※この作品はR-18です。

兎神伝〜紅兎   作:和心

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(6)環奈

(6)環奈

 

崇儀会(たかきのりのえ)は、いつ終わるとも知れず、延々と続けられていた。

三官(みつのつかさ)…

即ち、祭祀・司法を司る神祇官(みかみのつさか)に属する神職(みしき)、立法・行政を司る神祭官(みまつりのつかさ)に属する神使(みさき)、軍事・治安を司る神軍官(みくさのつかさ)に属する神漏(みもろ)が一同に介して合議する祭祀…

雛壇上段席に並ぶ神主(みぬし)と呼ばれる最高位の神職(みしき)達と、雛壇下段先に並ぶ神代(みしろ)と呼ばれる神主(みぬし)に次ぐ高位の神職(みしき)達の見下ろす元…

左右院座席に並ぶ、神卿(みくげ)と呼ばれる高位の神使(みさき)達が中央に進み出て発議奏聞し…

下座席に並ぶ、神将(みはた)と呼ばれる、高位の神漏(みもろ)達が伏して拝聴し、賛否所見を求められる時を待つ。

神職(みしき)でありながら、神祇(みかみ)を信じぬ淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、若き頃より、数多ある祭祀の殆どは、権威を演出する為の茶番に過ぎないと思い続けていた。

神領(かむのかなめ)で最も重視される、兎神子(とみこ)に穂供(そなえ)する共食祭ですら、権威・体制の維持と財源を確保する為の茶番だと、内心嗤っていた。

そんな中…

唯一…

社領(やしろのかなめ)の行く末を現実に左右する、崇儀会(あがめののりのえ)だけは、心底重要な祭祀だと信じて疑わなかった。

予め、決められた神使(みさき)達が、決められた発議奏聞をする。

神代(みしろ)達は、奏聞内容を儀式的に協議してまとめあげ、神主(みぬし)達に伝奏。

神主(みぬし)達は、伝奏内容を儀式的に吟味した後、高御座の宮司(みやつかさ)に上奏。

宮司(みやつかさ)は、上奏内容について、儀式的に下座の神漏(みもろ)達に所見賛否を下問する。

神将(みはた)達は、宮司(みやつかさ)の下問に対し、儀式的に決められた通りの奉答をし…

最後、神代(みしろ)筆頭である大祝(おおほり)が、表決宣告をし、参列者一同は賛否の意思表明を行う。

合議の形を執りはしているが…

全ては、予め決められた通りに勧められ…

決められた事に異論を挟む者はいない。

もし、一言でも異論を挟めば、即刻それは社領(やしろのかなめ)に対する背反と見做され、処断される。

奏聞・協議・伝奏・吟味・上奏・下問・奉答・表決…

全ては、絶大的な独裁体制を敷いていた、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が一人考え取り決めていた。

どのように厳かに祈ってみたところで、何も変わらない…

どれだけ兎神子(とみこ)を抱かせ、仔兎神(ことみ)を孕ませたところで、何も動かない…

それは…

たった一度の戦闘で、何もかもが灰塵と化してしまった先の大戦を目の前に、痛い程知らしめられた。

全てを変え、全てを動かし、全てを決めるのは…

一才の異論反論の介在を許さぬ、強大にして絶対的な権力の行使のみ…

その権力の行使を、厳かに具現化する崇儀会(たかきのりのえ)のみが、唯一、現実的に、社領(やしろのかなめ)、神領(かむのかなめ)の明日を担う重要不可欠なる祭祀…

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の、それは揺るがざる信条・信念であった。

しかし…

いつの頃からであろう…

『では、次…

在津一郎使主鱶背中納言永栄(ざいつのいちろうのおみふかせのなかのものもうすつかさながひで)、前に出でよ。』

雛壇下段席より、睦夫大祝(むつおのおおほり)が呼ばわると、また一人、前に進み出て恭しく拝礼し、奏聞書を掲げ挙げた。

『一郎使主(いちろうのおみ)、謹んで奏聞奉り候う…』

感情の無い声が、奏聞を朗々と読み上げる中…

虚しさばかりが、胸の中を去来する…

先に読み上げられ、表決を終えた発議奏聞もそうであったが…

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、読み上げられる奏聞文の内容は、今の今まで誰からも知らされず、初めて耳にするものであった。

おそらくまた、息子である睦夫大祝(むつおのおおほり)が考えたものか、或いは前もって聞かされ、承諾したものであろう。

嘗てであれば、あり得ない事であった。

大道の妨げとなる巌を退ける事すら、淀卓宮司(よどすぐるのみやつか)が命じるか、承認しなければ、発案発議すらできない事であった。

例えそれが、弟である井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)や、息子である睦夫大祝(むつおのおおほり)であっても例外ではなかった。

それが、環奈の誕生で全てが変わった。

親族の手による田起(たおこし)で、末娘の真弓が忌子(いむこ)を孕んだ…

それだけでも、不祥事であった。

娘の御祭神が既に目覚めている事に気づかないのも不祥事ならば、目覚めた娘の御祭神に自身と親族とで白穂を捧げ続けた事も不祥事…

まして、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)自らの穂供(そなえ)中に、的当てが発覚した事は、不祥事中の不祥事であった。

戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)は、一門総意で、この不祥事を闇に葬る事に取り決めた。

同じ事は以前にも、起きていた。

そもそも、近親親族の手による的当ては禁忌などと言っても、実の娘を親族ぐるみで田起(たおこし)するのが日常的な神領(かむのかなめ)である。

和邇雨一族の娘が忌子(いむこ)を孕むなど、日常茶飯事であった。

殆ど表沙汰にならないのは、生まれる前に始末するか、生まれてすぐ、籍を抹消し、河原者として追放してしまうからである。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の最初の娘の洋子が、やはり、田起(たおこし)により、誤って産まれてきた忌子(いむこ)は、河原者として追放された。

