※この作品はR-18です。

乙女ゲームのR-18ルートに突入してしまった… 《もしかしたら あったかもしれない『はめふら』R-18ルート》   作:帆速やこぬ

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『はめふら』のカタリナと『FORTUNE LOVER』の登場人物たちのお話です。

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another story 気付いたら入学直前だったので悲劇の元凶を断ち切ってしまった… 《ラファエル編/後編》

――なんだか、外が騒がしいな……

 

もう深夜を回る時刻、ろうそくを無駄にはできない身としては進まない小説の推敲の為に灯りをつけている訳にはいかず、月明りをお供にベッドに入ったままあれこれと夢想にふける。

夢は自分の書いた小説で本を出す事だが、書き上がる度に持ち込む原稿はどこの出版社でもけんもほろろに突き返されてしまう。

それでも夢を諦めきれず、生活費を節約しながら机に向かう日々。

「才能……ないのかなぁ……」

この前持ち込んだ出版社の人はけっこういい人で、最後まで全部読んでくれた上に、アドバイスまでしてくれた。

舞台と設定に凝り過ぎている。ドラマが薄い。色々と言われたが、何より耳が痛かったのは、魅力的な登場人物がいないというものだった。

――魅力的……魅力的ねぇ……

魅力ってなんだろう、と思案の最中に、静まり返る深夜の街の静寂を、数人の足音と声が乱した。

 

窓を開けてベランダに出てみる。

道を走ってきた男たちが辺りを見回し「いたか!?」「いや、こっちにはいない!」などと言い合っている。どうやら誰かを探しているようだ。

 

暗いところに目が慣れ、ベランダの暗がりに人がいる事に気付いたのは、男たちが走り去った後だった。

「きゃ!?」

声を上げそうになった瞬間、マントを着たその人は立ち上がり口元に指を立てる。

急に強い風が吹き、フードが偶然外れた。

風になびく黒髪と月明りを受けて煌めく黒い瞳の男性の怪しい美貌と微笑みに、卒倒してしまいそうだ。

かなり若く、マントの下は平民の恰好だったけれど、にじみ出るオーラが身分を隠した貴族を思わせる。

「騒がしくしてすまない」

低く甘い声で囁かれ、くらりと世界が揺れたと思うと、彼はもういなかった。

今のは夢? 月が見せた幻?

突然、インスピレーションが湧いてくる。

――魔性の、伯爵――…!

「いける…! いけるわ!!」

 

 

 

「ニコル様! 早く、こっちへ!」

滑り込むようにニコルが裏門から入ると、サッと閉めた。

マントを脱ぐと手早く畳んで茂みに隠し、泥棒が入ったと大騒ぎしている屋敷に戻って盗まれたものがないか確認して回るふりをする。

「ニック、盗まれたものはありましたか?」

「いえ、特には……物色した跡だけでした」

執事長に次々と上がる報告からは、泥棒が入ったという痕跡だけで具体的になくなっているものは確認できない。

「執事長! ヘイワードさんと納屋や庭仕事用の倉庫を確認してきましたが、なくなっているものはありませんでした!」

庭師見習いとして外の状態を報告すると、執事長が頷いてディーク侯爵夫人に相談しに行った。

 

もちろん、この泥棒騒ぎは私たちの仕業だ。

泥棒が何も盗らずに逃げたとなれば、狙いは闇本ではないかと疑い、不安を覚えて隠し場所を変えるのではないか。持ち出すところを確認できれば、盗み出すチャンスができるかもしれない。

そう考えて夜中に屋敷を荒らし、フード付きのマントで変装したニコルが街中に逃げるふりをして裏門からこっそりと戻ってきたのだった。

 

「どうだい?」

登った樹の下から、抑えたヘイワードさんの声がした。

「まだ動きはないみたいです」

侯爵夫人自ら闇本を持ってウロウロするとは思えないから、街に逃げた賊を追っていった秘書役の手下が戻ってきてどう動くかを外から双眼鏡で見張っているのだが、今のところ目立った動きはない。

「リーナはもう屋敷に戻った方がいい。後は俺が確認する」

「分かりました。よろしくお願いします」

 

ヘイワードさんが仲間になってくれた事は、本当に心強い。

ヘイワードさんを引き入れる事は、おそらくラファエルにとっては凄く複雑だっただろう。

それでも彼は決断した。

それは母親を救う為にも、彼自身にとっても、大きな前進のはずだ。

 

屋敷に入る前に、ヘイワードさんがいる樹の辺りを振り返る。

――明日には状況が進展するといいのだけれど……

 

 

 

ジリジリと、待つしかないこの身を呪いながら唇を噛む。

結局、泥棒騒ぎでは闇の儀式の本の在り処は分からなかった。

 

儀式の1週間前には、ニコルとカタリナ嬢はディーク家を離れた。

辞めるのが儀式の直前過ぎると、怪しまれて監視され、動きづらくなるかもしれないと思ったからだ。最悪、僕たちの動きから母たちの居場所がばれてしまう可能性もある。

そうして二人は本がまだあの女の手に渡っていない事に賭けて、街中の古本屋、古道具屋、魔法道具店から怪しげな露天まで、朝早くから店が閉まる時間まで探して回ってくれた。

 

だが儀式の日は明後日だというのに、収穫はなかった。

「明日一日で本を手に入れて中を確認し、生贄にする為に僕たち親子を探し出すというのは現実的にありえないと思う」

「ああ、おそらくディーク侯爵夫人はもう本を手に入れている」

「だから本を破棄する計画はもう諦めよう。僕に考えがある」

ニコルとカタリナ嬢に、ずっと考えていた計画を伝える。

 

「僕が母の代わりに誘拐される」

 

予想通り“危険過ぎる”と反対する二人に、計画の細部とこれが一番母を救う事のできる確率が高い事、そして誰も傷つかずに済むという事を根気強く説き伏せていく。

 

「――明日、この手紙をヘイワード氏に届けてほしい。計画の詳細が書いてある。この計画は、あの男にかかっている」

カタリナ嬢が就寝した事を確認し、隣室でニコルに封書を渡す。

「大丈夫だろうか。彼には既に金貨を渡してしまっている。ディーク侯爵夫人からの報酬に目が眩んで、両得を狙って裏切る可能性もないとは言えないが……」

「そうだな。もしあの男が裏切れば、僕たちは殺されるだろう。けれど、あの男は裏切らないと思うよ」

「その根拠は?」

「ここに来てから、あの男の夢を何度も見たと話したろ? 全部、家族との思い出だったよ。僕の中に残っていたのは、たぶん彼の一番の未練――家族の元へ帰れなかった事だと思う」

