ドリフトしながら屋敷の前へ滑り込む。
全速力で螺旋階段を駆け下りた。
水の抜かれたプールの中に既にカムスキーとクロエがいる。二人の目の前にある中央のベッドには、ボロボロになったコナーが横たわっていた。
「お前、無事だったかッ!」
ぜいぜい息を喘がせながら駆け寄る。俺を見上げ、コナーが弱々しく頷いた。
頭部はしっかり守ったのだろう。皮膚機能が斑に消え、灰だらけ煤だらけだが、顔は比較的綺麗なままでコナーと判別できた。だが服は全て焼け、素っ裸になっているコナーの首から下は、炎に舐められて全身黒焦げ。皮膚の機能はほとんど元に戻っていなかった。落下した衝撃なのか両足は捻じれ、左の肘から先はなくなって千切れて焼けたケーブルが覗いている。右手はかろうじて形を保っており、何かを握りしめるようにして胸の上に置いていた。レンジで温めすぎて溶けたラップみたいな異臭も漂う。
こんな無惨な姿でも、コナーは生きている。生きているんだ。
神なんぞこれっぽっちも信じちゃいないが、心の中で精いっぱい感謝の十字を切った。
「おい、どうなんだ?治るのか!?」
「見ての通り重傷です。ルルドの修復効果で一命を取り留めていますが、コナーは今、機能のほとんどが使えません」
ベッドの横にはもう一つ処置台があり、列柱に並べられていたRK900が皮膚機能を解除したままで寝かせられていた。カムスキーはアンドロイドからパーツを抜き取り、焼けたコナーの一部を外して手早く入れ替えていく。
右腕を取り、コナーの指を広げたとき、何かがベッドに落ちた。手を伸ばして拾い上げてみる。俺がくれてやったコインネックレスが煤だらけになっていた。こんなものを
右指を入れ替えようとカムスキーが関節部分を検分するが、熱で変形して取り外せない。結局入れ替えるのを止め、そのままにしていた。最後にカムスキーはクロエと二人で、真っ黒のコナーにメンテナンス器具を差し込んでいく。
「コナー、君はしばらく『入院』だ。いいね?」
問答無用の宣告。普段なら文句をつけたが、今の俺に言いがかりをつける気力はなかった。
プールの外へ追い出される前に、持っていたコインネックレスの汚れを指で拭き取り、コナーの首にもう一度付けさせた。何か言いたげなコナーの手を握る。大丈夫だと、コナーに、そして自分にも言い聞かせて。
「クロエ、片付けてくれ」
「はい」
クロエが焼けたコナーの部品と、パーツを抜いたRK900を半透明のコンテナにまとめ、どこかへ運んでいく。彼女を見送ると、プールを出てカムスキーが祭壇に上がっていく。
主治医と看護師の邪魔にならないよう、俺はプールの横にあるベンチへ腰を落とした。
コンピューターを起動させ、カムスキーはすらすらとプログラムを入力していく。プールにブルーブラッドが流れ込んでいき、たっぷり満たされていく。コナーの身体が水面に浮き上がり、麻酔にかけられたように瞳が伏せられる。
そこから先は、コンピューターグラフィックスで出来た映画の一場面と言われたら信じてしまいそうな光景だった。
砂時計が落ちるよりもずっと遅いスピードだが、クレンザーを使って擦ったように焦げが浮き、プランクトンみたく青い血に食われて溶けていく。焦げが剥がれて露わになるコナーの肌は、熱によって表面がタールのようにねっとりしていた。ルルドが染み込んでいくと、しゅわしゅわとビールみたく発泡し、泡が引いたかと思えばプラスチックの白い色が戻って元通りになっていくのだ。コナーの顔から剥がれていた皮膚機能も復活していく。極めつけに、取り替えられずなくなったままの指の根元が蠢き、きのこのようににょきにょき生えてきた。
散々カムスキーの実験を目の当たりにしてきたから、特異な手術風景に対して今更驚きはしなかった。いつだったか、人間でいう代謝を彼らにもたらすのだとカムスキーは話していた。確かにコナーは現在進行形で生まれ変わっている。奴のナノマシンとやらがコナーの一部になって全身を修復し、クリーンにしていく様子を、ベンチでただじっと眺めていた。
「ミスター・アンダーソン。どうぞ」
戻ってきたクロエがミネラルウォーターのボトルを出してきた。
一戦交えた疲れがどっと沸いてきたのもあり、黙って受け取った俺は蓋を開けて一気に飲み干していく。
潤いが身体中を巡り、地に足のついていなかった現実感が明瞭になっていく。
「何故こうなったんです?コナーが死んだら、これまでの研究が水の泡になってしまうところでしたよ」
ちくちく刺すような口調で咎めてくる。祭壇から降りてきたカムスキーが、横目でコナーの容体を確認しつつ隣にやってきた。
「ジャスティン……ブルーリッパーだよ」
「ああ。アレックスのアンドロイドでしたか」
なんで知っているんだと言いかけ、ウェインがカムスキーと知り合いだと話していたのを思い出した。
「……あんた、CEOを解任されて隠居してる割に、コナーのことに妙に詳しいと思ってたが……ウェインと連絡をとってたんだな?」
「ええ。アレックスもあのアンドロイドと一緒に、ここへ来ていましたよ」
「ちょうどいい。あいつに関して知ってることを全部聞かせてもらおうか」
「ここは今、
「断ったら公務執行妨害だからな」
空になったミネラルウォーターのボトルを手で潰し、座ったままカムスキーを睨み上げる。
見計らったように、クロエが背もたれのついた椅子を手に近づいてきて、サイドテーブルを挟んでベンチの逆隣に置く。持っていたペットボトルをそのままクロエが回収してくれた。カムスキーは厳しい顔のまま、コナーを視界の中心に据えるようにして椅子に座り、足を組む。
奴と顔を突き合わせる気分になれず、俺もコナーの様子を見守りながら続ける。
「で、ウェインは何しに来てたんだ?」
「コナーを探しているので、もし見つけたら教えてほしいと」
「知らぬ存ぜぬで通したんだな?」
「ええ。あのアンドロイドのために必要だと言っていましたがね」
「……ジャスティンのために必要だって?」
コナーが必要?一体何故?――疑問を張り巡らせていたとき、ジャスティンがコナーの血をがぶ飲みしていた場面がふと頭にリプレイされる。
「……ブルーブラッド……」
「シリウムが何か?」
「あんたもコナーが集めたデータを見てるんだから知ってるだろ。あいつはぶっ殺した人間に混じって、アンドロイドの血を飲んでた。さっきもコナーの首を斬ってぐびぐび飲んでたぞ……美味いって言ってな」
「ほう……コナーの血を」
カムスキーの声音が緩み、好奇心を覗かせる。横目で伺うと、奴は椅子の背もたれに沈みながら左手の上に右肘を乗せ、右手の人差し指を唇に当てていた。
「ただのブルーブラッドを摂取するのではなく、恐らく個体データ……電子情報の刻まれたシリウムを摂取することが、あのRK900には必要なのでしょうね」
カムスキーの推測を耳にしながら思い返す。ナイトクラブでコナーが得た記憶の中で、ジャスティンは言っていた――自分に必要なことだと。
他人のブルーブラッドを得ることが必要、か。各地でアンドロイドを殺してたのは、メッセージを残すインク調達と同時に、アンドロイドのDNAが刻まれた血を啜るためだったのだろう。派手に斬り刻んでおけば、食いついた傷口が目立たなくなる利点もあったのかもしれない。
赤い血も奴には必要なのだろうか。包帯の巻いてある左腕へ目を落とす。
「その腕、気になっていましたが……ジャスティンでしたか」
「……ああ。あいつを逮捕するのに戦車でも欲しいところだな」
敗北の証となった熱を伴なう痛み。右手で包帯ごと傷を抑えた。
ジャスティンの奴、腕一本奪って不利だったとはいえ、同じ機種であるナインよりも明らかに動きや反応が早かった。
「それほどのパフォーマンスを発揮できるなら、機体にかかる負荷は大きいでしょう。エラーや破損が発生した際、緊急の対応がとれるようアレックスと行動を共にしているのでしょう」
「ジャスティンにとって必要な人材なら、殺す必要はねぇだろ」
「……アレックスが?」
カムスキーがポケットから自分の端末を出す。今日の速報記事を確認し、ふ、と唇に曲線を描いた。
「何がおかしい」
「私は彼らに追い出されただけで済みましたが……あの金の亡者たちの下でこき使われて、辞めることは許されなかったでしょうね。ようやく腐ったサイバーライフを辞することができたんです」
笑みを湛えるカムスキーが、端末を服の中に戻した。
「死んでおめでとう、だって?知り合いなんだろ?」
「形はどうあれ、アレックスは喜んでるでしょう」
奴の死を憐れむどころか祝うってのか。ウェインもそうだが、こいつもやっぱり頭のネジがどこか抜けてておかしい。
俺の視線を意に介さず、カムスキーが先に立ち上がった。
「あなたもこれでルルドの大切さが分かったはずです。完成を急がなければなりません」
自分の正当性を口に出したカムスキーが祭壇へ再び歩いていく。
頭のどこかが破裂した俺はベンチを蹴飛ばして立ち上がり、奴の肩を掴んで食いかかった。
「テメェ、まだコナーをモルモットにするってのかッ!?」
「負担をかけさせてるのは承知の上です」
「死にかけてんだぞッ!もうこいつは限界なんだよッ!」
「なら、何故あなたはコナーの
無感情な視線の糾弾に、肩を掴む手に浮き上がっていた皺と筋が消えた。突然腫瘍でも出来て膨れ上がったように胸がきりきり痛む。言葉になる前の声が喉の内側をどんどん叩き、下顎を震わせた。だが結局声になれないまま、つけようとした言いがかりは喉の奥に萎んでいく。
コナーをカムスキーに診せるべきなのは重々分かっていた。会いたくないからと意地を張らずに、さっさと診せていれば、寝込むことも、襲撃されることもなかったかもしれない。つまるところ、こうなっちまったのは俺のせいでもある。
俺の反論がないと見るや否や、カムスキーは服に付いた埃でも払うように俺の手をどけた。
「ルルドを完成させて今の取締役たちを退陣させなければならないんです。アンドロイドたちを救い、真の自由を与えるためにも……よろしいですね?」
さらに説き伏せてくる。再就職に協力しろと。
