「わぁ……っ!やっぱり似合うわね!」
純白のドレス姿の私をまじまじと見つめ、目を輝かせているのは姉上であるステンノ。
普段はエウリュアレ姉様と比べて、感情の起伏が少ないステンノ姉様だったが、私がドレスを着た途端にその顔を見た事のない程の笑みで染めた。
――は、恥ずかしい……
姉上達にじっと眺められていることもあったが、私の部屋に置かれた鏡に映る自分を見る度に羞恥心で顔が赤くなる。
もちろん、ドレス姿をした自身を見るのが恥ずかしかったのもあったが、何よりも私の身体が姉上達より一回りも大きいことを再認識してしまうのが嫌だった。
「見てみなさい、メドゥーサ!あなた、こんなに綺麗だったのね!」
「ほら!しっかりと自分を見て!」
「ぁ、ぅ……はい……」
鏡の前からさり気なく離れようとしていた私の身体を横から挟み込み、半ば強引に鏡の真正面に立たせる姉上達。
私が着た最初のドレスということもあってか、姉上達は感動したような様子で鏡と私を相互に見つめ、顔を大きく頷かせていた。
それだけ、姉上達は私のドレス姿を見たかったということだろうか?
「(私よりも、姉上達の方が似合うというのに……)」
全体が美しい白で彩られ、腰回りに飾り付けられた百合の花と白いレースのリボンが特徴的な私の着ているドレスは、不思議と私を”女”にしてくれる。
それを証拠に、私は自信が無いながらも鏡に映る自分を見つめ、いつの間にかうっとりとした顔をしていた。
本当にマスターと結ばれた時のことや、マスターと式を挙げることなど……色々なことを妄想し、笑みを作る私。
そんな私の姿に姉上達も満足したのか次なるドレスを私へ見せた。
「今度は、赤いドレスよ。白のドレスも似合ってたんだから、きっとこれも似合うはずだわ!」
「そうね!じゃあ、その次は黒いドレスね……!」
姉上達が各々見せる、私には勿体無いと思ってしまう程の美しく華のあるドレス。
マスターと知り合う前の私であれば全力で拒否していたであろうが、今となっては少し恥ずかしさを感じつつも拒否することなく着る。
――マスターが喜んでくれるなら……
いつも真面目で優しい顔しかしない彼の表情を、ちょっとでも年相応の明るく綻んだ表情にしてやりたい。
その為なら、私は彼の望む事を出来る限り実行するつもりだ。
「ああ、早く……お前に見せてやりたい」
今頃、部屋でぐっすりと眠って疲れを落としているであろうマスターの顔を思い浮かべつつ、私は姉上達にも聞こえないような声で呟いた。
――
立香とゴルゴ―ン、ビーチから離れてストリート街まで足を運んだ二人は、共にストリート街を練り歩いた。
当然ながら観光客や他の英霊も居らず賑やかさは無かったが、互いに二人だけの時間を共有できることに心の底から喜び、食事や買い物を楽しんだ。
……
…
「(ああ、私は……こんなにも幸せでいいんだろうか……?)」
ストリート街の一角にある服屋の試着室にて、ゴルゴ―ンはそんなことを一人思った。
「(藤丸立香という素晴らしい男に出会え、その男との恋を姉上達に応援されている……これでは、本当に”怪物”ではなくなってしまうな……)」
心の中で僅かに葛藤を覚えたゴルゴ―ンが試着室の中にある鏡を覗き込むと、そこにはピンクのブラウスを身に纏い、丈の長い黒のスカートを着た別人のような自分が居た。
――ふっ、これが私か……
怪物であることにプライドを感じているわけではないが、今の女らしい自分を眺めていると、自身の奥に潜む黒い感情が鏡に映るメドゥーサを拒絶する。
「やはり、今の私は駄目か?」
鏡に映った自分にゴルゴ―ンが問い掛けると、不意に――鏡の中の
『駄目に決まっているだろう。今のお前は人間の男に現を抜かし、人理を守る為に尽くそうとしている……私も、ほとほと愛想が尽きた』
「……」
『忘れたのか?お前……いや、私達は怪物。人間を苦しめ、喰らい、その生き血を啜ることが至上の快楽であり、喜びであることを』
「……」
誘惑するかのような怪物の言葉に無言を貫き、じっと鏡を見つめるゴルゴ―ン。
そんな彼女の様子が癪に障ったのか、怪物はゴルゴ―ンを一睨みした後、突然――鏡の中から顔を出し、ゴルゴ―ンの顔を凝視する。
それでも動じないゴルゴ―ンに嗜虐的な笑みを浮かべると、彼女の耳元で言葉を呟く。
「確かにあの藤丸立香という人間は、良い顔をしそうだな?」
「……何が言いたい?」
「くく……はぐらかすことはない、お前も一度は思ったことはあるのだろう?”あの人間の前で親しい者を喰らい、その絶望した顔を見たい”と」
「……ッ!」
怪物の言葉に身体を僅かに震わせたゴルゴ―ン。
表情は平静を保っていたが、怪物は反応を見せたゴルゴ―ンの様子を楽しそうに見つめる。
「我慢をするな、もっと自分に素直になったらどうだ?そもそも、お前と私は何処まで行っても忌み嫌われる怪物であり、人間に恐れられる存在……あの藤丸立香という男と結ばれたとしても、いつかお前は害をもたらすのだぞ」
「分かっている。そんな、こと……」
怪物の言う事はもっともな事だった。
たとえ、カルデアにストックされた聖杯の力を使い受肉を果たし、立香と結ばれたとしても、誰の目から見ても異形の存在でしかない自分をカルデアの人間以外に晒せば、絶対に人は忌避し、自分とは関係のないはずの立香さえも白い目で見るようになるのは間違いない。
まだ若く、少年と言って差し支えない立香に、そんな思いをさせてよいものだろうか?