「……確かに、あの涙を疑いたくはないな」

思い出すようにフッと笑ったニコルが、真剣な目で見つめる。

「だが分かっているのか、ラファエル。この計画、君が一番危険なんだぞ」

「一番身体を張るべきなのも僕だからね。もともとこれは僕の後悔なのだから。君とカタリナ嬢を巻き込んでしまって申し訳ないと思っているよ」

「そんな事はない。三人の思いがひとつにならなければ、あの魔法道具は発動しなかった。この問題はもう三人のものだ」

心強い言葉に、胸が温かくなる。

「……ありがとう、ニコル。君がいてくれて本当に嬉しいよ」

微笑んでみせると、ニコルはこちらを見て少し赤くなった。

「どうしたんだ、急に改まって」

「ずっと言いたかったけど、今までこうして二人になる事がなかったから」

「そうだな、途中ひとりにしてしまって悪かった」

「あれはそういう役割分担だったから」

「それでも心配だったよ。ひとりになると、どうしても色々と考え過ぎてしまうだろう?」

「うん、まあ……」

 

確かに、“いっその事、あの女を”などと考えた時もあった。

でもそういった極端で安易な方法に走らずにいられたのは、二人の存在のおかげだ。

 

「さあ、明日の為にも今夜はもう眠ろう」

「そうだね、今夜は―――僕がソファだね」

「最近寒くなってきたし、ベッドはラファエルが使ってくれ。風邪を引いたらいけない」

 

借りているこの部屋にはもともとベッドが2台しかない。この1週間は、1台はカタリナ嬢に使ってもらい、もう1台をニコルと交代で使っていた。

 

お互いに気遣って譲り合い、なぜか最終的に二人でベッドに入る事になる。

まあ、男同士なのだし、問題ないだろう―――ん?

自分の身体が今、女性である事を突然思い出す。

もしかしてこれ、問題だったかな? 男女がひとつのベッドに――…。

意識してしまった途端に頬に血が上る。

――いやいや、ニコルがそんな事、意識するはずないだろ!

そっとニコルを見ると、彼はもう静かな寝息を立てていた。

 

「……………」

 

なぜか、胸がモヤッとする。

なんだろう、この気持ちは。

寂しいみたいな、ちょっと腹立たしいみたいな、残念みたいな、悔しいみたいな……。

今まで感じた事のない複雑な気持ちに自分でも戸惑いながら、ニコルに寄り、腕を抱き締めて額を肩につける。

――ニコルの匂いだ……

どこか懐かしい、ホッとする匂い。

そう、これは子供の頃から知っている相手が傍にいて、安心しているだけだ。

言い訳がましく自分に言い聞かせる。

決してやましい気持ちはない。だって、僕らは男同士なのだから――…。

 

 

 

――落ち着け。平常心だ……

ラファエルが自分のよく知るシリウスで、男だという事も理解しているはずなのに、目の前にいる少女を愛おしいと感じてしまうのを止められない。

 

本当はラフィリアとして出会った時から、ずっと気になっていた。

こちらを真っ直ぐに見て、どこか懐かしそうに微笑む、少し寂しそうな瞳。

それを見る度に、自分に何かできないかと焦りのようなものを感じていた。

ラフィリアがシリウスだと――ラファエルだと知った時は、本当に嬉しかった。

 

そんな相手が同じベッドに入っているのだ。緊張しない方がおかしい。

できるだけ意識しないよう眠ったふりをしてみたが、心臓が立てる大きな音が聞こえてしまわないか心配になる。

 

分かっている。こんな気持ち、知られたらきっと嫌われてしまう。

母君の生死を懸けた真剣な作戦中に、そんな浮ついた気持ちを持つのは間違っている。

まして、ラファエルは女性の姿をしているが本当は男なのだ。気持ち悪い、と拒絶されてもおかしくない。

再会できただけで充分と思わなくては。

 

そう自分に言い聞かせているのに、その覚悟を試すように、寝ぼけたらしいラファエルが腕に抱きついてくる。

腕に感じる温もり。押し付けられた身体の柔らかさ。ごく近くに聞こえる吐息……。

大きくもないベッドで窮屈なはずなのに、その窮屈さが愛おしさを掻き立てる。

「~~~~~~ッ」

 

“――こんなの、眠れる訳がない…!”

 

 

 

 

「あれ? 二人とも眠そうだね。昨日はよく眠れなかった?」

「「そんな事は……」」

ニコルとラファエルが同時に言って、顔を見合わせてから苦笑する。

仲良しだなあ。

揃ってあくびをする様子もなんだか微笑ましくて、つい頬が緩んでしまう。

今の二人は幼馴染みというよりも、とってもお似合いの朝チュンカップルにしか見えない。

――ハッ!?

女の勘がピンときた。

前回、確かニコルは “想ってはいけない相手を想っている”的な事を言っていた。

それを聞いた時“相手は人妻か男性!?”と思ったけれど、もしかしてその相手って――!?

 

ひとりで、はわわわわ! となっていると、手早く顔を洗って身支度を整えたラファエルが、お湯を沸かしてお茶の準備を始める。

「あ、私、朝食のパンを買ってくるわね!」

お金を持って部屋を飛び出すと、近くのパン屋までの道を急ぐ道すがら、二人を応援できるのは私しかいないと使命感に燃えてしまう。

「……そうだわ!」

不意に名案を思い付いた。

 

 

 

朝食の後、ニコルはヘイワードさんに計画を伝えに行き、ラファエルはいつも通りお母様の出勤を見守りに出掛けた。

私は、明日必要なものを揃える係だ。

三人で立てた緻密にして綿密な計画でリストアップしたメモを見ながら、店を物色する。

 

――ええっと……革袋とインクと丈夫な革、コルセットに染め粉に化粧道具……

 

その他諸々買い込んで昼前に部屋に戻ると、ニコルはまだ戻ってきておらず、部屋にはラファエルしかいなかった。

ちょうどいいので、試しに染め粉でラファエルの髪を染めてみる。お母様の髪色に近づける為だ。

「おお~」

変装の指輪を外したラファエルの髪を染めると、姉妹かと思うくらいそっくりだ。

肌に軽く粉をはたいて薄く紅を差すと、かなり大人っぽく仕上がる。

 

