(13)紅兎
「お父さん。」
和幸が寝床に入ろうとすると、希美の隣りで寝ていた菜穂が、目を開け戯けたように声をかけた。
「何だ、起きてたのか。」
「うん。何か寝付けなくって…」
菜穂はまた、希美の寝顔を愛しげに眺めた。
「何か、夢みたい。この子、本当にもう何処にもやられないのよね。とられないのよね。ずっと、私達の子なのよね。」
「君の子にしては、大きすぎるけどね。もし、本当に君が産んだのだとすれば、五歳でこの子を産んだ事になるんだよ、お母さん。」
和幸も菜穂に負けずに戯けて言うと、菜穂は肩を窄めてクスクス笑いだした。
「お父さん、お母さん…」
希美は、寝言を口走ると、ニコニコ笑いだした。
「此処にいるわ。」
菜穂は、希美を起こさぬよう、そっと撫でてやった。
和幸は、そんな菜穂を見つめながら、過去に二度、菜穂が
一度目は、
菜穂は、どちらにも同じように深い愛情を注いでいた。お腹の中にいる間と、生まれてから一月の間だったけど、精一杯、その子の母親を務めていた。
最初に生まれた子の時は、その子だけで良いから、どうしても自分で育てたいと哀願し、大泣きしていた。
二度目の時は、他所にやられる覚悟はもうできていた。もう、自分で育てたいとはいわなくなった。
しかし…
『お願い…名前をつけさせて。私の側にいる間だけで良いの。私の側にいる間だけ、この子を呼ぶ名をつけさせて…お願い。』
そして、やはり叶えられぬまま
『ごめんね…お母さん、何にもあげられなくて…名前すらあげられなくて、ごめんね…ごめんね…』
別れの日、
そして…
今でも、突然目を覚まし、隣りで寝てるはずの子を探し、いないと知って一人泣き噦る時がある。
でも…
もう、この子には名前もあれば、目を覚ましてそこにいないと言う事もないのだ。
「もう寝よう、お母さん。明日は早いよ。」
和幸が言うと…
「はーい。」
菜穂は、素直に返事して…
「また、目を覚ましたら、いっぱいお話ししようね。いっぱい遊ぼうね。」
菜穂は、囁きかけるように希美に言うと、すぐに寝入ってしまった。
和幸は、二人の寝顔を見比べる。
十五歳の母親と、十歳の娘…
気づけば二十歳を過ぎていた自分には、二人とも同じくらい幼く見える。
『僕も、もう歳なんですね…』
つい先日、そう話したら、シゲ婆にゲラゲラ笑われて…
『ワシにゃあ、そう言うカズ坊も、同じくらい幼く見えるよ。』
と、言われ、二人で大笑いした。
笑った…
そう…
和幸は、ふと此処に来て、自分が声を上げて笑っていた事を思い出した。
智子の死の悲しみばかりが思い出されていたけれど…
改めて思い返せば、智子と過ごした数ヶ月…
菜穂と過ごした一月…
どれだけ、自分は笑っただろうと思い返した。
それまで、自分は心の底から笑った事などなかったではないか…
特に、あの夜以来…
和幸は、菜穂が寝入ったのを見届けると、自分も浅い眠りに入った。
久し振りに夢を見る。
深夜の
煌々と月影照らす道筋に、人の気配はない。
皆、寝静まっている。
しかし、今は住む者はなく、門は斜め十字に竹を打ち付けられている。
『先生も馬鹿な真似をされたものだ。我等が、
誠が、家を見上げながら言うと…
『まあ、よかったとは思わぬか、誠。これで我等も手間が省けたと言うもの。兼ねてより、先生が、同盟紅軍に通じていた事は、
克己がボヤくように言った。
すると…
『貴殿ら、
誠は尚も義隆の家を見上げたまま、吐き捨てるように言った。
『我が
一つ間違えれば、漸く
『それにしても、先生は、
だが…
つまらぬ禁忌破りで自滅してくれたなら、物怪の幸い…こちらは、ただ、密告すれば済むだけの話だからな。』
『後で、先生の処分が問題になったとしても…
まあ、
『何はともあれ、未だ
まずは、
『まったく…
占領軍砦の問題と言い、同盟紅軍の革命工作と言い…
その時、一陣の風が侘しい物音を立てて吹き抜けて行く。
『克己、あれは?』
克己が振り向くと、遥か前方より、長身な男が一人、裾先が足元までくる真紅の女物の長羽織を靡かせ近づいてきた。
身の丈六尺五寸…
肩まで垂らした縮れがかった髪…
紅い兎の仮面の穴から見える眼差しは、虚無感漂い、いかなる感情も感じさせない。
『克己…』
言いかける誠に、克己は手で制止する。
秀行は、ゆっくりと息を吐きながら、懐に手を忍ばせる。
克己もまた、懐に手を忍ばせた。
双方、近づくにつれ、緊張が走る。
すれ違う刹那….
枝垂れ桜の飾りをつけた簪を握る秀行の腕と、匕首を握る克己の腕が交差した。
『克己!』
誠もまた、匕首を抜いて駆けつけようとした刹那…
ビュッ!
