(8)邂逅
彼等は、私が何を話しても目を輝かせ、喜び聞き入っていた。
最初に話して聞かせたのは、愛と切り絵を描きに山に出かけた時の話であった。
私が、途中で何度も立ち往生し、早く弁当を食べたがった時…
『もう!これだから、子供を連れてくるのは嫌なのよ!』
と、愛が怒った話をして聞かせると…
『本当、名無しさんは子供だなー。』
『で、結局、お弁当にしてくれたの?』
『何、名無しさん、それで、愛ちゃんのお弁当まで食っちまったんかい!』
『愛ちゃんは、大人だー。』
そんな事を言いながら、皆、一斉に爆笑した。
和幸を巡って、一時、朱理が菜穂にゴネた時期があった事。結局、菜穂の提案で、二人一緒に、和幸の恋人になった話をすれば…
『カズの奴、あんな真面目な顔して、案外、女誑しなんだな。』
『智子さんって素敵な恋人がいて、みんなで羨ましがってたのに…』
『別れた途端に、二人も恋人作るなんて…』
『俺は、智子さんと別れただけでも許せんぞ、男として…』
『まあまあ、男と女は色々だから…』
『それにしても、一度に二人も女作るとは、羨ましい…ではなくて、けしからん奴だ、ウンウン…』
と、ニヤニヤ笑って聞き入っていた。
最も…
和幸に憧れてるように、智子にも憧れていた平次は、菜穂と朱理の話をしてる間中、押し黙っていた。
平次としては、智子と別れた事にも納得行かなければ、時置かずして二人も新しい恋人を作った事にも納得できなかったようだ。
政樹と竜也が、
『何、アイツ、そんなしょうのない事をするのか!』
『俺達には、なーんか大人ぶった事を言うのにな。』
『そーんなガキだったとは知らなかった。』
と、笑い出し…
太郎を思い切り引っ叩いたその足をかって、愛が、政樹と竜也を並べて、たっぷり絞り上げた話を聞かせれば…
『やっぱり、愛ちゃんは大人だなー。』
『しっかりもんだー。』
『そんな子を嫁さんにしたら…』
『まあ、おまえは間違いなく座布団にされるだろう。名無しさんのようにな。』
そんな事を言い合い、まだ見ぬ愛に、仄かな思いを寄せ始めた。
政樹と茜が、食事を作る材料で勝手にお菓子を作っては、由香里にぶん殴られる話をすれば…
『由香里さん、本当におっかねえからなー。』
『一度だけ、タカが朱理ちゃんを泣かしたとか泣かさないとか言って、えらく怒られてるところを遠目に見た事があるけど…本当、怖かった。』
『でも、亜美さんに比べれば、まだ優しい方だろう…』
と、何故か、話が亜美に移っていった。
『君達、アッちゃんの事を知ってるのか?』
私が、驚いて聞き返すと…
『知ってるも何も…タカの奴、亜美に殴られたとか言って、年中、頭にたん瘤こしらえてたもんな。』
『そうそう…まだ、十四だってのに、三つも歳上の…それも、あのタカの奴を、ぶっ太い薪木で嫌って程殴るんだから…桑原、桑原…』
と、ブルブル首を振って見せた。
『でも、何だって、タカの奴、いつも亜美さんに殴られてるんだ?』
『亜美さんが怖い話は聞かせてくるけど…理由を聞くと、いつも口を濁すもんな。』
首を傾げる、伝七と佐七に、発育が遅く、身体が実年齢より三歳以上も幼い早苗に手をつけるからだと説明してやると…
『そいつはけしからん!』
と、信五が声をあげ…
『全くだ!コトちゃんの事、いつも可哀想がってくれて、良い奴だと思ってたけど…今度会ったら、亜美さんに殴られるまでもない!俺がぶん殴ってやる!』
と、平次が鼻息荒く言うと、一同、腕を組んで、ウンウンと頷いた。
私は、そこで、
しかし…
皆が何よりも喜んで聞き入ったのは、
男の子も女の子もなく、隠砦と名付けられた風呂場で素っ裸になり、湯に浸かりながら、皆で立てた数々の遊びの計画に、皆、目を星のように輝かせた。
そして、その遊びの計画を立てる時。計画を実行する時。隠砦で育まれた幼い恋を、皆で結ばせようとする時。いつも、皆の中心に、愛がいる事を聞くと、いつしか、愛に対する思いは、仄かなものから本格的なものに変わっていった。
皆、愛に心底憧れを抱くようになった。
声を揃えて、愛に会ってみたいと言い始めた。
そこで…
『会いに来れば良いじゃないか。いつだっておいで。君達が来てくれるなら、私はいつだって歓迎するよ。
愛ちゃんも、太郎君も、うちの子達も、みんなすぐに仲良しになってくれるよ。』
私が言うと、皆、忽ち悲しげに首をうな垂れた。
急に、これから革命の戦いに身を投じ、これまでにない殺し合いが始まる事を思い出したのだ。