ゴルゴ―ンが考えれば考える程、その表情に陰が差し、見えなくなっていった――
「目を醒ませ、私よ……もう十分に現実を知ったはずだ、お前の恋は実ることは無い。実ったとしても、その先には暗い未来しか待っていないのだ」
「……」
「私の手を握れ、そうすればお前の奥底にある怪物としての本能を引き出してやる。そして、あの人間の血肉を存分に貪ろうではないか……?」
再び無言を貫くゴルゴ―ンへ怪物がにやりと笑い、ふと試着室のカーテンへ視線を向ける。
すると。
『あれ?ゴルゴ―ン!まだ試着終わらない?』
カランカランと、扉に付けられた鈴の音と共にカーテン越しに聞こえてきた男性の声……それは紛れもなく立香の声だ。
――ああ……まずいことになった。
咄嗟にゴルゴ―ンが立香へ返事を返そうと、カーテン越しに言葉を発する。
「すまんな、今――むぐ……ッ!?」
言葉を遮るようにしてゴルゴ―ンの口元を突如覆う手。
その手が誰の者なのかなど、推察するまでもなく、ゴルゴ―ンは完全に鏡から飛び出している怪物を睨み付けた。
「ふふ、あの人間を呼ばせはせん。貴様がここで、”怪物”へ戻るかどうかを決断するまではな……」
「……っ!」
どこまでも自身を嘲笑い、口を塞ぐ醜い怪物を振り解いて、すぐにでも立香の元へと向かいたいが、身体が金縛りにあったように一歩も動かせなくなった現状では、それは叶わぬことになってしまっている。
『あれ?返事が無い……?確か、この店に居るって言ってたはずなんだけどな……』
戸惑いの声と共に店内に響く足音、様子からしてゴルゴ―ンを探しているようだが、店の奥にある試着室の存在に気付いていない立香は見当違いのところばかりを探しており、一向に試着室の方へ足音が聞こえてこない。
気付いてほしいという気持ちもあったが、もし立香がこの試着室に来れば、後ろに居る怪物が何をするか分かったものではない……そう思うと、ゴルゴ―ンは一向にこちらに気が付かない立香の様子に安堵してしまう。
『やっぱり、別の店だったのかな……?』
しばらく立香の足音が店内に響いた後、立香はそう言って言葉を漏らし、店のドアをゆっくりと押した。
カランカラン。
再び鈴の音が店内に少しだけ響くと、次の瞬間にはバタンと扉が閉まり、一気に店内は静寂に包まれた。
「……」
「……」
立香が店から去り、少しだけ二人は沈黙を貫いた後、怪物がゴルゴ―ンの口元から手を放すと、二人は互いに身体を向け合う。
そして。
「――さて、十分に考える時間はやった。決断をしてもらおうか?私よ」
「……」
「お前が怪物に戻るというのなら、私の右手を握れ。すぐさま私はお前と一つとなり、あの人間を喰らって完全なる”怪物”へと成ろう」
どこまでも残酷な笑みを浮かべつつ、怪物は自身の右手を差し出す。
「もし、断ったら……どうなる?」
「そうだな……お前が怪物へと戻らぬというのなら――死ね」
「……っ!?」
ナイフのように鋭い怪物の言葉に背中へ冷たいものを走らせ、ゴルゴ―ンは頬を引き攣らせた。
――なるほど、どうやら本気らしい。
怪物が一瞬だけ細めた瞳に宿った殺意は、決して冗談ではないと理解をすることができる。
もし、自分が首を横に振れば、容赦なく死が待っていることは間違いない。
「私も出来る事なら、お前と共に欲望を尽くしたい。だが、お前が女神であろうとするなら話は別だ……私はお前という人格を殺し、お前の代わりに新たなゴルゴ―ンに成るとしよう」
「つまり、私は”怪物”に戻るしか道は無い、と?」
「そういうことだ。私と一つになれば、お前の人格と記憶は残してやろう……でないと、あの人間を喰らう時の背徳感が楽しめんからなぁ……?」
醜い。こんなにも自分は醜い存在だったのか。
ゴルゴ―ンの目の前に立っているのは、紛れもなく自分自身。
彼女こそが本来の自分だと思うと、ゴルゴ―ンは身を引き裂きたくなる思いで頭がいっぱいになる。
「さぁ、決断しろ。私の手を取るのか、取らないのか……はっきりとさせてもらおう」
「……分かった」
ここで決断しなければ、きっと立香にも迷惑を掛けることになり、彼へ危害を及ぼしてしまうようになる。
ならば覚悟を決め、過去の自分と向き合うしか道は無い。
「私は、怪物に――」
不安ではある。けれども、立香と結ばれる為なら、多少の苦痛ぐらいは耐えるぐらいの覚悟はゴルゴ―ンにあった。
全ては立香の為、そして……それを応援してくれている姉上達の為にも、こんなところで躓くわけにはいかないのだ。
「(あのドレスを、私は必ず着てみせる……)」
数日前に選んだドレスを頭に思い浮かべつつ、ゴルゴ―ンはその口を開くのだった。
――
「うーん、やっぱり納得いかないわね」
ドレスの試着をし始めてから数時間、あれから様々なドレスを私は着たが、姉上達はどのドレスにも最終的には首を傾げた。
私としても、マスターに見せるドレスであるからには慎重に選びたいと思ってはいるが、ベッドの上や床に転がる無数のドレスを見ると、流石に気が引けてくる。
「姉上、もうよいのでは……?私は最初に着たドレスが一番だと思っているのですが……」
「……最初のドレス、ね。あれもいいけれど、もうちょっとメドゥーサに合った装飾があると思うの」
「私に合う装飾ですか……」
エウリュアレ姉様の言葉に同調するように首を縦に振るステンノ姉様。
姉上達がそう言うなら、ここでドレス選びを止めるわけにもいかない。
