※この作品はR-18です。

兎神伝〜紅兎   作:和心

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(2)掛声

(2)掛声

 

社(やしろ)裏手の片隅に、小さな祠がある。何を祀る為に建てられたか、誰も知らない。

社の伝承にも、何も記されてはいない。

そもそも…

この祠の存在自体忘れ去られ、殆ど知るものはいないのだ。

前の宮司と神職(みしき)達も、知らなかった。いや、何となく目にはしていたかも知れないが、強いて誰も関心を寄せなかったのかも知れない。

白兎達も、祠の事を知らなかった。

知っているのは、黒兎達だけである。

彼らは、この祠を、目明祠(めあかしほこら)と呼んでいた。

そこは、紅兎達の会合場所であり、同盟紅軍を介して、他の社領(やしろのかなめ)の紅兎達と連絡を取り合う場所でもあった。

目明祠の名の由来は、神領(かむのかなめ)で最初に結成され、全紅兎の盟主でもある、鱶背社領(ふかせのやしろのかなめ)の黒兎達が、特別に目明組と名乗っていた事にある。

鱶背社領(ふかせつやしろのかなめ)は、総社(ふかせのやしろ)のある鱶腹社領(ふかはらのやしろのかなめ)の喉元に位置する所から、来る革命の日には、鱶背社領(ふかせのやしろのかなめ)の紅兎達が先鋒を務める事になっていた。その日には、最初に、その目で明からかな世界を見る…と、言う意味から、彼らは自らを目明組と名乗っていたのである。

紅兎達が、会合を開く際には、必ず目明組の誰かが訪れ加わる事になっていた。神領(かむのかなめ)の者達は、領外(かなめのそと)に出る事が禁じられているだけではなく、許可なく社領外(やしろのかなめのそと)に出る事も認められない。自然、紅兎が他領(よそつかなめ)の紅兎達と接触する事もまずなく、同盟紅軍を介して連絡を取り合う相手は、殆ど、目明組である。故に目明組と連絡を取り合い、会合を開く場所と言う意味で、目明祠と呼ばれているのである。

