※この作品はR-18です。

本田はおにぎり   作:らかん

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似た者同士だからじゃないか

 校庭に植えられた桜が風に散り、窓の外を雪のように流れていく。その光景を前にキャッキャッと騒ぐ新入生たちを、先輩たちが優しく見守っていた。

 教室はざわざわとした話し声で氾濫し、隣のクラスの声まで聞こえてくるほどの大騒ぎだ。

 高校一年。透、ありさ、そして蓮司の三人と同じクラスになれた。奇跡的な確率だろう。神様が気を遣ってくれたのだろうか。

 そして、あの銀髪の美少年も一緒だった。

 このクラス、どうやら変人率が高いらしい。

 

「草摩由希です。よろしくお願いします」

 

 自己紹介で彼が草摩と名乗ると、クラスの女子たちが色めき立った。

 が、由希は苦笑いともつかない微妙な表情を浮かべて、席についただけで大したリアクションは返さなかった。慣れているのだろう。

 そのまま滞りなく自己紹介が進み、私も席を立ってあいさつをする。緊張で声が震えてしまわないか少し不安だったが、杞憂だった。思ったよりも舌は滑らかに動いてくれた。

 最後に、

 

「えー、僕の名前は吉阪蓮司です。一年間、よろしくお願いします」

 

 と、蓮司がそつなく終えると、さらに女子たちの声は大きくなった。波打ちのようなざわめきが耳障りに感じてきたところで、先生が一喝して場を静めた。それでもまだ声は収まっていない。

 結構な美形がふたりも同じクラスにいれば、それだけ興奮してもおかしくないだろう。

 小休憩の時間になると、教師のお叱りから解放された女子たちが口々にふたりのことを話し始めた。

 

「草摩くんかっこよくない?」

「いやでも吉阪くんも背が高いしイケメンじゃん」

「あたしは草摩くんかな~。顔すっごいキレイだし」

 

 好き勝手に評論しているが、本人たちに聞こえたらとか考えないのだろうか。

 蓮司はすでに男子と友人関係を築いていて、グループに入っていた。さすがの社交性だ。

 由希は話しかけてくる同級生たちににこやかに応えるものの、かなり距離を置いているように見える。いや、実際置いているのだ。彼から伝わってくる電波は、他人という存在に対する怯えが混ざっている。過去になにかあったのだろうか。

 

 私は後ろの席で、いつもの三人で固まっていた。

 緊張でまた電波が乱れたらどうしようと考えていたが、心配は心配のまま終わった。電波の制御はちゃんと機能していて、教室内にある心の声はほとんど耳に入らない。

 

 透の長い髪を編み込んでいると、ありさが話しかけてきた。

 

「あのふたりの話で持ち切りだな。どっちがかっこいいか、って」

 

 私は軽く肩をすくめた。

 

「私は蓮司くんのほうがずっとかっこいいと思っているのだけれど」

 

「拗ねるなよ。ふたりしてあそこまで顔が整ってると、もうほとんど個人の好みのレベルだろ」

 

「ありさはどっちがいい?」

 

「答えたくね~~~~~~~~」

 

「どうして?」

 

「他人の顔がどうこうって言い合うのって嫌いなんだよなぁ、あたし。褒める分にはいいけど、どっちが良いかとか言いたくねえ。あたしが族にいたのは知ってるだろ?」

 

「えぇ」

 

「そこでまあ……先輩とかの恋愛話っていうか……聞きたくもねえ話を聞かされすぎて、完全に嫌になっちまった。だからパス」

 

 笑えない下ネタばかりが飛び交う中にでもいたのだろうか。

 女暴走族といえば、少女漫画ならきっぷがいい人間であることが多いが、現実ではそうはいかないだろう。彼氏がどうだとか、下がどうとか、なんなら売春の話まで聞かされかねない。その内容をほとんど想像できないが、毎日のように耳にすれば若干トラウマになるだろうことは分かる。

 

「じゃあ、透くんはどっちの顔が好みかしら」

 

「えぇっ!?」

 

 透は目を白黒させると、パタパタと慌て始めた。

 

「え、えっとですね……私なんかが人様の顔にあれこれ物申すなんておこがましいと言いますか……お母さんにも人の容姿を見て判断したり、差別しちゃダメだよと教わりまして……」

