(6)環奈
即ち、祭祀・司法を司る
雛壇上段席に並ぶ
左右院座席に並ぶ、
下座席に並ぶ、
そんな中…
唯一…
予め、決められた
最後、
合議の形を執りはしているが…
全ては、予め決められた通りに勧められ…
決められた事に異論を挟む者はいない。
もし、一言でも異論を挟めば、即刻それは
奏聞・協議・伝奏・吟味・上奏・下問・奉答・表決…
全ては、絶大的な独裁体制を敷いていた、
どのように厳かに祈ってみたところで、何も変わらない…
どれだけ
それは…
たった一度の戦闘で、何もかもが灰塵と化してしまった先の大戦を目の前に、痛い程知らしめられた。
全てを変え、全てを動かし、全てを決めるのは…
一才の異論反論の介在を許さぬ、強大にして絶対的な権力の行使のみ…
その権力の行使を、厳かに具現化する
しかし…
いつの頃からであろう…
『では、次…
在津一郎使主鱶背中納言永栄(ざいつのいちろうのおみふかせのなかのものもうすつかさながひで)、前に出でよ。』
雛壇下段席より、
『
感情の無い声が、奏聞を朗々と読み上げる中…
虚しさばかりが、胸の中を去来する…
先に読み上げられ、表決を終えた発議奏聞もそうであったが…
おそらくまた、息子である
嘗てであれば、あり得ない事であった。
大道の妨げとなる巌を退ける事すら、
例えそれが、弟である
それが、環奈の誕生で全てが変わった。
親族の手による
それだけでも、不祥事であった。
娘の御祭神が既に目覚めている事に気づかないのも不祥事ならば、目覚めた娘の御祭神に自身と親族とで白穂を捧げ続けた事も不祥事…
まして、
同じ事は以前にも、起きていた。
そもそも、近親親族の手による的当ては禁忌などと言っても、実の娘を親族ぐるみで
和邇雨一族の娘が
殆ど表沙汰にならないのは、生まれる前に始末するか、生まれてすぐ、籍を抹消し、河原者として追放してしまうからである。
冷徹に、そう取り決めたのは、
今回も、当然、同じように取り計らう筈であった。
しかし…
今回に限って、
七十を過ぎ、男としての機能などとっくに失せていると思っていた自分が、思いもかけず、御祭神の的を当てた事に感動した。
失いかけていた自信を取り戻せもした。
同時に…
自分の白穂で宿された命に、深い感情を抱いてしまった。
これまで、数えきれない程の
子供や孫に、何ら感情など抱いた事は一度もなかった。
そもそも、自身が的を当てて生まれてきた子供の多くは、名前も顔も忘れ去り、孫に至っては、存在すら知らない者が少なくなかった。
最初の娘の洋子も、政略や血を残す為の道具に過ぎず…
世継ぎと定めたのも、愛しさからではない。
最初の男子を世継ぎとする事が、
代々、
それだけの事であった。
それが、環奈に対してだけは、何故か生まれる前から深い感情を抱いてしまったのである。
この感情に気づいたのは、真弓の御祭神に的当てられた事が発覚してかなり日が過ぎた時の事。
実の父親である
『アッ…アッ…アッ…』
あの日も、朝から父をはじめとする、親族達に絶え間なく参道を貫かれ、御祭神に白穂を注がれ続けられ…
首を振り立て、苦悶に顔を歪ませ、声を漏らす真弓は…
『アァァァァーッ…』
何十度目かの絶頂を迎えた実の父の生暖かな白穂が、御祭神に降り注がれ、一際、大きな声をあげようとした刹那…
『ウグッ!』
と、噴水のように嘔吐物を吹き上げさせた。
『何と…』
『しくじりおったな!』
周囲から響めきが上がる中…
『この戯け者が!
