日もやっと暮れた午後七時前。
昼間のうだるような暑さは薄れて、夜気が気持ちのいい清涼さを運んでくれる。
祭りの会場へと通じる道路は人でごった返しており、季節行事特有の喧騒に包まれていた。
現在、私はその流れから少し離れた場所に立ち、行列を眺めている。透たちとの待ち合わせ場所に選んだのは祭りの会場ではなく、その近辺にある墓地の前だ。
空は若紫色に染まり、もうほんの数分で完全に夜になるだろう。月も高い位置に登り、地上を見下ろしている。
お腹が空いてきた。屋台で何を食べよう。
小さい頃は人が大勢いる場所では、電波の多さに気分を損じるばかりだった。そんな状況を知っている家族は、私をお祭りなどのイベントに連れ出したことはほとんどない。
浴衣姿を見かけたり、遠くで鳴り響く花火の重たい音を聞いたり、テレビの特集を見たり、そういう間接的な部分でしか夏祭りを感じたことがない。
だから、いまの私は少し緊張していた。もちろん、友達とお祭りに参加するから、という部分もある。けれど、もしも最中に倒れてしまったりしたらどうしよう、という不安に怖じ恐れる気持ちを抑えられない。
「すごい恰好だね、咲」
ふいに、蓮司の声がして振り返った。
彼はシャツとブラウスという、面白味もない服装だった。祭りだからといって大して頓着しない性格なのだろうか。
かといって、周りを歩く少年青年にも私服は多い。私はあまり知らなかったことだが、驚くほどのことでもないのかもしれない。
「頭から下まで真っ黒だけど」
「そうかしら」
と、私は自分の格好を改めて眺めた。
ほぼ黒一色である。帯も宵闇に溶けるような暗さで、唯一刺繍されている
「本当は柄も無しにするつもりだったのよ。でも、店員の人がしつこく薦めてきて……」
「それだとほぼ喪服じゃん。闇に紛れちゃうでしょ」
「……そうね。紛れてはダメよね。なら、帯だけ蛍光塗料で色をつけておけば、だいじょうぶではないかしら」
「暗闇に帯だけぼんやり浮かんでたら、それはもう怪異だよ」
冷静にツッコまれる。
想像してみたが、確かになかなか肝を潰す光景だった。そもそもが突飛な発想なのだから、まともな結果が出力されるはずはなかったのだけれど。
思えば、もう少し派手なものを選んでもよかったかもしれない。これでは、陰鬱な女がさらに陰鬱に見えるだけだ。闇に紛れるどころか、視界に入るかどうかさえ怪しい。
後悔がじわじわと湧いてきて、私は己の思慮の浅さに恥じ入るしかなかった。
せっかく蓮司といるのに、彼はなにも――
「でも、似合ってるよ」
私が自虐的になる寸前、蓮司は屈託のない微笑みを浮かべて言った。
「とても咲に似合ってると思う。あと、髪を下ろしてるのもいいね。可愛い」
褒めてもらえたのだと気付くまでに、数秒の時間を要した。気づいた後も、私はその言葉に裏がないことを知りたくて電波を手探り、答えを見つける。
……嘘ではない。
それを知ることができて、やっと安心を手に入れられた。わざわざそんな確認をしてしまうのは、もしも彼に嫌われたら、というネガティブな考えがどうしても抜けないからだ。こればかりはなかなか矯正できない。
蓮司が私に対してなにかしらの好意を抱いているのだという事実に熱いものを覚えながら、どうにか平静を装う。
「あ、ありがとう……」
私は今まで身内以外に容姿や恰好を褒められたこともなかった。家族から「可愛い」と言われた覚えはあるが、黒服に目覚めてからは機会も減っていたように思う。黒という色自体が私の罪の証である以上、下手に肯定できなかったのだろう。そもそも、私が「着たい」と思って着ていたかすら、彼らには分からなかったはずだから。
今回の浴衣は、罪の証に縛られているものの、私自身が選んだものだ。柄も、帯も、髪型も、蓮司に見てもらいたいと考えて、何度も試行錯誤した。
褒められたい相手に、褒めてもらえた。
その事実だけで、私は舞い上がるような気持ちだった。
「この髪型のほうが……いいかしら」
「うん。咲の髪は綺麗だし、僕は下ろしたほうが好きかな」
「それなら、これからもこれに――」
しようかしら、と言いかけたところで、突として強風が私たちを襲った。
ぶわっ、と髪が巻き上げられ、視界がすだれのような明暗に遮られる。顔を撫でていくサラサラとした糸毛の感触が、カーテンのように顔面のほとんどを覆い、やっと急な風が止んだ。
