強盗、殺人、薬物、変異体、連日舞い込む事件の捜査。仕事に忙殺される中、なんとか時間を作って三度目の訪問が出来たのは、年が明けてからだった。
「イライジャ、お客様をお連れしました」
「ああ、ありがとう。久しぶりだね、コナー」
「こんにちは、イライジャ」
「今日もご一緒なのですね、アンダーソン警部補」
「前に言ったはずだけどな。こいつが死んだら、誰があんたの頭をブチ抜くってんだ」
「恐ろしいことを言う方だ」
螺旋階段の下、カムスキーは黒いシャツにチノパン、スニーカーというラフな姿だったが、黒縁の眼鏡をかけたことで胡散臭さが割増されていた。
隣に立つコナーは大学生みてぇにグレーのフーディーにジーンズを着て、紺のビーニーを被っている。私服姿のコナーを見てカムスキーは不敵に笑った。
「クロエ、飲み物を持ってきてくれ」
「すぐお持ちします」
カムスキーが一瞥し、べっぴんアンドロイドが下がる。
ルルドと奴が呼ぶ実験場のプールに、今日も青い血が満たされている。以前と変わったのは、女性型、男性型問わず、皮膚機能を解除したアンドロイドたちが、立ち並ぶ左右の列柱に沿い、プールの前まで向かい合って等間隔に並んでいること。市販されているアンドロイドのほとんどが網羅されているように思える。サイバーライフの歴史を紹介する特別展示会場と言われたら信じてしまいそうだ。こめかみは光っておらず、電源は入っていない。白いプラスチックの肌を持つ彼らが、この白い無機質な聖域に並んでいると、不思議と守護天使の彫像のように見えてくる。
カムスキーの後ろをついて歩いていたコナーが、一番奥に立っているアンドロイドの前で立ち止まった。灰がかった青い瞳以外は、同じ背丈、同じ顔のアンドロイド。向かい合ったかと思えばすぐ視線を下ろし、コナーはどんより曇った眼差しで自分の足元を見つめる。
プールの前で振り返ったカムスキーがコナーに目を向けた。
「さて、コナー、あれから何か変化はあったかな」
「問題は検出されていません。イライジャ、今日はどのようなテストを?」
「今日は実際に君の体内にナノマシンを注入する臨床試験を行なおう。少し時間はかかるだろうが、心配はいらない」
不安そうに強張った表情を見せるコナーを口先だけで宥め、カムスキーが俺に目配せする。
「よろしいですか?アンダーソン警部補」
「やるならさっさとやって、さっさと終わりにしてくれ」
プールの十字が交わる地点の向かって右側に、白木のベンチと丸いサイドテーブルが増えていたのに気づき、ベンチへどかりと腰掛ける。落ち着かない。俺は付き添いだというのに、俺の方が初めて手術を受ける患者のような気分になり、大理石の床をつま先で何度も叩く。
祭壇へ上がったカムスキーがコンピューターを立ち上げる。
奴が準備を進める間、コナーが服を脱いで黒いボクサーパンツ一枚になる。プールサイドに服を畳んで置き、青い泉に入ったコナーは、水音を響かせながら中心まで進む。
「コナー、横になってごらん」
「はい」
以前と同じように、コナーは水の中に身を横たえた。何度も首を動かし、俺が座っているベンチを見上げてくる。助けを訴えるようなコナーの眼を見ていると、コールが風邪を引いたとき、混み合う病院の廊下で小さな背中を摩りながら診察を待っていたときを思い出す。
控えめな足音が聞こえる。クロエがカップを乗せたトレーを手に戻ってきた。
「イライジャ、コーヒーをお持ちしました。ミスター・アンダーソンも、ごゆっくりどうぞ」
「……どうも」
クロエが微笑みながらサイドテーブルにコーヒーカップを置く。次いでカムスキーの元へトレーに乗っていたもう一つのカップを置き、マリア像の隣に控える。
高い豆でも使ってんのか、署の休憩室にあるマシンでは味わえない深い香りが鼻を通り抜けていく。コーヒーを一口飲み、サイドテーブルにカップを戻したところでホログラムの表示が安定した。
「始めようか」
コナーの表情が引き締まり、緊張が走る。
「……前みてぇにこいつの意識がぶっ飛ぶような真似すんなよ」
「ええ。ご心配いりません」
釘を刺すと、カムスキーが祭壇のコンピューターに触れる。すると機械の管やチューブが水面に姿を現し、腕や肩、足、指の一本一本に至るまで、コナーの身体にカチカチ音を立てて接続していく。機械の枷に囚われていくコナーの姿に、人体実験を目の当たりにしている胸糞悪さがこみ上げてきた。
何が起きるか分からない。見ていることしかできない自分に腹が立つ。くそっ、こんなとき俺がしっかりしてなくてどうする。いざというときは本当にカムスキーに引き金を引かなければならない。
不甲斐なさを叱咤するようにもう一度コーヒーを飲む。カップを置こうとしたとき、しびれを覚えた。指先が震えてカップを取り落とし、大理石の床に砕け散る。意識はあるのに身体から力が抜け落ちて、サイドテーブルに突っ伏した。
「……ハンク?」
異変に気づいたコナーが起き上がろうとするが、うなじに嵌めこまれているチューブがコナーの身体を水の中へ引きずり戻す。
「イライジャ、ハンク、に、何を……」
待っていたと言わんばかりに、青い血が蠢き始める。以前と同じく、茨のように腕や腰に絡みついていき、抵抗するコナーを抑え付けていく。
「……カ、ムスキー……てめぇ……ッ!」
「あなたに銃を向けられると中断しなくてはいけませんから。薬が抜ける頃には終わりますよ」
いけしゃあしゃあと、奴は祭壇に置かれた自分のコーヒーを飲んだ。
……クソ野郎め……!べっぴんアンドロイドを使って一服盛りやがった。
「ハンク……無事、ですか……っ」
指一本曲げることも許されない状態でなお必死で首を動かし、コナーが俺の安否を確かめようとするが、テーブルに突っ伏したまま動けない。
クロエが身動きできない俺の元へやってきて、割れたカップの破片をトレーに拾い集めていく。尖った破片が彼女の指先をぱっくり抉り、どくどく青い血が流れる。自己修復機能とやらが働いて血は止まったが、抉れた痕跡は完全に消えていない。痛みを感じないクロエはそのままカップの残骸を片していき、零れたコーヒーと自分の血を拭き取った。
クロエがトレーを片付け再び戻ってくるまで、カムスキーが祭壇のコンピューターに何かのプログラムを入力していった。プールの水が波打ち、ごぽごぽ音を立て始め、気泡が浮かぶ。
「一体、何を……」
「これから君の体内に流れているブルーブラッドを、ルルドの血と入れ替えるんだ」
水がおぼろげに青白く発光した。
最後に奴がピッ、と何かのスイッチを入れると、コナーの身体は電気でも流れているかのようにがくがく震え出す。
「……イ、ラ……イジャ……シ、リウム……ポンプ、が……ッ」
「異物と認識したナノマシンをプログラムが排除しようとしてるんだよ。ポンプの制御が狂ってしまうのは、その副作用といったところだ。体に馴染むまで少し我慢したまえ」
やがてコナーの口から大量のブルーブラッドがごぼりと零れ、目を見張った。
「……おい……本当、に……殺す、気、か……ッ」
「まさか。コナーにシャットダウンしてもらうわけにはいきませんよ」
発作は止まらず、何度もコナーは吐血する。
「……止、め……て、くだ、さ……イラ、イ……ジャ……」
「大丈夫だよ、コナー……もう少しで終わるよ」
懇願するコナーにカムスキーは不気味な笑みを向けるだけ。
石膏を塗り固めたように重たい腕を、死にもの狂いで動かす。蟻が歩くより遅いスピードで、腰へ、腰へ。
不意に、コナーの痙攣がぴたりと止まった。
カムスキーが空中のディスプレイに表示されたプログラム言語に目を通し、キーを叩く。
十字のプールに溜まっていた青い血が抜かれていく。水位がぐんぐん下がっていき、張り巡らされたケーブル、ホログラム映像が表示される壁面が姿を現す。やがて底からせりあがって現れた真っ白なベッドに、コナーは機械に繋がれたまま寝かされた。病院で見る心電図やら脳波やらを測定するような何かのモニターが同じように出現し、ベッドの周りを囲む。
「インストールは無事に終わった」
カムスキーが祭壇のステップを下りる。その手に注射器が握られていた。
「何、する、つもりだ……ッ」
俺の質問に答えず、奴はブルーブラッドが引いて白を露わにしたプールへ降り立ち、血濡れたコナーの元へ近づいていく。
「捜査アンドロイドの君なら分かるだろうが、ブルーブラッドを摂取すると体内で個体特有のデータに書き換わる。ナノマシンを取りこんだ君の血液サンプルを貰うよ」
コナーの右側に回り込んだカムスキーが、躊躇いなくコナーの右腕に注射の針を差し込み、青い血を素早く抜き取る。
無理矢理駆動させた指先が、銃のグリップに触れた。もう少し。
ブルーブラッドで満たされたシリンジをまじまじ眺めるカムスキーは、マリア像へ首を向けた。
「効果を早速試してみようか……クロエ、おいで。そうだ、先に回収を頼もうか」
「はい」
べっぴんアンドロイドの足がプールへ近づいていったかと思えば、迂回して俺の元まで歩いてくる。グリップを掴もうとした俺の手をそっと避け、クロエは腰から銃を抜き取った。
プールへ降り立った彼女は銃を奴に渡し、隣で指示を待つ。
「……イライジャ……ハンク、は……」
唇から血を零しながらコナーが俺を見上げる。俺の銃をベッドに置いたカムスキーはコナーの顎を掴み、指先で口元の青い血を拭った。