風を切る音と共に、横から飛び蹴りが間を割る。
新手の男は、蹴りを交わされると、素早く八角形の匕首を抜き、柄先を鞘に嵌めて、手槍に組み換え身構えた。
彼もまた、紅い兎の仮面を被っていた。
政樹は、肩で息をしながら、相手の動きをジッと見据える。
『物盗り?』
誠もまた、匕首を構えて紅い兎の仮面をつけた少年を見据える。
紅い兎の仮面をつけた少年は、こちらまで聞こえてきそうな程激しく鼓動を高鳴らせ、八角形の手槍を握る手を汗でぐっしょり濡らしていた。
まだ、殺しに手を染めるようになって日が浅く、この瞬間に慣れていないようだ。
比べ、長年修羅の世界に身を置き、数知れぬ殺戮に手を染め続けてきた誠は、呼吸を乱す事なく冷徹な眼差しで紅い兎の仮面をつけた少年の隙を伺っていた。
『歳の頃は十四か十五…俺の殺した数が、百人目に達した頃の年齢だな…
それでまだ、このように息を乱すとは、未熟な…』
誠は、見た目の表情こそ仮面のように動かさぬが、心の中でほくそ笑みながら呟いた。
双方睨み合う一瞬の静寂…
『一思いに片付けよう…
捕らえて吐かせる程の餓鬼でも無さそうだ…』
そう心に決めるや、誠が先に前に出て、音もなく駆け出した。
誠の匕首の切っ先が、政樹の心臓を狙う。
刹那…
『馬鹿な…!』
今度は、誠が額に脂汗を流した。
軽く手槍で匕首を受け止める政樹から、鼓動の高鳴りも呼吸の乱れも消え、真っ直ぐ誠の目に向けられた眼差しに焦燥の色はかけらもない。
『鼓動の高鳴りも呼吸の乱れも、誘いだったと言うのか…』
更に額を濡らす誠の脇を狙って、政樹は蹴りを入れ、間を置かず誠の首筋狙って手槍を振り翳す。
すかさず交わす誠の匕首…
闇夜に鈍い金属音が鳴り響く。
それまで、何一つ感情を示さなかった秀行は、互いの腕を交差させた克己と目を合わせると、忽ちその目を憎悪に燃やしてにじり寄って行った。
克己もまた、押し返すように、秀行ににじり寄ってゆく。
『貴様…何奴?』
『紅…
『紅兎だと?』
『美香ちゃんが…死んだ…お前達の…密告の…せいで…』
秀行は、克己の問いに答える代わりに、絞り出すような声で言った。
『美香…?ああ、例の赤兎か。白穂臭い赤兎が一匹、だから何だと言うのだ。』
二人は、互いの眉間を狙いながら、交差する腕に更に力を入れて、にじり合った。
『白穂…臭い…赤兎…だと…』
秀行は、憎悪に燃える瞳を更に爛々とさせ…
『美香ちゃんは…僕達の…妹だ!』
叫ぶなり、後方に身を引き、紅い兎の仮面をとって投げつけた。
『妹…おまえ、黒兎か!』
仮面の下から現れた、逆三角形に角ばった頬の顔…
眉間から左頬に掛けての鋭い切り傷は、なまじ美しい容貌をしているだけに、一層凄みを感じさせる。
秀行は、再び切りつけてくる克己の頬を狙って、回し蹴りを放った。
見事に決まると、更に蹴り…
秀行は、体制を整える隙も与えず、克己の背後を取って、その延髄に握る簪を突き刺した。
『ウッ…』
克己は、鈍い呻きを漏らして息絶えた。
背後では、政樹の手槍と誠の匕首がぶつかり合う鈍い音が、鳴り響き続ける。
蒼白く燃える埋み火が消え、再び眼差しに虚無感漂わす秀行の足元に、克己が音も無く崩折れた。
『克巳!』
一瞬の動揺を見せる誠…
政樹は、その隙を逃さず、誠の腹を蹴り上げ、蹲るのと同時に、その眉間に手槍を突き刺した。
『マサ兄…』
克己の骸を虚しげに見下ろしていた秀行は、政樹に声をかけられると、静かに顔を上げる。
漸く仮面を外した政樹は、それまでの冷徹だった眼差しを憂いに滲ませ、秀行の顔を真っ直ぐ見つめた。
秀行は、相変わらず虚しげな面差しで頷くと、一面靡く枝垂桜の刺繍が施された真紅の女物の長羽織の背を向けて歩き出した。
山深き山林の道のり…
仄かに差し込む月影が、セツブンソウの花を妖しく写し出している。
見上げれば、小枝に蕾…
梅の時期が過ぎ、桜の開花を間近に控えていた。
『おうおう、だいぶ蕾が膨らんでおるな。』
『
もう一人の
『肌の艶と言い、柔らかさと言い…何より、あの舌遣いと参道の締め付けがたまらんたまらん…
白兎は、ああでなくてはな。』
通は、しばしの滞在期間中、
『それに、何と言っても、
聡は股間を抑える代わりに、溢れ出る涎の止まらぬ口を拭いながら言った。
『下層分家出自とは言え、やはり、和邇雨一族の娘は、立ち居振る舞い…何より、持って生まれた品格が、卑しい
うちの