和幸は、目明祠の前に立つと、懐から何やら取り出し、憂に満ちた眼差しで見つめた。

一見、硬貨のようにも見えるが、周囲を剃刀の如く鋭利に研いだ手裏剣であった。

『平次…』

あの日も、雪深い冬の昼下がりであった。

和幸が、祠に近づくと、左後方より風を切る音…

懐より抜き放つ鉄扇を開き、振り向き様、飛んできたものを叩き落とした。

足元には、硬貨を象る手裏剣…

銭型手裏剣が、数枚落ちていた。

更に右前方…

続けて真後ろ…

風を切って、投げ放たれる銭型手裏剣を、鉄扇で払い落とした。

和幸は、呼吸を整えながら、四方に意識を傾けた。

次の刹那…

遥か真上の枝影に向けて、小型の鉄扇を投げ放った。

勢い良く孤を描いて飛ぶ鉄扇は、金属音に弾き返された。

和幸が、弧を描いて戻る鉄扇を手に取ると同時に、上空より、両手に二振りの十手を逆手に構え、紅い兎の面をつけた少年が、舞い降りてきた。

少年は、先端を鋭く尖らせた十手を、和幸の首筋目掛けて振り翳した。

和幸は、すかさず鉄扇でかわすと、少年は横向きにクルクル回転しながら、着地と同時に、更に銭形手裏剣を投げつけた。

『銭形の平次、腕を上げたな。』

和幸が鉄扇で銭形手裏剣を叩き落とすと、平次と呼ばれた男は、紅い兎の面をとって、ニッと笑った。

『油断したな、和幸!後ろをとったぞ!』

平次が声をあげると同時に、後ろから投げ放たれた鎖が、和幸を捉えた。

『それは、どうかな?』

和幸は、動じぬ眼差しを向けて言った。

すると…

『ウッ!』

和幸の背後を取った筈の、黒い紋付を着た、紅い兎の面の少年が、呻き声を漏らした。

何処からともなく投げ放たれた数本の釣り糸が、首と両手足首を捉えたからである。

『黒紋蝶の伝七!おめえの相手は俺だ!』

草叢から姿を現した貴之が、ニンマリ笑って言うと、伝七と呼ばれた少年は、決断早く和幸の首を捉えた鎖を捨て、蝶の如き身のこなしでクルクル回って貴之と向き合った。

貴之は、一層にやけながら、未だ伝七の首と両手首を捉える釣り糸を引く。

伝七は、敢えて抗う事をせず、まっすぐ向かって行った。

貴之は、すかさず背中の釣り竿を取るや、伝七に振りかざした。

伝七は、またも蝶の如く舞うように釣竿を交わしながら、平次と同じ先の尖った二振りの十手を構え、突きを連打してきた。

貴之も又、先の伝七同様、用をなさなくなった釣り糸を決断早く捨てると、右に左に交わした。

そして…

二人揃って、近くの川の辺りまで来た時…

『貰った!』

叫びざま、貴之は、素早く抜きはなった釣竿の仕込の切っ先を、伝七の首筋に突きつけた。

『甘いな?』

伝七は、紅い兎の面を取ると、人形のように美しい顔に満面の笑みを浮かべた。

次の瞬間…

川の中から、一本の手が生えたと思う間も無く、貴之の足がすくわれた。

『人魚の佐七か!』

叫ぶと同時に、引きずり込まれた貴之を、又も、紅い兎の面をつけた別の少年が、二人と同じ二振りの十手を抜いて、襲い掛かってきた。

漁師の家に生まれた貴之は、泳ぎを何よりも得意とする。しかし、魚の如く泳ぐこの男には敵わない。

『勝負あったな。』

『貴之では、佐七には、泳ぎでかなうまい。』

平次と伝七が口々に言うと…

『そう思うか?』

和幸は、相変わらず動じぬ眼差しで川面を見つめながら言った。

『鱶見本社(ふかみのもとつやしろ)には、あと二人紅兎がいる。』

『あと二人…』

『秀行と政樹か…』

平次と伝七が言うなり振り向くと、貴之と佐七が組み合う近くの川面から、身の丈六尺五寸の巨漢が姿を現した。

背中一面に山桜の刺繍を施した紅の羽織、額から頬にかけて鋭い刃の傷…

秀行は、異様に鋭い眼差しを川面に向け、両手の指をポキポキと鳴らすや…

ズブッ!と、音をさせて、その手を水中に突っ込み、何かを掴んで、空高く放り投げた。

『陸の上では、俺の方が数段上だぜ。』

川辺に着地するや、再び釣竿を構えて貴之が言うと…

『我らには、もう一人いる事を忘れてもらっては困る。』

佐七が言うなり、貴之は突然後ろから何者かに組み伏せ胸ぐらを掴まれるや、気合の声と共に放り投げられた。

『てめえは、コマ形の新五!』

貴之が叫ぶより早く、新五と呼ばれた少年は、更に貴之の胸ぐらを掴んで、コマの如く転がした。

新五は、立ち上がる暇も与えず、もう一度、貴之の胸ぐらを掴もうとした…

その時…

『コマ形の新五!俺が相手だ!』

叫び声と共に、政樹が横から飛び蹴りを放ってきた。

新五は、すかさず交わすや、二振りの十手を抜いてかまえた。

政樹も、六角形の匕首を抜き、鞘と組み合わせて手槍にして構えた。

