私と友達になることに、いったいどんな企図があったかは知らない。いえ、もしかしたら彼女たちはなにも考えていなかったのかも。
誰だって、私のしたことを見れば関わり合いを持ちたいとは思わないでしょうに。その損得すら考慮のうちにはなくて、だからといって楽観的と呼ぶには……彼女たちの
ヘンテコね。
けれど、これぞ割れ蓋に綴じ蓋というものなのかもしれない。私なんかを受け入れてくれるのは、やはり同じだけ変な人間だけなのだろう。
「明日もまたお会いできるんですよねっ!?」
放課後、透がやにわに当たり前のこと言って、ありさがツッコミを入れた。
「そりゃそーだろ。転校してきたんだから」
「ハッ! そうでしたっ!」
「天然か! いや、天然だったな……」
なんとなく、ふたりが普段どんな会話をしているのかが見えてきた気がする。
透たちは私とは逆の方向に帰るようで、歩きながらこちらを振り返った。
「花島さん!」
透が大げさなくらいにブンブンと腕を振っていた。
「では、また明日ですーっ!」
「また明日な~」
ありさも肩越しに別れのあいさつをして、ふたりは去って行った。
私は
「また明日……初めて言われたわ。明日は“おはよう”とか言われるのかしら」
ほとんどの人間が向けられるであろう言葉。友人関係が今日で終わらず明日に続くと期待するからこそ出る、日の光のように暖かな挨拶。他者との関係を保障する語。
私には無縁だと諦めていた其れに、戸惑いを禁じ得ない。呪いを偶有して生まれてこなければ、きっともっと早く、もっとたくさんかけてもらえた言葉なのだろう。宿望が叶ったというのに、ネガティブなことばかりが頭に浮かぶ。
透たちの背が離れていくのを見ながら、私はため息をついた。初めてのことばかりで疲れてきた。これではまるで、散歩に出た赤ん坊だ。
「どうしたの?」
後ろから声をかけられて、振り返った。
蓮司だ。
「ボーっと突っ立ってるけど」
「慣れないことばかりで脳の処理が追い付いていないみたいだわ。こんな電波は初めて」
「ふーん。透たちと仲良くなったらしいね」
「これからどうなるかはともかく、少なくとも明日も友達をしてくれるみたい。関わらないほうがいいと何度も忠言したのだけれど、まったく聞き入れてもらえなかったわ」
「キミが寂しそうだったからじゃない?」
「かもしれないわね。あなたにも私がそう見えているのかしら?」
蓮司は皮肉な笑顔を浮かべて、小首を傾げた。
「僕はキミの事情を知っているから」
「そうね。私もあなたの事情を知っているけれど、あなたが可哀想には見えないわ」
「透のおかげだよ。前を向けるのは」
そう語る彼の目には、友人に向けるだけではない熱がこもっているように見えた。
「これから帰るんだろ?」
「そうよ。私はあっちだけど」
「僕も同じ道だ。奇遇だね」
「なら、途中まであのふたりがどういう人間か教えてもらえないかしら?」
「どうして?」
「どれぐらいの期間になるかは知らないけれど、長い付き合いになりそうだから」
「朝とは違って前向きだね」
「彼女たちのおかげかしら」
さきほどの蓮司の言葉を返す形になったが、事実そうなのだろう。あの明るさと強引さが私をわずかにでも光へと踏み出させて、進む勇気を与えてくれたのだ。
蓮司もそうだったのだろうか。親を殺し、裁いてもらえず、罪と罰が宙ぶらりんになった人生に、あの光が道を照らした。
共に肩を並べて歩き出そうとしたとき、
「……っ」
背骨を浸食する冷気のような“悪意”の電波に襲われ、私は肌が粟立った。この感覚には覚えがある。明確な敵愾心、害意、侮蔑。私がさんざん向けられてきたもの。
振り返り、相手を捜す。しかし、下校する生徒たちの群れのなかで私を睨むような人間を見つけられるわけがなかった。犯人は私の反応を確認する前に、即座に立ち去ったことだろう。
「だいじょうぶ?」
蓮司が心配そうに顔を覗きこんできて、私はかぶりを振った。
「えぇ。ただ、嫌な電波を拾っちゃって……」
「生徒がたくさんいるからかな。すぐにここを離れよう。気分が悪かったら、支えるけど?」
「平気よ。ほんとうに……」
足腰に力を込めて、へそに意識を凝する。こういうときの対処法は知っている。とにかく電波から意識を逸らすことだ。
「花島さん、無理そうなら言ってね」
蓮司の優しさに嘘偽りはないと、電波が言っている。本心から私を心配してくれているのだろう。それが同類に向ける哀れみの一端であれ、私の心はあまりにも素直に喜んでいた。
胸がざわつく。男の子に優しくされた経験などない人生だったせいで免疫がないのだ。いつだって、男子は私にとっては敵か、関わりを持たない生き物でしかなかった。
