※この作品はR-18です。

兎神伝〜紅兎   作:和心

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(9)着物

(9)着物

 

「まだかなー…

親社(おやしろ)様、いつお帰りになるんだろう…」

漸く愛の着付けを終えた朱理は、部屋中、落ち着きなくウロウロ歩き続けていた。

「早く、愛ちゃんを見せたいでごじゃる…」

言いつつ、大鏡の前に何度も立ち止まっては、結棉に結い上げた髪や襟元を整え鼻の下を擦り…

「エヘヘへ…」

っと笑っていた。

「アケ姉ちゃんったら…」

文金高島田に結い上げられ、花嫁衣装に身を飾る愛は、漸く寝息を立てた赤子を愛しそうに抱きながら、クスクス笑って言った。

「そんな事言って、本当は、私じゃなくて、自分じゃないの?」

「えっ?」

振り向く朱理に…

「それも、親社(おやしろ)様でなくて、カズ兄ちゃんにね。」

愛は、得意の片目瞬きをして見せた。

宮司職(みやつかさしき)に奉職したての私に、八歳で一目惚れして、毎日のように社(やしろ)に通い詰めていた愛は、昔からませて大人びていた。

それが、総宮社(ふさつみやしろ)より、十二までに子を宿すよう厳命され、私と参籠所にこもり切って一月…

夫婦のような生活を営むうちに、見る間に大人びていった。

そうして、身籠り、十二歳のうちに出産を迎えた愛は、社(やしろ)に暮らす兎神子(とみこ)達の誰よりも艶っぽく、大人びて見えるようになった。

背も、五尺六寸と白兎の中では一番の長身なのもあり、最年長…もしくは、雪絵と同い年と言っても信じてしまいそうであった。

そんな愛に、片目瞬きをされると、女の朱理でもドキッとするものがある。

着付けをしてる間中、生白く美しい肌に一日触れていた事もあるのだろうか…

思わず頬を染める朱理は、それが、和幸の事を指摘された事によるものなのか、愛に片目瞬きをされた事によるものなのか、自分もよくわからなかった。

「えっへん!えっへん!」

朱理は、十八番の咳払いをして見せると…

「私は、早く愛ちゃんの出来栄えを、(おやしろ)様に見せたいのでごじゃるよ。」

二本指で何度も鼻の下を擦りながら、顔をくしゃくしゃにして笑って見せた。

「だーって、長かったでごじゃるもんねー。九歳の時から、三年間でごじゃるもんねー。」

朱理は、愛の隣に腰掛けると、自分の頭の位置にある愛の肩に腕を回しながら、さっきまでの笑顔と一変して、メソメソし始めた。

「あの時…大勢のクソ親父達の前で、素っ裸にされて…寄ってたかってあんな事されてさ…」

「アケ姉ちゃん…」

ついさっきまで、お腹を空かせては大泣きし、オッパイ飲んで落ち着いたかと思えば、今度はオムツを汚して大泣きしていた赤子を漸く寝かしつけた愛は、唇を蛸のように尖らせ、困ったなと言う顔をした。

案の定…

「あの後、血だらけのお股をおさえて泣き噦る愛ちゃんの事を思い出すと…私…」

朱理は両手で顔を覆って大泣きし始めた。

「もう…アケ姉ちゃん、泣かないで…

私、そんなに辛くなかったわ。あれから、お兄ちゃんやお姉ちゃん達、神饌組のみんなが、私を守ってくれたもの。何かと理由つけては、私を弄びにくるおじさん達を追い返してくれたし…