冷徹に、そう取り決めたのは、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)自身であった。

今回も、当然、同じように取り計らう筈であった。

しかし…

今回に限って、淀卓宮司(よどすぐるのみやつか)は、猛烈に反対した。

七十を過ぎ、男としての機能などとっくに失せていると思っていた自分が、思いもかけず、御祭神の的を当てた事に感動した。

失いかけていた自信を取り戻せもした。

同時に…

自分の白穂で宿された命に、深い感情を抱いてしまった。

これまで、数えきれない程の祝姫(ほりひめ)の御祭神に的を当て続けてきた淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)である。

子供や孫に、何ら感情など抱いた事は一度もなかった。

そもそも、自身が的を当てて生まれてきた子供の多くは、名前も顔も忘れ去り、孫に至っては、存在すら知らない者が少なくなかった。

最初の娘の洋子も、政略や血を残す為の道具に過ぎず…

睦夫大祝(むつおのおおほり)に対しても、何ら感情を抱いた事はない。

世継ぎと定めたのも、愛しさからではない。

最初の男子を世継ぎとする事が、神領(かむのかなめ)の慣例であるから…

大祝(おおほり)に定めたのも、信頼していたからではない。

代々、宮司(みやつかさ)の長子を就かせる事が、神領(かむのかなめ)の定めであるから…

それだけの事であった。

それが、環奈に対してだけは、何故か生まれる前から深い感情を抱いてしまったのである。

この感情に気づいたのは、真弓の御祭神に的当てられた事が発覚してかなり日が過ぎた時の事。

実の父親である淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に参道を貫かれてる最中…

『アッ…アッ…アッ…』

あの日も、朝から父をはじめとする、親族達に絶え間なく参道を貫かれ、御祭神に白穂を注がれ続けられ…

首を振り立て、苦悶に顔を歪ませ、声を漏らす真弓は…

『アァァァァーッ…』

何十度目かの絶頂を迎えた実の父の生暖かな白穂が、御祭神に降り注がれ、一際、大きな声をあげようとした刹那…

『ウグッ!』

と、噴水のように嘔吐物を吹き上げさせた。

『何と…』

『しくじりおったな!』

周囲から響めきが上がる中…

『この戯け者が!忌子(いむこ)を孕みおって!』

『申し訳ありません!申し訳ありません!』

未だ止まらぬ嘔吐に苦しむ真弓を、蒼白になった井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)は、何度も激しく殴打し…

『申し訳ないですむと思うか!血族の子を孕む畜腹め!』

声を上げて蹴り上げ、踏みつけようとした時…

『やめよ!』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、すかさず井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)を突き飛ばし、真弓を抱き上げるなり、自室に籠った。

それから程なく…

『何だ、これは?』

寝台の上で真弓を抱きしめる淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の前に、大椀一杯の薬湯を持って、井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)がやってきた。

『決まっておりましょう。忌子(いむこ)をお返しするのです。』

『何じゃと?』

『真弓の御祭神的当てが発覚したのが、田起(たおこし)の最中であったのは、不幸中の幸い。

洋子の時は、孕んでかなりの月日が経ち、腹もだいぶ膨れてから…で、ございましたからな。

さあ、真弓、飲め!』

井均権宮司(いきんのごんのみやつかさ)は、そう言うなり、未だ事の成り行きに怯えて震える真弓の口をこじ開けて、薬湯を飲ませようとした。

だが…

『勝手な真似はよせ!わしが許さん!』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、すかさず薬湯の大椀を払い除けた。

『何をなされる!不祥事で孕んだ忌子(いむこ)は、密かに始末する事は、神領(かむのかなめ)の慣い!洋子の時は、兄上ご自身が、そのようにお決めあそばされたではございませぬか!』

今度は、井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)が声を荒げて食ってかかると…

『出てゆけ…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、太刀掛の太刀を取って抜き放ち…

『出てゆくのじゃ!』

と、切先を井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)に突きつけ、追い返した。

それから、籠城するように、部屋に篭る淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、全裸になって、肉親の子を孕む娘の真弓を抱きしめて過ごした。

贖えぬ身内の罪を背負った娘は、着物を着る事が許されない。

忌子(いむこ)を孕んだ日から、真弓も腰巻き一枚身につける事を許されず、全裸で過ごさせられた。

何と言う事はない。

しきたりに託け、妊婦の身体(からだ)を冷やし、望まれぬ子を流そうと言うだけの意図である。

ならば…

と、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)も着物を脱ぎ捨て、真弓を抱き、自らの肌で暖め続けた。

『どうだ?温いか?』

『はい、お父様…』

『そうか…さあ、食うが良い。』

その日も、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、腕に抱いて粥を勧めながら、次第に膨れる真弓の腹を撫で回して過ごした。

すると…

『お父様…』

真弓は、粥を啜りながら、遠慮がちに淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の顔を見上げた。

『何じゃ?』

『お父様は、その…私が生まれる時も、そのようにお母様のお腹を撫でて過ごされたのですか?』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、不意に問われて、思わず無言で真弓の顔を見返した。

『あ…あの…その…』

真弓は、忽ち顔を俯かせると、唇を噛み締めた。

これまで、来る日も来る日も、剥ぎ取るように着物を脱がされては、激しく田起(たおこし)し続けてきた父である。

父との楽しい思い出など何一つない。

父の記憶と言えば、全裸の自分の手を押さえつけ、脚を押し拡げて、股間を貫いてくるか…

他の親族達に身体(からだ)を開かせるか…

或いは、穂供(そなえ)の最中、抗った、泣いた、叫んだ、痛がったと言っては、凄まじく仕置きされ…

恥ずかしい…

辛い…

痛い…

怖い…

それが、実の父との記憶の全てであった。

その父に、今、何を尋ねているのだろう…

そんな戸惑いに、目を泳がせている真弓の顔を見つめ、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)もまた、答えに窮した。