だが、長時間に渡るドレス探しから、私の心は少しばかり卑屈になっていた。
「(本当に、私に似合うドレスなどあるのだろうか……?)」
最初にドレスを着た時、姉上達は”似合う”と言葉を掛けてくれたが、今こうしてドレス選びに手間取っている現状を鑑みると、あれは世辞だったと思ってしまいそうになる。
姉上達よりも身体が大きく、背も高い私だから、こんなにもドレス選びに難航しているのだろう。
きっと、姉上達なら……
「――あ!思い出したわ!」
突然、何かを思いついた様子で声を上げたのは、エウリュアレ姉様。
何かひらめいたのだろうか。
「いるじゃない、ドレスを仕立ててくれる英霊が……!」
「ん?……ああ!確かに、居たわね!」
首を傾げていたステンノ姉様も合点がいったように頷くと、姉上達はおもむろに私の手を握り締め、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「良かったわね!メドゥーサ!ようやく、あなたに似合うドレスが見つかりそうよ!」
「え?」
「あの英霊なら必ずあなたを立派な花嫁にしてくれるわ、必ずね……」
「あ、姉上……その英霊とは誰のこ――きゃ……ッ!?」
言葉を終える前に私の手を引っ張る姉上達。
先程と同じく、やはり有無を言わさず連れて行くつもりらしい。
「「さぁ、さぁ!行くわよ!メドゥーサ!」」
その気になれば姉上達の手を振り払うことはできたが、これだけ姉上達が私に会わせたがっている英霊が誰なのかが知りたい。
私は手を引っ張る姉上達に身を任せ、ドレスを仕立ててくれる英霊の元へと向かうことにした――
「はぁ……全然駄目だな……僕」
自室の机にぐったりと座り、ため息を漏らすピンク髪の小さい妖精……ハベトロット。
いつもは明るい彼女が、ここまで落ち込んでいるのには相応の理由があった。
それは。
「最近、花嫁衣裳を仕立てれてない……というか、花嫁が居ないんだよな……」
カルデアに来て間もない頃は、ハベトロットに花嫁衣装を依頼する女英霊が多く、毎日衣装の仕立てをするという忙しくも充実した日常を満喫していた。
だが、それも最初の時だけで、今となっては全く花嫁衣裳を仕立てていない。
「(ああ……誰でもいいから、花嫁衣裳を仕立てさせてほしい。じゃないと、またマシュやダヴィンチにモデルを頼みにいくことになっちゃう……!)」
自分の中で膨れ上がる欲求を必死に抑えつつ、ハベトロットがふと机にあったティーカップを手に取ると、その瞬間にトントン……部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
――あれ?モルガンかな……?
そう思いつつ扉の方を向くと、モルガンではない別の声が聞こえてくる。
『ハベトロット、居るかしら?』
「あ、うん!居るよ!君は確か……」
『エウリュアレよ。実は、お願いしたいことがあって来たの』
「僕に、お願い……?ん?それってまさか――!」
突然の来客に首を傾げていたハベトロットは、エウリュアレの言葉の意味を理解した途端目を輝かせながら即座に扉の前まで走り、迷うことなく扉を開けていた。
「いらっしゃい!エウリュアレ!まさか、君がまた依頼してくれるとは思わなかったよ!」
「ええ、あの時はありがとうね……」
扉を開けた先に居たのは、以前ハベトロットが衣裳の制作を依頼されたことのあったエウリュアレ。
花嫁衣裳を作らなくなる前の最後の依頼者だったということもあってか、ハベトロットの記憶には印象強く残っていた。
「どう?その後、アステリオスは喜んでくれた?」
「大満足だったわ。とっても、とっても……喜んでた」
「そっか!なら、よかったよ……!あ――もしかして、その為にもう一回ドレスを作ってほしいのかな?」
「いえ、今回は私じゃなくて、妹のドレスを作ってほしいの。大切な妹のね……」
そう言ってエウリュアレが横を向くと、扉の真横から彼女そっくりの女性が柔和な笑みを浮かべながらエウリュアレの隣へと立った。
「こんにちは、ハベトロット。私はエウリュアレの姉のステンノよ、前は妹が世話になったわね」
「あー君がお姉ちゃんなんだ……!しかし、君達二人ほんと似てるね……」
「ふふ、そうでしょう?でも妹は、私達と顔が違うの。……ね?メドゥーサ?」
ステンノが背後をちらりと見つつ言葉を発すると、この場に居る三人より遥かに身長の高い紫髪の女性が、気まずそうな表情でステンノの後ろへ現れた。
その女性はステンノの言う通り、顔立ちが姉二人よりも大人びていて、身体の発育に関しても一目で分かる程に良い……共通点は紫髪ぐらいだけということもあってか、本当に姉妹か疑ってしまいたくなりそうだ。
「えっと、君が妹……?」
「……ああ、メドゥーサ――もとい、ゴルゴ―ンだ」
「ていうことは、今回花嫁衣裳を作って欲しいのは……」
ハベトロットがエウリュアレに答えを求めるようにして顔を向けると、彼女は黙ってこくりと頷いた。
念のためにステンノにも同じように顔を向けたが、彼女も黙って顔を頷かせるだけだ。
……。
……。
そのやり取りが終わった後、しばらくハベトロットは俯いて無言になった。
先程までの明るい雰囲気は一気に様変わりし、場には重苦しい雰囲気が漂い始める。
エウリュアレ、ステンノは笑みを崩さないままハベトロットの方を向いているが、ゴルゴ―ンは諦めたような表情で小さな妖精の姿を見つめていた。
