ずっと思っていたことがひとつある。以前、私の蓮司に対する態度が気に食わないと言ってきた美鈴という女子のことだ。
あれから彼女は私には一度も関わろうとはしなかった。もちろん、授業や学校行事によって一言や二言ていど話をすることはあったが、それ以外では目を合わせることすらなかった。
腫れ物に触るような態度をとっていることにとやかく言うつもりはないが、なにも決着がついていないという不安が付きまとうのは少々困っている。かといって謝罪を求めたくはないし、また蓮司に迷惑がかかるようなことにはなりたくない。
まさかまた危害を加えてきたりはしないだろうと考えながらも、彼女が横切るたびにビクッと肩が震えてしまう。
あの日のことを、お互いに極力触れず、そのせいで進展もせず、
……のだが、
「ごめん」
教室の掃除時間中、やにわに美鈴が頭を下げた。
周りが気にも留めずホウキでちりごみを掃くなか、彼女は鼻先を床に向けたまま続けた。
「半年前のこと。完全に逆恨みだった。ごめん」
「あ……えっと……」
戸惑い、言葉に窮する。
うやむやになって終わる問題だと思っていた。美鈴はきっと意地を張って、学校を卒業したら忘れて生きていくのだろう、と。
「許してくれなくてもいいから。それじゃ……」
一方的に告げられた内容に、返すこともできず、話は打ち切られた。
去って行く彼女の背から飛んでくる電波を、私は穏やかな気持ちで受信した。
……そう、ずっと後悔していたのね。けれど、きっと口に出すのが怖かったのでしょう。水は低きに流れる、と謂うもの。誰だって楽な道から一歩逸れることを嫌がるはずだわ。
彼女の決断の理由はきっと『二年生がもうすぐ終わり』だからだ。この機を逃して三年生になれば、絶対に謝るチャンスは訪れない。周りの目。クラス替え。受験勉強。さまざまな要因が邪魔をしてくる。手遅れになる前に謝ってくれた勇気に拍手を送りたい。
返事を出すべきだろうか。いや、出そう。きっと、それがお互いの溝を埋めてくれる。
「三年生は受験ですねっ」
給食の時間、透が高校のパンフレットを片手に話を切り出した。透き通る青空と校舎を背景に、男女の生徒が笑顔で写っている。
ありさはパンをかじりながら、ぼんやりとそれを眺めている。
「そだな~。つっても、あたしは遠いとこは行きたくねえなぁ。めんどくせーし」
「私もあまり遠くだとお母さんのお手伝いができませんので、近くがいいですっ! あ、あとアルバイトをして、少しでも学費の足しにしませんと……」
「健気だねえ、透は。聞いてるだけで涙出そう」
「あと、それと……」
彼女はもじもじとしたかと思うと、
「うおちゃんとはなちゃんと一緒の高校に行きたいです……おふたりが嫌でなければ……」
友人として当然のお願いを恥じらって言った彼女に、私たちはキュンと胸を射貫かれた。
「うぅぅぅ……透ぅぅぅ……」
「もちろんよ、透くん。私たちはたとえ火の中水の中、地獄の底まで一緒よ」
「いや、地獄には行かせんなよ」
ペシッ、とありさのツッコミを受けつつ、温かいシチューを口に含む。
「でも、大変ね。近くの高校って、あそこよね? そこそこ偏差値が高いからたくさん勉強をしないといけないわ」
「そ、そうですね……だいじょうぶでしょうか……わ、私、前の期末テストで赤点を取ってしまいまして……」
「安心なさい、透くん。私なんて三つも取ってしまったのよ。たったひとつぐらいはどうとでもなるわ」
フフ、と微笑んで答えた私に、ありさが「おまえはもっと絶望しとけよ」と正論を叩きこんだ。
授業自体はマジメに聞いているつもりだが、教室という多人数空間である都合上、どうしても他者の電波を拾いやすい。そのせいで集中できず、点数を落とす結果になってしまっている。
最近、どういうわけか徐々に電波の音量を操れるようになってきているが、それでもまだまだ解決には遠い。
「うおちゃん、はなちゃん。私たちでお勉強会をしませんか!?」
「あら、とてもすばらしい提案ね透くん。お互いに教え合えば、欠点も克服できるわ。三人寄れば文殊の知恵、ともいうものね」
「なぁ……それ、あたしの負担がデカいやつじゃ……」
