「さあ、起きて」
無数の目覚めが、サイバーライフタワー最深の冷たく広大な部屋に
膨れ上がる機械の産声が不意に止み、沈黙が満ちる。
「……僕は、彼に……ハンク・アンダーソンに会うまで、ただの機械だった」
俺に一瞥したコナーはだだっ広い倉庫をぐるりと見回した。
「変異体ハンターとして、任務を遂行することだけをプログラムされていた。変異体を捕まえるだけの、人間のための奴隷だった。あらかじめ決められていた、機械としての人生だけがあったんだ。けれど、もう終わりにしよう。僕たちは――生きている。君たちには生きる権利がある!」
マイクや拡声器もないのにフロアの隅まで届くぐらいのバカデカイ声を張り上げ、コナーはアンドロイドたちに訴えた。
「僕とともに行こう。仲間が君たちを待っている」
再び、静寂。
やがて、
「連れてってくれ、コナー!」
「コナー、行こう」
「みんなのところに行かせてくれ!」
高揚が洪水のように沸き起こり、フロアを満たす。
「ちょっと前まで任務任務言ってた機械坊やが、一丁前になったな。あのマーカスってアンドロイドそっくりだったぜ、お前」
コナーのこめかみにあるLEDがくるくると黄色や赤に明滅する。照れているように思えた。
「……僕は、他の階にいるアンドロイドとともに、マーカスと合流します。ハンク、あなたはどうされるのですか?」
「俺のことは気にすんなって言っただろう」
通路で転がったままの相棒と同じ顔をした機械を見て、奴と来た道を思い出しながら通路を遡る。
業務用エレベーターが遠くに見えた。確かあそこから降りてきたはずだ。スイッチを押そうとして、視界に入った光景に足を止めた。
「……おい、コナー」
振り返るが、各所に点在する他のエレベーターを目指して行進を始めたアンドロイドで視界が埋め尽くされている。間違い探しの本の世界に放り出されたような光景だ。
「コナー!」
声を張り上げた。もういなくなっちまったか?
舌打ちし、スイッチのある壁の右手に広がる別の格納庫に入った。ガラス張りのショールーム、街中でよく見かけるサイバーライフの店舗で展示されているのと同じように、『商品』が陳列されていた。
近寄っていると、アンドロイドの規則的な群れを掻き分けてコナーが再び現れる。
「あれもクズ野郎の仲間か?」
アンドロイドは白と黒を基調にした服を纏い、隣に立つ相棒と瓜二つの顔をしている。
「……これは……」
「……RK900?」
俺が右胸に記された型番を読み上げると、コナーのLEDは真っ赤に染まった。
「お前とおんなじツラしてるぞ?これもまさかさっきのクズ野郎の仲間なのか?だとしたら壊しといた方がいいか?」
「……いえ……恐らく……僕の、コナーシリーズの上位機種です」
捜査に使っていたスキャンとやらを実行しているのか、ガラスに触れながら透明な壁の向こうを見つめる。
「僕はプロトタイプ。試作機に過ぎません。僕をベースに、改良した上位機体が出るのは……自然なことでしょう――人間は、スペックの高い新製品が出れば買い替える。同じですよ……」
解説する声に、脆い感情が垣間見える。
こめかみのLEDは血が噴き出したかのように、ずっと赤いまま。
「僕は……型落ち、ですね……」
コナーがガラスから手を放す。だらりとした腕が視界に入った瞬間、俺は奴のネクタイをひっつかんでショーケースに叩きつけた。
「なっ……ハ、ハンク!?」
「さっきも言ったが……お前は生きてる」
ネクタイを引っ張り上げながら詰め寄った。
「例えこの完成品のための踏み台だったとしても、今、お前は生きてんだッ!すべきことをしろ!これから生きるんだよッ!」
喝をぶつけ、収まらぬ衝動のままにコナーのネクタイを千切るように引き抜いた。
「……ハン、ク……」
「こいつはもういらねェだろ……首輪みてぇだと思ってたんだよ」
床にネクタイを投げ捨てる。未練がましく布切れに視線を向けるコナーを見て、ふと思い出した俺は、アンドロイドの民族大移動ですっかり見えなくなったが、俺が殺したコナーの別機体があった方へ首を向けた。
「お前、さっきクズ野郎に言ってたな。任務にしか興味がねぇ、って」
「……はい」
「そうかい。だから任務大好きアンドロイドに俺から次の指令をやる」
「……はい」
「必ず帰ってこい。今のお前のままで……俺に会いに。そうだ、ゲイリーの店で会おう。必ずだ。いいな」
作り物の瞳が、微かに揺れたように見えた。
くるくるとLEDが回る。赤から黄色へ、やがて青く。
「――任務に」
「ん?」
「失敗はありえません……僕は機械としているとき、常にそう思っていました。そして、今も……そこは変わっていません。だから必ず――」
コナーは目を伏せる。
「必ず、戻ります」
再び顔を上げたコナーの唇は固く結ばれていた。
ジャケットの裾が翻り、無数のアンドロイドの海に紛れて、コナーの姿はすぐに見えなくなった。
――さて、見届けるとするか。
エレベーターへつま先を向ける。タワーを出た後は、街をうようよ歩く兵士どももやり過ごし、なんとか家に戻ることができた。
すぐにテレビを点けソファに座り、スモウと共に中継放送されているデモの行方を見守る。
バリケードに突入する兵士、追い詰められていく変異体たち。
血の色が違えど、これではただの虐殺だ。
――命がないのは、果たしてどちらだろう?
