夏祭りの活況は冷めつつあり、終わりが近いことを物語っている。
長く人ごみにいたからだろうか。頭蓋の中でミミズがのたうつような感覚が止まない。血管ひとつひとつに声が差し込まれ、血流を阻害されているような気分だ。
頭が……痛い。
今までは違和感ていどのものだったが、花火が鳴り終わった途端、確かな痛みとなって私を襲っていた。
耐えられないほどではない。けれど、ずっとこのままでも平気かと言われれば、頭を横に振るレベル。じんじんとしたこの感じは、悪化した虫歯に近いか。
他人から流れ込んでくる電波ひとつを受信するたびに、痛みは増していく。針をゆっくりと刺されるように、いますぐ逃げ出したい疼痛が深く響く。
ふいに、大きな負の感情に横っ面を殴られた。
意識がフッと泡のように弾ける。
「さ、咲っ?!」
「フラフラじゃないか。なんで言わなかったの」
「ごめん……なさい……さっきまでは平気だったから……」
「すぐここから離れるよ。いいね?」
そう言いながら、蓮司は私を躊躇いなく横抱きにした。さすが運動部というべきか、体幹は崩れず、難なく私を持ち上げている。落とすようなことはないだろう。
それでも、浮遊感による戸惑いと恐怖はあった。他人に身を委ねた経験などないのだ。当然である。
とっさに蓮司の首にしがみつき、体を寄せる。眼前に迫った彼のきれいな首筋と、繊細な鎖骨に視線を奪われた。
「え、蓮司くん……わ、私はまだ心の準備が……」
「怖いかもしれないけど、我慢して」
駆け足で人の群れから離れていくと、次第に気分はマシになってきた。
公園のベンチに下ろされ、夏の夜風を浴びると、溜まった毒素が抜かれるように頭が軽くなっていく。
代わりにやってきたのはひどい疲労感だった。少々はしゃぎすぎたのだろう。体力の無さが響いている。
「透くんたちに……帰るって伝えないといけないわね……」
「あぁ、それなら僕から言っておくよ。家まで歩ける?」
「両親に電話して迎えに……」
「時間、どれぐらいかかるの?」
「駅がよっつぐらいだから、車で二十分ぐらいかしら……」
「じゃあ、ここで待っていようか。寒気とかはない?」
「平気よ」
まだ手がかすかに震えているが、じきに収まるだろう。
それにしても、衆目の中でお姫様抱っこをされるとは……。学校の人間に見つかったら、また大変なことになりかねない。緊急処置ゆえしかたなかったとはいえ。
隣に座った蓮司は、透たちに連絡をしたようだった。電話口から大声が聞こえて、彼は慌てて耳を引き離した。
「……い、急いで来るってさ」
「おおごとみたいに思われたみたいね」
「だね。……でもまあ、透は勘違いしなくても急いで駆けつけると思うよ」
「えぇ。お人よしが服を着て歩いているような子だもの」
まだ三か月と短い期間だが、そのあいだにも透の善性は何度も目にしてきた。
道に迷っている人がいれば丁寧に何度も教えてあげる。泣いている子供がいれば泣き止むまでそばにいてあげる。荷物が多くて辛そうにしている老人がいれば家まで荷物を運んであげる。
そこに一切の躊躇も逡巡もない。
助けが必要な人のところにいの一番に駆けつけるのが本田透という女の子だ。
友人が倒れたと聞けば、持っていたリンゴ飴を投げ捨ててでも飛んでくるに違いない。そういう確かな信頼がある。
「ねぇ、聞いたことがあったかしら」
「なにを?」
「あなたがどうして透くんを好きなのか」
細かい理由は分からなくとも、好きになるワケはなんとなく理解できる。あれだけ魅力的な人間性を持つ女の子はそうはいない。
「どうして好きになったのか……か」
蓮司は「うーん」と二度三度ほど首をひねり、答えた。
「明確なきっかけがあるわけじゃないよ……ただ、なんとなく好きになった」
「……そんなものよね」
肩透かし、とまでは言わないにしろ、もう少し実りある回答が欲しかった。そうすれば、透と同じ土俵に立つぐらいはできたかもしれない。
「あ、でも」
蓮司が思い出したように続きを口にする。
「ハッキリと好きだと自覚したきっかけならあるよ」