『そこまでだ!』

声をあげたのは、平次であった。

『いつもながら、お見事!』

平次は、両手を大きく広げて拍手しながら言った。

『何の…君達こそ、前にも増して腕を上げたではないか。素直に言う。このままやり合えば、我らが勝てた自信は全くない。』

和幸が、動じぬ眼差しを向けて、淡々と言うと…

『その割に、随分と冷静な顔をしてるではないか。この勝負、間違いなく我らの負け。さすがは、あの鋭太郎を倒した和幸一党…目明組も形無しだな。』

平次は、ニッと笑った。

『ところで、平次。奥平さんから、特別の話しがあると呼び出されたが…目明組の頭目自らやってくるとは、一体、何事だ?』

『いよいよ、決行の時が来た。』

『決行…革命のか?』

『そうだ。来月、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)の神職(みしき)達は、聖領(ひじりのかなめ)の神職(みしき)達と、一乃摂社(いちのせっつやしろ)にて、密貿易の利権配分を巡る重大な会合を行う。そこを襲撃し、出席者全員皆殺しにする。その足を駆って、本社(もとつやしろ)を攻め込み占拠。これを合図に、これまで、我らの手で抹殺された神職(みしき)どもになりすます、楽土の間者達が一斉蜂起。合わせて、我ら紅兎、同盟紅軍、社開道(しゃかいとう)が、一斉に革命の狼煙を挙げる事になっている。

あとは、楽土の解放軍がやって来るのを待つだけだ。』

『遂に、その日が訪れたのか。だが、そんな重大な事、我らに話しても良いのか?

周知の如く、例の一件で、同盟紅軍より破門同然の身だ。』

和幸が訝しげに首を傾げて尋ねると…

『和幸君、貴方の力が必要なのよ。』

後ろから、懐かしい女の声が聞こえてきた。

『姉さん!』

振り向けば、そこには、同盟紅軍首領、軽信房江(かるのぶふさえ)が立っていた。

『既に楽土の解放軍が出撃の準備を整えて、待っているわ。お父様もね。』

『父さんも来てくださるのですか!』

『ええ。和幸君に会える日、共に黄河の辺りで暮らし、一緒に食事できる日を待ちわびてらっしゃるわ。』

日頃、動じたそぶりを見せる事のない和幸が、目を輝かせて言うと、軽信房江は大きく頷いて見せた。

和幸の脳裏には、あの言葉が再び蘇った。

『最後に、一度だけ、私を父さんと呼んでくれないか。』

『息子を持つのが、夢だった…』

『楽土には、美味いものがいっぱいあるんだぞ。』

『黄河の辺りで一緒に暮らそう…』

だが…

楽土工作員の一斉蜂起もなければ、革命の狼煙も上がらなかった…

楽土の解放軍もやっては来なかった。

勿論、周恩来(チョーエンライ)も…

訪れたのは、思いもかけぬ裏切りによる、目明組の壊滅だけであった。

『父さん、何故…』

和幸が、掌の銭形手裏剣を憂いの眼差しで見つめながら心の中で呟いた時…

鈴の音色…

風をきって、何かが、和幸めがけて投げ放たれた。

和幸は、自分の首をめがけて飛んできたものを、その手に捉えた。

『組紐…』

大型の鈴を分銅にして飛んできたそれは、色鮮やかな組紐であった。

更に、新たな鈴の音と風を切る音が、和幸を狙う。

和幸が、最初の組紐を掴んだまま、その腕を掲げると、手首を別の組紐が捉えた。

更に、立て続けて、鈴の音と風を切る音が、和幸を狙う。

和幸は、もう片方の腕を掲げると、数本の組紐が、その腕を捉えた。

和幸の両腕の袖裾から、一本ずつ小さな鉄扇が飛び出し、開いて軽く翳すなり、両腕に巻きついた組紐を切り裂いた。

更に、何処からとなく、組紐が投げ放たれ、和幸の首を狙う。

和幸は、軽く鉄扇で組紐を切り裂くと、その鉄扇を、組紐の投げ放たれた方角に投げつけた。

何者かが、鉄扇を交わして草叢に飛び込み、更に組紐を投げ放った。

和幸は、軽く組紐を手に掴むと、訝し気な眼差しを向けて、飛んで来た草叢の方を見つめる。

静寂…

サワサワと風を靡かす風の音だけが、何かを告げている。

更に沈黙…

和幸は、静かな辺りを見回し、ある一点に目線を止めると…

不意に、握りしめた組紐を投げ捨てるなり、背後の木陰に向けて、小型の鉄扇を投げつけた。

弧を描いて飛ぶ鉄扇は、鋭い音を立てて、大木の幹に突き刺さった。

木陰から、素早く草叢に飛び込む人影…

次の刹那…

和幸は、懐から片手に一本ずつ二本の鉄扇を取り…

遥か頭上の枝から舞い降り、振りかざされる苦無(くない)を払いのけると、クルクルと空を横転する竜也が、しゃがみこむように着地した。

「リュウ、なんの真似だ?」

和幸が静かに言うと….