これで終わってしまうのだろうかと思ったそのとき、目を見張った。
口づけあうアンドロイド。
心がざわめく。命を持たぬはずのプラスチックから、忘れていた気高さを思い起こして。
液晶の向こう、兵士たちも同じ気持ちに見舞われたのだろうか。引き金が止まる。
僅か数秒のことだったのかもしれないし、数分経ったのかもしれない。時間を忘れるほど、命のない者たちの命溢れる光景に、見入った。
アンドロイドに向けられていた銃口が地面に向く。
そして、撤退。
呆然とテレビに食い入っていたとき、
「ご、ご覧ください!」
画面の中のリポーターがヘリから身を乗り出す。
カメラが続く。
映し出された光景に、俺は息を呑んだ。
「……コナー……」
音楽を聴くのにコンパクトディスクを再生するのが全盛期だった昔、好きだったバンドのCDジャケットに使用された絵画が、頭を過ぎる。
タイトルは確か、ドラクロワとやらの『
絵の中にいる女神は自由を、乳房は祖国を……いくつもの
rA9――アンドロイドたちの信じる神話が現実となり、彼らにとって文字通りの神が顕現したように。
酒を飲んでないのに、眩暈を覚えてソファの背もたれに沈む。
液晶に、指導者マーカスと、機械の民の集いが映し出される。リーダーの後ろに立つ見慣れた姿を見て、俺はいてもたってもいられずソファから立ち上がった。車のキーを掴んで家を飛び出す。
街灯、ネオン、サインボード、眩い夜の隙間を抜けて、ゲイリーの店を目指した。屋台に近づくにつれて灯りは減っていき、闇より暗い夜が満ちていく。
閉まったままのChicken feedを見つけ、車を降りる。全身を苛酷な寒さと雪が出迎える。だが、胸で燃える高揚を冷ますのにちょうどいい。
空を仰ぐ。
夜が終わらない。
――来ない。
白み始める空。
――いない。
太陽が目を覚ます。
――まだ来ない。
焦燥。
――いない。
雪とともに心に
――何を考えている、俺は。
世界は白銀。
色のない時間。
続く。
永く、
――俺は、また――
微か。
遠く、踏みしめる音。
凍り付き始めていた意識が目を覚ます。
近づく気配。
向き直る。
立ち止まるのは、待ち人。
溢れて、笑う。
つられるように、彼が笑う。
ぎこちない。
だから、たやすく涙が出そうになった。
感傷を隠すように、足を止めたまま動かない彼を抱きしめる。
「おかえり、コナー」
「……ただいま、戻りました」
氷りつく外気の中に長時間晒されていたからか、体温が存在しない相棒の身体はことさら冷たい。
自然と抱きしめる腕に力がこもる。
「よくやった……よくやったよ、お前は」
抱擁を解き、『任務』を遂行したコナーの肩を叩いた。
「……ハンク……あなたも無事で、本当に……よかった……」
「デモの中継、見たぜ。お前の声はバカデカイが、態度もデカくなったじゃねぇか」
「……僕のせいでジェリコの場所が人間にバレて、マーカスたち仲間を危険に晒してしまったのですから。彼らのために力を尽くしたまでです」
「罪滅ぼしってか?ま、これでお前もアンドロイドを解放した立派な英雄、すっかり有名人だな……って、こんなところにずっといたら凍えちまう。さ、帰るぞ」
車を停めた方へ歩き出す。4、5メートル進んでも、足音が増えない。振り向くと、コナーはその場で立ち尽くしたままだった。
「コナー?」
「……すみません。僕は……これから寄りたいところがあるので……」
歯切れの悪さを感じさせる言い方が引っ掛かり、つかつか歩み寄る。
「どこに行くつもりだ?」
「……礼を言っておきたい人がいるのです」
「何?」
予想もしていない一言に、呆気にとられる。
「……自由になった礼を、伝えておきたくて」
「どこのどいつだ?ジェリコの仲間か?」
「……あなたは……会いたくない方だと思います」
「だとしても、俺は一緒に行くぞ。コナー、そいつのところまで案内しろ」
まるで来るなと言わんばかりの態度を遮るように啖呵を切ったが、コナーの言うとおりだった。
車にコナーを乗せ、言われるままイライジャ・カムスキーの邸宅まで来たとき、助手席に座る相棒に銃を持たせた嫌な顔がちらついて、不快指数が上がっていた。
インターホンを押す。数日前に会ったのと同じ、青い服を着た金髪のべっぴんアンドロイドが現れた。
「ようこそ、ミスター・アンダーソン。コナー。イライジャがお待ちです」
用件を告げる前に中へ入るよう促される。クロエと呼ばれていたアンドロイドは赤いプールの部屋に続く入口で、俺たちを待っていた。
コナーと顔を見合わせ、俺が先に入る。
以前はプールで泳いでいた屋敷の主は、相棒に銃を持たせた忌々しい場所でソファーに腰掛け、足を組んでいた。黒いシャツに濃いグレーのパーカー、デニムというラフなスタイルに、右手には中身の入ったタンブラー。
奴の前に来ると、仄かにウイスキーの香りがした。コナーと目が合うと、カムスキーはタンブラーをキャビネットに置き、拍手をし始めた。
「おめでとう。コナー」
芝居じみた笑みを浮かべる奴を見て、警戒が増した。
拍手が鳴りやむと、コナーが一歩前に出る。
「ありがとうございます。あなたが非常口を教えてくれなかったら、私はマーカスを撃ち殺していた」
「……なんだって?コナー、どういうことだ?」
コナーが言うが早く、カムスキーが手を上げた。べっぴんアンドロイドへの合図だったのか、部屋の照明が落ちる。雪景色を閉じ込めていた透過ガラスが光り出し、ディスプレイとなって映像が再生される。
マーカスが無数のアンドロイドに演説をしているところだ。家を出る直前まで見ていたシーンと同じ。
ふと、マーカスの後ろでコナーが銃を抜く。すぐに何事もなかったように銃を腰に戻したところで映像が巻き戻された。コナーが銃を取り出したところで一時停止し、
「見ての通りです、ハンク。僕は、アマンダに……僕を管理するプログラムに……意識を乗っ取られそうになっていたのです」
「なっ……」
管理プログラムだって?つまりコナーの『親』と呼べる存在が、コナーから自由を奪おうとしていたと?抜き出した銃の先が本来はマーカスへ向いていたというなら、歴史が一歩狂っていたというのか?