 

「ごめんなさい。いじわるな質問だったわね」

 

「いえいえいえ! で、ですがっ個人的な意見としましては、蓮司くんのほうが好きかもしれませんっ」

 

 社交辞令とはいえ、本人が聞いたらさぞ大喜びしていたことだろう。社交辞令とはいえ。

 

 休み時間になると、女子たちの注目はやはり美形男子ふたりに集まった。

 すでに派閥のように別れており、どちらを持ち上げるかで睨み合いまで始まっている。

 彼らにやれ「王子」だとか、やれ「貴公子」だとかキラキラした呼び名までつけている始末。いまどきそんなニックネームをつける人間なんていることに驚く。

 私たち三人組もそれなりに男子の視線を集めていることは自覚しているが、ほとんど誰も寄ってこなかった。

 それもそのはず。

 

「……………………」

 

 ザ・ヤンキーという風体のありさがふんぞり返っているのだから、誰が近寄りたがるだろうか。

 

「おいおい、あたしだけのせいかよっ」

 

「声に出してしまっていたかしら」

 

「出てるわ! それに、おまえが出してるオーラのほうが百倍ヤバイから!」

 

「あら、私は別にいいのよ。寄ってきてほしい男の子はひとりだけだもの」

 

「あぁ……はいはい。ごちそうさま」

 

 ありさは辟易とした様子で軽く流した。

 心に決めた人がいる身としては、他人に下心ありきで接してこられても迷惑なだけだ。友達はほしいが、まだ自分の恋に決着もつけていないうちに悩みの種は増やしたくない。

 それに、透に悪い虫がつかないように守らないと。

 

「うおちゃん、はなちゃん、教科書のこのページの猫さん、すっごく可愛いと思いませんか!?」

 

 教科書をバッと広げて見せてきた無邪気な透を見ていると、親にでもなったような気分になる。このまま悲しみも不幸も知らずに、私の太陽のまま生きていてほしい。そんな無茶なことを考えてしまう。

 もしも透の心に深い傷がつくようなことが起きたとき、私は彼女を闇から救い出せるだろうか。

 私が彼女にしてもらったように。

 そんな思案をしていると、

 

「ちょっとええですか?」

 

 ふいに廊下から声をかけられた。

 出入口に、快活そうな女子が立っていた。髪はショートで、やや肌が焼けている。運動部の人間だろう。よくよく観察すれば、私とは違って手足に筋肉がついていることが分かる。

 透が出入口に向かったのを私とありさも追いかけた。

 

「はい? どうされましたか?」

 

「ちょっと人探してんねんけど」

 

 関西弁か。生で聞くのは初めてだ。

 美波は怒りの電波を放ち、目尻をやや吊り上げていた。登校初日からこんな顔をするなんて、なにがあったのだろう。

 透も首をかしげて、たずねた。

 

「はい。人……ですか? どなたでしょう?」

 

「このクラスに吉阪蓮司っておりますかね?」

 

「蓮司くんですか? どのようなご用で?」

 

「呼んでほしいねん。うちの名前、言えば分かるわ」

 

「お名前?」

 

「大蔵晴香」

 

 大蔵……その名前、どこかで……。

 

『私の名前は大蔵舞子。姓は再婚先の名前よ。うちの蓮司がお世話になってます』

 

 そうだ。蓮司の母親。姓名が大蔵だと名乗っていた。

 その晴香が蓮司をたずねてきたということは、考えるまでもなく母親の件だろう。

 そういえばあの母親が「娘がこの学校に通いたがっている」などと話していたのをいまになって思い出した。当時はただ息子との話のタネを絞り出しただけかと思っていたが、事実だったとは。

 ……それにしても、あの母親の再婚相手の娘か。

 知ったあとになって今いちど晴香を見てみれば、さっきの印象とは真逆の性格が悪そうな顔つきに見えてきた。こういうのをなんという現象と呼ぶんだったか。

 私は透に下がるよう伝えて、代わりに話の場に立った。

 

「あなたの……いまの母親の話かしら」

 

「そうそう。その話をしに来たんやけど……」

 

「帰ってもらえるかしら」

 

「ん……ん? はい?」

 

 怒りから一転、困惑している様子の晴香に、私は語気を強めて言った。

 

