(12)笑顔
岩戸屋敷に戻ると、希美は、最高に上機嫌になった。
法被の他にも、シゲが用意してくれたお揃いの浴衣を着て、お揃いの団扇をもち、すっかりお祭り気分であった。
「来年、お父さん、お母さん、お祭り行く。」
希美は、誰かれ構わず、何度も何度も同じ話を繰り返した。
「お神輿担ぐお父さん、お母さんと掛け声かける。一緒に踊る。」
「そいつは、楽しみだ。」
「希美ちゃん、可愛いよ。お人形さんみたいだよ。」
「早く、お祭りの日がこないかねー。」
岩戸屋敷の住人達も、希美が同じ事を言う度に、初めてその話を聞くような顔をして、同じ答えを言った。
無論…
その日は永遠に訪れない事を、皆知っている。
祭りの日に此処に戻るどころか、
しかし、希美も明るければ、希美に応じる人々にも悲壮感はなく、本気で祭りを楽しみに話していた。
「希美ちゃんが浴衣着て踊る姿、さぞや可愛いだろうに。」
誰かがいうと…
「チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…」
希美はニコニコ笑いながら歌い出し、少し踊り出すと、苦しそうに胸を押さえた。
「ほらほら、無理しちゃダメでしょ。」
菜穂が慌てて駆け寄って、背中をさする。
希美は振り向いて、ニコニコ笑った。
「慌てるこたあない。来年のお祭りまでたっぷり時間がある。それまで、しっかり体良くして、元気になれば良いさ。」
住人の一人が言うと、周囲の皆も、いかにもと頷いて見せる。
と…
「ほーら、できたわよ。」
百合は、一枚の切り絵を、希美に差し出した。
「わあ!素敵!」
声をあげたのは、菜穂であった。
「百合さんも切り絵上手なのですね。」
そこには、岩戸屋敷に戻ると同時に撮った写真と同じ、希美を真ん中に、和幸と菜穂の三人が、色違いでお揃いの法被を着て並ぶ姿が描かれていた。
「私、切り絵は愛ちゃんの専売特許だと思ってたわ。」
「お兄ちゃんも上手なのよ。ねえ、お兄ちゃん。」
百合は、私の方を見て、明るく笑う。
「そうなのですか?」
菜穂も、驚いたように、百合と一緒に私の方を見る。
「さあ、私はうまいと言えるかどうか…」
言いながら、私は様々な事を思い出した。
愛との出会いも、切り絵だった。
当初、毎日、私と切り絵をしに通っているのを、朱理が見つけ…
『わあ、可愛いでごじゃるーーー!!!名前、何て言うでごじゃるかーーーー?』
『愛って言います。』
『名前も可愛いでごじゃる。ねえ、お姉ちゃんと遊ばないでごじゃるか?お姉ちゃん、着物縫ったり、編み物するの得意なんでごじゃるよ。新しく縫った羽織り、着せてあげるでごじゃる。』
『わあ、ありがとう!』
『早く!早く!こっち、こっち…』
そう言って、私から、愛を取り上げてしまったのだ。
その後…
『
愛が帰ると、私に思い切り膨れっ面した朱理の顔を思い出す。
四年も前の事…
今となっては、遠い昔に思われる。
そして…
私と百合を両隣に座らせ、様々な花に彩られた春や、紅葉に彩られた秋の境内を切り絵に描いた美しい人…
私と百合に切り絵を教えてくれた美しい人…
その時…
笛の音色に太鼓の音…
いち早く聞きつけ、希美が満面の笑みを零すと、誰かが部屋の障子を開けた。
「わあ!」
「まあ!」
外の景色を見て、希美と菜穂が、同時に声をあげる。
拾里の人々が、庭先で小ぶりな手作りの神輿を担いでいたのだ。
先頭には、和幸が生白い諸肌を脱いで担いでいた。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい…」
希美が団扇を振ってはしゃぎ出すと、岩戸屋敷の住人達も、一斉に掛け声を上げ始めた。
「えっ?これ、どうしたの?」
菜穂が途方にくれていると…
「流石に、
百合が、鼻に皺寄せ笑って言った。
「まあ!」
事は、智子が生きている頃に始まったと言う。
余命幾ばくもない希美に、もう一度、お祭りを見せてあげたい気持ちからそうしたのだと言う。