「それは?」
「父親をこ……殺して、僕はしばらく塞ぎこんでたんだ。もちろん、透をいじめて構ってもらう余裕なんて微塵もなかった。当たり前だけどね」
そうだろうとも。
私だって、男子を殺しかけたときは食事すら喉が通らないぐらいに精神をやられた。眠ろうとすれば必ずその光景がまぶたの裏に浮かび、幾度となく苛んだ。やっと眠れたかと思えば悪夢が襲い掛かり、目が覚めれば自分が生きていることに対するおぞましさを覚える。
実際に殺してしまった彼は、他者に対して感情を見せる余裕など持てなかっただろう。いくら自分に非がなかろうが、手にこびりついた死の感触は否が応でも心を腐蝕させる。
「表面上はがんばって取り繕ったよ。でも、透だけは気づいてくれたんだ。『すごくお辛そうですが、だいじょうぶですか?』って」
自分をからかって笑っていた相手にも優しさを向けたのか。底知れないというか、なんというか。正直、勝てる気がしないというのが本音だ。
私には到底、そんな仏のような真似はできないだろう。
けれど、見習いたいと思う。彼女のような人間になりたいと願う。己の不遇を
「……?」
ふと、パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「はなちゃんっ!」
透だ。
よほど急いでいたのか、息を切らしていた。顔も真っ赤で、ぜえぜえと呼気を荒げている。それでも、目はまっすぐに私へと向けられていた。
「ご無事ですかっ!?」
「えぇ……少し気分が悪くなっただけ。蓮司くんのおかげでいくらか良くなったわ」
「安心しました……倒れられたと聞いたときは、心配で心配で……」
その後ろから、ありさも遅れてやって来た。
「透のやつ、人ごみの真ん中で大声あげて駆け出すんだもんな。周りもビックリしてたぞ」
「す、すみません……」
「まあ、無事でよかったよ。蓮司、花島を助けてくれてありがとうな」
「あぁ」
「そんで、どうすんだ? 解散するか? あたしは十分楽しんだから解散でもいいぞ」
私はスマホで時間を確認した。もうすぐ午後九時になる。さすがに女子だけで歩き回れるような時間帯ではないだろう。
「そうね。私も楽しめたわ。ありがとう、三人とも」
「はいっ! 私もとても楽しかったです、はなちゃんっ! 次に遊びに行くのはプールか、海とかいいかもですね!」
「あら……じゃあ、水着を買わないといけないわね」
「その次は山登りをしましょう!」
「日焼けしてしまわないか不安だわ……」
これからの予定を語り合う楽しさに酔いしれる。
いままで、夏とは暑いだけの季節だった。セミの声をわずらわしく思い、家の中で、今にも落ちてきそうな青空を見上げていた。窓の向こうで広がっている四季折々の景色を見ることもせず、自分は誰もが体験する季節感から置いていかれているのだという現実に震えて。
でも、春も夏も秋も冬もない生活は終わったのだ。
これからは暑さも寒さも楽しめる。大切な友人と一緒に。
「――あれ? 本田さんと蓮司じゃん」
と、第三者の声に注意を喚起された。
声の主は、顔も知らない女子二名だった。見た限りでは同い年のように見える。
「だよね? やっぱり本田さんと蓮司だ!」
「うわー! 久しぶりじゃん!」
なにやら盛り上がっているふたりに対して、蓮司はぼんやりとした表情のままだった。おそらく知り合いだろうに、顔を忘れてしまっているのだろう。
では、透はというと、
「山島さんに田畠さん!? お久しぶりですっ! 小学校以来ですねっ!」
ちゃんと記憶していたらしい。旧友との再会を喜ぶ当たり前の姿に、少しホッとした。蓮司がおかしいだけだと言われればそのとおりなのだけれど。
「おふたりもお祭りに?」
「うん。他の友達と別れて帰るところなんだけど……いや、マジで懐かしい顔見たわ。ほかのふたりは友達?」
「はいっ! 中学校から知り合ったお友達です!」
彼女たちは私とありさを何度も見比べていた。明らかに食い合わせの悪そうなヤンキーと暗い女が揃っているのだ。疑問に思っているに違いない。