「蓮司くんはあの人のせいでひどく傷ついたの。これ以上、彼を無駄に追い詰めるようなことはしないで」

 

「は? え? なんか思ってたんと違う……」

 

「……え?」

 

「どうしたの?」

 

 後ろからやってきた蓮司に、晴香が「あーっ!」と大声で指をさした。

 

「写真で見たイケメン!」

 

「……???」

 

 私が「この子、蓮司くんの母親の再婚先の娘らしいわよ」と答えると、

 

「……………………」

 

 蓮司は見る見るうちに不機嫌な顔になり、このまま誰かを絞め殺すんじゃないかと思えるほどの嫌な電波を飛ばし始めた。

 発端から数年、再会から二年がたとうというのにこれだけの怒り。彼の憎悪がどれだけのものかうかがえる。それもそのはずだ。相手は肉親であり、人殺しをしてしまった遠因。救いを求めたのに足蹴にされ、それでも心のどこかでは母の愛を求めているのだ。話を聞いただけだとしても、この反応は決して過剰ではないだろう。

 眉間に谷のように深くしわを刻んだ蓮司は、低く唸る狂犬のような声で言った。

 

「……なんの用?」

 

「こ、こわぁ……」

 

 後ずさりした晴香だったが、すぐに負けじと睨みをきかせた。

 

「うちに上がり込んだクソババアの息子がいるって聞いたから文句を言いに来ただけや!」

 

「……………………はい? え、どういうこと?」

 

「あのババアがやたら息子のあんたの写真を見せてきては『あなたと同じ高校を受けるらしいわよ』とか自慢げに言ってきよってな。どんな性格悪い男なんかと思って身構えてたけど……なんか、ちょっと印象違ったわ」

 

「僕もあの母親が気に入ってるみたいだから、同じぐらいヤバい奴が来るんじゃないかって警戒してたんだけど……」

 

「なんでやねん。あのババアに育てられたあんたならともかく、うちがなんであのクソ女に似ないとあかんねん」

 

「ご、ごもっとも……」

 

 私も彼女のことを勝手に蓮司の母親と同類として見なしてしまっていた。冷静になって考えれば、それは偏見以外の何物でもないというのに。

 自分自身、そういう偏見の目にも晒された身でありながら、ひどく失礼なことをしてしまった。

 透とありさも奇妙な雰囲気に首をかしげている。彼女たちは完全に蚊帳の外だから、話を聞いても分からないだろう。

 そして、蓮司は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ごめん。早とちりだった」

 

「いや、もう別に謝らんでええねん。そっちも苦労してるみたいやからな。そりゃ浮気して出て行った母親のことを好きなままの息子なんかおらんわな。あのババア、まったく悪びれなくあんたのこと語るもんやから、うちも勘違いしてたわ」

 

「それで、文句っていうのは……?」

 

「ありすぎて一言では言えんな。勝手に服を買ってきたり、SNSのフレンドをうちが見てないあいだに消したりすんんのはまだ序の口や。最近、うちのお母さんの写真を捨てよったのがマジで最悪やった。お父さんにも相談なく! 言うとくけど、これだけちゃうで?」

 

 横暴の数々に、聞いているだけで頭痛が起きそうだ。

 この自分が正しくて他は間違っているとしか思っていない独善的な行動。おそらく、数えきれないほどの似たようなことをしてきたのだろう。想像すらできない。

 

「そのくせ母親ヅラするんやで? うち、あいつのこと何回殺してやろうと考えたか覚えてないもん。あのババア、『初めての娘だから可愛くてしかたないわ~』とか言いよって、こっちはおまえのこと毛ほども親とは思ってないっちゅうねん」

 

「キミのお父さんはどう思ってるの?」

 

「強く言えんみたいやな。無茶ぶりされて苦しんどるわ。お母さんが死んで傷心してたところをあのババアにつけこまれたのは可哀想やけど、自業自得や。不倫だと分かっていてババアと付き合ってたんやからな。慰謝料もがっぽり持っていかれて、うちにまで被害が来たし。もうさっさと高校を卒業して家を出たいわ……」

 

 切実な願いだ。私だって、そんな家には一秒だっていたくない。

 つくづく私は家族愛に恵まれているらしい。他人の親の話を聞かされるたびに、そう思う。

 

