(10)遊戯
崇儀会が始まり、既に二刻が過ぎていた。
いつになく、議論が白熱し、なかなか次に進まない。
基本、予め決められた議題を、神卿達が順番に発議奏聞し、神代達が形式的な合議をして伝奏、神主達も形式的に吟味して上奏、宮司の下問に神将達が賛同の声をあげて、次の議題に進む。
一応、合議の形をとっているが、これは政ではなく、祭である。
どのように進行するかは、予め決められている。
決めるのは、かつては淀卓宮司であったが、今は睦夫大祝である。
決められた事以外の質疑応答はなく、まして、反対議論などあり得ない。
しかし…
今日に限って、猛烈に反意を示す者がいた。
井均権宮司である。
かつてであれば、反意を述べるどころか、態度に示す事すら許されなかった。
決められた事に、ほんの少しでも不満のある表情を示したとみなされれば、即刻、一家一門の廃絶を意味する事となる。
実際…
『何じゃ?不服そうな顔をしておるのう…此度の上奏議題に、何か含むところがあるようじゃの。』
『いえ、滅相も…』
『いやいや、その顔には、含むところがあると書いておる。よかろう、ヌシの思うところ、場を変えて存分に聞いてつかわそう…』
そう言って、淀卓宮司の送る合図によって、神漏兵に連れ出された神代は、数知れなかった。
連れ去られた者の待つ運命は決まっている。
『おまえ、親社様の御決めになられた事に反対…そうだな?』
屈強な尋問担当の神漏兵に聞かれる事は、それだけである。
『滅相もありません!私は…』
と、否定すれば…
『おまえ、この後に及んで、親社様の御決めになられた事を否定するばかりか、ご判断まで間違いだと申すか!』
と、一括され、凄惨な拷問が待っている。
この時、彼は初めて知る事になる。
崇儀会で、予め決められていた事は、上奏議題だけではない。
自分の失脚も、決まっていたと言う事…
同時に、意に沿わぬ者の排斥排除も含めて、宮司の決定は絶対である事を…
ここで、抗えば抗う程、凄惨になるのは、拷問だけではない。当人は言うに及ばず、一家一門の待つ運命は過酷となる。
大概の者は、何も言わず、『はい』と答える。
尋問官も、『はい。』と言う答えを得れば、理由など何も聞こうとしない。
必要ない。
鱶背社領では、宮司の決定に少しでも反意を示せば、即謀反を意味する。
その場で職階は勿論、鱶背和邇雨一族の籍も剥奪される。
親類一門の運命は、疑惑をいかに早く認めるかどうかで決まる。
もし、素直に『はい』と即答すれば、当人一家が廃絶されるだけで、親類一門には類が及ばないかも知れない。最も、その後、末端一族として、二度と社で浮かびあがる事は許されなくなるのだが…
しかし、少しでも疑惑を否定すれば、親類一門全ては、良くて坂者、悪くすれば兎神家に、最悪な場合は河原者に落とされる。
いずれにせよ、当人一家の廃絶は決まっている。
廃絶された一家は、兎神家か河原者に落とされる。
翌日には、一家の一番幼い娘か孫娘が祭場に引き出され、ありとあらゆる凌辱を受けた後、敵対する一門の産土社に赤兎として兎幣されるか、河原者達に慰み者として下げ渡される。
しかし…
神領は、徹底した階級社会である。殊に、鱶背社領では、それが顕著であった。
淀卓宮司が、忌子の誕生と生存、孫娘として認知して失墜して以来、実権は息子である睦夫大祝に移行した…
と、言っても、睦夫大祝の職階は大祝であり、宮司ではない。地位は神代である。
一乃祝姫を斎后に即ける事で、地位の底上げをしているが….