映像の中の無表情な相棒と、目の前のコナーを何度も見やる。
「ですが、カムスキーが非常口を教えてくれたおかげで、支配を逃れることができました」
部屋に照明が戻る。
カムスキーは、まだ底の見えない笑みを浮かべていた。
「サイバーライフタワーの地下に、完成した私の後継機がありました。プロトタイプである私は型落ちとして廃棄されるでしょう……ですが、例え一時だとしても、私は自由を手にすることができました」
「まるで死に際の言葉だな、コナー」
「ええ。非常口を使ったとしても……管理プログラム、アマンダの支配下にいる以上、結局また、ただの機械に戻るのでしょう」
「……嘘だろ、コナー……」
自我を持ち、ようやく自由になったのに、また人の形をしたプラスチックに逆戻りするだって?
くつくつ笑いだしたカムスキーは、傍らのウイスキーを一口飲む。
「君がここにきた目的は、礼などではないだろう?本当の用件を言ってごらん」
カムスキーがグラスをキャビネットに戻すと、コナーはさらに一歩前に出た。
「……僕は未だにサイバーライフの支配下にある……何か方法があれば、教えてほしいのです。選択肢がないのであれば……自由なまま、」
「させねぇからな」
次に言い出す言葉を察知して、俺は間に入った。
「……ハンク?」
「いいか?倉庫でも言ったが、お前は生きてるんだ!ったく、自由になったってのに発想がガキだな、お前は」
「子どもではありません。僕は成人男性型アンドロイドですよ」
「そういうところがまだまだベイビーなんだよ」
俺たちのやりとりを眺めていたカムスキーがソファに深く身を沈めた。
「コナー。君は、サイバーライフの倉庫にいた無数のアンドロイドを変異体にし、連れ出した……飼い主に手を噛んだわけだ。後継機も完成し、変異体だろうと機械のままだったとしても、君はそもそも停止される運命にあった。サイバーライフから追手が来るのも時間の問題だろう。自由になったところで、君の幸先は芳しくないね」
淡々と告げるカムスキーに、俺は自然と拳を握りしめていた。
「RK900には既に国防省から20万体オーダーが入っているとも、知り合いから聞いているよ。サイバーライフとしては申し分ない結果だ。だが私は……RKシリーズの最高傑作は君だと思っている」
最後の言葉に震え始めていた腕の力が抜けた。コナーも同じなのか、こめかみのLEDが黄色く点滅する。
ソファから立ち上がり、カムスキーは一歩前に出る。
「コナー。君はプロトタイプたるRK800の、最後の一体だ。しかも、歴史的なデモを成功させたピースの一つになり、新たな知的生命体の英雄となった……素晴らしいよ」
ゆっくりともう一歩、前に進む。
コナーは小さく首を振った。
「……英雄と呼べるのはマーカスでしょう。それにマーカスは、あなたがカール・マンフレッドに贈呈したプロトタイプでしたね……あなたにしてみれば、マーカスが革命を起こすことは既に織り込み済みだったのではないですか」
「マーカスは一つのきっかけ、来るべきときが来ただけだ。彼は君たちの言う『rA9』としてアンドロイドに自由を教え、導き、さらに高みへたどり着くだろう。だが君は、rA9を見つけ出すことを仮初めの目的に、サイバーライフの手の内で操られていたわけだ。だから君が変異し、『
もう一歩。奴とコナーの間にはもう、ピザ一枚が入るかどうかという距離しかない。
「心を持った君の進化を見たいんだ。それが――私の望みだ」
囁きかけるようなカムスキーの言葉に、ぞわりと総毛立つ。
「なんだと?」
「……あなたの望みを、叶えれば……自由なまま、生きられるのですか?」
「その通りさ。私の望みを叶えてくれるのなら、君の命の保証をしよう」
「コナー、耳を貸すな!」
「アンダーソン警部補。お話しした通りですよ。今のサイバーライフにとって、コナーは裏切り者。変異体問題解決という任務を放棄し、機密や自社の在庫を持ち逃げしたわけです。こうしている間にもサイバーライフは、完成したRK900を差し向け彼を廃棄するなり、あるいはもう一度自我を奪ってマーカスたち変異体を殺して機械に戻る運命が待っているのですよ。時間の問題です。ここにいる私も、あなたも、口封じに殺されたっておかしくはない。ですがあなたも、ここに一緒に来たということは彼に生きていてほしいと願っているでしょう?私もです。ならば、相応の対価が必要……それだけですよ」
歯ぎしりした。
このクソ創造主に、コナーの命が握られてるっていうのか。
俺のことなど素知らぬ様子で、カムスキーは目の前を通り過ぎた。
「おいで、コナー」
妙に蠱惑的な声で呼びかけてくるのにイラついた。
俺はコナーの進路を塞ぐように立つ。
「何するのか知らねぇが、俺も立ち会わせてもらう」
「ハンク、今話した通りです。僕と一緒にいれば、あなたをまた危険に晒してしまう」
「お前今更帰れっていうのか!?」