『申し訳ありません!申し訳ありません!』
未だ止まらぬ嘔吐に苦しむ真弓を、蒼白になった
『申し訳ないですむと思うか!血族の子を孕む畜腹め!』
声を上げて蹴り上げ、踏みつけようとした時…
『やめよ!』
それから程なく…
『何だ、これは?』
寝台の上で真弓を抱きしめる
『決まっておりましょう。
『何じゃと?』
『真弓の御祭神的当てが発覚したのが、
洋子の時は、孕んでかなりの月日が経ち、腹もだいぶ膨れてから…で、ございましたからな。
さあ、真弓、飲め!』
だが…
『勝手な真似はよせ!わしが許さん!』
『何をなされる!不祥事で孕んだ
今度は、
『出てゆけ…』
『出てゆくのじゃ!』
と、切先を
それから、籠城するように、部屋に篭る
贖えぬ身内の罪を背負った娘は、着物を着る事が許されない。
何と言う事はない。
しきたりに託け、妊婦の
ならば…
と、
『どうだ?温いか?』
『はい、お父様…』
『そうか…さあ、食うが良い。』
その日も、
すると…
『お父様…』
真弓は、粥を啜りながら、遠慮がちに
『何じゃ?』
『お父様は、その…私が生まれる時も、そのようにお母様のお腹を撫でて過ごされたのですか?』
『あ…あの…その…』
真弓は、忽ち顔を俯かせると、唇を噛み締めた。
これまで、来る日も来る日も、剥ぎ取るように着物を脱がされては、激しく
父との楽しい思い出など何一つない。
父の記憶と言えば、全裸の自分の手を押さえつけ、脚を押し拡げて、股間を貫いてくるか…
他の親族達に
或いは、
恥ずかしい…
辛い…
痛い…
怖い…
それが、実の父との記憶の全てであった。
その父に、今、何を尋ねているのだろう…
そんな戸惑いに、目を泳がせている真弓の顔を見つめ、
真弓が産まれる前の記憶など何もない。
真弓の母の名も顔も覚えていない。
ただ、機械的に
それだけの事であった。
微かな記憶に残っているのは、物心ついた真弓を、無理やり母の腕から引き離し、
『嫌っ!嫌っ!お母様!お母様!助けて!助けて!嫌ーーーーーっ!!!!』
『えぇぇーぃっ!!!大人しくせぬか!』
泣いて暴れる真弓の頬を何度も叩き、貼り倒すと、着物を剥ぎ取り、引き連れた親族達に、小さな手足を押さえつけさせた。
『お許し下さい!後生です!後生です!真弓は…真弓は…まだ、四つになったばかりです!お願いにございます!』
側では、真弓の母が、押さえつける
『脚を拡げさせろ。』
真弓を押さえつける親族達が、無感情な声に命ぜられるままに、小さな脚を無理やり押し拡げる。
その間には、白桃色した縦一本線の小さな
『嫌っ…嫌っ…やめて…やめて…』
真弓は、ざらついた実の父親の指先に、すべすべとした
そして…
『やめて…やめて…やめ…』
父親の指先を必死に逃れようとする真弓の太腿を、片方の手で鷲掴み…
もう片方の手の指先で、硬く閉ざされた神門を拡げると、まだ、穂柱などとても挿らぬ真弓の参道に、指を捻り込み掻き回し始めた。
『ヒィッ!ヒィッ!ヒィッ!キャーーーーーーーーーーーーッ!!!!』
『真弓っ!真弓っ!』
『痛い!痛い!痛い!お母様!お母様!痛い!痛い!痛いよーーーーーーっ!!!!』
『真弓ーーーーーーっ!!!!!!』
痛がり転げ回って泣き叫ぶ真弓と交差するように、延々と部屋中に響きわたる、真弓の母親の絶叫する声…
覚えていると言えば、それだけであった。
しかし…
『うむ…お前が母の腹の中にいた時も、こうして腹の中のおまえを撫でながら、産まれて来るのを待っていた…』
『本当でございますか?』