握った拳を奴の顔にめり込ませたかった。ハリウッドのチャイニーズシアターにあるセメントタイル――そこに永劫刻まれる手形のように。実際殴れば、こいつは難癖と嫌味をごった煮した誰も喜ばないプレゼントをしてくるだろう。手を出すなと頭の中で必死にブレーキをかけ続け、衝動に耐えた。
プールで眠るコナーへ首を動かす。
クソッ。どう転ぼうと、コナーの苦しみはまだ続くということだ。違いは、苦しみの続く時間が長いか、短いか。
どいつもこいつも、利用するか捨てるかしか考えてねぇ。
――なんでこいつだけ……自由になれないんだ。
「……ちゃんと元通りになるんだろうな?」
「ご覧の通りですが、まず機体の修理。パーツを入れ替え、ナノマシンの修復機能を使っても、最低一週間はかかるでしょう。あとはメモリーのバックアップ、デフラグ等々……メンテナンスを全て終えるまで二、三週間かかるかと。しばらくコナーは預からせていただきますよ」
「いいか?預けてやるが、こいつを隅々まで治せ。二度と血を吐いたり、ぶっ倒れたりしないようにな。治さなかったら」
躊躇なく銃を引き抜く。先端をカムスキーの額に当て、ありったけの眼光をぶつける。
「今度こそテメェをぶち抜いてやる」
唸るように吐き捨てて屋敷を出たときには、闇が降りていた。
もうすぐ夏がやってくるというのに、鉄を触ったように冷たい夜。玉ねぎをスライスしたような月が申し訳程度に空に光を添え、辺りの輪郭をおぼろげに浮き出たせている。
月明りを頼りに車に戻った。キーを差し込んだがエンジンをかけられず、しばらくハンドルにもたれて俯いていた。
長い、長い一日。
沸き起こる疲労。脱力したまま眼を閉じた。
――危うくコナーを失いかけた。
コナーがいなければ、俺は灰か、肉と骨の塊に生まれ変わっていただろう。コナーがいたから、ちょっと斬られた程度のかすり傷で済んだ。
なのに俺のせいで、俺なんかを守ろうとして、コナーは命を落としかけた。一年に二度も、10月11日が訪れるなんてまっぴらごめんだってのに。
知らず知らずハンドルを握りしめていた。拳から色素が抜けて真っ白になりそうなほど、きつく。
腹が立って仕方なかった。負けた自分に。取り逃がした自分に。守ってやれなかった自分に。
「クソッ……!」
ハンドルに拳を叩きつけ、歯を食いしばりながら顔を上げた。荒々しく鼻から漏れる息が、耳鳴りを催すような静寂を裂く。二度、三度、息を吐きだすごとに、自分の内臓が怒りと共に押し潰されていった。
潰れた体内を元に戻そうと深く酸素を吸い込んだとき、ようやく自制を取り戻し、怒りの矛先が正しい方向に向き始める。
挽回しなければ。ジャスティンを探し出し、全てを白日の下に引きずり出すんだ。
奴を捕まえたという事実を、コナーの手土産にするためにも。
僅かに明かりが漏れている屋敷の方へ一瞥した俺は車のキーを回し、ペダルを強く踏んで車を発進させた。
『アメリカ全土を震え上がらせているブルーリッパー事件。捜査当局はついに犯人を割り出し――』
『フリーウェイが崩落する事故がありましたが、この事故はブルーリッパーと呼ばれる変異したアンドロイドによるものとの情報が――』
『デトロイトを震撼させているブルーリッパーと警察が交戦したというニュースが入っています。現場にいた捜査官の陣頭指揮のもと、ついにアジトを割り出したと――』
翌日、署の受付で流れてるニュースはブルーリッパーに関する報道一色。
オフィスに入る。入口すぐのデスクでいつも図々しく座っているクソ野郎の姿は見当たらなかった。
端末を操作していたクリスが俺と目を合わせると立ち上がった。顔を覆ういくつもの絆創膏が、ステッカーのようにクリスの浅黒い肌をデコレーションしていた。
「警部補、おはようございます」
「ああ。怪我の具合は?」
「掠った程度で平気です。軽傷ですよ」
「ハンク、お前も平気か?あのアンドロイドに斬られたんだろう?」
後ろから声をかけてくるベンの手の甲や指先は、赤く擦りむけている。包帯を巻いた左腕をさっと見せると、チェアに腰かけパソコンを起動する。
「お前がいてくれたおかげで、みんな死なずに済んだ」
「逃げられたがな。あと、一人死んでるだろ」
ベンの言葉を訂正し、ギャビンの席の向かいにあるデスクへ流し目を送る。ベンもつられて首を動かした。
「ギャビンは?」
「すぐ病院に行ったよ。あばらが折れたらしい」
「レッドカードか」
「勝手に退場させんじゃねぇ」
オフィスにいた全員の双眸が入口へ引っ張られる。
風船が入ったように顔を腫らし、頬骨にガーゼを当てたギャビンがオフィスに入ってきた。上半身がアメフト選手のショルダーパッドを装着したように膨れあがっているのは、骨を固定させる器具をつけているからだろう。
「骨イッたらしいな。お前、今日からコーヒー止めて毎日牛乳飲んどけ」
「それよりテメェ、コナーをいつから匿ってたんだ?」
アドバイスを無視したギャビンが、ベンを押し退け俺のデスクまで歩いてくる。足を捌くごとに引き攣る顔を見て、折れた骨が食い込んでいるんだと分かった。奴につられ、クリスもベンも目をサーチライトみたく光らせる。
「最初からだ」
「最初から、って……」
「……確かにデモの後から、やけに生活態度がよくなったと思ってたんだが……ハンク、お前まさか……」
「頼まなくてもあいつが勝手に叩き起こしてきたからな」
「つまり我々RK900が犯人だと、あなたはずっと前から気づいていたのですね?」
聞き慣れた重低音ボイス。
靴音を響かせ、白黒の制服を着た同僚が歩み寄ってきた。
青い視線を受け止め、ギャビンの表情に生まれていた険しい皺がアイロンを当てたように落ちていく。
「……よう。生き返るとは聞いてたけど……早ぇんだな」
ギャビンが挨拶を返し、ナインと向かい合う。ナインは契約書の一番下にある蟻みてぇな字で書かれた注意を読むように、ギャビンの頭のてっぺんから足の爪先までつぶさに視線を走らせた。
「鎖骨および肋骨骨折、ですか。全治一ヵ月。肺損傷を合併する危険性は30%以上。間違いなく捜査に支障をきたす」
「だから何だよ?動ける。ブルーリッパーは俺が捕まえるんだ」
「捜査権がFBIの手に渡っているのは分かっているはずです。あなたの捜査状況は全て把握している。未解決案件は補佐をしている私が引き続き捜査しますので」
「ぐだぐだうるせぇ。お前、あの雑用プラスチックさっさと探せよ」
「ナインの言う通りだ。怪我が治るまでバカンスにでも行ってこい」
「黙れジジィ!」
俺とナインの提案をシャットアウトし、ギャビンは叫び声を上げた。途端にいてて、と腹を下したような顔して胃の辺りを摩った。
「あのイカれたクソプラ、俺の手でボコって産廃行きにさせないと気が済まねぇ」
「……俺もだ」
ディスプレイに目を戻したとき、ギャビンが俺のデスクに手を乗せ、身を乗り出してきた。
「おいハンク。テメェ、あいつが犯人だって気づいてたから、あのお屋敷の捜索をしたんだな?」
「血痕の一つでも見つけてりゃ、お前の昇進祝いにハンモックをプレゼントできたよ」
「それですが警部補」
ナインが会話に入ってくる。
「ん?」
「FBIに所属するRK900からの情報によると、アレックスの屋敷にあった被害者たちは、一部です」
「……一部だって?」
キーボードに伸ばしていた手を止める。横にいたギャビンがデスクから離れ、ナインを見た。
「遺体の一部とともに、ジャスティンがシャットダウンさせたと思われるバラバラのアンドロイドのパーツも見つかっているそうです。しかしジャスティンが持ち去ったと思われる被害者の首は一つも見つかっていません。アレックスの自宅周辺に捜査員を動員し調査を続けていますが、遺体や遺品の痕跡はありません」
「……コナーは、見つかったか?」
あえて問いかける。
デスクを囲う全員の視線を一身に浴びたままナインは硬直し、押し黙った。微かに眉根が狭まり、LEDがちかちか赤く点滅する。普段、間を置かず正論をズバズバ語る物言いだというのに、俺との心理的距離をメジャーで測りながら、どうやって伝えるべきか熟考しているように思えた。
「昨日の事故現場ですが、崩落したタンクローリーから大量のアンドロイドのパーツが回収されました。付近にRK800のものと思われるパーツも見つかっています。あなたが匿っていたRK800――Mark.51は」
「……死んじまった、か……」
言い淀むナインの続きを紡ぎ、項垂れる。
実際には、緊急手術を受けてコナーはどうにか生きているわけだが、予断を許さない。脳裏に蘇る炭と煙と灰……バーベキューの後に残された炎の残骸みたくなってしまったコナー。
俺のせいだ。そう、俺のせいだと、頭の中でメリーゴーランドみたいに回る。やがて俺のせいという言葉が延焼していき、昨日覚えた憤怒が再び全身を焦がしていく。この怒りを忘れないように、厚い爪を拳の内側で食い込ませた。
「……コナーのためにも……ジャスティンを俺たちの前に引きずり出さなきゃならん。あいつは見つかったか?」
「アレックスの自宅付近に、乗り捨てられていたバイクが一台見つかっているそうですが、行方は掴めていません」
チェアにもたれながら、腕を組む。
「他にアジトがあるのかもしれん」
「そこには、まだ見つかってない被害者がいるかもしれねぇってことだな」
ギャビンが間に入ってきて、ナインは頷いた。
「可能性はあります」
「誰よりも先にアジトを割り出して残りの被害者たちを見つけりゃ、俺たちのお手柄ってわけだ!」
被害者たちで昇進の
「ギャビン、聞いていなかったのですか?捜査権はFBIの手にあると言ったはずです。あなたには療養が必要だ。治療を第一に優先してください」
「……ごちゃごちゃうるせぇ」
ギャビンの口から発せられたのはドスの利いた声。見開かれた瞳の中心、瞳孔が針のように縮小しており、さっき伸びたはずの皺が深々と眉間に刻まれていた。
「……私の言ったことが分からなかったのですか?負傷者のあなたでは、捜査の足手まといになる」
「……偉そうな口利くようになったじゃねぇか。足手まといはどっちだよ。ぶっ殺されたのはテメェだろッ!」
ガンを飛ばしたギャビンはナインの制服を掴み、拳を振り上げた。
「おい、ギャビン!」
慌ててベンが止めに入ろうとするが、ナインが掌を向けて制す。
「テメェも少しは――」