「今日こそ、おいらを紅兎に加えてくれ。」

竜也は、体制を整え苦無を身構えながら、左手を懐の組紐に伸ばした。

「その腕では、無理だ。」

和幸が言うと…

「何だと!」

叫び様、竜也は、ハッと目を見開いた。

背後から、何者かに手槍の切っ先を喉元に突きつけられていた。

「マサ兄…」

「リュウ、まだ、そんな寝言をほざいているのか?」

「関係ねえ!おいらは、カズ兄と話してる!放っておいてくれ!」

「馬鹿野郎!」

政樹は、竜也をその場に引き倒すと、思い切りぶん殴った。

「おめえ、ユキ姉を血で汚した手で抱くつもりか!」

「それを言うなら、マサ兄だって…」

竜也は、殴られた頬を撫で回しながら、食ってかかった。

「茜姉を抱く手で、何十人殺してきたんだ!」

「リュウ!」

「思いは同じだ!おいらも、ユキ姉達や愛ちゃんを守りてえ!」

竜也は言いながら、目に腕を押し当てて啜り泣きだした。

「おいら、もう嫌だ!ユキ姉達が、毎日好きでもねえ男達に抱かれるのを見るのも、できた子を他所にやられて泣くのをみるのも…

まして…

愛ちゃんが、今までよりもっと辛え目にあわされる聖領(ひじりのかなめ)に連れて行かれるのも、見たくねえ!」

「リュウ、おめえは、人を殺すと言う事が、どう言う事かわかっているのか?」

政樹は、手槍を握りしめた自身の手を見つめながら、声を震わせて言った。

見れば、その手も震えている。

「一人でも殺せば、この手はベットリ血に濡れる。どんなに洗っても、洗っても、落ちねえんだよ。

そうして、また、新たに殺せば、更に血に濡れて、気づけば、身体(からだ)中、血塗れになってるんだ。

そんな手で、あの子を抱く時の気持ちなど、想像もつかねえだろう。

何も知らねえ、あの子を…

俺を誰よりも優しい男だと思って、無邪気に甘えるあの子を…

俺は、おめえに、そんな思いさせたくねえ。」

政樹が言い終えた時…

「リュウ君!リュウ君!何処!何処にいるの!ねえ、リュウ君!」

何処からともなく、雪絵の声が聞こえてきた。

「ねえ!リュウ君ってばー!何処に行っちゃったのよー!ねえー!戻ってきて!お願い!お願いだから!」

その声は、涙に滲んでいた。

いつも姉貴面して、特に竜也の前では偉そうに振舞ってる同じ少女とは思えぬ程、幼子の泣き声にも似た声で、呼ばわり続けていた。

「嫌よ!嫌!嫌!リュウ君!私のリュウ君!いなくなっちゃ、嫌!戻ってきてよ!リュウ君!私のリュウ君!私の坊やーーーー!」

やがて、その声は激しい号泣に変わっていった。

「坊やか…」

和幸は呟くと、冷酷とも言える無表情さが消え、普段、皆に見せている、気品に満ちた笑みを浮かべた。

「リュウ、行ってやれ。」

「カズ兄…」

「そうだよ、リュウ。おめえに殺しは似合わなねえ…」

竜也が、固く目を瞑り、苦無(くない)を握り締める手を震わせると、政樹も優しげな笑みを浮かべて言った。

「ユキ姉は、おめえを、恋人としてだけでなく、弟のように…

おめえが、此処に来る直前に、取り上げられた、赤子のように思ってる。優しくしてやれ。

それも、男として立派な戦いだ。」

政樹が言い終えると、竜也は手に握る苦無を懐にしまい、雪絵の声に向かって駆け出して行った。

「マサ、君も紅兎を抜けろ。」

やがて、竜也の姿が見えなくなると、和幸は政樹の肩に手を乗せて言った。

「えっ!何だって…」

政樹は、思わず目を見開いて、和幸を見つめ返した。

「殺した血の感触が落とせない、消えないか…

おまえにも殺しは似合わない。

ヒデも、死んだタカも言っていた。君は優しすぎるとね。」

「カズ兄…」

「僕達はね、もう、何人殺しても、血の感触すら感じなくなってしまってるんだよ。殺した直後に、ナッちゃんやアケちゃん、希美ちゃんを抱く事に、何の違和感も感じなくなってしまっている。

