(17)褒美(2)
この楽しい時も、終盤を迎えようとしていた。
「赤ちゃん、本当に可愛いわねー。」
「愛ちゃんそっくり。きっと、美人さんに育つわよー。」
「うんうん。爺じに似なくて、本当に良かった。」
「全くだ。」
次第に腹も膨れて来た兎神子(とみこ)達は、愛を取り囲んで、赤子を見ながら、口々に言って、楽しげな笑い声を上げていた。
笑っても、ぐずっても、泣き出しても、全てが愛玩の種であった。
しかし…
皆の喜びとなっている赤子も、雪解けが過ぎれば、やがて里子に出されて行く。共に過ごせる時間は短いのだ。
何より…
「それにしても、愛ちゃん綺麗だ事…」
「エッヘン!そうでごじゃろう。そうでごじゃろう。」
「ポヤポヤ~、さっきから、爺じの鼻の下、伸びまくってるポニョ~。
マサ兄ちゃん!今夜は、励むポニョ~!」
「上から攻めて十回!」
「下から喘いで十回!」
「朝まで二十回!爺じも年だ、今夜は励みすぎて、朝は腰抜かして立たねえぞ、きっと!」
「馬鹿な事言わないで!爺じは、そんな人じゃないわ!赤ちゃん産んだばかりの愛ちゃん、今夜は優しく労ってあげるのよ。ねぇ、爺じ。」
「愛ちゃん、今夜は、爺じに優しくして貰うんだよ。今だけは、な~んでも、甘えて良いんだからね~」
「で、その後は…」
「勿論、励むに決まってるでしょう。しっとり濡れて、朝まで…」
「そうだねえ、おいらとユキ姉みたいに…」
「バカッ!」
「痛え!もう、ユカ姉、何ですぐぶつんだよー!」
「そうポニョ~、そうポニョ~!乱暴な女の子、里一さんに嫌われるポニョ~!」
そんな、皆の話を聞いて、コロコロと楽しそうに笑う愛…
かつて、社(やしろ)の兎神子(とみこ)達にとっても、社領(やしろのかなめ)の不良や悪ガキ達にとっても、皆の宝物であった愛も、やがては聖領(ひじりのかなめ)に連れられ、赤兎の時以上に過酷な日々が待ち受けているのである。
しかし、今は、そんな事を意に介する者はいない。
拾里の人々もそうであるが、明日がない分、今日の刹那刹那を存分に楽しむのである。
皆、愛が、無事に愛していた人との間に可愛い赤子を産み、床上げを終えられた事を喜び、存分に楽しんでいたのだ。
やがて…
大騒ぎだった食事会も終わり、最後の目玉が行われる事になった。
私と赤子を抱く愛の三人で、記念写真を撮る事である。
「一、二、三…」
純一郎が、写真屋顔負けに写真機を向けて数を数えると…
「おめでとう!」
と、言う一同の掛け声を合図に、撮影がなされた。
無事に撮影が終わるとまた…
「おめでとう!」
「愛ちゃん、綺麗よ!」
「本当に頑張ったね!」
祝福の声と共に、溢れかえるような拍手喝采が浴びせられた。
主役の愛が、片目瞬きをして、戯けて見せるのとは裏腹に、由香里が前掛けで目を覆いながら、ずっと泣きっぱなしであった。
「次は、ユカ姉ちゃんの番だポニョ~。」
茜が、由香里の肩を抱きながら言った。
「今夜は、朝まで、里一さんと励めよ。」
政樹も続く。
「でねえと、茜ちゃんが、里一さんを食いそうで、気が気じゃねえや。」
何度も頷きながら、尚も泣き続ける由香里を…
「ユカ姉ちゃんを頼むな。」
「お願いポニョ~、里一さん。」
政樹と茜は、里一に由香里を預けると、真っ先にその場を去って行った。
続いて、里一と由香里が去って行き…
「ユキ姉、今夜は朝まで…」
「勿論よ!リュウ君こそ、覚悟なさい!もし、へばったり、寝そうになったら、叩き起こすからね!」
