※この作品はR-18です。

兎神伝〜紅兎   作:和心

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(2)忌子

(2)忌子

 

前天冠をつけ、雅な模様の袿に緋袴の少女…

志津は、拔巫女(ぬいみこ)である。

拔巫女(ぬいみこ)とは、神職(みしき)の家から拔幣(ぬいへい)され、神楽を舞い、祭祀の補佐を務める少女達であるが…

実際のところ…

氏神神職(うじがみみしき)や、同じ産土神職(うぶすなみしき)でも某系下級の家を出自とする彼女達の役割は、兎神子(とみこ)と余り変わらない。

連日、玉串を捧げる男達と穂供(そなえ)をし、子を成すのが、本当の役割である。

ただ、兎神子(とみこ)と違うのは、穂供(そなえ)する相手は、和邇雨一族…それも、産土神職(うぶすなみしき)の家の者に限られていた。

また、穂供(そなえ)で産まれた赤子は、兎神子(とみこ)達の子は天領(あめのかなめ)の権力・経済層に里子に出されるのに対し、拔巫女(ぬいみこ)達の子は、子の無い和邇雨一族の家に里子に出される点も、大きく異なる。

とは言え…

実質…

欲情する男達の玩具である事に変わりない。

むしろ…

兎神子(とみこ)達は、産まれた家の貧しさや不幸な境遇から、下層の領民(かなめのたみ)から同情されたり、逆に、神領(かむのかなめ)を支える神聖な神子(みこ)として敬われる事もある。

特に、領民(かなめのたみ)の罪を一身に背負って、過酷な日々を強いられる赤兎を、上町(かみつまち)の人々からは穢れていると蔑まれる一方、中町(なかつまち)や下町(しもつまち)の人々からは、生神(いきがみ)として崇敬の対象にされる事もあった。

引き換え、出自の低さと貧しさから、身売り同然に社(やしろ)に拔幣された拔巫女(ぬいみこ)達は、和邇雨一族や上町(うえつまち)に暮らす上流の領民(かなめのたみ)達からは、兎神子(とみこ)達同様に、売女と蔑まれ…

中町(なかつまち)や下町(しもつまち)の人々からは、自分達を搾取する和邇雨一族の者として憎まれ、同時に、神職(みしき)の家に産まれながら、身売りして暮らす事から、露骨に蔑まれていた。

煌びやかな額当てを被る、藤色の水干に緋袴の少女…

富子は、祝姫(ほりひめ)である。

祝姫(ほりひめ)とは、一言で言えば、神職(みしき)の側女である。

本来、神職(みしき)は妻帯しない事を原則とされていた。神祇(みかみ)に使え、神祇(みかみ)と一体となる神職(みしき)の身体(からだ)は、神祇(みかみ)以外の何者にも触れさせてはならないとされていた。

故に、穂供(そなえ)にて、女に触れさせる事も固く禁じられていたのである。

最も、それは建前であり、常に禁欲を保つ事で、唯一、神聖なる祭祀の一つとみなされ認められている、共食祭や田打による兎神子(とみこ)との穂供(そなえ)に身を入れやすくしておく事が、本当の主旨ではあったのだが…

いずれにせよ、神職(みしき)は妻帯した時点で、神祇官(みかみのつかさ)としての職階を解かれ、軍事を司る神軍官(みくさのつかさ)か、行政を司る神政官(みまつりのつかさ)の官位(つかさのくらい)に就く事になっていた。

それが、時代の変遷と共に、殆どの神職(みしき)達は、女を側に置くようになった。

かつて、神祇(みかみ)に祈る事を祝(ほう)ると言った事から、神職(みしき)を輩出する一族を祝部(ほりべ)、神職(みしき)を輩出した一門を祝人(ほりと)、神職(みしき)として神幣(みへい)された子を祝彦(ほりひこ)と読んでいた。

しかし、神領(かむのかなめ)では、そもそも神職(みしき)を輩出する一族一門は和邇雨一族一門しか存在しない為、祝部(ほりべ)と祝人(ほりと)の呼称は喪失。

祝彦(ほりひこ)の呼称のみ、神職(みしき)の総称として残り、祝彦(ほりひこ)に侍る女を祝姫(ほりひめ)と呼ぶようになった。

後に、宮司(みやつかさ)や禰宜(ねぎ)など、上級の神職(みしき)が置かれると、祝彦(ほりひこ)は中・下級の神職(みしき)を意味する呼称となったが、神職(みしき)に侍る女達は、依然として、祝姫(ほりひめ)と総称されている。