「……ほんとに平気だから」
やや突き放すように、私は彼を両手で押した。自分でも分かるぐらい照れている。頬が熱くなって、口内が乾く。舌でくちびるを濡らし、惑乱した心を鎮めようと努める。
押す手にほとんど力はこもっていなかったが、蓮司は目を眇めると、自ら距離をとった。
「行こうか」
「……えぇ」
誰が頼んだわけでもないのに、自然と一緒に下校することになっていた。肩を並べて歩き出す。
木で鼻をくくったような態度の私に、蓮司は一切の感情の変化を見せなかった。透やありさの明るさとは違ったように見えて、実際のところ同じものだ。己の形を相手に合わせて変えたりはせず、ありのままを表現している。
学校にいるとき――ほかのクラスメイトたちと接している蓮司はそうではなかった。情誼に厚い優等生の鑑として慕われていた。笑顔を絶やさず、ユーモアに富み、分け隔てなく接していた。今にして思う。あれは演技だったのだろう。唯一それが崩れた場面は、過去を知られたと焦った彼が、女子にややぶっきらぼうな態度をとったときか。
「あなたはどうして私に構うのかしら?」
率直な疑問をぶつけてみた。いくらでも友人がいるはずなのに、ただ帰り道が同じというだけで私と下校するのも変な話だ。秘密を守るために
住宅街を歩いていると、生徒の姿もまばらになってきた。小高い坂を上り、橋を渡り、徐々に人の往来が多くなってくる。商店街、道路、ビル。それらが顔を見せ始め、さして珍しくもない喧噪の中を私たちは歩く。
蓮司は言った。
「お互いに利益があるから」
「利益?」
「僕らは秘密を共有する者同士だ。なにかあれば、互いに相談できる。ほかの人には届かないほど、深い部分を知っているからね」
「それだけ?」
「それだけじゃない」
「まだあるの?」
「僕は透が好きだ」
虚を突かれた。言葉が理解できず、思考が停止する。脳漿が凍りつき、再稼働するまでに数秒の時間を要した。
片思いを披瀝した彼の顔になんら動揺はない。普段から吹聴しているからか、とも考えたが、それにしては彼に憧れている女子たちの態度と矛盾する。
「なんでそんなこと言い出すんだって顔してるね?」
「……えぇ」
「ちゃんと理由がある。まず第一に、隠していてもどうせキミにバレること。第二に、キミには透と仲良くして、いろいろと話を聞いてほしいんだ。なにが好きかとか、趣味はどうとか、僕が知りたいことを彼女に尋ねてほしい」
「あら、まるで仲介役……いいえ、スパイね。けれど、みんなに慕われているあなたがわざわざ私に頼むほどのことかしら? 彼女にじかに訊けばいいと思うのだけれど」
「複雑な事情がある」
照れている風ではなかった。蓮司から飛んでくる電波は“後悔”の色を持っていて、それは朝に感じた片割れと同質のもの。つまりは、彼は透に対して負い目を感じており、それゆえに私を小間使いしようとしている。
歯がゆい感覚だった。別段、彼のお願いを無碍にしようとは思っていない。大なり小なり私の罪という負担を軽くしてくれた恩があるし、これからも世話になることは疑いようもない事実だからだ。
それに、理由はどうあれ透たちと仲良くするメリットは大きいだろう。いつか私が期待を裏切ってしまう可能性を考慮に入れるにしても、彼女たちならば事を大げさにしない気がする。
なのに、
「……………………」
「花島さん?」
胸にざわつきを覚えて、言葉に窮した。原因は思い至らない。それは春際に降る小雪のようにあっさりと解け消えてしまったからだ。
「いいわよ」
「ほんとに?」
「えぇ。でもお助け料、一回一万円」
「金とるの!?」
「今なら初回サービスで百円にしておくわ」
「破格の割引すぎて詐欺の臭いしかしないんだけど……」
「ローンも可」
「取り立て方が本気すぎる……」
蓮司はしくしくと泣きながら、サイフを取り出した。
「小銭ないからお釣りください」
「なぜこの人は私の渾身の冗談を真に受けて、あまつさえ私からなけなしの九百円を受け取ろうとしているのかしら」
「え? 嘘だったの!?」
「私がそんなお金に目ざとい人間に見える?」
「見える」
ひどい。
下校から十五分ていど。とある一軒家が見えてくると、蓮司が指を差した。
「あれが僕の家だ」
二階建てで、さしたる特徴のない家屋。青い屋根と白い壁。一階の窓には格子がはめられており、玄関には監視カメラらしき物体が見える。小さな駐車スペースに車はない。
私はそれを見て「物寂しい」という印象を持った。暖かみのない、空疎な抜け殻。いや、それは本当に印象だったのか? 隣にいる蓮司の電波が感じ取った現象にすぎないのではないか?