と、竜也と雪絵が去って行く。
愛には暖かい祝福の言葉を述べ、赤子を愛しげに抱きしめながら、私とは目を合わせない亜美を、秀行が優しく肩を抱いて連れて去って行った。
「じゃあ、名無し…でなくて、爺じ。」
「だから、その呼び方はもうやめてくれ。」
私が苦笑いして言うと、純一郎は、ニィッと笑って頷き去って行った。
続いて、菜穂と希美と朱理が、泥酔して足元をフラつかせてる和幸を連れて行き…
進次郎も、軽く会釈すると…
「おい!カズさん、しっかりしろ!おい!女の子三人に抱えられて、みっともないぞ!」
四人の後を追うように去って行った。
「愛ちゃん、おめでとう。俺な…俺…俺…あの時、本当は…」
最後に残った太郎が、涙目で何か言いかけると…
「わかってる。ありがとう、太郎君。」
言うなり、愛は、太郎の唇に口づけをした。
「愛ちゃん…」
「ご褒美。ずっとずっと、私の事を守り続けてくれた、太郎君にね。」
愛は、そう言うと、十八番の片目瞬きをして笑って見せた。
「うん!愛ちゃん、好きだよ!大好きだよ!」
太郎は、元気よく言うと、大きく手を振って、満面の笑みで去っていった。
そして、私と愛と赤子の三人が取り残された。
赤子は、スヤスヤ寝息をたてている。
窓から外を見ると、また、小雪が降り初めていた。
「爺じ、何も食べてないでしょう。」
愛は、赤子を揺かごに寝かせると、私の顔を見上げて言った。
「そんな事はないさ。ユカちゃんのソーメンと天麩羅は、相変わらず絶品だ。」
「嘘。私、見ていたわよ。爺じは、箸をつける振りして、殆ど、希美ちゃんを呼び寄せては、天麩羅もソーメンも、希美ちゃんのお口に入れてたじゃない。」
「希美ちゃんが、お利口にしてたからさ。」
私が言うと…
「菜穂姉ちゃんから聞いたわよ。百合さんの所でも、殆ど何も食べなかったって…
だから、百合さん、毎晩部屋に呼んで、おむすびと漬物を用意していたってね。」
愛は言うなり、どこからとなく、風呂敷包みを取り出した。
「愛ちゃん、これは…」
広げると、小さな弁当箱が姿を現した、中には間に海苔を挟んだご飯と、昆布巻きに出し巻き卵が入っていた。
かつて、二人で裏山に切り絵をしに出かけた時のお弁当である。
「爺じへのご褒美。」
「ご褒美って…何の?」
「さあ、何かしら。」
愛は、また、片目瞬きをして笑みを浮かべると…
「ずっと、側にいてくれた事かな…」
そう言って、私の肩に腕を回すと、その小さな唇で、優しく私の唇に口づけをして見せた。
「側にって…私は、側で見てるだけで、何も…」
「してくれたわ。私がどんなに遠くまで連れ出され、どんなに遅くまで、行く先々で大勢の人達に玩具にされた時でも、終わって振り向けば、必ず側にいて、駆け寄ってきてくれた。
そう…
大雪の日も、大雨の日も…
傘も差さず、合羽も羽織も身に付けず、雪まみれ、ずぶ濡れになって、私の側に…」
そう言って、ジッと見つめて来る愛の眼差しの奥に、再び在りし日の姿が映し出された。
大雪の中…
大雨の中…
その日も、どれだけ大勢の男達に弄ばれたのか、雪に埋もれ、雨に流されても臭いが消えぬ程、白穂塗れになっていた姿。
立ち上がる力も失せ、地べたを這いずって帰ろうとしていた愛。
『愛ちゃん!』
私が駆け寄ると、股間の痛みに歪めていた顔いっぱいに、引き攣った笑みを浮かべて、片目瞬きをして見せた。