真弓が産まれる前の記憶など何もない。

真弓の母の名も顔も覚えていない。

ただ、機械的に穂供(そなえ)をしていた祝姫(ほりひめ)が子を宿し、真弓が産まれた…

それだけの事であった。

微かな記憶に残っているのは、物心ついた真弓を、無理やり母の腕から引き離し、田起(たおこし)を始めた時の事。

『嫌っ!嫌っ!お母様!お母様!助けて!助けて!嫌ーーーーーっ!!!!』

『えぇぇーぃっ!!!大人しくせぬか!』

泣いて暴れる真弓の頬を何度も叩き、貼り倒すと、着物を剥ぎ取り、引き連れた親族達に、小さな手足を押さえつけさせた。

『お許し下さい!後生です!後生です!真弓は…真弓は…まだ、四つになったばかりです!お願いにございます!』

側では、真弓の母が、押さえつける神漏兵(みもろのつわもの)達の腕の中で、必死に踠き暴れるながら、娘以上に声をあげて泣き叫んでいた。

『脚を拡げさせろ。』

真弓を押さえつける親族達が、無感情な声に命ぜられるままに、小さな脚を無理やり押し拡げる。

その間には、白桃色した縦一本線の小さな神門(みと)のワレメが走る。

『嫌っ…嫌っ…やめて…やめて…』

真弓は、ざらついた実の父親の指先に、すべすべとした神門(みと)周辺を撫でられると、か弱く首を振り立て、しゃくりあげた。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、娘の啜り泣く声も、真弓の母親の必死に許しを乞う声も全く耳に入らず、更に小さく真っさらな股間を撫で回した。

そして…

『やめて…やめて…やめ…』

父親の指先を必死に逃れようとする真弓の太腿を、片方の手で鷲掴み…

もう片方の手の指先で、硬く閉ざされた神門を拡げると、まだ、穂柱などとても挿らぬ真弓の参道に、指を捻り込み掻き回し始めた。

『ヒィッ!ヒィッ!ヒィッ!キャーーーーーーーーーーーーッ!!!!』

『真弓っ!真弓っ!』

『痛い!痛い!痛い!お母様!お母様!痛い!痛い!痛いよーーーーーーっ!!!!』

『真弓ーーーーーーっ!!!!!!』

痛がり転げ回って泣き叫ぶ真弓と交差するように、延々と部屋中に響きわたる、真弓の母親の絶叫する声…

覚えていると言えば、それだけであった。

しかし…

『うむ…お前が母の腹の中にいた時も、こうして腹の中のおまえを撫でながら、産まれて来るのを待っていた…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、暫し瞑目した目を見開くと、厳しい表情を崩さぬまま、呟くように言った。

『本当でございますか?』

『本当じゃ。腹の中でちゃんと生きておるのか、育っておるのかわからんほど、余り動かぬ大人しい子じゃった。もう、死んでおるのじゃないかと、随分心配させられたものじゃ。』

『まあ…』

『比べて、この子の元気の良い事…わしの手をいつも蹴り返しおって…きっと、お転婆な子じゃぞ。』

『お転婆って…男の子かも知れませぬ…』

『いや、女の子じゃ。これまで、数え切れぬ程、女が孕み、子を産むのを見てきたわしには、ようわかる。

きっと、おまえによう似た、美しい子じゃ。』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)がそう言って、また、真弓の腹を撫で始めると…

『お父様…』

漸く顔を上げる真弓は、頬を赤く染め、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の胸に顔を埋めた。

温い…

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、思わず真弓を抱きしめながら、しみじみと思った。

何て温い…

何て…

何て…

愛しいと言う言葉が、脳裏をかすめる事は、結局なかった。

かすめようにも、愛しいと言う言葉も、意味も、わからぬままに、七十まで生きてしまったのである。

それでも、この時初めて抱いた、言葉に表せぬ感情は、とても温かく、心地よいものであった。

忌む子を孕んだ娘と部屋に立て篭もる間…

社(やしろ)の情勢は、目まぐるしく変わっていった。

それまで、絶大的な独裁権力を握り続けてきた宮司(みやつかさ)の不在…

しかも、田起(たおこし)で、実の娘を孕ませると言う失態と…

孕ませた忌む子を、あろう事か寵愛して、庇いたてる為に自室に籠城してると言う、公然の秘密…

これらの事実が、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)を恐れ、鳴りを潜めていた反対勢力に、巻き返しを計らせる事となった。

『親社(おやしろ)様!昴田鱶背家(すばるたふかせのいえ)と三波鱶背家(みつなみふかせのいえ)の息のかかる使主(おみ)共が、また、戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)を弾劾する奏聞を掲げて来おりましたぞ!』

井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)は、連日のように部屋を訪れては、口角泡を吹かせて、事の成り行きを報告してきた。

『あろう事か、今度は、社(やしろ)における戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)の締め出しを図りおった…

幸い…

睦夫大祝(むつおのおおほり)が、副大祝(そえのおおほり)、擬大祝(こりのおおほり)、権大祝(ごんのおおほり)に三波鱶背家(みつなみふかせのいえ)、新たな禰宜(ねぎ)と権禰宜(ごんのねぎ)に昴田鱶背家(すばるたふかせのいえ)の者共を就ける事で、話をつけおったが…

社(やしろ)における戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)の権威・権勢は地に落ち申した…

今や、神主(みぬし)の役職を占める戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)は、親社(おやしろ)様とそれがしのみ…

神代(みしろ)は、睦夫大祝(むつおのおおほり)のみでござります…』

しかし…

沈痛な面持ちで、要するに、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に出馬しろと言う井均権宮司(いきんのごんのみやつかさ)に対し…

『それは、大変じゃのう…』

と、他人事のように返事する淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は…

『して…

真弓に着物を着せてやる事は、できんのかの?