『それと、もう少し白兎の扱いを考えて貰いたいもんだ。ただ、痛めつければ良いものでもあるまいに…
『うちにもきて貰えんかの。痛めつけて楽しむのは赤兎だけで結構。白兎まで、あんな傷だらけにされては、穂柱も勃つどころか萎えてしまうわ…』
『まあ、うちの
それに、あの
赤兎を鱶背の
『くわばら、くわばら…そんなお方がうちに来られては、命がいくつあっても足りませぬな。』
『そう言う事です。それに…うちは、
『それも、そうですな。』
二人の
『それにしても…
『まあ…
『確かに…
もののついでに、新たな交易も幾つか取り決め…
これも、役得、役得…
あとは…
『おっと!そう言う意味でも、あの堅物の
『何、その心配はありますまい。
『確かに…それに、
『まあ、難しい事は追々考えておくとして…
まずは、兎共に
早苗の奴、今年も早速産んでくれたし…朱理の奴もそろそろ孕んで欲しいところだな…』
『それと…白兎をもう少し増やすか…わしは、菜穂と言う子に目をつけとるところじゃが…もっとな。』
『美香の後釜となる赤兎もな。赤兎がおらぬでは、幾ら密貿易や新たな交易を取り決めても…
関の玉串や市の初穂が半減以下に引き下がる。』
『何はともあれ…
『だが…あの足を焼いてやった時の美香は堪りませなんだぞ。特に、指の間を焼きながらやった時の締め付けは最高でしたわ。』
聡が、その時の事を思い出し、股間を抑えながら言うと、二人はまた、クククククと笑い声を上げた。
その時…
『
警護を務める
『何だ。』
『どうした?』
静寂…
皆、周囲に警戒しながら、緊張が走る。
ビュッ!
ビュッ!
ビュッ!
風を切る鈍い音。
不意に、何処からとなく放たれた釣り糸が、三人の
『ググッ…』
『ウゥッ…』
『ウグッ…』
呻く
三人の
同時に、木々の狭間から、一人の浅黒い男が、握る三本の釣り糸を投げ捨てながら、踊り出てきた。
『おまえ…』
『何奴!』
二人の
『
貴之が言うや…
『切れ!切り捨ていい!』
隊長の号令一下、
貴之は、背中の釣竿を取って左袈裟懸けに、左足を大きく前に出して腰低く構えると…
『チェストーーーーッ!』
気合の声を発すると同時に、叩きつけるように釣竿を振りかざした。
『ウグッ!』
『ウワッ!』
鞭のようにしなる鉄製の釣竿は、
『残るは一人…』
貴之は、最後に残された
『チェストーーーーッ!!!!』
気合の如く釣竿を振りかざした。
しかし、最後の
ガシッ!
間一髪、貴之は喉元を狙って突き入れてきた湾曲刀を釣竿で受け止めた。
『
貴之が、凄まじいばかりの殺気を放ち、狼の如く鋭い双眸を憎悪と怒りに滾らせ睨み据えて言うと…
『そう言うお前は、朧流剣術一刀斬鉄剣(おぼろりゅうけんじゅついっとうざんてつけん)…見事な腕、褒めてやろう!だが、此処までだ!』
一歩…
二歩…
三歩…
貴之は徐々に後退りし、釣竿で湾曲刀を受け止める手の力も抜けてゆく。
激しい憎悪に燃えていた貴之の眼差しも、次第に焦燥の色に変わってゆく。
湾曲刀の切っ先は、いよいよ貴之の喉笛すれすれまで近づき、あと一押しで貫けるかに思われた。
『死ねっ!こわっぱ!』
すると、貴之は急に目から焦燥の色を消し、口元を微かに綻ばせてニッと笑った。
同時に、貴之の左手は握る釣竿の柄を捻り、カチカチカチッと音を鳴らす。
えっ…
一瞬の困惑を見せる
次の刹那…
貴之は釣竿の仕込みを抜き放つや、素早く逆手に持ち返え、
全ては一瞬の出来事であり、
『俺のは剣術じゃねえ、
貴之は、
『貴之…』
貴之は、再び憎悪と怒りに顔を引き攣り歪ませ、前にも増して凄まじい殺気を放ちながら、ゆっくりと
『た…貴之…よせ…辞めろ…』
『来るな…バカ…辞めるんだ…』
瞬く間に護衛達を殺され、二人の
貴之は、背中から更にもう一本釣竿を取った。
両手に握られた二本の釣竿…
柄に仕掛けられた留め金を外しながら力強く振り降ろすと、先端から飛び出たオモリ付きの釣り糸が、近くの太い枝越しに投げ放たれた。
『ウグッ!』
『ググッ!』
糸は、
『ウゥゥゥゥッ!』
しかし、しっかり巻きつき肉に食い込んだ糸は、外すどころか、指を引っ掛ける事すら出来なかった。
貴之は、ゆっくりと後退しながら、力一杯糸を引く。
糸は、ジワジワと
『安心しろ、その糸に針はついてねえ。』
貴之は、
『ゆっくり死んで逝け。』
釣り糸は、
締め上げる
『グゥッ!』
『ウググッ!』
『痛いか?苦しいか?