『愛ちゃん、こんなに冷たくなって…寒かったろう…寒かったろう…』
私が言いながら、両肌脱いで愛を抱きしめると…
『ううん…暖かい…親社(おやしろ)様の身体(からだ)、とても暖かい…』
愛は、そう言いながら、社(やしろ)に着くまで、私の胸に顔を埋め続けていた。
そして、社(やしろ)に戻り、亜美の手当てを受けさせた後、私の寝床に連れてゆく。
如何なる時も、如何なる場所でも、決して赤兎に着物を着せてはならないのが、神領(かむのかなめ)の掟。
ならば…
私が着物を脱ぎ、一緒に全裸になって、肌で愛を暖める。
『暖かーい、暖かーい。』
愛は、クスクス笑って言いながら、私の腕の中で身体(からだ)を縮こませる。
しかし…
亜美に手当てされる矢先に、連日、絶え間なく、数多の男達に貫かれる股間の痛み眠れない。
私を起こすまいと、必死に呻きを堪えるが、腕に伝わる肩の震えが、激痛の凄まじさを伝えてくる。
『愛ちゃん、痛い?』
『ううん、平気。亜美姉ちゃんに手当てして貰ったから…』
そう言って、必死に笑顔を傾ける愛の肩は、やはり激しく震えている。
『愛ちゃん…』
私は、何もできない無力感から、思わず出掛かる『すまない…』と言う言葉を呑み込む。
この言葉を口にすれば、愛は股間だけではなく、胸の痛みにも苛まれるのを知ってるから。
代わりに…
『愛してるよ…』
と、言う言葉と同時に、唇を重ねる。
『親社(おやしろ)様、私も愛してるわ。』
愛もまた、そう言うと、一度離した唇を、また重ねて来る。
それは、かつて二人で山に出かけ、弁当を食べ終えた時にしていた、他愛ない恋愛ごっこの遊び。
唇を重ねる度に、笑顔を交わし合い、同じ言葉を繰り返すこの時…
一瞬だけ、あの時に戻れたような気持ちになる。
と…
不意に、私は、母と百合と川の字で眠りについた日々を思い出した。
百合に寝巻きを着せる事も、掛け布団をかけてやる事もできないならばと、母は、自分も全裸になって百合を抱き…
私もまた、自然に母に習って、全裸になって、一緒に百合を暖めていた。
しかし、あの時の百合も、連日、絶え間なしに、父達に貫かれる股間の痛みに眠れず、咽び泣いていた。
すると…
母は徐に百合と唇を重ねながら、甘い香りのする軟膏を、神門(みと)のワレメに塗り始めた。
『か…母様…』
暫し、濃厚に重ねた唇を離すと、丸くした目を向ける百合に、母はニッコリ笑いかけ…
『百合ちゃん、今、痛いの治してあげるからね。』
そう言うと、百合の首筋に唇を当てると、チロチロと舐めながら、舌先をゆっくり這わせていった。
『ア…アァァ…アン…アン…』
最初、身を固くしていた百合は、母の舌先が、まだ膨らみの兆しすら無い胸に近づくにつれ、次第に身体(からだ)の力を抜いていった。
『アン…アン…アァァン…』
神門(みと)のワレメに潜り込み、参道に軟膏を塗る母の指先の動きに合わせ、百合の口から、自然と声が漏れる。
『アン、アン、アン、アン、アーン…』
何処か赤子の声にも似た、愛の喘ぎ声は、母の舌先が胸の突起に近づくにつれ、次第に小刻みになってゆく。
やがて…
『アンッ、アンッ、アンッ、アーンッ、アンッ、アンッ…』
母が、小さな胸の突起を唇に含んで転がすように舐め始めると、百合は、つま先をピンと伸ばし、胸を反らせながら、一段と大きな声を漏らす。
それは先程までの苦悶の声と違って、とても安らかな声。
『百合ちゃん、気持ち良い?』