私もまた、激しい胸の痛みを思い出しつつ、また、話を続けた。
やがて…
たまたま、太郎率いる神饌組がそこに行き合わせ、虐めっ子達と大喧嘩になった話になると、皆、手に汗握り、興奮しながら聞き入った。
喧嘩は、太郎達の大勝利に終わった話をすると、皆、手を叩いて大喜びした。
『良いな…
話を聞き終えると、平次は、しみじみと言った。
『本当にあった話だよ。カズ君にでも、タカ君にでも、マサ君にでも聞いてみると良い。全部、本当の話だから。』
『
『
神饌組は、元々は、
『まるで…まるで、北の楽園みたいな話だ。』
『楽園は、海を越えた遠い北の彼方にだけあるんじゃない。今、ここにもあるんだよ。
子供達の中だけじゃない。大人の世界にも、少しずつ芽生え始めている。』
『
一層、目を光り輝かせる平次に、私は大きく頷いて見せた。
平次と話しながら、私は、大きな思い違いをしていたと思った。固定概念で、彼らを見過ぎていたと思った。
彼らに、特権階級、上流階級、
それだけの理由で、その人達を見る事もなければ、憎み恨む心もなかった。
素直だった…
無邪気だった…
彼らを最も虐げ、搾取してる筈の、
再会した当初は、かつての役名である
そして、皆、どんな話も夢中になって聞き入ったのである。
『ジュンも、シン君も、忠相も…みんな、本気で、君達の事を考えているよ。一日も早く、君達の境遇を良くしたいと願ってる。』
『わかってますよ、いつも、カズに聞かされてますから。何より、名無しさんのような方がいらっしゃる。』
『私は…』
『子供達の中心には、いつも愛ちゃんが立っているように、
『いや、私は何もしてないさ。しているのは…』
『純一郎さんと、忠相さん。二人は真っ向から意見が分かれ、対立してるとも聞いてます。
お二人とも、赤兎を無くしたいと思われてる事では一致してる。でも、神饌共食祭そのものは、純一郎さんは、神聖な祭祀だから存続するべきだとお考えになられ、忠相さんは、風紀と人心を乱すから廃止するべきとお考えになられてる。
そのお二人を、上手く取り持ち、まとめてらっしゃるのが、名無しさんでしょう。』
済んだ眼差しと眩しいばかりの笑顔を向けて言う平次に、しばし、言葉を失った後…
『平次君、革命が全てではないと思わないか?』
私は、思い切って言った。
『思いますとも。』
平次は、これまた、あっさり答えて言った。
『ならば…思い切って、革命から手を引いてみないか?違う道を、一緒に考えてみないか?君達の手を、これ以上、血で汚したくない。』
私が、唇を震わせて言うと…
『時間が、ないんですよ。』
平次は、笑みを崩す事なく…それでいて、何処か悲しげに言った。
『コトちゃんの
この前も、御祭神から一晩中血が止まらなくて、泣きじゃくってました。
それでも、翌日には絶え間ない
このままでは、十二までに子を産むどころか、あと一年もしないうちに死ぬでしょう。』
私は一言も返せなかった。
今更ながらに、彼らには革命しかないのだと言う飯伍の言葉が思い出された。
そして…
私と紅兎達との話が終わった後…
『名無しさん、一緒に来て頂けませんか?』
平次は、人気のないところに私を呼び出した。
そこには、可愛いチマチョゴリを着た琴絵が一人俯いて立っていた。
『名無しさん…ですか?』
琴絵は、私の顔を見上げると、静かに尋ねた。
『君は?』
『琴絵です…』
『ああ、君が琴絵ちゃん。はじめまして、カズ君からよく聞いているよ。平次君の恋人なんだってね。噂通り、可愛い子だ。』
私が言うと、琴絵は恥ずかしそうに俯いて笑った。
『コトちゃんが、愛ちゃんの話を聞いて、どうしてもお見せしたいものがあるそうです。』
平次は、硬く目を瞑り、顔を背けるようにして言った。
『見せたいもの?』
『コトちゃん…』
平次が顔を背けたまま促すと、琴絵は意を決したように大きく頷くや、徐にチマとチョゴリを脱ぎ出した。
『コトちゃん、何を…』
琴絵は全裸になると、近くの岩石に腰掛け、大きく脚を広げて見せ…
『ようこそ、ご参拝下さいました。どうぞ、参道をお通り下さい…』
言いながら、指先で
『ウグッ…』
私は思わず顔を背けて蹲ると、吐き出しそうになった。
『目を背けないでください、名無しさん。』
それまで顔を背けていた平次は、意を決したように目を見開いて私と琴絵の方を向いて言った。