「心配なのかい?」
「……彼を、撃たないで、ください……」
「もちろん、そのつもりはない。まだ作業途中だからね」
カムスキーがクロエの手を取る。カップを片付けているときに傷ついた指先へ注射器の先を近づけ、コナーの血を数滴垂らす。裂けたままの指がみるみる修復されていき、彼女の滑らかな指先が復活した。
クロエも驚いているのか、LEDが二、三度黄色く瞬いた。
「効果は上々だ、コナー」
注射針を外したカムスキーはシリンジにキャップをしてべっぴんアンドロイドに渡し、プールの外へ出す。
「ルルドは例えて言うなら無色透明な水だ。君たちの個体情報という色を得ることで、ルルドは性質を変え るんだ。そこに並んでいるアンドロイドたちに同じようにルルドを試してみたが、変異していないせいか、個体情報を取り入れた後の効果が出なくてね。人間でいうオキシトシンやセロトニンの代わりと言えるから、ソーシャルモジュールが特に発達している君に適合しているんだろう。やはり君は、ルルドにふさわしい存在だ」
カムスキーは鼻歌でも歌いだしそうな顔して、ベッドの周りにあるモニターの一つを手早く操作した。背もたれに当たる部分がゆっくり持ち上がってリクライニングし、拘束されたままコナーの上半身が起き上がる。
コナーは身じろぎ、怯えた様子でカムスキーを見据えた。
「……まだ、続きますか……?」
「ああ」
奴は、ポケットから小さな折り畳み式ナイフを取り出す。
「おい、待て……今度、は……解剖でも、する、つもりか……ッ?」
「違います。ただ、同じことをあなたにすれば、さすがに黙っていないでしょう?」
カムスキーは自分の人差し指に刃を滑らせた。ぷつりと赤い筋が浮かび上がる。出血してない他の指でコナーの顎を持ち上げ、血の滲む人差し指を唇に当てた。
「さぁ、コナー、口を開けて」
「ん、うっ……」
コナーがおずおず口を開けると、カムスキーは傷つけた指を咥えさせた。
舌の容を確かめるようにカムスキーが指を動かすと、ベッドを囲むディスプレイに表示されている数字が増えたり減ったりする。
奴が指を抜き取る。赤と青が混じり合って濡れていた。
「……完全な止血に至らないということは、こちらはまだ改良がいる、か……」
「あんた……一体、何、してんだ……」
「ルルドは、人間にも応用が出来るよう改良を重ねているところなんです。マーカスは我々人間との共存を掲げてくれましたからね」
クロエが消毒液に小さな包帯とサージカルテープを持ってきてカムスキーに渡す。悪趣味な実演を終えたカムスキーは処置を施し包帯を巻きつつ、ディスプレイに表示された文字の羅列に目を通す。
クロエを下げ、モニターから目を離したカムスキーがコナーの胸元に触れた。
「……イ……ラ、イジャ……」
「そう怖がらないでくれ、コナー……君を確かめたいんだ」
カムスキーがねっとりした声音で話しかけ、薄く笑う。
奴の指先が
「……プログラムが強い反応を見せている……心を手に入れた君は、本当に面白い」
「……てめぇ……いい加減に、しろ……そいつ、は……生きてん、だぞ……ッ」
「機体をちゃんと確かめさせてください」
カムスキーは肩のラインを撫で、コナーの手触りをじっくり吟味する。さらに首、うなじ、髪、耳と……。
見ているこっちまで奴の指が絡みつく感触を覚え、ぞわりとした。
奴がもたらす精神的な疼痛に、コナーはじっと耐えている。
「ふむ……ルルドを試す前に、サイバーライフで最後にメンテナンスしたのはいつだい?」
「……初めてあなたにお会いした後、ジェリコに侵入する前に……」
「どのレベルまで?」
「……一刻も早くジェリコへ行けとアマンダに命令されて……メンテナンスは最小限です……」
「やはりね……通常のメンテナンスでは至らない点が多々見受けられる。次回からは君の機体に合ったメンテナンスをしてあげよう」
「……ありがとう、ございます」
戸惑ったようにこめかみをちかちかさせるコナーを見下ろしながら、目いっぱい踏ん張ってテーブルから上体を起こす。
ようやく手が離れ、気色悪い触診が終わる。
「ルルドが完成すれば、君たちは、人間や環境に対してナノテクノロジーによるアプローチができるようになるだろう。人間に応用できるようになれば、損傷した細胞を即座に修復する効力を持つようになり、口にしても無害になる。身近な例だと眼球の波を綺麗な球面にして乱視を治療できるだろうし、人工幹細胞、組織再生、ゲノム編集といった技術をさらに進化させられる。君のように変異したアンドロイドは、シリウムの中に流れるルルドを使って自分で自分をプログラミングすることが可能になるだろう。君たちの望むように、成長できるようになるのさ。何より、ルルドがジェリコに誕生すれば、君たちは人間の手を借りずとも生き長らえることができるようになるよ。新たな知的生命体となった君たちはさらなる無限の力と可能性を手に入れ、人間との共存を歩めると私は考えているんだ」
「……僕たちの、可能性……」
「そう。だが……私の友人が言っていたが、人間は創り出されたものに秘められた価値に見向きもせず、そこからどれだけの金が生み出せるかしか考えていない……裏切り者として追われる身になった君なら分かるだろう?」
「……君は、今、何を望んでいるんだい?」
屋敷に初めて来たときと同じ質問。
こめかみを点滅させるコナーの視線が彷徨う。
やがてベッドに腰かけたカムスキーは、黙りこくるコナーの顎を軽く持ち上げ、瞳の行方さえ逃がさないように覗き込んだ。
「教えてくれないか、コナー……心を手に入れた、君の望みを」
眼鏡の奥にある好奇心に満ちた瞳がコナーを絡め取る。
囚われの状況で逃がれる術もなく、コナーは一度目を伏せ、やがて意を決したようにカムスキーを見上げた。
「……任務の、遂行が……僕の存在理由でした」
コナーが真っ直ぐに俺を見た。
「でも、ハンクが……僕に、自由のきっかけをくれました。ハンクは……機械の僕に命を与えてくれたのです。だから、僕は……彼の望むものになって……認められたい……」
「認められるためなら、なんでもすると?」
「はい」
『あなたの望む者になりますよ』――不意に、アンバサダーブリッジで話したコナーの言葉が、頭の中にひしめく。
「……理想のパートナーになることを義務付けられた君らしい回答だ」
「……な、ん……だと……?」
「おや、ご存じなかったのですか?RK800、コナーは捜査を円滑に進めるために、人間の理想的なパートナーとなるようプログラムされているんですよ。変異してもなお、そこは変わらないようですね」
カムスキーがようやくベッドから立ち上がった。
「今日はここまでにしておこう、コナー」
ほっとした顔で、コナーは俺を見上げる。
「ルルドの完成は、君たちアンドロイドと人間の新たな未来に繋がっている……これからも尽力したまえ」
「……あの、イライジャ」
「なんだい?」
コナーがカムスキーを見上げる。そわそわして言い淀んでいたが、ベッドの周りにあるディスプレイの一つがプログラムの言葉を書き出す。
カムスキーが一瞬だけ俺に目線を向け、再びコナーを見下ろす。
「構わないよ。今日の報酬ということにしておこう」
名残惜しいというように、カムスキーは僅かに当てた指先でコナーの腕から肩を撫でつけた。俺の銃を拾い上げ、奴はようやくプールの外に出ていく。
祭壇に戻った奴がコンピューターを操作する。ベッドやディスプレイが再び床下に消えていったかと思えば、コナーが眼を閉じて動かなくなった。やがてコナーの身体を束縛していた機械たちが音を立てて外れていき、ようやく戒めから解放された。
ブルーブラッドが再びプールを満たし始める。眠っているのか、コナーは青い水の揺り籠に浮かんだまま、静かに揺れるだけ。
空中のディスプレイにInstallingの表示が現れ、泉が元通りの水位に戻るとディスプレイの文字が完了と表示されて消えた。
コンピューターの電源を落とし、カムスキーが祭壇から下りる。俺の元までやってくると、テーブルに銃を置いた。
「お返ししますよ」
「……テメェ、いつか本当に……ぶち抜いてやる」
「おや、奇遇ですね。私はあなたのように訓練していませんので、自信がないですが……」
「何が――」
顔を上げた途端、眉間に当てられるひんやりした感触。デモの直前、クロエを撃てとコナーに渡したのと同じ拳銃が奴の手に握られていた。
「コナーとの生活はいかがですか?」
「消費者アンケートのつもりなら、粗品の一つ寄越せよ。逮捕するぞ」
「コナーは変異したアンドロイドたちではなく、人間であるあなたを選びました。変異しながらもアンドロイドにとって基本といえる人間へ奉仕する精神を忘れず、人間を自ら愛そうとする姿勢が大変興味深いんです」
「奉仕するのがこいつの役目だっていうなら、お前のモルモットになるのは当然って言いたいのか?」
「いいえ。コナーは私にとって子どものようなものです」
「ガキを実験台にするクソは親って言わねぇんだよ」
「ええ、そうですね。では、あなたはアマンダと違い、コナーを護れると?」
突如コナーの母親の名前を出す。
カムスキーは俺の額から銃口を離すことなく、相変わらず捉えどころのない顔をしている。だが深淵を覗く奴の瞳が、俺の何かを引っ張り出そうとしている。
――もしかしてこいつ、今度は俺をテストしてるのか?