フッ…それを言う声も出せねえか…』
次第に全身の穴が開き、
『美香ちゃんの痛みや苦しみ、存分に味わうが良い。
あ…そうそう。』
貴之は、思い出したように、
『震える美香ちゃんの足、焼火箸で暖めてくれてありがとうな。おまえらの足もたんと暖めてやらあ。』
禰宜達は、意図を察すると、激しく首を振り立て、身をよじってい踠きだす。
その動きで更に首を締め付けられ、糸の食い込む首筋から、多量の血が流れ出した。
貴之は、そんな
『ウグゥーッ!ウグゥーッ!ウグゥーッ!』
『ウゥゥゥゥーッ!!!』
貴之は、二人の呻き声に背を向けると、その場を去ろうとした。
その時…
『タカ兄ちゃん、好き。』
耳の奥底から、美香の声が聞こえてきた。
『タカ兄ちゃん、怖い顔してるけど、優しいから好き。大好き…』
貴之は、思わず胸裾を掴んで、その場に蹲る。
『ウグゥーッ!ウグゥーッ!ウグゥーッ!』
『ウゥゥゥゥーッ!!!』
後ろからは、真っ赤に焼けただれた足の裏を、更にトロ火に炙られ、二人の禰宜達が凄まじい呻きをあげるのが聞こえてきた。
『美香ちゃん、俺、優しくねえよ…優しくなんかねえよ…』
貴之は、空に向かって、絞り出すような声で呟くと、鼻を鳴らしだした。
深夜…
遥か下方を覗き見れば、灯台の明かりが、鱶の群れを朧に映し出す。
遥か神話の時代…
荒ぶる波の中、鰐鮫の背を渡って兎達がやってきたと言う伝承は、この光景から誕生したのだろうか?
『確か、この辺りでしたな…美香の奴が投げ込まれたのは…何とも、薄気味悪い光景ですな。』
『全く…風の音、妙に子供の泣き声に聴こえませぬか?』
『そう言えば…昔から、この辺りには、海に投げ捨てられた兎どもの怨霊が夜な夜な現れては、通り掛る者を海に引き込むと言いますな。』
『嫌な事は言いっこなしですよ、縁起でもない。』
『まあまあ…我等は
それに…
美香の奴にしても、ここ数年、
羽求凛は、別の事にうんざりしたように言うと、大きくため息をついた。
『全く…いびり殺した兎を投げ捨てた場所で酒盛りとは…どう言う趣味をされてるのか…』
『それも、お気に入りの若い
呼洲義も、嫌悪感を露骨に現し、首を振る。
『これこれ、滅多な事を…
尚樹は、顔色を変えて、おどおどと辺りを見回した。
『聞かれやせんて…』
信彦は、言いながら、右掌を広げて見つめた。
『
『それにしても、通殿と聡殿は、今頃、
『あの
『それに、うちにはおらん、美しい
『最も、うちのバカ宮司とは旧知の中なだけあって、あちらの
この辺りで暴れておった、注連縄衆の取り締まりで駐留しておった、隠密御史の
『ああ…名前を忘れたから、名無しとか人食った呼ばれ方しておる、
『そうそう、そのお方が、兎や拔達の扱い方まで厳しく御指南され、すっかり生まれ変わったとか…』
『なるほどの…』
『でもって…
来月辺り、通殿と聡殿の白穂で、もう何匹か孕むやも知れんな。』
『実に羨ましい…』
更に、激しく岸壁を打ち付ける荒波の音。
水面を走る風の声…
確かに子供の泣き声に聞こえなくもない…
信彦は、魅入られたように、右掌の指先に目線を移すと、恍惚とした笑みを浮かべた。
あの日…
美香の腫れ上がった参道に、赤いものを塗りたくり、中を掻き回した時の指先の感触を思い出し、全身に鳥肌が立った。
信彦に男の穂柱はない。五年前、口でやらせようとした秀行に、食い千切られたからだ。
しかし、穂袋は残され精力はある。
その精力は、
それは、弱き者を、愛する人が見てる目の前でいたぶり嬲る事である。
それを初めて知ったのは、秀行に穂柱を食い千切られた時。傷の痛みに悶え苦しむ彼の前で、秀行は拷問にも等しい仕置を受けていた。
その時、秀行を庇う白兎がいた。当時、十八であった、
秀行が、額から左頬にかけて切り裂かれ、更に顔を切り裂かれようとすると、咲良は胸に抱いて庇い、自分を代わりに仕置してくれと哀願した。
すると、元来男色で、女子に残酷な
凄まじい声で泣き叫ぶ咲良と、やるなら自分をやれと、咲良以上の声を上げて絶叫する秀行…
二人の姿を見た時、信彦は、全身が痺れる程の快楽を覚え、穂柱を食い千切られた痛みも忘れるほどであった。
しかし、何より快楽の極みに達したのは、参道を抉る木の棒が中で折れて突き刺さり、咲良が苦しみ死んで逝くのを目の前にした時であった。
その瞬間、穂柱を食い千切られた傷痕から、大量の白穂が放たれたのである。
また、激しい暴風と共に、荒波が激しく岸壁を打つ…
やり過ぎて死なせたのは
『わしは悪くないぞ…わしが悪いんじゃない…宮司様じゃぞ…やらせた
ブツブツ一人呟けば呟くほど…
暴風と荒波の音が、美香の泣き叫ぶ声に聞こえてくる。
信彦は、ジッと指先を見つめながら、また、ニマッと笑うと、穂柱の傷痕から溢れ出る白穂に、袴をぐっしょりと濡らした。
『おや、誰か来ますぞ?』
『こんな時刻に、いったい誰じゃ?』
『紅い兎の仮面?』
『まさか…隠密御史…』
『いやいや…隠密御史達でしたら、紅い兎ではなく、赤い狐の仮面に、緑の狸を模した居合刀…』
『では、こんな夜更けに誰?』
『やはり、あの名無しの…』
『おいおい、やめてくだされよ!いくら、ワシが名無しの暗面長の話を持ち出したからって、縁起でもない事を言うでない!