どちらにしても、この家に“家族”を感じることはなかった。一軒家を持っていながら、まさかひとり暮らしなわけはあるまい。父を殺したとは言っていたが、母親がいるはずだ。
なのに、なぜだ? ここから漂う電波の残滓はひとり分だけだ。
私たちは玄関まで来ると、どちらが先とも知れず立ち止まった。
「花島さん、家まで送ろうか?」
「お心遣い痛み入るけれど、遠慮しておくわ」
「どうして?」
「私、電車通学なのよ」
「あ、なるほど」
転校したとはいえ、なにもかもを捨て去ることができるわけではない。引っ越しはせず、あくまで通っていた中学から遠い場所への転校となったのだ。
家は一戸建て。父はまだローンを払いきれておらず、弟も地元に友達がいる。家族は五人。それらを収容できるマンションやアパートはそうそうない。私だけのためにそれらの環境をかなぐり捨てるのは常識的に考えられないことであるし、電車通学は安牌だ。
無論、出勤タイムのせいで満員電車という人の群れに放り込まれれば、私の電波は過剰に敏感になる。だが、あくまで感じ取れるのは“質”だけで
なぜなら、言葉が多すぎて、それはすでに言語ではなくなっていたからだ。喧噪とは無数の人の声の集合体だ。けれど、それらすべてを聞き取れるわけがない。脳はただの雑音として処理しようとするし、よく聞き取ろうとしても、ひとつの声にしか集中できない。ゆえに、電波は混線し、私はその電波の質のみを受け取るに留める。
もしも聞こえていたらどうなっていただろうか。きっとその場で発狂し、死んでいただろう。質を感じるだけでも、あの車内にうずまく腐った電波は、人が一身に受け止めていいものではないと分かる。
「あなたもよくよく難儀ね。私があのふたりといつまで友達でいられるかも分からないのに、頭を下げて頼んで、ご機嫌伺いまでして……」
「実際、安いもんじゃないか? 対して僕がキミに差し出せるのは、あのクラスの平穏だ。もしイジメるような人がいたら教えてくれ。必ず守る。電波を飛ばしてくれたっていいよ、アハハ」
快活に笑い飛ばす蓮司に、私はいたずら心を覚えて言った。
「もしも、あの本田透さんと魚谷ありささんが私をイジメたらどうす――」
「それは絶対にありえない」
蓮司が断言して、私は一瞬呆けた。
別段、私も彼女たちがそんな悪人には見えていなかったし電波も感じなかった。むしろ、清々しいほどの善人だ。特に本田透は他者を害するほど器用に立ち回れる人間とは思えなかった。裏の顔があるとしても、私に隠し通すことはできない。一点の曇りもない晴れ空のような子だ。
ありさはどうだろうか。彼女の中にある暴力性は電波で垣間見たが、それは放し飼いされておらず、きちんと鍵のかかった檻に入れられているように思う。獣性を出すことを楽しむタイプではない。暴力はあくまで過去にストレスの捌け口として使っていただけだろう。それが安心できる材料かどうかは定かではないが。
黙りこくっていた私に、蓮司が真顔で話を続けた。
「魚谷はともかく……透は違う」
彼の顔に色はない。蝋を塗りたくって固めた仮面を被っている。感情の波を一切表出しておらず、ただ文章を述べる機械のようでもあった。
ただの人間ならば、その表面だけを認めただろう。好きな人がイジメをするかもなんて言われて、怒っただけだと。
しかし、
殺意。
それも世間で青少年が「ぶっ殺すぞ」と軽々しくのたまうようなものとはまったく違う、血にまみれた実感のある“質”だ。
蓮司は今、一瞬なれど明確に、私に対して殺意を抱いた。
「訂正してくれ」
「……そうね。滅多なことは言うものではなかったわ。ごめんなさい」
「うん……」
人に本気の殺意を向けられるのも、初めてだった。
なのに、なぜそれが殺意だと分かったのだろう? 強い悪意としてではなく、明然と答えを出し、その質を定義できたのはどういうわけだ?