外に出なきゃならない時は、代わり番こで私の後をついてきてくれたしさ。

それに…

みんなとだけいる時は、着物を着ても良くしてくれたじゃない。」

言いながら、愛はさりげなく、少々抱くのに疲れてきた赤子を、上手に朱理に抱かせながら、朱理の背中を撫でてやった。

「愛ちゃん…」

朱理は、唇を〰にひき結んで涙目を愛に向けると、愛は満面大人びた笑みを浮かべて、何度も頷いて見せた。

その時、赤子は急に朱理の指を握ったかと思うと、ケラケラ笑い出した。

「あはっ、可愛い。」

朱理も、釣られて笑い出す。その笑顔を見ながら、『どっちが赤ちゃんかわからないなー。』と思い、愛も思わず吹き出した。

しかし…

『サナ姉ちゃん…』

最後に着物の話をしたあたりから、愛は不意に胸が激しく疼きだしていた。

愛に着物を着せてやりたい一心で、命を縮めてしまった、早苗の事を思い出してしまったのだ。

最初の穂供(そなえ)…

皮剥を受けてからの日々…

辛い…

恥ずかしい…

痛い…

苦しい…

そんな生易しい言葉で言いあらわせる簡単なものではなかった。

愛の家が、兎神家(とがみのいえ)であり、新しい赤兎に選ばれたのは八歳の時…

美香と言う、前の赤兎が死んでからの事であった。

兎神子(とみこ)になると言う事…

まして、赤兎に選ばれると言う事の意味までは深く知らなかった。

ただ、毎日、何処に行く時も、全裸でいなくてはならないと言う事と、社領(やしろのかなめ)の男達に、やたらと身体(からだ)を弄り回されてると言う事…

何より、美香と言う赤兎が、眞悟と言う前任の宮司(みつかさ)にいつも酷い目に遭わされてる事くらいのものであった。

本当は、赤兎として、鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)に兎幣される事になっていたのは、異母妹の舞であった。

兎神家(とがみのいえ)でも、裕福な家では、本妻の他に何人か内妻を持つと言う事がなされている。本妻の息子や娘の身代わりを産ませる為である。

舞も、愛の身代わりとなるべく産まれてきたのだ。

しかし…

異母姉妹共に、分け隔てなく可愛がる両親に育てられた愛は、舞の事をとても可愛がっていた。

その舞が、赤兎となる時決められた時、まだ四歳であった。

赤兎として兎幣されると決まると、一年以上前から、父親や兄達の手でそのように躾けられる。簡単に言えば、家庭の中で全裸にされ、破瓜以外の凡ゆる行為を、実地で仕込まれるのである。

舞もまた、赤兎として兎幣されると決まるや、その日から全裸にされ、父の手で参道に指を捻り込まれて、掻き回された。

漸く言葉を口にし、歩けるようになって間がない舞は、父親にされてる事の意味もわからず、ただ痛くて泣き叫んだ。

愛は、そんな義妹の泣き叫ぶ姿を見て、自ら着物を脱ぎ赤兎になる事を名乗り出たのであった。

愛は、凡ゆる事を、言葉だけでなく、実地で教え込まれていた為、その覚悟は十分できていたつもりであった。

しかし、皮剥の祭祀に参列する数多の男達の前…

好奇の目を晒される中、着物を一枚一枚脱がされるのは、家の中で裸にされるのと訳が違っていた。

そこで、参列者の男達に身体(からだ)中を触られ、弄られ、舐め回される時の感触…

そうされながら、容赦なく浴びせられる猥雑な言葉の数々…

何より…

まだ、九歳の幼い参道を、参列する男達は情け容赦なく貫いた。それも、一人が一度だけそうするのではない。百人を越す男達が、入れ替わり立ち替わり、何度も何度も貫いてきたのだ。

激痛…

そんな生易しいものではなかった。

『これはどう言う事なのか説明していただけすかな?』

皮剥の日…

康弘連(やすひろのむらじ)は、参列する男達に、参道を抉られ泣き叫ぶ愛を見つめながら、些か眉をしかめて言った。

『赤兎は、身体(からだ)を隠してはならんだけではない。穂供(そなえ)中、いかなる苦痛や拒絶の言葉を発してはならんはず。だのに、私にされてる間中も、痛いとか、やめてとか、助けてとか叫びおった。』