最も…
来年の夏祭りまで、生きていられないのは希美だけではない。
彼ら彼女らにも、もう一度、祭りを見せてやりたい気持ちもあったのだが…
しかし、同じ余命幾ばくもない人々も、希美を喜ばせたい一心で協力したと言う。
本当は、一番乗り気だったのは、智子だったと言う。
『美香ちゃんに、もう一度、夏祭り見せてあげたいな。』
『もし、美香ちゃんがもう一度夏祭り見る事が出来たら、トモちゃんも幸せになってくれる?』
『えっ?』
『トモちゃんも幸せになる…そう約束してくれるなら、美香ちゃんに夏祭り見せてあげるよ。約束してくれる?』
智子は、やはり、その問いには答えず、唇を噛んで俯いた。
『ごめん。つまらない事を聞いてしまったね。良いよ、見せてあげよう。美香ちゃんが、夏祭り見て喜ぶ姿を、トモちゃんに見せてあげるよ。』
『本当?』
『約束するよ。』
和幸は、神輿を担ぎながら、様々な思いが去来した。
果たして、自分は何をしてやれたのだろう…
智子にも、美香にも…
美香が、自分に思いを寄せていた事など知らなかった…
智子に懐いていたのは知っていたが…
しかし、まさか、智子と自分と二人に憧れの思いを寄せていたとは知らなかった。
自分と一緒に、こっそり三人だけのお祭りをするのを数ヶ月も前から楽しみにしていたとも知らなかった。
何より…
『カズ、もう我慢できねえ!やろう!
雪の降りしきる中。
木に繋がれている美香の姿を見兼ね、貴之は仕込みの釣竿を掴んで言った。
『お許し下さい!お許し下さい!』
その時また、許しを乞い、悲痛に泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
寒さに縮こまる美香が、身体を隠したと言い掛かりをつけられ、鞭で打たれ始めたのである。
『抑えつけろ。』
不意に、眞悟宮司が鞭打つ手を止めて命じると、
『お許し下さい…もう…もう…
息も絶え絶えに許しを乞う美香を見下ろし、
『そうか、そんなに寒いのか。可哀想になあ。』
『キャーーーーーーーーーーッ!!!!!』
『どうだ、暖まったろう。背中がホカホカしてきただろう。今から、もっともっと暖めてやるぞ。』
凄まじい悲鳴を上げる美香に、残忍な笑みを溢して言う
すると、
『ヒィッ!ヒィッ!アァァァァーーーッ!!!!』
美香が必死に暴れ踠いて泣き叫ぶと、聡は徐に袴と褌を脱ぎ、極限まで膨張した穂柱を剥き出した。
そして…
『うわっ!これはたまらん!これは、もう堪らんぞ!』
尚も足の裏や指の先を焼け火箸で焼かれ、泣き叫び続ける美香を四つ足にさせると、後ろから参道を貫いた。
聡が瞬く間に白穂を放つと、合間を置かずに通が袴と褌を脱いで、美香の参道を貫く。
周囲では、股間を膨らませた
『カズ兄!俺も、もう我慢できねえ!俺達、美香ちゃん達を守る為に、備えてきたんじゃねえのか?』
更なる絶叫をあげる美香に、顔を背ける政樹も八角形の手槍を握りしめて言った。
『待て…今、我らが動けば、全員やられる!我等だけではない、紅兎が壊滅する!革命計画が水泡に帰す!』
聡が存分に白穂を放つと、
和幸は、物静かな眼差しに青い炎を光らせて見つめながら、皆を制止した。
『紅兎が壊滅だ?革命が水泡だ?美香ちゃんを見殺しにして、何が紅兎だ!何が革命だ!』
噛み付く貴之の肩を、秀行が抑える。
『カズの…言う事に…一理…ある…』
『何だと、ヒデ!』
身の丈六尺五寸…彼らの中で最も長身な秀行は、懐から簪を取り出し握りしめた。
『僕が…一人で…やる…』
言うなり、足元まである紅い女物の羽織を風に靡かせ、静かに
『僕らはまだ動くわけにいかない…それがわからないのか!』
和幸は言うなり、閉じた鉄扇の切っ先を、秀行の首筋に突きつけた。
『カズ…何の…真似だ?』
秀行は、動じた様子も見せず、縮れた長髪を靡かせ、静かに振り向き睨め付けた。
額から左頬にかけての鋭い傷跡が、なまじ美しい顔立ちなだけに、鋭い眼光に一層凄みを帯びさせる。