身重な真弓に、単衣を着せろとは言いもうさん。ただ、軽く長襦袢と羽織の一枚だけでも…そう、申しておるのじゃ。』

と、振り向きもせず、腕に抱く真弓の腹を熱心に撫でながら言った。

『親社(おやしろ)様!それは…』

『わかっておる、わかっておるぞ。忌む子を孕んだ畜腹に着物を着せるのは、赤兎に着物を着せるのと同じ禁忌とな…

されど…

こう冷え込んできては、身重の真弓と、腹の中の赤子がのう…』

『親社(おやしろ)様…』

井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)が、歯軋りしながら、握る手を震わせ…

『この畜腹め…おまえのしくじりのせいで…忌子(いむこ)など孕みおったせいで…』

憎悪に満ちた眼差しで、真弓を睨み据えながら去って行くのも、意に介する事はなかった。

最早…

社(やしろ)の情勢も、社領(やしろのかなめ)の祭事(まつりごと)も、どうでも良くなっていた。

『お父様…申しわけありませぬ…』

『何を謝るのじゃ?』

『私が忌子(いむこ)を孕んだばかりに、お父様は…戸塚鱶背家(とつかふかせのいえ)は…』

『気にするでない。鱶背の鬼宮司(おにみやつかさ)か…

そう呼ばれて良い気になっておったが…

子を宿す娘に、羽織り一枚…長襦袢一枚着せてやる力もない…

そんな事すら、七十過ぎるまで気づかなんだとはのう…』

『でも、お父様…』

『もう泣くでない。

そうじゃ、今日は鼈甲の櫛を持ってきてやったぞ。これはな、おまえの母が一番気に入っておった櫛での、おまえが大きくなったら髪にさしてやるのを楽しみにしておったよ。』

『まあ…ありがとうございます。』

『本当は、浴衣の一つも着せてやりたいところじゃがの…おまえに着物を着せる事は…』

『存じ上げておりまする。私は…』

『言うでない、言うでない。おまえは畜腹などではない。腹の子も忌む子などではない。どちらも、わしの子じゃよ。

それより、ご覧。櫛をさしたおまえは、母にそっくりじゃよ。』

『まあ、お母様と…』

『そうじゃ、そうじゃ…鏡に映るおまえは、まさに、おまえの母そのものじゃよ。』

『お母様…』

連日、母の形見だと偽っては、適当に持ち込んだ櫛や簪をさし、鏡を眺めて、懐かしい母との再会を喜ぶ真弓を見るのが、ただ、楽しく、嬉しいばかりの日々を過ごした。

現実には…

連日、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)をはじめとする親族達に、目の前で全裸に剥かれて身体(からだ)を弄り回され、指や異物を神門(みと)に捻り込まれ、参道を掻き回され、泣き叫ぶ娘と一緒に泣き噦る、真弓の母しか覚えてない。

七つになった真弓が、実の父である淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の穂柱に参道を貫かれ、神門(みと)を血塗れにするのを見て、遂に発狂して自害した真弓の母…

彼女が、どんな女で、どんな顔をし、何を好んでいたかなど、何も覚えていない。

それでも…

『また、腹の子がわしの手を蹴りおったわ。』

『まあ、この子ったら…』

『早く、産まれてこんかの。早く、おまえと一緒に、この子を抱きたいものじゃよ。』

『はい、お父様…』

微笑む真弓の腹を撫でていると、かつて、真弓が産まれて来る時も、真弓の母と同じような毎日を過ごしていたような気持ちになる。

真弓が産まれてくるのも、こうして楽しみに待ちわびていたような気持ちにもなる。

そして…

『お父様…』

『何じゃ?』

『お父様は、この子にも、その…あんな事をされるのですか?』

『あんな事…じゃと?』

『はい…田起(たおこし)を…痛い事を…』

『それは…』

『お願いにございます。どうか、この子には…』

涙ぐむ目を傾ける真弓に…

『安心せい。この子には、痛い事など何もせぬぞ。おまえと二人で、うんと可愛がってやるのじゃ。』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、また、腹を撫でながら言うと…

『ありがとうございます、お父様。そのかわり…私が、お父様を…』

真弓は、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の股間に手を回し、硬くそそり勃った穂柱を揉み扱きだす。

『真弓、おまえ…』

『お父様、申し訳ありませぬ。こんなに穂柱を腫らせてしまって…

でも、こんな身体(からだ)では、参道にお迎えする事はできませぬ。』

『オォッ…オォッ…オォッ…オォッ…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、優しく穂柱を揉み扱かれながら、静かな喘ぎを漏らしていった。

やがて…

『オォォォーッ…』

勢い良く白穂が放たれると、振り向く真弓は、優しげな笑みを傾ける。

『真弓…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、また、何か言葉に言い表せぬ温かな感情が込み上げてくるのを感じながら、真弓を抱きしめた。

それは、何とも言えぬ安らぎであった。

優しく穂柱を握り揉み扱く、真弓の手の感触もりも…

空に向かって白穂が放たれる瞬間も…

思わず真弓を抱きしめる時、腕の中いっぱいに広がる温もりも…

何より…

『待て、真弓!それは、卑しい者共がする事じゃ!おまえは、わしの娘…宿姫(すくひめ)じゃぞ!宿姫(すくひめ)が…』

『私は、もう、宿姫(すくひめ)ではございませぬ。忌子(いむこ)を孕む、赤兎と同じ卑しい畜腹にございまする。』

そう言って、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が慌てふためくのも構わず、真弓は穂柱を頬張り、チロチロと舌先で先端を舐め始める。