『目を背けず、コトちゃんを見てやって下さい。それが、あと三月後の愛ちゃんの姿です。』
私は、恐る恐る目を開き、琴絵の方を向いた。
琴絵は、私の顔をジッと見つめながら、指先で開いた
『参道は、こちらに開かれております。さあ、どうぞ…』
言いながら、琴絵は差し込んだ指で、参道を掻き回し始めた。
『ウゥゥッ!』
琴絵は、目にいっぱい涙を溜め、呻き声を上げた。
『やめろ!』
私が思わずその手を抑えようとすると、琴絵は先に私の手を取って、掻き回していた参道に導いた。
『さあ、どうぞ…』
琴絵は、涙目で私を見つめながら言った。
私は琴絵の参道に目を留め、思わず手を引っ込めようとする。
何と無残な…
この前、遠目に見てはいたが…
改めて間近に見ると、思わず目を覆わずにはいられなかった。
琴絵の
『やめろ…やめるんだ…やめてくれ…』
琴絵は、震えて首を振りたてる私の手を、構わず慣れた手つきで参道に触れさせた。
『イッ!』
少し触れただけで火がついたような痛みが走るのであろう。
私の指先が、熱を持った参道の感触に触れた途端、琴絵が葉を食い縛って腰を浮かせた。
『革命が起きず、
来る日も来る日も…
傷を治す間も与えられず、参道が血塗れになっても、容赦なく抉り掻き回され続けます。
それが…
名無しさんと毎日山に遠足に行き、名無しさんにお弁当を作り、自分のお弁当まで名無しさんの口に運んだ、愛ちゃんの明日の姿です。』
平次の声は震えていた。
平次の目からは涙を溢れさせていた。
琴絵は、相変わらず私の手を血の滲んで来そうな参道に擦りつけて、呻いていた。
『やめるんだ…やめろ…もうやめてくれ!』
私が思わず声を上げた時…
『お願いです!』
琴絵は、私の腕に齧りつくと…
『愛ちゃんを赤兎にしないで下さい!私みたいな目に合わせないで下さい!
愛ちゃんを…愛ちゃんに…愛ちゃんだけは…お願いします!お願いします!』
血を吐くような声を上げて、泣きながら哀願した。
そして…
『痛い…』
琴絵は立ち上がろうとした瞬間、不意に股間を押さえて蹲った。
『痛い…痛い…平次兄ちゃん、痛いよう。』
『コトちゃん!よしよし…よく頑張った…よく頑張った…』
平次は琴絵の側に駆け寄り、その肩を抱くと、一緒に泣き出した。
琴絵と一緒に泣きながら…
『名無しさん…俺からもお願いします。どうか…どうか…愛ちゃんを、コトちゃんのような目に遭わせないで下さい…こんな目に…こんな目に…愛ちゃんを…お願いします…』
いつまでも、いつまでも、私に哀願し続けた。
翌日の別れ際…
『やはり、革命から手を引く事はできんのか?』
私は、もう一度、平次に尋ねた。
『私は、最後の一日まで、愛ちゃんの皮剥を阻止する為に…愛ちゃんを赤兎になどさせぬよう、戦うつもりだ。私は私のやり方で…
琴絵ちゃんの事も、できる限りの事をする。約束する。』
『うちの
『
すると、平次は悲しげな笑みを浮かべて、大きくかぶりを振った。
『だめか?私が、
『それができるくらいなら…名無しさんが口添えして下さらなくても、うちの
でも、できなかった…できないばかりか…』
『知っている。
『はい。いざとなれば…強くなろうと思われれば、強くなられる。
だから、
『何だと…あの、
思わず言葉を失う私に、平次は真っ直ぐな目線を向けて言葉を続けた。
『
その生き残り達も同心となられ…
俺達が決起するのと同時に、彼らも立ち上がる手筈となっています。』
『馬鹿な…』
『もし、俺達が手を引き、革命が潰えれば、彼らは皆殺しにされ、彼らの娘達は、河原者の慰みとされるか、祠兎や赤兎にされるでしょう。
最早、俺達には手を引く事ができないのですよ。』
全て言い終えると、平次は、紅い兎の仮面を私に差し出した。
『これは?』
私が尋ねると…
『我等紅兎の同心の証しです。』
『私にくれると言うのか?』
『勿論です!昨日は一日、俺達と同じ飯を食い、俺達と腹を割って語り合って頂きました。
名無しさんは、もう立派な俺達の同心、兄弟…紅兎の一員ですから!』
平次は、澄み切った眼差しを私に傾けて言った。
そして…
『名無しさん、俺達と一緒に、来てくれますよね。
できれば、純一郎さん、忠相さん、進次郎さんにも来て欲しい。皆が、俺達の同心になって下されば、必ず革命は成功します。
だから、俺達と一緒に来て欲しい。俺達の同心になって欲しい。
お待ちしてますよ。』
眩しいばかりの笑顔を残し、私の前を去って行った。