また一人…

一刻半も順番を待たされた男は、いきなり怒張した穂柱を引き出すと、愛の参道に捻り込んだ。

『痛い!痛い!痛い!』

愛はまた、首を振り立てて泣き叫び出した。

『宮司職(みやつかさしき)として、躾がなってませんな…』

私は、康弘を横目で睨み据えた。

『後で、きっちり仕置きされるんでしょうな。』

『仕置き?』

『当たり前でしょう。赤兎の分際で、穂供(そなえ)中に痛いなどとほざくなど許されぬ事。最初が肝心ですからな…しっかり、仕置きして頂きますよ。我らの立ち合いの上…』

私はみなまで言わせず、胴狸を抜き放ち…

『親社(おやしろ)様、何をなされる!』

康弘連(やすひろのむらじ)は、血相変えて叫びながら、左肩目掛けて突き入れられた胴狸の切っ先を交わした。

『何故、交わす…』

私は、突きを交わされた切っ先を返し、額に汗を流す康弘連(やすひろのむらじ)の首筋に突きつけた。

『次は交わさず受けられよ…』

益々蒼白になる康弘連(やすひろのむらじ)は、私をジッと見据えながら震え出していた。

『おまえの身体(からだ)を切られ、貫かれ、何一つ苦痛の声を上げぬなら…気持ち良い、もっとしてくれと言えるなら…私も、愛を赤兎としてそのように躾よう。』

康弘連(やすひろのむらじ)は、腰を抜かして座り込み、尿を漏らして、皮剥が終わるまで震え続けていた。

以来、社における兎神子(とみこ)達の田打にとやかく言うものはなくなったが…

愛にとっての地獄のような日々は、次の日から本格的に始まったのだ。

美香が死に、本社領(もとつやしろのかなめ)では二年ぶりの赤兎に、領内の男達が殺到した。

自分達が陵辱するのもさる事ながら、まだ未経験の息子にやらせようと、家に連れ込まれる事も度々であった。

社領(やしろのかなめ)では、成人した息子と酒を酌み交わすのと同じくらい、白穂を放てるようになった息子と、神饌共食祭で穂供(そなえ)をするのを楽しみにしてる男達が少なくない。

鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の社(やしろ)に奉職して以来、私の預かる社(やしろ)では、兎神子(とみこ)が一度に相手にするのは一人と言う事を徹底していた。輪姦は固く禁じていた。それで、随分と不平も上がっていたのだ。

しかし、赤兎をどのように扱うかは、命を奪わぬ限り、誰もが自由とされていた。宮司(みつかさ)と雖も、口出しする事は許されない。宮司(みやつかさ)は、預かる社(やしろ)の領内(かなめのうち)では、最高の権威と権力を持っている。神漏(みもろ)衆や神使(みさき)衆の任命権から、領民(かなめのたみ)達の生殺与奪の権限まで持っている。しかし、その権威と権力も、名目上は神職(みしき)としての神聖さに所以するが、実際のところは、神饌共食祭で穂供(そなえ)をする権利の保障と引き換えであった。特に、赤兎を自由に弄ぶ権利を有する事は、神領(かむのかなめ)における共同体の一員たる証として、神聖視すらされていた。もし、その権利を否定すれば、領民(かなめのたみ)は社(やしろ)に初穂料も玉串料も納めなくなり、崇儀会(たかきのりのえ)にて、神使(みさき)衆と神漏(みもろ)衆合意の上、不信任決議を出され、総宮社(ふさつやしろ)より罷免される。

これまで、兎神子(とみこ)の輪姦を楽しむには、産土社(うぶすなやしろ)や鎮守社(しずめのもりやしろ)に行くか、わざわざ摂社領(せっつやしろのかなめ)や末社領(すえつやしろのかなめ)まで足を運ばなくてはならなかった分…