そうなる前に、抜けろ。」

その時…

「ポヤポヤ~、マサ兄ちゃん、何処行ったポニョ~。」

今度は、雪絵の声とは別の方角から、茜の声が聞こえてきた。

「罰当番の厠掃除、私にだけ押し付けるなんて、あんまりだポニョ~。お菓子作るお手手が臭くなるポニョ~。」

こちらは、雪絵の声とはうってかわって、まるで悲壮感のない、間の抜けた声であった。

政樹の事を信じ切ってるのか、何と言うのか…

「早く罰当番片付けて、お菓子作るんだポニョ~。」

はたで聞いていると、余りの間抜けさに、笑ってしまいそうである。

「さあ、君も行ってやると良い。また、君達の新作楽しみにしてるよ。後で、ユカ姉にお仕置きされるのを見るのもね。」

和幸が、軽く口元を綻ばせて言うと、政樹もニッと笑って、手槍を懐にしまい込んで、その場を去って行った。

「あいつらには、殺しは似合わぬと言い、私には共に戦えか…

君も忙しい男だな。」

「それは、貴方が大嫌いだからです。爺じ…」

和幸は、不意にかけられた声に、振り向きもせず答えた。

「なるほど…」

私は、小さく頷きながら、木々の狭間から見える彼方の光景に目を留めた。

「リュウ君…リュウ君…何処行っちゃったの…私の坊や…」

雪絵は、しゃがみこんで、目を擦りながら、嗚咽していた。

「大丈夫でごじゃるよ、大丈夫…リュウ君、すぐに戻るでごじゃるよ。」

朱理が、背中を撫でながら、一生懸命宥めていたが…

「坊や…坊や…私の坊や…」

雪絵は、いつしか、眠っている間に、腕の中から連れ去られてしまった、赤子の事を思い出しながら、一層、いやいやを続けていた。

「あー!リュウ君でごじゃる!」

ふと、後ろを振り向く朱理が言うと…

「リュウ君!」

雪絵は、さっきまで大泣きしていたのが嘘のように、満面の笑みで立ち上がった。

「ユキ姉!」

竜也は、両手を広げて待ち構える雪絵の胸に駆け込むと、雪絵は思い切り抱きしめた。

「もう!何処に行ってたのよ!」

「社(やしろ)の裏手の森に来たら、道に迷っちまったんだ!この森、道がやたら入り組んでいてややこしいんだもん!心細かったよ、ユキ姉!」

竜也は、雪絵の胸に顔を埋めると、今にも泣きださんばかりに言った。

「全く…リュウ君って、幾つになっても、私がいないとどーしてこーなの?だから、側を離れちゃいけないって言ってるじゃない。」

雪絵は、竜也を抱きしめ、幼い子をあやすように、頬擦りしたり、頭を撫で撫でした。

「そうで、ごじゃるよ。リュウ君がいてあげないと、ユキ姉、すぐに泣くでごじゃるよ。」

朱理も、鼻の下を指先で擦りながら、竜也を撫で撫でして言った。

「まあ!アケちゃん、何言ってるの!私、泣いて何かいないわよ!」

雪絵が、顔を上げて、怒ったように言うと…

「泣いてたでごじゃる。リュウ君がいない!リュウ君がいなくなっちゃった!お願い、戻ってきてー!って、泣いてたでごじゃる。」

普段、茜と二人して弄られ、からかわれている雪絵に、ここぞとばかり仕返ししようと、手振り身振りに真似ながら、朱理はケラケラ笑って言った。

「私、泣いてない!」

雪絵は、益々ムキになって言い…

「泣いたでごじゃる、泣いたでごじゃる。」

朱理は、益々面白がって言い…

「泣かない!」

「泣いたでごじゃる。」

「泣いてないったら、泣いてない!」

「泣いたでごじゃるったら、泣いたでごじゃる!」

次第に、二人の間に穏やかざる雰囲気が漂い出し、間で竜也が困った顔になり出した時…