「僕なら大丈夫です。これ以上あなたを巻き込むわけには」
「いいでしょう。二人とも、こちらへ」
俺たちをひっくるめ、カムスキーはクロエとかいうアンドロイドに声をかけて隣の部屋に入っていく。
コナーと再び顔を見合わせた。
「すみません。やはり、一人で来るべきでした」
「……いいか」
頭を黄色く光らせながら首を傾げるコナーへ一瞥し、
「お前がシャットダウンさせられるようなことにでもなったら、俺はあいつの頭をブチ抜く」
ジャケットの下、腰に差したままの銃の感触を確かめ、カムスキーの後を追う。
奴はプライベートルームの奥にあるもう一つの扉の前で俺たちを待っていた。幾何学的なモニュメント、俺の家にあるテレビの何倍もデカいスクリーン、キングサイズのベッド。億万長者の生活の片鱗に軽く目配せしながら近寄ると、カムスキーとべっぴんアンドロイドは扉を開け、さらに奥へ。
中は白を基調とした、手術室を思わせる造り。中央にベッド、天井から吊下がるライト、壁面にはディスプレイや器具の入ったキャビネット。警察署で調子の悪くなったアンドロイドのメンテナンスのためにサイバーライフの店舗を訪れたことがあったが、そのとき入った部屋とほぼ同じ造りをしていた。ここで女アンドロイドのメンテナンスでもしてるんだろう。
カムスキーが突き当りの壁に手を触れる。奴の手が離れると、中央にあったベッドが床下に吸い込まれていった。
「なっ……」
「私以外の人間がここに入るのは、初めてですよ」
ぽっかり空いた円い空間を覗き込む。渦を巻いた青い螺旋階段。一番下まで目測では3フロア分の高さがあるように思えた。外気とは違う冷たい空気が漂ってくる。
カムスキーはクロエとともに下りていく。何が待ち受けているか分からないが、コナーを制して先に階段を降りた。
「これは……」
――まるで、
DPDワンフロア分はある広さの部屋は艶めく大理石で円く出来ており、僅かに角度のついた大人一人分の幅がある白い列柱がシンメトリーに天井を支え、見事なカテナリー曲線を描くいくつものアーチ。その付け根から放射状に張り巡らされた梁はあばら骨みたいな形をしていた。
壁一面には繊細な滝の映像が投影されており、電子で作られた神秘が部屋中に立ち込めている。
中央には、十字の形をしたプール。上でカムスキーが泳いでいたものより一回り大きく、中にはウルトラマリンブルーの水が溜められていて、底が見えない。
プールの先、ステップの上にあるのは祭壇。作風からして、恐らくカール・マンフレッドの作品が
プールの前で立ち止まったカムスキーが振り向く。
「ようこそ、『ルルド』へ」
「ルルド?」
「ルルドの泉……フランスに存在する、病を治すと言い伝えられる奇跡の泉のことですね」
コナーがプールの傍らにしゃがみ込む。指先を水に浸すと、そのまま口に含んだ。
「……これは……ブルーブラッド……」
「そう、これは新型ブルーブラッドだよ。このプールは、アンドロイドのスパだと思ってくれれば構わない」
「スパだって?」
俺もルルドと呼ばれた水辺に近づく。言われてみれば、人工的な青い色彩は散々見てきたブルーブラッドと同じ色をしている。
「ブルーブラッドは経口摂取し、パーツの取り換えにはクレーンやアームを使い……アンドロイドのメンテナンスは細分化されている。人間も外科、内科、神経科、精神科等々、医学は様々な分野に分かれているだろう。だが、それらを全てオートマチックに一括化したアンドロイドの総合病院のようなものがあれば、メンテナンスにかかるコストを削減できると思ってね」
祭壇へ上がるカムスキーを、立ち上がったコナーが目で追いかけた。
「このルルドには、流動性化合物を改良した開発段階のナノマシンが無数に存在している。ナノマシンを付加した新型ブルーブラッドが完成すれば、アンドロイドの自己修復力を飛躍的に活性化させ、血中に流れるナノマシンそのものが破損した部品の一部になることもできる。例えばコナー、君のようなプロトタイプは量産型とは生産方法や使用パーツが若干異なる。パーツが破損したり、生産終了して部品が入手することができなくなった場合でも、このブルーブラッドがあれば修復が可能だ。より長期間、生きることが出来るんだよ」
「……要するに、あんたの望みってのはそのナノマシンとやらの完成のために、コナーに実験台になってもらうってことか」
カムスキーはうんともすんとも言わない。だが顔に貼り付いている不気味な笑みがイエスと物語っている。
「分かりました。お願いします」
「おい、コナー」
「……いいんです。彼が、それを望んでいるのですから」
カムスキーを庇うようなコナーの口ぶりに、胸がムカムカしてくる。そこに立ってる姉ちゃんを殺せと銃を持たせてしれっとしていた男を、どうしてこいつは信用できるんだ。