それに、名無しの
『それでは、一体…』
禰宜と
よもや、
もし、そうだとすれば…
『誰だっ!』
羽求凛が叫ぶや…
『私めにございます。』
男は、ゆっくりと紅い兎の仮面を外して、妖艶な笑みを浮かべた。
『何だ、和幸か…』
羽求凛は、言いながら、訝しそうに目を細めた。
隠密御史でない事は確かと知り、ホッとはしたが…
『鋭太郎だけでは飽き足らず、和幸まで呼び出されたか…』
呼洲義は、また、嫌悪感を露わに吐き捨てるように言った。
『これは、これは、禰宜様に
和幸は、
『こんな夜更け、
『いえ、別の者に呼ばれ、罷り越しました。』
『何、別の者?』
呼洲義が怪訝そうに目を細めた刹那…
和幸は、腰に差す二本の鉄扇を抜き放つや、先端から飛び出す短刀の刃で、呼洲義の膝と太腿を切り裂いた。
『ギャーッ!』
呼洲義は、凄まじい絶叫をあげると、自らの血の海に転げまわった。
『和幸っ!』
『おまえ、何を!』
頬と胸を返り血で真っ赤に染める和幸は、それまでの媚びるような微笑を一変させ、冷徹な一瞥を投げかけると…
『僕を呼び出したのは、美香にございます。』
言うが早いか、鉄扇を広げ、神楽舞を舞いながら、くるくる、禰宜と
同時に…
『ウワーーーッ!』
『ギャーーーッ!』
『ウワーーーッ!』
残る禰宜と
和幸は、羽求凛と呼洲義、続けて尚樹を掴みあげると、次々と、断崖から突き落としていった。
『和幸っ!何をする!やめろ!やめてくれーっ!』
禰宜と
一人残された信彦は、目の前で起きた一瞬の出来事に、恐怖の余り声も出ず、カタカタ震えながら失禁した。
和幸は、まだ息のある禰宜と
『やめろ…やめろ…頼む…やめてくれ…』
漸く声を絞りだす信彦は、恥も外聞もなく泣き噦った。
和幸は、そんな声など耳に入らぬかのように、信彦の筋を切り裂かれて動かぬ右手首をとり、その指先を見つめた。
脳裏には、あの日、この指が、腫れ上がった美香の参道に赤いものを塗り込み、掻き回す光景が過ってゆく。
同時に…
『美香ちゃん、カズの事が好きだったんだぜ。』
『俺の腕の中で、ずっと、カズの名を呼んでいたよ。カズに抱かれてると思いこんで、ずっと笑っていたよ。』
『美香ちゃん、カズとお揃いの法被が着たかったんだ。お揃いの法被着て、カズとトモちゃんと三人だけのお祭りして、盆踊り踊りたかったんだ。』
後ろ向く貴之が、鼻を鳴らして言った言葉の数々が、耳の奥底に響いてきた。
和幸は、全く表情を変えぬまま、右手に強く握り締める鉄扇を振り上げ、カミソリのような折り目を、信彦の右手に叩きつけた。
『ギャーーーーーーッ!!!』
凄まじい絶叫と共に、信彦の右手上半分の肉片が飛び散ってゆく。
『助けて…助けて…頼む…やめてくれ…もう…もう…』
和幸は、子供のように泣き噦る信彦を、ズルズル引きずってゆくと、絶壁まで連れ行き、鱶の群れが、先に落とされた権禰宜達を食い散らかす光景を見せつけた。
『信彦様、美香が海の底で、寒さに震えております。』
『やめてくれ…お願いだ…もう、もう、やめてくれ…助けてくれ…』
『生前の事、少しは哀れと思召すなら、羽織の一枚もかけてやって下さい。海の底でまで丸裸とは、余りにも不憫でなりません。』
和幸は、淡々と言い負えると、信彦を鱶の群れが待ち構える荒海へ突き落とした。
岬の頂き…
灯台の下…
宴もたけなわ、周囲を巫女装束の若い
『おお、うい奴じゃ、うい奴じゃ…』
『ああ…
贅肉まみれの老いた
いつ果てるともなく、延々と絡み合う一組の男二人を、朧な灯台の明かりが、妖しくてらし出している。
『アァァッー!』
『オォォッー!』
今宵、これで何度目とも知れぬ絶頂に、二人は同時に声を上げた。
『良いわあ、
確かに美貌ではある。しかし、その引き締まった肉体と言い、ガラガラのダミ声と言い、凡そ艶っぽさとは掛け離れた鋭太郎が、必死にしなをつかって、女っぽく振る舞うのは、和幸への対抗意識であろうか。
そんな、鋭太郎に…
『おうおう…お前は、本当にうい奴じゃのう。わしは、お前が一番可愛いぞ。』
『そんな事言って…どうせ同じ事、和幸の奴にも仰られてるのでしょう。この憎たらしい奴。』
『何を言う。和幸など、まだまだ、ネンネのヒヨコじゃわい。わしは、今一番熟れきってるお前の方がずーっとカワユイぞ。』