どういう神のイタズラか。
「うわぁ……貞子みたいになってる」
蓮司が引き気味につぶやいた。
「えぇ。私もだいたい自分がどんな姿か想像がつくわ」
往来を歩いていく人々が私を見てギョッとしている。そんなに怖いかしら。
「明日にでもこの辺りが心霊スポットとして紹介されてそうね」
「だろうね。キミの後ろ、ちょうど墓地だし。っていうか、なんでここで待ち合わせ?」
「あら、落ち着かないかしら? お弁当でも広げてピクニックがしたいと思わない?」
「……キミの感性は時々よく分からん」
冗談のつもりだったのだけれど、どうやら本気で受け取られたらしい。少なくとも、墓地で弁当を食べるようなことは一生無いだろう。
「はなちゃーん! 蓮司くーん!」
聞き慣れた陽のような声と、パタパタと可愛らしい足音が近づいてくる。
透とありさだ。
透は青空を思わせるようなミント色の浴衣を着ていた。白一色で添えられた桜との組み合わせは透けるように爽やかで、彼女にとてもよく似合っている。同じように淡いピンク色の帯がいいアクセントになっていた。
夏の納涼感と、どこか儚さすら感じる美しさ。そして、少女然とした愛らしい風貌。
女の目から見てもこれだけ可愛いのだから、蓮司が見たら……。
「うぅ……透かわいいぃ……」
泣いてる?
「天使すぎる……んうぅ……!」
彼は感動を通り越して感涙の域に達したらしく、顔を両手で覆っていた。それでもボロボロと涙は溢れ続ける。そんな姿を見せまいと、墓地の側に体を向けて、嗚咽と呼んでいいか分からない鳴き声をあげた。
すると、通りがかった人たちが、
「墓地の前で泣いてる子がいるわよ……」
「きっと今日は大切な人の命日なんでしょうね……」
盛大に勘違いをして通り過ぎて行った。
このままではありもしないストーリーが展開されてしまう。
長い黒髪の女が出る墓地で大泣きする青年。いくらでも尾ひれがつきそうだ。
「うおい!」
ありさが蓮司の肩を慌てて引っ掴んだ。
「恥ずかしいから泣き止め!」
「だってぇ……」
顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていて、普段の精悍な面持ちが見る影もない惨状と化していた。いくらなんでも泣きすぎだ。これではハンカチがいくらあっても足りない。
図らずも元凶になってしまった透が、ワタワタと慌てて言った。
「れ、蓮司くん! 泣かないでくださいっ! 私がなにかしてしまったのなら、謝りますから!」
「透は悪くないよ……いや、その可愛さは罪かもしれない……」
「えぇっ!?」
「――いい加減にせい!」
パシンッ、と蓮司の腰にありさの平手打ちが炸裂し、ピタッと涙が止まった。
「どうだ。こうするとだいたいの奴が泣き止むんだ」
「あぁ、なんだかスッキリした気がする」
「それならいい。んじゃあ、次はあたしの浴衣の感想ももらおうか?」
ふふん、と鼻を鳴らしたありさが、両手を広げて己の浴衣を見せびらかした。
一言で言って、やや奇抜だ。
オレンジの布地に、赤い蝶が舞っている暖色オンリーのそれは、派手と言わざるを得ない。しかし、帯が水色という寒色なのが洒脱な雰囲気を放ち、総じてありさという人間にピタッとはまっている。
「フッ、どうよ」
「んおぉ……うん」
「感想に困って言語ですらない声でうなずかれても、あたしにはさっぱりなんだが」
「すげえいいよ」
「おまえが心から言ってないことは猿でも分かるわ」
透との感想の落差はすさまじく、まさしく天と地。
蓮司は本当に興味のないことには反応が薄いタイプだな、と改めて確認する。学校で誰かと会話をしているときも、よくよく聞いてみたらテキトーな相槌を打っているだけだったりして、恐ろしいものを感じた。
無意識に処世術を使えると言い換えることもできるだろう。私からしたら羨ましい話だ。必死に周りと合わせようとしても、どうにもこうにもならないのだから。
あまり彼にだけに回答させるのも悪い。ありさと友人である私からもちゃんと伝えておこう。
「とてもいい浴衣だと思うわ」
「そうだろ!? やっぱ分かってくれるか、花島は~。このオレンジと、赤い蝶。まさにベストマッチ!」
「光に吸い寄せられた末に燃えてしまった蛾みたいよね」
「……着替えてこようかな」
「冗談よ」
やっぱり私では人とまともに会話することは無理らしい。