「(やはり、私のような者は花嫁に相応しくないということか……)」
花嫁を応援する英霊と言えども、怪物を花嫁として認めたくないのだろう……ゴルゴ―ンはハベトロットが微かに手を震わせている様子を見て、そんなことを確信してしまう。
ならば、期待するのも馬鹿馬鹿しい。
「どう?引き受けてくれるかしら……?」
「メドゥーサを花嫁にする為なの、力を貸して頂戴……」
「……そんなの――」
ずっと俯いていたハベトロットがようやく顔を上げ、言葉を紡ごうとしているが、その後に続く言葉は”お断りだ”と突き放す言葉が続くに違いない。
そう思って、投げやりになっていたゴルゴ―ンの耳に聞こえたのは……
「――喜んで引き受けるに決まってるじゃん……!!」
「え……?」
先程まで場を支配していた重苦しさを一気に晴らす、ハベトロットの笑顔と歓喜の声。
同時に、ステンノもエウリュアレも互いに表情をぱっと明るくし、ハベトロットの手を思わず握った。
「ありがとうね!ハベトロット……!」
「姉として礼を言うわ……!本当に、ありがとう……!」
「僕こそ、お礼を言いたいよ!まさか、一番花嫁力が高いと思ってたゴルゴ―ンのドレスを作れるなんて、夢みたいだ!」
嬉しさのあまり涙ぐむハベトロットや姉の二人の様子に、困惑した様子を隠せないゴルゴ―ン。
ハベトロットはそんなゴルゴ―ンに、羨望の眼差しを送りつつ、じっとその顔や身体を見つめる。
「ああ……やっぱり君は、一目見た時から逸材だと思ったんだよ!僕は、ずっと君の花嫁衣裳を作ってみたかったんだ!」
「ず、ずっと……?」
「そう!絶対に君は、いい花嫁になるって確信してたからね!」
「……ッ!?そう、か……」
屈託の無い太陽のように眩しいハベトロットの笑顔と言葉を受け、不安でいっぱいだったゴルゴ―ンの表情が、少しはにかんだ笑みへと変化するのが分かる。
それを見たエウリュアレとステンノは満足気に微笑み、喜びを分かち合おうと彼女の胸を咄嗟に抱擁した。
「良かったわね!メドゥーサ……!」
「……ッ!?はい……!姉上!!」
「彼女の腕は確かよ、だから――今度こそ完璧な花嫁にしてもらってきなさいね!」
姉の二人から激励の言葉を掛けられるゴルゴ―ン……彼女が真に花嫁になる旅はこれから始まる。
花嫁を応援する英霊ハベトロットの元で、立派な花嫁となってマスターと結ばれる為にも厳しい花嫁修業を数日間積むのだ。
そうすれば、数日後にはきっとゴルゴ―ンは立香と結ばれている。
そう、順調に行く。はずだった……
――
「はぁ……まさか、こんなことになるなんてね……」
ビーチから近くに位置する高級ホテルの一室にて、寝間着姿で溜息をつくのは立香。
時間はすっかり夜となっており、窓から見える夜景がとても綺麗だ。
部屋にはキングサイズのベッドが二つ用意されており、冷蔵庫には様々な酒やワイン嗜好品が入っていて、照明も高級ホテル相応にシャンデリアを使っているなど、普段の立香なら興奮を抑えきれないような上品さの漂う部屋であったが、今の立香はここ数時間ずっと表情を暗くしている。
その理由は、ベッドで死んだように眠る彼女が原因だろう。
「何があったの……?ゴルゴ―ン……」
遡る事昼前。立香がゴルゴ―ンを探して服屋に入り、そして居ない事を確認して数分も経たない内に起こった。
ガシャン!とガラスの割れる音を聞き、再び店内へ入って行くと、店の奥でゴルゴ―ンが意識を失ったまま倒れているのを発見したのだ。
『大丈夫!?ゴルゴ―ン……ッ!ゴルゴ―ン――ッ!!』
必死に呼びかけても、身体を揺すっても反応しないゴルゴ―ン。
立香は苦肉の策として彼女の身体を自分の背中に乗せ、幸い近くにあったホテルへ気合を入れて担ぎ込んだ。
それから現在に至るまでの間、ずっとゴルゴ―ンの意識が回復するのを待っているが、一向に彼女は目を覚まさない。
「(息はしてる、身体も温かい……となれば何が原因だろう?)」
本当であればダヴィンチにでも連絡を取るところだが、ダヴィンチから”今回は二人だけの時間を楽しむんだよ!”と言われているので、一度シミュレーションルームから出ないと連絡が取れない状況だ。
そうなれば、このままゴルゴ―ンの看病を続けるしか方法は無かった。
「仕方、ない……よね」
沈んでいた気持ちをなんとか切り替えるように努めると、立香はゴルゴ―ンの傍に寄り添い、彼女の手を優しく握り締めた。
「(……思えば、あの時と立場が逆だな……)」
以前のカルデアで”死”に瀕し、医務室のベッドで寝ていた時、ゴルゴ―ンは必死に自分の手を握って励ましの言葉を掛けてくれたのを僅かながらに覚えている。
死の恐怖に震える自分に最後まで寄り添ってくれた恩に報いるためにも、今度は自分がゴルゴ―ンへ寄り添おう……
「大丈夫、大丈夫だよ……ゴルゴ―ン」
倒れてしまった理由は分からないが、きっとゴルゴ―ンは何かと闘っている。
立香が死神に命を刈り取られそうになった時のように、自身の奥底に潜む悪魔と闘っているに違いないのだ。
そんな彼女にしてやれることは、ただ寄り添い……祈ることだけ、それぐらいしかない。
「大好きだ、大好きだよ……ゴルゴ―ン。だから、早く目を覚ましてね……?」
眠るゴルゴ―ンの端正な顔を見つめ、彼女へ愛を囁く立香。
その顔はどこまでも力強く、どこまでも穏やかな顔をしていた。
…………
………
……
…
――ん……ぅ……ぅ……
身体が重い。私は一体、どうなったんだ?