『まあ、嬉しいわあ。それじゃあ、例の花柄のべべ、買ってくださる?』
『おお、良いとも、良いとも…お前のためなら、べべでも、櫛でも簪でも、なーんでも欲しいものを買うてやるぞ。』
『わあい、
鋼のような体躯とダミ声…
傍目には凡そ似つかわしいとは思われぬが、当人は最大限艶っぽいと信じて疑わぬしなをつくり、鋭太郎が甘えるように絡みつくと、
不意に…
『シッ!』
鋭太郎は、突如、それまでの女っぽさを一変させ、厳しく張り詰めた表情をして、
周囲を警護する
『何奴!出て参れ!』
鋭太郎が、甲高いダミ声で叫ぶと…
『おおっ!和幸ではないか!』
闇の中から姿をあらわす和幸もまた、妖艶な笑みを湛えて、深々と平伏した。
鋭太郎は、相変わらず訝しそうに眉をしかめ、
誰も、和幸を呼びにやってはいない。
だのに、何故…
しかし、
『わしが愛しくて、ここまで来たか。よしよし、うい奴じゃ、うい奴じゃ。ささ、こっちに来て酌などいたせ。』
和幸は、頭をあげると、やはり、いつも変わらぬ妖艶な笑みを零して、ゆっくり近づいてきた。
その時…
『血の臭い…』
鋭太郎は、一層眼差し鋭く光らせると、ボソリ呟いた。
『血の臭いじゃと?』
和幸は、既に顔や手に浴びた返り血は洗い流している。血まみれの水干も日袴も綺麗に着替えられている。
されど、幾たびも修羅場を潜ってきた
鋭太郎が湾曲刀を抜き放つと、
和幸の顔から、妖艶な笑みが消えた。
和幸は、冷たい眼差しを左右に動かしながら、腰に差す二本の鉄扇にゆっくりと手を伸ばした。
頃合いを見て…
二人の
一人は前方から、一人は後方から、横一文字に切りつける。
和幸は、静かに鉄扇を抜いて空高く飛び上がり、クルクルとコマのように回りながら着地…
同時に、切りつけてきた二人の
更に、二人の
和幸は、構えもせずに、そのまま神楽舞の如き優雅な動作をしながら、スルスルと
ヒラヒラと、蝶のように揺らめく鉄扇が、月影に照らされ白銀の煌めきを放つ。
掠める一陣の疾風…
鋭太郎は、沈着冷静を装いながらも、その眼差しは憎悪に燃えている。
四人の配下達を瞬時に葬られた事への激怒か…
日頃、自分以上に
和幸は、両手の鉄扇を閉じると腰を屈めて飛燕の如き構えをとって目を閉じた。
双方、暫しの間、一歩も踏み出す事なく、立ち止まる。
静寂…
和幸が刮目し、冷たい視線を向けると、両手に構える閉じた鉄扇の先から、短刀の刃が飛び出した。
鋭太郎が駆け出す。
和幸も飛燕の形を崩さず駆け出す。
両者、正面に激突する寸前…
鋭太郎は、正眼に構える湾曲刀を素早く左脇に変え、真横一文字に薙いだ。
間一髪…
和幸は、空高く舞い上がって交わし、鋭太郎の頭上を一回転して飛び越しながら、両手の鉄扇を逆手に持ち替えた。
刹那…
『クブッ…』
鋭太郎は、どす黒い血を吐き目を剥いた。
背後に立つ和幸は、眉一つ動かさずに、鋭太郎の両肩に突き刺した鉄扇先の刃を、心臓と肺を目掛けて更に深く突き刺した。
鋭太郎は、後ろを振り向き、これ以上ないほど憎悪に満ちた視線を向けながら、そのまま、前のめりに倒れ絶命した。
『ハハハ…和幸、見事じゃったぞ…いやいや、実に見事じゃった…』
和幸は、無表情のまま、血塗られた鉄扇を握りしめて、近づいてくる。
『和幸、おまえは本当に美しいのう。うい奴じゃ、わしは、お前が一番カワユイぞ。』
『どうした?何そんな怖い顔しとる?まさか…まさか、鋭太郎の事を怒ってるのではあるまいな?』
和幸は、何も答えず、冷たい眼差しだけを真っ直ぐに向けている。
『遊びじゃよ、遊び…こんな…そう、こんな、変声期をとっくに迎え、美しさのかけらも失うた奴なぞ、誰が本気になるものか。お前がいない物寂しさから、ほんのお遊びに抱いてやっただけじゃよ。』
言いながら、
後ろは絶壁に向かってる事に、まだ気づいていない。
和幸は、やはり無言無表情で、ゆっくりと近づいていた。
『なあ、和幸よ…わしとお前は、いつも睦み合ってきたじゃないか。本当に、上手くいってたじゃないか。おまえが欲しいものは、何でも買うてやったじゃろう?おい、どうした?何故答えん…何故、いつものように笑うてはくれんのじゃ…』
和幸は、答える代わりに、ゆっくりと鉄扇を開く。
先端は、たった今葬り去った
『おい…嘘だろう?まさか…まさか、それで、ワシを殺ろうなんて思わないよな?