「もう!あんた達、また喧嘩!ダメじゃない!」

突っ慳貪な声が聞こえてきた。

「アッちゃん!」

「亜美姉ちゃん!」

振り向くと、希美の乗る兎型の箱車を押す亜美が、睨みつけていた。

「喧嘩、ダメない!」

箱車の希美も、亜美の顔を真似て、睨みつけた。

「本当、喧嘩ばっかりするんなら、一緒に遊ばないからね!」

続けて、赤子を抱いた愛がやってきて、やはり睨みつけて言った。

と、希美がまた…

「一緒、遊ばないからね!」

今度は、愛の真似をして、睨んで言った。

雪絵と朱理は、忽ちしょんぼり俯いた。

漸くホッとした顔の竜也は…

「ところで、ナッちゃんは?」

あたりをキョロキョロしながら尋ねた。

「穂供(そなえ)よ。」

亜美が、何処か投げやりな物言いで答えた。

「穂供(そなえ)…」

竜也は呟くと、もの悲しげに目を曇らせた。

「さあさ、リュウ兄ちゃんも見つかった事ですし…」

愛は、竜也の眼差しを見て何かを察すると、気分を変えるように言い…

「みんなで、羽子板の押絵を描きましょう。」

皆に向かって、満面の笑みを浮かべて、十八番の片目瞬きをして見せた。

「描きまちょ。」

希美も言いながら、愛を真似して片目瞬きをしようとして、うまくできず、両目をパチパチしだすと、皆クスクスと笑いだし…

まだ、何か物憂げな顔をしていた竜也も釣られて笑い出した。

「さあ、ナッちゃんが戻ってくるまで、いっぱい描こう。」

雪絵が言えば…

「でも、ナッちゃんが描く分の羽子板、残すでごじゃるよ。」

朱理が言い…

つい先刻、希美の取りっこで喧嘩した事など忘れてしまったように、和気藹々と去って行った。

「カズ君。君の私を嫌う思いと、あの子達を愛する思い、どちらが強いのかね。」

私は、いつの間にか、隣に並んで、竜也達の姿を見つめていた和幸に尋ねた。

「もし、あの子達を愛する気持ちの方が強いなら、リュウ君もマサ君も、紅兎から手を引かせるのは簡単な話だ。君が、革命から手を引けば良い。」

和幸は、何も答えず、同じ方角をジッと見つめ続けていた。

そこには、もう、竜也達はいない。

「もう、革命の事は忘れろ。夢だったのだよ。

その夢も、もう終わった。あの夜にな。」

「僕には、まだ、夢は終わっていません。終わらせる事が出来ません…」

「周恩来(チョーエンライ)か?」

「父さんの事もあります。でも、それ以上に…」

和幸は、静かに目を瞑って暫し沈黙したのち、また口を開いた。

「僕の耳から、平次の声が消えないのです。」

「平次君…」

和幸は、また、懐から銭形手裏剣を取り出すと、目明祠に目を向けた。

『俺は、北の楽園に行く!誰もが同じ豊かさと幸福を分かち合う夢の楽園に行く!

知ってるか?そこではな、女の子も子供達も、チョゴリと言う可愛い着物を着て、毎日、楽しそうに歌ったり、踊って暮らしてるんだ。上手いものを山程食ってな。

北の楽園に言ったら、コトちゃんはもう、裸で暮らさなくて良くなる。日がな一日、男達の玩具にされずに済む。』

脳裏には、あの日、平次が熱く語り聴かせた時の輝くような眼差しが浮かんでくる。

『北の楽園に行ったら、コトちゃんにチョゴリを着せてやるんだ。』

和幸は、今も耳の奥底に響き続ける、平次の希望に満ちた声に聴き入りながら、いつまでも、掌の銭形手裏剣を見つめ続けた。

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