確か、試着室で
とりあえず起きなければ、起きて現状を把握――
「ゴル、ゴ―ン……」
私の眠っている傍で、人間の男の声がした。
驚いた私が寝たままの状態で横をちらりと見ると、そこにはベッドでぐっすりと眠る人間……マスターがそこに居た。
――何故、こんなところに人間が居る……?
一応は自分の主ではあるが、私の横でたかが人間如きが無防備で寝ているとはいい度胸だ。
「すぅ……すぅ……」
どうやら私が怪物であるということをすっかり忘れてしまったらしい、私が人間を喰らい弄ぶ怪物だということを。
なら、もう一度思い出させてやらなければな――
「くく、遂にこの時が来たか……」
人間を起こさぬようゆっくりと起き上がると、私は髪を蛇化させ、鉤爪に力を込める。
――ああ……楽しみだ。
これから喰らう人間の味を考えれば考える程、私の口内が涎で満たされていく。
久し振りの人間の味、しかも自分の主の味だ。しっかりと味わい、咀嚼しなければ損をしてしまうだろう。
一つ残念なのは、この人間が大切にしていた”マシュ”という少女を喰らってやれないことだが、そんなことはもうどうでもいい。
今は目の前の人間を喰らうことに集中するだけの話だ。
「(さぁ、どう喰らってやろうか……?)」
簡単に頭を取ってしまうのは勿体無い、どうせなら手足を徐々に千切り、苦悶の声を存分に聞いてみたい。
あるいは、徐々に血を抜き取って衰弱させるのも手……本当に悩ましく、発想を頭の中で膨らますだけで笑みが零れてしまう。
しかし、まずはこの人間が起きてから、じっくりと考えるとしようか。
まだまだ時間はたっぷりとあるのだから。
「早く、早く……目を覚ませ。その時がお前の最期だ……」
未だにぐっすりと眠る人間の顔をそっと撫で、私は冷酷に笑う。
――呑気なものだな。
人類最後のマスターだというのに、その死に方がここまで呆気ないものでは、今までこの人間を支えてきた者達も報われまい。
まぁ、私のような反英霊を手元に置いている時点で、私に殺されることは確定していたのだが……
「ぅ……ん……」
ああ、どうやら目を覚ましたらしい。
丁度良かったところだ、私も早く目の前の人間を喰らい、カルデアの人間を喰らい尽くしてやろうと思っていた。
本当に――良い所で起きたな。
「あ……れ……?ゴルゴ―ン……?」
「マスター、起きたか?」
「う、ん。……寝ちゃってたみたい、だ」
ぼんやりとした様子で私をちらりと見た後、人間は天を仰いで大きな溜息をつく。
寝ぼけているせいか、私の髪が蛇化していることには気付いていない。
「でも、良かった……ゴルゴ―ンが目を覚ましてくれてさ。あのままずっと目を覚まさないかと思ってたよ」
「……そうか」
こちらへ目線を向けず、ほっとした様子で言葉を紡ぐ人間。
哀れなものだ、これから自分が獲物になるとも知らず、ベッドで横になっている。
そんな人間の隙を見逃すことなく、私は蛇となった髪を徐々に人間の手足へと絡ませていき、その自由を奪っていった。
「でも、ごめんね?すぐに気付いてあげられなくて……もっと、早くゴルゴ―ンを見つけられてたら、こんなことにならなかったと思う」
「……」
「だから、ごめん」
何やら謝罪の言葉を口にしているらしいが、私にとってはどうでもいい。
所詮、人間の言葉など私の心へは届かぬ、それも当たり前だ……私は怪物、怪物なのだから。
この人間に持つ感情は興味と、血肉の味が美味いかどうかだけの話。
他の腑抜けた英霊のように何か特別な感情を持つことなどありはしない、あくまで目の前の人間は私の契約者、付け加えるなら私の下僕だ。
「(マスターとサーヴァントの関係も今日で終わる……貴様は私によって殺され、私の胃の中で魔力となるのだ。そして、貴様の大切にしていた仲間とやらも、私によって全て喰われる……くくっ!ははは……ッ!)」
隠し切れない喜びを胸に、私は人間の方へ顔を向けると、思わず舌なめずりをしてしまう。
果たしてこの人間が私の予想通り、苦しんで死んでくれるかどうか、ちゃんといい声をあげてくれるか気になるところだ。
――さぁ、始めよう。楽しい食事の時間を……
心の中でそう呟くと、私は人間の首へ手を伸ばすのだった。
良かった。本当に、無事で良かった。
仰向けになったままの立香は、ただひたすらにゴルゴ―ンの無事を喜んでいた。
それもそうだろう、立香が看病してから十時間は経とうしていた中、ようやく最愛の人が目を覚ましてくれたのだ。
喜びに打ち震えない方がおかしい。
「(でも、埋め合わせしなきゃな……)」
本来は一日中ゴルゴ―ンと満喫できるはずだった休みが、とてつもなく短くなってしまった。
せっかく二人きりになれたというのにこれでは、ゴルゴ―ンに到底顔向けができない。
「(……頼んでみるか、ダヴィンチちゃんに……)」