『本当じゃ。腹の中でちゃんと生きておるのか、育っておるのかわからんほど、余り動かぬ大人しい子じゃった。もう、死んでおるのじゃないかと、随分心配させられたものじゃ。』
『まあ…』
『比べて、この子の元気の良い事…わしの手をいつも蹴り返しおって…きっと、お転婆な子じゃぞ。』
『お転婆って…男の子かも知れませぬ…』
『いや、女の子じゃ。これまで、数え切れぬ程、女が孕み、子を産むのを見てきたわしには、ようわかる。
きっと、おまえによう似た、美しい子じゃ。』
『お父様…』
漸く顔を上げる真弓は、頬を赤く染め、
温い…
何て温い…
何て…
何て…
愛しいと言う言葉が、脳裏をかすめる事は、結局なかった。
かすめようにも、愛しいと言う言葉も、意味も、わからぬままに、七十まで生きてしまったのである。
それでも、この時初めて抱いた、言葉に表せぬ感情は、とても温かく、心地よいものであった。
忌む子を孕んだ娘と部屋に立て篭もる間…
それまで、絶大的な独裁権力を握り続けてきた
しかも、
孕ませた忌む子を、あろう事か寵愛して、庇いたてる為に自室に籠城してると言う、公然の秘密…
これらの事実が、
『
『あろう事か、今度は、
幸い…
今や、
しかし…
沈痛な面持ちで、要するに、
『それは、大変じゃのう…』
と、他人事のように返事する
『して…
真弓に着物を着せてやる事は、できんのかの?
身重な真弓に、単衣を着せろとは言いもうさん。ただ、軽く長襦袢と羽織の一枚だけでも…そう、申しておるのじゃ。』
と、振り向きもせず、腕に抱く真弓の腹を熱心に撫でながら言った。
『
『わかっておる、わかっておるぞ。忌む子を孕んだ畜腹に着物を着せるのは、赤兎に着物を着せるのと同じ禁忌とな…
されど…
こう冷え込んできては、身重の真弓と、腹の中の赤子がのう…』
『
『この畜腹め…おまえのしくじりのせいで…
憎悪に満ちた眼差しで、真弓を睨み据えながら去って行くのも、意に介する事はなかった。
最早…
『お父様…申しわけありませぬ…』
『何を謝るのじゃ?』
『私が
『気にするでない。鱶背の
そう呼ばれて良い気になっておったが…
子を宿す娘に、羽織り一枚…長襦袢一枚着せてやる力もない…
そんな事すら、七十過ぎるまで気づかなんだとはのう…』
『でも、お父様…』
『もう泣くでない。
そうじゃ、今日は鼈甲の櫛を持ってきてやったぞ。これはな、おまえの母が一番気に入っておった櫛での、おまえが大きくなったら髪にさしてやるのを楽しみにしておったよ。』
『まあ…ありがとうございます。』
『本当は、浴衣の一つも着せてやりたいところじゃがの…おまえに着物を着せる事は…』
『存じ上げておりまする。私は…』
『言うでない、言うでない。おまえは畜腹などではない。腹の子も忌む子などではない。どちらも、わしの子じゃよ。
それより、ご覧。櫛をさしたおまえは、母にそっくりじゃよ。』
『まあ、お母様と…』
『そうじゃ、そうじゃ…鏡に映るおまえは、まさに、おまえの母そのものじゃよ。』
『お母様…』
連日、母の形見だと偽っては、適当に持ち込んだ櫛や簪をさし、鏡を眺めて、懐かしい母との再会を喜ぶ真弓を見るのが、ただ、楽しく、嬉しいばかりの日々を過ごした。
現実には…
連日、
七つになった真弓が、実の父である
彼女が、どんな女で、どんな顔をし、何を好んでいたかなど、何も覚えていない。
それでも…
『また、腹の子がわしの手を蹴りおったわ。』
『まあ、この子ったら…』
『早く、産まれてこんかの。早く、おまえと一緒に、この子を抱きたいものじゃよ。』
『はい、お父様…』