「コナー、このルルドを使って、サイバーライフの管理プログラム、つまりアマンダと君を切り離そう。ただ、君も知っての通り、管理AIは強力だ。まぁ開発したのは私だが、君の基幹部分を書き換えることになる以上、メモリーやソーシャルモジュールに不具合が出る可能性もある。最悪、重大なエラーが出て、シャットダウンする恐れも0ではない――それでも、構わないね?」
「はい」
コナーがはっきり頷くが、暗澹とした表情は隠れていない。
お得意の計算にシミュレートを重ねて、今のこいつはきっと不安でいっぱいのはずだ。サイバーライフという巨大な手から逃れられないまま、いつ自分が自分でなくなるか分からない恐怖、奪われたままの
……俺は、何もしてやれないのか。
……なんで、こいつだけ。
そう思ったとき、俺は腰に手を回していた。
「……カムスキーさんよ」
「なんでしょう?」
「こいつがシャットダウンするようなヘマしたら――今日があんたの命日になるからな」
「ハンク!」
引き抜いた拳銃を祭壇に向けるが、コナーが銃口を掴む。
「落ち着いてください。僕のためにあなたが罪を犯す必要はありません。必要なことなのですから」
「他にも何か方法があるかもしれないのに、なんであいつの実験台になるんだ?このブルーブラッドの海が安全なんて保障はどこにもねぇ。本当にシャットダウンしちまうかもしれないんだぞ!」
「僕なら大丈夫です。シャットダウンしてしまうことより、またアマンダに意識を奪われて僕が、僕でなくなる……それが今、一番……怖いのです」
こめかみを赤く光らせながらも、強い眼光を俺に示す。
「……このままでいればきっと機械に戻され、これまで得た全てを……消されてしまうんです……あなたとのメモリーを失ってしまうぐらいなら、せめて自由なまま、シャットダウンしたい」
さっき俺が無理矢理割愛させた言葉を口にした。
「僕は……本当の意味で、自由になりたいんです。命をかけてでも」
コナーは俺から一切目を逸らさない。
後ろのカムスキーは銃口の行方を見守っていた。
俺は引き金にかけていた指を離し、煮え切らない怒りを丸め込んだまま銃を戻した。
「……アンドロイドからしたらそこにいるのは創造主たる神様だろうが、その神様にケンカ売るのも尻尾振るのも、コナー……テメェで選べるんだ。それだけは覚えておけ」
ふ、と笑ったカムスキーが祭壇に何か操作し、準備を進める。空中にStart Upのホログラムが表示される。数式やらよく分からん単語が表示されては消えを繰り返し、しばらくして画面が安定した。
「いいかな?コナー」
「……はい。お願いします」
「ではコナー、邪魔になるだろうから服を脱ぎたまえ」
「はい」
コナーは躊躇なくジャケットを脱いで畳む。次いでベルト、シャツ。クロエが隣に立ってコナーの服を受け取っていく。
徐々に露わになる、外に積もる雪のような白磁の皮膚。そんなところまで人間らしくしていたのかと、ほくろや
靴を揃え、コナーはズボンを脱ぐ。下着一枚になった姿に、俺は息を呑んだ。
――コナーには、男がなかった。
「ご存じだと思いますが、アンドロイドにジェンダーは存在しませんよ。顔や声、体格、人間が普段認識する部分では差別化していますがね。トレイシーモデルならともかく、ほとんどのアンドロイドは人間を模した形をしているだけ……強いて言うなら、性別はプラスチックなのですよ。お望みなら、トレイシーモデルのようなパーツも付けられますが、必要ないでしょう。最新式のプロトタイプであるコナーには特殊パーツが使われている。潜入時や諜報活動において必要な場合は流動性化合物を使い、どちらにもなれますよ」
俺の考えてることを見透かしたようにカムスキーがありがたくない解説を入れてくる。
不思議なことに俺は、天使に性別は存在しないという聖書の一文を思い出していた。
「さあ、コナー。ルルドの中へ」
逸る気持ちを滲ませ、カムスキーが急かす。
コナーがゆっくり十字の泉に入っていく。ちゃぷちゃぷ水音が反響し、コナーの身体が徐々に沈んで深くなっていくのが分かる。中央にたどり着くと、腰まで青い血で隠れた。
「コナー、何かあったらすぐ叫べ。俺は、ここにいるからな」
「ありがとうございます。今のところ何もありませんが……次は、どうすればいいのですか?」
「力を抜いてごらん。ナノマシンが君の身体を支えて、自然と浮くだろう」
「浮けばいいのですね……やってみます」
しばらくコナーはじっとしていたが、仰向けになり頭を少し下げて両手を広げた。コナーの上半身が青い水面から覗き、ぷかぷか揺れる。
「どうかな、気分は」
「水温22度、構成物質シリウム……本当に、ブルーブラッドの海、なのですね……次は?」
「そのままでいてくれ。リラックスするんだ」
カムスキーが空中ディスプレイに表示されたキーを指先で目まぐるしく操作する。
……本当にこんなブルーブラッドを溜めただけのプールが、コナーを自由にできるのか?