少し申し訳なさはあるが、あと一日程シミュレーションルームに居る時間を延ばしてもらおう。
おそらく事情を説明すれば、ダヴィンチもきっと納得してくれる。
立香は心の中で大きく溜息をつきつつも、少しだけ笑みを漏らした。
「(あ、そうだ。ゴルゴ―ンにも教えておこう……明日の日程を含めて考えないといけないしな)」
きっと、ゴルゴ―ンも後少ししかシミュレーションルームに居れない事を考え、落ち込んでいるに違いない。
ここは自分から声を掛け、励ましてあげよう。
そう思った立香は、仰向けになっていた体勢から起き上がり、そこに居るであろうゴルゴ―ンに声を掛けた。
「ゴルゴ―ン、実は――ガ……ッ!?」
ゆっくりとゴルゴ―ンの方へ顔を向けた瞬間、突然立香の首は何者かの手によって掴まれた。
いや、何者と言う必要もない……何故ならば。
「ぅ……く、苦しい……苦しいよ、ごる……ごーん……!」
その手が伸びた先に居たのは、紛れもなくゴルゴ―ン。
だが、その顔は今まで立香に見せていた穏やかな顔ではなく、怪物と呼ぶに相応しい程に冷徹で冷たい笑みを浮かべていた。
一目見て冗談ではないと分かるぐらいの、明らかな殺意を持って獲物を見つめている。
「ど、うして……っ、こんな、こと……を……ッ!」
「どうして、だと?決まっている、貴様を喰らう為だ」
「な……ッ!?」
きっぱりと言い切ったゴルゴ―ンは、立香の首を更に締め上げ、先程彼が仰向けになっていた場所へ立香の身体を押さえつける。
当然、サーヴァントの力に抵抗できるわけがない立香は、自身の首を締め上げるゴルゴ―ンの腕を掴み、彼女へと抗議することしかできなかった。
「しょ、正気に戻って……ゴルゴ―ン、君はこんなことをする英霊じゃな――う、ぐ……ッ!」
「私に意見をするな、人間如きが。今すぐ命を終わらせてやってもいいんだぞ?」
「ぅ……ぁ、か……は……」
怒りの感情のままに立香の首を絞めるゴルゴ―ンの力は尋常なものではなく、このままいけば呼吸が完全に止まるどころか、首の骨が折れてしまう。
――死ぬ、絶対に……死ぬ。
酸素不足で目の前が暗くなっていき、意識も後一歩で途切れそうになる寸前になったところで、ゴルゴ―ンはつまらなそうに締め上げていた首から力を抜いた。
「……ぅ……ッ!?はぁ……ッ!はぁ……ッ!」
ようやく空気を取り込めるようになると、立香は急いで酸素を取り込み、徐々に呼吸を整えていく。
意識も若干飛びかけてはいるが、それでも今は目の前の彼女に問い質さないといけない。
「ゴルゴ―ン……ッ!何で、こんなことをするんだ……!?何かあったなら、僕に話してくれ!」
「何もありはしない、ただ私は貴様という人間を喰らってみたいだけだ。それ以外の理由は無い……」
「うそ、だ……そんなこと、無い!僕の知ってるゴルゴ―ンは、理由もなく人を喰らうような英霊じゃないんだ!」
「はっ……!精々、喚いているといい……何を言おうが、貴様は私の胃の中へと入るのだからな」
立香の言葉を突き放し、ゴルゴ―ンは事前に立香の手足へ絡ませていた蛇髪をきつく締め、完全に身動きが取れないようにすると、立香の上半身へ馬乗りになった。
「くく、あははは……ッ!ようやく、ようやくこの時が来た。マスターをこの手で殺し、喰らう時が……」
「……っ!ゴルゴ―ン……」
「怖いか?怖いだろう?怪物たる私によって、貴様は徐々に手足を千切られ、苦悶の声を上げることになるんだ。怖くないはずがなかろう……」
もはやゴルゴ―ンは正気ではない、立香は彼女の狂気に染まった瞳を見た途端に、そう確信を覚えた。
「(やっぱり、あの時に何かあったんだ……きっと、何かが……)」
もしも早くゴルゴ―ンの元に駆けつけていれば、今の彼女の暴走を防ぐことは可能だったかもしれない。
全ては自分のせい、最愛の人を守り切れなかった自分が全て悪いのだ。
悔いても、悔い切れない……悔いたとしても時間は二度と戻ってはこないのだから。
「どうした?怖くて、声も出せなくなったか?ん?」
「……」
「今なら命乞いをすれば、少しだけ猶予をやってもいいぞ。まぁ、死ぬことには変わりないがな……」
立香にそう言って冷酷な笑みを見せるゴルゴ―ンは、まさに怪物といって差し支えない。
それは、カルデアに来てから最初に見せていた姿であり、本来の彼女の姿なのだろう。
だが、立香は知っている。ゴルゴ―ンの奥底に潜む優しさや、初心な所、そして……本当は自分を大切に思っていることを。
知っているから、今の彼女を見ると胸が痛くなる。
「(でも、これは僕のせいなんだ……ゴルゴ―ンの心の闇から目を逸らした僕が受け止めなきゃいけない……)」
ある意味、良い機会だ。
彼女と本当の意味で向き合える……これで、もしも彼女に殺されるのであれば本望。