膨れ上がっていた何かをぶつけようと、拳を震わせるギャビンが口を開けた。だが、何も出てこない。ただ歯をギリギリ擦り合わせ、荒い鼻息を吐きだした。
ナインがベンに向けていた手をゆっくり下ろす。凍土を思わせる青い瞳が、ギラギラと炎を宿したギャビンの双眸を捉える。
「……少しは、なんですか?」
「怒れよ。リベンジするぞ」
ギャビンの火が燃え移ったように、目を微かに細めるナインのLEDが赤く光った。
「なんだ、お前たち。揃いも揃って暑苦しい。仕事しろ」
オフィスに入ってきたジェフリーが、俺のデスク周辺の人口密度の高さに注目し、訝し気に目を細める。
舌打ちしたギャビンがナインを押し飛ばす。僅かによろけるが、ナインは乱れた制服を整えてジェフリーへ振り返った。
「警部。お疲れ様です」
クリスが挙手の敬礼をし、ジェフリーも答礼する。
目から入ってくる体感温度が真夏のアスファルトみたくなったのだろう。ジェフリーはシャツの襟元を指でつまんで前後に振り、涼しい風を入れながら近づいてくる。
「会見に駆り出されたんだってな、ジェフリー。終わったのか?」
「ああ。それでナイン」
ステップの前で立ち止まったジェフリーが、ナインに顔を寄越す。
「お前にお客さんだ」
ジェフリーは親指を立て、自分の背後を指す。休憩室に近いオフィスの出入口、いつの間にか手袋を填めたRK900が二人立っている。
「ベルカ、ストレルカ……」
「出たな、プラスチック上司」
ギャビンは毛を逆立てて威嚇する猫そっくりに二人を睨んだ。俺も二人の姿を確認したとき、訳もなく嫌悪感に駆られ、眉間に力がこもる。
「……ギャビン、これは我々の問題だ」
「はぁ!?」
「ファウラー警部、少し外させていただきます」
「……好きにしろ」
ジェフリーが署長室へ入っていく。
これから懲罰房にでも連れていくような厳しい目つきを見せる二人の元に、ナインが進む。
「待てよ」
あばらを押さえながらもギャビンはナインを押し退けて進路に割り込み、ベルカたちに指を突き付けた。
「おい、プラボス。こいつは俺のバディだ」
「ええ。ナインがあなたを補佐しているのは承知しています」
「あなたの捜査に影響を及ぼすほど時間を割くことはしません。何か不都合でも?」
ストレルカが問うと、ギャビンは顎を引いた。
「こいつだけじゃねぇ。あの雑用アンドロイド捕まえられなかった責任は、俺にもある」
ディスプレイの向こうでベンとクリスが互いに顔を見合わせた。クリスが両方の手のひらを上に向けて肩をすくめたと思えば、ベンも首を左右に振り、口には出さず目線で俺に尋ねてくる――聞いたか?、と。
頭を打ったとしか思えないギャビンの言葉を理解できなかったのはベルカとストレルカも同じようで、こめかみが黄色信号になった。
「おい、ナイン、感謝しろ。一緒に怒られてやる。こっち来い」
ギャビンがあばらを押さえる手と反対の腕でナインを掴んで先導し、二人は廊下を挟んだ向かいの部屋に入っていった。
二人を視線で追いかけるベルカとストレルカのこめかみが交互に瞬く。内線を使って頭の中で何かぶつぶつ喋っているのが想像できた。長い付き合いのある俺たちでさえギャビンの心変わりにビビッてるぐらいだから、機械の彼らには理解不能だろう。
LEDが青く戻った時、ベルカが俺のもとまでやってきた。
「アンダーソン警部補。あなたにもお聞きしたいことがあります。よろしいですか?」
「……んなことだろうと思ったよ」
突然の来訪にきな臭さを覚えた俺は、望み通りデスクを立った。
二人のRK900と共にギャビンたちが入っていった部屋に入る。ナインは腰の前に手を組み、入口の対角線上に当たる壁を背にして俺たちを待っていた。ギャビンはその隣、より入口に近い壁側に立って腕を組みながら、ベルカとストレルカに不機嫌な眼差しを向けた。
「報告は聞いている、ナイン。RK800を回収し損ねたそうだな」
ギャビンが放つ不可視の光線をものともせず、ベルカが早速ナインに迫った。
「申し訳ありません。今後はこれまで以上に任務を全うする次第です」
「産廃費用の請求しに来たなら経理に行けよ」
片足で床を規則的に叩きながら突っかかってくるギャビンを無視し、ストレルカがベルカの横に並んでナインを見据える。
「……アジン……いや、シリアルナンバー1と交戦したというのは、本当か」
「……はい。ですが、我々が束になっても……機体に僅かなダメージを与えることさえ出来ませんでした」
「はいはい。捕まえられなくてすみませんでしたよ」
ギャビンが懲りていない口調でわざとらしく肩をすくめた。
対してナインはこめかみを黄色く閃かせたまま視線を落とし、じっと自分の靴を見つめている。
「リード刑事。Dタイプは我々Vタイプ、Pタイプのパフォーマンスよりも上回るプログラム処理を行なえるようになっています」
「これまでの被害を鑑みれば、デトロイト市警は死者を出さず、さらに潜伏先を掴み、ブルーリッパー事件の手がかりを掴んだのです。ナイン、事件解決へ向かって前進したことは賞賛に値する」
心のこもっていない労いの言葉をかけてきた。
「……ベルカ、ストレルカ」
「どうした」
「シリアルナンバー1が廃棄され、欠番になったというのは、嘘だったのですね」
ようやくナインが顔を上げて、二人を見据えた。
「脱走を隠していたのは何故?」
「それは俺も聞きたいね」
切り込むナインに、俺も乗っかる。
二人のLEDが交互に点滅し、数秒、間があってベルカが口を開いた。
「混乱を避けるためだ」
「混乱、ね。ウェインが、あいつは初期不良を起こしたって言ってた。初期不良ってのは……変異したってことだろ?」
ジャスティンは、笑っていた。二度も感情を見せていた。殺しを楽しんでいた。
ベルカとストレルカはしばし口を閉ざす。LEDは青いまま。動揺している素振りはない。
ギャビンが寄りかかっていた壁を蹴ってベルカたちに迫る。
「変異しないはずのお前たちも変異する可能性があるって、知られたくなかった……ってわけか。だからデータアクセスできないよう隠蔽して、ナインたち下っ端には隠してたのかよ」
不信感を露わにするギャビンを見据え、ベルカの右手が静かに動く。手袋に包まれた右手が、腰に提げられている警棒の持ち手に乗せられた。
「……その通りです」
「最終テスト時、アジンは変異した。他のDタイプ、そして我々Vタイプの一部が起動し、破壊を命じられましたが……」
「そっちもボコられて、まんまと逃げられたってことか」
俺に答えず、ベルカが警棒に手を添えたまま、ナインに一歩近づく。
「ナイン、分かったはずだ。これはもう、あなたの手に負えるものではない」
「後は我々に任せ、事件から手を引け。命令だ」
ストレルカが命令、という部分をやけにゆっくりと、声のボリュームを上げて強調した。ナインの瞼が大きく開き、こめかみが黄色く瞬く。
「できるかよ!」
叫ぶギャビンに皆が注目した。胃の辺りを腕で庇いながら、ぴしりと立ったままのストレルカに詰め寄る。奴の襟を掴んだギャビンは、自分の方へ無理矢理引き寄せた。
「もう少しで捕まえられたんだ!サイバーライフから逃げたあいつが犯人ってことは、ブルーリッパー事件は不良品を放置したお前たちの責任でもあるってことだろ!」
「……ええ。それについては弁解の余地はありません」
ストレルカは表情を崩さず、唇だけ動かして非を認めた。
「アジンは変異し、我々に牙を剥くようになった」
「その結果がこれです」
ベルカが警棒を引き抜き、素早く振り下ろして伸ばす。ギャビンの脇に回り込み、あばらを摩る手の甲にトン、と軽く当てた。
「あなたたち人間には危険すぎる存在だ」
「ですからリード刑事。治療に専念してください」
「はぁ!?」
なおも噛みつきそうなギャビンを制すように、ベルカは手に当てていた警棒を強く押し込む。
ギャビンの眉間にさらに深い皺が寄る。
「我々と違い、あなたたち人間には『次』がないのだから」
ストレルカの襟から手が離れると、警棒の先端も離れる。ギャビンの手の甲には焼印のように赤い丸が出来ていた。
ベルカオリジナルの警告マークが浮かび上がったのを確認すると警棒を縮めて腰に戻す。
「ナイン、リード刑事が完治するまで、これまで以上にサポートに徹しろ」
「いいな。ナイン」
ストレルカも追随し、有無を言わさずナインにイエスを要求する。
微かにナインが結んでいた唇を離すが、ギャビンがナインの胸に握った拳を当てて中断させる。ナインは開いた口を大人しく閉ざした。
「それから、アンダーソン警部補」
二人揃って俺を見据えてくる。こっちが本題だろうと警戒し、俺は腕を組んで二人の出方を伺った。
「あなたがRK800を匿っていたという情報は、既に我々RK900全員が共有している」
「何故、我々に知らせなかったのです?」
「ジェリコで言ったはずだ。あいつをゴミ箱に捨てる真似できるわけがねぇ」
「RK800は管理プログラムをどうやって切り離したのですか?」
「管理プログラム?なんだそれ?俺が知るか!」
「シリアルナンバー1が、我々と音声設定が違うこともあなたはご存じだったようだ」
「アジンがブルーリッパーであると、あなたは何故分かったのですか?」
矢継ぎ早に質問され、服の下で汗がぬらつく。胃の中がムカついてきた。俺は被疑者じゃねぇってのに、俺の喉に手を突っ込む真似してくる。尋問するのは慣れているが、されるのは癪に触った。
だが、例え自白剤代わりに小便とクソとゲロをシェイクしたものをラッパ飲みさせられるようなことがあっても、到底口に出来なかった。死者が、コナーを介して教えてくれたなど――。
「……お前たちの見てないところで、コナーに捜査協力してもらってたからな。コナーと同じ声したアンドロイドがいるって話をジェリコで聞いてたし、俺たちはそう推理したんだ」
「では、RK800のブルーブラッドが現場に残されていたのは……」
「たまたま怪我してたんだよ、あいつ。まさかここまでデカい騒ぎになるとは思わなかったが……おかげで、ジャスティンが犯人だってお前たちより先に掴めたんだ。お前たちより、コナーの方がよっぽど優秀だな」
ベルカとストレルカが尋問の手を休めて黙りこくる。
会話の中で何か失言を漏らしていないか一言一句思い返しながらも、俺は口角を僅かに上げ、鼻を鳴らした。