「へぇ。いやあ、女子三人に囲まれて遊ぶなんて蓮司くん相変わらずモテてんな~。さすが、うちの小学校の王子様」
「いや、僕はたまたま一緒にいるだけで……」
「いいって謙遜しなくても~」
傍から見れば、そう見えるか。実際には、私が彼と透をくっつけるために誘っただけで、彼のために集まったわけではないから、実態は違うのだけれど。
ありさは少し不機嫌そうな顔をしていた。蓮司の取り巻きみたいに思われて、面白くないのだろう。あまりこの話を続けられたら、いつか彼女の地雷に触れそうだ。
そんな危惧が通じたか、女子たちの話題は次に移った。
「そうなんだ。でも珍しいよね」
「珍しい、ですか?」
「だって本田さん、小学生のころに蓮司くんにいじめ……」
とまで言いかけたところで、彼女の口を隣の女子が塞いだ。
「ちょっと、それは言っちゃダメでしょ」
「うわ、そっか……ごめん。忘れて」
「それじゃあ、私たち帰るね。バイバイ」
去って行くふたりの背を、私たちは黙って見送った。
楽しい一日の終わりにとんでもない爆弾を設置されてしまったことに、どう反応していいか分からない。
ここにいる全員が、女子たちの会話をハッキリと耳にしただろう。蚊の鳴き声すら鼓膜に響く静かな夜だ。「いじめ」まで聞き取るには十分すぎる環境である。
恐る恐る、蓮司を見た。彼は居心地が悪そうに地面をじっと見つめている。怯えて隠してきた過去をあっけなく披瀝されてしまい、もはや弁明するための言葉すら浮かばないのだろう。
そして、ありさは明眸に猜疑の色を滲ませ、彼の眉間を貫くように睥睨していた。それが威力を伴うものならば、蓮司はすでに十回は殺されていそうなほどの冷たい雰囲気だった。
そんなふたりに挟まれた透は、ただただ困惑し、事態を眺めることしかできていなかった。
私は蓮司に幾度となく繰り返した言葉を、また脳内に想起させていた。
『透に謝ったほうがいい』
そう、折に触れて忠告していたのだ。手遅れになると。タイミング如何によっては最悪の形で返ってくると。
怯え、拒み、先送りにしてきたのは彼自身の責だ。
「…………解散でいいか」
ありさが低くつぶやくと、蓮司はうなずいた。
この場に漂う電波は重苦しく、タールのように粘り気のある毒だ。純粋な負の感情がふたつ、周囲を渦巻いている。
楽しい一日は、ぬかるんだ泥に浸かるような気分で終わった。
◆
次の日。
僕はほとんど眠れなかったせいか、まぶたが鉛を吊っているかのように重い。なのに、まったく眠くない。
原因はひとつ。
昨日、ついに恐れていたことに直面することになった。僕が眼を背けていた罪の果実は爛熟し、神による采配か、介入する隙もない速さで刈り取られた。
そして僕の眼前に差し出されたのは、きれいに皿に盛りつけられた罰である。
透は普段と変わらないようにしているが、その面差しは嘘を貫けてはいなかった。どこか距離を感じる笑顔に、ただただ絶望が弥増していく。
ありさはというと、直接的な反応が来ると身構えていたが、彼女は授業が終わるたびに教室をさっさと出ていった。なにかやっているのだろうな、と思いながらもわざわざ確認したりはしない。なにをしていようと、僕に彼女を止めるような権利はひとつもないのだ。
放課後。
僕は部活には行かず、教室に残っていた。顧問にはすでに「遅れる」と伝えてある。
理由は明快だ。
ありさから、昨日の件について話したいと頼まれたのだ。……これはかなり優しい表現である。実際には、ありさは僕の胸倉を掴まんばかりの剣呑な圧を発し、声音もほとんど脅しに近いものだった。拒否した瞬間、回し蹴りでも飛んできそうだった。
けれど、たとえ彼女が優しく頼んできたとしても、僕は断れなかっただろう。すでに崖っぷち、いいや指の先で断崖に引っかかっているような状態なのだ。ここから下がれば、後は奈落へと落ちるのみ。
そうなれば二度と、透に面と向かって話をすることはできない。そんな気がした。
「じゃあ、話をしようか」
ありさはあごを上げて、鈍い輝きを放つ瞳でこちらを射貫いている。