その鬱憤を晴らすかのように、本社領(もとつやしろのかなめ)の男達は、愛に好き放題したのである。

学舎(まなびのいえ)に出かけたり、外に呼び出された愛は、いつもボロ切れのような姿で、社(やしろ)に戻っていた。

しかし…

愛が本当に辛かったのは、自らの境遇より、それを目の当たりにして打ちひしがれる兎神子(とみこ)達の姿であった。

愛が赤兎に兎幣されてから、それまでいつも絶える事のなかった、兎神子(とみこ)達の明るい笑い声が一切消えた。

皆、変わらぬ笑顔を傾けようとしてくれたが、その目にはいつも涙が浮かんでいた。特に、親友を辞任して憚らなかった朱理は、これまた憚る事無く、無残な愛の姿を見ては、声を上げて泣いていた。

貴之と亜美は、泣かない代わりに、いつも激怒していた。

『畜生!私達の愛ちゃんに、こんな真似しやがって!』

助産に優れていると同時に、参道の治療にも長けていた亜美は、滅茶滅茶に蹂躙された愛の参道を手当てしながら、いつも吐き捨てるように言った。

『私…あいつら絶対に許さないんだから!いつか、絶対…絶対に、絞め殺してやるわ!』

すると…

『絞め殺してやるだって?そんなもんじゃ、済まねえぜ。

良いか、愛ちゃん。愛ちゃんに酷い目に合わせた奴の面、全部切り絵に残しとけよ。』

側で、愛の姿にメソメソしている早苗を胸に抱きながら、貴之が目をギラつかせて言った。

『いつかな、楽土とか言うでけぇ国から人民解放軍とやらが来て、カズの野郎が言う革命の日とやらが来るんだ。そうしたら、そいつら、ひっつかまえて、嬲り殺しにしてやる。愛ちゃんに痛ぇ事をした数だけ、真っ赤に焼いた鉄串で、身体中を串刺しにしてやるぜ。』

亜美はそれを聞くと…

『私は、錆だらけの刃こぼれした剃刀で、穂柱を切り取ってやるわ。それも、一度にじゃなくて、先っぽから、一寸ずつじわじわゆっくり切り取ってやるの。それも、みんなの見てる前で丸裸にしてね。愛ちゃんがどんな思いをしていたか、思い知ると良いわ。』