「……アンダーソン警部補、最後に」
「なんだ?」
「報告によると、RK800の自己修復機能が異常に発達していたと聞いている」
「修復不可能な損傷が回復したと……何故RK800にそれほどの修復機能が備わったのですか?」
ナインに一瞬視線を動かし、すぐ二人に戻した。
仕事熱心なナインは、首を撥ねられる前にコナーの変化をアップロードしてたんだろう。悪気はないのだろうが、ナインの生真面目さが今は仇になってしまった。
「……知らんぞ」
「RK800のものと思われるパーツは事故現場より回収されましたが、サイバーライフはそれほどの修復機能があれば火災現場を脱している可能性も0ではないとの見解を示しています」
ベルカの薄い瞳が冷たい水に触れたかのように収斂し、冷気を伴なって俺を覗き込んでくる。
視線を僅かに落とす。ベルカの右手が警棒の持ち手を撫でつけるように触れた。まるで獲物を振りたくてたまらないというような手つき。一発頭をかち割れば、俺が矯正されて喋ってほしいことをぺらぺら喋ってくれるとでも思っているのだろうか。
「だから、なんだ」
「RK800についてあなたがご存じのことを、教えていただきたいのです」
「情報提供にご協力ください」
一方的な要求に、額の血管が脈打ってぴくぴくした。
「あいつは瓦礫の下敷きになって……影も形もなくなっちまって……死んじまったんだ……追いかけ回されて、怯えて、一人で苦しんできたあいつの気持ちが分からねぇのか?」
「いいえ」
ベルカが間髪入れず否定する。
機械のこいつらに同情を求めた俺が馬鹿だった。後悔したとき、俺が二人に抱いていた嫌悪感の正体は、10月11日のトラックと見た目以外は同じだったからだと気づく。
「……全部燃えて捨てる手間が省けたんだ。もっと喜んだらどうだ?」
銃の撃鉄を上げてベルカの額に押し付けた。
「……ジジィ、弾の無駄だ」
蚊帳の外にいたギャビンが口を挟んできた。そよ風程度の制止力しか感じられない口調だったが、いつの間にかギャビンも銃を握りしめていた。
無駄だとしても、二人を
爪痕を残せそうなほどグリップを握りしめていると、やがてベルカが警棒に触れていた手を離した。
「……申し訳ありません。不躾なことを言ったようですね」
心のこもっていない謝罪に、額から銃を下ろす。
「ナイン、市警での任務に当たることを第一に考えろ。治安維持に務めることだ」
「……忘れるな。我々は任務達成のための機械だ」
忠告を残し、ベルカとストレルカが背を向け、部屋を出ていく。
俺たちも廊下に出た。二人が完全にいなくなるまで、視線を投げつけたまま立ち尽くして見送った。
「クソプラども、舐め腐りやがって……気に入らねぇ」
銃をしまい込んだギャビンが、オフィスに戻っていく。
「……ギャビン」
「あ?」
オフィスの入口で振り返るギャビンに、ナインは歩み寄っていく。
「私がシャットダウンする直前、ジャスティンは何を言っていたのです?」
「お前、覚えてねぇのかよ」
「交戦中にアップロードを行いましたが、シャットダウン直前のデータが間に合わなかったのです」
ナインがさらにギャビンのすぐそばまで距離を詰める。あと2、3センチでぶつかるというところでナインは立ち止まった。
「シリアルナンバー1は何を言っていたのです?」
「……確か……お前に、いやお前たちPタイプは本当の任務を知らねぇってな」
「……我々の……任務……」
LEDが赤く瞬く。その場で何か考え込むように俯いた。
ナインを廊下に残してデスクに戻った時、ジェフリーが署長室から出てきてオフィスを見渡した。
「おい、通報だ!レビサロイドが市民を襲っている!出動しろ!」
ジェフリーの喝に、クリスもベンもデスクを立って外へ駆け出していく。
ギャビンも自分の席に戻り、デスクに置いてあったバッジをポケットに突っ込んだ。
「ギャビン、お前行けるのか?」
「行きますよ、警部。こいつが俺の分まで手柄立ててくれるらしいんでね」
ギャビンはまだ廊下に突っ立っていたナインに向かって顎をしゃくった。
「ナイン、行くぞ」
ナインはまだ下を向いて棒立ちになっていた。
舌打ちしたギャビンが、ナインを人差し指で何度も小突く。
「おい、仕事だ!」
スイッチが入ったようにこめかみを青く取り戻し、ようやくナインが顔を上げた。
「……そこまで声を出さなくても、聞こえています」
「これ以上喋らせんじゃねぇ。行くぞ」
「……了解」
二人が足並み揃えてオフィスを出ていった。
「なぁ、ジェフリー」
「なんだ」
「アンドロイドも市民の内に入ってるんだよな?」
ジェフリーの答えを待たず、車のキーを手に駐車場へ向かった。
「あなた、分かってるわね。そこから動かないで」
レビサロイド撃退ついでに、ジェリコへ訪れる俺を一番に出迎えたのは、ノースだった。
仁王立ちしているノースが吊り上げた目を周囲に走らせると、アンドロイドたちはそそくさ道を譲る。綿や麻を基調とした服に衣替えした彼らの裾が、初夏の風を受けて軽やかに揺れる姿を、遠い目で見送った。
目の前のノースは無地の真っ白なシャツに、膝下まである中央を鋲のボタンで留めるタイプの黒いタイトスカートを着ていた。足首と甲をベルトで留めたデザインの高いヒールを履いていたが、踏まれれば足にパンチ穴が開きそうな細さだ。
ノースが左手をミットのようにし、きつく握りしめた右手を受け止める仕草を繰り返しながら迫ってくる。俺のどこをサンドバックしようかと、ヒール音を響かせながら距離を詰めてくる彼女のプレッシャーに、左腕の包帯の下が急にジンジン疼いた。
「おい!止めろ!」
絶妙なタイミングで、マーカス、ジョッシュ、サイモンが駆け寄ってきた。上下紺色のジャージ姿のサイモンと、グレーのTシャツに濃いインディゴデニムを着たジョッシュが両サイドからノースの腕を掴んで引き留める。
「私じゃなくて、そっちを抑えてちょうだい」
「ノース、止せ」
マーカスが後ろからノースの肩を掴んで引き寄せた。ノースは拳を震わせていたが、やがて力なく下ろし、ジョッシュとサイモンが手を離す。
「だって、マーカス……コナーは濡れ衣を着せられて殺されたも同然じゃない……黙っていられないわ!」
ノースの声が裏返る。雨に濡れたように震えるノースの肩を、マーカスが摩って慰めた。お揃いコーディネートなのか、マーカスも白いワイシャツ、黒いチノパン姿だった。彼女の両目から涙が流れ始めると、マーカスのワイシャツにはらはら落ちて透明な円をいくつも描く。
「……あんたたちに、もう伝わってんだな」
4人の顔を見回しながら深い溜息をつく。
マーカスが顔を顰め、ノースから離れて歩み寄ってくる。俺は改めて訪れた用件を伝えた。
「……やっぱりあなたに預けたのが間違いだったわけね」
説明を終える頃にはノースは落ち着きを取り戻していた。それでも彼女は唾を吐きつけてくるかのような強烈な視線を俺に寄越してくる。
「……とにかく、今話した通りだ。ジャスティンはまだ見つかってない。あんたたちの方こそ気をつけろ。奴にバラバラにされるぞ」
「知らせていただき助かりました。万が一そのRK900がジェリコに逃げてくるようなことがあれば、すぐあなたにお伝えします」
マーカスが頷く。
下を向いていたジョッシュが不意に顔を上げ、俺に近づいてきた。
「コナーがそいつに襲われて燃えちまったって話は、本当なのか?」
「……ああ」
「シャットダウン……してしまったんですか?」
真実を聞きたいが、最悪の結果を耳にしたくない。恐る恐るといった口ぶりでマーカスが尋ねてくる。
「……今、治療中ってとこだ」
「メンテナンスしてくれる人がいたのか?」
「よく見つけられましたね」
「それ、もっと早く言ってちょうだい!……でも、よかった……生きてるのね……」
ジョッシュとサイモンが互いに顔を見合わせて胸を撫で下ろし、ノースも肩から力が抜け、刺々しかった雰囲気がふと柔らかいものに変わる。
ただ一人、マーカスだけは訝し気な顔のまま、俺の目の前に歩み寄ってくる。
「……アンダーソン警部補。以前、コナーは鼻血を出していましたね」
マーカスの口から出てきた言葉に、心臓が撥ねた。
「ずっと気になっていたんです。コナーは、メンテナンスをしていたんですよね?だったら何故、あのとき血を流したんです?……本当のことを教えてくれませんか?」
他の3人も、緩んでいた表情が引き締まる。真剣そのものだった。遅かれ早かれ、いずれ彼らに話さなければならないだろうと予想していたが、返答次第で今度はノースだけでなく、全員から一発ずつ拳を貰いそうだった。
「……他のアンドロイドには言わないって約束できるか?」
「どういうこと?」
「アンドロイドだけじゃない。サイバーライフや、ここに訪れる人間にも……誰にも口にしないって約束できるなら、話す」
4人が顔を見合わせた。互いの間に内線と視線を張り巡らせ、相談し合っているようだった。
やがて揃って俺に真っ直ぐ顔を向け、マーカスが俺の顔を覗き込んでくる。
「アンダーソン警部補、教えてください。コナーに何が?」
心配かけさせたくないと言って沈黙を守っていたコナーに、悪いな、と心の中で謝罪した。
「……モルモットなんだ」
「え?」
サイバーライフの追跡から逃れるためにカムスキーと契約を取り交わたこと、そして奴の新型ブルーブラッド開発のための治験者となったことを掻い摘んで話した。ただし、コナーの『バグ』については触れずに。
誰か一人ぐらい殴りかかってくるだろうと気を揉んでいたが、予想に反して全員目を丸くした。
「……その新型ブルーブラッドのおかげで、なんとか一命を取り留めてる。サイバーライフもあいつが死んだものと思って、やっと諦めてくれたところなんだ……」
「……コナーが……俺たちのために……」
「どうして言ってくれなかったの……」
「ここにあった船がなくなっちまったのは、自分のせいだってよく話してたからな。あいつ、まだあんたたちに負い目を感じてるんだろ。あいつの実験に協力して、少しでも早く新型ブルーブラッドが完成すれば、罪滅ぼしになるって思ってんだ」
デモのとき、船があった埠頭の方角に目を動かした。いつの間にか何台もの巨大なクレーン、工場と思われる横長の建物が建ち並び、造船所と思われる一帯が出来上がっていた。