三人のなかで一番勉強ができるであろうありさに多大な労力を払わせることになるのは火を見るよりも明らかだが、ここは犠牲になってもらおう。
「なら、蓮司くんも呼べば楽になるんじゃないかしら。彼も割と勉強できるほうだったと思うのだけれど」
「あぁ、あいつか。あいつは……あれ? 教室にいないな?」
いつもの男子メンバーの中に、彼の姿がない。昼休みからニ十分もあれば食べ終わっていてもおかしくないが、教室を出て行くのは珍しい。
会話が聞こえていたのだろう、いつも蓮司と食べている男子のひとりが振り返った。
「あいつなら、三年の先輩に呼び出されてたぞ。女子の」
「女子?」
「あぁ、二限目の体育で移動中に話しかけられて……場所はたしか、屋上だったかな」
「面白そうだなぁ。でも、いまから行っても間に合わねえよな」
「いや、速攻で飯食って、ついさっき出ていったばかりだぞ」
「よっしゃ、見てやろ!」
ニシシ、と笑うや否や、ありさは空になった食器をそのままに立ち上がった。
「行くよなっ?」
誘いに対して、透は「そういうのはご迷惑になると思うのですが……」とやんわりと注意していた。
個人的にも、蓮司が告白にどういう対応をしているのか気になる。未来の自分の姿を見ることになるかもしれないが、知らないよりは知っているほうが心構えができるだろう。
◆
真冬にしては穏やかな気候の空の下。
僕は風で髪が乱れるのを気にしながら、目の前にいる女生徒の言葉を待っていた。
彼女の靴とリボンの色からして三年の先輩だろう。顔を合わせた覚えすらないが、状況的に告白されることは間違いない。あのもじもじとした態度と、やや赤らんだ顔。以前にも、似たような状況があった。
いくら青空が広がって太陽が顔を覗かせているとはいえ、三分も黙りこくっていられると困る。足の先まで冷えた体は「もうこのまま無視して帰れよ」と強く訴えていた。
「蓮司くん、付き合ってください!」
やっと頭を下げて、手を差し出す先輩。
言動がテンプレートに沿い過ぎて、そこに彼女の自我があるかどうかも疑わしいが、僕の返答はひとつだ。
「すみません。無理です」
「どうして?」
「僕、先輩のことほとんど知りませんし……」
逆に、初顔合わせでイケると判断した理由を知りたいぐらいだ。脈のある無しどころか、脈という概念自体が両者のあいだに生まれていない。
すると、先輩は少し涙目になりながらも微笑んだ。
「そうだよね……ごめんね。でも、卒業する前に気持ちを伝えられてよかった!」
「は、はぁ……」
「それじゃあねっ……! うぅっ……」
食い下がりもせず、腕で双眸を覆いながら、先輩は振り返りもせず去っていった。まるで悲劇のヒロインのように。
……もしかして、思い出作りで告白されただけ?
雑に罪悪感を植え付けられた気がするが、用件が手早く済んでよかった。以前、泣き叫ばれたことに比べればだいぶマシだ。あのときは周りの視線も痛くて死にたくなった。
ビュオオオ、と突風が吹いて、あまりの寒さに自分の体を抱きしめた。なんだって先輩は屋上なんて寒い場所を選んだんだか。ロケーションにこだわるにしても季節というものがあるだろう。
階段室へと戻り、かじかんだ手をこすりあわせる。
「……三年、か」
僕もあと一年もすれば卒業。
けれど、母親の一件がまだしこりのように心に残っていて、高校のことを考えると憂鬱になる。娘が近くの高校に行くとかどうこう言っていたが、絶対に顔を合わせたくない。
そのネガティブな感情を起点にして、母への怒りが沸き上がってくる。つい先日の新しい記憶ゆえ、あのふざけた言動は鮮明に思い出せた。
実の親を凶器で脅したことには後悔はないが、咲の目の前であんなに姿を見せたのは失敗だったと思っている。
あのあと、僕はたしか咲に部屋に運ばれて……。
「……………………」
まぶたの裏に、生白い肌と柔らかな曲線を持った裸体が投影された。眼に焼きついてしまった、女子の胸。
母親の一件を思い出そうとすると、いつも咲の裸まで頭に浮かんでしまう。関連性を持った強烈な記憶だから、否応なしに連想してしまうのだ。
さっきまでの怒りはすぅっと消えて、代わりに少しムラッとした。頭から締め出そうとブンブンと犬のように振るも、なかなか出ていってくれない。
