けする。
「勿論、費用もかかると思うので纏まったお金を将来僕が働けるようになったら必ず返すって約束でお母さん経由で渡そうとも思ってます。」
由良の母親は腕を組んで考えだす。
「もしも――引っ越さないって言ったら?」
「愚問ですね、このDVDを町内にバラまいて強制的にいられなくしてもいいですし、――そもそもこれ、犯罪ですよね?」
「・・・・・・」
その言葉が示すものは一つしかない。
「極力の援助はします」
涼太はまっすぐと由良の母親を見据える。
「(あれ・・・涼太君ってこんな子じゃ――)」
そこでDVDに目線を落とす。
「(これは撮影されている、万が一ズレてしまい撮影できなくなったら意味がない・・・ということはこれを撮影しているのは――)」
そこまで考えて改めて涼太を見ると、まるで別人のような錯覚を覚えた。
「(前と全然違う――この子は・・・)」
由良の母親は今まで声のトーンや話し方が変わっていなかったことで油断していた。しかし改めて目を見てみるとそこには光がなく、代わりに悲壮な覚悟が瞳の奥で揺らめいていた。
「一応、引っ越ししてほしい理由を聞いてもいいかしら?」
頭の言葉からだいたいの認識はあるだろうと涼太は判断したが、齟齬があると面倒なため説明を始める。
「大きく2つです。まずは僕自身の健康被害がいよいよ生活に支障をきたすレベルになっていることです」
由良の母親もそれはあるだろうと確信していた。この家にきてから幾度となく吐き気に襲われているのが分かる、おそらく由良に関連する物や何かの思い出の物もトリガーになるのだろう、とここまでの態度から推察した。
「2つめは僕自身のわがままです。」
少しお時間頂きます、と涼太は深呼吸をした。
「まずは、僕自身が今回の件に関して
そこで由良の母親も合点がいく。
「つまり、由良が残ると、また同じことを繰り返す・・・と?」
遠回しに娘を馬鹿にされたことにい苛立つ。その苛立ちを内包した言葉とは裏腹に涼太は淡々と答える。
「思ってますよ、DVDを見たら分かります」
流石に由良の母親も食って掛かる。
「流石に法律を教えて厳重注意すれば――」
「いい興奮のスパイスになりそうですね」
涼太は間髪入れずに答える。親というのはどうしても子供に対して見方が甘くなってしまうんだろうな、と涼太は学んだ。
「結局、秘密裏にやるだけです。今回も僕がある意味最も重要な関係者だったからこの映像が残せた、お母さん自身も今まで気付きませんでしたよね?」
「・・・・・・」
由良は高校生である以上、行動の拘束も意味なし、スケジュール管理もでまかせで十分、24時間監視も現実的じゃない。由良の母親の中で解決手段がどんどんと削られていく。
「これで分かりますよね――
「!?」
由良の母親は驚きを隠せなかった。いつも「お姉ちゃん」と呼んで慕って後ろをついてきていた子の口から「あいつ」なんて言葉が出たことに。
「(いや――当然かしら・・・)」
DVDの内容が嘘偽りのないものであれば、人物、関係性、行為、そのすべてが合わされば、純粋な少年の心がどうなるかなど想像せずともわかってしまう。
「(涼太君がここまで変貌したのも・・・おそらく自己防衛)」
この一件は目の前にいる小さな少年が背負うにはあまりにも生々しく汚いものである。そんな背景を知ってしまえば言う言葉など一つしかない。
「分かった・・・すぐに引っ越しをするようにする。――でも費用も日取りも手続きもあるからちょっと時間がかかることだけわかってくれる?」
涼太の顔を由良の母親はのぞき込む。
「勿論です」
涼太はその目をまっすぐ見つめ返し、力強く答えた。
「・・・ありがとう」
一瞬、静寂が訪れる。
「最後に、今回の原因だけ言っておきます
由良の母親の目も虚ろになってきた。
「
それだけ言い終わると涼太はすぐに背を向けて出ていこうと玄関へ向かった。
「待っ―――」
て、と言い終わる前に涼太はさらに口を開く。
「性教育――ちゃんとしておいてくださいね」
その言葉と共に涼太は足早に家を出ていった。
「・・・うっ・・うぅ・・・」
未だにちゃんと処理しきれていない感情が由良の母親の頭の中で渦巻いている。その時――
「ただいまー、今、涼ちゃんいなかったー?」
問題の娘が帰ってきた。由良の母親は心が陰鬱になっていくことを自覚した。
「(こんなの・・・どう説明したら・・・まずどんな顔で会えばいいのかしら・・・)」
問題が問題に重なり思考を鈍らせる。
「(昨日までは平和だったなぁ・・・)」
由良の母親は夕日に照らされる窓を見ながら思考を少しの間止めることを決意した。
細かいところを入れていたら、とんでもなく長くなってしまいました・・・
次からは読みやすいようにある程度小分けにします!
まだまだこの一日は続きます。
ありがとうございました。引き続きよろしくお願いいたします!