不意に、胸の突起から唇を離した母が尋ねると、百合はうっとりした眼差しを向けて、大きく頷いて見せた。
『良かった。それじゃあ、もっと気持ちよくしてあげるね。』
母は、百合の頬を撫でながら言うと、徐に百合の脚を広げさせ、それまで軟膏を塗っていた神門(みと)に、唇を近づけていった。
その時…
『親社(おやしろ)様、そこ、汚い!』
愛の、慌てて腰を引きながらあげる声に、私の追想が破られた。
私は、初めて、あの時の母と同じ事を、ずっと愛にしていた自分に気づかされた。
『汚くなんかないさ。愛ちゃんの身体(からだ)で、汚いところなど一つもない。』
『でも…でも…』
『私の母の故郷では、こうやって、幼い子を寝かしつけていたんだよ。』
『うん、知ってる。添肌(そえはだ)って言うのよね。家族みんなで、裸になって抱き合い暖め合い、最後、男の子はお母さんに穂柱と穂袋を、女の子はお父さんに神門(みと)と参道を舐めて貰って、寝かしつけられていたのよね。』
『よく、知ってるね。君は賢い子だ。』
『だって、私…私…親社(おやしろ)様の事は何でも…』
愛は、そこまで言いかけると…
『アーン…アン…アン…アン…アーーーーーン…』
神門(みと)のワレメを走る私の舌先の動きに合わせ、百合と同じ甘えるような声を漏らし始めた。
母に教わり調合した軟膏は、とても甘く、何とも言えぬ薬草の良い香りがする。
白穂の臭いが染み付いていた神門(みと)からは、芳しい花のような匂いが漂い、傷だらけで血の味がしていた参道が、今は水飴のような味がする。
人は、この薬を媚薬とも言うが…
最初は、愛の痛みを取り除く為に軟膏を塗り、効果を高める為に手順に順って舐め始めたのだが…
軟膏の香りと甘味が、少女の隠し何処の舌触りに絡まり、次第に頭の中がクラクラする。
まるで、甘い果実酒の酔いにも似て、夢と現実の境となる微睡の中…
私は、更なる香りと甘味と舌触りを求めて、気付けば、舐める事に夢中になり…
同時に…
『アーンッ!アーンッ!アンッ!アンッ!アンッ!アーーーーーーーーンッ!』
最初は尻込みしていた愛も、腰を浮かせながら、更に更に高く声をあげ、もっとして舐めて欲しいと言うように、自ら神門(みと)のワレメを突き出してくる。
やがて…
『アァァァァーーーーーンッ!』
と、一際大きな声をあげて、これ以上あがらぬ程、大きく腰を浮かしたかと思うと、金縛りにでもあったように、愛の動きが止まり…
愛の参道を弄る舌先に、それまでなかった、溢れ出る体液の味を感じた刹那…
気づけば、愛はうっとりとした笑みを浮かべながら、静かな寝息を立て始めていた。
「ねえ、美味しい?」
不意に、私の顔を覗き込む愛の声に、追想が破られた。
「ああ、とっても。」
昆布巻きを平らげた私が、次の玉子焼きに手を伸ばしながら言うと、愛は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
しかし、そのまま、私の顔をジッと見つめていた愛は、急に難しい顔になり…
「あの時塗ってくれた薬…とても危険な薬だったのよね…直接舐めながら塗る、爺じにとって…」
ボソッと言うと俯いてしまった。
「それを言うなら、愛ちゃんにとっても非常に危険な薬だったよ。調合する薬剤の中には、阿片の一種も含まれている。
一つ間違えれば、中毒症状を起こして、廃人になる。だから、一日に一回が限度だった。」