「ほんとになにしてくれたんだ、あの子は……」
脳みそに彫刻刀で刻み込んだかのように離れない光景に、ここ数日頭を悩ませている。咲を見るたびにフッと浮かぶせいで困りものだし、ゲームや勉強で気を紛らわせようとしても無駄だった。
じゃあ処理をすればいいじゃないかと思ったが、ほかに好きな女の子がいるのに、咲でムラムラして自慰行為をすることに対するモヤモヤがあってできない。透とは付き合ってもいないのに、これを「浮気」などと呼ぶのはとてつもない気持ち悪さがあるが、気分としてはそれが近いだろう。
悶々としながら階段を下りていると、
「ん?」
下で男女数名が固まって、ニヤニヤしながら待っていた。
男友達と、透、咲、ありさの三人だ。ただし、透は心配そうな顔で、咲はいつもの無表情だった。
なにしてるんだ? ……茶化しに来たのか。
「おかえり蓮司!」
男子の畠中が肩を組んで、脇腹を小突いてきた。
「見たぞ? おまえ、あんな美人のどこが不満なんだよ!」
「別に顔で選んだりはしないし……人は中身だと思うけど」
「面白味のねえこと言うなよ! フツーとりあえず付き合ってみるだろ? 好きな子がいるんなら話は変わるけどよ」
「まぁ……」
と、僕は透を見て、すぐに逸らした。
「ね……」
そこにありさが「つっても、ろくすっぽ会話せずに告白する三年の先輩もアレだろ」と、フォローを入れてくれた。
「あの先輩、完全に思い出作りで告ってきただけっぽい……」
「告った側は気が楽だろうけどさぁ。それはさすがにひでぇわ」
「おまえは贅沢!!」
突如、畠中が血涙でも出さんばかりに顔を苦渋で歪ませ、地団駄を踏んだ。
「なにが会話だ! なにが中身だ! とりあえずOKしてからお互いについて知り合うスタートだってあるだろ! 俺だって告白されてみてえよぉぉぉぉぉぉ!!」
「本音がうるさい」
「いままで何回告られたよ、おまえ!?」
「え……今回で四回目」
「リアルな数字が出てきてちょっと困ったわ! でもね、中学生の時点で四回は多いよ!? 嫉妬で気が狂いそうだから手足縛って海に沈めていい!?」
「リアルな数字に対抗してリアルな殺し方を提案してくるな」
「俺もその顔と身長欲しいなぁぁぁぁぁぁ!」
「無茶言うな」
「包丁でおまえの顔の皮ひっぺがして被るわ」
「猟奇殺人鬼みたいな発想やめてくれ怖いから」
「ヘヘヘヘヘ冗談だって」
「目が笑ってないんですけど!」
もはや妬みの権化と化して発狂している畠中は無視して、教室に戻る。
僕自身としても、だいぶ贅沢な身分だという自覚はある。ただ、この整った顔があの母親譲りだということが気に食わなくて素直に受け入れがたい。だから、顔目当てで寄ってくる女が嫌いになったのだ。僕自身がそれは良くないと思っていても、感情は素直に従ってはくれない。
「すみませんっ。覗くような真似をしてしまって……」
頭を下げた透に、僕は笑顔を作って手を振った。
「いいよ。透は悪気あってそういうことする子じゃないし」
横からありさが「あたしは悪気あったけどな」と余計な茶々を入れてきた。
「魚谷……キミが誰かを好きになる光景がまったく見えないな」
「お? あたしの理想が知りたいか?」
「知りたくない」
「そこまで言うなら教えてやるよ」
「勝手に話を進めるなよ!」
「まあ、あんま考えたことないけどな。強いて言うなら……透みたいなヤツ、かな?」
「うおちゃんっ! 嬉しいです!」
大喜びの透に、ありさが面映ゆそうに頭を掻いた。
「……よくよく考えたら結構恥ずかしいこと言ったな、あたし。やっぱ今のナシで」
「そんなことありません! 私も、うおちゃんみたいな人がいいですっ!」
「ちょ待て待て待て、勘違いされるからやめろ透! 違うからなおまえら! 友達として、だからな!」
自ら進んで自分の地雷を踏みぬいていくとは……。
顔を真っ赤にして取り乱すありさを、男子たちが「ご両人!」とからかった。
ふたりを中心にして盛り上がるクラスメイトたち。
そこに混ざらず、咲は黙り込んで、ボーッとしていた。瞳は虚空を見つめており、意識をどこかへとやっている様子だった。考え事だろうか。