理由などとっくに知っている。経験している。放っている。
私も他者に対して殺意を込めたことがあった。その結果、実際に殺しかけ、それを今日まで悔いて生きてきた。知っていて当然。覚えていて当然。殺意とは私の罪そのものであり、恐懼すべき咎。ゆえに、理解が可能だったのだ。
「僕もごめん。キツい言い方をしちゃったかもしれない」
「いいのよ。責められるべきは私よ」
殺意を向けられたとき、人はどうするだろう。無論、恐怖する。程度はどうあれ、例外はない。
そのはずだったが、私が抱いた感情は別物だった。
昏い喜悦。
骨髄を這う驚喜に叱咤された脳漿が震える。神経の末端に電流が走り、肌が鋭敏になる。蓮司に向けていた壁のひとつが取り払われ、より像が鮮明になる。
――彼と私はどこまでも似ている。
同じ電波を放つ、同じ境遇の、同じ咎人。
緊張で飲み込んだ唾液が喉を通り、臓腑に落ちる。それを意識で追って、気づいた。下腹部が熱を持ち、興奮の炉を燃焼させていることに。それはまだ活況には程遠い燻り程度であったが、確かに火は点いたのだ。
私はその芽生えつつあるものの正体をまだ知らない。
そして、ひとつ小さな勘違いをしていることにも――
「あのっ……」
私は熱に背中を押されて、一歩踏み出した。はたから見ればたたらを踏んだようにしか見えなかっただろうが、私にとっては勇気の一歩だった。
「協力するから、本田透さんとあなたの関係について、もっと深く教えてくれるかしら?」
他人と関わることを決意する、大事な一歩。
「どうせなら、目標を持って人と接した方が気が楽だわ」
「いいの?」
「お助け料は貰うけれど」
「冗談じゃなかったのかよ!」
「冗談よ」
「その顔は本気にしか見えない……」
「ついでに家にあげてくれたら、私の足が休まるし、お茶とお菓子も楽しめて一石二鳥ね」
「長居する気満々!?」
「婦女子を家に招いておいて歓待しないのは失礼ではなくて?」
「厚かましい!」
玄関から家に入り、掃除の行き届いた廊下を進む。初めて入る男子の家。緊張で体がこわばる。
やはりというか、営みの気配がない。そこら辺から感じられるのは、蓮司の影のみ。母親がいるのなら、もっとハッキリとした痕跡が残るはずだ。なのに、なさすぎる。
「あなた、ひとりぐらしなのかしら」
「そうだよ」
「お母様は?」
「出て行った」
ぶっきらぼうな答えに、私は口を閉ざした。あまり触れていい話題ではなかったようだ。
蓮司の自室に通された。サッカーのポスターや、テレビ、ゲーム機、パソコン、ベッドと青少年らしい内装だった。私が想像していたとおりだ。逆に言えば、それ以上の物はない。
見慣れない空間と、嗅ぎ慣れないにおい、友達の家に遊びに来たという実感、それらが合わさって胸がドキドキしてきた。
「いい部屋ね」
「花島さん。なぜ屈んでベッドの下を覗き込んでいるんだ」
「あら、健全な男子はこういうところにエッチな本を隠していると、アニメ及び男性向け週刊少年漫画雑誌で小耳に挟んだのだけれど」
「置いてねえよ!」
「そうね。今はネットを探せばいくらでも見つかる時代。わざわざ紙媒体で持っておく必要は皆無と言っていいかもしれないわ。蓮司くん、パソコンを触っても?」
「とことん調べるつもりなの!?」
「冗談よ」
「だから冗談に見えないんだって!!」
うーうーと唸っていた蓮司だったが、両手をだらんと垂れさせてため息をついた。
「朝の大人しそうな印象がガラリと変わったよ……」
「そうかしら。家ではいつもこうなのだけれど」
「僕はキミのご家族じゃないよ……」
「そうね。それよりもお菓子はまだかしら」
「冗談じゃなかったの!?」
「ちなみに私は、ポテチは鷲掴みで食べる派よ」
「せめて指でつまんでくれ!!」
「漫画はあるかしら?」
「さてはポテチ食いながら読む気だなテメー!」
ウギャウギャとわめいている蓮司を見ていて、私は思わず、
「クスッ……」
小さく笑いがこぼれた。
蓮司が顔を驚愕にとどめて、首を傾げる。
「キミも笑うんだな」
「失礼ね。まるで私がずっと無表情だったみたいな言い草」
「まるでもなにも、ずっと無表情だったよ……」
実際、笑ったのはいつぶりだろうか。感情を表に出してはいけないと思い、ずっと無感動を貫いてきた。たとえ転校しても、それは変わらないと諦めていたはずなのに。
どうしてだろう。蓮司の前で取り繕う必要を感じない。
透やありさと一緒にいたときと同じ雰囲気を肌身に感じているが、あのときの私は自分に怯えていた。目の前にいる無辜のふたりを襲ってしまうんじゃないかという不安が払拭できず、感情をセーブしていた。
蓮司に対してそんな気負いはない。私の事情を知り、私を守ると言ってくれた。何より、私の同類だ。利害関係を結んでいて、重い感情を向ける必要もない。線引きさえしっかりしていれば、殺意を叩きつけ合う事態にはならない。
自然体でいられる、初めての相手だ。