タイミングよくニコルが帰ってきた為、「じゃじゃーん」とお披露目すると、ニコルは息を飲んでラファエルを見つめた。

「ニコル?」

「あ、いや、すまない。不躾に見てしまって」

それから照れくさそうに微笑んだ。

「綺麗だ、とても」

「ニッ、ニコルッ!? 今問題にしているのは母に似ているかで、化粧の完成度の話ではないよ!?」

「あ、ああ! そうだな! もちろんそうだ! よく似ていると思うよ」

真っ赤になった二人の慌てる様子に、ひとりニマニマしてしまう。

“もう付き合っちゃえばいいのに”と言いたいのをグッとこらえ、買ってきたサンドイッチをテーブルに並べて報告がてら昼食にする。

 

ラファエルの方は、朝はまだお母様の周囲にディーク侯爵夫人の手下の姿は見えなかったそうだ。

「まさかまだ見つけていないのだろうか。さすがに数日前からは見張られると思っていたが」

「それこそ見つけてすぐに行動を起こしたのだろう。それだけ余裕がなかったという事だ」

その後はお母様に似た雰囲気の服などを買い揃えてからウォルト家を訪れ、幼いラファエルにお茶の淹れ方の指南と、計画の一部を話して協力してくれるように頼んできた。

 

「 “お母さんを助けたいかい? ”と聞いたら即答してくれたよ」

「そう……」

 

本当は子供を危ない目にも怖い目にも悲しい目にも遭わせたくないし、人殺しの現場にも居合わせさせたくはない。

幼いラファエルを巻き込むのは気が進まないが、これだけは身代わりを用意するという訳にはいかない。シリウスの記憶を移す器として命に危険はない事だけがせめてもの救いだ。

 

 

ニコルの方はヘイワードさんに計画を話し、ラファエルが身代わりになる事と彼の役割を細かく説明してきた。

一応流れを記した手紙を渡したが、見られるリスクを恐れて、確認後すぐにその場で燃やしたそうだ。

「すでにヘイワード氏はディーク侯爵夫人から闇の魔力を得る為の儀式について聞かされ、午後から儀式の場所で準備に入るらしい。家族を人質にされる可能性もあるから、奥方は“平民でも診てくれる医者に娘を連れて行く”と他の使用人たちに触れ回って、堂々と正面から出掛ける事になっている。ヘイワード夫人と娘を匿う為に、これから仮住居として用意した部屋に連れて行くよ」

「でも急に家族がいなくなったら、怪しまれないかな」

「怪しまれないよう、ディーク侯爵夫人には“少し遠い為、夜はそのまま親戚の家に泊めてもらう”と話したそうだ」

「ヘイワードさんは計画の事、奥さんに話したの?」

「いや。奥方の方も何か危ない仕事だという事は感じている素振りだが、詳しくは話していないそうだ。彼はディーク侯爵夫人と交渉して前金で報酬を受け取り、奥方に渡している」

 

いつの間にか細かいところまで計画が詰められている。

昨日の夜、二人はだいぶ遅くまで話し込んでいたみたいだったから、そんな話をしていたのだろう。

 

 

私も明日必要になりそうなものは午前中で買い揃え、午後は色々と準備に入る事を報告したところで、ニコルはヘイワード夫人と合流する為に出掛けていった。

 

「では、こちらも準備を進めようか」

不器用な私と違い、器用なラファエルはどんどん作業を進めていく。

 

「……ねえ、ラファエル」

「なんですか?」

「ニコル様とはどこまでいったの?」

ブフォッと、乙女にあるまじき音を立ててラファエルが吹いた。

「なななな何を言っているのですか!? なんで、そんな……」

「え、だっていつも二人でこっちの部屋で寝る時、ベッドとソファ順番に使ってたのに、昨日は二人でベッドに寝てたみたいだったから」

「あれは昨晩冷え込んだのと、作戦の前に風邪など引いてはいけないと思ったからで! ニコルと僕は別に、何もありません」

「ええ~? そーなのぉ~?」

顔を赤くしたラファエルが可愛くて、ついからかいたくなってしまう。

「でもニコル様の事、好きなんでしょ?」

「な!? そっ、それは友人として! いえ、そうではなく! それ以前に僕らは男同士なのですが!?」

ニコルが好きな事は否定しないラファエルってば、可愛い。

 

「別に男性同士でも、お互いを想い合っているのなら結ばれてもいいと思うけど」

 

 

 

――男同士でも、結ばれてもいい?

 

そんな事、許されるはず――…。

顔を上げると、テーブルの向かいでは片肘をついたカタリナ嬢が微笑んでいた。

それを見て淡く高鳴った胸が、スッと水を差したように冷たくなる。

――ニコルにはこういう、裏表のないご令嬢こそがお似合いだ……

もちろん彼女はジオルド王子の婚約者だという事は承知しているが、ニコルが望むのなら協力は惜しまない。

「……馬鹿な事を言っていないで手を動かしてください、カタリナ様。ニコルは伯爵家の子息としてきちんとした身分のご令嬢と身を固めるべきです」

「も~、分かってないなあ」

カタリナ嬢がぷうっと頬を膨らませる。

「私が入学した時、ニコル様はすごく悲しそうで、寂しそうだった。それがどうしてだったのか、今なら分かる。急にラファエルがいなくなっちゃったからだよ。だってラファエルといる時のニコル様、私でも分かるくらい嬉しそうだもの。本当に心を許してるって感じ」

「だからそれは、友人として――」

「もう!! ラファエルの分からず屋!」

「そんな名前の店を開いた覚えはありません」

なんとか平静を装うと、カタリナ嬢は、むむむと唇を尖らせてから、真顔になった。

「ねえ、ラファエルは本当にそれでいいの?」

「……………」

「ニコル様とも話したのだけど、この過去の時間にいられるのは、たぶん明日までだと思う」

「僕もそう思います」

なぜかは説明できないが、そう感じるのだ。特にここ数日はその感じが特に強い。

おそらく、計画が成功しても失敗しても――もちろん失敗など許されないが――元の時間に戻される事になるだろう。

「自分の気持ちを伝えなくて、本当にいいの?」

 

伝えたところで何になる。

もう会えないと諦めていたニコルに再会できただけで、良しとしなければ。

伝えてギクシャクするくらいなら、このままの方がいい。

「……カタリナ様にもニコルにも感謝しています。これは僕の後悔で、二人は巻き込まれただけなのだから」

「またそんな事言う!」

カタリナ嬢は椅子から立ち上がり、僕の両頬をむぎゅ、と押さえた。

「ラファエルは私の命の恩人だから、困っていたら必ず助けるって約束したでしょう!? 私もニコル様も、ラファエルの力になりたいと願ったから、今ここにいるんじゃない!!」