それだけゴルゴ―ンの存在は立香にとって大きく、心の底から愛していた。
「ねぇ、ゴルゴ―ン」
「ん……?なんだ、命乞いか?」
「違うよ、命乞いなんかじゃない。どうせゴルゴ―ンに食べられるんだったら、理由を聞いてみたくてさ」
「だから言っているだろう。私は以前から貴様を食ってみたかったのだ、お前にカルデアへ呼ばれてからずっとな……」
死が近いというのに、そんな質問をする立香の行動へ首を傾げつつも答えを返してやるゴルゴ―ン。
――恐怖で錯乱し始めたか……
そう解釈したゴルゴ―ンだったが、立香の顔は全く怯えておらず、瞳にも恐怖は映っていなかった。
「本当にゴルゴ―ンは、僕のことを食べたいの?殺したいの?」
「愚問だな、人間を殺して喰らうのは私の怪物としての本能。特に貴様のような若い男の血肉は私の好物だ……」
「……そっか、なら仕方ないよね」
ゴルゴ―ンの回答を聞き、観念したようにぐったりとベッドに身を預けると、どこか吹っ切れたような笑みを見せた。
「何が可笑しい?貴様は、これから殺されるのだぞ?怖くないのか……?」
「そりゃ、正直に言ったら死ぬのは怖いよ。でも、ゴルゴ―ンの手で殺されるって考えると、不思議と怖くないんだ」
戸惑いを見せるゴルゴ―ンに笑う立香の姿は、決して見栄を張っているわけではなかった。
ゴルゴ―ンになら、本心で殺されてもいいと本気で思っている。
普通、死というのは恐ろしいはず、だというのに目の前の人間は一切死を恐れていない。
これまで対峙してきた並の人間の男で、自分を前にここまで動じない者は絶対に居なかった。
皆大なり小なり身体を震えさせ、目に涙を溜めて命乞いをし始めていた光景が目に浮かぶ……だからこそ、ゴルゴ―ンには立香の行動が理解できない。
「そこまで怖くないと見栄を張るなら……いいだろう。すぐに、貴様を殺して喰らってやる」
気に食わない、とばかりにミチミチと音が鳴る程に立香の身体を締め上げると、ゴルゴ―ンは立香の左目に鉤爪の先を突き付ける。
「今すぐ命乞いをしろ。さもなければ、貴様の目を潰す」
苛立ちを隠さぬまま立香へと鉤爪を突き付けるゴルゴ―ンだが、やはり立香の瞳には恐怖はなく、むしろ穏やかな表情をしているように見えた。
――何故だ、何故だ……ッ!?どうして命乞いをしない……ッ!
捕食者は自分だというのに、いつの間にか自分自身が立香へと恐怖を感じている。
人間に、怪物たる自分が心を揺さぶられているのだ。
「いいよ、ゴルゴ―ンがやりたいなら僕の目を潰して。手足も千切りたいなら、千切っていいから……」
「なんだと……ッ?貴様、私を馬鹿にしているのか?」
「馬鹿になんかしてないさ。僕は今までずっとゴルゴ―ンに支えられてきたから、今ここに居るんだ。君が居なければ、どこかの特異点で僕は死んでる……そんな君が僕を殺すというんだったら、喜んで殺されるよ」
目に迫る鉤爪を直視しつつ、立香は平然と言葉を紡ぐと、再度ゴルゴ―ンに笑みを向けた。
「今までありがとう、ゴルゴ―ン。できれば、”藤丸立香”の名前を殺した後も覚えてくれてると嬉しいな……大好きだよ」
最後にそれだけ言葉を残すと、立香は口を閉じ、ゴルゴ―ンの鉤爪が目を潰すのを待った。
その表情には後悔もなく、恨みつらみも無い。
いつ死んでも構わない、そんな決意を感じ取ることができた。
「(なんだ、こいつは……?何なんだ、この人間は……?)」
今から殺される相手に”好き”などと、頭がおかしいとしか言い様がない。
目を潰すことにも動じず、殺されることを甘んじて受け入れるなどと、明らかに生に対しての執着が薄すぎる。
異常だ、この人間は……自分という怪物を目の前に、こんなにも堂々として居られる人間など今まで居なか――
「(いや、居る……居るじゃないか……)」
自分を怪物ではなく英霊として扱ってくれ、ゴルゴ―ンへ最大の信頼を置いてくれた人間が居る。
その、名前は。
「藤丸、立香……」
先程目の前の人間が覚えていて欲しいと言った名前だ。
一瞬は”そんな名前など知らん”と切り捨てようとしたが、自分の心のどこかに藤丸立香という名前が引っかかる。
それは、とても大事な人物の名前……藤丸立香と聞くだけで、封印されていた記憶が蘇ってくる。
『ゴルゴ―ン!今日もレイシフトするんだけど、同行お願いしてもいいかな?』
『もちろん、良いに決まっているだろう?お前の頼みなら、何でも聞いてやる』
目の前の立香に対し、屈託の無い笑みを浮かべて返事を返す自分の姿。
『今日は、何を着て行こうか?ちゃんと、マスターが喜ぶ服を選ばなければ……』
自室で立香の事を思いながら、服選びを楽しむ自分の姿が次々とゴルゴ―ンの頭の中で浮かび上がってくる。
――どうして、どうして?だったら、私は何をしているんだ……?