「まあ……あんたがあのババアに性格まで似てなくてよかったわ」

 

「僕の母親が迷惑をかけているみたいで、申し訳ない」

 

「お互い大変やな。とりあえず、話ができてよかったわ」

 

「こっちこそ」

 

 立ち去ろうとした晴香だったが、ふと足を止めて振り返った。

 

「あ、肝心なこと言い忘れてた」

 

 彼女は言いにくそうに唇をぎゅっと噛んだあと、苦笑いともとれる苦しそうな表情を浮かべた。

 

「いまんとこ証拠はないんやけどな……」

 

「はい」

 

「あのババア、たぶん浮気しとる」

 

「はい!?」

 

 素っ頓狂な声をあげた蓮司に、晴香は乾いた笑いで返した。

 

「あの感じは絶対そのうちバレるから、そんときは気をつけたほうがええで。たぶん、追い出されたババアはあんたのところに泣きついてくる。あいつはそういう女や。間違いない」

 

 あまり考えたくはないことだが、その可能性は大いにあるだろう。蓮司に死ぬほど嫌われていると分かっていて、あの偉そうな態度をとれる人間だ。

 こうして存在していること自体を憂慮しないといけないなんて、まるで疫病神だ。

 

「それじゃあな~」

 

 去っていった晴香を見送ると、蓮司は頭を抱えてしゃがみこんだ。

 

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……」

 

「深いため息ね」

 

「咲、いまからでも僕はキミの家の子供ってことにならないかな」

 

「ならないわね」

 

「ならないよねぇ……」

 

 結婚したらなれるんじゃないかしら、という言葉が喉元まで出かかったが、冗談として言いたくなかった。言ってしまったが最後、ほんとうに冗談のままになってしまう気がして怖かった。それに、本気で悩んでいる蓮司に対しても失礼だろう。

 それにしても、とんでもない爆弾の存在を教えられたものだ。しかも、すでに導火線に火がついているときた。勝手にひとりで爆死してくれるならいいが、間違いなく蓮司を巻き込んでくることだろう。

 もしそのときが来たら、私になにができるだろうか。

 

「蓮司くん」

 

 透が蓮司と目の高さを合わせて腰を落とした。

 

「だいたい事情はわかりました。もしもおひとりでは解決できないと思ったら、いつでも私を頼ってください。微力ながらお手伝いします」

 

「透……」

 

「それでも足りなかったら、うおちゃんやはなちゃんもいます。私のお母さんだって力になってくれるはずです。だから、きっとだいじょうぶですよ」

 

「……ありがとう」

 

 乱れていた蓮司の電波が落ち着きを取り戻しつつあった。

 透を見ているといつも「敵わないな」と思う。

 彼女の優しさとは言葉を選んで話すような「嫌われない優しさ」ではない。相手を思いやろうとする「人を愛するための優しさ」だ。

 私のように電波など使わなくても相手の感情の機微に気づき、心にそっと触れてくる。私にはできない芸当。

 

 ありさが「あたしもさ~」と話を繋げた。

 

「前にも言ったけど、母親が浮気して出て行ったからさ。気持ちがスゲーよくわかんだよ。遠慮はすんなよ、マジで。ひとりで抱え込みすぎて道を踏み外したことある女からの忠告だ」

 

「ありがとう、魚谷……」

 

 ここにいる全員が、きっと普通の人とは少し違うつらい人生を歩んできている。

 透は父親を亡くし、ありさは母の浮気から不良の道を行き、私は生まれ持った罪障で生きることを諦めかけた。

 そんな私たちだからこそ、他者という存在の大切さをよく知っているのだ。なぜなら、ここにいる誰かひとりでも欠けていたなら、きっといまだに暗い道をさまよい歩いていたに違いないのだから。

 

          ◇

 

 僕は席に戻って、さっきの出来事を反芻していた。

 いつ母親が僕をまたたずねてくるのかを考えながら高校生活を送らないといけない。息が詰まりそうなほどの最悪の事実だ。

 あの母親は二度も浮気をしておきながら、きっと恬として恥じていないことだろう。

 そんな女の血が流れているということがもう耐えられない。体内の血をすべて吸いだして、別の血を取り込みたいとすら夢想してしまう。血管を蛆虫が這いまわっているような感覚さえしてきた。