本当に、このご令嬢はどこまでも純粋で真っ直ぐだ。

「そう…でしたね。ですが、このままでいいのです。このままがいい。僕をラファエル・ウォルトとして向き合ってくれる二人と過ごせたこの時間は、何にも代えがたい大切な時間なんです。わざわざ壊す必要なんて、ない」

カタリナ嬢は手を離して椅子に座り込むと、溜め息を吐いた。

「せっかくニコル様もラファエルの事が好きっぽいのに……」

「そ!? そんな訳……!」

言いながら、顔が熱くなるのが分かる。

――ニコルが僕を? そんな奇跡みたいな事、あるはずが――…

パッと思い出したようにカタリナ嬢が目を輝かせた。

「だったら聞いてみればいいわ!」

「え?」

「今夜、ニコル様と二人きりにしてあげる。私は別の宿屋に泊まるから、二人でしっかり話してみればいいんじゃない!?」

「な!? 今夜は最後の打ち合わせを――」

「明日の朝でもいいでしょ?」

「それは、まあ……」

自分のアイデアに満足したように鼻歌を歌いながら、彼女は作業を続ける。

「ねえ、ラファエル」

「はい?」

「頑張って! 私、応援してる!」

 

 

 

「……カタリナが?」

「うん、なんだか“最後の夜だし、ここでできた友人のところに泊めてもらう”と言って、出掛けていったよ」

本当は「何か適当な言い訳をしておいてね~」と気楽に手を振りながら、出ていったのだが。

「そうか。いつの間にそんな友人を作っていたのだろう?」

ヘイワード夫人と娘を別の宿に匿ってから部屋に戻ってきたニコルは、僕の言葉を信じて疑わなかった。

「……どうかしたか、ラファエル? 顔が赤いようだが……」

「いや、その……だから今夜は、二人きりになってしまうのだけれども……」

「っ…!」

 

「「……………」」

 

気まずいような気恥ずかしいような微妙な空気が流れ、顔を合わせて苦笑する。

「……夕食にしようか。美味しそうな煮込み料理を買ってきたんだ」

「あ、うん、ありがとう。パンはあるから、ベーコンと玉ねぎでスープでも作ろう」

 

 

夕食後、入浴を済ませてから、午後に施した細工をニコルに見てもらう。

「……なるほど、よくできている」

つぶさに観察したニコルは、感心したように頷いた。

「これならヘイワード氏がおかしな気を起こさない限り、大丈夫そうだ」

「夫人の様子は?」

「本当に感謝していたよ。“娘の命の恩人だ”って」

「そう」

「後は君の母君を救って、この物語に決着をつけよう」

決意の灯る瞳で見つめられ、その頼もしさに緊張で強張っていた身体が少し緩んだ。

「……うん。ありがとう、ニコル。君がいてくれて本当によかった――…」

励まし合うように微笑み合い、やましい考えを持っていた自分を恥じる。

 

――こんなにも親身になって力を尽くしてくれる親友相手に“女性の身体の今なら”なんて、一瞬でも考えただなんて――…

 

「さあ、明日は大詰めだ。今夜は早めに休もう」

「うん」

「今夜は――」

言いかけたニコルに、「僕が隣の部屋を使うよ。ニコルはこちらを使って」と食い気味に言ってしまう。

カタリナ嬢が使っていたベッドを、彼に使ってほしくなかった。

「え、あ、ああ」

勢いに驚いたようにニコルが頷く。

「そうだな。2台あるのだし……」

その後、彼が何かを呟くのが聞こえた。

「ニコル? 何か言った?」

「いや……」

「ふーん? じゃあ、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 

 

ラファエルが隣室への扉を閉めるのを見送り、明かりを消してベッドに入る。

「………」

天井を見ながら、我知らず溜め息が出てしまう。

頭の中では先程から同じフレーズが繰り返されていた。

――二人きり、二人きり、二人きり…!

この壁を隔てた向こうで、ラファエルが眠っている。

昨日の夜の、彼の温もりと寝息を思い出して、身体が熱を帯びていく。

――駄目だ。明日の為に、少しでも眠らなくては

けれど眠らなければと思えば思うほど、目が冴えてくる。

 

幾度目か分からない溜め息を吐き、寝返りを打つと、微かに扉の開く音がした。

――ラファエルが水でも飲みにきたのだろうか?

なんとなく眠ったふりをして耳を澄ましていると、足音はこちらに近づいてきた。

キシ、とベッドが小さく軋み、揺れる。

「……ニコル、まだ起きてる?」

「……ああ」

目を開くと、裸のラファエルが覗き込むように目の前にいた。艶やかな肌と扇情的な曲線が暗い部屋に浮かび上がる。

「なっ、ラファエル!? 何をして! そんな恰好では風邪を引いて――」

欲望が見せる夢か幻覚かと一瞬思ったが、ラファエルが伸ばして触れた指先の冷たさが、これは現実なのだと告げていた。

「うん。寒い、から……ニコルに温めてほしい」

星明りのみの暗さの中、それでもその表情が緊張しているのが分かる。

「……いいのか? 相手が俺で」

「だってニコル、さっき“最後のチャンスだったのに”って呟いてた」

「……聞こえていたのか」

深く息を吐き、ラファエルの肩ごと毛布でくるんで抱き締める。

「ラファエル。もしかして、緊張のし過ぎで自暴自棄になっていたりする? それともまだ自分の後悔に巻き込んだとか、責任を感じてこんな事を?」

「違うよ」

首を横に振ったラファエルは、こちらを真っ直ぐに見た。

「僕は……ニコルが好きだ」

瞳が潤み、今にもこぼれ落ちそうだ。

 

「男同士で気持ちが悪いと思われても仕方がないって分かってる。でもほら――今の僕、女の子の身体だよ。ただの欲望のはけ口でいい。一夜限りの気の迷いで構わない。僕を抱いてほしい」

 

震えながらも自分の気持ちを伝えられる彼の勇気を、尊敬する。

だからこそ――

「……すまない、ラファエル。それはできない」

ビクッと身を硬くしたラファエルは、「そう……」とうなだれた。

その手を取って、指を絡める。

 

「ラファエル、俺も君を愛している。だからこそ、今の君は抱けない」

 

「え? なん……え?」

言葉の意味が理解できないように慌てるラファエルの背中に手を回して強く抱き締め、耳に囁く。

「愛しているよ、ラファエル。唯一心を許せる君と過ごした1年間は本当にとても楽しかった。突然君がいなくなって、もう会えないと知った時、心に大きな穴が空いてしまったみたいだった。毎日悲しくて、寂しくて、とてもつらかった。自分に何もできなかった事を後悔した。ずっと、また会いたいと願っていた。本当は、ラフィリアとして出会った時からずっと、なんとなく僕の知るシリウスを――ラファエルを感じさせる君が気になっていたんだ」