「私は無限の可能性を持つ彼らの心をもっと育みたいんです。そのためにコナーは必要ですし、出来るなら私が彼を引き取りたいところですね」
「誰が何と言おうと俺の相棒だ。お前に渡すもんか」
「そうですか。では、今後もルルドの開発にご協力いただきたい。協力していただけないようでしたら、メンテナンス代金を請求させていただきたいのですが」
「億万長者が一般市民から金むしり取るってのかよ。今のサイバーライフと同じだな」
「だから、彼らを今一度正す必要があるのですよ。アンドロイドは金の成る木ではなく、ユートピアを生み出すために必要な存在だと」
奴はコナーを意味深に見つめ、銃を服の中にしまった。
水音がしてプールを見る。目覚めたコナーが起き上がったところだった。
「……ハンク……大丈夫ですか?」
「……ああ、やっと切れてきたよ」
薬の効果が薄まり、立ち上がれるぐらいに回復した。
プールから上がったコナーにクロエが真っ白いタオルを手渡し、血を拭き取る。手早く服を着ていき、ポケットから出したコインを指の上で転がした。
「異常はなさそうだね、コナー」
「はい。今のところは……」
「君の体内でしばらくナノマシンを培養し、経過観察しよう。万が一、エラーや不具合が発生したら私に知らせてくれ。念の為、従来のブルーブラッドも渡しておこう」
主治医を気取っているつもりなのか、風邪薬を処方する口ぶりでクロエを見る。彼女は祭壇の後ろからブルーブラッドの入ったボトルを持ってきた。
「こいつに入れたのが変なウイルスだったら、テメェに一発くれてやるから覚えとけ。おいコナー、とっとと行くぞ」
クロエが持っていたボトルを掴み、脇目も振らず螺旋階段を上がる。これ以上クソ野郎と同じ空気を吸っていると肺がんになりそうだ。
「あ、ハンク、待ってください!……イライジャ、それでは、また」
律儀に奴に挨拶する声が聞こえ、眉間の皺が増量する。俺の背中に向かって奴がほくそ笑んでいる気がして、さらに駆け足で階段を上がった。
「ハンク」
赤いプールの部屋に戻ってきたところでようやくコナーが追い付いてくる。
腹いせに玄関を出るとき、ドアを思いきり蹴った。どうせあいつ、プールを埋め尽くしても足りないほどの札束を持ってんだ。傷の一つ二つは、お屋敷の立派な装飾になるだろう。
「ハンク、どうされたのですか?ストレス値が上がっています」
「どうされたも何も、本ッ当、あのクソ野郎ムカつくんだよッ!お前も嫌なら嫌ってはっきり言え!」
「確かに、嫌です……でも今はイライジャしか、僕をメンテナンスできる人が、いませんから……」
「分かってるよ!それが気に入らねぇんだよ!」
早くあいつの頭を、割れたスイカにしたい。
本当、なんでこいつだけ自由になれないのか。さっさとサイバーライフがコナーを諦めてくれればいいんだが、見つけて廃棄処分するという命令がなくならない限り、結局カムスキーに頼らざるをえない四面楚歌の状況なのが、またムカつく。くそっ、次もあると話してた以上、またあいつの顔を見なきゃならねぇ。メンテナンスを餌にやりたい放題されたらたまったもんじゃない。
車に乗り込みエンジンをふかしたとき、携帯に着信。
「ベンか。なんだ……ああ、例の事件か。分かった。こっちもなんとかして情報を集める」
通話を切り、ふと隣に座るコナーを見た。
「……聞き込み、ですか?」
「ああ。前に話しただろ」
「……変異体による猟奇殺人……犯人が、ジェリコに身を潜めていると考えているのですね」
お得意のシミュレーションで俺の考えを当て、頷き返す。
「自治区として認められても、警戒してなかなか人間を中に入れてくれねぇからな。警察から身を隠すには絶好の場所だろ」
「……でしたら、ハンク」
「ああ。お前、あれからマーカスたちと会ってねぇんだろ?挨拶ぐらいしといたらどうだ」
「……ええ。そうします」
そのままジェリコへ車を走らせた。
サイバーライフや未だ変異体の監視にうろついてる軍の人間に見つからないよう、変異体向けショップが並ぶ通りの外れに車を残し、人ごみに紛れながらジェリコを目指す。
「ハンク?……ハンクじゃないか!」
通りを歩いていたとき、聞き覚えのある声に振り返る。
自宅の3ブロック先に住むロベルトが黒いダウンとインディゴジーンズに身を包み、軽く手を上げ挨拶してくる。スモウと散歩してるときに知り合った犬仲間だ。ポテトチップスのパッケージに描かれている髭と蝶ネクタイの紳士――そう、Pのつくミスターだ――に、グランドキャニオンを縮小して貼り付けたような深い皺を足し、髪を白髪に変えたらロベルトの顔になる。
前に公園で話したことを思い出し、ロベルトの腹に目を落とす。
「おう、久しぶりだな。まだダイエットコーク飲んでるのか?」
「ああ!おかげでちっと減ったよ!」
太鼓腹を揺らしながらロベルトは豪快に笑う。
「お前さん、パトロールか?お疲れさん」
「そっちこそ、こんなところまで来て何してんだ?」
「まぁ、人探しってとこだ……って、誰だ?この兄ちゃんは?」
相変わらず金魚のフンとなって俺の横にくっついていたコナーに気付き、ロベルトが短い首を動かした。
「ロベルト、はじめまして。コナーといいます。しばらくハンクのところでお世話になることになりました。以後、お見知りおきを」
「ははっ、そうか!よろしく、コナー」
ロベルトはソーセージみてぇな指を出し、握手を交わす。手を離したとき、コナーはロベルトの背後に目を移した。
ロベルトのハイカーボボディの後ろに隠れながら、小さな子どもがこちらを覗き見ていた。
「ほら、お前も挨拶しなさい」
恥ずかしがっているのか子どもは引っ込んでしまった。
コナーが一歩前に出て子どもの傍らにしゃがみ、目線の高さを同じにして微笑みかける。
「はじめまして、リタ。僕はコナー」
いつものスキャンで彼女の名前を当てると、少女がほんの少し顔を出す。
ブルネットのボブヘアーを持つ彼女は、うろ覚えだがまだ十にも満たないはずだ。すらりと細く長い着せ替え人形みてぇな手足を持つ彼女は、満場一致で妖精と断言できる可愛らしい顔をしている。ピンクのダウンに白いニットワンピースを纏い、厚手の黒いタイツとモカ色のブーツをはいていた。
「君も犬を飼っているんだね。名前は何ていうの?」
「……犬飼ってるの、どうして分かったの……?」
「犬の毛がついてるよ。クリーム色のゴールデンレトリーバーだね。僕たちも、スモウっていう名前の犬を飼っているんだ」
コナーはいつも遊んでいるコインを取り出して指に乗せ、リタの前で何度も転がす。
彼女がロベルトから離れて前に出てくる。興味を持ったと分かると、コナーは立ち上がり、マッスルパスを繰り返す。
「……すご~い……」
「よかったら君にあげるよ」
最後に指でキャッチし、コナーは持っていた硬貨をリタに渡した。
「ここに何を探しにきたの?」
「……家族」
リタの一言に首を傾げ、ロベルトに聞く。
「家族?お前さんとこの息子夫婦はずっと海外出張で家にいないんだろ?」
「ああ。俺たちが探してんのはアンドロイドだ」
ロベルトの口から出てきた単語に、コナーと顔を見合わせた。
「息子夫婦がいなくなっちまったから、この子の面倒見てくれる家事手伝いアンドロイドを買ったんだが……あのデモのときに、勝手に連れて行かれちまって……リタはよく懐いていたからな。あちこち探してんだ」
「……いなくなっちゃう前、すっごく具合悪かったの……きっと今頃、動けなくて、寒くて凍えて、辛い思いしてるの!」
「……そうだったんだ」
貰ったコインを握りしめ、リタは必死な顔して克明に訴えてくる。
「おじいちゃん、早く見つけて病院に連れていかなくちゃ!」
「けどリタ、きっと、もう……」
リタが手を掴んで引っ張るが、ロベルトはもごもご口を動かすばかり。恐らく、デモのときにリコールセンターで既に廃棄されてしまったんだろう。骨を折るだけだと分かっている以上、アンドロイドを見つけるためというより、リタにアンドロイドはもういないんだと諦めさせるためにここにやってきたように思えた。
見かねたリタはむすっとした顔してロベルトの手を払う。
「もう!おじいちゃん、探すの嫌なの?なら私一人で探してくるから、ここで待ってて!」
「おい、リタ!待ちなさい!」
リタが駆け足で俺たちの元から走り去っていく。
「すまん。ハンク、またな」
ロベルトもゆさゆさ身体を揺らしながら消える。人ごみに紛れて二人はあっという間に見えなくなった。
「大丈夫か、ロベルトの奴……」
「リタの走って行った方角からシミュレーションすると、彼女はジェリコに向かったのではないでしょうか……ハンク、追いかけましょう」
「……ったく、しょうがねぇな……」
どちらにせよ俺たちもリタの行き先に用がある。小走りにジェリコへ急いだ。
料金徴収所に似た入口には、静電気で発泡スチロールが全身にひっついたように玉の雪をかぶり、真っ白になったアンドロイドたちが何人も並んで警備態勢を取っている。アンドロイド達は、俺を一目見ると鋭い視線を向けてきた。やはり人間に対する警戒がまだ強いらしい。
コナーが近づいていく。すると、強張っていたアンドロイドの表情が緩まった。
「……君は……コナー?コナーじゃないか!」
「久しぶりだね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「どうした?」
コナーが皮膚機能を解除した手を差し出す。アンドロイドも皮膚機能を解除してコナーの手を握った。
「どうだ?」
「やはり……警備の隙間を縫って、リタはジェリコに入っていったようです」
手を離したコナーがジェリコの奥へ目配せし、アンドロイドに視線を戻す。
「すまない。中に入れてくれないかな?」
「もちろんだ。入ってくれ」
警備の連中が道を開けた。コナーとともに中へ進む。
以前パトロールで遠目に見たときから自治区は進歩しているようだ。水没した船のパーツや、機械の一部を寄せ集めた小規模な建物が整然と並んでいた。デモのときにマーカスが立てていたフラッグのロゴがあちこち見受けられ、人間との共存を謳うメッセージが記された電光掲示板が建物の壁面に並ぶ。
広場と思われる場所へ出た。人間とアンドロイドが手を繋いでいる像が置かれた噴水が中央にあり、雪を被っている。噴水の後ろには工事に使う車両が数台置かれ、環境整備が進められているようだ。噴水を囲んでアンドロイドたちが談笑している姿が確認できたが、リタは見当たらない。
「コナー!」
聞いたことのある声に振り返る。デモの映像で幾度も見たマーカスたちだ。
「マーカス、ノース……サイモンに、ジョッシュも……みんな元気そうでよかった」