「まあいいや。集まったんだし、さっさと祭りの会場に行こうぜ。あたしがテキ屋を残らず潰していく様をよーく見てろよ?」
そうして、四人並んで人の列に加わった。
さすがに集まりが多くて電波がかなりの量入り込んでくるが、悪意のようなものはほとんどない。みな祭りを楽しんでいるらしい。おかげで気分が重くはなったりしないが、若干の疲れを覚えた。良質であろうと数が増えれば負担になるのだ。
「咲、人が多いけど……だいじょうぶ?」
「えぇ、平気よ」
蓮司の気遣いはありがたい。
しかし、ここで透たちの楽しみに水を差すようなことはしたくない。我慢しないと。
「つらかったらいつでも言いなよ? 透たちは知ってるの?」
「いえ……知らないわ。話してないもの」
「じゃあ、僕だけか。無理だと思ったら頼ってくれよ。人が少ないとこまで連れてくから」
「ありがとう……」
彼の役に立ちたいが、私の天稟はそれを易々と許してはくれないらしい。
これは試練だ。と、グッと腹に力を込める。
今日の夏祭りが、蓮司の片思いを夢から現実へと繋げる橋頭堡になるに違いない。その手助けをするため、私はここにいるのだ。
「ありさ、少しいいかしら」
「あん?」
ありさの手を引いて、少しずつ蓮司と透から距離をとる。彼らの姿がどんどん人垣の向こうへと流れていく。
「なんだよ。どうかしたのか?」
「蓮司くんと透くんをふたりきりにしたいの」
「あー? あぁ……そういやそうだったっけ」
「知ってたの?」
「いや、あいつの透への態度見てれば誰でも分かると思うけどなぁ……」
「彼ってそんなに分かりやすい顔してたかしら」
「いや、そうじゃなくて。まあ……おまえが転校してくる前にちょっとあってな。透をナンパしようとした奴を見て、あいつがキレたことがあったんだ。つっても暴れたとかじゃなくて……」
「そうなの。彼らしいわね」
ありさはきょとんとした。
「変に思わないのか?」
「度合いで言えば、私の方が圧倒的に変だもの」
蓮司の好意どころか殺意でさえも、すべてが新鮮な感情を湧き起こさせる材料になる。その彼に触れられる妄想をして、自分を慰めたこともあった。
そんな私に、彼をどうこう言う資格などない。
祭りの会場が見えてきた。
色とりどりの屋台と提灯。音楽。喧噪。夜だというのに昼のように明るく、幻想的だった。活気に満ち溢れ、胸が高鳴る。
「透たちはあそこか」
ありさが指さした先には、ふたりが楽しそうに肩を並べて歩いていた。
蓮司も透も、やや緊張した面持ちだ。彼はともかく、透はほとんど男子と遊んだ経験などない。こうしてふたりきりで歩いているという状況にひるんでもしかたないことだった。それに、すでに遠い話とはいえ、数年前はイジメられていたのだ。引っかかる部分もあるに違いない。
おそろいの水風船を持って屋台を覗いている姿は、すっかりカップルだった。ふたりの暖かな空間には他者が入る隙などないように見える。
「蓮司は最低限のマナーは持ってるみたいだな」
「マナー?」
「あいつ、常に人ごみ側を歩いてるだろ? 人の動きから透を庇えるようにだ。ほら」
と、遊んでいた青年たちの手が伸びて、蓮司にぶつかりそうになった。
なるほど。人が多いお祭りはああいうことがあるのか。
「知ってたのか、考えてやったのかはともかくとして、ああいうことをさらっとできる奴って意外と少ないらしいぞ。先輩とかが言ってた」
「ずいぶん褒めるのね?」
「あぁ……っていうかおまえ、やけに冷静だな」
ありさは意外とばかりに目を丸くすると、首をかしげた。
「あれを見て、なんとも思わないのか?」
「なんとも……?」
「だって、好きなんだろ? 蓮司が」
「……っ!」
カァッ、と頬が熱くなり、喉が干上がった。肩をすくめて、視線を逸らしてしまう。
「いや……その……」
「分かりやすいんだよ。あたしたちといるときは普通だけど、あいつといるときは明らかに浮かれてるもんな。本心が出てるっつーか、キャラ崩壊っつーか」
「ち、違うのよ。私と蓮司くんは、いわゆる協力関係、というか……」
「あいつと透をくっつけるよう頼まれたのか? 不自然にあたしの手を引いて透から離した時点で察したけど」
「それは……」
なにもかも見透かされていて、どう取り繕っていいか分からなくなってしまった。
「だいたい、なんでそんなことをするんだ?」