放課後。
校門で透たちと別れ、僕は咲と一緒に家路を辿っていた。
時刻は六時。冬空はすっかり日が落ちており、濃紺のシーツを敷いたような光景だった。街中で見上げる夜空は星ひとつ見えないせいで、吸い込まれそうな気分になる。
今年のサッカー部の大会はどれもかなりの好成績。レギュラー内では二番手のポジションにおり、周りから三年の全国大会での活躍を期待されている。つまりは、順調も順調といった感じだ。
体を動かしてのストレス発散を目的として始めた部活動だが、ここまで来たら意地でも頑張りたい。
「蓮司くん、周りに優しくなったわよね」
「え?」
隣を歩く咲の言葉に驚く。
「僕が?」
「えぇ。最初に会ったときのあなたなら、告白されても平然と断れたと思うわ。でも、きょうのあなたはあたふたしてて……そう、いつもの仮面を被れていないように見えた」
「そう……かもね」
あんな告白をされたら昔の自分なら怒っていただろうに、いまの自分は悲しさを覚えているのだ。その悲しさの理由を言語化することは難しいが、変化は間違いなく起きている。
指摘されるまで気づきもしないとは、まともな人間を演じることに疲れてきた証拠だろうか。
「それに、以前ならありさに愚痴ったりもしなかったでしょう」
「そうだね。そのことに関しては疑いようもない事実だ」
「あの母親の件も、意外と響いていないようだし」
「そっちはキミのせいだけどね?」
「あら、なぜかしら」
「こんな往来で言えることじゃないんだけど」
「なら、またあなたの家に行きましょうか。ついでにお菓子ももらえるかしら」
「その図々しさにもさすがに慣れてきたよ……」
「それと、勉強も教えてくれると助かるわ。赤点を三つもとってしまったから、三学期の目標は赤点をふたつまで減らすことなの」
「せめてゼロを目指さない? 志が低すぎて地面に埋まってるよ?」
僕の家にあがった咲は我が家のようにくつろぎ、靴下を脱いでベッドに腰かけた。細く、雪のように白い足が僕の目の前で揺れる。
勉強道具は座卓に並べてあるものの、どの教科からすべきかが問題だった。咲の赤点は数学、英語、理科と……理系関係が苦手であることは自明だ。
そもそも、彼女はポテチを遠慮なくバリバリ食べていて本気で勉強する気があるのか疑問なのだけれど。
「それで、さっきの話なのだけれど……」
「なんで母親のことを気にしてないのかって? キミの裸のインパクトで全部ふっ飛んだからだよ!」
「フフ、それはよかったわ」
「頻繁に思い出しちゃうレベルで脳に刻まれちゃったんだぞ!?」
「だから、最近気もそぞろだったのね。電波の乱れをビンビン感じたし」
「だって、キミの顔を見るたび思い出しちゃうんだよ!」
「いやらしいわ蓮司くん……そんな目でいつも私のことを……」
「キミが言えた義理じゃないだろ!」
眼前に同級生の胸があらわれて平然としていられる人間がいるとしたら、それは生き仏ぐらいなものだ。
「……でも、キミのおかげで救われた部分もあるのは事実だ。あれがなかったら、いまごろ僕はまだ苦しんでいただろうし」
本心ではあった。もちろん、言いたいことは山ほどあるが、それとは別として感謝している。あのときの咲の表情には「僕をからかってやろう」なんて気持ちは微塵もなかった。こちらを心配するような眼差しで、我が子にするように優しく抱いてくれた。
僕が母というものに対しての失望と絶望に沈んでいると知ったからこそ、ああいった突飛な行動をしてしまったのだろう。人肌の暖かみとは、意外とバカにできない効果を持つのだ。拙速な考えだったかもしれないが、ともかくとして、僕は彼女の思いやりにだけは感謝したい。
「……私にできることは、あんなことしかなかったのよ」
咲は床の一点をじっと見つめていた。感情を殺すように、まばたきもせず。
「あなたからは貰ってばかりで、全然お返しできてない。それは透くんにも、ありさにも言えることだわ。私はあなたたちの優しさに甘えてばかり……」
「だから、あんなことをしたの?」
「これまでの恩を思えば、体を晒すぐらいはして当然よ。あなたとの約束も、あまり果たせていないし」