そう言って、貴之以上に、目を憎悪に光らせたのである。

愛は、そんな兎神子(とみこ)達の姿を見ると、血塗れの参道より、胸の方が激しく疼いたのである。

殊に、愛の胸に生涯の痛みとして消えぬであろうと思われるのは、早苗の事であった。

発育の遅い身体(からだ)で四度の出産をし、もう、ボロボロになっていた早苗が、拾里で養生する事に決まっていた事は、愛も知っていた。

拾里は、穏やかで美しいところであり、綺麗な花も咲けば、可愛い小鳥や小動物も遊びにやってくる場所だと言う。早苗の大好きな兎もよく顔を出すとも聞いていた。

早苗も、そこに行くのを楽しみにしていたのだ。

それを、愛が赤兎にされるのを見て、行くのを辞めてしまった。

そればかりか、まともに歩けず、外に出かける時は箱車に乗らなければならない身体(からだ)で、神饌共食祭に訪れる男達の穂供(そなえ)も受け続けていた。

『もう、穂供(そなえ)を受けるのはやめるんだ。静かに寝てろ。』

私がいくら言っても…

『それじゃあ、愛ちゃんに着物着せてくれる?愛ちゃんに着物着せてくれたら、私、もう、おじさんやお兄さん達の相手、辞める。拾里にも行くわ。』

早苗は、ニコニコ笑って、同じ返事を繰り返していた。

それで、私が答えに詰まると、悲しそうな目をして、穂供(そなえ)参拝の男達に手を引かれ、御穂供倉(みそなえくら)の部屋に消えて行くのであった。

『サナお母さん、お願い、拾里に行って。私、大丈夫だから。』

愛は、日一日と弱って行く早苗を見る度に懇願した。

すると…

『愛ちゃん、お母さんの事、嫌い?』

早苗は、愛の頬を撫でながら、寂しそうに言った。

愛は、思い切り横に首を振った。

『そう、良かった。』

早苗は、今度はとても嬉しそうに笑って言った。

『私ね、愛ちゃんが大好き。私の可愛い娘だもん。だから、ずっと側にいたいなあ。駄目?お母さんと一緒に暮らすの嫌?』

愛は、何て答えて良いか分からず、唇を強くひき結んで俯いた。

『お母さんね、四人の赤ちゃん達とお別れしなくちゃいけなくて、凄く寂しかったの。愛ちゃんとだけはお別れしたくない。愛ちゃんとだけはずっとずっと一緒にいたい。一緒にいても良いよね。』

愛は、目に涙を溜めながら力なく頷くと、早苗は満面の笑みを浮かべ…

『良かった。愛ちゃんに嫌われちゃったら…一緒にいたくないって言われたら、お母さん泣いちゃうところだった。』

そう言って、冷たくなった愛の身体(からだ)を温めるように、羽織にくるんで抱きしめた。

そして…

『愛ちゃん、お母さんに任せて。お母さん、絶対、愛ちゃんに着物着せてあげる。ずっと裸ん坊でいなくてもよくしてあげる。』

そう、愛の耳元に囁きかけて言った。

そして、ある日…

『ねえ、愛ちゃん、すぐ来て!サナちゃんの所にすぐ来て!早く早く!サナちゃん、急に具合悪くなっちゃって、大変なの!熱出して、うなされて、ずっとずっと、愛ちゃんに会いたいって言ってるの!』

丁度、領内(かなめのうち)の男達数人に呼び出しを受けていた愛は、亜美に呼び止められた。

『まあ!サナ母さんが!』

血相を変える愛に…

『親社(おやしろ)様にも伝えたところなんだけど、あの調子だと危ないかも知れない!早く来て!』

亜美は深刻な顔をして、その手を引っ張って行こうとした。

『おい、何しやがるんだ!』

『愛は、今から俺達と良い事をするところなんだぞ!』

愛を連れ出そうとした男達が、忽ち歯をむき出してがなりたてた。

『じゃかあしい!この子には先客があるんだ!出直して来やがれ!』

亜美が、負けずに怒鳴り返した。

『何だと?赤兎は、社領(やしろのかなめ)の共有物。横取りするこたあ、神職(みしき)様達でも許されねえ事、知ってんだろうな。』

『どうなんだ、亜美よう。兎の分際で、俺達が、朝っぱらから出向いて唾つけたのを横取りするからには、相当の覚悟があんだろうな?後で、ごめんなさいじゃあ、すまねえんだぞ。』