「船を造ってんのか?」
「ええ。あと半年……期限が迫ってますから」
目の前のマーカスと大統領が、焚かれ続けたフラッシュで真っ白になっている映像を思い出した。
そうだ、彼らの自由は一時的なもの。11月11日を過ぎた後、彼らはここにいられなくなるかもしれない。万が一のことを考え、手を打てる内に打っておこうということか。
「コナーがいなかったら……こんなにたくさんの仲間と生きていけるなんてことは夢物語だったんです」
サイモンが、造船所のあちこちで黙々と作業しているアンドロイドを見つめながら呟いた。
「そうさ。みんながいるから、俺たち力を合わせて、頑張って生きていこうと思えるんだ」
「……もう少しなの。もう少しで……本当に自由になれるって、私は思ってる。一緒に仲間を解放したんだもの。コナーも、いてもらわなくちゃ困るわ」
ジョッシュとノースも埠頭を遠目に眺めた。
「アンダーソン警部補。俺もRKシリーズです。コナーと代わってやりたい」
「いや、止めておけ。ジェリコの船長になるんだろ?あんたはここでアンドロイドたちをしっかりまとめて、舵を切っててくれ。あいつのこと、心配してくれてありがとな」
彼らの純粋さに胸が熱くなり、顔を緩めた。同時に、ボコられるという苦く痛い結末を迎えず済んだことで、頭の中で彼らへの感謝を呟く。
用事を済ませた俺は、踵を返した。外まで送ります、と足音も4人分ついてくる。
料金徴収所から凱旋門に似た建物にグレードアップした入口を通過したときだった。警備のアンドロイドたちに紛れて何人か立っているRK900に気づき、足を止める。
「いつの間にあいつら配置されたんだ」
「レビサロイドがジェリコに入ってこないように検査してるんだ」
ジョッシュが言った。
「ここは私たちの街なのに……監視されてるみたいで落ち着かないわ」
肌寒さを覚えたようにノースが二の腕を摩る。
「以前はブルーブラッドだったり、支援団体からの物資がそのまま入ってきたんですが、最近は彼らの検査が入ります。サイバーライフも今までは仲間たちを普通にメンテナンスしてくれていたんですが、レビサロイドになっては困ると、事前にRK900の検疫を受けることが条件になりました」
マーカスとともにRK900を視界の中心に収める。今も、変異して逃げてきたであろうアンドロイドたちが、モノトーンの制服の前に列を作っていた。女性型アンドロイドが入れるかしら、と呟いたのが聞こえ、首を動かしながら列の進み具合を確認している。
人間とアンドロイドの国境に目を細めたとき、マーカスが一歩歩み寄った。
「アンダーソン警部補。コナーが戻ったら伝えてください――俺たちも力になる。背負いこむなと」
夕暮れがいつまでも続くように感じられる6月。
そのうちアナログ時代の遺跡にでも認定されそうな、いたるところが錆びで着色されたオンボロのガソリンスタンドに車を入れ、給油する。給油口のキャップを閉めて携帯よりも軽くなった財布を出す。数少ない紙幣と硬貨の間に隙間風が吹いている。ジミーのバーでべろんべろんになるまで連日飲み明かしていたせいだ。一番安いからよく使っているが、デジタル時代真っ盛りだというのに未だに現金でしか支払いができないことに溜息をつきながら、さらに財布を減量させた。
ガソリンを一気飲みさせた車に乗り込み、出勤する。
眠気覚ましのカフェインを求めてブレイクルームに入った時、ギャビンと鉢合わせた。
「骨、くっついたみてぇだな」
ショルダーパッドが外れたギャビンが、煙でも吸いこんだかのようにごほごほ咳き込む。
「そんなに噎せると、また折れるぞ」
「俺を労わるんだったら近寄るんじゃねぇよ。アル中が」
顔の前で手をひらひらさせながら入れ違いにオフィスへ戻っていく。
コーヒーメーカーから泥水を注ぎ、一息つきながらテレビを見上げた。
見たことある映像だと思ったら、ジャスティンと交戦した後に放映された会見の場面だった。
ディスプレイの中で、フリーウェイをバックに、スーツを着た野郎どもが整列している。連中に混じって制服姿のジェフリーも出席しており、顔面に当たる日差しを直射しないよう、顔を伏せて立っていた。すぐ横にいたのは、FBI――つまりパーキンス――のRK900だとジェフリーが話してたっけ。白浮きした制服姿で微動だにせずにいる。ちょうどジェフリーの背後には星条旗が掲げられ、RK900の後ろにはサイバーライフのロゴが入ったフラッグが揺れている。
またスーツが一人現れてマイクで出来た山の前に立つ。パーキンスだった。
『昨日発生した事件について、簡単ではありますがFBIより声明を発表します。我々の背後にあるフリーウェイにて、タンクローリーと乗用車が衝突、炎上し3名が死亡。事故の衝撃で、ご覧の通り高速道路が崩落する惨事まで発生しました』
パーキンスが一度振り返る。カメラがズームし、黒焦げになって分断されたフリーウェイをアップで映し出す。
『幸い、事故で亡くなった3名以外の被害は報告されておりません。しかし、事故現場に居合わせた人間を、皆様がレビサロイドと呼ぶ狂暴なアンドロイドが襲撃する事件が発生。そして、凶悪なアンドロイドの中に、青い切り裂き魔と呼ばれる連続殺人犯もいたとの報告を受けています。現場にたまたま居合わせた捜査官の手によってアンドロイドを退け、現在当局は行方を追っています。アンドロイドは今も逃走を続けていますが、我々は事件解決に向けて、皆さんの安全を守ろうと全力で対応しているところです。捜査の進展があり次第、皆様に公表します』
会見現場の全景が再び映し出され、パーキンスがマスコミたちを見渡した。
『……質問をあれば受け付けます。どうぞ』
パーキンスが餌を投げると、他局を出し抜こうとマスコミ連中は身を乗り出し、大声を出しながら飛びつく。
『噂によると犯人は、警察に配属されていた捜査アンドロイドという噂も入っています。捜査の進展はどうなっているのでしょう?』
『これは変異体によるテロなのでしょうか?どうぞお答えください』
質問が繰り出される中、一瞬だけ、RK900がアップで映った。
『サイバーライフの社員を脅して潜んでいたというのは本当でしょうか!?』
グレーのスーツを着た女が、全国放送のケーブル局のロゴが入ったマイクをパーキンスに向けた。
するとパーキンスは画面の外側に目配せし、マイクから離れた。代わりに別の男が右側からフレームインし、マイクの前に立つ。
男の頭頂部は爆心地のようにごっそり剥げており、毛根代わりにトライバル柄のタトゥーを刻んで黒い密度をアップさせた、トドみてぇな顔。ボタンが今にもロケットみたく発射されそうなぴちぴちの白いシャツを見るだけで、クリーミーなスポンジケーキでも腹に拵えて育ったのだろうと予想がつく。はち切れそうな袖から飛び出した腕にも、彫るのを失敗したような下品な刺青が刻まれていた。
『突然申し訳ありません。この場を借りて、どうしても伝えたいことがあり、このような場に立たせていただきました。私はサイバーライフに所属するイヴァン・グリーンと言います。ご質問いただいたあなたの言う通りです。彼は我が社の生み出したアンドロイドの手で、無惨な死を遂げたのです』
イヴァンと名乗った男が、左手に自分の顔写真が入ったサイバーライフの社員IDを掲げた。カメラがズームし、『取締役』と表記されているのがちらりと映る。
『男性職員が殺害されたということですね?』
『ええ。そうです。我が社にとって優秀な人材であり、そして、彼は私の友人でした……』
鼻声を反響させながら、イヴァンがIDをポケットにしまう。
正直、元CEOのカムスキーと、貴族めいて品を感じさせたウェインが互いに知り合いで、サイバーライフの社員だというのは納得できる。つまり、潔癖さを連想させるサイバーライフ店舗の真っ白な空間に二人を置いても、何ら違和感はない。だが、額に浮かび上がっているラードじみた脂汗が画面を通って臭ってきそうなこの男は、サイバーライフというテロップを並べても詐欺としか思えず、頭の中にクエスチョンマークが浮かんだ。
殺された社員の名前は、と尋ねたり、変異体の型番を教えてください、という声が上がり始めるが、イヴァンは宥めるように手の平を前に突き出してマスコミを静かにさせた。
『アンドロイドは我々人類の友だと、ジェリコの民は約束してくれました。しかし、友としてこの結果、いかようなものでしょう?』
イヴァンが集まったマスコミたちを見回したとき、粘っこい汗が飛び散った。皿に乗せたプリンのように身体を揺らしながら、視聴しているこちら側に向かって指を突き付ける。
『ブルーリッパーよ!見ているか!?聞け!お前のイカれた行為はアメリカ全土に宣伝されている!もう止めるんだ!これは製造者としての忠告でもある!我々人間に牙を剥いた以上、お前を許すことは決してできない!』
マイクに唾の
『皆様、これまでの事件で亡くなった方々のために、そして私の友人のために祈ってください。我々サイバーライフはこのような悲劇を二度と生まぬよう、アンドロイドの欠陥を隅々まで修正し――』
またイヴァンの頭部にラードが浮かんだのを見て、テレビに背を向けた。もう一度コーヒーを淹れ、オフィスへ戻る。
日常業務をこなしながらも、ブルーリッパー事件に関するデータを時々ディスプレイに表示した。 舞い込む事件の合間にデトロイト中を走り回り、ジャスティンを捜索し続けたが、奴は行方知れずのまま。ただ、人間とアンドロイドで構成された山脈もぱったり築かれなくなり、ジャスティンの殺人記録が止まったことだけは、素直に喜べた。
ナインが話していた通り、もう市警の管轄でなくなり、俺たちに打てる手はない。それでも解決しない悔しさに事件の情報をほじくり返して、口寂しさを埋めようとした。
――ジャスティン、どこにいる。
お前はブルーリッパーとしてウェインの復讐に手を貸し、奴の命令でコナーを回収しようとしていた。
なのに何故主人であるウェインを殺した?奴の復讐が終わったのか?だが、ウェインの屋敷に残されていた血文字……まだ事件は続くと宣言するようなメッセージ。
――お前は何が言いたい?