何処で覚えたのであろう…

誰に教わったのであろう…

おそらくは…

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)をはじめ、年嵩の親族が立ち会わぬ時…

年若い親族連中が、真弓にさせていたのだろう。

痛い事をしない代わりだと言って、親族の宿姫(すくひめ)に兎神子(とみこ)達がするように、穂柱をしゃぶらせ、舐めさせる神職(みしき)が少なからずいる事は知っている。

戸塚鱶背家(とづかふかせのいえ)の若者にもいたところでおかしくない。

自分とて…

若い頃は、親や叔父達の目を盗んで、随分と妹や従姉妹の宿姫(すくひめ)にしゃぶらせ、舐めさせたものである。

それにしても…

物心ついてすぐに穂供(そなえ)を仕込まれ初めて、七十年近く…

数多の兎神子(とみこ)達に穂柱をしゃぶられ、舐められてきたが…

何と言う舌使いであろう…

穂柱の先端から付け根にかけて…

更には、穂袋や穂袋周辺の、脚の付け根まで…

優しく丹念に舐め回す舌先の動きと感触と…

いや、違う…

『オォォーッ…オォォーッ…オォォーッ…』

これは、単なる舌使いのうまさとか言う話ではない…

時折、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の顔を上目に見上げては、ニコッと笑い…

また、熱心に穂柱を頬張り舐め回す…

『オッ…オッ…オッ…オッ…』

チロチロと、穂柱先端の裏側を擽る小さな舌先の感触…

それは、上手い下手と言う以前の…

何か心の籠った深く優しい蠢き…

『オォォォ…オォォォ…オォォォ…』

思わず声をあげる淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の下腹部のあたりから、次第に込み上げてくる暖かなもの…

やがて、それは…

『オォォォーッ!』

喉の奥から溢れ出す声と同時に、穂柱を包み込む、真弓の口腔内へと放たれ、広がって行く。

同時に…

何やら、日頃のわだかまりや、悲しみ、痛み、苦しみのようなものが、全て抜け落ちて…

頭の中が真っさらになって行くのを覚える。

そうして、ふと、真弓の方を見れば…

『お父様、どうされましたか?』

『おまえ…腹だけでなく、随分と胸も膨らんできたな…』

『だって、もうすぐ、ややが産まれて来るのですもの。膨れなければ、乳をあげられませぬ。』

『それも、そうじゃが…』

と…

今度は、膨れた腹の下…

股間の神門(みと)に目を向ける。

『いつの間に、発芽を終え、若草が萌え出したものか…』

『お父様、私が幾つになると思ってらして?この子が生まれる時には、十三になりますのよ。』

『十三…じゃとな…あんな小さかったおまえが、もう十三になるんじゃとな…』

『はい。私も、もう大人…』

真弓が言い終える間もなく、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、思わず若草の生え初めた神門を撫で回しながら、膨らんだ胸の突起を吸う。

『アァァー…お父様…』

『すまん!わしとした事が、痛かったか?』

慌てる淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に…

『いいえ、気持ち良うございます…』

真弓は、うっとりした目を向けて言う。

『そうか…気持ち良いのか…』

『はい、お父様…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、この時、人生で初めて笑みなるものを浮かべて見せると、何かが弾けたように、真弓の胸にしゃぶりつき、更に身体(からだ)中を舐め…

『アァァァァーン…お父様…お父様…アァァァーン…』

思わず弓形に腰を逸らせる真弓の股間を舐め始めた。

『アンッ…アンッ…アンッ…アァァァァーンッ…』

心地良さそうに喘ぎ出す真弓もまた、再び淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の穂柱を揉み扱き出し、口に頬張り、しゃぶり舐め始める。

『オォォォーッ…オォォォーッ…オォォォーッ…』

『アァァァーッ…アンッ…アンッ…アァァァァーンッ…』

むつみ合う親子の心地良さげな声が交差する中…

何と言う安らぎ…

それは、まるで、光に包まれた、芳しい花園の中…

時が動きを止め…

真弓と二人きりで、延々と戯れているような心地であった。

これが、本当の穂供(そなえ)なのではないか…

これが、本当の命を結ぶ祭祀なのではないか…

同時に、これまで、肌を晒すのを恥ずかしがり、無理やり参道を抉られる痛みに泣き叫ぶ、自分が手にかけた少女達の姿が脳裏を過ぎる…

何と愚かだったのだろう…

あんな真似をして、何が楽しかったのだろう…

これまで、数えきれぬほどの少女達の参道を抉り、女達の参道を貫き、白穂を御祭神に捧げてきたが…

思えば、それを心地よいとか、温いとか感じた事は一度もなかった。

ただ、穂柱が疼くままに、尿便を垂れ流すように、白穂を垂れ流すのみ…

それが、こんなにも暖かく、心地良いものだったとは…

真弓の参道を通りたい…

真弓の御祭神を詣でたい…

安らかな気持ちで…

心地よい気持ちで…

しかし、今は…

『お父様、申し訳ありませぬ…』

不意に、股間に下を這わせてくる父の心を見透かすように、真弓が申し訳なさそうに言う。

『何を謝るのじゃ?』

『お父様の穂柱、私の参道にお通しできませぬから…』

『何を言う。おまえの御祭神には、大事なややが宿っておるのじゃから、当然ではないか…』

『でも…』

『わしは、こうして、ややが産まれて来るのを待ちながら、おまえの肌の温もりを感じられるだけで十分じゃよ。』

『お父様…』

『今は、大事なややを、無事に産む事だけを考えるが良い。』

『はい、お父様…

でも…』

『でも、何じゃ…』

『ややが生まれましたら…お父様の穂柱を参道にお通ししとうございます。それで、御祭神様に、お父様の白穂をたくさん、頂きとうございまする。』

『そうか、そうか、それは楽しみじゃのう。』

『はい、お父様…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、再び真弓の口に穂柱が迎え入れられ、先端をチロチロ舐め出されると…