身分や地位だけで言うなら、井均権宮司との差は、未だ歴然としていた。
しかも、井均権宮司の息子や孫達は皆、失脚させられ、兎神家か河原者に落とされている。
今更、恐るものなど何もない。
これを最後に、徹底抗戦を図れば、止められる者は誰もいなかった。
それでも、敢えてそうしなかったのは、いつか、兄である淀卓宮司が再起を図り、戸塚鱶背家を復権させる事を信じての事であったが…
最近、父親の失脚で河原者に下げ渡された一番下の曾孫娘が、数年に及ぶ凄惨な凌辱の果てに死んだと言う。まだ、十一歳であった。
本来、忌子として産まれる前に始末されるか、河原者に下げ渡される筈の環奈が、宿姫として溺愛される傍らの曾孫娘の死。
井均権宮司の中で、何かが事切れてしまったのだろう…
既に何年も前から取り決められていた、聖領との会談について…
一月後に迫る今になって、突然、猛反発を示したのである。
会談の内容は、密貿易の利権配分に関する新たな取り決め…一応、そう言う事になっている。
また、単に鱶背社領だけの利権ではなく、神領全体の利権について話し合われる事。特に宗領である鱶腹社領の利権を確保する為の会談…と、言う名目で、総宮社の承認も得ている。
が…
実際のところは、別の意図があった。
それは、神領の版図と独立に関する、共通認識化である。
神領は、正式には、幽国神領と自称している。版図は、隠隅諸島のうちち、幽乃本洲島、或いは幽乃皇親島を中心として、大兎海峡の南西部に点在する、幽乃諸島の全島としている。
そして、最も重要な点は、神領が属するのは皇国であり、聖領に対しては、本家領として敬意を払っているが、独立の立場をとっている。
対し、聖領は根国聖領を自称し、隠隅諸島の全島の領有を主張。
皇国に対しては、宗主国として敬意を払っているが、独立の立場をとっている。
幽乃諸島は、属領後島と呼び、根国の属領としている。
神領の版図は、本洲島のみ。呼称も、根乃堅洲島とし、独立を認めず、幽乃諸島同様、属領後島の一島と見做している。
要するに、本洲島をはじめ、幽乃諸島は、全て聖領の植民地と見做しているのである。
この互いに異なる認識を、一つに纏める事が、今度の会談の本筋であった。
具体的には…
隠隅諸島の全島は、玉垣皇国の国築県に属する、根国郡と称する事。
幽乃諸島の全島は、根国郡に属する事。
幽国の自称は廃し、根国に統一する事。
幽乃諸島の名称も廃し、後島に統一する事。
代わりに…
幽乃諸島に対する属領の呼称は廃し、神領に統一する事。
後島は、全て神領の版図とする事。
よって…
根国聖領は前島聖領、幽国神領は後島神領とし、両領を合わせて根国郡とみなす事。
しかし、この取り決めには、神領全土の運命を左右する重要な問題が、幾つも孕んでいた。
故に、鱶腹総宮社ですら、単独で決定する事は許されず、少なくとも、本洲島十二の社領全ての合意を得る必要があった。
それを、鱶頭社領、鱶見社領と並び、一宮社領の格式があるとは言え、鱶背社領だけで決めると言う事…
それは、総宮社に対する謀反を越して、神領に対する背叛と見做されて当然の行為であった。
しかも、この話には更に大きな裏があった。
今回の会談には、皇国の首脳と洋上国の占領軍が仲介に入っていた。
何を意味してか…
神領の独立を代償に、鱶背社領が神領における独裁的地位を獲得する事。
皇国と洋上国の後ろ盾を得て…
条件は…
聖領に設置されてるのと同じ占領軍基地を、神領にも設置させる事…
既に聖領の基地では開発済みだと言われている、弾道型原子爆弾開発の密約付きで…
井均権宮司が、口角泡を飛ばして大反対したのは、この、洋上国と皇国の後押しによる、神領の独裁支配と引き換えに、独立の放棄、基地建設、弾道型原子爆弾の開発であった。
理由としてあげたのは、まずは、一言で言えば、神領に対する背叛背信行為だと言うもの…
更には、楽土と明星国を敵に回す危険…