『一人でも動けば、我らの革命は潰える。それでも行くなら、君を…切る。』
『カズ、テメエ!』
『タカ、君も同じだ。どうしてもやると言うなら、ここで切る。』
野獣の如く、怒りに目を光らせる貴之の首筋にも、もう一本の鉄扇の切っ先を突きつけ、和幸は静かに言った。
永遠に続くとも思われた仕置から、美香が漸く解放されると、貴之と政樹は美香の側に駆け寄った。
『美香ちゃん、寒かったろう、痛かったろう、可哀想にな…』
言うなり、貴之は上着を脱ぎ捨てると、自分の肌で美香を暖めてやった。
『ひでえ事をしやがる…』
政樹は、焼けただれた美香の足を、そこらの雪で冷やしながら…
『ユカ姉、ユキ姉、薬!それと、暖かい食い物…出来るだけ、消化の良いものをな!』
少し離れた場所で、震え泣き噦りながら様子を見守っていた由香里と雪絵に指示をだした。
一方、秀行は無言で、和幸の後を追って行った。
和幸は、
『おう、おう、和幸ではないか。そこで何をしておる。』
『
『お願いだと?また、新しい扇子でも欲しくなったか?それとも、羽織か?匂い袋か?口紅か?さては、べべでも欲しくなったか?何でも買うてやる。言ってみろ。』
『恐れ多ございます。』
和幸は、軽くしなをつくり、媚びるともねだるともつかぬ不可思議な流し目をむけた。
『本当に、私めの欲しいものを、なんでも下さりましょうや…』
和幸は、嫉妬に狂う鋭太郎の視線などものともせず、一層悩ましいシナをこしらえて言った。
『いつも言うておるではないか、おまえの欲しいものは、何でも買うてやるとな。』
眞悟宮司はますます目尻を下げて言った。
『では、少々、おねだりさせて頂きとうございまする。美香を、この辺で解き放って頂きとうございます。』
『たわけ!美香は、赤兎の重大な禁忌を犯したのだ!この程度の仕置で済まされると思っているのか!』
機嫌を損ねたように眉をしかめる
和幸は、無言で深々と平伏する。
『えーい!この痴れ者め!
一層声を荒げる鋭太郎は、
『鋭太郎、やめよ。』
しばし、傍観していた
『おまえ、あんなネンネに浮気心を起こしたのではあるまいな?』
『まさか…』
和幸は、口から流れ落ちる血を拭いもせず、薄ら笑いを浮かべて言った。
『あれは、智子を繋ぎ止める為の餌…』
すると、
『やはり、おまえは智子とできてたんだな。智子…許せぬ話だ…』
『これは、これは…
和幸が言いながら妖艶な笑みを傾けると、鋭太郎がまた殺意に満ちた視線を向けた。
『違うのか?』
『お戯れを…』
和幸は、更に妖艶な眼差しを向け返す。
『私めが、どなた様を一番にお慕いしてるかは…貴方様が一番ご存知のはず。』
『そうであった、そうであった。』
『智子は、私めの大事な玩具…されど、面倒な事に、玩具には玩具の思いがございまして…
あの智子、生意気にも、
『成る程のう…』
『あのガキを失くしてしまうと、私めの玩具が、玩具の役割を果たさなくなりまする。』
和幸は、目が全く笑ってない笑顔を浮かべながら、更に更に深々と地面に額を擦り付けた。
『何だ、おまえ、玩具をなくすのが怖かったのか、うい奴だ。なら、心配しないでも、新しい玩具なら、いくらでも買うてやるぞ。智子の代わりなど、いくらでも徴収できる。やはり、少女が良いか?それとも、少年がよいか?遠慮なく言うてみろ。』
『ありがたきお言葉…しかし、玩具は、肌の相性、
智子に代わる玩具は、なかなか…』
『なるほどのう…』
『あの玩具が、そんなに惜しいか?』
『はい、惜しゅうございます。』
和幸は、また、媚びるような上目遣いと微笑を浮かべて言うと、
『うい奴…そんなに、あの玩具が惜しいと言うなら、ワシもおまえの願いを叶えてやらぬでもないぞ。ワシはワシで、美香ほどいびり甲斐のある赤兎はなかなか見つからんでな。』
『ハッ、有難き事にございます。では…』
『いや、待て待て、そう急くでない。』
『赤兎は、いかなる事があっても、