どうした、そんかものを出さんでも、欲しいものは何でも買うてやるぞ?べべか?簪か?そうそう、鼈甲の櫛なんてどうじゃ?おまえによう似合いそうじゃ…
それとも、口紅か?おまえのカワユイ唇によう似合う口紅、買うてやるぞ…』
『欲しいものなら、既に所望致しました。』
漸く口を開くなり、和幸は、身を屈めて、素早く扇子を一振りした。
『ギャーーーッ!』
『まさか…まさか、痛いとか仰らないですよね。』
和幸は、鉄扇を閉じると、先端から短刀を飛び出させ、今度は、
『ギャーーッ!よせっ!やめろっ!やめてくれっ!』
悲鳴をあげる
『どうされましたか?気持ち良いのでしょう?もっとやって欲しいのでしょう?美香ちゃんを弄ぶ時、よってたかって、男達に玩具にさせた時、そう言えと仰られたではありませんか?』
『頼む!ワシが悪かった!許してくれ!もうやめてくれ!』
『美香ちゃんが、そう言って泣き叫んだ時、一度でもやめて差し上げましたか?いいや、やめなかった…やめないどころ、酷い仕置をされ、こう、仰られたではありませんか?』
言うなり、和幸は、
『痛いと言うのは、こう言う事…だとね…
美香ちゃんだけでは、ありませんよ。ユカ姉さん、トモちゃん、ユキちゃん、アッちゃん、サナちゃん、茜ちゃん…アケちゃん…
そして…
そして…
貴方の仕打ちに耐えきれず死んで逝った
言いながら、更に、
『やめてくれ!頼む!もうやめてくれ!やめてくれーーー!』
『あの子達が、初めてあなたに面白半分に田打された時、みんな幾つでしたか?』
和幸は、今度は、左手の掌を突き刺し、抉りながら言う。
『トモちゃんに至っては、まだ、四つでしたよ。四つの子を、ご自身で弄ぶだけだなく、実の父親にも陵辱させた。
皆の痛み…こんなものではありませんでしたよ。』
『許してくれ…何が欲しいんだ?おまえ、何が欲しのだ?何でも手に入れてやる!何でも買うてやる!』
『本当ですか?』
『本当だ!本当に何でも欲しいものを買うてやる!』
『かたじけのう存じます。』
それまで無表情だった和幸は、漸くいつもの妖艶な微笑を浮かべて、深々と頭を下げた。
『僕が欲しいものは、ただ一つ…
美香ちゃんの命…』
『何じゃと?』
『これまで、不幸な事故とやらで死なせてしまわれた、
ヒデがこの世で初めて愛し、今も心を寄せてる咲良姉さんの事も、もう諦めましょう。
ただ…
皆の宝物だった、美香ちゃんの笑顔を所望致しとう存じます。』
和幸は、いっそう、妖艶な笑みを満面に湛えると、
はるか下方には、鱶の群れを、月影と灯台の明かりが照らし出していた。
『和幸、何をする気だ…よせ…やめるんだ…』
『美香ちゃんが、一人寂しがっています。僕達のところに、連れ戻して下さい。僕に下さるはずのべべを、あの子に着せてやって下さい。
僕は、あの子の笑顔が欲しゅうございます。』
『和幸、よせ…よせ…やめるんだ…よせ…』
首を振り立て泣き叫ぶ
『あの子を連れ戻し、あの子の笑顔を見せて下さるなら、また、喜んで伽の相手をさせて頂きましょう。』
和幸は、これ以上ないほどに妖艶な笑みを満面に浮かべると、両手両足を血まみれにした
尚も激しさを増す荒波と風の音…
遥か下方にて、未だ息のある
しかし、もう、和幸の耳には、鱶達に食い散らかされる者の叫びは聞こえない。
ただ…
思い起こせば、いつも憧れに満ちた目線を送る、美香の顔を思い出す。
あの祭りの日も…
改めて思い起こせば、法被と浴衣を着て並ぶ自分と智子に、崇拝にも似た眼差しを送っていた。
『そんな、憧れるようなものでもなかったのに…』
和幸は思う。
あれは、祭りの後に行われる、皮贄の儀式に引き出される姿であった。
和幸は、智子の着物を一枚一枚脱がせた後、皆の前で
その後、
智子が玩具にされる目の前で、和幸は
その時、余りに激しく玩具にされた智子は、御祭神が破けて出血が止まらなくなり、受けた治療で、遠の昔に子供を産めなくなってる事も発覚した。
智子の、和幸の子供を産む夢が潰えた瞬間であった。
美香が、恋焦がれ、憧れ抜くような事など何もなかったのだ。
『終わったな…』
何処からともなく、貴之が姿を現し、断崖の彼方を眺めやる。
『美香ちゃん…お前が大好きだった、カズ兄ちゃんが、仇をとってくれたぞ。』
『言うな…』
和幸は、背中を向けたまま、静かに言う。
『あの子は、そんな事を喜ばない。もし、ここにいたら…可哀想だからやめて欲しいと、あいつらの為に泣いて哀願した事だろう。』
『そうだな…
優しい子だったからな…
自分は何も着せて貰えねえのに、寒いだろうって…寒くて可哀想だって…俺にいつも襟巻きを…』
貴之は、鼻を鳴らして言葉を詰まらせた。
『タカ、わかってるな…』
和幸は、まだ鼻を鳴らし続ける貴之に、無表情な顔を向けると…
『今回の件…僕一人でやった。事が露見したら、僕一人でやった事として通すんだぞ。』
念を押すように、貴之の肩に手を乗せた。
『それは、ちと違うぜ…』
貴之は目を擦りながら、口元をニヤケさせて言う。
『俺とカズの二人で…だろう?』
『タカ…』
『それ以上、何も言うなよ。もし、おまえ一人で全部被ろうなんて真似をしたら…俺は、
『わかった…なら、僕とタカ二人でやった事にしよう。何が何でも、ヒデとマサを庇いぬこう。』
『決まりだ。』
貴之はニヤケて言いながら、また、荒海に顔を覗かせた。
『俺、死んだら…美香ちゃんの奴、また会ってくれるかな?タカ兄ちゃん、大好きって言ってくれるかな?