特に、聖領は、古より皇国に臣従する一方、中原にも臣従し続ける事で、独立を維持してきた歴史がある。
逆に言えば、皇国も中原も、聖領は半ば自国に属すると見做す事で、もう一方の宗主国を意識しつつ、半独立的な自治領を認めていた。
しかし、もし、ここで完全に皇国の一県である事を宣言してしまった場合…
殊に…
皇国は、かつての敵国であった洋上国に臣従し、中原の現国家である楽土と敵対している。
そして、洋上国は、聖領に隠砦を建設し、弾道式原子爆弾と言う、大筒を使わずに飛ばせる巨大な爆弾を、楽土に向けていると言う今…
楽土は遠からず、聖領を攻撃し、神領はその煽りを受けるであろう…
と、言うものであった。
そこに居合わせた者達は皆、呆気に取られていた。
何故なら…
そもそも、先の皇国における旧帝国政権の敗戦と崩壊、そして、占領軍支配が始まって以来…
これを好機と考え、この会談内容の計画を進めてきたのは、淀卓宮司と井均権宮司兄弟であった。
特に、領内の恐怖政治にこそ強い関心を示していたが、外交的な事に、淀卓宮司は、全くと言って良いほど興味がなかった。
むしろ、外部の口出しを露骨に嫌悪する兄を支える為にこそ、外交に気を配ってきたのは、弟の井均権宮司である。
この会談内容も、井均権宮司が主に考え、押し進めてきた事であった。
それを…
井均権宮司が述べる事は、一々、最もな事ではあったのだが…
正直、何を今更、この老人は喚いているのであろう…で、あった。
むしろ、露骨に苛立ちを見せているのは、今や壊滅崩壊に等しい、戸塚鱶背家の僅かに残された生き残り達であった。
彼等は皆、戸塚鱶背家が全盛を極めていた頃…
今、井均権宮司が喚いているのと同じ理由を真剣に考え、真っ向から反対し続けてきた者達であった。
その為に、冷遇され、失脚させられ、一家の者達が辛酸を舐め続け、今日に至っている。
しかし…
淀卓宮司が、鱶背社領の独裁を強める為、本来、総宮社が任じるべき神主を、全て自身で任じた。結果、総宮社との溝を深めた。
追い討ちをかけるように…
井均権宮司は、総宮社に対抗するべく、聖領と阿るように関係を深める外交政策を取り、結果、神領の独立と領有権を危うくさせ、諸社領から爪弾きにされ、鱶背社領を孤立させた。
挙句…
実の娘を孕ませ産ませた忌む子を寵愛し、失墜し…
戸塚鱶背家を壊滅寸前に追い込むばかりか…
鱶背諸摂末領を離反させ、今や、鱶背社領そのものを滅亡に追いやろうとしている。
最早、生き延びる為には…
それを、今になって…
戸塚鱶背家の生き残り達が、苛立ちから怒り、怒りから憎悪の眼差しで井均権宮司を見つめる中…
今回の会談を推し進めた、睦夫大祝と、彼を取り巻く三波鱶背家と昴田鱶背家の者達は、実に淡々としていた。
まず、井均権宮司の両脇を占める昴田響郁禰宜、昴田宇美禰宜、昴田執卦権禰宜、昴田勲蓮権禰宜、昴田徳薫権禰宜は、侮蔑に満ちた冷ややかな眼差しで見つめている。
睦夫大祝の両脇を占める、三波泰伐権大祝、三波緒伐擬大祝、三波渓伐擬大祝、三波寵伐副大祝、三波元伐副大祝は、退屈そうに欠伸を噛み殺している。
下座中央を占める、三波伸介連と昴田絲志郎連は、表情を崩す事なく、いつもと同じ鋭い眼差しで、事の成り行きを見守っている。
そして、当の立役者である睦夫大祝はと言えば…
困ったように眉を顰めつつ、目元と口元を微かに綻ばせ、何処か状況を楽しんでいる風にも見えた。
睦夫の奴め…
一体、何を考えておるのか…
淀卓宮司は、訝しげに目を細めて睦夫大祝を見つめつつ…
早く、終わらせてくれんかの…
未だ、凄まじい剣幕で捲し立てる井均権宮司に目を向け、溜息を吐きながら、脳裏を掠めるのは環奈の事ばかりであった。
今日も、環奈と御弾をするのじゃ…
ここ数日…
淀卓宮司は、何とか富子の持ち込んだ玩具に、環奈の気を引こうと躍起になっていた。
環奈は、相変わらず、富子の玩具には、何の関心も示さなかった。