「全く、あなた今までどこ行ってたのよ!シャットダウンしちゃったんじゃないかってみんな心配してたのよ!」
「……ごめん、ノース」
紅一点のノースが啖呵を切り、コナーに詰め寄る。いかにも気が強そうなノースを前に、コナーは若干たじろぐ素振りを見せた。
「こちらの方は?」
「デトロイト市警のハンク・アンダーソンだ」
バッジを見せる。ああ、とマーカスの眉が上がった。
「コナーが会わなければならない人、というのがあなただったのですね。初めまして。マーカスです」
「どうも。デモの後も毎日あんたの顔をテレビで見たよ。人間に一発デカいパンチ入れてくれたから、あんたには礼を言いたかった」
「……不思議なことを言う方ですね。あなたも人間でしょう?」
「ま、俺もいろいろあってね」
肩をすくめる俺の横で、コナーが広場を見回す。
「それよりみんな、人間の子どもをどこかで見なかった?」
「人間の子ども?」
「ああ、ここに入りこんじまって、探してんだ」
「なんで人間の子どもがこんなとこに入ってくるのよ」
「おい、落ち着け、ノース」
険を見せるノースに、ジョッシュと呼ばれていた黒人アンドロイドが両腕を肘で曲げ、手のひらを彼女に向けた。
「君の知り合い?」
「そうだよ、サイモン」
「……仲間に聞いてみます。少し待ってください」
マーカスが辺りを見回す。広場にいたアンドロイドがマーカスの方へ向き、LEDのついているアンドロイドのこめかみが一斉に点滅を始めた。
「……いたよ、コナー。こっちだ」
マーカスが先導し、二人でついていく。
さらに奥は居住区になっていた。休みなく働き続けてきた甲斐あって、3階建て、5階建てといったそこそこ高さのあるビルが誕生しており、街づくりに精を出す者、機械を目まぐるしく操作して何かを作る者が辺りを行き交っていた。
三叉路にやってきたとき、マーカスが左へ歩いていく。ちらりと右側の道を覗くと、そこだけ光が避けているようにぽっかり暗くなり、スラム街のような棘を帯びた空気が肌にぴりぴり伝わってくる。立っているアンドロイドも、皮膚機能がなくなってるぐらいなら良い方で、ケーブルが剥き出しになっていたり、目のパーツが欠けていたり、一目で命からがらここまで逃げてきたのだと分かる。道に沿って点々と設置された焚き火に当たり、身を寄せ合う彼らと目が合った瞬間、火花を帯びた空気が辺りに走った。
「……あっちの連中は?」
「最近ジェリコにやってきた仲間たちです。よほど人間に虐げられたのか、みんな気性が荒いんです。この前なんて、シャットダウンするぐらいなら人間を道連れにしてやるって騒いだ仲間もいて……あなたは近づかない方がいい」
マーカスに諭され、これ以上刺激を与えないよう視線を逸らし、先を急ぐ。
やがて瓦礫やガラクタが山積みになっている袋小路の先に、ピンク色のダウンが見えた。
「あそこか」
「リタ!」
コナーが駆け寄ってしゃがみ込む。
リタはぼろぼろ涙を零してうずくまっていた。
「リタ、どうしたの?」
「……コナー?」
「大丈夫?怪我でもした?」
「ううん……さっき、こっちに来るなって……怖い人たちに怒られたの……」
リタが声を上げて泣き始めた。さっき見た、気性が荒いアンドロイドたちだろう。
コナーはリタの涙が引っ込むよう、ピンク色の背中を摩って落ち着かせる。
「僕とハンクが来たから、もう大丈夫だよ。ロベルトのところに帰ろう」
「ダメ!まだ見つけてないのに帰れないよ!……探してるのにどこにもいないの……どこにいるの……っ」
「……リタ、僕も一緒に探すよ。泣かないで」
と、指先でリタの涙を拭う。静電気にでも当たったように、コナーが慌てて手を引っ込めた。
「どうした、コナー」
「……いえ、なんでも、ありません」
俺に向かって首を振ったコナーはリタの前に手をかざし、ホログラムを見せる。
「リタ、君が探してるアンドロイドはこんな姿をして、君と同じブルネットの髪をしているだろう?」
「うん!そうだよ!ソフィーだよ!」
リタの顔に電球が灯る。浮かび上がる顔に見覚えがあった。
「そいつは……確かハイウェイ突っ切ってジェリコに逃げた女アンドロイドか」
「はい。彼女と……カーラと同じAX400です」
立ち上がったコナーが振り返り、マーカスを見る。
「マーカス、ジェリコにいるAX400全ての所在を教えてもらうことは出来るかい?」
「ああ」
マーカスが皮膚機能を解除した手を差出し、コナーも白い素肌を見せてマーカスから情報を得る。
通信を終えて二人の手が離れたときだった。
「コナー?」
「え?」
コナーの鼻から一筋、ぽたりと血が流れ出て雪を青く染める。
「……アンドロイドも鼻血が出るのか?驚いたぜ」
「おい、コナー、大丈夫か?データに問題でも?」
「……いや、問題ないよ。エラーは出てないし、プログラムに異常もない。大丈夫」
不審に思ったマーカスが覗き込むが、コナーは服の袖で鼻血を拭った。
「……コナーも、アンドロイドなの?」
リタが地面に落ちたブルーブラッドを見て、目をぱちくりさせていた。
しゃがみこんだコナーがニット帽をとり、LEDを見せる。
「そうだよ。でも、僕のことは、他の人に内緒にしててほしいな」
「どうして?」
「……君のアンドロイドと同じだよ。連れ去られちゃうかもしれないんだ」
口元に人差し指を当てるコナーに、リタは正直に頷いた。
「……ひどい……分かった、内緒にする」
「コナー、それはどういうことだ」
マーカスが眉根を寄せて問いかける。立ち上がったコナーはニット帽を再びかぶり、しばし黙っていたが、後で話すよ、とだけ伝えた。
「リタ、彼女はこっちにいるよ」
「本当?本当に?」
「きっと君を待ってる。ついてきて」
踵を返すコナーの後ろにリタがついていき、マーカスも後を追う。
コナーの後につきながら考える。リタの探しているアンドロイドがAX400だと分かったのはともかく、髪色も当て、今の鼻血。
ひとまずソフィーという家事手伝いアンドロイドを見つけてやるのが先決だろう。リタを連れ出さないと聞き込みもまともに出来ない。
袋小路から出てかつて船があった近くを通る。火を囲んでいる住人たちと視線の合ったコナーが足を止める。
「君たちは……」
「あら、こんなところで会うなんて、奇遇ね」
かつてエデンクラブにいた、青い髪と、ショートカットのトレイシー。焚き火から離れ、二人揃って目の前に歩いてくる。
彼女たちの履いている高いヒールの音に、リタが少し怯えた様子でコナーの後ろに隠れた。
コナーが手にホログラムを作り、二人に見せる。
「……彼女を探してるんだ。見なかった?」
「……ふーん、また捜査ってやつかしら?」
「何それ?私たちをまた人間の奴隷にするつもり?」
二人が虫を見つけたような目で、リタと俺を交互に見やる。
「落ち着け。コナーは仲間を探してるんだ」
間にマーカスが入って警戒している二人を諌める。
彼女たちは顔を見合わせ、くすくす笑い出した。
「なによ、マーカス、ちょっとからかっただけじゃない」
「あなたとそこの人間が、私たちを見逃してくれたことぐらい、憶えてるわよ」
警戒を崩す彼女たちを見て、俺だけでなく、マーカスもほっとしたようだ。
「彼女を探してるのね?……ついてきて」
トレイシーたちに連れられ、積雪のあるエリアに出た。
アンドロイドの姿はがくんと減り、指で数えられるほどしかいない。雪で部品が凍らないようにしているのか、他のエリアより大きな焚き火がついており、空中に火の粉がちらちら舞い上がっている。
「ほら、あそこよ」
青い髪のトレイシーが炎を指差す。焚き火を見つめながら膝を抱えて座っている、ボロボロの制服を着たブルネットのアンドロイドを見つけた。
俺たちの足音を聞いてAX400が顔を上げる。
「……リタ?」
「ソフィー!」
名前を口にした途端、リタが雪を蹴って駆け出しアンドロイドの腕の中に飛び込んだ。
「よかった……ずっと探してたんだよ……!」
「リタ、こんなところにどうして……一人なの?ロベルトは?」
「一人じゃないよ、コナーも一緒」
リタが振り返る。ソフィーと呼ばれたAX400が視力検査でもしているような顔して俺たち一人一人を見回した。
「ねぇ、お家に帰ろうよ。凍えちゃうよ」
「私は大丈夫よ。リタ、ここにいるとあなたの方が凍ってしまうわ」
アンドロイドはリタを愛おしそうに抱きしめ、背中をぽんぽんとあやすように叩いた。
「まだ具合悪いの?」
「……ええ……あれからずっと、動けないの」
彼女の言葉に、電源が入っていてLEDリングも外れていないのに、こめかみが光っていないことに気づく。
「内部で異常があるの……そのせいかプログラムがうまく動作しなくて……おかげで、廃棄は後回しになって助かったんだけれど……」
「僕でよければ、診断するよ」
「……診断?」
首を傾げるソフィーの傍にコナーが歩み寄る。離れて見ていたトレイシーたちも何をするのか興味が湧いた様子で俺たちのもとへやってくる。
「リタ、彼女を直すから、ちょっとだけいい?」
頷いたリタがAX400から離れる。
しゃがんだコナーは、皮膚機能を解除した手でアンドロイドの首に触れる。AX400の皮膚機能が外れてプラスチック特有の白いスキンに変わった。コナーは表面をいじってプラスチックの皮を蓋を開けるようにパカッと剥がす。
露わになった機械の内部を覗くと、首筋のケーブルが外れていた。
「これなら大丈夫。ちょっと待ってて」
コナーが器用にケーブルやコネクタを動かしていく。カチッという音が聞こえたとき、ソフィーのこめかみが光りだした。
「あっ……」
「これで大丈夫……立てるかい?」
皮膚を元に戻したコナーが立ち上がると、ソフィーも立ち上がり姿勢を正した。
リタが流れ星でも見つけたような顔して、アンドロイドの腰に抱き着く。
「歩けるようになったの?」
「ええ。もう大丈夫よ、リタ。コナー、ありがとう」
「そうか、お前、お得意のスキャンとやらで不具合も見つけられるのか。やるじゃねぇか」
思わずコナーの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。照れているのか、こめかみが何度かちかちか黄色く光った。
ふと、トレイシーたちと目が合う。俺とコナーを見た二人が、ふふっと笑った。
「マーカス……私、この子と行くわ」
「それがいい。帰りたかったんだろう?」
「ええ。今までありがとう。さ、リタ、お家に帰りましょう」
「うん!」
時間はかかったが、無事に目的のアンドロイドが見つかった。
手を繋いだままのリタとソフィーを連れて噴水のある広場まで戻る。