今の今まで目の前の立香を殺し、喰らおうとしていたのならば、どうしてこんな大切な記憶を忘れていたのだろう。
一番自分を理解し、優しく接してくれた彼を殺すなど、記憶がしっかりとしていれば実行に移そうとすらしなかったはず……しかし、今のゴルゴ―ンは立香の身体を蛇髪で締め上げ、自らの鉤爪で彼の目を潰そうとしている。
守りたいと心の底から思った愛しき彼の命を、自分は奪おうとしたのだ。
「ぁ……」
ようやく自分の犯してしまった罪に気付いた時、ゴルゴ―ンは口からか細い声を出していた。
同時に、数日前の出来事が脳内でフラッシュバックする。
「(そうだ、私はマスターと共に涙を流し、永遠の愛を誓ったじゃないか……!それを、私は裏切って……マスターを傷付けてしまっている……っ!)」
きっと立香は、突然暴力を振るった自分に驚き、心底悲しみ軽蔑しただろう。
いくら怪物としての本能に意識を乗っ取られていたとはいえ、最愛の人を殺しかけた自分など彼の傍に居る資格は無い。
自分は、取返しのつかないことをしたのだ――
「ぅ、ぁ……ああ……っ!!」
立香を拘束していた蛇髪を全て解き、彼の目に近付けていた鉤爪をすぐに引き離すと、ゴルゴ―ンは大粒の涙を立香の顔へ落とした。
「すま、ない……ッ!許して……くれ……ッ!!許し……て……っ!」
「……っ、ゴルゴ―ン……」
嗚咽を漏らし、泣きじゃくるゴルゴ―ンの姿に、立香は何も言葉を発することができなかった。
懺悔、後悔、自責、自分がやってしまったことへの罪悪感に顔を歪ませ、ただ謝罪の言葉を口にし、涙を頬へ伝わせることしかできない。
どう言って立香に詫びればいいか、ゴルゴ―ンには分からなかった。
「わたし、は……っ!最低だ……ッ!!お前を傷付け、殺そうとした……っ!どうしようもない怪物、怪物なんだ……ッ!」
「……」
「もう、お前の傍には居られない……っ!居られるわけがない……ッ!この先、きっとお前を傷付けてしまうに決まってる……!!」
一度、愛する人を傷つけてしまった以上、もう立香は自分を怪物としか思わない。
所詮自分は、何処まで行っても怪物に過ぎなかったのだ。
なら、もうカルデアに居る資格なんてない。
「マスター……私との契約を破棄しろ」
「は……ッ!?」
「そうすれば二度とお前を傷付けずに済む、こんな事を起こした以上お前のサーヴァントであり続けるわけにはいかない……だから――」
「――嫌だ」
ゴルゴ―ンの言葉を遮ったのは、一瞬どこから発せられたか分からない程に低い声、その声の主はゴルゴ―ンの目の前に居た。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……ッ!そんなの認めない!ゴルゴ―ンがカルデアから居なくなるなんて……僕は、絶対に認めない……ッ!!」
「だが、私は……お前を……」
「――どうでもいい!そんなことは……ッ!!今回の事を、君の意思でやったなんて思うわけないじゃないか……!何か事情があったことなんて、分かってるんだッ!!」
「マスター……」
これだけ感情を露わに怒る立香は、数日前に自暴自棄となっていた時とは違い、胸の中に明確な信念を持って怒っていた。
「だからさ、カルデアから居なくなるなんて言わないでよ……ッ!!僕は、何があってもゴルゴ―ンの味方をするから……!絶対に、どこにも行かないで……」
気付けば、立香の瞳にも涙が浮かんでいた。
――やっぱり、やっぱり……お前は、優しい……
立香を傷付けようとした自分を許し、更には励ましの言葉を掛けてくれる彼は優しすぎる。
こんな危険な女を手元に置き、ずっと大事にしてくれるなんて、どこの世界を探しても立香ぐらいしか居ない。
ああ……だから、この人を好きになったのだろう。
「これからも、一緒に居ても……いいのか……?」
「うん!ずっと、ずっと一緒だ……!」
「本当に、いっしょ……に、居ても……いいか……ッ!?」
「ああ……ッ!一緒だよ、ゴルゴ―ン……」
最後のゴルゴ―ンの言葉に大きく頷くと、立香は思い切りゴルゴ―ンを抱き締めた。
突然の抱擁に驚いたゴルゴ―ンもすぐさま立香を抱き返し、二人は互いに溜め込んでいた涙を爆発させる。
「ひぐ……ッ!ぅ……ッ!ぁあああああ……ッ!!マスター……!マスター……ッ!」
「ゴルゴ―ン……ッ!良かった……っ!正気に戻ってくれて……っ!!」
互いに名前を呼び合い、そして涙を流し合う二人。
もはや自分の中にあるであろうプライドなど投げ捨て、子供のように歯止めなく泣き続けた。
数日前と同じく絆を深め、より一層愛を深めるようにして泣きじゃくり、身体の中にある悲しみを涙にして放出する。
一見、涙を流す二人は少しかっこ悪くも見えたが、これまでゴルゴ―ンと立香が築き上げてきた信頼と愛情を知っていれば、とても美しい光景にしか見えない。
そう、美しいものにしか見えないのだ。