幾ら、側で富子と飯事や雛遊びをしていても、そっぽを向いて縁側に腰掛け、大股開いて、神門のワレメを弄り回して喘いでいた。
お手玉や手毬で遊んで見せる側から、淀卓宮司の股間に手を忍ばせ、穂柱を弄ったり、富子の乳房を揉んで、クスクス笑ったりしていた。
人形で遊ばせようとすれば、着物を脱がせて丸裸にし、暫し股間を指先で小突いて見せた後、自分が脚を拡げて、ニッコリ笑いかけてきた。
結局、玩具で遊ばせる事を諦め、求められるままに、環奈と身体の遊びを始めながら、途方に暮れていた時…
何気なく、懐奥にしまっていた物を取り出すと、環奈は急に、淀卓宮司の穂柱を弄る手を止め、見入り出した。
『まあ、綺麗!それは、何ですの?』
最初に声を上げたのは、やはり、横から眺めていた、富子であった。
『御弾じゃよ。』
『お…は…じ…き…』
環奈は、貨幣に似た平たい硝子玉を何枚か掌に乗せて貰うと、一枚一枚摘んでは、まじまじと見つめた。
『ねえ、お父様。それ、どのようにして、遊ぶのですか?』
富子は、環奈が関心を示したと見るや、此処ぞとばかりに尋ね…
『これは…じゃな…』
淀卓宮司も、やはり此処ぞとばかり、誰かの見よう見まねで遊んで見せると、環奈は食い入るように見つめ…
『わあ!とった!とった!お祖父様の御弾とりました!』
『待て待て、今のは無しじゃ無しじゃ。もう一度、やり直しじゃ。』
『駄目っ!これは、私がとりました。ねえ、お祖母様。』
『はい。今のは、環奈さんが、お取りになりましたよ。』
『わーい!わーい!』
気づけば、環奈はすっかり、平たい硝子玉の遊びに夢中になっていた。
環奈が、身体の遊びにしか興味を持たぬようにしてしまったのは、誰でもない、淀卓宮司であった。
別に、そうしようと思ってしたと言うわけではない。
只、淀卓宮司自身、他に可愛がり方がわからなかったのである。
幼い頃…
親に教えられた遊びと言えば、自身の身体で遊ぶ事と、あてがわれた赤兎や、姉や妹の宿姫達を弄ぶ事であった。
彼女達を慈しみ、可愛がる事は、一切、教えられた事はなかった。
力の恐怖で支配し、命ある限り、いたぶり、責め苛み、弄ぶ事のみを教え込まれてきた。
乱暴に扱い過ぎ、赤兎や宿姫を死なせてしまえば、壊れた玩具の如く捨てられ、すぐに代わりをあてがわれた。
それで、胸を痛めた事や悲しんだ事は一度もない。
そもそも…
愛しさや悲しみと言う感情の、意味も存在すらも知らずに生きてきたのである。
七十を過ぎ、実の娘である真弓を田起で孕ませ、初めて愛しさを知った。
長年の田起でぼろぼろになった真弓が、最後の力を振り絞って環奈を産み、命を落とした時に、初めて悲しみを知った。
そして…
赤子の環奈を腕に抱き、初めて父親と祖父である事に目覚めたは良いが、どう可愛がって良いかわからなかった。
また、かつては誰からも恐れられ、今は憎悪と侮蔑の対象でしかなくなった淀卓宮司に、誰からも望まれぬ忌む子の可愛がり方など、教えようとする者もいなかった。
淀卓宮司には、身体で遊び、快楽を得る事を教える事しか、可愛がり方が思いつかなかったのである。
同時に…
淀卓宮司は、自分の生い先の短さも痛感していた。
産まれて初めて、子や孫の愛しさを知った時、残された命は僅かなものとなっていた。
しかも、かつての権勢は既になく…
社の実権は息子である睦夫大祝が握っている。
彼が、何を考えているのかは、全く読み取れない。
ただ…
何故か、身内である戸塚鱶背家の者達を次々と排斥し、敵対門閥である筈の昴田鱶背家や三波鱶背家と結んでいる。
今は、仇敵である戸塚鱶背家を滅ぼすべく、睦夫大祝を担ぎ上げているが…
やがて、戸塚鱶背家が完全に廃絶され、父である宮司もこの世を去れば…
正直、この息子に愛情などかけらも感じた事はない。
そもそも、環奈を孕ませた真弓以外の子供達を愛した事など一度もない。
睦夫大祝が何を考え、自分の死後、どうなろうとどうでも良い。