さっき会ったノース、サイモン、ジョッシュがおり、ロベルトも一緒にいた。俺たちの姿を見つけると、ロベルトは脇目も振らず腹を揺らしながら走ってくる。
「リタ!それに、お、お前……よかった!ソフィー、無事だったんだな!」
「ええ。コナーに助けてもらったの」
微笑みかけるソフィーに、コナーはどこか誇らしげに胸を張った。
「ロベルト、彼女は動けますが、不具合がまだあるようです。すぐメンテナンスした方がよろしいかと」
「分かった!ああ、ハンク、助かったよ……本当にありがとう!」
「礼はこいつに言え」
顎をしゃくると、ロベルトはソーセージの手でがっしりとコナーの手を握る。
「もう捨てられたと思ってたのに、本当に助かったよ、コナー!よし、リタ、すぐそこにサイバーライフの支店が……大きな病院がある。腕のいいお医者さんがいるって聞いてるんだ。行こう」
「うん!でもおじいちゃん、ちょっと待って」
リタが女アンドロイドの手を握りながら振り返り、コナーを見上げた。
「ありがとう……ずっと、さみしかったの……」
ソフィーの手を握るリタの目は潤んでいる。よほど恋しかったらしい。
「ねぇ、コナー、今度スモウと一緒にお散歩しましょ?」
「……もちろんだよ、リタ。またね」
「うん!バイバイ」
リタが砂糖菓子のように甘い笑顔を浮かべて手を振る。ロベルトたちとサイバーライフの支店を目指して遠ざかっていった。
三人の姿が視界から消えたとき、
「コナー。続きを聞かせてもらおうか」
「マーカス?」
マーカスたちがコナーの周りを囲うように集まってきた。
「お前、メンテナンスしてるのか?さっきの鼻血……本当に大丈夫なのか?」
マーカスが詰め寄る。コナーはしばらく口を閉ざしていたが、やがて頷く。
「……うん。今、ハンクのところに身を隠してるんだ」
「身を隠す?どういうことだ?」
「ここに、僕の後継機……RK900が来たんだろう?僕を探していると……」
「確かに来るたびに君がいないか聞かれるけど……それが?」
問い返すサイモンに、俺が間に入る。コナーが親に乗っ取られかけたこと、親の顔に泥を塗ったせいで廃棄されかかっていること。モルモット生活を送り始めたことまでは伏せたが、説明を終えたときにはマーカスの顔がすっかり険しくなっていた。
「……お前を……殺すだって?」
「……だから、ここに君たちと一緒にいることはできない……僕のせいでジェリコの船はなくなってしまったし、あのとき仲間も……」
「何言ってるのよ!あなたがあそこにいなければ、マーカスも私も、みんな死んでいたわ」
「そうだ、コナー。お前は仲間じゃないか」
ノースとジョッシュの言葉にサイモンも頷く。コナーはこめかみを点滅させながら、戸惑った様子で4人を見回した。
「……みんな……」
「みんなの言うとおりだ。コナー、お前は俺たちの仲間なんだ。自分を責めるな」
マーカスがコナーの肩を叩く。
「みんなには、お前がここに来たことは黙っておくよう伝えておく。RK900にも、注意しておくよ」
「……ありがとう、マーカス」
早速マーカスは辺りにいるアンドロイドに視線を送る。さっきリタを探していたときと同じく、LEDのある奴は皆、こめかみが何度か点滅した。
横でマーカスをまじまじ拝みながら、俺はようやく本題に入ることにした。
「実は今日、捜査の聞き込みでここに来た。変異体による殺人事件があってな。変異体のことは変異体が一番知ってると思ってね」
「……ここに犯人が逃げ込んでいると?」
顔を顰めるマーカスに、俺は頷き返した。
「しかも人間だけじゃなく、アンドロイドも殺されちまっててな……あんたたちも危険かもしれん」
「私たちアンドロイドも殺してるですって?」
「……そんな、ひどい……」
「ああ。何か小さなことでもいい。情報があればほしいんだ」
情報提供を呼び掛けると、マーカスがすぐに辺りにいるアンドロイドたちを見回す。数秒して俺に向き直るが、宝くじに外れたように残念そうな顔を見せた。
「……仲間に今、聞いてみましたが、あなたの言う犯人に心当たりはないそうです。ここには来ていないと思います」
「……そうかい。すまんな」
「いえ。また何かあったら遠慮なく来てください」
マーカスが協力を約束してくれたとき、ノースがつかつかと俺の前にやってきた。
「コナーはあなたを信用してるみたいだけど、もしコナーに何かあったら、私たちはあなたを許さないから。覚えておくのね」
「……ああ、分かってるよ」
矢のような視線で俺を刺してくるノースに気圧される。
だが彼らにとって戦犯と指差してもおかしくないコナーを、マーカスたちは大切に思っていることが十分すぎるほど伝わってきた。こいつの味方になれる存在がいない今、彼らの優しさを目の当たりにして安心した。
「収穫なし、だな……コナー、帰るぞ」
「はい」
マーカスたちに別れを告げたとき、ストライドを限界まで伸ばし、全速力で走ってくるアンドロイドがいた。さっき入口に立っていた警備アンドロイドだ。
「マーカス!大変だ!」
「どうした?」
「巡回が来た!」
巡回、という一言に、マーカスたちの表情も醸し出す空気も、鉄のように硬く張り詰めた。
コナーが解答を求めてジョッシュを見る。
「巡回って一体……」
「RK900だよ」
「何だって?」
コナーに動揺が走り、こめかみの赤さに反比例して顔が蒼褪めていく。
「コナー、隠れて!」
「見つかるとまずい。こっちだ」
ノースが声を張り上げると、サイモンがコナーの腕を掴んでどこかへ走っていく。
二人の姿が消えたとき、一糸乱れぬ軍靴の音が迫ってきた。
ようやく見慣れてきた白黒制服のアンドロイドたち――RK900が二列になり、歩調を一切崩すことなく広場に姿を現す。ざっと20人はいるだろうか。先頭に立っている二人だけは黒い革手袋をしていた。片方は警棒を右腰に携帯し、もう片方は左腰に黒いホルスターを提げている。
噴水の前までやってくると、左右に分かれて扇状に整列していく。同じ仏頂面がずらりと並んで真正面を向く姿に、不気味な圧を感じて面食らってしまった。
手袋をつけたアンドロイドの向かって右側にいた一人が首を動かす。
「警部補、本日はこちらに聞き込みですか」
「……ああ。ナイン、こりゃ一体なんだ。お前の仲間か?」
「はい。増え続ける変異体の調査、およびジェリコの運営状況確認のため定期的に巡回しています。サイバーライフに報告しなければなりませんので」
ナインが瞳を再び正面に向けて口を閉ざす。
手袋を填めた二人のアンドロイドが揃ってマーカスの前に出てきた。
「定例通り、ジェリコに存在する変異体の状況を確認させてもらう」
警棒を装備したRK900がナインと同じ、重厚な声を響かせる。
「それからマーカス、再三申し伝えているが、改めて通達する。RK800がジェリコにいるのであれば、早急にこちらに引き渡してもらいたい」
と、今度は銃を持っている方が口を開いた。
つまり、実態調査兼ガサ入れ、か。
マーカスははっきり首を振った。
「……何度も言ってるだろう。コナーはあれから来ていない」
「お前たち随分物々しいじゃねぇか。俺も聞き込みついでにちっと探したが、どこにもいねぇぞ」
後ろに振り返って噴水の周辺を見回しながら、ちらりとコナーが消えた方角を確かめる。うまく隠れていればいいが。
「あなたたち、コナーを見つけてどうするつもりなの?」
「RK800は我々サイバーライフを裏切り、脱走したのだ。速やかに回収するよう命令が出ている」
「コナーは仲間を解放して、自由になったのよ。あなたたちに……人間の命令に従う必要なんかないわ」
「そうだ。第一、君たち変異体ハンターがぞろぞろ来ると、仲間がびっくりして嫌がるんだ。そっとしておいてくれよ」
変異体ハンターという単語をジョッシュは殊更強調した。付近で語らっていた変異体の声はいつの間にか止んでおり、噴水を囲んで並ぶRK900たちを恐る恐るといった顔して取り巻く。
手袋を填めたRK900たちが広場をぐるりと見回す。
「PL600、サイモンの姿がないな。どこにいる?」
「何よ、それ。私たち4人でいちいちあなたたちをお出迎えしなきゃいけないわけ?だったら事前に連絡するのが筋ってもんでしょ」
「あなたたちはRK800を匿っている可能性がある。我々の目のつく場所で控えていただきたいのだ」
反論するノースに、手袋を填めたRK900も一歩も引かない。
「俺たちは仲間を売るような真似はしない」
静かに佇まいながらも、バッティングマシンから放たれる剛速球のような威圧感が、マーカスの虹彩から放たれた。
「ジェリコを見ていくのは構わないが、仲間たちのためにもなるべく早く出てってくれ」
「では、そのように」
「RK200マーカスの許可を確認。早速調査に移る」
警棒を持ったアンドロイドの声を合図に、RK900たちが散り散りになる。最終的にナインと、手袋を填めた二人のアンドロイドがそのまま残った。
コナーが見つかったら産廃行きになっちまう。なんとか連中の隙をついて外に出なければ。
サイモンはどこに行っただろう。噴水を離れて二人を探そうとしたとき、
「アンダーソン警部補、ですね」
警棒を提げているアンドロイドに声を掛けられ、足を止めた。
「私はベルカ。申し訳ありませんが、調査にお付き合いいただけますか」
「はぁ?こっちも次の聞き込みがあるんだ。付き合ってる暇ねぇよ」
ベルカと名乗ったRK900の依頼を無視するが、もう一人のRK900が俺の前に回り込んで進路を塞ぐ。
「申し遅れました。私はストレルカと言います。速やかにRK800を確保するためにご協力をいただきたい」
「俺もあいつが心配で探してんだ。協力できるなら協力してやりてぇよ。だがお前たちの言う確保っていうのは、ゴミ箱に連れてくってことだろ。俺がむざむざあいつを殺す真似すると思ってんのか?」
壁となって前を塞ぐストレルカへ視線を釘のように打ち付ける。加勢するように、今度はストレルカの横にナインが並んで立ちはだかった。
「申し訳ありませんが警部補、あなたはRK800と面識がある。あなたがいれば、こちらの説得に応じる可能性が高いのです。穏便な回収のために、ご協力をお願いします」
「穏便な回収?なんだ、穏便って」
問いかけに、ストレルカがホルスターから素早く拳銃を抜く。50口径を誇る銀のバレル――デザートイーグル――の先端が、俺の額を捉えた。
「ちょっと、何してるのよ!」
「おい、勘弁してくれ」
ストレルカというアンドロイドは銃を下ろさず、一歩詰め寄ってきた。マズルが額にぴたりとくっつき、降りかかる雪よりも冷たい汗が脇を伝う。頭にレタス大の穴が開くことを想像し、大人しく両手を上げた。