男達が凄んで言うと、亜美は『ヘヘン』と、鼻で笑って返した。

『そう…そんなに言うんなら、こっちも言ってやらあ。この子に、一週間も前から唾つけて待ちわびてる先客は誰だと思う?北地区奉行の進次郎様よ!』

男達は、途端に蒼白になった。

『それだけじゃあねえ!俺っちもいらあ!』

後ろからは、社領(やしろのかなめ)のガキ大将、太郎もひょっこり顔を出してきた。

『これは…河本産社(かわもとのうぶやしろ)様の若社(わかやしろ)様…』

『わかったら、てめえら、すっこんでろ!』

男達は、太郎の一声で、猫の子を散らしたように、去って行った。

『太郎君、どうして…』

小首を傾げる愛に…

『まあ、こいよ。行ってやらねえと、サナちゃん、本当に死ぬかも知れねえぜ。』

太郎は、左頬を軽くひき結んで言うと、クイッと顎をしゃくって言った。

愛は、一層蒼白になって、亜美に手を引かれるままに、早苗の部屋に向かった。

『サナ母さん…』

早苗の部屋の障子が開けられるなり、愛は思わず声を上げた。

早苗は、太郎の兄貴分の進次郎に支えられてはいるが、至って顔色よく布団の上に起き上がっていたからだ。

『あの…えっと…』

どう見ても、明日をも知れぬ重体とは思われない。

『おいで…』

早苗は、戸惑う愛に、優しく笑いかけて手招きした。

『行けよ。』

太郎が、愛の背中をポンと叩いて言う。

愛は、言われるままに側に行くと、早苗は進次郎に支えられながら、ゆっくり立ち上がった。

『私、愛ちゃんのお母さんだよね。』

『うん。』

『愛ちゃん、良い子だから、お母さんの言う事、なーんでも、良く聞いてくれるわよね。』

『うん。』

『それじゃあ、私が良いって言うまで、目を瞑っていてね。』

『うん。』

早苗は、愛が言われるままに目を瞑ると、愛しそうに頬を撫でた。

そして…

愛の腕を上げたり下げたりしながら、身体(か、だ)中に何やら覆いかけたのち…

『もう、目を開けて良いよ。』

言われて目を開けた時…

『アッ…』

愛は思わず声を上げた。

可愛い兎と楓が描かれた藍染の着物…

以前、早苗が朱理に縫って貰った着物を着せられていた。

『アケちゃんみたいに、上手に着付けてあげられなくてごめんね。でも、凄く似合って可愛いよ。』

早苗が、身長差がありすぎて、つんつるてんの着物を着る愛を見て、ニコニコ笑っていた。

『駄目よ!サナ姉ちゃん、私が着物なんて、駄目よ!』

愛は、思わず蒼白になって着物を脱ごうとすると…

『駄目!』

亜美が、後ろから羽交い締めにして、愛を押さえつけた。

『着物脱いじゃ駄目!絶対、駄目!』

『でも、亜美姉ちゃん、私が着物着たら…』

益々、蒼白になる愛を、亜美は更に力強く押さえつけた。

『あんたが、それを脱いだら…サナちゃん、死んじゃうよ!もう、限界なんだから!これ以上、神饌共食祭に出たら…穂供(そなえ)されたら…』

『でも…』

『お願い!愛ちゃんが着物着てくれたら、サナちゃん、拾里に行くって、約束したのよ!』

半ば叫ぶように言うと、愛は漸く押し黙って、早苗を見つめた。

『拙者達の役目は終わったようでござるな。後は、上手くやれよ。』

進次郎は、早苗の肩を叩いてその場を発つと…

『太郎、惚れた女がめかしこんでるんだ。何か言う事あるでござろう。』

久しぶりにめかしこまれた愛に、ぼんやり顔を赤くしてる太郎の耳元で囁くと、澄まし顔で部屋を去って行った。

『あ…愛ちゃん…綺麗だよ…』

『えっ?』

『スゲエ、綺麗だ。』

言うなり、太郎は顔を真っ赤にして、逃げるように進次郎の後を追って行った。

『ごめんね…』

進次郎と太郎が去ると、早苗は一層優しく微笑みかけながら、愛の頬を撫で始めた。

『本当は、ずっとずっと前から、こうしてあげたかったの。でも、怖くてできなかった…ただ、震えて縮こまってるだけで、何もしてあげられなかった…』

『そんな…サナ母さん、いつも優しくしてくれたわ。社領(やしろのかなめ)の男達に呼び出されてボロボロにされた私を、羽織や半纏に包んで抱いてくれたわ。』

『本当に、ごめんね…』

早苗は、愛の言葉がまるで耳に入らず…そもそも、愛の顔すら目に入らず、別の何かを見つめてるような目をして同じ言葉を繰り返しながら、涙を流し出した。

そして、もう一度、愛の頬を優しく撫でると、思い切り抱きしめて…

『美香ちゃん、ごめんね…弱くて、守ってあげられなくて、本当にごめんね…』

そう言うと、声を上げて泣き出した。

『みんな…呼んで来るね…』

いつしか、後ろで一緒になって啜り泣いていた亜美は、そう言うと、いつまでも愛を抱いて泣き崩れる早苗を残して、部屋を駆け出して行ったのである。

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