敵意。
肌が粟立つ黒い感覚が彼女から発され、僕の脚へと絡みつくかのようだ。決して逃がすまいと、圧がかかる。
彼女の後ろには咲がついていた。やや離れた位置で、事の成り行きを不安そうに見つめている。
『一対一では建設的な話し合いができないかもしれない。それに私は蓮司からそのあたりの事情は聞かされており、だいたいのことは知っているつもりよ』
と、あいだに立ってくれることになった。
感情的になりがちなありさのストッパーをやろうというのだろう。暴力沙汰になった場合、咲の細腕では指さえ止められるとは思えないし、そもそも女の子に守ってもらおうというのもどうかと思うが、わずかにでも期待しておく。
「透は先に帰らせた。この話の中心だが、あたしがする話に混ぜる必要はねえからな」
「なんの話をするんだい」
「決まってんだろ。おまえが小学生のころに透をいじめてた件についてだ」
愚問だったな、と反省する。
「いいか。胸に手をあてて、よく考えてから口を開けよ」
ありさがグッとこぶしを強く握ったのを視界の端でとらえる。殴りかかる準備は万端か。
言動の熱さに対して、その声音は怒りで頭が沸騰しているという風ではない。
「イエスかノーで答えろ。嘘は絶対につくな。嘘をついたら殴る。下手な言い訳をしても殴る。ここから逃げても殴る」
ありさは言ったことを間違いなく実行するだろう。
そして、この行動に至ったからにはそれなりの確信があるに決まっている。彼女はちょっと聞きかじっただけで人を断罪しようとするほどのバカではない。
これはいままで過去の問題を可視化することから逃げていた自分の末路だ。
むしろ、こんなことをさせてしまったありさに申し訳ないという気分になる。僕がもっとマトモな人間であったなら、こんな不幸なことにはならなかったはずだ。
ありさは僕が透にしてきた所業を並べ、最後に問うた。
「これは事実か?」
「事実だ」
即答する。
殴られる覚悟をして目を閉じ……そして、一切の衝撃が来ないことに困惑した。
ありさは呆れたように金に染めた髪を掻き、ため息をついた。
「じゃあ、そのことで透に謝ったか?」
「……ない」
「だろうな。そうじゃねえかなとは思ってたよ」
「え……殴らないの?」
「あぁ? 前に、あたしが殴るのは悪人だけって言ったろ。今のおまえは透になんもしてねえ。なのに、殴ったところでスッキリすんのはあたしだけだろうが。自分が悪いのに反省の色を見せないのは悪人だけだ。だけど、おまえはちゃんと事実を認めた。開き直ってる風でもなかったしな」
理屈は分かる。が、過去に友人をいじめていた相手をこんなにも理性的に許せるだろうか。
「あたしだって、人に説教できるような人間じゃねえ。目先の問題から逃げて、逃げた先で暴れまわって迷惑かけて、やっと抜け出せたときにはまた他人に迷惑をかけてた。クズ度で言やぁ、あたしのほうが百倍はクズだよ。でも、だからハッキリと言えることもある。……さっさと謝ったほうがいい」
そうか。ありさも同じだったのか。
別に少しも勘繰るようなことではなかった。月並みな話だが、ありさからすれば僕は過去の自分だ。だから苛立ちもあるし、こうして踏み外した僕の足を正道に戻そうとしてくれるのだ。
これはたぶん、最初で最後の、僕に伸びる救いの手だ。掴み損ねれば、二度と這い上がることはできない気がする。
「これ以上はおまえと透の問題だ」
「そう……か……」
「一発ぐらい殴ってほしかったか?」
「まあ、少しは……」
「透に殴られとけ。いや、あいつはそんなことしねえか。とりあえず、謝る心の準備しろよ。ここに呼ぶから」
「え? でも、家に帰ったんでしょ? わざわざ呼ばなくても……」
「おまえ……透の家まで謝りに行く気か?」
と、ありさは愁眉を寄せた。
「こんなこと知ったら今日子さん……透のお母さんに殺されるぞ」
「こ、殺されるの?」
「当たり前だろ。今日子さんの現役時代である赤い蝶伝説知らねえのかよ?」
「いや、全然知らない」
「こんな奴ばっかだなこの学校は!」
「そんなこと言われても……」