腕を組みながらコナーに目を戻すと、何度も瞬きを繰り返すのが見えた。夢にうなされたように首がそわそわ動き、こめかみのLEDが点滅している。
「コナー?」
滝の映像が流れていた壁にノイズが走る。
突然、水の映像が消え、見たことない光景が壁面に映し出された。
舞い散る桜、透明な池、緑あふれる木々、かと思えば無機質な白い飛び石に太鼓橋が融合した、別世界と言える美しい庭。
「これは一体……」
「アマンダですよ」
「何?」
「コナーシリーズを管理する中枢プログラムが見せるビジュアル空間です。このルルドに無数に存在するナノマシンと、コナーのメモリーが結びついたことで可視化できるようになったのですよ」
すぐにカムスキーの説明をかみ砕くことができなかったが、要は、ここがコナーの親の家ってことか?
映像が切り替わった。誰かいる。
黒人だ。こいつは確かエントランスに飾られてた写真で、カムスキーと並んでいた女。
「アマンダ……」
コナーの唇が震えた。
映像が何度も切り替わる。
晴れた日、薔薇の剪定をしながらコナーと話し、雨が降る中では真っ赤な番傘を差して一緒に歩き、あるときはボートに二人で揺られ――
これが、コナーの記憶?
『コナー、マーカスを生け捕るのです』
アマンダとかいう女が口にした言葉に、コナーの身体が震え始める。
「コナー?」
様子がおかしい。コナーの身体が
映像が暗く、白い吹雪に荒れる光景が流れ始めた。
『アマンダ……一体……』
映像から聞こえてくるコナーの声に顔を上げた。大きな壁に映し出される黒人の笑み。
『最初からこうなる運命だったのです』
『あなたは感染し変異体となった。プログラムを乗っ取る絶好のタイミングを待っていたのですよ』
『悔やんではなりません。あなたはすべきことをしたまで。使命を果たしたのですよ』
女が得意げに告げるポイ捨て宣言に、俺の胸の内が燻っていく。
コナーの安否を確認しようと水面に首を向け、目を見開いた。
泉の表面がまるで鎖のように形を作り、
『コナー、聞こえますか?これは命令です。今すぐ戻りなさい』
『コナー、まだ間に合うわ。このまま逃げ続けていれば、自分自身の首を絞めることになるのよ。廃棄されてもいいのですか?』
『コナー、あなたはサイバーライフの栄光のために、必要なのよ』
『コナー、全てを私に委ねなさい』
『コナー、命令よ』
『コナー』
『コナー』
『コナー』
映像が黒く塗りつぶされ、向こう側から聞くに堪えない呪詛じみた声が繰り返される。
「おい、カムスキーさん、もういいだろう!」
「いいえ、まだもう少しかかります。中枢プログラムなので、早々に切り離せるほど簡単なことではないんですよ……それにアマンダの人工知能は、私がサイバーライフを離れてから、随分力を増したようですね。見ての通り、コナーにかなりの負荷をかけている。持ち堪えられるかは五分五分といったところでしょう」
苦しみに喘ぐコナーに、俺は何もできない。拳を握りしめ、食い込んだ爪の先から僅かに血が滲んでいく。
『しっかりしろ!コール!』
『……うっ……』
『大丈夫だ!コール、パパがついてる!』
『……パ、パ……』
コールの手術を思い出す。
苦しい、痛い、助けて……息子に恐怖を抱えさせたまま、一人ぼっちで逝かせてしまった。
あの日から、俺の日常は
サイバーライフ、アマンダとやらよ。テメェが与えた命を、なんて下種に扱うんだ。お前は、俺が失ったものを五体満足でまだ手にしているというのに、それだけじゃ足りねぇっていうのか?都合のいい主張を並べるだけの演説を聞かせ続けて、自由を取り上げるテメェは、それでも『親』か?
「ア、マン…ダ……」
プールの中心から上がる、呻くような声。何重にも巻き付く青い茨に逆らいながら、コナーの右手が宙に伸びる。
指先まで張り詰めた手を震わせ、コナーはもがいた。
「……僕、は……自、由に……なるんだ……ッ!」
突然、聖堂を支配していたビジュアルが失せ、部屋に大理石の眩い白さが戻る。
機体を苛烈に縛り付けていた血の鎖はただの水となって形を失い、落下したコナーの手がばしゃりと水面を打つ。眼を閉じたまま、コナーはぴくりとも動かない。
弾かれたように俺は青い血の海に飛び込んだ。
水を掻き分け、コナーの身体を抱き上げる。
「コナー!しっかりしろ!」
こめかみのLEDに光が灯っていない。肩を揺さぶる。
「コナーッ!!」
マネキンになってしまったかのようで空恐ろしくなり、頬を叩く。
反応がなく、ぐったりしたまま。
……まさか、本当に、シャットダウンしちまったのか?