そして…

射干玉の垂髪を肩で切り揃え、薄紅の水干に行燈緋袴の少女…

環奈は、宿姫(すくひめ)である。

祝姫(ほりひめ)は、神職(みしき)の妻女ではなく、神職(みしき)と一体となった神祇(みかみ)の妻女と看做されている。

故に、祝姫(ほりひめ)は巫女ではなく、女にして神職(みしき)、産む子は神祇(みかみ)との間に成した宿神(すくみ)とされ、男児は宿彦(すくひこ)、女児は祝姫(すくひめ)と呼ばれ、神聖な存在とされている。

しかし、現実には、神職(みしき)に捧げられる祝姫(ほりひめ)は、出世や利権を目的とした人身御供であり、宿姫(すくひめ)は、良くて政治の道具、悪くすれば、ただの玩具であった。

和邇雨一族の家に産まれた姫君は、物心ついた頃から、田起(たおこし)と呼ばれる、良家に嫁ぎ、神職(みしき)に祝幣(ほうへい)される為の躾を受ける。

躾けるのは、母親や乳母達ではなく、父や兄をはじめとする、親類縁者の男達であった。

その内容も、行儀作法などではなく、穂供(そなえ)で男達を喜ばせる方法であった。

そうして、穂供(そなえ)に長け、美しく成長した姫君は、利害関係にある良家に嫁ぐか、神職(みしき)に祝幣される事になる。

何て事はない。

幼い頃は親類縁者の玩具にされ、成長すれば、一家が立身繁栄する為の人身御供にされるだけの話である。

それは、祝姫(ほりひめ)が祝幣された神職(みしき)との間に産み落とす宿姫(すくひめ)も同じであった。

それでも、祝姫(ほりひめ)は祝幣された神職(みしき)の寵愛を得ているうちは、自身も産んだ宿神(すくみ)も、神祇(みかみ)の妻子としての崇敬を受けられる。また、産んだ宿彦(すくひこ)が官位(つかさのくらい)に就くか、宿姫(すくひめ)が良家に嫁げば、斎后(いつきみ)もしくは斎妃(いつきさき)、斎女(いつきめ)と呼ばれ、終生、女神職(めみしき)として敬われ続ける。勿論、然るべき官位(つかさのくらい)に就いた宿彦(すくひこ)や、良家に嫁いだ宿姫(すくひめ)も、自身や嫁ぎ先が失脚しない限り、その地位の者としての栄耀栄華を謳歌する事ができる。

しかし…

宿神(すくみ)を成さず、あるいは成した宿彦(すくひこ)を官位(つかさのくらい)に就かせ、宿姫(すくひめ)を良家に嫁がせる事のできぬまま、祝幣された神職(みしき)に死なれるか、寵を失った祝姫(ほりひめ)は、社(やしろ)を放逐される。

放逐された祝姫(ほりひめ)に生き場はなく、河原者と呼ばれる賎民になるしかなかった。

一家親類達からは、用済み役立たずな厄介者とされ、領民(かなめのたみ)達からは、自分達を搾取する憎むべき和邇雨一族の者として、誰からも受け入れられなかったからである。

官位(つかさのくらい)に就けなかった宿彦(すくひこ)は犬神人(いぬじにん)、良家に嫁げなかった宿姫(すくひめ)は猿女(さるめ)と言う、一応、神職(みしき)としての地位が与えられていた。

しかし、その地位は、神職(みしき)の中でも最下級であり、奴婢にも等しい処遇であった。

彼等は、境内に住む事を許されず、山中の社(やしろ)に連なる坂道沿いに住まわされていた事から、坂者と呼ばれている。

環奈の母親は、環奈を産んで程なく神職(みしき)の寵を失い、社(やしろ)を放逐された祝姫(ほりひめ)であった。

当然、環奈も坂者に落とされるか、或いは母に連れられ、共に放逐される筈であった。

ところが、祖父である淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、殊の外、孫娘を寵愛していた事から、特別に宿姫(すくひめ)として引き取られる事になった。

