(4)犠牲
『これは、誰かと思ったら、コトちゃんじゃないか!』
大仰な声が聞こえてきた。
『まるで、お姫様みたいだね!ちゃんと見なかったら、わからなかったぞ!』
声の主が言うと、琴絵は嬉しそうにニコニコ笑って、その胸に飛び込もうとした。
しかし…
『痛いっ!』
琴絵は、駆け出そうとした瞬間、股間を抑えて疼くまった。
『どうした、コトちゃん!大丈夫か!』
大仰な声の主は、急ぎ駆け寄ると、琴絵を抱き抱えた。
『奥平さん!コトちゃんは、今日も町の男達に…』
伝七が、涙交じりの声で言うと…
『そうか、そうか、可哀想に…本当に可哀想にな…』
声の主…
奥平剛三も、声を涙に滲ませて言いながら、琴絵を抱きしめた。
『奥平さん!』
『あなた!』
和幸、平次、軽信の三人が、同時に声を上げると、祠を駆け出して行った。
『やあ!和幸君に平次君、元気だったか?』
奥平は、琴絵を抱き上げながら、これ以上ないほど陽気な笑みを浮かべた。
『それにしても、コトちゃんはべっぴんさんだ!平次君、こんな美女を、将来嫁さんに貰えるなんて、幸せ者にも程があるぞ!』
奥平が言うと、琴絵ははにかむような笑みを浮かべ、平次は…
『何の!奥平さんこそ、軽信さんと言う美しい連れ合いがいらっしゃるではありませんか!』
と、明るい笑顔でかえした。
『何の何の!コトちゃんに比べたら、うちの女房など…どうだい?君がそんなにうちの女房を気に入ってるなら、コトちゃんとうちの女房を取り替えないか?』
奥平が、一層、琴絵を強く抱きしめ頬擦りしながら言うと…
『なんだって!あなた!』
軽信が、鬼の形相をして見せた。
『嘘だ!冗談だ!おまえが一番美しい!俺は、おまえ一筋だ!』
奥平が、軽信に尻を抓られ、悲鳴声をあげると、忽ち、爆笑の渦に包まれた。
『和幸君、君には、すまない事をしたね。』
一頻り、軽信との痴話喧嘩が治ると、奥平はすかさず和幸の肩を叩きながら、神妙な顔して言った。
『美香ちゃんを助けてやれなかったばかりか、君達まで、総括されるところだった。申し訳ない事をした。』
『そんな…勝手な真似した挙句、奥平さんには、ご迷惑をかけてしまって、僕こそ、申し訳ない事をしたと思ってます。』
『何を言ってるのよ、和幸君。あなたが、眞悟達を始末したのは当然じゃない。むしろ、愛する子を残酷に殺した体制側に報復する。これこそ、革命の精神…あなたは、私達、同盟紅軍の鏡よ。
そんな、革命烈士を、もう少しで総括されそうになったなんて…今、思い出しても、鳥肌が立つわ。』
軽信は、和幸の肩を抱いて言うと…
『その通りだ!カズ、貴様は一つも悪くない!』
『憎むべきは、ジャイアント派の連中だ!人民解放の革命精神を忘れやがって!』
『総括だ!革命の前に、奴らこそ血祭りに上げろ!』
伝七、佐七、新五は、口々に叫んだ。
『待て!』
それまで、陽気に話していた奥平は、険しい表情をして叫んだ。
『革命決行を目前に控えた今、内輪揉めをしてる時ではないぞ!』
しかし、目明組達は、収まるどころか更に激昂した。
『でも!森脛夫達に煮え湯を呑まされたのは、カズ達だけじゃないぞ!他の
伝七が叫べば…
『美香ちゃんの一件だけじゃない!残忍な仕打ちに苦しむ白兎や赤兎達の救いを求める声を、どれだけ黙殺されてきたか!目の前で死に追いやられる白兎や赤兎達を救う事が許されず、どれ程、血の涙を呑まされてきたか!』
佐七が涙を滲ませ…
『俺達は、美香ちゃんのような子達を救う為に、紅兎になった!数多の
新五は、遂に感極まって嗚咽を漏らした。