「でも、直接舌先で舐める爺じは、もっと危険だった…塗られる側は、一日に一回、決められた分量だけ塗られるなら、普通に痛いのが治るだけだけど…
塗る方は、毎日続けて使えば、身体(からだ)を悪くする…
爺じが殆ど眠れないのも、食べられないのも…
昔、お母様に内緒で、毎日、百合さんに塗ってあげていたから…
百合さんだけでなくて…
痛がって眠れない白兎や赤兎に出会っては、毎日塗ってあげていたから…
それから…」
次第に、愛の声が滲み出すと、また、在りし日の追想が甦る。
『アンッ!アンッ!アーーーーーンッ!』
毎日、母に隠れては、あの薬を塗った神門(みと)と参道を舐めると、百合は大きく腰を浮かせながら、赤子にも似た、可愛い声をあげる。
『気持ち良い?』
私が聞くと…
『うん、凄く気持ち良い。お兄ちゃん、もっとして…もっと…もっと…』
百合は、うっとりした目を向けて言いながら、更なる舌先の愛撫を求めて、股間の神門(みと)を突き出して来る。
『よしよし。でも、次で最後だぞ。』
そう言って、更に舌先の細やかに蠢かせ、愛の参道の奥まで舐めると…
『アァァァァーーーーーーーンッ!!!!』
百合は、一際、大きな声をあげると同時に、参道の奥から体液を溢れ出させ、金縛りのように動きを止め、やがて全身の力を抜かせた。
『ねえ、もっとしてえ、もっとう…』
『駄目だよ。これで、おしまいだ。』
『そんなあ、ケチん坊。お母様に言いつけちゃうぞ。』
更に強請り、聞き入れられず、口を尖らせる百合は、不意に私の顔色の変化を見て、表情を曇らせる。
『お兄ちゃん、どうしたの?』
『いや、何でもないさ。さあ、母上のところに行って、一緒に切り絵しようか。』
『うん。』
しかし…
その十数年後…
『この薬、何なの!』
拾里を預かり、初めて、母と私が百合の神門(みと)と参道に塗った薬の正体を知り、蒼白になった。
『これ、劇薬じゃない!』
『すまない…一つ間違えれば、君に中毒を起こさせ、廃人に…だから、一日にあの分量しか…』
『そんな事を言ってない!これ、塗られる方より、塗る方が、確実に身体(からだ)を蝕み、最後は発狂死するわ!
こんな薬…何故…』
私の言葉を遮るように叫ぶ百合は、そこまで言うと言葉を詰まらせ、震え出した。
『他に…方法がなかった。百合ちゃんを…あの苦痛から少しでも解放するには、他に…』
『私以外にも、これ、使ってるの?ねえ、使ってるでしょう!』
私は、答える代わりに、全身を震わせ片膝をつき、その場に椀一杯分の血を吐いた。
その頃、暗面長(あめんおさ)として派遣された社領(やしろのかなめ)では、親社(おやしろ)の末社(すえつやしろ)だけではなく、産土社(うぶすなやしろ)や氏神社(うじがみやしろ)ごとに、赤兎がいて、皆、酷い扱いを受けていた。
私は、その赤兎全てにこの薬を塗り続け、その激しい副作用に苦しめられていたのである。
『お兄ちゃん!今まで、何人の子達にこれを使ったの?ねえ、答えて!もし、十人以上の子達に、私に使ったのと同じように使っていたら、お兄ちゃんはもう…』
『良い…じゃないか…私の身体(からだ)なんて…』
『お兄ちゃん…』
『みんな…気持ち良さそうに…可愛い声をあげてたぞ…
あの子達の苦痛…ほんの少しでも取り除いてやれるなら…
こんな…こんな…汚れきった、私の命など…』
私が、激しい百合の詰問の末に答えると…
『お兄ちゃんの馬鹿!』
百合は、思い切り私の頬を叩いた。