微笑む真弓の腹を撫でていると、かつて、真弓が産まれて来る時も、真弓の母と同じような毎日を過ごしていたような気持ちになる。
真弓が産まれてくるのも、こうして楽しみに待ちわびていたような気持ちにもなる。
そして…
『お父様…』
『何じゃ?』
『お父様は、この子にも、その…あんな事をされるのですか?』
『あんな事…じゃと?』
『はい…
『それは…』
『お願いにございます。どうか、この子には…』
涙ぐむ目を傾ける真弓に…
『安心せい。この子には、痛い事など何もせぬぞ。おまえと二人で、うんと可愛がってやるのじゃ。』
『ありがとうございます、お父様。そのかわり…私が、お父様を…』
真弓は、
『真弓、おまえ…』
『お父様、申し訳ありませぬ。こんなに穂柱を腫らせてしまって…
でも、こんな
『オォッ…オォッ…オォッ…オォッ…』
やがて…
『オォォォーッ…』
勢い良く白穂が放たれると、振り向く真弓は、優しげな笑みを傾ける。
『真弓…』
それは、何とも言えぬ安らぎであった。
優しく穂柱を握り揉み扱く、真弓の手の感触もりも…
空に向かって白穂が放たれる瞬間も…
思わず真弓を抱きしめる時、腕の中いっぱいに広がる温もりも…
何より…
『待て、真弓!それは、卑しい者共がする事じゃ!おまえは、わしの娘…
『私は、もう、
そう言って、
何処で覚えたのであろう…
誰に教わったのであろう…
おそらくは…
年若い親族連中が、真弓にさせていたのだろう。
痛い事をしない代わりだと言って、親族の
自分とて…
若い頃は、親や叔父達の目を盗んで、随分と妹や従姉妹の
それにしても…
物心ついてすぐに
数多の
何と言う舌使いであろう…
穂柱の先端から付け根にかけて…
更には、穂袋や穂袋周辺の、脚の付け根まで…
優しく丹念に舐め回す舌先の動きと感触と…
いや、違う…
『オォォーッ…オォォーッ…オォォーッ…』
これは、単なる舌使いのうまさとか言う話ではない…
時折、
また、熱心に穂柱を頬張り舐め回す…
『オッ…オッ…オッ…オッ…』
チロチロと、穂柱先端の裏側を擽る小さな舌先の感触…
それは、上手い下手と言う以前の…
何か心の籠った深く優しい蠢き…
『オォォォ…オォォォ…オォォォ…』
思わず声をあげる
やがて、それは…
『オォォォーッ!』
喉の奥から溢れ出す声と同時に、穂柱を包み込む、真弓の口腔内へと放たれ、広がって行く。
同時に…
何やら、日頃のわだかまりや、悲しみ、痛み、苦しみのようなものが、全て抜け落ちて…
頭の中が真っさらになって行くのを覚える。
そうして、ふと、真弓の方を見れば…
『お父様、どうされましたか?』
『おまえ…腹だけでなく、随分と胸も膨らんできたな…』
『だって、もうすぐ、ややが産まれて来るのですもの。膨れなければ、乳をあげられませぬ。』
『それも、そうじゃが…』
と…
今度は、膨れた腹の下…
股間の
『いつの間に、発芽を終え、若草が萌え出したものか…』
『お父様、私が幾つになると思ってらして?この子が生まれる時には、十三になりますのよ。』
『十三…じゃとな…あんな小さかったおまえが、もう十三になるんじゃとな…』
『はい。私も、もう大人…』
真弓が言い終える間もなく、
『アァァー…お父様…』
『すまん!わしとした事が、痛かったか?』
慌てる
『いいえ、気持ち良うございます…』
真弓は、うっとりした目を向けて言う。
『そうか…気持ち良いのか…』
『はい、お父様…』
『アァァァァーン…お父様…お父様…アァァァーン…』
思わず弓形に腰を逸らせる真弓の股間を舐め始めた。
『アンッ…アンッ…アンッ…アァァァァーンッ…』
心地良さそうに喘ぎ出す真弓もまた、再び