不意に鋭太郎に話を振った。
『どうした、鋭太郎?何を拗ねてあるのだ?』
鋭太郎は何も答えず、燃える嫉妬を必死にこらえながら、歯ぎしりをし、全身を震わせ続けた。
『そうやって、機嫌を損ねるお前も、なかなかにうい奴よのう。ほれ、ワシにその綺麗な顔を見せてみい。』
鋭太郎は、漸く蒼白になった面差しに血がのぼった。
『のう、鋭太郎や。何も着てはならぬ掟を破った者を、簡単に許してやるわけには参らなよのう。』
『御意…』
『今後の示しも尽きませぬ…禁忌を破った赤兎は、徹底的に痛めるつけねばなりませぬ。』
『よう言うた、よう言うた…お前は本当にうい奴じゃ。』
和幸は、目の前の情事を無表情で見つめながら、
やがて…
『和幸や…鋭太郎も申す通り、赤兎が布切れ一枚でも身に纏うのは、重大な禁忌なのじゃぞ。世が世なら、手足を切り落とされ、見世物小屋に売られ、生涯慰みものにされてもおかしくはなかったのじゃぞ。
それでも、解き放って欲しいか?』
『はい…』
『そこまで言うからには、それ相応の事をしてくれような。』
『はい…
和幸は、深々と頭を下げた。
『そうか、そうか、何でもするんじゃな。』
『はい。』
『それならば…』
『相変わらず、美しいのう。雪の中で見るおまえは、一段と美しい。して、おまえは男なのか?女なのか?』
『前にも申しましたように、
『それではわからぬ…脱げ。』
和幸は、答える代わりに、
『聞こえなんだか?ワシは、床の中ではなく、ここでおまえが男か女か確かめたくなった。脱げ…脱いで、お家芸の神楽舞を踊って見せよ。』
『それで、美香の事を…』
『口説い!』
と…
それまで、
『
和幸は、お前には聞いていない…とでも言うように、鋭く光る眼差しを鋭太郎に向けた。
『何だ、和幸?不服なのか?不服なら構わんのだぞ。明日はこの手で、美香の足だけではなく、手もたっぷり暖めてやろうぞ。』
鋭太郎が冷たく見下ろして言うと、和幸はグッと拳を握り、微かに表情を動かした。
『そうだ…熱く熱した鉄串を、手足の指一本一本、爪の間にさしてやると言うのはどうじゃ?』
『それは面白うございますな。』
鋭太郎は満面の笑みで答えた。
『禁忌破りの赤兎がどんな声出して泣くかのう。』
『それと、不心得者の智子の奴がどんな声を張り上げるか楽しみにございまする。』
和幸は、二人が声を上げて笑い出すと、相変わらず表情は変えぬものの、両拳を一層強く握りしめた。
『どうした?』
しばし笑い続けた鋭太郎は、再び和幸を睨め付け…
『さっさと脱いで、踊らんか!』
見た目の女のような風貌とはまるでそぐわないダミ声を張り上げ、和幸を怒鳴りつけた。
『ハッ…』
和幸は尚も拳を震わせたまま、深々と頭を下げると、颯爽と立ち上がり、腰紐を解き始めた。
『美香ちゃん、暖かいお粥と汁物を持ってきてあげたわよ。』
由香里と雪絵は、どうやって手に入れたのか、湯気の立つ椀を二つ持って駆けつけると、美香に声を掛けた。
『ほら、美香ちゃん、うまそうだぞ。たくさん食え、暖まるぞ。』
貴之も、着物を脱ぎ捨て、肌で暖めるように美香を抱きしめたまま、椀に粥をよそってすすめた。
もう自分で食べる力をなくしていた美香は、貴之に木匙で口に粥を入れて貰うと、ニコッと笑った。
『うまいか?うまいか?』
貴之が尋ねると、美香は力なく頷き…
『トモ母さん…トモ母さん…』
と、智子の閉じ込められた蔵に手を伸ばした。
『美香ちゃん、お母さん、ここにいるわ!ここにいるわよ!』
智子は、相変わらず、ガンガン拳で固く錠で閉ざされた扉を叩きつけながら叫んだ。拳も叩きつけられた扉も、血塗れになっている。
すると、美香は智子の方に向かってニッコリ笑い…
『お粥…お母さんにもあげて…トモ母さんも…寒いから…』
力なく言った。
『要らないよ…私、要らないよ…』
智子は、力なくその場に座り込むと、声を上げて泣き出し…
『美香ちゃん…あんたって子は…』
由香里と雪絵も、シクシクと啜り泣きだした。
