※この作品はR-18です。

兎神伝〜紅兎   作:和心

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(27)黄河

(27)黄河

 

和幸は、青霧島を刀掛けに置くと、また、菜穂と希美の寝顔を見つめた。

既に酔いは冷めている…

いや、厳密には、最初から酔ってなどいなかったのだ。

『頂きまちゅ、言えたよ…』

『ハーシ、ハーシ、美味ちいね…』

『我慢、我慢、お利口ね…』

『天麩羅貰った、天麩羅貰った…』

希美が、寝言を呟きながら、クスクス笑っている。

最近、以前のように夜泣きをする事も、オネショをする事もなくなった。

毎晩、どんな夢を見ているのか、いつも笑っている。

そんな希美を、菜穂が愛しそうに抱いて眠っている。

菜穂もまた、腕の中から赤ん坊が消える夢に飛び起きる事がなくなった。いつ目覚めても、必ずそこには子供の温もりと笑顔があり、決して消える事がなくなったからだ。

愛しい妻に、可愛い娘…

『お父さん!怒るなんて酷いじゃない!希美ちゃん、ちゃんといただきますも言えるようになったし、お箸で食べられるようにもなったのよ!』

『もう!何度言えばわかるのよ!希美ちゃん、身体(からだ)は十歳でも、中身はまだ三歳の子と同じなのよ!』

希美を叱る度に、食ってかかる菜穂の顔が過ぎる。

厳しい父に優しい母…

幼い頃…

こんなありふれた家族の光景に、どれ程憧れた事だろう。

特に、深い愛情に裏付けられた、厳格な父親の存在…

父が欲しかった…

ずっとずっと、父親が欲しかった。

『革命の日…』

窓を開け、遥か西の彼方を見つめて、呟いた。

和幸に故郷も故国もない。

故郷と呼ぶには、神領(かむのかなめ)は余りにも過酷であり、神領(かむのかなめ)の存在を黙認する皇国(すめらぎのくに)は、故国と呼ぶには余りにも冷酷であった。

もし、そう呼べるものがあるとすれば…

生まれて初めて、父親の温もりを教えてくれた、あの人の国…

『父さん…貴方の国にも、雪は降るのでしょうか?冷たい風が吹くのでしょうか?』

瞼に見える父の祖国に、雪もなければ冷たい風もない。

いつも朗らかな日が差し、人は皆、笑顔で田畑を耕し、漁に出かけている。

その笑顔の人々に貧富の差も身分の差も、男女の差もない…

皆、平等に働き、平等に富を享受し、平等に楽しみ歌っている。

そして、母なる黄河の大爆流…

穏やかな、それでいて何処か威厳に満ちたあの人が、豪快に笑いかけながら、自分の肩を抱いて、共に見つめている。

彼に会ったのは、まだ、一度しかない。

しかし、領外(かなめのそと)の者の潜入を一切認めない神領(かむのかなめ)に、ただ自分に会う為だけに命がけでやって来たと言う彼に、会った瞬間から、この人こそ自分の父親だと強く感じた。

『最後に一度だけ、私を父と呼んでくれないか…』

別れ際に爽快な笑みを傾けて、彼は和幸に言った。

『私には子がない。幸い、血が繋がらなくとも娘となってくれた子はいる。だが、息子を持つのが、私の生涯の夢だったのだ。』

和幸は、大きく頷き…

『父…父…父…さ…』

いざ、口にしようとすると、なかなか出てこない。

長らく夢見続けた父…

その父が、目と鼻の先にいる。

だのに、肝心の言葉が出てこないのだ。

『父…さん…』

ようやっと口に出てきた時、あの人は満面の笑みを浮かべて…

『もっと、大きな声で…大きな声で…』

『お父さん!』

和幸が声を張り上げると、あの人は思い切り抱きしめてきた。

想像していたより遥かに力強く、暖かかった。

何より、深い匂いがした。

『必ず、また来るからな。その時は、解放軍と共にやってくる。共に革命を実現させ、北の楽園にも匹敵する…いや、それ以上に美しい国を、この地に築こう。』

『はい!』

あの人と和幸は、互いに、大きく頷きあって、道を左右に別れようとした時…

『父さん…』

和幸は、もう一度振り返って、あの人を呼んだ。

『どうした、和幸。やはり、私と来てくれる気になったか?』

あの人も、もう一度振り返って、顔を輝かせた。

『いえ…』

和幸は、一瞬口ごもった後…

『革命の日が訪れたら…一緒に食事をして頂けませんか?』

『食事か。』

『はい!父さんと一緒に食事がしたい!』

『良いだろう。』

あの人は、更に顔を輝かせて言った。

『和幸、知ってるか?楽土にはな、黄河と言う大河があるんだぞ。』

『黄河?』

『海のように巨大な大河だ。地上に生きる全ての人類は、黄河の辺りで誕生した。黄河に育まれて豊かな文明を築きあげたのだ。

その黄河の辺りに小さな家を建て、小さな畑を耕し、その畑で出来たもので、料理をするんだ。

うまいぞ!楽土にはな、皇国(すめらぎのくに)では想像もつかない美味いものがたくさんあるんだ。腹一杯、二人で食おう!』

『はい!父さん!』

しかし、あの人は来なかった…

あと一歩で『革命の日』が訪れると思った日に、彼は来ず…

多くの仲間達が…

『何かの間違いが起きたのですよね…父さんは僕を裏切らない…

この次は…

この次こそは、

必ず、楽土の解放軍を率いて、迎えに来てくれるんだ…

兎神子(とみこ)達皆を解放し、この地を北の楽園以上の楽園にして下さるんだ…

ユカ姉さんと里一さんは晴れて夫婦になれる。アッちゃんはヒデと、茜ちゃんはマサと、みんな幸せに暮らせる。

愛ちゃんも聖領(ひじりのかなめ)に渡さずに済む。愛ちゃんが産んだ子も、見ず知らずの人に渡さずに済む。

何より…』

和幸は、スッと寝床に戻ると、菜穂と希美の頭を交互に撫でてやった。

二人ともよく眠っている。

『父さん…あの日、夢にまで見た父さんが出来て最高に嬉しかった僕が、今は父親になったのですよ。

父さんに見せたい…

僕の妻と娘を…

抱いて欲しい、父さんの孫娘を…

僕の父さん…

僕の妻…

僕の娘…

僕の家族…

みんなで暮らすんだ…

黄河の辺りで、小さな畑を耕しながら、みんなで暮らすんだ。』

心の中で呟きながら、希美と菜穂の頭を交互に何度も撫で回す和幸の脳裏に、また、同じ光景が過って行った。

息を呑むほど激しい大爆流…

全人類を生み出したと言う、凄まじいまでの大爆流…

母なる黄河の流れに圧倒される和幸達家族三人を、たった一度だけ会い、父と呼んだあの人の豪快な笑顔…

いつまでも消える事なく、過ぎり続けた。

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