『オォォォーッ…オォォォーッ…オォォォーッ…』
『アァァァーッ…アンッ…アンッ…アァァァァーンッ…』
むつみ合う親子の心地良さげな声が交差する中…
何と言う安らぎ…
それは、まるで、光に包まれた、芳しい花園の中…
時が動きを止め…
真弓と二人きりで、延々と戯れているような心地であった。
これが、本当の
これが、本当の命を結ぶ祭祀なのではないか…
同時に、これまで、肌を晒すのを恥ずかしがり、無理やり参道を抉られる痛みに泣き叫ぶ、自分が手にかけた少女達の姿が脳裏を過ぎる…
何と愚かだったのだろう…
あんな真似をして、何が楽しかったのだろう…
これまで、数えきれぬほどの少女達の参道を抉り、女達の参道を貫き、白穂を御祭神に捧げてきたが…
思えば、それを心地よいとか、温いとか感じた事は一度もなかった。
ただ、穂柱が疼くままに、尿便を垂れ流すように、白穂を垂れ流すのみ…
それが、こんなにも暖かく、心地良いものだったとは…
真弓の参道を通りたい…
真弓の御祭神を詣でたい…
安らかな気持ちで…
心地よい気持ちで…
しかし、今は…
『お父様、申し訳ありませぬ…』
不意に、股間に下を這わせてくる父の心を見透かすように、真弓が申し訳なさそうに言う。
『何を謝るのじゃ?』
『お父様の穂柱、私の参道にお通しできませぬから…』
『何を言う。おまえの御祭神には、大事なややが宿っておるのじゃから、当然ではないか…』
『でも…』
『わしは、こうして、ややが産まれて来るのを待ちながら、おまえの肌の温もりを感じられるだけで十分じゃよ。』
『お父様…』
『今は、大事なややを、無事に産む事だけを考えるが良い。』
『はい、お父様…
でも…』
『でも、何じゃ…』
『ややが生まれましたら…お父様の穂柱を参道にお通ししとうございます。それで、御祭神様に、お父様の白穂をたくさん、頂きとうございまする。』
『そうか、そうか、それは楽しみじゃのう。』
『はい、お父様…』
『オォォォ…真弓や…真弓や…オォォォ…オォォォ…』
次第にまた、下腹部のあたりから暖かいモノが込み上げるのを感じつつ…
赤子が産まれて来るのと同じくらい、真弓の参道を通り、御祭神を詣でるのが楽しみに思われるようになった。
そう…
泣き叫ぶ真弓の着物を引き裂き、無理やり脚を拡げさせ押さえつけ、穂柱を神門に捻り込んでするのではない…
互いに互いの
しかし、その日は永遠に訪れる事はなかった。
『真弓や…どうして…どうして…』
環奈が産声をあげる中…
真弓は、
『真弓や…』
七十年の人生の中…
そのようなものを流した事のない
同時に、胸に込み上げてくるものが、悲しみだと言う事もわからなかった。
ただ、止めどなく頬を伝う雫と共に、胸が激しく痛むのを感じた。
物心ついて間がない頃から、連日絶え間なく、数えきれない程の親族達から受けた
加えて、弱り果てた幼い
何より…
親族の子を孕んだ事を責め立てられ、畜腹と蔑まれ、絶えず耳を覆うような言葉と冷たい視線を浴びせられ続けてきた。
殊に…
長年に亘る、
中でも、最後まで忌む子の始末を主張し続けた、
そうした心労が、真弓の短く小さな命の灯火を消し去ってしまったと言う。
自分は、一体何をしてきたのだろう…
自分は、一体何を求めて生きてきたのだろう…
何の為に…
何の為に…
『それは、環奈殿を愛する為だろう。』
不意に、何処からとなく聞こえて来る在りし日の声に、
『
『環奈殿が待っておろう。早く帰ると良い。おまえも、早く会いたかろう。』
同じ男の声が、また、耳の奥底に聞こえてきた。