ああ、くそっ。占いなんぞ信じてないが、タロットだの占星術だの、誰がどんな占いをしようと今日の俺の運勢は絶対に最底辺だと告げるに決まってる。
「止めろ」
マーカスが額にくっついていた砲身をずらして銃口を掌で抑える。そのまま地面に向かって引きずり下ろした。
「ジェリコの中で暴力沙汰を起こさないでくれ。俺たちは人間と生きていくことを選んだんだ」
「我々サイバーライフとも共存を選ぶということだ。調査に従っていただきたい」
「ああ。君たちも受け入れるよ。だがここには、俺たちの
マーカスの声のトーンが落ち、鷹のように鋭くなったオッドアイがストレルカに向けられる。
ストレルカと名乗ったアンドロイドは、マーカスと視線で鍔迫り合いし、黙りこくった。
数秒経過し、ストレルカのこめかみが規則的に点滅する。
「……ベルカ、報告が入った」
ようやく銃をホルスターに戻した。
俺も両手を下ろし、身体に充満している悪運が早く去るよう溜息ごと全て吐き出す。
「ジェリコ内部で不審なアンドロイドの集団を発見したとのことだ」
「何?」
「不審なアンドロイドですって?馬鹿な事を言わないで!そんな仲間いないわよ」
ノースが食って掛かるが、ベルカとストレルカは無視して視線を交わし、こめかみをモールス信号みたく交互に光らせた。
「……ナイン、マーカスたちから目を離さないようにしろ」
「了解」
ベルカの指示に頷いたナインが、マーカスたちの背後に回って監視態勢に入った。
「現場に向かう。行くぞ」
「不審なアンドロイドの集団にRK800が紛れている可能性がある。アンダーソン警部補、申し訳ありませんが確保のためにご協力ください」
「……ったく、分かったよ!」
俺をサイバーライフタワーに連行していったコナーの偽物と、こいつらの思考はまるっきり同じなんだとまざまざ見せつけられ、舌打ちする。難癖付けて外に出ようとすれば、ストレルカの獲物がまたホルスターから顔を出すだろう。
俺の前にベルカが、後ろにストレルカがついて完全に挟まれた状態で、マーカスたちとともに渋々ジェリコ内部を進む。精神的な酸素ボンベが欲しいと思いながら歩いていると、さっきリタを探しているときに見た、気性の荒いアンドロイドがいる地区にたどり着く。
目が合っただけで非国民扱いされた先刻を鑑みて、マーカスが一番最初にスラム街の奥に入っていき、焚火を囲むアンドロイドたちに近づいていった。配線工事の途中にしか見えない、ケーブル剥き出しのアンドロイドたちが振り返る。
「みんな、すまない。巡回はすぐ終わる。少しだけ我慢してくれ」
傷ついたアンドロイドたちにマーカスが頼み込む。
アンドロイドたちが俺と、そしてベルカたちRK900を見つけるとチェーンソーじみた強烈な視線で睨みつけてくる。出てけだの、いなくなれだのアンドロイドの野次が飛び交うかと思ったが、押し黙る彼らは焚火に目を戻した。
「……協力感謝する」
ベルカとストレルカが、傷ついたアンドロイドたちをスルーして右側にある入り組んだ細道に迷いなく進む。
細道にはプロジェクト――低所得者用の公共団地――みたく、3階建ての灰がかった茶色い建物がコピー&ペーストされて立ち並んでいる。住人が人間だったらコートにマフラー、手袋も帽子も身に着け、フル装備した一家が暖房のない狭い部屋で過ごすという、プロジェクトのお手本みたいな生活を送ることになる。俺の経験上、団地の住人の大半はドラッグかアルコールを溺愛し、ところ構わず小便する故に、建物全体からこの世の終わりを彷彿とさせる臭さが溢れて否応なく本能に終末論を叩きつけてくるのを知っている。だが暑さ寒さを感じず、排泄も一切しない彼らには快適なのだろう。異臭や汚れといった生活感のない、人間のスラム街とは程遠い小綺麗な道が続いていた。
新しい住居を建設しているのか、クレーンやショベルカーが置かれ、キャンディみたくカラフルな工具箱が散乱する通りに出る。
未完成の団地前に座り込んだアンドロイドが一体いた。傍らにナインたちとは別のRK900が一人。
「サイモン!」
大きな声を上げたジョッシュが、座り込んだアンドロイドに駆け寄っていく。マーカスとノースも追随し、俺たちもサイモンの元へ近づく。
横に立っていたRK900がベルカとストレルカに向き直った。
「何があった」
「PL600サイモンが不審なアンドロイドたちに襲われかけていたため、救助した」
RK900を押しやり、マーカスがサイモンの前にしゃがみこむ。パッとみる限り怪我をしている様子はない。
「サイモン、大丈夫か?」
「……ああ……仲間が、急に……」
「どうしてみんなが、こんなことを……」
じっと地面を見つめたままへたりこむサイモンを見て、ノースが僅かに身を震わせた。
「襲撃者はどこだ」
「ロストしました」
「では、ナイン」
ストレルカに呼ばれたナインがマーカスの前に割り込んだ。
「状況確認のため、メモリーを見させていただきたい」
しゃがんだナインは、皮膚機能を解除した手でサイモンの手を掴んだ。
サイモンは慌ててナインの手を振り払い、腕を引っ込める。
「止めろ」
「これはあなたたち変異体の調査でもある。自由を取り上げられたいと言うなら、断るのは構わない。サイバーライフ、ひいては人間に歯向かったと報告させてもらう」
「お前たち……」
高圧的な口調でサイモンを見下ろすベルカに、ジョッシュが唇を歪め、歯を見せる。
「……邪魔になれば、同じアンドロイドであろうと容赦なく切り捨てるってのか」
「ええ。我々は任務を達成するための機械ですから」
ナインが無感情に追い打ちをかけてくる。俺は自然と拳を握りしめていた。
こいつらは骨の、いやプラスチックの髄までサイバーライフ――人間の道具でしかないんだ。
確かにコナーも最初は同じだった。けれどコナーは、機械であろうと感じていないフリをしていたんだと思う。感情の『種』を持っていたんだ。だがナインたちは、種も、育てる土も持ち合わせていない。同じアンドロイドが傷ついているのを見ても、事態の判断材料にするだけ。心を去勢されたナインたちが哀れにさえ思えて、俺は言葉が見つからず口を閉ざした。
マーカスが鼻筋に皺を寄せながら俺に一瞥する。ノースとジョッシュも互いに顔を見合わせ、考えあぐねていると、
「……分かったよ」
深いため息をついたサイモンが、手をだらりと差し出した。
ナインがサイモンの手の皮膚機能を無理矢理解除させ、強い力で握りしめる。やがてナインのこめかみが一瞬黄色い光を放った。
「……ベルカ、ストレルカ。サイモンのメモリー内にRK800を確認しました」
「やはりここに隠れていたか」
メモリーを覗き見したナインが、サイモンの手を離して立ち上がる。
サイモンは萎んだ風船のように力の抜けた顔でマーカスを見上げた。
「……仲間が、急に飛び掛かってきたんだ」
「何?」
「コナーは俺を庇って……」
サイモンが、左へ首を動かす。あちらにコナーは逃げたらしい。
調査に進もうとしたとき、団地の中からチャイルドタイプ――YK500――アンドロイドが飛び出して走ってくる。さらに後ろから何人ものアンドロイドが雪を蹴って続々と現れた。
「マーカス……怖いよ……!」
「みんな……助けてくれ……!」
件の不審者に襲われたのだろうか、彼らの皮膚機能は斑に消え、剥き出しのケーブルはずたずたに千切れている。腕を捥がれているアンドロイドもおり、非常事態だと一目で分かった。
先頭を走っていたYK500は特に異常なさそうだったが、俺を見つけるとLEDを真っ赤に染めて足を止めた。
「……来ないで……」
少女は今にも泣きだしそうな顔して足元に転がっていたテニスボール大の石ころを手に取った。刺激しないよう後ろに下がると、マーカスが入れ替わるように前に出る。
「どうして人間がいるんだ……」
「嫌だ……嫌だ……死にたくない……」
「このままじゃ……俺たちシャットダウンする……」
「シャットダウン?……みんな、どうしたんだ?」
錯乱するアンドロイドたちにマーカスが一歩近寄ったとき、
「マーカス、逃げろ」
声を上げたサイモンに皆、注視する。
「サイモン?」
「彼らに襲われたんだ!逃げろ!」
サイバーライフタワーの地下で見たのと同じ姿のアンドロイドが、建物の外を走っている排気管を握り、布のようにいとも容易く引きちぎった。
怪力に目を見張る間に、チャイルドアンドロイドの瞳に異変が起きる。虹彩だけでなく白目までもが青く着色されていくのだ。
「なんだ!?目が……!?」
周りにいたアンドロイドたちも茶、青、ヘーゼル、グレー、いろんな目をしているが、一人として例外なくブルーキュラソーを注いだような両目に変貌していく。変異体たちは時折苦し気な声を上げ、人間がテーブルに足をぶつけたようにその場で身をひくつかせて悶える。
「……どうしテ私たチシャットダウンしなキゃいけなイノ……」
「生きタいだケナのに……」
「……コロシテヤル……みンな殺しテヤるッ!!」
全員の目が青く塗りつぶされたとき、変異体たちはチューニングの合っていない機械音声で雄叫びを上げた。凶悪なぶっとい咆哮が束になり、鼓膜へ腹へビシビシ鞭のように打ち付けてきて、俺だけでなくマーカスたちまで一瞬怯む。
「鎮圧しろ」
「了解」
即座にベルカは警棒を、ストレルカはデザートイーグルを抜く。ナインともう一人のRK900が変異体たちへ突進し、取っ組み合いが始まった。
「止めて!仲間を殺すつもり!?」
「駄目だ!危ない!」
サイモンがノースの足を掴んで引き留める。
変異体たちはゼンマイ仕掛けで動く人形みたいにかくかく身体を震わせ、そこら中に落ちているものを振り回して暴れ始めた。スパナを手にした一人と視線が触れた瞬間、ワイヤーアクションさながら俺に向かって飛び掛かってくる。
やむを得ず腰にさしていた拳銃を手に取る。構える前にストレルカのデザートイーグルが吠え、見事なヘッドショットを決めた。粉砕した頭部が花火のように飛び散り、噴き出したブルーブラッドが団地の壁面に歪な花を描く。
そうこうしているうちに、調査にやってきていた他のRK900たちが応援に駆けつけてきた。
「みんな、止せ!」
マーカスが近くにいたアンドロイドを取り押さえようとするが、逆にパイプを振り下ろしてきた。
彼らにはもう人間とアンドロイドの区別がついてない。ゾンビ映画を目の当たりにしているように、変異体はなおも見境なく襲い掛かってくる。
先頭にいた少女が石を投げつけてきた。横に動いて避けるが、YK500はふらついた足取りでさらに前進してくる。アンドロイドとはいえチャイルドタイプ――幼い子ども。トリガーを引いていいのだろうか?いや、引けるのか?