こんな事をやらかしちまった俺でもよ…』
言いながら、また、鼻を鳴らし出す。
『当たり前じゃないか。』
和幸は、漸く無表情だった顔に笑みをうかべると、また、貴之の肩に手をのせた。
『あの子は、そう言う子じゃないか。』
「カズ兄ちゃん…」
和幸は、菜穂の声に、目を開けた。
「ナッちゃん…」
「どうしたの?何か、凄く苦しそうだったわよ。こんなに汗かいて…」
「僕、何か寝言を?」
和幸は、答える代わりに、怪訝に表情を曇らせて問い返した。
「ううん、何にも…」
と…
菜穂は急におかしそうな笑みを満面に浮かべた。
「あー、さては、怖い夢を見てたでしょう?」
「怖い夢…」
「そう、怖い夢。希美ちゃんも、怖い夢を見ると、いつもそんな風なのよ。お父さんにソックリさんなのね。それで…」
菜穂は言うなり、掛け布団を捲り上げる。
「よしよし、オネショはしてないな…偉い偉い。」
「おいおい、何馬鹿な事を言ってるんだ。」
「だって、希美ちゃんは決まって、怖い夢見るとオネショするんですもの。」
菜穂は、クスクス笑い出した。
「なら、母さん似だろう。
僕に初めて抱かれた頃の事、覚えてるか?
今度は、和幸がクスクス笑い出した。
「何よー!」
菜穂は、和幸を布団に押し倒した。
「あれ、オシッコじゃなかったわよ!」
「いいや、オシッコだったぞ。そうと知らずに触った手の臭かった事、臭かった事…」
「酷い!そんな事言うなら…」
菜穂は、押し倒した和幸の胸に顔を押し付けて抱きついた。
「今夜は、もう、寝かせてあげない。」
「おいおい…希美ちゃんが起きるぞ…」
「じゃあ、起こさないように、カズ兄ちゃんも静かにね…」
「何を言うんだか…いつも、最中に大声あげるの、ナッちゃんじゃないか。」
「失礼ね!私、大声なんか、あげた事ないわ。」
「そうか?」
「そうよ。」
「それじゃあ、試してみるか?」
「うん。」
「一回でも大声だしたら…
「良いわよ。その代わり、声出さなかったら、カズ兄ちゃんが、希美ちゃんをおんぶするのよ。」
「決まりだ!あ、それと…」
「なーに?」
「僕がかったら、たらふく酒を…」
「駄目!」
菜穂はみなまで言わせず、和幸を睨みつけた。
「お酒は、絶対、駄目!」
「そんな…毎晩、寝る前に一杯だけ…」
「そう言って、いつも一升瓶を何本も空けてヘベレケになるって、みんな言ってたわよ!」
「そんな事、もうしません!絶対、しません!お酒は嗜む程度に呑ませて頂きます!だから…」
「駄目ったら駄目!酔っ払って失踪して、希美ちゃんホカして、みんなを心配させて…何寝惚けた事言ってるの!」
「どうしても駄目?」
「ダメッ!」
「こんなに頼んでも?」
「ダーメッ!」
「仕方ないな…大事な旦那様の言う事をきけない子は、懲らしめてやらないと…」
和幸は言うなり…
「それっ!」
徐に菜穂を押し倒し、寝巻きを剥ぎ取り出した。
「もう!お父さん!お父さんってば!そんな乱暴しちゃ嫌だ!」
菜穂は言いつつ、クスクスと笑いだした。
「よーしっ!それじゃあ、お父さんも!それっ!」
やがて、寝巻きをむしり取るように全裸にされた菜穂は、負けじと和幸を押し倒して、自分がされたように寝巻きを剥ぎ取りだした。
「わっ!やったな!」
今度は、智子に褌を解かれながら、和幸がクスクスと笑いだした。
しかし…
「アン…アン…アン…」
菜穂が、また少し膨らみを帯びた、腕を逆さにしたような胸の膨らみを愛撫され、胸の突起を吸われて甘えるような声を出し始めると…
和幸は、たった今見た夢を思い出し、物寂しい眼差しで何処か遠くをみつめだした。