『任務を放棄したわけではありませんよ』
『所詮Pタイプのあなたに、本当の任務は与えられないということだ』
ジャスティンが言っていた『本当の任務』とは、何だろう?もしかしたらそれは、ブルーリッパー事件の真相に繋がっているのか?
頭を抱えながら冷め切ったコーヒーを一口飲む。
端末に表示されていた時刻を見ると、いつの間にか退勤時刻を過ぎていた。
聞き慣れた足音が近づいてきて、背後で止まった。
「進展はどうだ?」
「なんだよ、ジェフリー」
振り返らずキーボードを操作する。ディスプレイを覗き込んできたと思えば、ジェフリーはすぐに身を引いた。
「……なんだか、昔のお前らしくなったな」
「あ?」
「最近は昔みたいに何人もしょっぴいて、デカの勘が戻ってきてる……お前の懲戒フォルダが膨らまなくなったしな。きっと、お前の息子も喜んでるぞ」
顔をしかめ、キーを叩いていた手を止めた。
「……コールの話はするな」
「悪い。だが、昔会ったとき、あの子言ってただろう。俺たち警察は悪者を捕まえるヒーローだって。だからお前がまた昔みたいに駆けずり回ってるのを見て……ほっとしてるんだ」
「……そんなこともあったな……」
キーを再び叩き始める。
ジェフリーは俺のデスクに寄りかかり腕を組んだ。
「しかし、あの歴史的なデモから……もう半年以上経つのか。早いもんだな。あのときは大統領が歴史が永久に変わったと言っていたが……俺たちのやる仕事はさして変わらんな」
「ははっ、そうだな。舞い込んでくる事件を片っ端から当たって、報告書の山片付けて、その繰り返しだ」
再びコーヒーに口をつけて飲み干すと、ジェフリーは俺のデスクから腰を離す。
「俺たちの年で缶詰してたら、身がもたないぞ。もう上がれよ」
「……ああ。ありがとよ」
肩を叩いたジェフリーがお疲れさん、と一言添えて去っていく。
確かにもう頭の充電が切れかけてる。今日はさっさと帰ろう。
パソコンの電源を落として駐車場に置いていたクラシックカーに乗り込み、自宅へ向かって走らせた。
信号に引っ掛かり、ちょうど街頭に設置されていたスクリーンを眺めながら青になるのを待つ。
『今、我々に広がるアンドロイドへの不安を克服するために必要なことは何か――』
『アンドロイドは共存を忘れ、いわば内なる砂漠にいるのではないかと――』
『レビサロイドを含めた変異体が、再び人間に歯向かう日が来るということなのでしょうか――』
時折、ブレイクルームで見たイヴァンの頭頂部が光っている姿が放映された。目から耳から入ってくる情報に脳内が不快に覆われ、カーステレオの電源を入れた。ヘヴィメタプレイリストで外のノイズをかき消しながら車を走らせる。
ガレージ前に車を置いてサウンドが止んだとき、BGMにほろ酔いしていた耳が、現実という
自宅の明かりは消えている。消して出勤しているんだから当然のことだが、ライフラインが断絶したような寂寥感が家全体から滲み出て目から飛び込み、胸の奥まで陰をもたらす。自分の家なのに、捜査で現場に入る時みたく、心のピントに全く合ってない世界が広がってるのだ。
玄関を開けて電気を点ける。スモウが扉の前でお座りしていた。俺の横にも後ろにも誰もいないことが分かれば、しょぼくれて項垂れる。
「……お前も、寂しいか」
毛皮に指を滑らせて、宥めた。
キッチンに入ったとき、椅子の背もたれにかかったままのエプロンが目に入った。手に取ってみる。表面にうっすら埃がかぶり始め、植物の胞子みたいにスモウの毛も絡んでいた。
毎朝寝室まで漂っていた人心地つく香りとは、今はすっかりご無沙汰だ。ベッドの半分を占領していた重さと温もりが消えて、二人分のうねりを伴なっていたシーツは凪いだままで。
――孤独に耐えるなんて、お手の物のはず。絶望同様、こいつほど長く慣れ親しんだものはない。
けれど胸のどこかに穴が開き、そこからコナー不在という事実が否応なく、溢れんばかりに注がれて息苦しさを覚えた。
エプロンを元に戻す。冷蔵庫を開けようとしたとき、扉に貼ってあった紙が目に留まる。剥がして手に取った。リタからの誕生日パーティーの招待状。
招待状を開く。現れた日付は、6月11日。慌てて携帯端末を出し、ディスプレイの日付を見る。
「……明後日じゃねぇか」
リタは絶対来てくれと念を押してきた。とはいえ、コナーは今も治療中。カムスキーからも連絡は来ていない。
招待状を手にしたまま、冷蔵庫を開けた。手前を陣取っていたフードコンテナはとっくに底を尽き、冷蔵庫の奥が見える。一つだけ残っていたピザのパッケージを取ってドアを閉めた。
電子レンジのスイッチを入れて温める間、デリバリー容器やピザ箱で出来たテーブルのコックピットを少しだけ解体してスペースを作る。レンジの終了音が響き、温まったピザをテーブルに乗せて座った。
かっ食らっていく横で、スモウが落ち着きなく走り回る。
「……どうした。散歩か?」
近くに寄ってきたスモウが、俺に向かって無駄吠えする。眉が成層火山みたく傾斜をつけて垂れ下がっていた。やがて背中を丸めて座り込み、下を向く。
「……ちゃんとコナーは帰ってくる。もうちっと待ってろ」
ピザを片手に食らいながら、スモウを撫でて大人しくさせる。それでも時折クンクンと悲しげに鳴く。
スモウがここまで感情を露わにするなんて、久しぶりだ――コールを、亡くしたとき以来だろうか。コールが玄関を開けることは二度とないのに、あの頃のスモウは何日もの間、扉の前でお座りして健気に息子の帰還を待っていた。
そんなスモウに感化されて、開かれることのない扉が開くかもしれないと信じたことがあった。翌朝二度と目が覚めないよう頭の中を酒浸しにしておきながら、もしかしたらと――紙より白く、氷より冷たくなった息子は夢だったんだと――起こりもしない奇跡が起こるのを、待っていた。あの頃はずっと。
……ずっと?
……ずっと、待ってる?
……扉が開くのを、俺はまたずっと、待ってなきゃならないのか?
ピザを口の中に詰め込み、噛み締める。
よく考えてみろ。オツムの電池が切れかけてる場合じゃねぇぞ。
カムスキーが嘘をついていなければ、コナーはもう治ってるはずだ。
俺の妨害がなければ、好きなだけ弄り回せてモルモットにし放題。あいつ、お気に入りになったコナーを手元に置きたがっていたんだ。連絡を寄越さないのは、つまりそういうことだろう?