『己の名を忘れたが故に、名無しなどと呼ばれておったな、あいつ…』
その時…
『
一同の者、今一度問う。異論ござらんか。』
『異論、ござりません!』
『
と、待つまでもない答えを求めて、
恭しくはあるが、何処か挑戦的とも挑発的とも思える、挑むような眼差し…
かつては、世継ぎとして頼もしくさえ思われたものだが…
今は、何故か苦いものを噛み締めるような感じにさせられる。
そう言えば…
あの時も…
『父上、良いところに参られた。』
僅かな時間…
所用あって離れていた部屋に戻ると、いつの間に訪れ、何やら深刻に真弓と話し込んでいた
見れば、真弓は拳を握りしめて涙ぐんでいる。
『何しに参った。』
『お喜びくだされ。もうすぐ、裏屋敷が完成致します。さすれば、
そう答える
『そうか…』
胡乱そうに目を細める
『父上、お喜び頂けませぬか?誰憚る事なく、親子水入らずでお過ごし頂けるのですぞ。』
『真弓と何の話をしておった。』
『ですから、今、申し上げました事を…』
『その割には、真弓はうかぬ顔をしておるではないか。』
『何を申される。
のう、
しかし…
あの日を境に、真弓から笑顔が消え、青ざめた顔を俯かせて過ごすようになった。
次第に食も細くなり、見るからに衰弱してゆくのがわかった。
それでも、いよいよ出産を間近に控えると、少しずつ気力も体力も取り戻しかけていたのだ…
睦夫に、何を聞かされたと言うのだ…
ほんの少し前…
『腹の子は、着物を着る事が認められる事になったぞ。
『本当にございますか?』
『本当じゃ。睦夫の奴が、一応、
最も…
着物は、肌が露な煤けた生地とする事…
境内裏片隅の裏屋敷から一歩も外に出ぬ事が条件ではあるがの。』
『忝うございます。でも…』
『でも、何じゃ?』
『また、お父様のお立場が…』
『何、わしの立場など大して変わらぬさ。
これまでわしが一人で抱え込んで来た権限と
それは、何も今に始まった事ではなく、元来、
じゃが、
これで、漸くわしの肩の荷も降り、一石二鳥と言うものじゃよ。』
『お父様…』
『そうじゃ、そうじゃ…
腹の子だけではのうて、おまえも、腹の子と同じ条件で着物を着る事も、腹の子と一緒に
わしの
『そんな…私など…
私は、この子さえ
『おいおい…
わしはな、行く行くは残りの権限も全て
おまえは、嫌なのか?』
『滅相もございませぬ。』
『無事に腹の子が生まれ、おまえの
裏屋敷でひっそり、睦み合うて、抱き合うて、静かに暮らそうな。』
『お父様…』
そんな話をして、
いつにも増して濃厚に愛撫しあったばかりであった。
だのに、一体…
代わりに…
『何か望む事はないか?欲しいものはないか?わしにできる事ならば、何でも叶えてとらすぞ。』
肩を抱き、いつ赤子が出てきてもおかしくないほど膨れ上がった腹を撫でながら尋ねた。
すると…
『忝うございます。では、一つだけ、お願いを聞いて頂けないでしょうか?』
真弓は、相変わらず涙ぐんだ目を向けて言った。
『おう、おう、言うてみい、言うてみい。』
『お母様の名を、教えて頂きとうございます。』
『母の名…じゃと?』
『はい。私は、お母様の名を知らずに、今日まで過ごしてまいりました。
この子を産む前に…
今生と別れを告げる前に…』
『まて!今、何と申した!』
『私、もう存じ上げております。もう、先が長くない事を…』
『馬鹿な!睦夫め!よもや、そんな事をおまえに申したのか!』
『いいえ…
私、もうすぐ十三になるのですもの…もう、子供ではありませぬもの…
自分の
『馬鹿を申すな!おまえは死なん!断じて死にはせん!腹の子と一緒に、わしと末長く暮らすんじゃ!