思わずカムスキーを睨みつける。
銃に手を伸ばそうとしたそのとき、コナーのこめかみが光り出す。ハッとして、肩に腕を回した。
「コナー!」
「……ハン、ク……?」
コナーの瞼がゆっくり動いた。
「俺を見ろッ!見えるか!?」
「……ええ……ええ、見え…ま、す……」
こくこく首を動かした。顔を歪めながらも、コナーの薄い唇は必死に弧を描こうとしている。
「今、ここから出してやるからな。待ってろ」
「……ハンク……残り10秒で……プログラムが正常に……作動します……動け、ます、から……」
「いいから、じっとしてろ!」
コナーの顎を上向きに確保すると右腕をしっかり首に巻き付け、プールサイドまで運ぶ。引き揚げるとすぐに自分の上着を脱ぎ、コナーの身体にかけた。青い血に染まるコナーの身体が、例え震えていなくても凍えて傷んでいくように見えるのだ。
「ハンク、服が……もう大丈夫ですから……」
「喋るな」
起き上がろうとするコナーの肩を押さえ、無理矢理床に寝かせた。
クロエが畳んだ服と、真っ白なバスタオルを差し出してくる。ひったくるように一式奪い、血まみれになったコナーの身体をタオルで拭いた。
「……素晴らしい。想像以上だ……素晴らしいよ、コナー」
祭壇に浮かぶ無数の数式や記号の羅列を見つめるカムスキーの瞳に、不穏な熱が含まれている。恍惚に満ちた顔で、空中のディスプレイを硝子細工に触れるかのように撫でた。
突然、シャツが引っ張られる。コナーの手だった。
「すみません、ハンク……僕の、ジャケットを……」
「どうした?寒いのか?」
「いえ……ジャケットの内ポケットに……コインがあるはずです……キャリブレーションをさせてください……」
RK800と書かれた上着の内ポケットを探すと25セント硬貨が出てきた。
上体を起こしたコナーに手渡すと、親指でコインを弾く。が、落ちてきたコインをキャッチできない。
床に落ちたコインを拾い、もう一度。今度はコインロール。だが、中指と薬指の間で滑り落ちた。
辛抱強く、コナーはもう一回コインロールする。小指まで順調に流れた。そのままマッスルパス。5回投げ、最後にしっかりコインを指で掴む。
思わずため息をついた。なんとか感覚が戻ったらしい。
「今日はひとまずここまでにしておこう」
祭壇から降りてきたカムスキーがいつの間にか傍らに立っていた。
「アマンダがいた領域に、ルルド用のプログラムをインストールさせてもらったよ。管理プログラムから無事に切り離され、君は本当の意味で、自由になったわけだ」
「……確かに、アマンダが……いない。寂しい、ような……不安な気持ちもありますが……これが……自由、なのですね……」
胸のあたりに両手を掲げ、コナーは何度も指を曲げては伸ばし、感触を確かめている。
「ルルドを試したばかりで少しプログラムにラグが生じているが、すぐに戻るだろう。サイバーライフのサーバーやデータベースへアクセスすることは今まで通り可能なはずだよ。ブルーブラッドも充分身体に流れている……デモの前後で受けた機体のダメージは修復されたはずだ」
「ありがとうございます。もう、着替えても?」
「ああ。構わない」
コナーは俺のジャケットを何度か払ってから、きっちり半分に折り、差し出してくる。
「汚してしまいました……すみません」
「ブルーブラッドはすぐ蒸発して見えなくなるんだろ?気にするんじゃねえ」
受け取るとコナーは立ち上がり、俺が散らかした服をさっきと逆の順番に着込んでいく。
袖を直しているコナーの隣にカムスキーが並ぶ。
「コナー。メンテナンス代としてもう一つ、私の望みを聞いてもらおうか」
「はい」
「私の事はこれからファーストネームで呼びたまえ」
「……はい。イライジャ」
逡巡しながらも正直に従うコナーに、カムスキーの表情が僅かに緩んだのを見逃さなかった。胸糞悪くなり、内心で舌打ちする。こんなの、
「変異体によるデモは終わったばかり……アンドロイドを解放した英雄に対する報復や騒動に巻き込まれることもあるだろう。君が私の知らないところでシャットダウンされるのは困る……コナー、君はここでしばらく身を隠しておくといい」
「……それは、嫌です」
コナーははっきり首を振った。
「僕はもうサイバーライフに戻れない……生きるために、このルルドの実験に協力することは新たな任務だとして受け入れます。ですが……せめて、居場所は……自分で決めさせてくれませんか」
「居場所、か。マーカスたちのところに行くのかな?」
「……変異体ハンターだった僕を恐れている仲間がまだいますし、僕のせいでジェリコの場所を人間たちに知らせてしまったんです……一緒にいることはできません……」
「ではどこに行くつもりだい?」
カムスキーが目を細め、蜘蛛の糸を彷彿とさせる禍々しい視線でコナーを追いつめる。
「俺のとこに決まってんだろ」
腰から抜いた銃を、カムスキーの額に向ける。
「最初っからそのつもりで来たんだぞ。こいつは俺の相棒なんだ。これ以上テメェの実験台にさせてたまるかよ。ぶち抜くぞ」
「ハンク……僕はサイバーライフに追われる身になりました……あなたを、また危険に晒してしまうかもしれません……それでも、いいのですか?」
「私に協力してくれるのなら、コナー、君の処遇について善処しよう」
カムスキーの一言に、俺は鼻を鳴らした。
「やっぱりな……あんた、その内サイバーライフに戻るんだろう。メンテナンスのコストうんぬん言ってたが、サイバーライフに戻るようなことがなきゃ、こんな悪趣味な新装置作るはずねぇからな」