『オォォォ…真弓や…真弓や…オォォォ…オォォォ…』

次第にまた、下腹部のあたりから暖かいモノが込み上げるのを感じつつ…

赤子が産まれて来るのと同じくらい、真弓の参道を通り、御祭神を詣でるのが楽しみに思われるようになった。

そう…

泣き叫ぶ真弓の着物を引き裂き、無理やり脚を拡げさせ押さえつけ、穂柱を神門に捻り込んでするのではない…

互いに互いの身体(からだ)を愛撫し、受け入れあって、温もりを感じ合う悦びに包まれながら、参道を通り、御祭神を詣でるのである。

しかし、その日は永遠に訪れる事はなかった。

『真弓や…どうして…どうして…』

環奈が産声をあげる中…

真弓は、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の手で取り上げられた赤子を胸に抱くと、嬉しそうな笑みを満面に浮かべながら、静かに逝ってしまったのである。

『真弓や…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、この時、生まれて初めて、一筋の雫が頬を伝うのを感じた。

七十年の人生の中…

そのようなものを流した事のない淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)には、それが涙と呼ばれるものである事はわからなかった。

同時に、胸に込み上げてくるものが、悲しみだと言う事もわからなかった。

ただ、止めどなく頬を伝う雫と共に、胸が激しく痛むのを感じた。

物心ついて間がない頃から、連日絶え間なく、数えきれない程の親族達から受けた田起(たおこし)は、真弓の身体(からだ)をボロ切れのようにしていた。

加えて、弱り果てた幼い身体(からだ)での妊娠と難産…

何より…

田起(たおこし)による的当てが発覚して以来…

親族の子を孕んだ事を責め立てられ、畜腹と蔑まれ、絶えず耳を覆うような言葉と冷たい視線を浴びせられ続けてきた。

殊に…

昴田鱶背家(すばるたふかせのいえ)と三波鱶背家(みつなみふかせのいえ)の巻き返しで、戸塚鱶背家(とつかふかせのいえ)が失墜して以来…

長年に亘る、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の暴政に対する憎しみが、失墜した戸塚鱶背家(とつかふかせのいえ)に対して向けられるよつになって以来…

戸塚鱶背家(とつかふかせのいえ)の者達の怒りの矛先は、全て、忌む子を孕んだ真弓に向けられた。

中でも、最後まで忌む子の始末を主張し続けた、井均権宮司(いきんのかりのみやつかさ)の、真弓に対する憎悪と怨念は、凄まじいものがあった。

そうした心労が、真弓の短く小さな命の灯火を消し去ってしまったと言う。

自分は、一体何をしてきたのだろう…

自分は、一体何を求めて生きてきたのだろう…

何の為に…

何の為に…

『それは、環奈殿を愛する為だろう。』

不意に、何処からとなく聞こえて来る在りし日の声に、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、我に返った。

『暗面(あめん)…長(おさ)…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、思わずその名を口ずさむと…

『環奈殿が待っておろう。早く帰ると良い。おまえも、早く会いたかろう。』

同じ男の声が、また、耳の奥底に聞こえてきた。

『己の名を忘れたが故に、名無しなどと呼ばれておったな、あいつ…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、また、独り言を呟いた。

その時…

『一郎使主(いちろうのおみ)の奉りし発議奏聞の議、表決により全会一致にて、議決とする。

一同の者、今一度問う。異論ござらんか。』

睦夫大祝(むつおのおおほり)の甲高い声が儀場に響き渡ると…

『異論、ござりません!』

神将(みはた)達が、一斉に声を上げるのが聞こえてきた。

睦夫大祝(むつおのおおほり)は、更に雛壇の神主(みぬし)達が大きく頷くのを確認すると…

『親社(おやしろ)様、かくの如く議決されました。何卒、御裁可を…』

と、待つまでもない答えを求めて、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の顔を見上げた。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、世継ぎの息子である睦夫大祝(むつおのおおほり)の目を見返すと、苦々しく目を細めた。

恭しくはあるが、何処か挑戦的とも挑発的とも思える、挑むような眼差し…

かつては、世継ぎとして頼もしくさえ思われたものだが…

今は、何故か苦いものを噛み締めるような感じにさせられる。

そう言えば…

あの時も…

『父上、良いところに参られた。』

僅かな時間…

所用あって離れていた部屋に戻ると、いつの間に訪れ、何やら深刻に真弓と話し込んでいた睦夫大祝(むつおのおおほり)が、何処か空々しい満面の笑みで出迎えた。

見れば、真弓は拳を握りしめて涙ぐんでいる。

『何しに参った。』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、胡乱そうに目を細めて尋ねると…

『お喜びくだされ。もうすぐ、裏屋敷が完成致します。さすれば、真弓宿姫(まゆみのすくひめ)…いや、真弓祝姫(まゆみのほりひめ)様と、新たにご誕生召される宿神(すくみ)殿共々、そちらにお移りあそばして頂けまする。』

そう答える睦夫大(むつおのおおほり)の目は笑っておらず、奥底に淀んだ埋み火のようなものを感じさせていた。

『そうか…』

胡乱そうに目を細める淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に、睦夫大祝(むつおのおおほり)は、やはり態とらしい素振りで首を傾げる。