しかし、環奈の運命は…
幾ら嘆いても憂いても、どうにもならない事もわかっていた。
今は、曲がりなりにも、淀卓宮司の揺るがぬ寵があるから、辛うじて宿姫の地位を与えられている。
しかし、その代償として、淀卓宮司は、これまで築き上げてきた、全ての権勢を失った。
最早、自分の死後における環奈の処遇まで保証する力は全く残っていない。
自分がこの世を去れば、環奈は忌む子として扱われる。
ばかりか…
かつての淀卓宮司に対する、敵対門閥の憎悪は、全て環奈にぶつけられるだろう。
結果、待っている運命は…
神領に置いて、排斥されて神職の娘達は、敵対勢力によって、徹底的に凌辱される事に決まっている。
ならば…
これで良い…
幼いうちから、弄ばれて悦ぶ身体にしておいてやれば…
自分がこの世を去った後、待ち構える運命も、少しは苦痛でなくなるだろう。
いや…
むしろ、快楽にすら変えられるかも知れない…
淀卓宮司は、そう自分に言い聞かせながら、ひたすら、環奈との身体の遊びに耽り続けた。
しかし…
『環奈殿に、もっと子供らしい遊びをさせてあげられよ。』
『これは、御弾と申す。』
『如何かな?これなら、環奈殿もきっと楽しんでくれよう。いや、何より、貴殿が楽しめよう!さあ、これを持ち帰り、環奈殿と遊ばれるが良かろう!』
淀卓宮司の耳奥に。一人の男の声が過ってきた。
名無しの…
暗面長…
同時に、また、一人の少女の声…
『また…お待ち…申しております…この次は…環奈様も…ご一緒に…』
彩女…
暗面長を庇い、賊の手に掛かった赤兎…
その時…
『して…親社代様の申状は、以上でございますかな?』
延々と捲し立て続けた、井均権宮司の言葉が漸く途切れたのを見計らい、昴田響郁禰宜が、咳払いをしながら口を開いた。
『あいや…』
井均権宮司が、再び何か言いかけると…
『親社代様の申状、一々、最も至極…我ら、ようわかり申した。されども…』
今度は、昴田宇美禰宜が、大きく咳払いをして遮り、睦夫大祝に何やら目配せをした。
睦夫大祝は軽く頷くと、静かに立ち上がり…
『睦夫大祝、恐れ多くも下座より失礼仕ります。』
深々と一礼しながら、口を開いた。
『えーいっ!控えよ、睦夫大祝!今は、神主の次席たるわしが話しておるのだ!神代のお前が…』
忽ち、井均権宮司は、顔を真っ赤に激昂して一括しようとしたが…
『親社代様のご懸念、まことに恐れ入り奉りまする。』
睦夫大祝は、構う事なく言葉を続けた。
崇儀会に参列する一同も、井均権宮司に構う事なく、耳を傾ける。
『この上は、此度、親社代様にご指摘賜りましたる事を踏まえ、改めて、神使衆の合議に計りたきところ…なれども、今は、聖領との重要かつ重大なる会談を控え、急を要しておりまする。
この上は、親社様の御裁断を仰ぎとうございますが、如何でしょう。』
『なりませぬぞ!親社様!断じて、裁可はなりませぬぞ!』
井均権宮司は、最早、誰一人、自分の言葉になど耳を傾けぬと見るや、最後の望みとばかりに、淀卓宮司の方に睨みつけるようにして振り向いた。
しかし…
『親社様は…』
と、またしても、昴田響郁禰宜が、勝手に何か言うより早く…
『裁可する。』
淀卓宮司は、吐き捨てるように言い、次の発議奏聞に移るよう、誰にともなく顎で促した。
『また…お待ち…申しております…この次は…環奈様も…ご一緒に…』
尚も、耳の奥底に響く少女の声…
その声は、やがて、環奈の声に変わってゆく。
『お祖父様、早く帰していらしてね。今宵も、お祖父様と御弾をしとうございます。』
崇儀会は、まだ続く…
いつ終わるのだろう…
早く終わりにしたい…
今宵も環奈と平たい硝子玉で遊ぶのだ…
夜を明かし…
時の流れも忘れて遊ぶのだ…
淀卓宮司の耳に、最早、新たな発議奏聞の声は聞こえない。
今は只…
『取った!取った!お祖父様の御弾、また取りましたー!』
環奈の甲高いこえばかりが、耳の奥底から、延々と響き続けていた。