必死に打ち消そうとする
『お願いにございます。お母様の名を教えてくださりませ。
お母様の名を知らぬまま、私は常世に旅立ちとうございませぬ。』
真弓はもう一度尋ねた。
『おまえの…母の名か…』
真弓の母の名はもとより、どんな顔をしていたのかすら、覚えてはいなかった。
元々、互いに思い合って結ばれたわけではなかった。
心惹かれて迎えたわけでもなければ、色香に欲情して侍らせたわけですらない。
そうした対立を煽りつつ、諸勢力を抑える為の政略として、半ば人質の人身御供として、有力門閥の娘を取り上げただけの事。
しかし、門閥間の興亡激しかった頃の事である。同時期に数多の門閥から娘を取り上げ、今となっては、その門閥も殆どは姿を消している。
真弓の母も、如何なる門閥の如何なる人物から、如何なる経緯で取り上げた娘であったかすら、何も記憶になかった。
真弓は、真剣な眼差しで
何処か、その返事の行方に縋ろうとしているようにも思われた。
『環奈…』
『かん…な…』
『そうじゃ。おまえの母の名は、環奈じゃ。』
ぼっそりと答えた。
『私のお母様の名は、環奈…』
真弓は呟いた瞬間…
俯き瞑る目から涙を溢れさせ、握る拳と肩を震わせ、嗚咽の声を漏らし始めた。
『真弓?どうしたのじゃ、真弓?』
戸惑う
流す涙も枯れ果てたと思われた後…
真弓は一言も声を発さなくなり、笑顔だけでなく全ての表情が消えた。
漸く声を発したのは、二日に亘る難産の末、赤子を産み落とした後の事であった。
『でかしたぞ!女の子じゃ!わしの思った通り、おまえによう似た女の子じゃ!』
近親者の手で孕んだ忌む子は、まともに産まれて来ない事が少なくないと言う。
殊に、真弓の赤子は、実の父の的当てで孕んだ子である。
少なくとも、
病弱、不具、白痴で産まれてくる可能性は、限りなく高かった。
しかし、赤子は何処にも異常は見られず、元気な女児であった。
相対し、産み落とした真弓の命は風前の灯火と化していた。
最早、子供など産める状態ではなかった。
出産の最中に、何度も命を落としかけていた。
いや…
今にして思えば、陣痛が始まって間がなく、意識を遠のかせかけた時、既に命を落としていたのかも知れない。
それを、最後の力を振り絞って、必死に産み落としたのである。
忌む子と呼ばれ、生まれる前から蔑まれた子…
生涯、親の罪を背負い、赤兎のように裸を晒して生き続けねばならぬ子…
裏屋敷に幽閉同然とは言え、
父が世を去れば、
そこで、虐げられて生きる者達の
そうと知りながら、最後の何かに縋るように、賭けるように、残された命と力の全てを尽くして、赤子を産み落としたのである。
それまで、何の表情も表さなかった真弓は、赤子の顔を見て、弱々しい笑みを薄ら浮かべながら…
『お父様…私を…お母様の事を、愛しゅう思われておいでですか?』
次第に霞ゆく目を向けて、
『愛…しゅう…とな…』
愛しゅう…とは、何なのだ?
どう言う意味なのだ?
しかし、その答えを誰かに問う時間は残されていない。
『お父…様…』
父の返事を待つ真弓の命はもう…
『愛しゅう、思うておる。おまえの事も、おまえの母の事も…』
『私も、愛しゅう思うておりまする、お父様。』
最後の命の光を輝かせようとばかりに、満面の笑みを浮かべながら、赤子に向かって両手を差し出した。
『抱かせてくださりませ。私と、お父様のややを』
『良いとも、抱いてやれ。抱いて、母の顔を見せてやるが良い。』
『環奈…私の環奈…』
『環奈…じゃと?』
『この子には、環奈と名付けとうございます。お父様が教えてくだされた、私の母と同じ環奈と…』
また、眩いばかりの笑みを向けて言った。
『良いじゃろう…この子の名は…』
『
ふり向けば、相変わらず恭しく協議・吟味でまとめ上げられた上奏文と最初に発議提出された奏聞書を掲げつつ…
有無を言わさぬ、貫くような
仰ぎ奉る風を取り繕ってはいるが、実質的には
雛壇中央に座する
しかし、追い討ちをかけるよう、更に…
『宜しい!裁可する!と、
『待たれい!
最早我慢ならぬとばかりに立ち上がる
『では、
『うむ。では、次…
側に控える