『父上、お喜び頂けませぬか?誰憚る事なく、親子水入らずでお過ごし頂けるのですぞ。』

『真弓と何の話をしておった。』

『ですから、今、申し上げました事を…』

『その割には、真弓はうかぬ顔をしておるではないか。』

『何を申される。真弓祝姫(まゆみのほりひめ)様には、感涙賜りますほど、お喜び召され…

のう、祝姫(ほりひめ)様。』

睦夫大祝(むつおのおおほり)に話を振られると、真弓は一瞬肩を窄めて震えた後、硬く目を瞑って、力なく頷いた。

しかし…

あの日を境に、真弓から笑顔が消え、青ざめた顔を俯かせて過ごすようになった。

次第に食も細くなり、見るからに衰弱してゆくのがわかった。

忌子(いむこ)を孕んで半年が過ぎようとした頃から、急激に弱りだしているのはわかっていた。

それでも、いよいよ出産を間近に控えると、少しずつ気力も体力も取り戻しかけていたのだ…

睦夫に、何を聞かされたと言うのだ…

ほんの少し前…

『腹の子は、着物を着る事が認められる事になったぞ。社(やしろ)で暮らす事も認められた。』

『本当にございますか?』

『本当じゃ。睦夫の奴が、一応、宿姫(すくひめ)と言う処遇を認めるよう、崇儀会(あがめののりのえ)を動かしおったようじゃ。

最も…

着物は、肌が露な煤けた生地とする事…

境内裏片隅の裏屋敷から一歩も外に出ぬ事が条件ではあるがの。』

『忝うございます。でも…』

『でも、何じゃ?』

『また、お父様のお立場が…』

『何、わしの立場など大して変わらぬさ。

これまでわしが一人で抱え込んで来た権限と神主(みぬし)が独占していた権能を、一部、大祝(おおほり)と神代(みしろ)に譲り渡しただけの事…

それは、何も今に始まった事ではなく、元来、鱶背社(ふかせのやしろ)では昔から行われてきた事じゃ。

じゃが、鱶背本社(ふかせのもとつやしろ)では、長年、わしが勝手に保留し続けていただけの事…

これで、漸くわしの肩の荷も降り、一石二鳥と言うものじゃよ。』

『お父様…』

『そうじゃ、そうじゃ…

腹の子だけではのうて、おまえも、腹の子と同じ条件で着物を着る事も、腹の子と一緒に社(やしろ)で暮らす事も、追々認められる方向で話が進んでおるぞ。

わしの祝姫(ほりひめ)と言う扱いでな。』

『そんな…私など…

忌子(いむこ)を孕む失態をおかした私が、そのような勿体ない事を…

私は、この子さえ社(やしろ)で大切に扱って頂けるのでしたら、それだけで…』

『おいおい…

わしはな、行く行くは残りの権限も全て神主(みぬし)達に譲り渡し、おまえと腹の子と、裏屋敷で三人水入らずの引退生活を楽しみたいと思うておるのじゃが…

おまえは、嫌なのか?』

『滅相もございませぬ。』

『無事に腹の子が生まれ、おまえの身体(からだ)も元に戻ったなら、わしを参道に通して、おまえの御祭神様を詣でさせてくれる約束じゃったな。

裏屋敷でひっそり、睦み合うて、抱き合うて、静かに暮らそうな。』

『お父様…』

そんな話をして、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の胸に顔を埋めて感涙し…

いつにも増して濃厚に愛撫しあったばかりであった。

だのに、一体…

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、それとなく何度も尋ねたが、真弓は何一つ答えようとはせず、ただ、その度に涙ぐむばかりであった。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)も、かえって真弓を悲しませてはと、しいてそれ以上尋ねようとはしなくなった。

代わりに…

『何か望む事はないか?欲しいものはないか?わしにできる事ならば、何でも叶えてとらすぞ。』

肩を抱き、いつ赤子が出てきてもおかしくないほど膨れ上がった腹を撫でながら尋ねた。

すると…

『忝うございます。では、一つだけ、お願いを聞いて頂けないでしょうか?』

真弓は、相変わらず涙ぐんだ目を向けて言った。

『おう、おう、言うてみい、言うてみい。』

『お母様の名を、教えて頂きとうございます。』

『母の名…じゃと?』

『はい。私は、お母様の名を知らずに、今日まで過ごしてまいりました。

この子を産む前に…

今生と別れを告げる前に…』

『まて!今、何と申した!』

『私、もう存じ上げております。もう、先が長くない事を…』

『馬鹿な!睦夫め!よもや、そんな事をおまえに申したのか!』

『いいえ…

私、もうすぐ十三になるのですもの…もう、子供ではありませぬもの…

自分の身体(からだ)の事は、自分が一番よくわかっておりまする。』

『馬鹿を申すな!おまえは死なん!断じて死にはせん!腹の子と一緒に、わしと末長く暮らすんじゃ!田起(たおこし)なんぞではなく、わしと睦み合うて、抱きおうて、ずっとずっと…』

必死に打ち消そうとする淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に、静かに首を振ると…

『お願いにございます。お母様の名を教えてくださりませ。

お母様の名を知らぬまま、私は常世に旅立ちとうございませぬ。』

真弓はもう一度尋ねた。

『おまえの…母の名か…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、言葉につまった。

真弓の母の名はもとより、どんな顔をしていたのかすら、覚えてはいなかった。

元々、互いに思い合って結ばれたわけではなかった。

心惹かれて迎えたわけでもなければ、色香に欲情して侍らせたわけですらない。

鱶背社領(ふかせのやしろのかなめ)は、兼ねてより数多の門閥勢力が対立していた。

そうした対立を煽りつつ、諸勢力を抑える為の政略として、半ば人質の人身御供として、有力門閥の娘を取り上げただけの事。

しかし、門閥間の興亡激しかった頃の事である。同時期に数多の門閥から娘を取り上げ、今となっては、その門閥も殆どは姿を消している。

真弓の母も、如何なる門閥の如何なる人物から、如何なる経緯で取り上げた娘であったかすら、何も記憶になかった。

真弓は、真剣な眼差しで淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)の返事を待ち続けていた。

何処か、その返事の行方に縋ろうとしているようにも思われた。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、暫し目を瞑った後…

