(9)面影
希美は、スヤスヤ気持ち良さそうに眠っている。
時々…
「お馬ちゃん、パカポコ、お馬ちゃん、パカポコ…」
「ハーシ、ハーシ、美味ちいねー」
「お父さんのお魚貰った、お魚貰った…」
ブツブツ寝言を言いながら、クスクス笑っている。
きっと、楽しい夢を見てるのだろう。
今夜は、悪夢にうなされて、オネショをする心配はなさそうだ…
和幸は、起き上がって、希美の寝顔を覗き込みながら、その頬を撫でてやる。
昼間は、殆ど菜穂に独占されてるが、菜穂も眠れば、ほんの少し自分のものにもできる。
と…
「赤ちゃん!私の赤ちゃん、何処!赤ちゃん、いない!」
突然、菜穂が起き上がったかと思うと、何かを抱くような仕草をした両腕の中を見て…
「いない…いない…私の赤ちゃんがいない…」
見る見るうちに涙ぐみ、シクシクと泣き出した。
「ナッちゃん…」
和幸は、優しく菜穂に声をかけた。
菜穂は、寝ぼけた顔して、和幸の顔を見る。
「カズ兄ちゃん、赤ちゃん…私の赤ちゃん…連れて行かれちゃったよ…」
そう言うと、また、ポロポロ涙を零した。
「落ち着いて…ナッちゃんの赤ちゃんなら、ちゃんと此処にいるだろう。」
和幸が言うと、菜穂は希美の方を見た。
「希美ちゃん…」
菜穂は、忽ち笑顔になって、希美の寝顔を撫でた。
漸く、目が覚め、正気に戻ったようだ。
「お母さん…お母さん…」
希美は寝言を言いながら、また、クスクスと笑いだした。
「希美ちゃん、可愛い。」
菜穂もクスクスと笑い出す。
「この子は、誰にもとられないよね。ずっと、私達の子よね。」
「そうだよ。」
「良かった。希美ちゃん、お母さんとネンネしようね。」
菜穂は、また横になって希美の肩を抱いた。
「ナッちゃん…」
「なあに、カズ兄ちゃん。」
「寝ボケるのは良いけど、オネショするなよ。ナッちゃんのオネショまで、僕のせいにされてはかなわないからね。」
「まあ!私、オネショなんかしないわ!」
菜穂は、プッと膨れ面すると、そのままじきに寝入ってしまった。
『夜も、やはり、ナッちゃんの独り占めか…』
和幸は心の中で呟くと、希美を抱いて眠る菜穂を愛しそうに見つめた。
希美は、以前のように、何が何でも離すまいと言うようには、菜穂にも和幸にもしがみついたりしなくなった。二人とも、もう絶対に自分から離れないとわかり、安心しきっているようである。
むしろ、菜穂の方が、希美に強くしがみついている。
『トモちゃん…』
ふと、希美にしがみつくように抱く菜穂の姿が、智子の姿に重なった。
智子もまた、今の菜穂のように、しがみつくように…いや、縋りつくように希美を抱いて、よく眠っていた。
一つには、子供を産めない智子が、和幸との間に産む筈であった赤子と重ね見ていたと言う事がある。
しかし、それ以上に…
かつて、菜穂に二人の腹を痛めて産んだ子がいたように、智子にも和幸との間に産む筈だった赤子と重ね見た少女がもう一人いた。
『美香ちゃん…』
赤兎の美香…
あの子も、希美のように
前の
女と言うものに全く興味を示さぬどころか、自分が関心を寄せる美男美少年を寝取る仇のように歪んだ憎しみを抱いている節があった。
特に、黒兎達に懸想する彼は、
黒兎とは、元来、赤兎と白兎達の
また、神饌共食祭の一つで、例祭や月次祭後に行われる皮贄と言う祭儀がある。それは、参列者の見守る中、選ばれた白兎を神楽殿に上げて全裸にさせ、脱いだ着物を御祭神に奉納する祭儀である。
その際、白兎の着物を脱がせて奉納し、御祭神の前で
いつの頃からか、男色家や男漁りの女参拝者相手の男娼になりはしたが…
今でも、基本、赤兎や白兎達の練習台であり、皮贄と称する余興の片割れを担っている事に変わりはない。
ただ…
黒兎達と赤兎や白兎達の間には、兄妹姉弟のような絆が結ばれていたのである。
また、恋愛感情で結ばれている者も少なくなかった。
それでいて、立場上、懸想する黒兎達に、赤兎や白兎達を抱かせなくてはならない事が、嫉妬心を憎悪に変えさせてしまっていたのだ。