「なら、どうして――」

「今君を抱いてしまったら、必ず後悔するから。計画が成功して元の時間に戻れば、君は男に戻っているだろう。学園も辞めておらず、俺と一緒に進級し、生徒会長になっているはずだ。

けれどあの魔法道具の文言、覚えているだろう? “重なる時を抱える覚悟があるのなら”というのは、こうして過去を変える為に奔走した日々を覚えている状態で、変える事に成功した未来に帰るという事だと思う。今の君を愛したら、君はきっとこの先、“あの時は女性の身体だったから”と俺の気持ちを疑う瞬間がくる。だから抱かない」

「ニコル……」

「その代わり向こうに戻ったら、ずっと我慢していた分も含めて滅茶苦茶に君を愛すから、覚悟しておいて。もう二度と君を離さないよ」

ラファエルは首にぎゅっと抱きつくと、こちらの耳元に涙声で囁いた。

 

「うん――約束だよ。絶対に僕を離さないでね」

 

 

 

 

 

表の通りに抜けるまでのこの裏路地は少し狭いが、人とすれ違う事ができないほどではない。

――今晩はグラタンにしようかしら……

職場からの帰り道を夕飯のメニューを考えながら急いでいると、道の向こうからフードを目深にかぶった二人組が来たので、端に寄る。

後ろからも人が来る気配がしたと思った途端、急に前の二人が走り出した。

この辺りは治安がいい方だが、はした金目的で強盗や命を奪う人間も存在する。

不穏な空気にハッと息を飲むと、二人組のうちひとりが行き違って後ろから来た人に突っ込んでいき、もうひとりがこちらの手を引いた。

「こちらへ!」

「え!? あの!?」

路地を駆け抜け、待たせていたらしい馬車に強引に乗り込まされる。

「出してください! 急いで!」

馬車が動き出し、少しして息が落ち着くと、手を引いてくれた人がフードを脱いだ。その顔に見覚えがある。

「あなた、確か――前に迷い猫を探しに家へ来たお嬢さん、よね?」

「はい。あなたを守りにきました、ラファエルのお母様」

 

 

 

「――お茶の淹れ方の最終試験?」

「そう。今日はわたしがこの街にいられる最後の日になるから」

「えー? そうなの? 寂しいな」

悲しそうに眉を寄せた幼い自分が、不思議そうに首を傾げる。

「でもどうして今日は、うちのお母さんに似た感じにしているの?」

「似ている?」

「うん、顔も服も髪の色も、そっくり」

「これは変装だよ。昨日お願いしたでしょ? 悪い奴からお母さんを助ける為には、君の協力が必要なんだ」

ハッとしてから、真剣な顔つきになる。

「うん」

「約束して。今日は何があっても、わたしの事を“母さん”と呼ぶんだよ」

「分かった。約束する」

 

 

「そうそう、上手くなったね。だいぶ様になってきた」

幼い自分の手元を褒めながら、時間を確認する。

そろそろ、ニコルとカタリナ嬢が母の安全を確保した頃だろうか。

予定では母に“危険が迫っている事”を伝え、“子供は後から連れてくる”と約束して、そのままできるだけ離れた街に連れていく予定だ。

 

カチャカチャとどうしても音を立てるカップと受け皿を気にしながら盆を運んでくる幼い自分に微笑みかける。

「ありがとう」

カップに口をつける様子を緊張した面持ちで見つめるのを目の端に留めながら、ゆっくりと味を確かめる。

「――美味しい。お世辞でなく本当に美味しいよ。試験は合格だ」

ホッと息を吐く幼い自分が、嬉しそうに笑った。

「ありがと、お姉さ――じゃなかった、母さん」

 

突然、扉が乱暴に開き、ドカドカと男たちがなだれ込んできた。

幼い自分に小声で念を押す。

「忘れないで! “母さん”だからね!」

荒事に慣れているのか、男たちはこちらを押さえつけると手早く縄で縛り上げ、眠り薬を嗅がせた。

吸い込まないようにしながら、逃れようとするふりをして動かしていた身体からゆっくりと力を抜いていく。

――薬が効いたと騙されてくれるといいが……

暴れていた幼い自分も、いつの間にか静かになっている。

慌ただしく抱え上げられたと思うと床に放り出され、馬車に乗せられたのだと理解した瞬間、ピシリと鞭の音がして馬車は全速力で走り出した。

 

 

 

 

――大丈夫……大丈夫だ……

「わたしは息子と静かに暮らしていきたいだけなのです!」

できるだけ正確に思い出しておいた母のセリフを、目の前のディーク侯爵夫人に返す。

「黙りなさい! なんと厚かましい!」

「母さん!」

幼い自分も、約束通り僕を母さんと呼んでくれている。

 

ろうそくの灯りが揺らめく影をつくるこの地下室では、何年かぶりに見たはずのあの女には、母の顔とラフィリアの顔は見分けがつかないようだった。

憎しみを真っ直ぐに突き付けられて、むしろ安心する。

 

黒衣の男――ヘイワードが本を開き、おぞましい響きを持つ呪文を唱え始めた。

 

――さあ、そろそろ仕上げだ

 

長い呪文を唱え終えたヘイワードは、懐から冷たい光を放つ短剣を取り出す。

「すまない」

ヘイワードが口を動かさないように、小声で囁いた。

薄暗い部屋に、短剣が閃く。

 

「あんたの計画、少しだけ変えさせてもらう」

「な…!?」

 

ズグリ、と嫌な音を立てて腹に突き立てられた短剣から、血が滴り落ちる。

 

――裏切られた!?