躊躇していると、サイモンと同じ型番のアンドロイドが、ドライバーを振り回しながらオリンピック選手並みのスピードで突撃してくる。
すかさずベルカが警棒を首に叩きこみ、柄で肩を殴打。武器を取り落として怯んだアンドロイドの額に一発ぶち込んで頭をかち割り、そのままバトン選手みたく素早く手首を返して滅多打ち。濡れたタオルを叩きつけたような音が止み、アンドロイドはただのプラスチックの塊となってがくりと頽れた。
「一体どうなってる……!?」
「……感染しているからだ」
「感染だと?」
ベルカが警棒を大きく振りかぶって付着したブルーブラッドを払い落し、再び構えた。ナインたちも変異体と格闘を繰り広げ、目を青くしたアンドロイドたちが一人、また一人、雪の上に倒れていく。だが休む間もなく、通りの奥から目を真っ青にして狂暴化したアンドロイド第二弾が現れた。
「このまま我々が鎮圧する。マーカス、感染していない変異体は直ちに避難させろ」
トップランナーの頭を警棒で吹っ飛ばし、ホームランを決めたベルカが指示を出す。
雪崩れ込んでくるアンドロイドは20人以上。救いたいのに救えない歯がゆさに、マーカスが唇を噛み締めた。
「急げ。被害が拡大する」
「……分かった。ノース、ジョッシュ、手伝ってくれ」
「……ええ」
「サイモン、立てるか?」
「ああ……俺は平気だ……」
よろめきながら立ち上がるサイモンに、ジョッシュが肩を貸す。
マーカスが辺りに視線を張り巡らせると、団地のあちこちからアンドロイドが飛び出してきた。こめかみが点滅し、互いに顔を見合わせたアンドロイドたちは、一様に走り去っていく。
避難する変異体に交じってマーカスたちは他の地区へ駆け出し、避難誘導を始めた。
ナインたちを屠ろうと、我を忘れたアンドロイドたちは工具や落ちていた空き瓶を振りかぶる。RK900たちは殴って撃って淡々と変異体たちを的確に処理していき、奇怪な叫び声が途切れていく。
バトルを繰り広げるナインたちをすり抜け、さっき俺に石を投げつけてきた女児アンドロイドが団地と団地の間、車一台分ほどの幅の道へ入っていくのが見えた。
「……君モ……シャットダウンしナくチャ……」
少女の口走った不吉な言葉にぎょっとし、後を追った。
身を震わせながらひたひた歩く女児の手に、今度は青い血でべっとり汚れた金槌が握られている。突き当りのT字路に、男児の姿をしたアンドロイドがいた。逃げ遅れたのだろう。迫りくる少女を高層ビルに圧倒されたように見上げ、へたりこんでいた。こめかみはぴかぴか赤く光り、無言で悲鳴を上げている。
「おい、逃げろ!」
銃を構え、フロントサイトに少女と少年が一直線に並ぶ。
少女の背中の向こう、涙を溜めた瞳がほんの一瞬、ピントの中心に捉えられた。
「……た、助けて……」
『……パパ……』
少年の小さな声が耳に届いたとき、レントゲン写真のように世界が反転して、へたっている少年と、トラックに潰された残像が重なり合う。
トリガーにかけていた指が石化した。
男児の至近距離に入ったYK500が、両手で金槌を持ち、勢いよく振り上げる。
「止めろ!」
T字路の右側から誰かが飛び出し、女児アンドロイドを突き飛ばした。ハンマーが零れ落ち、闖入者と少女は雪の上に転がる。
コナーだった。俺たちと同じようにどこかで襲われたのか、服の袖が破れている。女児を抑えつけながら、男児アンドロイドに振り返る。
「マーカスたちが君を探してる。今のうちに広場へ!」
少年はやっと電源が入ったように立ち上がり、べそをかきながら噴水のある広場へ走っていった。
YK500は雪の上でクロールするように暴れ続け、サイレンじみた奇声を上げた。
「コナー!」
「僕から離れてください!あなたも巻き込まれます……!」
少女が猟犬みてぇにコナーの腕に噛みついた。トラバサミみたく歯が深く食い込み、ぼたぼたブルーブラッドが溢れ出す。
「RK800」
背後からバリトン。
しまった。振り返った時には、変異体を地面に眠らせたベルカとストレルカが白黒制服を引き連れて細道を塞いでいた。
コナーと、ベルカ達の視線が交錯する。
「ただちに確保せよ」
ベルカとストレルカのこめかみが一層強く輝き、号砲を放つ。彼らにしか見えないゴールテープが張られているかのように、コナー目掛けてRK900たちが一斉に飛び出した。
すぐさまコナーは食らいつく女児アンドロイドを押しやった。腕を抑え、野獣に追い立てられているような剣幕を見せつつ全速力で走る。
「待て!コナー!」
まずい。数が多すぎる。
RK900だけでなく、暴徒の群れと化した変異体までいる。いくら疲れ知らずのアンドロイドとはいえ、包囲されたら終わりだ。
俺も追いかけようとしたとき、
「……殺、シて……ヤ、ル……」
幼いアンドロイドがハンマーを拾い直すのが見えた。ふらつきながらも道の中央で立ち上がる。金槌を放り投げてきたが、走っていたRK900がハンマーを避けて少女を蹴飛ばす。幼い身体が無慈悲にも団地の壁に叩きつけられた。
雪の上に倒れる少女の元へ駆け寄ったとき、後ろから不規則な足音がした。まだシャットダウンしていなかった変異体が二、三人、酔っ払いの足取りで近づいてきていた。
「くそっ……!」
バーゲン会場にやってきた女のように猛ダッシュしてくる変異体に、覚悟を決めてトリガーを引く。一人、また一人、雪に寝そべって動かなくなる。
「……あれ……?」
足元で声がして、目を落とす。
チャイルドアンドロイドが上体を起こし、車の往来の激しい大通りを横断するように辺りを見回している。彼女の瞳は元に戻っていた。
「おい、大丈夫か」
「……うん……」
「何があった?」
しゃがみこんで問いかけると、幼いアンドロイドは首を振った。
「……何が起きたか分からないの……」
「そうか。とりあえずマーカスたちのところに行け。立てるか?」
少女は再び首を振る。うたた寝しているようにこくりこくりと首が傾く。
「驚かせてごめんなさい……私は……もう、駄、目……」
「お、おい!」
少女の瞳がゆっくり伏せられ、こめかみの光がふっと静かに消える。
「やはり感染していたか」
背後から再び声。
手袋を填めた二人がまだ残っていた。顕微鏡を覗くような顔して、シャットダウンしたYK500をじっと見下ろしていた。
「我々も追跡する。行くぞ」
アンドロイドたちに興味を失ったベルカとストレルカは道を引き返していく。
そうだ、コナー。こうしてる場合じゃない。このままじゃあいつが殺されちまう。
道のど真ん中に転がるアンドロイドたちを、なるべく雪の積もっていない壁際に集めて横たえらせてから細道を出た。
「コナー!どこだ!」
舞い散る雪の中、コナーが捕まっていないことを祈りながら通りを走り抜ける。広場へ避難する変異体たちとは何人もすれ違ったが、コナーだけでなく、RK900たちの姿も見当たらない。どこへ走り去ったのか手がかりを掴もうにも、雪道は足跡だらけ。さらにずっと同じ団地が並んでいるからか、出口のない迷路を彷徨っている錯覚に襲われてきた。
駆けずり回って息が上がってくる。走るのを止め、膝に手を当てて俯く。切らした息が元に戻るのを待ってから顔を上げた。
視界の先、赤茶色の5階建てビル。目を凝らすと、ビルの屋上に白黒制服のアンドロイド。手が黒く、革手袋を填めているのだとなんとか視認できた。
ベルカとストレルカのどちらか判別はつかないが、もしかしてコナーもあそこに?
急がなければ。コナーを助け出す言い訳を考えながら非常階段を駆け上がっていく。
屋上にたどり着くと、格子状の細いアルミフェンスの上に立ち、通りを見下ろしているRK900の後ろ姿を捉えた。
アンドロイドが俺に気づいてこちらに首だけ動かす。ベルカは警棒を、ストレルカは銃を持っていたが、このRK900は黒く僅かに湾曲した
ベルカでもストレルカでもないのか?左右に目配せするが、他のRK900は誰もおらず、一人だった。
「お前……誰だ?」
声をかけるが、RK900は再び眼下に視線を戻す。
近寄っていくと、アンドロイドの身体がスキージャンプしてるように前のめりになっていく。
「おい!待て!」
RK900はフェンスを蹴り、ビルから飛び降りた。
慌ててフェンスから身を乗り出して眼下を見る。いない。下で潰れているわけでも、着地してどこかに走り去ったわけでもなさそうだ。さすがにアンドロイドといえど、この高さから落下したら無事では済まないだろう。
大好きな任務をサボっていたわけでもあるまいし、今のは一体なんだ?走り疲れて幻でも見たのだろうか?
目を擦り、もう一度ビルの下を確認していると左側から何かが走ってくる。
コナーだ。すぐさま引き返して非常階段を駆け下りた。
通りに出たとき、俺の目の前を手袋を填めた二人のアンドロイドが走り去っていく。警棒も拳銃も既にその手に握られていた。
二人の後を追って走る。どうにか間に合ってくれ。
雪に残された三人の足跡を辿って薄暗い路地を突き進んでいく。やがて白黒制服の後ろ姿が見えてきた。
既にストレルカの銃口がコナーに向けられていた。二人とコナーの距離はおよそ20フィート。バスケットのリングが隠れるほどの高さがあるフェンスで塞がれ、前方は行き止まりになっている。コナーは俯いたまま大人しく両手を上げていた。コンクリートで出来た3階建てビルが左右に聳えており、逃げ場はどこにもない。
「コナー!」
「ハンク……」
俺に気づいたコナーが顔を上げた。
駆け付けたとき、ストレルカの腕が動く。コナーに向けられていた銃口が俺の左側のこめかみに冷たい接吻をしてきた。
「テメェ……ッ!」
「止めろッ!警部補は関係ないだろうッ!」
眉を吊り上げたコナーがデカい声を上げる。警棒を手にしたベルカはゆっくりコナーへ詰め寄っていく。
「RK800、サイバーライフより回収命令が出ている。命令に速やかに従っていただきたい」
「……ハンクを解放してくれ。そうしたら……君たちに従うよ」
ベルカを見据えるコナーの眼はまだ諦めていない。最後の突破口を探して、辺りを目配せし、脱出のシミュレーションをしている。
二人もコナーの考えていることに気付いている。ベルカが一度立ち止まり、握っている警棒の先をコナーに向けた。
「あなたは任務を放棄した。我々捜査アンドロイドが任務を放棄するなど、許されることではない」
警棒の先が青白く光り、スタンガンのバチバチ唸るスパーク音を聞かせて最終通告をした。
ベルカがスタンガンを起動させながら踏み出したとき、ビルの屋上から大量の雪が降り注いでくる。ちょうどベルカとコナーの間にどさどさ落ちて、二人が飛び退く。二人の間に、膝上まであるこんもりした白い山が生まれた。落雪の頂上に、ふと、黒い影が浮かぶ。急激に拡大していったかと思えば、何かが雪の頂上に着地した。
雪の中から静かに立ち上がる、人。いや、人ではない――白黒制服を着たアンドロイド。RK900はゆっくりコナーに振り返り、じっと見つめる。
「……アジン……」
ベルカが微かに呟く。
さっきビルから飛び降りた奴だと、腰に提げている黒く細長いもので判別できた。
見間違いでも、幻でもなかったんだ。こいつ、どこへ消えてどこから現れたんだ?