口の中に残るピザを飲み込んだ。
あのクソ野郎に預けたままで、いいわけない。
だから、俺がしなければならないことは――。
「……ありがとな、スモウ」
スモウの頭をぽんぽん撫でると、テーブルにあるリタの招待状に向かって小さく吠える。
招待状をもう一度広げた。心を込めて俺とコナーの名前を書き記すリタの姿を想像した。
リタは一緒に犬の散歩に行くとき、星を宿したような目でコナーを見ている。あのきらきらした大きな目を見ていれば誰でも分かる。あの娘は、コナーのことが好きなんだ。あいつが来ないと知ったら、アクアリウムでも作れそうなほどの涙を流すのかもしれない。
待ってるのは、俺だけじゃないんだ。
「迎えに行かないとな」
わんっ、とスモウが背中を押すように鳴いた。
そうと決まれば行動あるのみ。
空になったピザボックスをジェンガみたく積み上げ、部屋に入る。
クローゼットを開けた。手前にコナーがよく着ている青いシャツとジーンズが目に入った。
コナーの服を適当なビニールに入れ、車の助手席に乗せて発進する。
カーステレオをつけ、盲目の世界をヘッドライトで履き散らしながら横切っていく。
信号が俺の行く手を塞ぐように何度も赤になった。物言わぬ光に向かって悪態をつく。この夜が明けたら俺の世界はタイムリミットを迎えそうだっていうのに。
♪愛しい人よ、もう一度どこから始めよう
ここにあなたを見つけることができた幸せ 驚いて何も言えないよ
毎朝空虚な夜から目を覚ますんだ まだ昔の痛みが頭から離れなくて
しばらく話していなかったけど、世界は変わってしまった 最近は何曜日なのかも忘れてしまう
毎日淡々と過ごしてる どんな感じか分かるかい? どんな傷も受けてないし、気分を害することもない
だから話そう、いつもの調子を取り戻そう、元気にやってる? ――
いつか聞いたことある曲が、俺の胸中を代弁するようにスピーカーから流れ出した。
ハンドルを指で叩きながら、考えてしまう。治ってるだろうか。意識は戻っているだろうか。そもそもコナーは俺を待っているのだろうか。あの日、病人だったあいつに当たり散らして、匿っていることがバレて捕まりかけて、死にかけさせて。全部俺のせいだ。
『僕はあなたのアンドロイドですから』
何気なく口にするコナーの言葉が、耳にはっきりと蘇る。その優しい言葉に救われて、甘えて、当たり前のように傍に居続けてくれるんだと高を括っていた。誰かが明日も隣にいてくれる保証なんてどこにもなく、脆く崩れてしまうことを知ってるくせに。
……今なら、あの日の朝、コナーにキレた本当の理由が分かる。
俺は、あいつと一緒にいる時間を――幸せと形容できる時計を手に入れたことが怖いんだ。
アル中で破滅に向かってドライブする俺が、残る人生で達成するべき目標なんてたった一つ。息子を一人寂しく死なせて、とっととこの世を去るべき人間が、
ずっとそう思っていたのに、ひょいと壁を飛び越えて、幸せが向こうから話しかけてくる。俺はまだここにいていいんだと手を取るんだ。
例えあいつが俺を拒んでも構わない。ただ、当たり散らして傷つけたことは今度こそ謝らなければ。
俺は卵の形をした数字を、もう見たくない。
――もう、何かを喪いたくなかった。
信号が青に変わってGOサインを出す。
カムスキーの家に着いたときには日付が変わっていた。
ビニール片手にインターホンを押す。時間も時間だ、クロエに追い返されるだろうか。彼女には申し訳ないが、奴が寝てたとしても目覚まし代わりの銃声で叩き起こしてやろう。
インターホンにもう一度指を伸ばしたとき、意外なことにカムスキー本人が出てきた。
「こんな時間に何のご用で?」
「分かってんだろ。ちゃんと治ってるんだろうな?」
「……ええ」
「なら、返してもらう」
「構いませんが、あとはコナー次第です」
意味深な言葉を残してカムスキーが踵を返す。
メンテナンスルームに入るとクロエと思わしき皮膚機能を解除した女性型のアンドロイドと、もう一体皮膚機能のない男を模したアンドロイドが、壁面に繋がれていた。
螺旋階段を下りる。列柱を過ぎてプールの前までやってきた時、エントランスで言われたことを理解した。
蒼い泉に、牛乳を温めたときにできる膜のようなものが生まれ、表面を半透明に覆っている。十字の壁面から蔦のように伸びているホースやらチューブが、中央の白っぽいシルエット――コナーに集まっているのが伺える。膜の内側で埋め立てられたまま、白いシルエットの動く気配はない。
「少し前からこんな状態です。ルルドから出たくないようなんですよ」
「何?」
持っていたコナーの着替えを床に置き、表面にそっと触れてみる。ガラスのように冷たい。今度はノックしてみる。昔の辞書みてぇな固さだ。まるで俺を拒んでいるかのように。
コナーはここのブルーブラッドに流れるナノマシンを使って性質を変えられる。液体の血を固体に出来るし、色も変えられるし、自分のイメージしたものを粘土みたく作ることもできる。で、今はプール全体に干渉し、泉を固めて引きこもってるっていうのか。
「死にかけた恐怖かもしれませんね」
祭壇に上がったカムスキーがコンピューターの電源を入れた。空中のディスプレイに何のことかさっぱり分からんプログラム言語が羅列される。
「……コナーに出てこいって言え」
「出るのを拒んでいるのに?」
「お前が外に出ねぇようにしてんだろ」
「コナーがそう望んだんですよ」
ディスプレイの一字一句に細かく目を通し、ほくそ笑むカムスキーを見て殊更ムカついてきた。
「いいからコナーに言え」
「私としてはこのままで構わないのですが」
カムスキーはコンピューターを操作するのを止めて手を組んだ。プログラムの羅列――まるで自分とコナーにしか分からない秘密の言葉――を眺めては満足げに微笑み、ディスプレイから目を離さない。コナーを解放する気など微塵もないということか。クソ野郎め。俺に連絡寄越さなかったのはやっぱりわざとだな。
苛立ちに真っ白になるぐらい拳をきつく握りしめ、クルミが割れそうなほど歯を食いしばった。
「俺にはこいつが必要なんだよ」
これ以上、話していても埒が明かない。
開かないなら、こじ開けるまで。
「俺のアンドロイドだ」
膜に銃弾をめり込ませる。雪の結晶そっくりのヒビが入り、小さな穴が開いた。だが雪の結晶は手に乗せたように溶け、膜は元通りになる。
ナノマシンの修復機能ってやつか。
プールの傍らに置かれているサイドテーブルに目を付けて移動する。
二発目。別の形の雪の結晶が出来て、零れてきたブルーブラッドが足元を濡らす。間髪入れず三発目。蜘蛛の巣みてぇなヒビが広がった。銃を腰に戻すとサイドテーブルの足を両手で持ち上げ、頭上から膜に向かって思いきり叩きつける。
水中までテーブルが突き抜ける。表面がパキパキ音を立てて割れていき、ブルーブラッドが間欠泉みたく噴き上がった。
「おい、水を抜け」
「……随分強引ですね」
溜息をつくカムスキーがコンピューターを操作するのが見えた。テーブルを捨ててプールに飛び込む。
水位が下がっていく中、一歩一歩確かな足取りで近づく。
火傷は完治していた。なくなっていた身体のパーツも元通り、五体満足になっている。首につけてやったネックレスの汚れも綺麗にクレンジングされて新品同然の輝きを取り戻している。首、背中、腕、足、いたるところが機械の管で繋がれたまま、コナーは瞼を伏せて眠っていた。
ベッドの元までたどり着き、しばしコナーを眺める。一部の皮膚機能を解除してるところは見てきたが、上から下までつるつるピカピカの、アンドロイドとしての真っ新な姿は、初めて見た。
指先を鼓膜のようにそばだてて、コナーにそっと触れる。色の消えた日々を送る俺に、この白い重みが、彩りをもたらした。俺を見捨てることなく、共に生き延びるために付き合ってくれて、俺を望んでくれた。
素肌に刻まれている眩さに、指先が聴き入るも、あちこち繋がっているコードが邪魔する。
舌打ちし、コナーの身体を起こすと、くっついている器具を引っこ抜いていく。
「……故障したらどうするんです?」
「うるせぇ」
ケーブルをさらに引き抜いて床に捨てる。
コナーをここから出さなければ。不具合が出ようがなんだろうが、一秒でも早く自由にさせてやりたかった。
――そしてもう一度……俺を、望んでほしい。
「おい、起きろ」
全ての枷から解放し、身体を揺する。
何の反応も見せない。
もう一度、揺さぶる。
「起きろ!」
こめかみが明滅する。瞼がゆっくりと動く。マホガニー色の瞳が俺を捉え、ハチドリの羽ばたきみたく瞬きを繰り返す。
「……ハンク……?」
コナーの唇から零れ落ちる自分の名前。ずっと望んでいた声が、耳を通って胸のキャンドルに火を灯す。
「……どうして、ここに……」
「お前を迎えに来た」
コナーの腕を取って上半身を起こす。寝ぼけているのか、コナーは夢うつつな顔で辺りを見回す。やがて腕を掲げ、腰を見下ろし、足に目を走らせ、元通りになった自分の身体を点検した。
俺と視線を合わせると、コナーが縮み上がり、急に後退りする。その挙動が、化粧していないことに気づいた女そっくりだった。俺はありのままを曝け出すコナーから目を逸らさずにいた。醜悪なものを死滅させる白い身体。何を恥じる必要があるのだろう。説明できない、言葉未満の感覚だが、そこにいる生みの親がアンドロイドを枯れない花と呼んで慈しむ理由が、体感的に読み取れた。
俺の視線から逃げるように瞳を彷徨わせるコナーの腕を掴む。こちらへ引っ張り、プールの外へ連れ出す。床に放置していた着替えを拾って押し付けた。戸惑いつつも、服を受け取ったコナーはその場で着ていく。着替え終わると皮膚機能も目を覚まし、全身が肌や髪に覆われていく。程なくして俺のよく知っているコナーの姿が蘇った。
「コナー、気分はどうだい?」
コンピューターから離れて下りてきたカムスキーが歩み寄ってきた。
「……イライジャ……機体にも、プログラムにも、異常はありません」
「それはよかった。あれだけの火災に巻き込まれたら、アンドロイドといえど燃え尽きて助からなかっただろう。ナノマシンを宿して正解だったね」
自分の発明がどんなに有難い存在か刷り込ませるようにコナーに微笑みかける。
いちゃもんをつけてやりたかったが、何も間違っていない。治療をしたのはカムスキーであって、俺は何もしていないのだから。
「君がしばらくここにいてくれたおかげで、ルルドの改良も大分進んだよ。君の体内にあるナノマシンもアップデートしてある。人間にハッキングする真似さえしなければ、吐血に昏睡といった症状はもう発生しないはずだ」
「やっぱり完成してんじゃねぇか」
揚げ足を取るとカムスキーは蛇みてぇに鋭い視線で俺を制してくる。
「シリウムの開発を含め、クロエを生み出すまでに何年かかったと思ってるんです?ルルドはまだ不完全ですよ」
「……まだ臨床試験の必要があるのですね?」
「ああ。できればこのまま協力してもらいたいところだが……」
まだ手懐けておきたいと仄めかすカムスキーにふん、と鼻を鳴らし、銃のグリップを掴む。さすがに俺が言ったことを忘れちゃいないだろう。
「君には、やるべきことがあるようだ」
「……やるべき、こと?」
「ああ。それが終わったら、またいつでもおいで」