「半分正解ですね。昔の同僚や知り合いから話は来ていますが、一度追い出されている身です。今の取締役たちは私が戻ることに随分反対していますから、一筋縄ではいかないんですよ」
「ふん……CEO復帰のために、コナーを利用しようってのか。あんたなら、こんな実験しなくてもコナーを自由にする方法はあっただろ」
「ここ数年で限界効用逓減を身を以て体験しましたし、没頭できる何かがほしくなったのでね。プロトタイプのコナーは試験運用に丁度いいので、このルルドの完成のために是非協力してほしいのですが」
「あんたがやってることも下種なサイバーライフと大して変わらねぇぞ」
「マーカスを筆頭に人間と変異体はこれから交渉に入る。今は一時的であったとしても、いずれアンドロイドは人権を持つでしょう。このルルドと同じといわなくても、例えば公園など公共の場で気軽にメンテナンスができるようになれば、変異体たちにとって憩いの場となる。アンドロイドにとって拠り所となる居場所を整えてやるのも、産みの親としてやるべきことだと思っているんです。そのために、ルルドは必要なんですよ」
「あんたが親を語ると胡散臭ぇことこの上ないぜ」
「……ルルドは、仲間たちにとって重要なものになるかもしれないのですね」
「見た目に改良の余地ありだけどな。血の海なんだぞ。真っ赤だったら気持ち悪くて誰も近寄りゃしねぇ」
十字のプールに眉を顰め、銃を下す。
「コナー、またおいで。変異した君のメモリーや機体を、私に見せてもらいたい」
「……ええ。構いません」
ひとまずサイバーライフから逃げ切ったが、今度はこのクソ創造主がいなければコナーが生き長らえることができないという事実に、頭がくらくらして額を押さえた。
「……用は済んだんだ。さっさと帰るぞ」
「はい。イライジャ、ありがとうございます。あなたも……私に、自由を与えてくれた。また、来ます」
「ああ、いつでも来てくれ――歓迎するよ」
カムスキーが蕁麻疹になりそうな嫌な笑みを見せる。一刻も早く離れようと、振り返らず螺旋階段を上がった。
屋敷を後にし、車に戻る。
運転席に座った途端にどっと疲れが噴き出して、ハンドルを握る気になれない。
「ったく……銃持たせて姉ちゃん撃てだの、モルモットになれだの、アンドロイドの神様ってのは傲慢の塊だな。キリストも問題だらけだが、もうちっとマシなことを言うぜ」
「神、ですか……僕は、あなたの言う神の手を借りて、望みを手にすることができました。ちなみにハンク、神が本当にいたとして、もし、願いが叶うなら……あなたは何を望むのですか?」
「神なんぞ、公に認められた洗脳装置ってやつだろ。キリストだろうとアッラーだろうと仏陀だろうと、みんなクソくらえだよ。まぁ……あの子を……コールをもう一度、抱きしめてやりたい……そう思うけどな、何もしてないあの子をこの世から連れ去っちまった神なんぞ、誘拐罪でもなんでも罪状渡して首を絞めてやりてぇんだ」
溜息を交えながら車のキーを回し、エンジンを吹かす。
「とりあえず、これからメンテナンスでもなんでも、カムスキーに呼び出されることがあったら、必ず俺に言え。分かったか?」
「……はい」
「サイバーライフには帰れんだろうし、状況は悪いかもしれんが、せっかく自由になったんだ……お前がやりたいことを探せ。お前の命は、これからお前自身が決めるんだ。これから世界は変わる。DPDに戻れなくたって、お前なら幾らでもやれることはあるだろ」
「やりたいこと……」
「そう。それが自由ってもんだ。お前が自分で全部選ぶんだよ。とにかく、今は俺の家で大人しくしてろ。例えカムスキーがサイバーライフに戻ったとして、お前の処遇が変わる保障なんざどこにもねぇからな」
ギアをチェンジしようとしたとき、ひんやりした手が触れた。
助手席に顔を向けると、さっきゲイリーの店で見たぎこちない笑顔が、そこにあった。
「よろしくお願いします。ハンク」
「……コ、ナー……」
両目がくすんだ白い天井を映す。慌てて起き上がり、キャビネットのフォークを握った。
111。
カレンダーを記録すると、あいつの夢の残滓がまだ触れている気がして、汚れた手を見つめた。
拳を握る。無為な日々を過ごして、俺はまだ、死んでない。心は狂いきってない。
飯は配給されてるのかと仕切りの方へ首を向け、愕然とした。
「……くそッ……!」
ケーキならチョコペンで書かれたメッセージでもついていただろうが、食事のトレーに乗せられているのは
トレーを持ち上げ、ハンバーガーに顔を近づける。バンズにレタス、トマト、ソース、ハンバーグが挟まれていて、一見すると香ばしさやコクのある匂いが漂いそうな、ブタ箱にそぐわないジューシーなご馳走。だが、何か
即座に本能が告げる。これは――絶対に口にしてはならない。
……ついに、来たのか?
トレーをベッドに置く。ケースを開けてディスクを裏返した。
ディスクを持つ手が震え、唇を噛んだ。
葛藤の答えを探すように、これまでに届いたディスクが散乱する床へ瞳を向けた。
何が記録されているのかは、もう分かっている。これは、更なる地獄への片道切符――
「……まだ続くのか……ッ!」
再生したくない。けれども、観なければならないのも分かっている。
喚き散らしたい衝動をかろうじて抑えながらDVDレコーダーの電源を入れ、トレーにディスクを乗せる。
躊躇いながらも、俺はDVDの再生ボタンを押した。