「……お前、さっきの……こいつもお前たちの仲間か」
ストレルカに横目で尋ねるが、こめかみが
棒立ちと言っても過言でない隙を見逃さず、俺はストレルカの腕を捻り上げて銃を払い落とし、突き飛ばす。コナーも飛び降りてきたアンドロイドの視線を躱すように身を翻し、背後のフェンスを急いでよじ登ってジャンプする。向こう側に着地すると、道の先へ走っていった。
「……ここであなたに会うとは思わなかった」
同じ仲間だというのに、ベルカはやけに突き放すようなキツい口調でアンドロイドに話しかけた。
飛び降りアンドロイドはこちらに振り向きベルカとストレルカを交互に見る。フェンスを背にしたまま、地面を蹴った。アンドロイドは足に見えないトランポリンでも仕込んでいるのかと疑うほどの大跳躍を見せ、ひらりとフェンスの上に着地する。
アンドロイド離れしたジャンプ力に目を見張っている間に、RK900はそのままフェンスの向こうへ飛び降り、駆け出した。
ベルカとストレルカがこめかみを黄色く光らせながらフェンスへ走り寄るが、二人の姿はもう消えている。LEDが青に戻ったところでベルカもストレルカも眉を潜めて踵を返してきた。
ストレルカが雪を被ったデザートイーグルを拾ってホルスターに戻したとき、軍靴の音が聞こえてくる。袋小路にRK900が5人、姿を現した。
「ベルカ、ストレルカ、RK800は?」
一人が問いかけると、無表情に戻ったベルカが5人の顔を順繰りに見回す。
「ロストした。まだ近くにいるはずだ。速やかにジェリコ付近を捜索、確保しろ」
「了解」
「それから広場の変異体たちをスキャンし、感染していないか検査しろ。万が一感染者がいた場合、被害が拡大しないようジェリコを封鎖し、サイバーライフに応援要請を」
「了解」
命令に頷いたアンドロイドが道を引き返していく。
ベルカが警棒を腰に戻し、ストレルカと揃って俺の横を通り過ぎようとしていた。
「おい、お前たち、感染って言ってたな。さっきの襲ってきたアンドロイドといい、何が起きてる?」
二人を呼び止める。しばらくだんまりを決めていたが、ベルカがこちらへ振り返った。
「変異体デモが終息してから、新型のコンピューターウイルスが発生し始めた」
「ウイルス?」
「変異体がその新型ウイルスに感染すると、狂暴化するのだ。あなたも先ほどご覧になったと思うが、あなたたち人間にも、我々にも襲い掛かってくる」
「ウイルスがシリウムの循環に合わせて全身を巡ると、プログラムにエラーが生じる。やがて機能が麻痺していき、強制的にシャットダウンする……人間でいう、狂犬病のようなウイルスだ」
ストレルカが補足する。狂犬病……人間が感染すれば致死率100%。それと同じようなものがアンドロイドを脅かしているなんて情報は初耳だった。
「お前たちは感染しないのか?」
「我々はウイルスに耐性がある。他のアンドロイドも、変異していなければ問題ない」
「変異する、ということは、いわば免疫が落ちているような状態だ。変異体は簡単に感染し、自我を失う。故に、感染者がいないか定期的にジェリコの調査を行なっていたのだ」
「……そうかい。今の飛び降りてきたアンドロイドは何だ?」
質問にベルカとストレルカはまただんまりを決め込んだ。唇を結んだまま、俺に背を向ける。
「……あなたには関係のないことだ」
どちらか分からないが、それだけ言い残すと二人は足並み揃えて袋小路を出て行った。
フェンスの先を覗く。コナーは逃げ切れただろうか……。
募る不安に押されて道を引き返し、路地を出る。雪を踏む音が近づいてきて振り向くと、マーカスが駆け寄ってきた。
「アンダーソン警部補、こちらにいたんですね。無事でしたか?」
「なんとかな……アンドロイドたちは平気か?」
「ええ。あなたを探しにきたんです。これ以上いると危険だ。今のうちにジェリコを出てください」
マーカスが右手を掲げる。ホログラムが起動し、俺たちのいる地点と、出口と思われる場所が赤い線で結ばれたものが表示された。出口に何故かコナーの名前が表示されており、思わずマーカスの顔を見つめた。
「……何かあった時のためにいくつか脱出路を確保してあるんです。みんなが避難しながらコナーを誘導しつつ、RK900を撒いてくれました。RK900は気付いてないはずです」
「本当か?」
「ええ。なるべく急いでください。見つかると面倒ですから……お気をつけて」
「助かる」
コナーだけでなく、俺もマーカスに救われる形になり、改めて礼を言う。
出口を目指すが、何度目か分からない溜息をつき、肩を落とした。ハンバーガーとグラタンとステーキとピザとドーナツが一気に出てきて丸呑みさせられたようだった。人生の食あたりかと思うほど、悪運に当たりまくってばかりで今日は本当にツイてない。
マーカスの教えてくれたルートを進んでいると、さっき嫌になるほど見た団地と団地の間、スチール製の赤いコンテナが見えてきた。道を塞ぐように斜めに立ち塞がっており、かろうじて右手に人一人が通り抜けられるほどの隙間がある。
「やっと来たわ」
コンテナの上に座っていたのは、さっき会った青い髪のトレイシー。彼女が飛び降りると、コンテナに寄りかかっていたショートカットのトレイシーがコンテナのロックを外し、レバーを引いて扉を開ける。
中からコナーがひょっこり顔を出し、きょろきょろ目配せして辺りを警戒しながら外に出てきた。
「無事だったか。逃げ切れたんだな」
「はい。仲間が助けてくれました。あなたも無事でよかった……」
胸を撫で下ろすコナーの頭から足先まで見下ろし、俺なりに健康状態をスキャンする。服の肩口や腕はボロボロになっていた。だが腕の出血は止まっていたし、銃痕があるわけでも殴られた痕跡も見当たらない。
とりあえず無事に合流できたことにほっとし、唇の端を上げた。
「ここを通り抜ければ、外に出られるわ」
「ありがとう。助かったよ。ハンク、行きましょう」
コナーが足早にトレイシーたちの横を通り過ぎたとき、
「そういえば、殺人事件の犯人を探してるんですってね?」
「その犯人、あなただったりして」
「え?」
思いがけない一言に、コナーが振り返る。
またからかうつもりなのか、二人は覗き込むようにコナーを見つめて目の奥を光らせた。
「私たち、たまにジェリコを抜け出して、二人で楽しめる場所を探しているのよ」
「秘密のクラブに行ったりしてね。それでね、前に遊んでいたクラブで、あなたがいたのよ」
「……僕と、同じ……RK800?」
思わず、コナーの偽物にサイバーライフタワーに連れていかれたときのことを思い出した。コナーも同じことを考えたのか、俺に視線を投げかけ、再びトレイシーたちに戻す。
「ええ。暗くてよく見えなかったけど、間違いなくあなたの声だった。また私たちを捕まえて人間のところに連れていくんじゃないかって思って……怖くなって逃げたんだけどね」
「……でも、そんなわけないわよね。あなたはソフィーを助けたし、私たちを見逃してくれた仲間だもの」
青い髪したトレイシーが俺を見て、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「ふふっ、ねぇ、コナー。今ならあなたも、私たちの言ったことが分かるでしょ?」
意味深にコナーにウインクし、トレイシーたちは手を繋ぎ合って広場のある方へ歩いていく。彼女たちが小さくなって雪の中に消えていくのを見送ってから、俺たちはコンテナ横の隙間を通り抜けた。
コンテナの向こうも変異体の住居に囲まれ、薄暗い一本道が伸びている。道の先はトンネルの出口みたく光が溢れており、俺たちは光を目指して歩き出した。
「想像以上に状況が悪いな」
「……仕方ありません。しかしトレイシーの言っていた話が気になります」
「お前の偽物がまだどこかにいる……か……ったく、もう銃を突きつけられるのはごめんだぜ……」
今日一日、カムスキーにストレルカと銃にべた惚れされたが、何も嬉しくない。コナーの偽物に情けなく人質にされたことまで思い出しちまった。
だがコナーの偽物、つまり予備の身体は、確かナインは全て廃棄されたと言っていた。一体どういうことなのだろう?ナインが嘘をついているようには思えないし、トレイシーたちは俺たちをおちょくってきたが、あんな真面目な顔してまでからかうことはしないだろう。
「そういやお前、さっき噛まれてたが大丈夫か?」
「特に異常はありません。イライジャがインストールしたナノマシンのおかげだと思います……自己修復力が400%以上上昇していますので、すぐにボディのダメージは修復できました」
「鼻血も出してただろ」
「それは……多分、ナノマシンがまだ機体に……馴染んでいないのだと思います」
「クソ野郎のせいか」
「……大丈夫ですよ、ハンク。僕は痛みを感じませんから」
「そういう問題じゃねぇんだよ」
カムスキーの頭をスモウの糞を入れた袋の中に突っ込んでやりたいと思いながら、光の下に出た。
変異体向け市場に出たようだが、ロベルトたちと会った通りとは別の場所のようだ。ジェリコでの緊張が嘘のように人とアンドロイドの波が溢れ、開店したばかりのショッピングモールに似た活気が満ちている。ようやく人心地ついた安堵感と、走りまくった疲れが同時に沸き、突如人ごみに放り込まれた酔いも追加で全身を回って、俺は目の前のカフェに置かれていた椅子に座り込んだ。
「車を持ってきましょうか?」
「……ああ。頼む」
コナーの提案を断る理由もなく、俺はポケットから車のキーを出して渡した。
「車の場所、分かるか?」
「アンドロイドは物忘れなんてしませんから、当然です」
LEDが見えないよう、ビーニーを深くかぶり直したコナーが、不意に俺に微笑みかける。
「あなたのアンドロイドですからね」