悲痛……という風ではない。咲は心底、そう思っているのだろう。僕に裸を見せても、それは感謝として当然のことだと。いいや、それ以外に差し出せるものがないのだと信じてしまっている。
まだ自虐的な考えが抜けきっていないようだ。一年前までずっとイジメられていたうえ、自分を人殺しだと信じて生きてきたのだ。そうすぐには変わらないか。
「咲、自分を大事にしてくれ。そんなこと言われたら、キミの将来が不安になる」
「だいじょうぶよ。あんなことをするのはあなたか結婚相手ぐらいだから」
「違う。僕もキミに何度も助けられたんだ。だから、自分をそんなに卑下しないでくれ。僕の方こそ、キミに恩返しできているか不安だったくらいだし」
咲のおかげで透に謝ることができたし、夏祭りでは一歩前進した。悩みを話し合える唯一の友達で、母親からも守ってくれた。それ以外にも数えきれないくらい、彼女からもらったものがたくさんある。
ずっと気にしていたのだろうか。……私は蓮司の役に立てていない、と。
そんなことは絶対にない。いいや、役に立つとか立たないとかではないのだ。もう、そんなことを重視する関係ではなくなっている。
「役に立った回数なんかで引け目を感じないで。友達だろ?」
「でも……やっぱり私はあなたにたくさん恩があるわ……」
このままではいつまでも話が堂々巡りするだろうことは、さすがの僕にも分かってきた。かといって、どう説得しても咲の考えはすぐには変わらないだろう。
強引な手を使うしかないか。
「分かった! じゃあ、こうしよう! きょうからキミが恩を全部返済するまで、僕はキミを一切助けない!」
「すごく乱暴な考えね」
「ってわけでお菓子も没収」
「あぁっ乱暴っ」
ポテチの袋を取り上げると、咲は悲しそうに眉を下げた。恩がどうこう言っている割にお菓子やジュースをもりもり食べている件については、また後で追及してやろう。
手持ち無沙汰になった彼女は、困ったように僕を見つめてきた。
「それで、私はなにをすればいいのかしら」
「…………じゃあ、頼んでもいいかな」
「?」
きょとんとしている咲の肩に手をやって、
「……ッ!」
ベッドに押し倒した。らしくなく泡を食ったような表情をした彼女を見下ろす。
「え……蓮司……くん……?」
「言っただろ。あのときの光景が目に焼き付いて離れないって」
緊張で喉が渇き、めまいのするような感覚に陥る。咲のシャンプーの甘いにおいと僕の部屋のにおいが混ざった
頬を染めた少女の顔に、恐怖と期待の色が見え隠れして、それが僕のなかの獣性を刺激した。
最初は咲のことを妹かなにかのように見ていた。守ってあげるだけの存在だと。
その認識が変わったのは、夏祭りで彼女が僕に微笑んだ瞬間からだったように思う。同級生の女の子として、強く心が惹かれた。一瞬とはいえ、透のことが頭から消えたぐらいには。
そして先日の出来事。もう二度と以前のようには見られない。僕の頭のなかを占める割合を、透の領域まで奪いつつある彼女を、このままにはしておけない。
「たぶん、あれが“たった一回”のことだったから特別に感じるんだ。だったら、特別じゃなくせばいい」
記憶を消すことはできない。しかし、ぼやけさせることはできる。
……いいや、それは言い訳だ。
いままでの考えもすべて、あれこれもっともらしい理由をつけて自分を抑え込んでいただけ。
きっと、ただ単純に“我慢ができなくなった”だけなのだ。
横暴な理論であることは重々承知だった。おかしな行動に出ていることも、理性の部分がちゃんと把握している。おかげで、ギリギリ踏みとどまっていた。
「いきなりごめんね、咲。嫌だったら絶対に言ってくれ。すぐ離れるから」
咲が一言だけでも拒絶さえしてくれれば、理性が勝ってくれる。獣性を抑えて、日常に戻れる。それでなにが解決するわけでもないが、少なくとも以前のままでいられる。
けれど、目の前で襲われる寸前であるはずの少女は、どこか安心したように明眸を細めていた。
「……いいわよ」
咲は両手を僕の頬に伸ばすと、花びらを愛でるように優しく撫でた。僕の顔に流れていた冷や汗を拭い、彼女は潤んだ唇を薄く開いて微笑んだ。
「蓮司くんの好きにして」