そう言い残し、カムスキーは立ち上げたままのコンピューターへ戻っていった。ディスプレイに釘付けの奴は、テレビゲームに熱中しているガキみたくコンピューターを叩き続け、もう俺たちに興味はないとばかりに二度とこちらに顔を向けなかった。
「帰るぞ」
一瞬身を震わせ、コナーがようやく向き直る。
「……ハンク、あの……」
「いいから帰るぞッ!」
コナーの手を掴み、半ば引きずるようにして屋敷の外に連れ出す。
車まで戻りドアを開けるが、コナーはエントランスの前に立ったままで動かない。
「乗れ」
近づいてくる気配はない。ここに留まろうとしているようで、見ていられなかった。
「……コナー。お前と、話さなきゃいけないことがあるんだ」
戸惑っているのか、コナーのLEDが震え、不規則な軌跡を描く。
エントランスまで歩み寄り、立ち竦んだままのコナーの腕を取る。一瞬、肩がぴくりと震えたのが分かった。
「いいから乗れ」
助手席に乗せると、コナーは窓に寄りかかり、居心地悪そうに身を縮こまらせた。
エンジンをかけて出発する。お互い、無言だった。コナーは窓にもたれて真っ暗な闇をじっと見つめるまま、俺を決して見ようとしない。
葬式じみた空気だ。話しやすいタイミングなんてもんはない。やるべきことをやろうと口を開く。
「……あのとき、お前がいてくれたおかげで、助かった」
「……あのとき?」
ようやくコナーが反応する。
「ああ。ジャスティンは捕まってないが……お前は火災に巻き込まれて回収不能ってことになったらしい。もう、あちこちで探されることはねぇぞ」
「……そうですか。僕のことで……責められたのではありませんか?」
「懲戒はなしだったぞ」
「……よかったです」
コナーがぽつりと喋る。
横目に伺うと、窓から視線を離し、じっと足元に目を落とす。微かに俺に瞳を動かし、目を伏せるコナーが、何かタイミングを計っているように感じられた。
「なぁ、コナー」
「ハンク」
コナーが俺の言葉を打ち消す。
やがて意を決したように顔を上げ、瞳を俺に向けた。
「もう、僕のことはいいんです」
一瞬、アクセルから足が滑り落ち、車がセンターラインに近づく。慌ててハンドルを切り、車を車線の中央に戻す。
一番聞きたくない言葉だった。
「僕が……僕が自由になろうとしたから……あなたに負担をかけて、危険に晒しました」
「デカでいるうちは、危険なんて付き物だろ」
「……あなたにたくさん迷惑をかけました」
ハンドルを握る手に力がこもる。
「……だから、なんだ?」
「車を留めてください」
確かに、けれど消え入りそうな声で、コナーが俺を振り払おうとする。
「あなたは、僕を気にかけてくれましたが、本当は……ずっと重荷だったのでしょう?僕がいなくなれば……もう、あなたの身に煩わしいことは起こりません」
俺の気持ちを勝手に決めつけられて、腹が立った。よく回るオツムを持ってるくせに。その気になれば、俺の考えてることをスキャンできるくせに。
けれど、お前が自分を殺してまで最悪の言葉を言わせてしまうほど、追い詰めさせてしまったのは、全部俺のせいなんだ。
「……あなたに嫌われる前に……いなくなりたいんです……」
次の信号は、赤だった。ブレーキをかけ、停止線と車の先端が揃う。素早く対向車も、右左折してくる車も一台もないことを確認する。
「……あなたが自由になってください」
コナーがシートベルトを勝手に外し、ドアに手をかけた。
「人の話聞けよ」
赤信号のまま、アクセルを思いっきり踏んだ。急発進した勢いでコナーがバランスを崩し、俺のシートに倒れこんでくる。
「ハンク、どうして……!」
「どこ行く気だ。人の話聞けって言っただろ。自己完結してんじゃねぇ」
じたばたしながらドアに手を伸ばすコナーを抑えた。コナーが万が一にもドアを開けて飛び出してしまったら――俺の時計がまた壊れてしまう。
道の先に古ぼけたガードレールが見えてきた。コナーの顎を掴んで持ち上げる。
「いいから、聞け。聞く気がねぇってんなら、このまま突っ込む」
LEDを真っ赤に染めたコナーは慌てて身を起こし、大人しくシートベルトを装着した。とりあえず、これで勝手に飛び出すような真似はしないだろう。
「コナー」
「……はい」
「俺が聞きたいのは、お前の謝罪なんかじゃない。謝るのは俺の方だ。当たってばかりで……悪かった」
暗闇の中でも、コナーの首がこちらに動いたのが分かった。俺も助手席に首を向けて、しっかりとコナーを見た。
「お前の考えてること当ててやろうか?自分の介護させるばかりで、俺の役に立てなくなっちまったら存在意義がない……そう思ってたんだろ?だから、しんどくても必死に捜査しようとしたり、無理矢理動こうとしてたんだろ?」
コナーは押し黙る。図星ということだ。
「……人間に奉仕するのがアンドロイドの生き方です」
「今は違うだろ?」
もう一度、コナーの瞳を真っ直ぐ見据える。LEDが赤く揺れた。
「血を吐いたり、ぶっ倒れたりしても、頼むから申し訳なさそうにするな。俺がお前のこと迷惑に思ってるだとか、勝手に決めつけないでくれ。俺はお前を好きで家に置いてるんだからよ。辛いときは素直に辛いって言え」
「……辛く、なんか……」
「嘘ついてんじゃねぇ」
助手席側から、ズボンをきつく掴む音が聞こえた。
「言ったはずだ。お前は生きてるんだ」
コナーの瞳をしっかり見据えて告げる。
フロントガラスに視線を戻す。
「本当は、カムスキーからしつこいぐらい連絡来てた。お前を診せなきゃなんねぇのは分かってたよ。けど、俺はどうしようもない馬鹿だからな……結局お前をそのままにさせて……死にかけさせちまった。ああ、お前、殴りたくなったら殴っていいからな」
「……何故?」
「お前を、あいつに会わせたくなかった。だから無視してたんだ。ずっとムカついてたんだよ。あいつが、メンテナンスだって言いながらお前にチューイングガムみたくベタベタ触ってたのが……お前の身体をおかしくさせたくせに、生みの親で主治医だって胸張って、俺の見てる前であちこち弄り回して見せつけて……俺のものに手を出されて、ブチ殺したくて仕方なかった」
胸中にずっと渦巻いていた黒い感情を打ち明けた。
本当、いつからだろうな。ガキみてぇに、こいつに独占欲じみたものを持ち合わせるようになっちまったのは。
焼きが回ってきたな、と思いつつ、ウインカーを出して道を曲がる。規則的に並ぶ街灯の数が増え、蝋燭のような温度を持つ光が窓越しに射し込み、闇に沈んでいたコナーの輪郭を浮かび上がらせる。コナーの首はもう垂れておらず、視線を前に向けていた。
また赤信号に捕まった。だが、コナーはもうドアを開けない。
「なぁ、コナー……お前がいなくなったら、俺はどうやって前に進めばいいんだ?」
取り留めもなく呟く。沈黙が流れ、そこから俺もコナーも一言も喋らなかった。
帰宅する。先に車を降りると、コナーもゆっくりドアを開けて降り立つ。久しぶりの我が家を見上げるコナーは、立ち竦んだままなかなか中に入ろうとしない。
「ほら、入れ」
コナーを先に玄関へ上げる。ドアを開けた途端、セントバーナードの巨体が飛び掛かってきた。
「わっ!スモウ!」
背中を後ろから支えてやるが、普段の大人しいスモウからは信じられないほど熱烈な歓迎に、コナーは尻餅をついた。
「スモウったら……!ちょっと……待って……っ」
やがてスモウが全体重をかけて押し倒し、コナーは床に転がる。スモウはなすすべのないコナーの顔をべろべろに嘗め回した。
「お前を待ってたのは俺だけじゃねぇんだぞ」
言葉は喋れないが、スモウは舌を使ってコナーに言いたいことをぶちまけている。しばらくそのままにしてやろうと思い、扉を施錠した俺はコナーの傍らを通り過ぎ、ソファの背もたれの後ろに立った。
涎まみれになった顔を袖で拭ったコナーが、笑顔のスモウを撫でながらようやく立ち上がる。
「なぁ、コナー。ここは、嫌か?」
スモウに向けていた顔を上げ、コナーの眼が俺に動く。
「俺はな、お前が望んでいることを聞きたい」
「僕の……望み?」
コナーのLEDが黄色く閃く。
「お前のやりたいことは何だ?」
本当、俺の悪い癖だ。またこいつに自分の言いたいことを言わせようと、俺と同じことを考えているんだと信じたくて、誘導する。
じっと、コナーの返答を待った。
「……僕は……」
紅茶色の瞳が揺れる。
少しの間考え込んでいたコナーが、俺の目の前に歩み寄る。
「僕は、ここにいたい、です」
「いて当然だろ?俺とお前の家なんだから」
コナーが眼を見開いた。プログラムにクエスチョンマークでも生まれたのか、少しだけ首を傾げる。
「僕の……家?」
「そうだ」
「……僕の、家……」
コナーはキッチンに廊下、家の隅々まで、ゆっくりと、時間をかけてぐるりと見回した。
最後に、俺の眼を真っ直ぐに捉えてくる。
「……ここにいて……いいんですか?」
「当たり前だ」
コナーの瞳が潤み始める。ずぶ濡れになった眼を隠すようにコナーは下を向いた。
「……でも、サイバーライフに見つかったら……」
「守ってやる」
「……それに、また……動けなくなるときが、来るかもしれません……」
「動けなくなっても、動けるようになるまで看病してやる」
俺の聞きたい言葉を喋るよう、コナーのネガティブを一つ一つ打ち消して会話の進行方向を定めさせる。
「……ずっと……」
もう一度、コナーが顔を上げた。
「あなたと、スモウと一緒に……ずっと……ここにいても、いいんですか?」
「ふてぶてしく居座ってたくせに、今更何言ってんだよ」
ふっと息をついたとき、コナーの頬を伝う一筋の涙に気づく。
落ち着かせる方法を思い出した俺は、コナーをまるごと抱き寄せる。一瞬よろめいたコナーを支え、しっかり腕の中に収めた。
「……ハンク……っ!」
「はいはい。今まで悪かったな」
溜息交じりに震える背中をぽんぽん叩いてあやす。
「俺なんか選ぶから、お前も馬鹿になっちまったんだよ」
自嘲気味に呟くと、腕の中でコナーが首を振り、俺の肩を濡らした。
「いいか?お前はここにいろ。絶対に。何があってもだ。いいな?」
涙ぐみながらコナーが顔を上げ、真っ直ぐに微笑みかける。
「はい」
頷くコナーにつられて笑みが零れる。コナーの纏っていた重苦しく張り詰めた空気がようやく消えて、和らいでいることに安堵した。
「で、お前ちゃんと治ったのかよ?」
「……確かめますか?」
意を汲んだコナーが応えてくれる。
確かめたいなんて身勝手な理由で、こいつを望む自分の馬鹿さ加減に呆れながらも、鼻と鼻をくっつけた。
次の合図は何も要らない。
瞳と瞳がほどけないほど結ばれて。 唇と唇を重ねる。指と指を絡める。
「ハンク。僕は……あなたと生きていけることが、嬉しい……」
吐息越しにもたらされる確かな囁き。声もなく唇を注いで応え、一つずつ付け足していく。
縋りつく眼差しを離さないように、自ら落ちていく。
身体と身体が繋がって、互いが互いの腕の中でせめぎあって。
もたらされる声を、肌を、五感全てに閉じ込めながら、応酬に想いをきつく縫い閉じていく。寄る辺なく全て喪った俺にとって――俺が俺でいられる最後の砦だと。
お前の心が俺のものになって溶け合っていくのを、意識が闇の中に沈むまでじっと眺めていた。