『そんな事して…そうやって、いっつも自分の事を苛めて…それで、誰が一番傷つくと思ってるのよ!』
『百合…ちゃん…』
そして、前のめりに倒れ込む私を、思い切り抱きしめると…
『自分の命を大事にしない人なんて、大嫌い!自分を苛めて、苦しめて、命を縮めて…それで、傷つく人の気持ちも考えない人なんて、大嫌い!大嫌いよ!』
百合は、声を上げて泣き出した。
「爺じ、食べさせてあげよっか。」
私が、玉子焼きを半分齧ったところで手を止めると、愛が顔を覗き込み、ニコッと笑い…
「はい、アーン。」
私が返事をするより早く、箸と玉子焼きを取り上げて、私の口元に差し出した。
「それじゃあ、アーン。」
言われるままに玉子焼きを齧る私の脳裏に、ふと、母の声が過ぎって行く。
『良い事、この薬は劇薬…命に関わる、危険な薬なのよ。』
それは、父達に抉られた参道の痛みに泣く百合に、あの軟膏を塗ってやりたいと言った時の、返事であった。
『それでは、百合ちゃん、死んでしまうのですか?』
『百合ちゃんも危険だけど、それ以上に、塗ってあげる人が危険なの。
塗られる人は、使う量と回数を間違えなければ、命の危険はないわ。でも、塗る方は、少しずつ体内に蓄積されて、身体(からだ)を壊し、最後は死に至るのよ。』
『でも…それじゃあ、毎晩塗ってあげてる…それも、百合ちゃんだけでなくて、他の兎神子(とみこ)達にも塗ってあげてる、母上は…』
「どお?美味しい?」
愛は、私がゆっくり噛み締めた玉子焼きを飲み込むのを見つめながら、また、ニコッと笑って言った。
「うん、凄く美味しい。」
私が何気なしに答えて言うと…
「どんな…味がした?」
愛は、今度は真剣そのものな眼差しを向けて、言った。
「どんなって…」
一瞬考え込んだ後…
「愛ちゃんの味かな…」
私が言うと、愛は、一層、真剣なで、私の顔を食い入るように見つめてきた。
私は、そんな愛の眼差しを見つめ返しながら、また、あの日の百合の言葉を思い出す。
『この薬の副作用は、かなりたって初めて出るの。
最初は、徐々に眠りが浅くなり、次第に眠れなくなって…
ある日、全身の力が抜けて、思い切り血を吐いたのをきっかけに、少しずつ、胃の腑が食べ物を受け付けなくなるわ。
でも、まだ、この段階なら、元の身体(からだ)に近づける事ができる。
でもね…
何を食べても、味がしなくなってきたら、この薬は、二度と使わない事。
いつの日にか、全く味を感じなくなってしまったら、もう、手遅れよ。
五十歳まで、生きる事ができなくなる…
母様のように…』
そして…
母は、五十を前にして、数日にわたる吐血と下血を繰り返し、苦しみ死んで逝った。
幸い、私の舌先は、かなり衰えてはいるが、まだ味がする。
「愛ちゃんみたいな、柔らかな甘みがあって、ほんの少し塩気があるかな…」
一瞬、目を瞑り、先に飲み込んだ玉子焼きの味を思い返すように私が言うと…
「良かった。」
愛は、また、満面の笑みを浮かべて見せた。
そして…
もう一度、真剣な眼差しを私に向け…
「ねえ、爺じ、今度また、ご褒美をあげるね。」
「えっ?」
「爺じが、いつまでも元気でいてくれたら、また、ご褒美をあげる。」
「愛ちゃん…」
「私、ずっと、爺じの事を見てるよ。どんなに遠く行ってしまっても、どんなに離れても、ずっと…
だから、ずっと元気でいてね。
そうしたら…
元気に五十歳の誕生日を迎える事ができたら、また、ご褒美をあげるね。」
私の胸に顔を埋めた。