「……私なんかじゃ、彼にはふさわしくないからよ」
「そうか? 根暗同士だからお似合いだろ」
「歯に衣ぐらい着せてくれてもいいんじゃないかしら」
「こりゃすまんかった」
これぐらいの軽口を言われるのには慣れている。一年前はもっとひどい嘲罵をされていたものだ。
「でも、透に妬いたりしないのか?」
「私なんかにあんなにも優しくしてくれるいい子を、どうして恨めるというの?」
「理性と感情は別だろ」
「そうね。頭で分かっていても、心が従ってくれないというのはよくある話だわ。けれど、分かるのよ。私は透くんに限って、悪感情を抱いたりはしないって」
「ふたりがくっついたとしても、か?」
「えぇ。むしろ、蓮司くんに妬いてしまうかもしれないわね」
ふたりとも私にとっての希望で、大事な人だ。
けれど、彼らが私に与えてくれる属性は真逆となっている。
透は陽の光であり、寒風吹き荒れる大地のなかであっても私を温めてくれる存在だ。その包容力は私のなかの闇を拭い去り、日の下へと連れ出してくれる。罪さえも浄化してくれそうな、聖母のような存在だ。
逆に、蓮司といえば月明りのような存在だ。決して私の闇を否定せず、共にいてくれる。闇を闇のまま、抱いてくれる。ぼんやりと鷹揚に照らす光は、暗黒を行く私の足元を確かにしてくれる。
どちらも私にとってかけがえのないものだ。
だけど、そのどちらも私の手から離れてしまうのは……少し怖い。
「寂しそうな顔するぐらいなら、行って来いよ」
ありさの言葉に、私は戸惑った。
「……え?」
「あいつに相応しいかどうかなんて、おまえだけが決めるもんじゃねえ。別におまえ自身が透と蓮司をくっつけたいわけじゃねえんだろ?」
「私はただ、蓮司くんの役に立ちたいから……」
「なら、花島はもう十分働いたよ。後はおまえがやりたいことをしろよ。それぐらい許されるって。もしも蓮司が嫌がったら、あたしがなんとかしてやる」
「でも……」
「でももクソもねえ! 行くぞ!」
「あ、ちょっと!」
ありさに強引に手を引っ張られ、人ごみを掻き分ける。
あちこちから聞こえてくる声、去来する電波と感情の渦。それらをなんとか頭から締め出したものの、今度は蓮司となにを話せばいいのかという悩みが襲ってくる。
「おい! 蓮司!」
「ん?」
ついにふたりの前に押し出されて、私は虎口を目前にしたような気分になった。
せっかく楽しんでいる蓮司から透を引き離して、代わりに私と一緒に遊ぼうと提案するのは、冷や水をかけるような行為だ。気に障るだけならともかく、嫌われでもしたら……。
「交代だ。今度はあたしが透とまわる」
ありさの横暴な言い回しに少しヒヤッとした。
だが、蓮司はあまり気にした様子もなく首肯すると、
「いいよ」
あっさりと応諾した。
「じゃあ、僕は咲と?」
「そうなるな。リードしてやれよ」
「? あぁ、分かった」
蓮司の手が差し伸べられる。指一本一本が綺麗で、触れることすら躊躇われた。
「おいで、咲」
「え、えぇ……」
彼の仰向けになった手のひらに、そっと私の手を重ねる。末端から熱が伝わり、血へと通う。まるで王子に誘われるお姫様のようだ、という想像が頭を抜けていき、含羞を禁じ得なかった。
それでも、嬉しさは込み上げてしまう。
透が持っていた水風船を掲げて、にっこりと微笑んだ。
「はなちゃん、蓮司くんはすごいのですよっ! 金魚すくいでたくさんの金魚さんをゲットされたんです! 私はあまり取れませんでしたが……アハハ」
「へぇ、彼に意外な特技があったのね」
「はい! 意外な特技なのですっ! あっ、でもすくった金魚さんはそのまま返してきました。私たちはお世話ができませんので……」
「でしょうね。蓮司くんは一人暮らしだし」
「えっ!? そうなのですか?」
あまり口にしていいことではなかったかもしれない。いまさら口を閉じたところで時すでに遅しだけれど。
「……まあ、その話は後でね。透くん、ありさと楽しんでいらっしゃい」
「はい! うおちゃんもたくさん楽しんでくださいねっ! 今度は一緒にまわりましょうねっ!」
「えぇ、私も透くんとお店をまわりたいわ」
また二組に別れて、透とは別のルートをたどることになった。
「咲、平気? 人多いけど」
「少しつらいけれど、支障が出るほどではないわね」
「さっきも言ったけど、無理なら言いなよ」
「……ねぇ、蓮司くん」