『これは、これは…此奴が、噂に名高い和幸ですか。』
隣の
『ワシが、この手で手塩にかけて、ここまで育ててやりました。噂に違わぬ美貌でしょう。』
和幸は既に二日舞い続けている。
雪の中で、生白い肌を晒しての神楽舞は、その妖艶さを一層際立たせていた。
『和幸は、幾つだと言われましたかな?』
『はい、先月、十五になり申した。』
『なるほど…ちょうど、男が男に、女が女になり切ろうとする境目…
その年齢が、一層、男女定かならぬ此奴の容貌を際立たせているわけですな…
それにしても、美しい。こうして、着物を脱いでなければ、とても、男か女か見分けつきませぬな。
和幸は、そんな二人の会話を耳にしながら、ここにいても次第に弱り果てて行くのがわかる美香の事が、気が気でなかった。
早く解放してやらねば…
その焦りは、ずっと、別の場所から和幸の様子を見続けている秀行も同じであった。
何をしているのだ…
こんなところで踊ってる場合か…
しかし、側から見て、和幸からも秀行からも、その焦りは感じられない。
むしろ、弱り行く美香を前にして、冷酷に思えるほど、沈着そのものに見えた。
和幸は、一心不乱に舞い続けた。
吹雪く風に乗せて、流れるような線の細い手の動き…
真綿に染められた地を滑る足…
その一振り一振りに、美香の命がかかっている。
雪の中で、全裸の肌を晒してる事も、刺すような寒さも忘れ果て、傍目には物静かな表情を一つも崩さず、ひたすら舞い続けていた。
『して…
床の中の此奴の舞も、格別なのでしょうなあ。』
『それはもう…此奴の肌の温もりは、女よりも柔らかく、生暖こうございますよ。』
『それを、
『味見してみますか?』
『宜しいので?』
『その代わり、例の件は…』
『それはもう…』
『本当に、
『ご懸念には及びませぬ。我が
『懸想した実の娘に子を産ませた挙句、死なせて…とか言う、あれじゃな。』
『今は、その娘に産ませた孫娘に夢中…今や、我が
『かつては、路上の岩石一つ取り除けるにも、
『まあ…これで、
『そう言うお前とて…
『あれが父?ご冗談を…我が父は、天伏流の
それより…』
『うむ、では…』
言うなり、
和幸は、舞うのをやめると、その場に正座し、深々と頭をさげた。
『和幸、こっちへ来い。』
和幸は、無言で頭を下げ続ける。
『何をしておる。今夜は、このお方の伽をするのじゃ。』
和幸は、なお、無言で頭を下げ続けた。
和幸は、やはり動こうとはしない。
『わかった!ようわかった!このお方の伽を見事しておおせたら、明日、美香は解き放ってやろう!』
『ハッ!忝うございまする!では…』
和幸は、漸く、もう一度深々と頭をさげると、ゆっくり立ち上がり、
しかし…
伽を終え、漸く美香の元に駆けつけると…
『カズ、てめえ!何処で何してやがった!』
貴之は、いきなり和幸の胸ぐらを掴んで、揺さぶり怒鳴りつけた。
側では、既に事切れている美香に、由香里と雪絵が取り縋って泣き、蔵からは、声も枯れんばかりに、智子が泣き叫んでいた。
数ヶ月後…
『俺、やるぞ。』
貴之は、紅い兎の面を取って被りながら言った。
和幸は、正座したまま、目も口も開こうとしない。
『切りたかったら切れ。別に抵抗する気もねえ。どうせ、これがうまくいってもいかなくても、俺の命はねえだろうからな。』
和幸は、尚、黙している。
貴之が立ち上がると、秀行も紅い兎の仮面を被って立ち、政樹も続いた。
三人とも、決意は変わらぬようだ。
『カズ、お前は残って生き延びろ。精々、その女じみた面で媚びへつらいながら、
貴之は、背中を見せたまま、和幸に言う。
『だが、これだけは覚えておけ。
美香ちゃんは、お前が好きだったんだぞ。俺に抱かれてる間も、お前の名前ばかり口走っていた。最後は、お前に抱かれてると思って、ニコニコ笑っていやがった。』
和幸は、漸く、目を見開いて、貴之を見つめる。
『あいつは…ずっと、お前に憧れていたんだ。あの小さな胸には、お前への思いがいっぱいつまってたんだ。』