『わかる!わかるぞ!』
奥平が、大きく頷く傍で、軽信も涙に濡れる目頭を押さえていた。
『だがな…』
奥平が、腕に抱く琴絵を下ろして、更に何か言いかけた時…
『ウッ!』
琴絵は、思わず股間を抑え、呻き声を上げながら蹲った。
『コトちゃん!』
平次が、急ぎ駆け寄った。
『革命に多少の犠牲はやむを得ない…』
平次は、琴絵を抱きしめながら、ボソリと呟いた。
『七つの時から、この子が連日受け続ける陵辱の数々を訴え、救いを求めた時、森脛夫はそう言って、全く取り合ってくれなかった。
大小の用を足す度に血が混じり、少し触れるだけで激痛が走り、立つのも歩くのも苦痛な程、傷を負っている。そんなこの子が、明日も明後日も、その先も、延々と弄ばれ続けなければならない…
拒めば、凄惨な仕置が待っている…
救いを求め、黙殺され続けてきた白兎や赤兎達は、皆、同じ苦しみを、今日、この瞬間も受け続けている。
美香ちゃんは死んだ。この子も、このまま行けば遠からず死ぬだろう。森脛夫に見殺しにされた赤兎達も殆ど、十二を待たずに死ぬだろう。仮に生き延びたとしても、子を産まねば異国の戦場に売られ、子を成せば、
これが、多少の犠牲なのか?革命とは、こんな犠牲を必要とするものなのか?
俺は、この子達の痛みや苦しみを、多少の犠牲などと言われる為に、多くの命を奪ってきたのか…
もし、そうだと言うなら…
森脛夫…ジャイアント派…いや、彼等を容認する同盟紅軍も、楽土も、
怒りとも悲しみともつかぬ声を震わせながら、平次が言い終えると、目明組達は皆、いつしか号泣していた。
和幸は泣かなかった。一滴の涙も流さなかった。
むしろ、それまで、軽信や奥平に見せていた、懐こい笑みが消えると、能面のように無表情になった。
或いは…
彼が、親しい者達に見せる笑顔は作り物で、この表情が本当の彼の顔なのかも知れない。
ただ…
悲しみとも怒りともつかぬ異様な眼差しだけは、青白い炎の如く爛々と燃え上がっているように見えた。
すると…
『すまなかった!』
平次の話を黙って聞き入っていた奥平は、突然、その場に両手膝をついて、平伏した。
『奥平さん!』
『何をされるのですか!』
慌てふためく目明組達の前で、更に更に、額を地面に擦り付けて見せた。
『いや、今はこうするしかない!させてくれ!
お前達、辛かったな!苦しかったな!美香ちゃんやコトちゃん…数多の赤兎や白兎達の痛みや苦しみもさることながら、それを目の前に、何もできぬお前達の気持ち、如何許りか…
同じ男として、愛する者達の辛酸を目の前にする気持ち…
それが、房枝だったらと思うと…俺と房枝の間にできた娘だったらと思うと、俺は…』
奥平は、そう言うなり、更に顔を深く伏せて号泣し始めた。
側では、軽信が、感極まったように目に両手をあてて泣き出した。
『奥平さん!お手を上げてください!
俺の言い方が悪かった!貴方が悪くない事は、よくわかってます!わかってますとも!』
平次も共に泣きながら、慌てて奥平の手を取って言うと…
『そうですとも!悪いのは森脛夫率いるジャイアント派の連中です!奥平さん達、
『お願いです!お手を上げてください!』
『奥平さん!』
伝七、佐七、新五達も、次々と奥平の手を取って言った。
『お前達…』
奥平は、目明組達の手を握りしめ、更にもう一頻り泣いた後…
『だが…
コトちゃん達の痛みも苦しみも、もう終わりだ。
来月、革命は決行される!』
奥平が、サッと右手を上げると…
『オーッ!』
目明組達は、一斉に声を上げた。