「ん? なに?」
私は彼と結んでいた手に力を込めて、見上げた。
「透くんとのデートを邪魔してしまって、ごめんなさい」
「え? 邪魔? 全然そんなことないけど」
あっけらかんと言ってのけた彼は、自然に立ち位置を変えた。どうやら、さっき透にしたように人ごみから私を庇ってくれているらしい。
「むしろ、キミのおかげで透と遊ぶことができたんだから、お礼が言いたいぐらいだよ。ありがとう」
「そう言ってもらえたなら、頼んだ甲斐があったわ。でも、まだまだ恩返しには足りないんじゃないかしら」
「僕は別にいいけどね。キミは十分働いてくれてるし。あ、射的あるよ。する?」
と、蓮司が指さした先には、ひな壇のような階段の上にさまざまな物が載せられている屋台があった。おもちゃ、人形、お菓子などなど、子供が好きそうな景品がずらっと並べられている。実際、銃を持った幼い少年たちが目当ての景品をあてようと躍起になっていた。
一見して簡単そうだが、こういうタイプのゲームは非情なまでの難易度設定がされているのが常。お金をドブに捨てるぐらいの気持ちでやるのが精神衛生的に無駄な負担をかけずにすむ。
「できるかしら……」
料金を払って、渡されたライフル銃を構える。先端にコルクを入れて、狙いを定め、引き金を引く。やる分には特段、難しいことではない。
当てるとなったら別問題だ。
「咲、ここは銃口を的に近づけて撃ったらダメらしい」
「そうなのね。アニメやドラマだと、体を台からぐっと前に出して、腕を伸ばして当てていたけれど……」
「だから、技術とか必要なんだけど、持ち方とか分かる?」
「いえ……あまり……」
「こうだよ。こう」
蓮司が私の背中から腕を伸ばして、レクチャーを施してきた。ぴたりと体が密着して、心臓が跳ねる。吐息が近い。あのハンカチと同じにおいが鼻腔を抜けて、クラクラとしてきた。
「銃底を肩にかけて……」
「こう……かしら……」
「うん。上手。後は突起の部分を的に合わせるんだけど、コルクライフルだから威力がなくて落ちるんだよね。だから、少し上を狙うぐらいで撃ってみて」
「えぇ……」
ほとんど抱き着かれているような状態のまま、指示に従う。
狙いは小さな熊のぬいぐるみだ。手のひらに収まるぐらいのサイズだから、コルクでも落とすことはできるだろう。問題は、細工でもされている場合だ。セロテープを貼られていたり、棒で支えられていたりといった話はよく耳にする。
どうしても照準がズレてしまう私を見かねて、蓮司がそっと手を添える。
「撃っていいよ」
「ッ……!」
天運にかける気持ちで、引き金を引いた。
軽い破裂音とともに飛んだコルクは、放物線を描くと、ぬいぐるみの額へとヒットした。ふらりと傾いた熊が台座から滑り落ちる。
「や、やったわ……」
「おめでとう! 上手だね、咲。一発なんて」
強運と、ほとんど彼の手助けあっての成果だとは思うが、せっかくの厚意だ。素直に受け取っておこう。細工などがなかったことも幸いした。
「かわいい……」
耳に赤いリボンをつけた、つぶらな瞳の茶熊だ。手足が短く、かなりデフォルメが利いている。どこにでもあるような人形だが、私にとっては世界でひとつだけの宝物となった。
彼と一緒に手に入れたものだから。
「ありがとう……蓮司くん。大切にするわねっ」
私は自然と目を細め、口角を上げて、微笑んでいた。
そのとき、夜空にパッと花火が咲いた。
月明かりよりも眩しい色とりどりの光が地上を照らし、散華していく。赤、青、緑、黄色、様々に移り変わっては地上にいる人々を七色に染め上げる。ここにいる私たちも例外ではなく、眉目を輝かせる明光が、横顔に降り注いだ。
それでも、私の瞳はずっと彼へと向いていた。
彼の顔を見ていたかったから。
いつか間近で見たいと思っていた夢の光景よりも、すぐそばにある大事なものを記憶に留めたかったのだ。
「……っ」
すると、蓮司が驚いたように瞠目し、言葉を失った。
彼の艶やかな瞳に感動の揺らめきがあらわれた。そこには花火の光に照らされながら、笑顔を浮かべる私が映し出されている。
立て続けに鳴り響く、重たい破裂音。感嘆の声は掻き消され、それでも人々は眼目に捉えた空上のアートへの感想を、大声で話し合っていた。
誰もが空を彩る束の間の花畑に目を奪われているあいだ、私たちはしばらく、じっと見つめ合っていた。