貴之は、縁側に立ち、空をみあげながら、鼻を鳴らしていた。
『あいつ、トモちゃんと二人で法被着て、何してたと思う?おまえと、お揃いの法被着て、トモちゃんを交えて三人だけのお祭りする為に、盆踊りの練習してたんだ。
上手に踊れるようになったら、三人だけのお祭りをして、一緒に踊って…
一言、おまえに好きだと言いたかったんだよ。それだけを楽しみに…あいつは…』
和幸は、目を見開きはしたが、表情は動かない。
傍目には、冷酷に見えるほど、沈着そのものであった。
しかし…
拳は、次第に変色するほど、強く握りしめられていた。
『じゃあな、カズ。悔しいが、俺もおめえが好きだったぜ。』
貴之は、最後にそう言うと、ふり向かぬまま、秀行と政樹を引き連れて出て行こうとした。
すると…
『待て…』
和幸は、スッと立ちあがり、皆と同じ紅い兎の仮面を被った。
『僕も行こう。』
ドンドンチャカチャカ…
ドンチャカチャカ…
ドンドンチャカチャカ…
ドンチャカチャカ…
岩戸屋敷の庭先には、いつしか、拾里中の住民が集まり、小さな祭りに夢中になっていた。
誰が何処でどうこしらえたのかわからない料理が、酒と共に、皆に振舞われている。
「わっしょい、わっしょい…」
「わっしょい、わっしょい…」
菜穂と、菜穂に抱かれたキミが、団扇を仰ぎながら、和幸に掛け声かけてはしゃいでいた。
「トモちゃん!美香ちゃん!」
和幸は、思わずあげそうになる声を飲み込んだ。
あの夜…
あの夜だけではない…
美香に犬の首輪と鎖を繋いで、村中引きずり回して喜んでいた
何か理由をつけては、
自分は、そんな男達に、しな垂れかかり、媚を売って唇を吸わせ、嬌声をあげながら、抱かれ続けていたのだ。
やがて、神輿担ぎが終わると…
「チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…」
希美が、満面の笑顔で、口ずさみ出した。
これまた、誰が楽器を持ち出し、奏で始めたのか、盆踊りの曲が流れ始めてきた。
同時に、皆、一斉に踊り出す。
それにしても…
皆、何と言う明るさなのか…
今、ここではしゃいでいる連中のうち、どれだけ、来年の祭りまで生きてるのだろう。
来年の祭りは見られたとしても、おそらく、五年も経てば、殆ど生きてはいまい。
それは…
「さあ、希美ちゃんも踊ろうか。」
「うん。」
「さあ、ナッちゃんも。」
明るく、二人に促しながら、希美を箱車に乗せてやる百合も同じであった。
百合も、今は元気に見せているが、あと五年は生きられないと言われている。
だのに、この明るさは、何なのだ…
「ほら、お父さん。」
百合は、和幸の背中をパンと叩いて、箱車のとってを握らせた。
「何、ボサッとしてるの?ナッちゃんと希美ちゃん、お待ち兼ねよ。」
「お父さん、チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…チャチャラカ、チャンチャン、チャカラカチャン…踊ろう。」
希美は、箱車の中で、両手いっぱい動かして、もう踊り出している。
「ほらほら、そんなに激しく動いたら、また胸が苦しくなるわ。」
言いながら、和幸に擦り寄る菜穂も、すっかり踊る気になっていた。
「百合さん…」
百合は、大きく頷き、もう一度、パンパンと和幸の背中を叩いた。
和幸は、希美の箱車を押すと、菜穂と共に踊りの輪に入っていった。
私は、智子と過ごした小屋に別れを告げた時から、ずっと何か思い悩んでいた風の和幸が、漸く楽しげに踊り出すのを見て、ホッと一息ついた。
すると…
「お兄ちゃん。」
今度は、百合が私の方に笑顔と両手を差し向けた。
相変わらず、足を引きずっている。
「踊ろう。」
「私がか?」
「そうよ。」
ふと見ると、菜穂が、私の方をジッと見つめている。
「駄目?」
私が尚も躊躇っていると、遠くから、菜穂が眉を寄せて見せた。
「よし、踊ろう。」