その今日子という人が母親になる前の話だとしたら、生まれる前なのだから知りようがないだろう。まさか透を生んでからも暴走族をしてたなんてことはないだろうし。
「透くんを呼んでおいたわよ」
今まで黙っていた咲が、スマホを手に言った。
「おう。命拾いしたな、蓮司」
「でも、謝るために呼び出すなんて王様根性もいいところよね」
「そういやそうだな。そのせいで透の気に障って許してもらえなくても、あたしたちには関係ないけど」
この土壇場でハシゴを外さないでほしい。
「冗談だって。そんな顔すんなよ。許してもらえなかったらあたしがおまえをボコボコにして透の同情を買えるように仕向けてやるよ」
「この会話ずっと物騒な話しかしてないんだけど!」
「骨は拾ってやる」
「死ぬこと前提!?」
「あと、待ってるあいだ暇だから小学生のころの透の話でもして楽しませろ」
「どんどん扱いが悪くなっていく!」
それから十分ほどが経過しただろうか。
過去の思い出をぞうきんのように絞ることに限界を覚えたころ、
「こんにちは。どうかされましたか?」
透がいつもの可愛らしい微笑みを浮かべて廊下から顔を出した。
要件までは聞いていないらしく、普段と違った様子はない。
僕が慌てて立ち上がると、ありさがパシンと尻を叩いてきた。
「気合入れろ! 昨日までのだらしない自分とはオサラバするんだよ!」
「ファイトよ、蓮司くん」
「うっす……」
ふたりに励まされ、嫌な汗をかきつつも前に進み出る。
事態を把握していない透は「どうされましたか?」と小首をかしげていた。
「透……えっと……」
「はい。なんでしょう? 蓮司くん」
「う……」
言葉が続かない。見えない手に舌を掴まれているかのようだ。
だけど、こんなチャンスは二度とない。立ち止まるな。
「し、小学生のころさ……」
「はい」
「僕は……キミに……ひどいことをした……」
話の内容をやっと理解した透は、目を皿のようにすると、スッと視線を床に落とした。
思い出したくもないに違いない。
こんなことをしたって僕の気持ちが軽くなるだけかもしれない。
だからといって、義理を通さず生きることを誰も許してはくれないのだ。
「ほんとうに、ごめんなさい」
深く腰を折り、つむじを向けるほどに頭を下げる。深甚な謝罪としては、これでもまだ足りないかもしれない。その分の償いもするつもりだ。
「あ……えっと……」
透の困惑はもっともだ。過去のことを蒸し返されても、即座に反応などはできないだろう。
それでも、彼女は声を絞り出した。
「わ、私は……もう……」
「透くん」
そこに、咲が横から割り込んだ。
「差し出がましいとは思うのだけれど、忠告させてもらうわね。蓮司くんの謝罪を、あなたは許さなくてもいいのよ。権利はすべてあなたにあるの。もちろん、許す権利もね。だけど、許せないのなら、あなたは彼の頭を引っ叩くぐらいは自由なのよ」
「……はなちゃん。ちゃんと分かっていますよ」
「え……?」
透は恩寵を与えるが如き優しい声音を響かせ、僕の肩に手を置いた。そびやかな指先がそっと触れてくる。
「私は蓮司くんを許します」
「とお……る……」
「ちゃんと反省して謝ってくれたのなら、私はそれ以上を求めたりはしません。だから、これからもお友達でいてくれますよね?」
彼女の慈悲深い言葉を聞き、僕は自然と涙をこぼしていた。
「ありが……とう……」
あんなひどいことをして、それでも彼女は昔と変わらない優しさで包み込んでくれる。それがたまらなく嬉しくて、同時に自分の変わらぬ矮小さに直面してしまう。
きっと透はすでに答えを出していたのだ。僕を許すと。
なのに、僕は彼女から逃げ続けていた。愚かにも、無駄に傷を深めているだけだった。
でも、これでやっと一歩を踏み出せる。
この場を用意してくれたありさと咲にも頭が上がらない思いだ。
罪を重ねても、いつでも誰かが手を差し伸べてくれるなんて、僕はあまりにも恵まれすぎている。
「ありがとう、ふたりとも」
僕が顔を上げて言うと、彼女たちはフッと微笑んだ。