 

信じられない思いで床に膝をついた。

「母さん!? 母さん!」

虚無感を覚えながら、必死に幼い自分が呼ぶ声を、どこか遠くに聞く。

――ちゃんと僕との約束を守って、偉いぞ……

「母さん!!」

悲痛な叫びにハッと我に返った。

まだ終わりじゃない。

僕はまだ生きている。計画通りならニコルとカタリナ嬢も入り口で待機して介入のタイミングを見計らっているはずだ。まだ終わっていない。

 

床に力なく倒れ、腹から赤黒い血が溢れるに任せる。

 

「――成功したの?」

 

あの女の声がした。

「はい、奥様」

「そう。ではシリウスの記憶を移してちょうだい」

あの女と手下が壁際に下がった瞬間、突然ヘイワードが大声を上げた。

 

「今だ!!」

 

地下室が揺れたかと思うほどに響き渡る声に驚き、その場の誰もが咄嗟に動けずにいると、躍り出たニコルとカタリナ嬢が目つぶしの灰を投げつける。

悲鳴と怒声が入り混じり、騒然となった。

まともに灰を浴び、目を押さえて転げ回る手下たちをニコルが殴りつけ、カタリナ嬢が縛り上げていく。

ニコルが縛られた僕の縄を切ると「大丈夫か?」と心配そうに腹を見る。

「大丈夫。計画通りだよ」

 

昨日、せっせと準備した細工――コルセットの内側と外側に硬い革を貼って補強し、服との間に赤いインクをたっぷりと入れた革袋を挟み込んでおいたおかげで、コルセットと革袋に突き刺さった短剣と漏れ出た赤いインクは、“腹を刺されて死んだ”という状況を作り出してくれた。

突き立てられた瞬間、刃は通らなかったが腹にきた衝撃で一瞬息が止まったのも、刺されたダメージを上手く演出しただろう。

 

腹の短剣を抜いて床に放ると、幼い自分に近づく。

「よく頑張ったね」

縄を切り、目の前で起こった出来事を理解できずに放心している子供を、カタリナ嬢に預ける。

彼女はしゃがんで微笑むと、安心させるように抱き締めて背中をポンポンと叩いた。

「怖かったよね。ごめんね、もう大丈夫だから――」

 

「――離しなさい、無礼者!」

目を向けると、ヘイワードが暴れるあの女を引きずり、シリウスの方へ連れていくところだった。

 

「この子の想いを知るべきなのは、母であるあなたです」

 

ヘイワードはそう言うと、二人の額に手を当てる。

彼に残るわずかな闇の魔力が二人を繋ぐと、悲痛な叫びが響いた。

 

「いやあぁぁっ! 嘘! 嘘よ! どうして!? どうしてなの、シリウス――!」

 

激しい慟哭が次第に嗚咽に変わっていく。

 

ヘイワードが“少し変える”と言った計画。

それはディーク侯爵夫人に、息子の気持ちを見せる事だったのだ。

 

息子にどう思われていたのかを知って絶望するあの女の姿を見ても、気持ちが晴れる事はなかった。

ただ憐れだと思った。

ニコルもカタリナ嬢も言葉なくただ見守っている。

ゆっくりと近づくと、ヘイワードが振り返った。

「あんたたちの計画を勝手に変えて悪かったな。だが俺も親として、ここのボタンの掛け違いを直さなきゃいけないと思ったんだ」

「いえ」

 

母の命を救う。それだけを考えてここまで来た。

けれどこの男の行為を見て初めて、それだけでは足りなかったと気付いた。

 

「……ヘイワード、さん。お願いがあります」

 

 

 

 

――赤ん坊の声だ……

伸ばした腕に激しく泣くその赤ん坊を抱き上げ、しっかりと抱き締めながらあやす。

「あらあら、ずいぶんとご機嫌ななめね」

優しい声が響き、愛おしそうに頬ずりをする。

「大丈夫よ、お母さんはここにいますからね、シリウス」

 

 

小さい頃からあまり身体が丈夫ではなかった僕は、ちょっとした事で体調を崩しては寝込んだ。

寝ている僕に付き添う母が、心配でたまらなそうに話しかける。

「シリウス、お水飲む? 何かしてほしい事はない?」

「お母、様……手、握っていてくれる?」

「もちろんよ。いつだってあなたの傍にいるわ。わたしが守ってあげるから」

母は差し出した手をしっかりと握って、顔を歪めた。頬に涙が伝う。

「ごめんなさい。ごめんなさい、シリウス。丈夫に産んであげられなくて――変わってあげられたらどんなにいいか――」

 

 

「……くれるの? シリウス」

「うん、お父様とお母様を描いたの」

父と母と三人、庭で楽しく遊んだ光景を描いた、拙い絵。

それでも母は嬉しそうに差し出された絵を受け取り、大切そうに胸に抱いた。

 

――知っている

この絵がまだ、母の部屋の引き出しにリボンでくくられ大切に保管されている事。

 

摘んで渡したなんでもない花や、拾った綺麗な石や落ち葉、土をこねて作ったなんだか分からないものまで、母にあげたものは全て大切に取ってある事。

 

僕の事を自分の命よりも大切に思ってくれている事。

 

――今見たのは、お母様の記憶……?

 

夢のように浮かび上がっては消えていく光景は、どの瞬間も胸の中は愛おしさで溢れていた。

けれど。

 

幼いなりに、父の事で母がこっそりと泣いている事に、なんとなく気付いていた。

いつからか母は何か別の事に気を取られ、僕の手を握ってくれなくなった。

 

――きっともう、僕の事は大切ではなくなってしまったんだ……

 

父が僕たちを捨てて家を出ていった寂しさと裏切られた悔しさから、いつの間にか母にとって僕は、復讐のきっかけで、道具で、言い訳になってしまっていた。

 

「あなたさえ傍にいてくれれば、わたしは幸せなの。わたしの可愛いシリウス」

嘘つき。

 

「あなたに丈夫で健康な身体をあげるわ」

その身体は僕のものじゃない。

 

「あなたはもっと生きられるのよ」

僕じゃない僕を、お母様は愛せるの?

 

――お母様はきっと、僕でなくても“傍にいてくれる子供”がいれば、誰でもいいんだ……

 

「違う!!」

 

「違うわ、シリウス! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい…!」

夢ではないとはっきりと感じる温かな胸にしっかりと抱き締められて、ゆっくりと目を開く。

「……お母…様…?」

母が、流れる涙をそのままに唇を震わせていた。

「失う事が恐ろしくて、あなたの気持ちをないがしろにしてしまった。けれどあなたが大切なのは嘘ではないわ。世界で一番愛している! シリウス、わたしのたったひとりの、大切な息子――」

もう一度ぎゅっと抱き締めてから、手を取り、握る。

「わたしがするべきだったのは、こうしてあなたの手を握っている事だった。これからは、母としてあなたの傍にいると約束するわ。例え――」

一瞬詰まり、それでも言葉を続けた。

「例え、もう時間があまり残されていないとしても」

ようやく母は受け入れたのだ。僕が長くは生きられない事を。

「……うん、お母様」

ありのままの自分を受け入れてもらえた瞬間、生を放棄していた心に“生きたい”という欲が生まれた。

 