私が、漸く百合の手を取ると、百合と菜穂が同時に満面の笑みになった。
即席の祭りは、夜遅くまで続き…
その夜は、拾里に暮らす全ての人達が、岩戸屋敷で寝泊まりする事になった。
一つには、早朝出発する、私達を皆で見送る為でもあった。
いつもは、和幸と菜穂と三人揃うまで寝ないと頑張る希美が、逸早く寝入ってしまった。
昼間、箱車に乗ってではあるが、ずっと踊り続けていたので、疲れてしまったのであろう。
あるいは、山のように出された夢のようなご馳走を、片端から平らげ、満腹仕切ったのもあるかも知れない。
しかし、何より…
明日、和幸と菜穂と一緒に行けると言う安心感が、安らかな眠りにつかせたのだろう。
「ここの人達は、何故、こんなに明るくいられるのでしょう?」
私が、庭先に佇んでいると、和幸が側にきて尋ねた。
「さあ、何故だろうな?」
「皆、もうすぐこの世を去る事など意にも介してない気がします。あるいは、わかってないか、理解してないのか…」
「みんな、わかってるし、理解してるわよ。」
不意に、後ろからやってきて、百合が明るく言った。
「おそらく、希美ちゃんも、何処かでわかってるんじゃないかな?」
「希美ちゃんも?」
和幸は、睫毛の長い切れ長の目を、憂に滲ませながら、百合の方に傾けた。
「だから、今日と言う一日一日は、宝物なのよ。それに…
カズ君もそうだったんじゃない?これまで、色んな事の連続だった人生だから、漸く辿りついた安らかな日々は、掛け替えのないものだったんじゃない?例え、それが今日一日で終わってしまうとしてもね。」
「希美ちゃん…あと、どれだけ生きられるのか…果たして、三月持つのか…
あの笑顔…無邪気な笑顔…終わらせたくない。」
和幸が大きな溜息と共に呟くと…
「一日だって良いじゃない。一瞬だって良いじゃない。一日あれば、一日誰かを幸せにできる。一瞬あれば、一瞬誰かを笑顔にできる。私は、そう思って生きているわ。
希美ちゃんの笑顔、素敵でしょう?トモちゃんの笑顔も素敵だったわ。見てるだけで、幸せになれたし、笑顔になれたわ。」
百合は、そう言って、満面の笑みを浮かべた。
それはかつて…
『ねえ、トモちゃん。ここにいる人達はね、誰からも必要とされず、山中に捨てられた人達なの。愛する家族とも無理やり引きなされ、何十年もここに閉じ込められて、一人寂しく死んでゆく人達なの。
私と一緒に、この人達の世話をして貰えないかな?』
『私が…ですか?』
『そう、トモちゃんに手伝って欲しいのよ。』
『でも…
私、あと、どれくらい生きられるかわからないわ。明日、死んでしまうかも知れないわ。』
『別に、一日だって良いじゃない。一瞬だけでも良いじゃない。一日あれば、一日誰かを幸せにできる。一瞬生きれば、一瞬だけ誰かを笑顔にできる。
私の事、手伝ってくれるわね。』
なかなか、此処に来ようとしなかった智子に、漸く決心させた時と、同じ百合の言葉であった。
「一日でも…ですか。
そうですね。確かに、一日だけでも、希美ちゃんと暮らせるなら、幸せかも知れません。
ただ…」
「ただ?」
「僕に何ができるのでしょう…父親になるのは嬉しいのですが…あの子に何をしてあげれば…」
言いながら、和幸はまた、あの時の事を思い出した。
『何やってたのか、聞いてるんだよ!この馬鹿野郎!美香ちゃんが…美香ちゃんが…
それを、てめえはまた、呑気にあのクソ
胸ぐらを掴んで、喚き散らしてきた貴之の顔…
傍に横たわる冷たくなった美香の躯…
おそらく、一生消える事はないだろう…
「何もする必要ないわよ、お父さん。」
百合は、ポンと和幸の肩に腕を回して言った。
「ただ、ずっと側にいてあげなさいな。カズ君も笑顔になってね。」
和幸は、何も答えず、大きく一つ息を吐いて空を見上げる。
未だ止む気配のない雪の空。
今日よりもずっと寒かった雪の中、全裸で縛り付けれ凍え死にした時すら、絶やさなかった、美香の笑顔が、また脳裏をかすめていった。