 

「ねえ、ちょっといいかな?」

 

 隣から声をかけられて、僕は顔を上げた。

 草摩由紀が長いまつげを揺らしながら、こちらの様子を覗いていた。

 

「たしか、名前は吉阪蓮司だったよね? 蓮司でいいかな?」

 

「もちろん」

 

「俺のことは由希でいいよ。それで、話なんだけど……さっき、別のクラスの女子と話していたことってほんとう? ごめん、耳に入っちゃってさ……」

 

「あぁ……」

 

 こんな王子様って感じの顔をしていても、意外とミーハーなところがあるんだな。

 僕は一瞬迷ったが、うなずいた。

 

「そう。浮気して出て行った母親が、再婚先でまた浮気してるんだとさ」

 

「ひどいね。本に書いてあったよ。浮気は精神病みたいなものだって」

 

「間違いないね。僕が助けを求めても、再婚先の家庭のほうが大事だからって助けなかったクソ親だよ。病気じゃなかったら逆におかしい」

 

「ハハハ……」

 

「話を聞けて満足?」

 

「好奇心ではあったんだけど……俺にも似たような経験があるからさ」

 

 由希が憂いに満ちた双眸を机に向けた。それを追いかけるように銀色の髪がはらりと垂れさがる。

 

「その言葉を聞くのは二度目だ。その経験っていうのは、聞いてもいいものかな?」

 

「もちろん。まあ、そこまで難しい話じゃないよ。俺の家は、草摩っていう大きな一族なんだ。知ってる?」

 

「いいや、知らない」

 

 それなりにテレビや雑誌などを見る僕のアンテナに引っかからないということは、あまり表舞台に出ないタイプの家系なのだろうか。

 草摩……草摩……草摩……。

 そういえば、学校周りの地理を調べていたときに、やけに広い敷地を持っている家を見つけた。いくつもの和風の家屋があったはずだ。

 あれか!

 スマホで調べると、たしかに出てきた。草摩家。古くから続く名家だと書かれている。この高校からそれなりに近い場所にあるらしい。

 

「俺はそこの当主のご機嫌をとるために、母親に置いていかれたんだ」

 

 ドラマでしか聞いたことがないようなセリフに、僕は言葉を失った。

 

「だから、キミに共感できる部分がある」

 

「親がいなくなって、部屋にたったひとりになる恐怖も?」

 

「感じたよ。怖くて怖くて、部屋の隅でじっと一日が終わるのを耐えてた」

 

 由希の皮肉な笑みを見て、確信した。

 彼の言葉に嘘はない。

 つらく、苦しく、希望すら見えないどん底の日々。早く明日が来てほしいと願いながら、きょうがずっと続けばいいのにとも考えている。明日にはきっと良い方向に変わるだろうという気持ちと、いまよりも悪くなるぐらいならこのままがいいという気持ち。

 その感情を経た、どこか諦めに近い表情。

 彼の顔は以前の僕と同じだった。

 

「俺、自分語りなんてしない人間だったのにな。なんでだろう」

 

「似た者同士だからじゃないか」

 

「かもね」

 

「由希」

 

 僕は彼に右手を差し出した。

 

「キミはいいヤツっぽいな。友達になろう」

 

 由希はポカンと口を開けて固まってしまったが、ややあって僕の手を握り返した。

 

「もちろん。大歓迎だ。よろしく、蓮司」

 

「よろしく、由希」

 

 固く握手を交わすと、遠くにいる女子たちの熱い視線に気づいてしまった。

 気まずくなって、パッと手を離す。

 ふたりで顔を合わせて、ごまかすような笑いをこぼした。

 

 意外と世の中には不幸な人間が溢れているのかもしれない。僕に関わる人間、そして僕自身も人並み以上の苦労はしてきたと思う。僕が知らないだけで、この学校には僕以上のどん底から這い上がった人間だって、もしかしたらいるだろう。

 もしそんな人がいるのなら、力になりたい。僕が他人に助けてもらったように。

 

          ◇

 

 梅雨にさしかった、五月の終わりのこと。

 まだ衣替えはしていないが、若干の蒸し暑さを感じつつあった季節。

 授業中、その報は突然届いた。

 

「透くんのお母様が……事故に遭ったって……」

 

「……………………え?」

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