「……僕も、もう少し頑張ってみる。お母様と少しでも長く一緒にいられるように」

「ああ、シリウス!」

 

 

 

――よかった……

ディーク侯爵夫人がシリウスを抱き締めるのを、ホッとしながら見守る。

計画にはなかったヘイワードさんの行動にも驚かされたが、ラファエルがヘイワードさんに「シリウスにも母親の想いを見せてほしい」と言い出した事にはびっくりした。

ディーク侯爵夫人だって初めは純粋にシリウスが大切で、だからこそどんどん弱っていく我が子を直視できずにこんな極端な方法を取ってしまったのだ。

 

これからこの親子がどうなっていくのかは分からない。

けれど母の想いを受け止め、生きる気力を取り戻したシリウスはもう少し頑張れるはずだ。

 

「これを」

ラファエルが指輪を外して、ヘイワードさんに渡す。

「光の魔力を込めた指輪です。念の為、あなたが持っていてください」

「ああ」

庭師らしい厚い手のヘイワードさんは指輪の小ささを見て少し迷ってから、小指に嵌めた。

「おそらく、必要ないと思うが……。俺の中の闇の魔力はさっきので使い果たした――というより結果に満足して、安心して成仏したよ」

 

ニコルが闇本を拾い上げた。

「これ――どうしようか」

ラファエルが即答する。

「燃やしてしまおう。それがある限り、悲劇はなくならない」

「床に描かれた魔法陣は?」

ヘイワードさんがニヤリと笑った。

「ああ、これは本とは少し変えてあるから大丈夫。ちなみに唱えた呪文も行ごと飛ばしたり入れ替えたりしたから、発動するはずもない」

 

部屋の真ん中に本を置き、壁際からろうそくを1本持ってくる。

皆で顔を見合わせて頷くと、本のページを数枚破り、細く引き裂いて火をつけた。見る間に燃え上がり、灰になってふわふわと舞い上がっていく。

やがて表紙まで燃え移ると、燃える音に加えてキシキシ、キーキーと音を立て始めた。

それが悲鳴のようだと感じるのは、この本がおぞましい魔力を得る為のものだと知っているせいだろうか?

完全に燃えてまんべんなく灰になった事を確認すると、ヘイワードさんが灰を踏みつける。

「燃え残っている部分はないな」

全員で確認して、灰を粉々に潰す。

ほんの数行であっても、決して人の目には触れてはいけないものだ。

 

「……終わったな」

ニコルが言って振り返り、ラファエルと三人で頷き合う。

と、突然ポケットに入れていた魔法道具が光を放ち始めた。

 

「時間だ」

 

「ヘイワードさん! ラファエルをお願いします!」

「分かっている。必ず母親の元へ連れていく!」

 

ラファエルが幼いラファエルに向けて拳を握って見せる。

「これからは君がお母さんを守っていくんだ」

「……うん! 約束する!」

 

眩しくて目が開けていられないほどの光の奔流に吸い込まれていく中、ヘイワードさんの声が聞こえた。

 

「ありがとう。未来で会おう!」

 

 

 

 

「――きゃあぁ!」

突然宙に投げ出され、尻もちをつく。

「痛たたた……」

お尻をさすりながら周りを見ると、ニコルとラファエルも床から起き上がるところだった。

「……ここは――」

「会議室ですね」

「戻ってきた、のか?」

「おそらく」

「……ラファエル! 男の人に戻ってる!!」

「え?」

ラファエルが胸に手を当てる。

「本当だ……」

そしてハッと息を飲んだ。

「――母さん!」

駆け出そうとしたラファエルの腕を掴み、ニコルが引き止める。

「ラファエル! どこに行くつもりだ」

「母さんが生きているか、確かめに行かないと!」

ニコルが呆れたように言う。

「その恰好で?」

女性ものの服には赤いインクが大きなシミをつくり、ちょっと見は血だらけだ。

「う……」

ニコルが時計を見上げる。

「幸い、過去に飛ばされた時点から時間は経っていないようだし、一度寮に戻って着替えてから確認に行こう」

頷いたラファエルが再び駆け出そうとして、立ち止まった。

「あ……」

「どうした?」

「寮の部屋がどこだか分からない」

「?」

「たぶんここでの僕は平民のラファエル・ウォルトとして入学しているはずだから。前に使っていたシリウスの部屋ではないはずだ」

「それなら、俺の部屋に行こう。服は貸すよ」

「うん、ありがとう」

「じゃあ私も着替えてくるわね! 待ち合わせしましょ」

ニコルは着ていたマントを脱ぐとラファエルに着せ、フードを目深に下ろす。

「よし。では1時間後に。校門に馬車を呼んでおく」

 

 

 

――ラファエルたち、もう来てるかな

急いで校門に向かうと、門柱のところに馬車と、人が立っているのが見えた。親し気にこちらに手を振っている。

 

「え? ヘイワードさん!?」

「リーナ! 久しぶりだな――と言ってもリーナにとっちゃ、ついさっきの話なのか」

 

よく見るとヘイワードさんの髪には白いものが交じり、シワもできていた。

当然だ。あの時から8年も経っているのだから。

「お元気でしたか!? 娘さんは!?」

「リーナたちのおかげでいい医者に診てもらって、今ではすっかり元気になって働きに出ているよ。おまけについこの間、結婚したいって相手まで捕まえてきた」

「ええー! おめでとうございます!」

 

ちょうどそこへ、ニコルとラファエルがやってきた。

驚く二人を見てなんだか満足そうに微笑んだヘイワードさんは、馬車に乗るように促す。

 

「君のお母さんの様子を見に行くんだろう?」

「あ、はい……」

 

馬車に乗り込み、出発すると、ラファエルが我慢しきれずに聞いた。

「どうしてここに?」

「俺は君の中にいた自分の記憶を見たんだ。当然、今日この日に過去に行った事も知っているさ。その後の顛末が知りたいだろうと思ってね。それともあの魔法道具がとても親切設計で、変えた過去の先の未来まで君たちに見せてくれているっていうなら話は別だが」

「いいえ、知りたいです。教えてください」

「ああ。だがその前に――」

ヘイワードさんが深々と頭を下げた。

 

「礼を言わせてほしい。本当にありがとう。君たちのおかげで俺も、そして家族も、元気に暮らせている。本当に感謝している」

 