最も…

それが、幸福であったかどうかはわからない。

環奈が同じ宿姫(すくひめ)でも、特殊な存在である事は、衣装を見れば一目瞭然であった。

薄紅色の水干も、行燈緋袴も、煤けた薄生地で、布越しに中身がはっきり見てとれた。

しかも、水干の下には白衣どころか襦袢すら身につけず、行燈緋袴の下には、裾除けどころか腰巻もつけてなかった。

要するに、一応、着物らしきものを身につけてはいるが、実質、全裸にも等しい格好である。

それは、環奈が忌子(いむこ)である事を証していた。

忌子(いむこ)とは、親子や兄妹姉弟、血縁親族の間に産まれた子を言う。

彼等は、生まれながらに不浄の罪を負ったとされている。

神領(かむのかなめ)では、不浄の罪を負った者は身体(からだ)を覆い隠す事を禁忌とされている。

着物を脱ぎ捨てる事で、不浄の罪を拭い、身体(からだ)を露にする事で、穢れを清められるとされているからである。

社領(やしろのかなめ)の罪を一身に背負う赤兎が、絶えず全裸にさせられているのも、その為であり…

忌子(いむこ)もまた、同じ理由から、生涯に亘り身体(からだ)を覆い隠す事を禁じられていた。

しかし…

環奈の場合、出生時に起きた最高神職である宮司(みやつかさ)一門の不祥事の事実を抹消する必要と…

一応、宮司(みやつかさ)の孫娘であり、神聖なる宿姫(すくひめ)であると言う建前から、このような格好をさせられているのである。

和邇雨一族が、実の娘や妹に田起を施すのは、御祭神が目覚めるまでである。

御祭神が目覚めた後も、娘や妹に田起を施す場合、参道の中で白穂を放つ事はせず、子を成す事を避けるのが原則であった。

しかし、それでも、成してしまう時は成してしまうものである。

環奈もまた、母である真弓が、実の父親である淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)をはじめ、兄や叔父と言った数多の親族達から、絶え間ない田起(たおこし)を受け続ける中で生を受けた。

真弓は十一歳の時、田起(たおこし)の最中に、御祭神が目覚めた。

その時流した血を、激しく穂柱を貫かれて流した血と勘違いされ、その後も、絶え間なく参道に白穂を注ぎ込まれ続けた。

結果…

真弓は、やはり、激しい田起(たおこし)の最中に嘔吐して、子を成している事が発覚した。

環奈の父親が誰なのかは、わからない。

連日、実の父親である淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の他、兄や叔父と言った数多の親族達が、交代で真弓の御祭神に白穂を注ぎ込み続けていたからである。

ただ、真弓が最初の悪阻を起こしたのは、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、真弓の御祭神に白穂を放った時であった。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、これをもって、真弓は自身の白穂で孕んだと信じ込んだ。しかも、実の娘を孕ませた事を恥じるどころか、七十を超えて尚、子を孕ませる事ができたと誇り、歓喜したのである。

真弓は、環奈を産んで程なく命を落とした。

社領(やしろのかなめ)でも屈指の性豪と知られた親族達による、物心ついて間もない頃からの絶え間ない田起(たおこし)は苛烈を極め、子を成すどころか、この歳まで生きていたのが不思議な程、真弓の身体(からだ)はぼろぼろになっていた。

その上、実の父親との穂供(そなえ)中に発覚した妊娠と、周囲から忌子(いむこ)を宿した畜腹(ちくつはら)と蔑まれた事への深い傷心、環奈の難産が、真弓の衰弱を加速させ、遂に命をも尽かせたのである。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の一門、戸塚和邇雨家(とづかのわにさめのいえ)は、真弓が親族による田起(たおこし)で、忌子(いむこ)を産んで死んだ事を恥じ、闇に葬る事にした。

真弓は、子を成す前に、縁者の神職(みしき)に祝幣(ほうへい)されて祝姫(ほりひめ)となり、不祥事を起こして放逐された事にした。

当然、環奈も共に放逐された事にして、闇に葬る筈であった。

しかし、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、頑なに環奈を闇に葬る事を認めず、自分が引き取ると言って譲らなかった。

その為、環奈の出生の経緯は全て隠された上、境内裏の奥深くに建てられた裏屋敷で、ひっそり育てられる事になったのである。

 

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