『環奈…』

『かん…な…』

『そうじゃ。おまえの母の名は、環奈じゃ。』

ぼっそりと答えた。

『私のお母様の名は、環奈…』

真弓は呟いた瞬間…

俯き瞑る目から涙を溢れさせ、握る拳と肩を震わせ、嗚咽の声を漏らし始めた。

『真弓?どうしたのじゃ、真弓?』

戸惑う淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に、幾ら肩を揺すり問いかけても、何も答えず、延々と啜り泣き続けた。

流す涙も枯れ果てたと思われた後…

真弓は一言も声を発さなくなり、笑顔だけでなく全ての表情が消えた。

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、何を話しかけても、肩を抱き、腹を撫でても、何の反応も示さなくなった。

漸く声を発したのは、二日に亘る難産の末、赤子を産み落とした後の事であった。

『でかしたぞ!女の子じゃ!わしの思った通り、おまえによう似た女の子じゃ!』

近親者の手で孕んだ忌む子は、まともに産まれて来ない事が少なくないと言う。

殊に、真弓の赤子は、実の父の的当てで孕んだ子である。

少なくとも、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、今でもそう信じ込んでいる。

病弱、不具、白痴で産まれてくる可能性は、限りなく高かった。

しかし、赤子は何処にも異常は見られず、元気な女児であった。

相対し、産み落とした真弓の命は風前の灯火と化していた。

最早、子供など産める状態ではなかった。

出産の最中に、何度も命を落としかけていた。

いや…

今にして思えば、陣痛が始まって間がなく、意識を遠のかせかけた時、既に命を落としていたのかも知れない。

それを、最後の力を振り絞って、必死に産み落としたのである。

忌む子と呼ばれ、生まれる前から蔑まれた子…

生涯、親の罪を背負い、赤兎のように裸を晒して生き続けねばならぬ子…

裏屋敷に幽閉同然とは言え、社(やしろ)で暮らせるのは、父が生きている間だけであろう。

父が世を去れば、不浄河原(きよからずのかわら)の河原者達の中に放逐される。

そこで、虐げられて生きる者達の社(やしろ)への憎悪や怨念の全てをぶつけられ、嬲り者にされ、甚振り苛め抜かれる人生を送る定めの子…

そうと知りながら、最後の何かに縋るように、賭けるように、残された命と力の全てを尽くして、赤子を産み落としたのである。

それまで、何の表情も表さなかった真弓は、赤子の顔を見て、弱々しい笑みを薄ら浮かべながら…

『お父様…私を…お母様の事を、愛しゅう思われておいでですか?』

次第に霞ゆく目を向けて、淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)に尋ねた。

『愛…しゅう…とな…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)は、思わず口を継ぐんだ。

愛しゅう…とは、何なのだ?

どう言う意味なのだ?

しかし、その答えを誰かに問う時間は残されていない。

『お父…様…』

父の返事を待つ真弓の命はもう…

『愛しゅう、思うておる。おまえの事も、おまえの母の事も…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、何とか掠れた声をつまらせながら答えると…

『私も、愛しゅう思うておりまする、お父様。』

最後の命の光を輝かせようとばかりに、満面の笑みを浮かべながら、赤子に向かって両手を差し出した。

『抱かせてくださりませ。私と、お父様のややを』

『良いとも、抱いてやれ。抱いて、母の顔を見せてやるが良い。』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が赤子を差し出すと、真弓はか細い腕に抱きしめ頬擦りし始め…

『環奈…私の環奈…』

『環奈…じゃと?』

『この子には、環奈と名付けとうございます。お父様が教えてくだされた、私の母と同じ環奈と…』

また、眩いばかりの笑みを向けて言った。

『良いじゃろう…この子の名は…』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が、真弓の笑みに向かって呟き答えた時…

『親社(おやしろ)様、ご裁可を…』

睦夫大祝(むつおのおおほり)の甲高い声が、再び追憶を破り現実に引き戻した。

ふり向けば、相変わらず恭しく協議・吟味でまとめ上げられた上奏文と最初に発議提出された奏聞書を掲げつつ…

有無を言わさぬ、貫くような睦夫大祝(むつおのおおほり)の眼差しがあった。

仰ぎ奉る風を取り繕ってはいるが、実質的には大祝(おおほり)が下段から高御座の宮司(みやつかさ)に命じているのは明らかであった。

雛壇中央に座する井均権宮司(いきんのごんのみやつかさ)の肩の震わせ方から、その怒り心頭ぶりは、遥か後方からも見てとれた。

しかし、追い討ちをかけるよう、更に…

『宜しい!裁可する!と、親社(おやしろ)様は仰せである!』

淀卓宮司(よどすぐるのみやつかさ)が何か言うより早く、昴田響郁禰宜(すばるたのきょういくのねぎ)が声高に叫ぶと…

『待たれい!饗郁禰宜(きょういくのねぎ)殿!』

最早我慢ならぬとばかりに立ち上がる井均権宮司(いきんのごんのみやつかさ)を無視するように…

『では、若社(わかやしろ)様、次の奏聞を…』

『うむ。では、次…東河清志使主(ひがしかわのきよしのおみ)、並びに縦山泰志使主(たてやまのやすしのおみ)、前へ出でよ。』

側に控える三波泰伐権大祝(みつなみのたいばつのごんのおおほり)に促せるままに、睦夫大祝(むつおのおおほり)の呼ばわる声が響き渡った。

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