ラファエルが小さく息を吐いて、ヘイワードさんの肩に触れる。

「頭を上げてください。僕は母を助ける為に必死だっただけで――」

「だが結果的に俺たち家族を救ってくれた。見殺しにする事で復讐だってできたのに」

「それは――二人がいてくれたから」

ニコルと私の顔を見て、ラファエルが微笑む。

「ただ真っ直ぐに迷いなく僕と母の事を考えてくれた二人が一緒にいてくれたから、僕も道を踏み外す事なく今ここにいられると思っています。お礼ならこの二人に」

「もちろんだ。リーナとニックも本当にありがとう」

照れくさいような、誇らしいような空気が流れ、少ししてヘイワードさんは咳ばらいをして姿勢を正した。

 

「それでまず、君のお母さんだが――もちろん元気にやっているよ。平民の出身ながら魔法学園で生徒会長に任命されるほど優秀な成績を収める自慢の息子を誇りに、毎日生き生きと働いている」

「よかった…!」

思わず口にした横で、ラファエルとニコルもホッとしたように息を吐いた。

 

「それからシリウス坊ちゃんだが――」

ほんの少しヘイワードさんの表情が曇る。

「5年前に亡くなった」

「―――!」

想像していなかった訳ではないが、それでも息を飲んでしまう。

「余命宣告されていながら、それでも3年も頑張ったよ。最期には奥様に看取られて、“お母様の子に生まれて幸せだった”と、そう言って静かに息を引き取ったそうだ」

 

しばらく、誰も口を開かなかった。

石畳の道がひどく揺れ、目が覚めたようにニコルが訊ねる。

 

「……それで、ディーク侯爵夫人は?」

「シリウス坊ちゃんの喪が明けてから、魔法省へ出頭した」

「ええ?」

意外な行動に三人で声を上げてしまう。

「君たちが消えてしまってから、俺は変わる前の世界について簡単に奥様に話した。全部聞いた奥様は、坊ちゃんが亡くなるまでの時間を穏やかに過ごさせてほしいと俺に頼んだんだ。それから奥様も変わられてね。坊ちゃんに寄り添う傍らで、病気を治す研究をしている医師や医療機関に寄付をされたり、慈善事業に力を入れるようになって。そうやって資産を整理して準備していたのだろう。坊ちゃんが亡くなると、使用人たちは全員、次の勤め先への紹介状と共に暇を出された」

「魔法省はディーク侯爵夫人をどうしたのですか?」

「それが、手下どもは逃げちまったし、証拠のあの本も燃やしてしまったから、俺と奥様の証言しかなくて魔法省も扱いに困ってね。それでも罰せられる事を強く望んだ奥様は、国外追放になった」

「あなたは? 話を聞く限り、一緒に出頭したのでしょう?」

「ああ、俺は魔法省で働く事を命じられた。今じゃ、いいようにこき使われているよ」

苦笑気味に笑いながらも楽しそうなヘイワードさんは、きっと充実した毎日を送っているのだろう。

「でも、なぜあなたまで出頭を? あんなに危ない橋を渡ってまで守り抜いた家族を捨てるつもりだったのですか?」

「奥様に魔法省へ出頭すると打ち明けられた時、俺もけじめをつけるべきだと思ったんだ。でないとこうしてまた君たちに会えた時、顔向けできないとね」

誇らしげに胸を張る。

「あれ? ヘイワードさん、指輪は?」

胸に当てた手を見て、ラファエルに渡された指輪がない事に気付いた。

「ああ、光の魔力を込めた指輪だね。外していても問題ないと確認されて、魔法省に返却したよ。ああ、返却といえば――」

ヘイワードさんが懐から革袋を取り出す。

「リーナたちが用意してくれた娘の治療費だ。全額ではないが、今用意できる分だけでも返させてほしい。残りも必ず返すと約束する」

「え!? そんな、受け取れません! あれは協力してもらったお礼ですし――」

「いいや、協力だなんて――むしろ救われたのは俺の方だ」

お互いに引かず、お金の入った革袋を押し付け合う。

ニコルとラファエルも困ったように顔を見合わせた。

余程の事がないと、ヘイワードさんは受け取ってくれそうにない―――と、不意に思い付く。

「だったら、私を娘さんの結婚式に招待してください。このお金は結婚式の費用に充てて、余った分はお祝い金です!」

ドヤァと胸を反らすと、ラファエルが口を添える。

「彼女は言い出したら聞きませんよ。大人しく言う事を聞くのが身の為です」

「ちょっ、ラファエル!? 身の為ってひどくない!?」

「いえいえ、あなたの思い付きに振り回されたのは一度や二度ではありませんから」

「けれどその思い付きは、いつも周りを思いやり、幸せにしてくれるものだ」

ニコルが言うと、ヘイワードさんは少し呆気に取られてから、微笑んで頷いた。

「ああ、そうだったね。その通りだ――分かった。これはありがたく頂戴するよ」

 

ヘイワードさんは革袋をしまい込むと、代わりに封筒を取り出しラファエルに差し出した。

「君宛てだ」

「これは?」

ラファエルが戸惑いながら受け取る。

「奥様からだ」

「ディーク侯爵夫人から?」

「国外追放の直前に書かれたものだよ」

封を切り、ラファエルが手紙を開いた。

「……………」

手紙を見つめたままラファエルが何も言ってくれないので、たまらず手元を覗き込む。

あっさりとした紙面を見て、過去へと飛ばされ奔走した日々が報われたと、心の底から感じた。

「……きっと、この言葉しか出てこなかったのね」

 

“ありがとう”―――手紙には、ただその一言だけが書かれていた。

 

 

 

 

 




ディーク侯爵夫人をこてんぱんにする事も考えましたが、せっかくなのでもういっそ全員ハッピーにしてしまえ!という結末を迎えてみました。

ニコルが魔性の伯爵に似ているのではなく、魔性の伯爵がニコルをモデルに描かれたというタイムパラドックス(?)が再び発生してます。
やっぱりタイムトラベルものを書いていると、こういうネタをぶっこみたくなってしまいます。(*'ω'*)テヘ

恋愛要素を入れるつもりはなかったのですが、書いているうちに勝手にラファエルとニコルが互いを意識し始めてイチャつき出してしまいました。(´艸`*)アラアラ
カタリナとくっつける事も考えましたが、『FORTUNE LOVER』のニコルルート(たぶんラファエルルートも)にカタリナは登場しないと思うので、ニコルのカタリナへの気持ちは感謝以上にはならないかな、と。
そんな訳で裏タイトルは、「気付いたら入学直前だったので現生徒会長と元生徒会長の幸せを願ってしまった…《ラファエルとニコル編》」です。
でもニコラファのタグを付けたらネタバレになるし、たぶん誰も望んでいないカップリングなので。(;・∀・)ザンネン…
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