更に言えば、残忍を好む異常性格者でもあった。
和幸は、当初、男色と言うものも理解できなければ、異常なまでに、自分と仲の良い赤兎や白兎達が苛め抜かれる理由も理解できなかった。
只々、友達が苛められるのが辛く、守り庇おうとすれば、余計に苛められるのが、更に辛かった。
しかし…
ある時期から、自分に対して、男が女に抱くような関心を抱いている事と、自分の方から言い寄れば、欲しいものは何でも与えてくれる事を知るようになった。
和幸は、試しに自分から望んで玩具にされた後、仲間の
それも、可哀想だからやめて欲しいと言うではなく、自分以外の者に、そのような関心を寄せられては、嫉妬に狂いそうだからやめて欲しいと願ってみた。
すると、あっさり笑って仲間達を虐めるのをやめ、代わりに一層激しく執拗に和幸を玩具にした。
自分から求めれば、その分、仲間達が虐められない…
自分に関心を寄せ、自分が執拗なまでの陵辱を受けてる間は、仲間達は苛められない…
苛められないどころか、求めれば、日頃殆どまともなものを食べさせて貰えない仲間達の為に、食べ物を貰う事もできる…
その事を知った和幸は、女の立ち居振る舞いを、一挙手一投足を徹底的に観察し、女以上に女らしく、女以上に雅に、女以上に妖艶に振る舞おうとした。
何より、女以上に美しくあろうとした。
そうして、和幸の方から求めて
ある時…
『さあ、お腹すいたろう。おにぎり、貰ってきたよ。』
その日も、一日中、
和幸がどんな思いをして、それを手に入れてきたか知ってる仲間達は、泣きながらそれを受け取り、なかなか口にする事が出来なかった。
特に、そもそもは、自分を庇う為にそうするようになった事を知ってる智子は、貰った握り飯を抱いて泣き続けていた。
しかし…
一人、自分から好んで
生来血の気が多く、和幸とは逆に、年中、
『汚ねえ手で触るな!』
和幸が側によるなり、貴之は怒鳴り声を張り上げ、突き飛ばし…
『こんなもん、食えるか!』
差し出された、経木に包まれた握り飯を床に叩きつけて踏みつけた。
『いつも、ヘラヘラ笑って、あのクソ爺いに媚びへつらいやがって…
てめえには、誇りってもんがねえのか!誇りってもんが!』
貴之は、今日と言う日は、もう我慢できぬと言うように、和幸の胸ぐらを掴み、殴りつけようとした。
そこへ、黒兎の秀行がスッと分け入り、貴之の腕を掴んだ。
『ヒデ、てめえ、このオカマ野郎の肩持つ気か?』
秀行は何も答えず、ただ怒りに青白く燃えた眼差しを傾け、腕を握る手の力を一層強めた。
『やる気か?』
横目で睨みつける貴之に、秀行が答える代わりに、横から割り込む智子が、思い切り貴之の頬を叩いた。
『あんたに、カズちゃんの何がわかるの!』
智子は、涙を溢れさせ、声を震わせて、貴之を怒鳴りつけ…
『カズちゃん…毎日、どんな思いして、これを手に入れてくれたの思ってるのよ…どんな思いして…』
言うなり、その場にしゃがみ込んで、ワッと声を上げて泣き出した。
『おい、おまえ…』
すると…
『タカ兄ちゃん、これ食べて。』
全身、鞭や火傷の傷だらけの全裸の少女が側に寄り、自分が貰った握り飯を、貴之に手渡した。
『美香ちゃん…』
貴之は、片やまだ大泣きすしてる智子、片や新たに手渡された握り飯、どちらもどうして良いか途方にくれた。
すると…
『美味しい…美味しい…タカ兄ちゃん、このおにぎり、とっても美味しいよ。』
美香は、貴之が投げつけ踏みつけた握り飯を拾い、むしゃむしゃ食べて見せると、和幸にニッコリ笑いかけた。
『カズ兄ちゃん、おにぎり、ありがとう。』
和幸は、菜穂に抱かれて眠る、希美の安らかな寝顔を見つめながら、あの日の美香の笑顔が、何度も何度も過ってゆく。
あんな子が何故…
和幸は、今夜は眠れそうにないなと思うと、不意に立ち上がり、そっと障子を開けて部屋を出た。
少し、外の空気を吸って来ようと思い立ったのである。